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第十六話

 ウィーゼルの体は冷え切っており、所々火傷のような傷跡があった。滝から落ちたときにぶつけたのか、痣や切り傷も見受けられる。酷い怪我だが、すぐに命に関わるような傷ではない。かすかだが、まだ息もある。


 ウィーゼルの顔を確かめるなりレイピアを抜いたハロルドを、ジェマは慌てて止める。


「待ってください! なにも殺さなくても……」


「こいつは既に三番隊を襲っている。意識が戻ったら危険だ」


「ですが……」ジェマは言葉を探す。「無抵抗な相手を殺すなんて、なんか、その……卑怯じゃないですか!」


 ハロルドの肩がぴくっと震える。動きを止めたハロルドの横顔を、ジェマは固唾を呑んで見守る。


「『卑怯』……か。確かにな」刃を収めながら息を吐き、ハロルドは先ほどよりは落ち着いた視線をジェマに向ける。「雨を避けられる場所を探して、こいつを手当てする。僕がこいつを運ぶから、二人は薪にできそうな枝を集めてくれ」


「えーっ!」抗議の声をあげたのはオビである。「なんでそんな奴助けなきゃいけないの」


「何故三番隊を襲ったのか、その動機を聞き出す必要がある。こいつがどこまで本当のことを喋ってくれるかはわからないが」


「何故って、逃げるためじゃないんですか?」


「逃げるだけなら、なにも彼らを襲う必要は無い。言葉巧みに騙すなり、監視の目を盗んで逃走するなり、奴ならそういった方法を選ぶはずだ」


 ハロルドはウィーゼルを背負って立ち上がろうとする。だが、上着が水を含んで重くなっているせいか、立ち上がる瞬間にずり落ちてしまう。手こずっているようだったのでジェマも手伝い、ウィーゼルが着ていた上着を担架代わりにして二人がかりで馬まで運んだ。


 しばらく歩いていると、山小屋が見えた。秋から冬にかけて狩人が利用する小屋だ。今は狩りの時期ではないので、人の気配は無い。鍵は掛かっていなかったので、雨宿りさせてもらうことにした。小屋の外に馬を繋ぎ、ジェマとハロルドがウィーゼルを中に運び込む。


 最近誰かが利用したのか、調理場や暖炉といった設備はしっかり整えられていた。戸棚の中には包帯や薬草もある。干草が敷かれたベッドの上にウィーゼルを寝かせ、ジェマは集めてきた枝を暖炉にくべる。魔法で火をつけようと試みるが、湿気ているのか白い煙が出るばかりでなかなか着火しない。


「ジェマー、おなかが空いたよー」


 オビに袖を引っ張られ、ジェマは自分も空腹であることに気付いた。空が曇っていたので時間の感覚が無かったが、腹の具合からするとそろそろ昼飯時である。


 ウィーゼルの手当てを行っていたハロルドがオビに近付き、「これでも食べろ」と言って袋を差し出した。例のビスケットである。オビは喜んでそれをかっぱらうが、ジェマの視線に気付くと慌てて「ありがと!」と言った。ビスケットは雨でぐずぐずになっていたが、オビは気にせずおいしそうにそれを食べた。


 そうこうしている内に、ぱちぱちと音を立てて枝が燃え始める。濡れて冷え切った体にじんわりと火の温もりが染み渡る。


「起きませんね、彼」眠ったままのウィーゼルを見て、ジェマはぽつりとそう言った。


「長く川に浸っていたからな。流石に、体力が戻るには時間がかかるんだろう」ハロルドはジェマの呟きに答えると、窓へ目を向けて呟く。「霧が出てきたな」


 ハロルドの言う通り、辺りには白いもやが立ち込めていた。視界が悪い上、雨で地面がぬかるんでいては外に出るにも危険が伴う。


「ねえねえ! もう無いの?」ぐずぐずになったビスケットが付いた指を舐めながら、オビは無遠慮に声をあげた。


「今ので最後だ」


「えーっケチ!」オビは唇を尖らせ、しっぽで床を叩いて不満を露にする。


「無いものは無い。貴様も獣なら、人間に頼らず自分で調達して来たらどうだ」


 ハロルドの冗談混じりの提案に、オビのしっぽがピンと立ち上がる。


「そうする!」その手があったか! と言わんばかりに、オビは意気揚々と霧の中に飛び出して行った。


「えっ」ハロルドの表情に焦りが浮かぶ。「おい! ちょっと待て!」


 ハロルドは慌てて後を追うが、オビの姿はすでに霧の中に消えていた。


「大丈夫ですよ。彼は鼻が利きますし、そのうち戻って……」ジェマは呆然とするハロルドを励まそうと、後ろから声をかける。しかし、その言葉は途中で途切れた。


 ハロルドが振り返る。その顔に苦い表情が浮かぶ。


「ウィーゼル……貴様……」


 いつの間に目覚めていたのだろう。それとも、最初から気絶したフリをしていただけだったのだろうか。


 ウィーゼルはジェマを後ろから羽交い絞めにして、ハロルドを睨んでいた。牙をむいた口から漏れる息は荒く、背中からしっぽにかけての毛が逆立っている。


 ハロルドがレイピアの柄に手をかけるのを見て、ウィーゼルは唸り声をあげた。ジェマの首筋に、わずかに爪が食い込む。


「動くんじゃ……ねえ……」ウィーゼルは震える声を絞り出す。「なんなんだ、てめェら……俺を弄びやがって……」


「……彼女を放せ」ハロルドの周りに小さな火花が散る。感情の昂ぶりに呼応して、無意識に魔力が溢れているのだ。「三番隊の隊員もそうやって襲ったのか? 答えろ!」


「うるせえ!」ウィーゼルが吠える。「やれるもんならやってみろよ! その前にこの女の喉を掻き切ってやる! 騎士のくせに小娘一人守れないたァ、情けねェなあ! 隊長さんよ!」


「貴様……ッ!」


「待ってください!」


 ジェマの声を聞いて、レイピアを抜きかけたハロルドの動きが止まる。ウィーゼルは一瞬だけジェマを見たが、すぐにハロルドのほうへ意識を戻した。


 ウィーゼルの耳は後ろにぺたりと寝ており、しっぽは股の間に挟まれている。その姿は、出会ったばかりの頃のオビに似ていた。オビとの違いは、ウィーゼルは怯えながらも攻撃の態勢を取っていることだ。追い詰められた獣は命懸けで反撃してくる。下手に刺激するのは危険だ。


「ウィーゼル、爪を下ろしてください。私たちはあなたと話がしたいだけです」ジェマは努めて穏やかな口調で語りかける。


「人質は黙ってろ! 殺すぞ!」


「私を殺したら、あなたも死にますよ」


 ウィーゼルがはっと息を飲むのがわかった。ジェマは続ける。


「考えてもみてください。人質が居なくなるってことは、あなたを守る盾が無くなるってことです。相手はハロルドだけじゃない。オビも近くに居るんです。オビはこの雨の中、水中に居たあなたのにおいを嗅ぎつけた。今ここで私を殺して逃げたとしても、オビの鼻からは逃げられませんよ」


「てめェ……俺を脅そうってのかよ?」苛立たしげに牙をむくウィーゼル。


「警告してるんです。あなたは混乱して、冷静さを失っている。いつものあなたなら、こんな無謀なことはしないはずです。私を解放してくれれば、こちらはあなたを攻撃しません。その証拠に、傷の手当てをしてあげたでしょう?」


 ウィーゼルはジェマの真意を見定めようとするように、その目をじっと見ていた。やがてウィーゼルはジェマの喉元から爪を離し、乱暴に背中を突き飛ばす。よろけるジェマの体を支えつつ、ハロルドがウィーゼルを睨む。


「三番隊を襲ったのは貴様か? もしそうなら、その理由はなんだ? 逃げるだけなら彼らを傷付ける必要は無かったはずだ」


 ウィーゼルは黙ったままハロルドを睨み返す。三角形の耳が、辺りの物音を警戒してぴくぴく動いていた。


「教えてもらえませんか」ジェマは静かにウィーゼルの発言を促す。「あなたの傷を手当てしたハロルドが質問しているんです。他人になにかしてもらったらお返しをするのは常識、でしたよね?」


「……はっ、言うようになったじゃねえか。小娘」ウィーゼルの顔に、初めて笑みが戻った。純粋な好意から浮かんだ笑顔ではなく、皮肉と嫌味に歪んだものではあったが。「なら話してやる。心して聞けよ」


 ウィーゼルの話の概要はこうだ。


 彼は真夜中に三番隊の隊員に連れ出され、魔術師と会った場所へと案内させられた。隊員が洞窟へ入り調査をしている隙に、ウィーゼルはこっそり逃げ出そうとした。その時、背後で爆発が起きて、ウィーゼルは近くの川まで吹き飛ばされたという。


「つまり、先に手を出したのは三番隊のほうで、貴様は被害者だと言いたいわけか?」ばかばかしいと言わんばかりに、ハロルドは溜息を吐く。「逃げようとした貴様の自業自得じゃないか」


「ああそうかよ。そう言うと思ったよ。じゃあどうすんだ? 俺を殺すのか?」


「いや、」ハロルドは首を振る。「団長から指示されたのは追跡と捕縛だけだ。貴様の処分はホークバレーに戻ってから決めることになるだろう」


 ハロルドの言葉を聞いて、ウィーゼルから放たれていた敵意が薄まるのをジェマは感じた。緊迫していた空気が若干ながら和らぎ、ジェマもほっと息を吐く。


「でも、そうだとしたら一体誰が三番隊の人たちに怪我させたんでしょうね? ウィーゼルはなにか見ていませんか?」


「さあな」ウィーゼルの返事は素っ気無い。無理に動いたのと、長く喋ったことで疲れたのだろう。よろよろとベッドに戻ると、敷き詰められた干草に体を預ける。


「洞窟の調査に行ったのなら、そこを調べられたら困る人物の仕業とも考えられるな。もっとも、そいつが本当のことを言っているのだと仮定すれば、だが」


 ハロルドは疑心に満ちた目をウィーゼルに向ける。その視線に返事をするように、ウィーゼルはしっぽを一度振ってみせた。


 

「オビ、無事に戻って来れるかな……」


 オビが昼食を求めて山に飛び出して行ってから随分経つ。ジェマは空腹も忘れ、小屋の窓から外を見ていた。日が傾きつつあるのか、白っぽい灰色だった霧に朱色が混ざっている。雨雲は去ったようだが、霧が晴れる気配は無い。日が沈めば、視界は更に悪くなるだろう。


「心配いらねえよ」ジェマの独り言に、耳を伏せたウィーゼルが答える。「奴はもうそこまで来てる。いいか、俺に近付けんじゃねえぞ」


「ジェマー! ただいまー! お土産持って来たよ!」


 ウィーゼルの台詞に被せるように、オビの声が小屋に飛び込む。しっぽを振り回しながら帰って来たオビの手には、何匹かの蛇が握られていた。蛇はオビの手から逃れようと、びたんびたんと体を波打たせて暴れている。


「活きがいいのが獲れたよ! おいしいよ!」


「オビ、噛まれてるよ」


「うん、ちょっと痛いけどこのくらい平気だよー」


 オビの指や手首に噛み付いている蛇は猛毒を持つ種類だったと思うのだが、記憶違いだろうか。見たところオビの顔色に変化は無く、体調に問題はなさそうだ。


 ジェマとハロルドは蛇を食べる習慣が無かったので遠慮した。ハロルドに至っては、オビがおいしそうに蛇を踊り食いする様を見て吐き気を催していた。


 霧は濃くなるばかりで、その日の内に下山することは諦めなければならなかった。幸いなことに、小屋の中に干し肉やハーブが備蓄されていたため、一夜を明かす分には問題なさそうだ。早めの夕食をとった後、彼らは就寝することにした。

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