第十四話
騎士団の新入りは、まず見習いとして雑用をこなしながら仕事を覚えることになる。ジェマの初日の仕事は、街の鍜治屋に手入れを頼んでいた武器を受け取りに行くことだった。
「鍜治屋は西門に通じる通り沿いにある。大きな店だから、行けばわかるだろう」受け取る品のメモと修理費をジェマに渡し、ハロルドは言う。「代金は経費で落とすことになっているから、領収書を貰うのを忘れるなよ」
「わかりました。では、行って来ます!」
ジェマは意気揚々と出掛けたが、騎士団の敷地を出て数分も経たない内に、しとしとと雨が降り始めた。傘を差すほどではないが、長引きそうな雨である。
春から夏にかけて、セルペニアでは雨の日が多くなる。これは風を司る春の精霊が、陽射しが強くなる夏に備えて雨雲を集めてくれるからだといわれている。
農民にとっては田畑を潤す恵みの雨だが、ジェマにとっては煩わしいことこの上ない。水滴が服に染み込む前に辿り着こうと、やや足早に目的地へ向かう。
ハロルドが言っていたように、目的の鍜治屋はすぐに見つかった。炉は赤々と燃えており、職人らしき三人の若い男女が鉄を打つ音が辺りに響いていた。作業場の隣の建物が店舗だと聞いている。ジェマは体についた雨粒を払い、扉を開ける。
「ごめんください。ホークバレー騎士団の使いの者ですが」
「おう、来たか。ちょっと待っててくれ」
人の姿が見当たらなかったので声をかけると、奥から野太い声が返ってきた。金属同士がぶつかるがちゃがちゃという音が鳴り、奥の部屋の扉が開く。
革製の鞘に収まった三振りの剣を抱え、作業用のエプロンを着けた大柄な男性が姿を見せた。この店の店主のようだ。
「おっ、新入りのお嬢ちゃんじゃねえか。見てたぜ、入団試験の試合。なかなか筋がいいじゃねえか」
「ありがとうございます。あ、これお代です」気恥ずかしさに頬を染めながら、ジェマは修理代が入った小銭袋を店主に渡す。
「ああ、代金はいらねえよ。たいしたことはしてねぇからよ」
「え、でも」
決して高い額ではないが、タダでいいと言われると引け目を感じてしまう。ジェマの実家も鍜治屋なので、ちょっとした作業でも材料費や特殊な技術が必要になることを知っているからだ。そういったものを必要としない手入れなら、わざわざ職人に頼んだりはしない。
「日頃の感謝の気持ちって奴だ。騎士団には街を守ってもらってるからな」店主はそう言ってにかっと笑う。
「そうですか……お心遣い、感謝します」
ジェマは小銭袋を鞄に収め、軽く挨拶をして店を出た。雨はあいかわらず降っていたものの、勢いは弱まっていた。これなら普通に歩いてもあまり濡れずに帰ることができそうだ。
ジェマは兵舎の食堂へと向かった。食事の受け渡しをするカウンターの横には棚が設置されており、段ごとに番号が振られている。騎士団員への届け物はこの棚に預けられ、個々に受け取ることになっていた。七番隊の棚に預かった品を置き、ジェマの初めての任務は完了となる。
「早かったな」
昼食の時間には早いので人は居ないものだと思っていただけに、その声はよく聞こえた。声のほうへ目を向けると、窓際の席に座っているハロルドの姿があった。
ジェマに声をかけた後、ハロルドは手元の書類の束に目線を戻す。なにか難しい計算でもしているのか、算盤を弾きながら顔をしかめている。
「ただ今戻りました。他にお手伝いできることはありますか?」
ジェマが歩み寄り声をかけると、ハロルドは一つ息を吐き、顔を上げる。
「いや、今はいい。また仕事ができたら声をかけるから、自室で待機していてくれ」
「わかりました。あ、そうだ。……これなんですけど」
修理費として支払われるはずだった小銭袋を鞄から取り出したジェマに、ハロルドは怪訝な顔を向ける。
「なんだ? それは」
「お店の人が、代金はいらないと言われたので……」
「それで、その言葉を真に受けて、支払わずに帰って来たと?」
「え、えーと……」
ハロルドの目が険しくなり、ジェマは言葉を詰まらせる。
「貴様、そんな傲慢な施しを受けて恥ずかしいと思わないのか?」
怒気が込められた碧眼にジェマはたじろぐが、彼女も負けずに口を開く。
「傲慢だなんて……彼は善意でまけてくれたんですよ。そんな言い方しなくても……」
「貴様はなにもわかっていない」ハロルドは苛立たしげに溜息を吐いて立ち上がり、ジェマの手から小銭袋をひったくる。「もういい。僕が行く」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
すたすたと歩き出したハロルドを、ジェマは慌てて追いかける。歩いている間ハロルドは終始無言だったが、その胸の中に激しい怒りが燻ぶっているのが見て取れた。まとわりつくような雨の中、つい十数分前に後にした鍜治屋に再び辿り着く。
「店主、これはどういうことだ」ハロルドはカウンターに小銭袋を叩きつけ、唸るように言った。
「おや、誰かと思えばハロルド隊長じゃねえですか。毎度贔屓にしてもらってどうも」
「挨拶はいい。それより、修理代の支払いを断ったそうだな」
「ええ。騎士団は希少なお得意さんなんで、サービスさせていただきやした。戦争が終わって平和になったのはいいんですが、武器や鎧を買う客がめっきり減っちまいましたからね」
にこやかに話す店主に、ハロルドはますます眉間のしわを深くする。
「サービスだと? ふん、舐められたものだな。つまらん気を使って店が潰れたら、迷惑を被るのはこちらなんだぞ」
「それはお互いさまだろ」店主は目を細め、諭すように言う。「あんたも人の上に立つ仕事やってんなら気付いてんだろ。この街の騎士団の現状を」
哀れみを含んだ店主の言葉に、ハロルドはなにか言いかけ、唇を噛んだ。体の横で握った拳が震えている。
「あんたの言い分はわかる。あんたにも貴族のプライドってもんがあるんだろうが、庶民にそれを押し付けるのは野暮ってもんだぜ」
「くっ……」
ハロルドは奥歯を噛み締め、怒りに燃える双眸で店主を睨む。店主はそれ以上なにも言わず、ハロルドに背を向けて作業に取りかかった。これ以上言い争うつもりは無い。煤で汚れた大きな背中はそう語っていた。
「……行くぞ」ややあって、店主を睨みつけていたハロルドはそう言って踵を返す。
「え?」
ジェマはハロルドに手を引かれて店を出る。小銭袋はカウンターに置かれたまま、二人の背中を見送ることになった。
「あの、ハロルド。騎士団の現状って……?」
店主の言葉が気になっていたジェマは、ハロルドの背中に問いかける。
「ああ。貴様も騎士団に入ったのなら、知っておくべきだろうな」
ハロルドは気が進まない様子だったが、歩く速度をジェマに合わせて声を落とし、耳打ちするように話し始めた。
「実は、ホークバレー騎士団の財政はあまり芳しくはない」
「そうなんですか?」
言われてみれば、ウィーゼルに破壊された兵舎の修復作業を行っているのは、騎士団員たち自身だ。
民間の騎士団は平民出身者が多いため、建築に関する知識を持つ人間が居ても不思議は無い。とはいえ、人を雇って作業をすればもっと早く修復できるはずだ。
それをしないのは何故だろうとジェマも疑問に思っていたが、経済的な理由だとすればうなずける。
「ホークバレー騎士団が元は傭兵団だったという話は、前に団長から聞いたな」
「はい。確か、戦時中の治安改善に貢献したとかで、騎士の称号を貰ったって言ってましたね」
先日、兄と再会した際、そんな話を聞かされたことを思い出す。
「称号だけじゃない。騎士として認められることの最大の利点は、国から活動資金の援助を受けられることだ。更に、拠点とする建物や、組織の収入にかかる税金も控除される。そういった報酬を与えることで、治安改善を促進しようという狙いがあったのだろうな」
国から報酬が出るとなれば、多くの傭兵団や戦士ギルドはこぞって名を上げようとする。彼らが積極的に依頼をこなしていった結果、見事治安は回復した。
未だ人気の無い街道では稀に盗賊が現れるものの、その被害は以前に比べて格段に減っているという。
「それじゃ、騎士団の財政がよくないのって、平和になったせいで国からの援助が受けられなくなったからってことですか?」
「概ねそういうことだ」ハロルドはうなずく。「援助が無くなったわけではない。ただ、以前よりは減っている。備えるべき敵が居なくなった以上、一都市に戦力が集まりすぎるのはよろしくないということらしい」
国の予算も無限ではない。治安改善という目的が果たされた以上は、報酬が減らされるのは仕方の無いことだ。
「でも、街の人たちは騎士団を必要としているじゃないですか」
戦時中より治安は改善されたとはいえ、スリや空き巣、詐欺などの犯罪は未だ横行している。山賊退治に比べれば地味ではあるが、犯罪への対処も騎士団の仕事である。
街の人間にしてみれば、騎士団が自分たちの生活を守っていることに変わりは無いはずだ。
「いや」
ハロルドは静かに首を振る。その声色はどこか投げ遣りな、憂いを含んだ調子だった。
「実はそうでもない。世間の認識では、我々のような騎士団は戦好きの荒くれ者か、法を振りかざして罰金を徴収するだけの集団だと思われている。住民の中には少なからず我々を疎ましく思っている者も居ないわけじゃない」
「そんなこと……」
「だから騎士は誰よりも誇り高くなければならないんだ。正義の執行者として、常に威厳を保たなければならない。同情や哀れみなど、侮辱でしかない」
ハロルドは歯を噛み締め、拳を握った。しとしとと振り続ける雨に打たれる彼の体は震えている。
「ハロルド、あなたは……」
水溜りを走る足音に、ジェマの言葉は遮られる。
「ハロルド隊長!」
慌しく駆け寄って来たのは、街の見回り警備に当たっていた七番隊の隊員だ。
「どうした」ハロルドは彼に向き直り、尋ねる。
「先ほど、調査に出られていた三番隊の方々が帰還されたのですが」彼は早口でまくし立てるように告げる。「道案内をさせていた獣人が、調査の途中で逃げ出したと……同行していた隊員に負傷者が出ているようです」
「なんだと?」ハロルドの顔色が曇る。「……わかった。貴様は持ち場に戻れ。団長とサディアス殿に報告しなくては」
報告に来た隊員は敬礼すると、足早に持ち場に戻って行った。
「あの、私はなにをすれば……」只事ではない雰囲気に、ジェマは不安げな目をハロルドに向ける。
「念の為、貴様はオビを連れて兵舎の門で待機していろ」
「オビを?」
「僕が許可する。奴の力が必要になるかもしれない」
ハロルドがオビを頼りにするとは意外だ。それほどまずい事態が想定されるのかもしれない。ジェマはうなずき、オビを預けている留置所へと走った。