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第十五話

 雨はしとしとと降り続いており、止む気配はない。三番隊が怪我をして帰還したという知らせを受けたハロルドは、その報告をすべく、団長室がある塔へ続く渡り廊下を足早に進んでいた。


 昨晩遅くに三番隊が調査に向かったことは、今朝団長から聞かされていた。


 ウィーゼルを連れて行ったのは証言に嘘が無いことを確かめるため、夜中に出発したのは、一度怪物化したことのある獣人を街の者に見られてパニックが起こるのを防ぐためだという。しかし、ハロルドはどこか落ち着かないような、奇妙な違和感を覚えていた。


 ふと顔を上げると、向かい側から歩いて来る人物が目に入る。金毛こんもう狐の毛皮をあしらった帽子と外套、隊長の地位を示す白い制服を身に着けたその人物は、ハロルドの目の前に到達すると、そこで足を止めた。行く手を阻まれ、ハロルドも立ち止まる。


「やあ、ハロルド君」


 相手は抑揚の無い声でそう言って、ハロルドを見下ろす。銀髪の隙間から覗く金色の目を見たとき、ハロルドは相手が何者かを思い出した。


「ご無沙汰しております、サディアス殿」


 三番隊の隊長を務めるサディアスとは、面と向かって言葉を交わすのは初めてだった。月に一度開かれる会議の際、彼の姿を何度か見かけているはずなのだが、その人間らしからぬ双眸の色は、他の特徴を打ち消すほどの印象を残していた。


 噂では、サディアスには魔族——この言葉はオールンを指す蔑称である。ハロルドはこの言葉は使わないが、セルペニアに住む多くの人間はオールンを魔族と呼ぶ——の血が混ざっていて、化物じみた美しさで人間を惑わせると囁かれている。


 ハロルドはそんな噂に興味はなかったが、こうして対峙してみると、えもいわれぬ威圧感を覚えずにはいられない。


「先ほど、貴殿の部下が帰還したと知らせを受け、報告にあがりました。同行していた獣人の攻撃により、負傷者が複数出ているとのことです」


「へえ、あっそう」


 そのとき向けられた視線があまりに冷め切っていたので、ハロルドは思わず唾を飲んだ。


「仮にも魔術の熟練者である三番隊の隊員が、獣人ごときに不意打ちを喰らうなんてねえ」


 溜息混じりにサディアスはそう言って、右頬に手を当てる。


「まあ、手ぶらで帰って来たわけじゃないだろうし、手土産を受け取るついでに見舞いに行ってやろうかな」


「手土産?」


「現場まで辿り着けてるなら、所持品や毛髪とまではいかなくても、土くらいは持ち帰ってくれてるはずだ」


 現場とはウィーゼルが魔術師と接触した場所のことだろうが、そこの土がどのような手掛かりになるのだろう。


「そんなものを調べてなにがわかるんですか?」


「素人の君に説明しても理解できないだろう」


 魔術の本場であるシュメリア王国への留学経験があるハロルドは『素人』という言葉にカチンと来たものの、サディアスのほうが魔術に詳しいことは事実だ。わざわざ突っかかるようなことでもない。


「……はい、はい。わかりました。伝えておきます」


 突然、独り言を呟くように、サディアスは虚空に向かって話し始める。奇妙な光景だが、ハロルドはそれが風属性魔法による音声通信だということを知っていた。


 声を魔力に乗せ、離れた相手とやりとりできる魔法である。便利な技術だが、壁などの障害物がある場所では使えず、声が届く範囲も魔力の強さに依存している。


 ほとんどの魔法は適性さえあれば小さな子どもでも扱えるが、この音声通信は比較的繊細で高度な技術のため、扱える者は少ない。ジェフリー団長がこの魔法を扱うことは知っていたが、サディアスも使えるようだ。


「団長からの伝言だ。ウィーゼルの行方を追い、捕縛せよとのことだ」


「承知しました。すぐに向かいます」


 先ほどの報告もサディアスによって団長に届けられていたようだ。ハロルドは敬礼し、ジェマの元へ戻るべく踵を返す。


 ジェマが待つ門へ向かう途中、食堂の前を通りかかったところで、ハロルドは足を止める。


 そういえば、七番隊の予算を計算していた途中で出掛けてしまったのだった。置きっぱなしにしていた帳面と算盤を回収するため食堂に入ると、甘い香りが鼻をくすぐった。午前の小休憩で販売されるビスケットが焼きあがったのだろう。


 いつ頃から始まったかは知らないが——恐らく団長の意向が少なからず影響しているのだろうが——食堂では毎日、朝昼晩の三度の食事の他に、午前十時と午後三時に焼きたての菓子が売られることになっていた。


 小さな袋に五、六枚のビスケットが入っていて、一袋八カブルで販売されている。生地に紅茶や木の実が練りこまれたものもあり、バタークリームや蜂蜜、季節によっては果物のジャムが添えられたりして、様々な味が楽しめるという。


 ハロルドは甘いものが苦手なので利用したことはないが、任務中に小腹が空く隊員には重宝されているようだ。マシュマロウ通りの菓子より安価な上、騎士団員のみが口にできるという特別感も受けているのだろう。


 十時になってまだ数分しか経っていないというのに、既にカウンターの前には何名か並んでいて、その好評ぶりがうかがえる。


 ハロルドの忘れ物は配達棚の中に置いてあった。販売員の話では、菓子を買いに来た七番隊の隊員が置いて行ってくれたという。用事が済むまで預けておくことにして、ハロルドは食堂を出ようとしたが、ふと留置所の役人がオビについて話していたことを思い出す。


 オビは一般的な獣人同様、初対面の人間には警戒心を抱くが、餌をくれる人間に対しては多少なりとも警戒を緩めるという話だ。どういうわけだか彼に首輪を着けても作動しないため、多めの餌を与えておとなしくさせているという。


 ジェマを同行させるので心配はいらないと思うが、念の為機嫌を取っておいても損は無いだろう。オビが機嫌を損ねて暴れでもしたら、暴走したウィーゼルより危険かもしれない。数枚の小銭で最悪の事態が避けられるなら安いものだ。



 ジェマに頭を撫でられて悦に入っていたオビは、ハロルドの姿を見るなり牙をむいた。威嚇というよりは、楽しい時間を邪魔されて機嫌を損ねたような表情だ。


「そんな顔をするな」


 ハロルドはそう言って、ベルトに下げていた小袋を差し出す。オビは訝しげにくんくんと袋を嗅ぎ、中にあるものを悟ると、ぱあっと顔を明るくしてハロルドの手から袋を奪い取る。


「おやつだー!」嬉しそうに叫んで、オビは袋の中のビスケットを一気に頬張った。


「まったくこの子ったら……」ジェマは呆れたような溜息を吐いてオビを見、ハロルドに向き直る。「どうしたんですか、これ」


「食堂を通りかかったら売っていたんだ。ちょうどいいと思って買ってきた」


「オビへのお土産に?」


「ああ。これから少々厄介な仕事をやってもらわなければならないからな」


 ハロルドはジェマとオビを街の外に連れ出し、団長からの指示と、ウィーゼルの変身能力について伝えた。


「パーシーや他の隊員を呼ばなくていいんですか?」ジェマは不安げな表情で問う。


「街の警備に穴を開けるわけにはいかない。万が一奴が暴走していたとしたら、街を襲う可能性もあるからな」


「それで、オビはなにすればいいの? ウィーゼルをやっつければいいの?」


 先ほど食べたビスケットが気に入ったようで、おかわりを狙っているのか、オビはハロルドの腰周りをちらちらとうかがいながら急かすように問いかける。


「必要があれば戦うことになるかもしれないな」


 張り切るオビに答えながら振り返ると、ジェマがなにか考え込むようにうつむいていることに気付いた。


「どうかしたのか」


「いえ。ただ、戦わないで済めばいいなって思って」


「この期に及んで、まだそんな甘いことを言っているのか」


 ハロルドは溜息を吐きつつも、ジェマがそう言うのも仕方の無いことだと理解はしていた。


 ジェマを連れて来たのは戦力として当てにしていたからではない。怪物化したウィーゼルと対等に渡り合う力を持つオビを制御するためだ。ジェマの優しい性格は他人の心を解きほぐす才能ではあるが、同時に、悪意を持った相手に付け入る隙を与えてしまう危険もはらんでいる。


 自分の意思に反して怪物と化したウィーゼルに対し、多少なりとも同情してしまう気持ちはわかる。だが、暴力を振りかざす相手に説得は無意味だ。やらなければ、こちらがやられる。


「今のウィーゼルはただの獣人じゃない。やられる前にやるしかないんだ」


「それはそうですけど、でも……」


「嫌なら無理に戦えとは言わない。そいつの手綱だけしっかり握っていろ」


 ジェマはハロルドが指差したオビを見遣り、「……はい」と小さく返事をした。まだなにか言いたそうだったが、聞いてやる暇は無い。


 ハロルドは厩舎に預けていた栃栗毛の馬を引き取り、それに跨った。セルペニアの馬は持久力とバランス感覚に優れており、悪路や山道でも速度を落とすことなく走ることができる。ジェマはオビの背中におぶさって、駆け出したハロルドの後に続いた。


 目的地である洞窟まであと数キロといったところで、空気のにおいを嗅いでいたオビが足を止める。後ろに続く足音が止まったことに気付いて、ハロルドも馬を止めた。


「どうしたの、オビ?」オビの背中でジェマが訊ねる。


「血のにおいがする。近くになにか居るよ」忙しなく鼻を鳴らしながらオビは答える。雨のせいでにおいが薄まっているのだろう。においの正体までは判断できないらしい。


 今居る場所は街道から逸れた山の中腹で、周囲には若葉を付けた樹木や茨が群生し、人や動物が身を隠すにはちょうどいい茂みを作っている。近くに滝もあるらしく、水が落ちる音が周辺の物音をかき消していた。


 ハロルドは馬の上から周囲を見渡し、ジェマはオビから降りて剣を抜く。オビは鼻と耳に意識を集中させ、においの元を探る。


「くんくん……こっちだよ!」


 オビはそう言って、滝の音が聞こえる方向へ向かって駆け出した。


「あっ、オビ待って!」


「待て! 勝手に動くな……くそっ」ハロルドは馬から飛び降り、オビを追って行ったジェマの後を追う。


 茂みをかき分けながら二人に追いつくと、ちょうどオビが川の中からなにかを引きずり出しているところだった。それが人の形をしていたので、慌てた様子でジェマも加勢する。


 オビとジェマの二人がかりで岸に引き上げられたその人物は、フード付きのゆったりとした上着を身に着けていた。


 ハロルドはその上着の独特な模様に見覚えがあった。三番隊が遠征のときに身に着ける上着である。一般には出回っていないその上着を着ているということは、恐らくウィーゼルに襲われた隊員の亡骸なのだろう、とハロルドは思った。


「ハロルド! 来てください!」


 上ずった声でジェマが呼んでいる。ハロルドは急いでそちらに駆け寄る。そして、引き上げられた人物の顔を見て、息を飲んだ。


「こいつは……!」


 三番隊の上着を着て横たわっていたのは、ウィーゼルだった。

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