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第十三話

 明かりが邪魔だな、とウィーゼルは思った。


 通路側の小窓から漏れてくる蝋燭の炎のゆらめきが、彼の眠りを妨げていた。眩しいのではない。獣は火を嫌うものだと、誰にともなく言い訳する。


 ここは石と鉄に囲まれた牢獄だが、処刑が行われるまではこの場所は安全だ。鳥の鳴き声や、風のさざめきに怯えることもない。だが、ここに蔓延する鉄と松脂のにおいは、彼のある記憶を否が応にも引きずり出す。


 忘れていたのではない。忘れるはずはない。それは彼にとって最も忌まわしく、最も大切だった記憶である。


 彼にはきょうだいが居た。弟が二人、妹が一人。幼いきょうだいの世話を押し付けられるのは煩わしかったが、慕われるのは悪い気はしなかった。


 ある日、群れの長を務める父はウィーゼルに言った。


「きょうだいたちも大きくなった。そろそろ狩りに参加させてやってもいいだろう。今夜、人間の村から山羊を一頭盗んで来い。成功したら、おまえたちを大人と認めてやろう」


 家畜は野生の動物より動きが鈍く、狩りの練習に向いていた。当時は人間同士の戦争のさなかで、若者の多くは要塞に集められていたため、村の警備は薄くなっていた。難しい課題ではない。


 夜が更けた頃、ウィーゼルはきょうだいを連れ、村に向かった。空は晴れていたが、月は無く、辺りは暗闇に包まれていた。


 周囲に漂う人間のにおいにきょうだいたちは怯えていたが、ここは人間の村なのだから人間のにおいがするのは当たり前だ。ウィーゼルは気に留めなかった。


 入り口に焚かれた魔除けのかがり火を除き、家々の明かりは全て消されている。起きている人間の気配は無い。


 ウィーゼルはにおいで獲物の位置を確かめ、家畜小屋に忍び寄り、星明かりを頼りに中を覗いた。若い山羊が一頭、藁が敷かれた寝床で眠っている。


 そこから少し離れた位置に、何頭かの仔山羊が身を寄せ合って眠っていた。怪我をした個体でも居るのか、微かに鉄のにおいがする。出入り口の扉のすぐ近くだ。


 ウィーゼルは懐に忍ばせていた針を使って小屋の鍵を開ける。後は眠っている仔山羊を仕留め、群れに戻って父親に報告するだけだ。


 ウィーゼルは最後に、後ろで控えていたきょうだいたちに花を持たせてやることにした。始めての狩りに尻込みするきょうだいを励まし、ウィーゼルは見張りについた。もし山羊が騒いで村人が駆けつけてもすぐに逃げられるように。


 きょうだいたちは勇気を振り絞り、恐る恐る小屋へ足を踏み入れる。その直後、彼らの悲鳴がウィーゼルの耳を貫いた。


 家々に明かりが灯る。悲鳴を聞いて飛び起きたにしては早すぎる。ウィーゼルは慌ててきょうだいの後を追い、小屋に飛び込む。


 小屋の中にも明かりが灯っていた。松脂のにおい、オレンジ色の炎。集まって眠っていた仔山羊はけたたましく鳴きながら母親のもとに集まり、母山羊はこちらに角を向けて威嚇していた。


 山羊を守るように立ちはだかっていたのは、鉄製の鎧を纏った複数の男。彼らの屈強な腕の中には、恐怖に顔を引きつらせてもがくきょうだいたちの姿があった。


 家畜のにおいに紛れて気付かなかった。人間たちは息を潜め、狼が来るのを待ち構えていたのだ。


 ウィーゼルはきょうだいを救うため、果敢に跳びかかる。だが、鉄の鎧は牙を通さず、彼はきょうだい共々捕らわれてしまった。男たちは村人に雇われた傭兵で、狼から家畜を守ってくれたとして手厚くもてなされた。


 人間たちの罠により捕らわれたウィーゼルたちは、奴隷商人に売り渡されることになった。


 人間同士の戦争は激しさを増し、若者のほとんどは兵士として駆り出されていたため、当時は労働力として獣人奴隷が盛んに利用されていた。特に狼族は力が強く、幼いうちから慣らせば犬のように従順になるといわれ、人気が高かった。


 家族と離ればなれになるかもしれない不安に苛まれるきょうだいたちを見て、ウィーゼルは思った。こうなったのは俺が油断していたせいだ。俺が弱かったせいだ。こいつらを泣かせたのは俺だ。


 そして彼は決意する。この檻を抜け出して、きょうだいと共に群れに帰ろう。そのためなら、どんなことでもやってやる。


 奴隷として売られる獣人には、制御のための首輪がつけられる。首輪には魔法によって仕掛けがされており、暴れたり逃げ出そうとすれば首が絞まるようになっていた。その機能を止めるためには、所有者に解除させるしかない。


 ウィーゼルは病気のフリをして、奴隷商人が檻を開けるよう仕向けた。


 ウィーゼルたちは調教を始めるには育ちすぎていたため、あまり高い値段はつかなかったが、大事な商品であることには変わりない。それまで従順に振舞っていたこともあり、商人はまんまとウィーゼルの思惑に乗り、鍵を開けた。


 その瞬間、ぐったりと横たわっていたウィーゼルはかっと目を見開き、商人を檻の中に引きずり込む。驚きと怯えの混ざった商人の顔に鉤爪を突き付け、ウィーゼルは言った。


「死にたくなければ、俺ときょうだいを自由にしろ」


 首輪が作動し首が絞まっても、ウィーゼルは怯まなかった。彼が爪を振り上げたのを見て、商人は慌てて首輪を解除する。ウィーゼルは爪を収め、商人から鍵を奪い取ると、きょうだいたちの救出に向かった。


 解放されたきょうだいたちと共に、ウィーゼルは生まれ育った森へと帰って来た。驚く仲間たちを尻目に、彼は長である父のもとへ向かう。


 山羊は獲って来れなかったが、きょうだいたちを無事に連れ帰ることはできた。人間を出し抜いた自分を、きっと父は褒めてくれるに違いない。そう思っていた。


「なんてことをしてくれたんだ」


 父は牙をむき、低く唸った。その目には怒りの炎が燃え、声は震えていた。


「お前たちが逃げたと知れば、奴らは群れを滅ぼしに来るぞ」


 そのとき、ウィーゼルは気付く。仲間たちの視線が、自分たちを歓迎するものではないことを。


 期待を裏切られた絶望。恐怖と憎悪を込めた、断罪の視線。どうして帰って来たんだ。もうおしまいだ。そう囁く声が聞こえた。


 困惑するウィーゼルに追い討ちをかけるように、父は事の真相を語り始めた。


 狼退治の依頼を受けた傭兵が森に入ったことを知った父は、自ら交渉に赴いた。人間と戦い、人間たちの魔法の前にいくつもの群れが壊滅したことを彼は知っていた。長として群れを守る義務が彼にはあった。


「家畜を襲うのはやめるから、仲間を傷つけないでくれ」と父は言った。


 傭兵が「信用できない」と言うので、父は更に提案した。


「ならば私の息子たちを差し出そう。夜に村に向かわせるから、彼らを捕らえて村人に示すがいい」


 傭兵たちはウィーゼルときょうだいを捕らえることで仕事を全うし、奴隷商人に売ることで更に利益を得る。群れはウィーゼルたちが居なくなったことで余裕ができ、村の家畜を襲う必要も無くなる。


 犠牲を最小限に抑え、双方に利益をもたらす素晴らしい提案だった。傭兵たちも異議を唱えることはなく、事態は丸く収まったはずだった。


 しかし、ウィーゼルたちは帰って来てしまった。そのことが村人に知られたら、再び傭兵を雇われ、約束を破ったとして報復されるかもしれない。


「なんだよ、それ……」乾いた笑いが漏れる。「俺は……ただ、家族を守ろうと……」


 ウィーゼルの言葉は、爆風によってかき消された。


 木々が燃え上がり、森は一瞬にして火の海に変わった。自然の火ではない。魔法によるものだ。辺りに悲鳴が響く。逃げ惑う仲間たち。父はなにも言わず、恨めしそうにウィーゼルを見ていた。


 その火事が父の言っていた傭兵によるものなのか、ウィーゼルに脅された奴隷商人が報復にやって来たのか、あるいは人間たちの戦争の流れ弾が飛んできたのか、真相はわからない。


 森を包み込んだ炎と煙によって、群れは散り散りとなり、きょうだいたちの消息も、それ以降わからなくなってしまった。


 理不尽は突然降りかかる。誰も助けてはくれない。英雄ヒーローなんて居ない。正しいと信じたことが報われるとは限らない。大事なものを守っても、別れは必ず訪れる。


 彼はひとりになった。空っぽになった。もうなにも失うことはない。誰かに裏切られることもない。


 ウィーゼルは住み慣れた故郷を後にした。自分やきょうだいを売った群れが滅びたことに、彼は薄暗い満足感を覚えていた。



 何度か浅い眠りを繰り返していたウィーゼルは、物音を聞いて飛び起きた。通路を照らす明かりが消えている。


 きい、と扉が軋む音がして、独房に入って来る足音が続く。


 人数は三、四人。看守でも、処刑人でもない。全員が若い男だが、においから闘争心は感じられず、やや緊張を含んではいるが落ち着いた様子だ。彼らは照明を持っていなかったが、足取りに迷いは無い。暗視の魔術を使っているのだろう。相手は魔術師の集団か。


「なんだてめェら」ウィーゼルは低い声で牽制する。


「静かにしろ、獣人」リーダーらしき人物が、ぼそぼそと囁くように返す。人間には聞き取れない声量だが、獣人であるウィーゼルにははっきりと聞こえる。「檻は開いている。両手を後ろに組んで、ゆっくりとこっちへ来るんだ」


 その威圧的な命令口調に、ウィーゼルは相手の素性を察した。


「アンタら、騎士団かい」


「静かにしろと言ったはずだ」


「説明くらいしてくれてもいいと思うんですがねえ?」皮肉めいた言葉を返しつつ、ウィーゼルは相手に従った。願ってもない脱出の好機を、みすみす逃す手はない。


 ウィーゼルは服を渡され、それを着ろと指示された。それはフード付きのゆったりした上着で、耳としっぽを隠すのに都合のいい形状をしていた。ウィーゼルは訝りながらも指示に従い、前を行く人間の後に続く。


「我々はホークバレー騎士団の三番隊に所属する者だ」


 その説明を聞いたのは、街の外に出たときだった。彼らは皆同じような上着をまとっており、その下には革製の鎧を着込んでいた。彼らの鎧には、魔力が付与されていることを示す淡く光る模様が浮かんでいた。


「騎士団がなんで俺を逃がすんだ?」


「逃がすのではない。お前には協力してもらわなければならない」


「協力だァ?」


「お前が件の魔術師に接触した場所まで案内しろ」


 ウィーゼルは露骨に嫌な顔をする。


「俺が知ってる情報は七番隊の隊長さんに話したぜ。あいつに案内してもらえばいいだろ」


「彼が聞き出した情報は団長から伺っている。だが、念のためお前も連れて行く。お前が彼に嘘を吹き込んだ可能性もあるからな」


「おやおや、信用されてないねェ」


 身から出た錆というやつだろうか。こんなことなら、もう少し正直に生きていればよかったなあ。などと、自嘲染みた冗談を吐き捨てて、ウィーゼルは肩をすくめる。


「我々は嘘を見破る術も心得ている。騙せると思うなよ」


「はいはい。わかりましたよ」


 どうやら案内するより他に無いようである。ここで争っても、檻の中に戻されるだけだ。とりあえず目的地まで案内して、彼らが現場を調査しているうちに、隙を見て逃げ出すことにした。


 東の空が明るくなってきていた。綺麗な朝焼けだ。風は湿気を含んでおり、微かに雨雲のにおいがした。

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