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第一話

 セルペニア暦七百年、初夏。豊かな山林に囲まれた農作地帯、ベリーコイド地方の小さな村から、一人の少女が旅立とうとしていた。


「ジェマ、忘れ物はない? 着替えは持った? ああそうだ、今朝焼いた蜂蜜パンがあるのよ、おやつに食べてね」


 試験に臨むジェマ本人より緊張した面持ちで、母シェリーは言う。焼きたてのパンは布越しでもじんわり温かく、甘いにおいがした。


 ジェマは母親に「ありがと、大丈夫だよ」と笑みを向ける。その瞳は朝日を映し、きらきらと輝いていた。


「ジェマ!」長距離移動用の馬車に向かうジェマの足を止めたのは、父親ケントの太い声だった。作業場からのっそりと姿を現し、一振りのショートソードを頭上に掲げている。「忘れ物だ」


 ジェマは目を輝かせて父親に駆け寄ると、差し出されたその剣を受け取った。


「これ、新しい剣? 持って行っていいの?」


「ああ。お父さん渾身の一品だ。かわいい娘に、そこらのなまくらなんか持たせられないからな!」


「おや兄さん、剣なんて打てたのかい? アンタんとこの鍜治屋は、農具を作るのが専門だと思ってたが」


 胸を張る父親に水を差すように、ジェマの背後から軽口を叩いたのは叔父のブレンドンである。山の見回りに行くところのようで、使いこまれた弓を背負っていた。


「言ってくれるじゃねえか。これでもゴラド王国との戦争んときゃ、そりゃあもう注文がわんさかと……」


「その話長いから、帰ったら聞いてやるよ。今はこのウッドペッカー村の誇る、未来の騎士様をお見送りしようぜ」


 そう言ってブレンドンはジェマにウインクしてみせ、ケントは誇らしげに娘を見、シェリーは涙を浮かべながら微笑んだ。その後ろで見送る村の人々も、それぞれの表情でジェマの旅立ちを惜しみながらも祝福する。


 人々に見送られながら、ジェマは住み慣れた故郷を後にした。



 ジェマが騎士団に入る決意をしたのは、田舎暮らしが嫌になったわけでも、家業を継ぐのが嫌だったわけでもない。きっかけは、セルペニア王国に古くから伝わる伝説である。


 それは『救世の英雄』という題で語られている昔話で、セルペニア人であれば知らない者はいない、有名な物語だ。かつてこの国は悪しきドラゴンに支配されており、一人の英雄が、暴虐な支配者から人々を解放するために立ち上がった。やがて彼は悪しきドラゴンを倒し、その地に人の王国を築いた。そんな内容の物語である。


 物語の主人公に感化され影響を受けるのは、夢見がちな少年期にありがちなことだ。そして多くの子どもは成長するにつれ、世の中の理不尽さに打ちひしがれ、現実は物語のようにうまくはいかないのだということを理解する。身の程を知り、自分は物語の英雄にはなれないのだと思い知る。


 一方ジェマは、現実という壁の存在を承知した上で、なおも夢を追い続けていた。彼女にとって『夢』とは、現実から目を逸らすための妄想ではなく、将来そこに辿り着くべく見据えられた明確な目標であった。


 ドラゴン退治のような大それた事はできないけれど——そもそもドラゴンは伝説上の生き物である。物語の中で語られているドラゴンも、恐らくはかつて実在した暴君を表すシンボルであろう、というのが今のところ一般的な学説である——伝説で語られる英雄のように、自分の正義を信じ、弱者の味方となって巨悪に立ち向かう勇気を持っていたい。それがジェマの幼少期からの夢である。


 セルペニアにおいて、騎士は強さと義を持ち合わせた名誉ある役職とされている。ジェマが理想を追いかけるにはおあつらえ向きの職業というわけだ。


 セルペニア王国の騎士団は、大きく分けて二種類ある。国の正規軍である王宮騎士団と、各地方の都市に拠点を置く民間の騎士団だ。


 前者は王族お抱えの精鋭部隊であり、代々王宮に仕える貴族や、士官学校の成績優秀者のみが入団を許される。王族関係者の身辺警護や、国の存亡に関わる重大な問題を解決する役目を担っており、上層部は王族に次ぐ権力を持つといわれている。


 後者は七年前、ゴラド王国との戦争が終結した頃に設立された騎士団で、戦時に活躍した戦士ギルドや傭兵団に騎士の称号が与えられたものである。


 都市周辺の治安維持を中心に活動しており、王宮騎士団に比べて華やかさは無いものの、こちらは身分や年齢、家柄による制限がなく、筆記試験と実技試験に合格すれば誰でも入ることができた。セルペニアの国籍と、ある程度の教養さえあれば、無名の旅人だろうと農村育ちの娘だろうと関係無く、騎士を名乗る栄誉が与えられるのだ。


 ベリーコイドは人口が少ないため、騎士団の拠点となる都市が無い。そのため、騎士になるためには他の地方の都市で試験を受けなければならない。ジェマの故郷、ウッドペッカー村から近いのは、セルペニアの北西に位置するレプティルハート地方の都市のひとつ、ホークバレーである。


 王都を守る要塞のひとつでもあるこの都市は、ゴラド王国との戦争の際に大きな被害を受けたものの、町の人々の懸命な修復活動によって、今では観光客を呼び込めるほどにまで復興した。城壁は百年以上の歴史を持ち、災害や戦争による損傷と修復を繰り返しながら、人々の暮らしを守っているのである。


 運賃を払って馬車と別れ、城門へ向かう。堀を渡った先にある鉄製の無骨な門の両側には、鋼の鎧甲冑を纏った兵士が、神殿を守るガーゴイルさながら左右一人ずつ立っている。まだ五月とはいえ、真昼の直射日光が照りつける中突っ立っているのはいかにも暑そうである。


「こんにちは。町に入りたいのですが」


 挨拶すると、身分証を出せと言われたので、ジェマは合格通知に同封されていた実技試験の受験票を見せた。書類に住所と名前と滞在期間を書いて、この町で粗相を働かないことを誓わされた後、ようやく城門を潜る許可を得る。


 受験票は試験の受付のときに必要になるので、なくさないように財布の中にしまった。


 門を潜ると、中央に噴水を置いた広場があり、広場を中心にして三又に——こちらから見てTを逆さにしたような形で——道が広がっている。広場には様々な屋台が軒を連ねており、活気に溢れた声がそこらじゅうで飛び交っていた。


 祭りでもあるのかと思うほどの賑わいだったが、そうではなくてこれがこの町の日常らしい。


 屋台の前で商品を吟味する婦人や、噴水の周りを元気よく走り回る子どもたち、お喋りを楽しみながら通りを歩く若者たち……その中にはセルペニア人だけでなく、牛や鹿などの角を持つ有角種族・オールンや、つい最近まで敵国だったゴラド王国の人々の姿も見受けられた。


 町の建物はウッドペッカー村の民家よりもはるかに大きく、ほとんどが石造りの伝統的な建物だったが、新しく建てられたらしい煉瓦造りの家も散見される。


「やァお嬢さん。迷子かい?」


 声をかけられて、ジェマは驚いて振り返る。そこにはフードを被った若い男が居た。ニヤついた口元がわずかに覗いているものの、人相はうかがえない。


「この街は初めてか? 一ロックで案内してやるよ」


 親しげな口調で提案する見ず知らずの男。ジェマが答えに迷っていると、男はジェマの沈黙を拒否と受け取ったようで、肩を落として溜息を吐いた。


「わかったよ。怖がらせて悪かった。こんな格好じゃ怪しむのも無理ねェな。じゃ、気を付けて旅を楽しんでくれよ」


 男は早口でそう言うと、ジェマが止める間もなくすたすたと歩き去る。その後姿はあっという間に人込みに紛れ、見えなくなった。


 ジェマはうなだれ、噴水の近くにあるベンチに腰をかけた。試験の受付は今日一杯行っている。まだ時間があるので、ホークバレーの観光でもしながら会場を探すことにした。


 おや? とジェマは思う。懐が軽いのである。腰に提げていた鞄を開いたジェマは、「あっ」と小さく声をあげた。


 口を閉め忘れていたのか、中にあるはずの財布がなくなっている。ジェマの顔から血の気が引く。確か財布の中には、受験票を入れておいたはずだ。なくしてはいけないと、現金と一緒に。


 フードの男の姿を探すが、まるで白昼夢でも見ていたかのように、その姿はどこにも見当たらなかった。最早観光どころではない。一文無しとなっただけでなく、夢まで奪われてしまったのだから。


「……様……おい、貴様!」


 茫然自失のジェマは、その呼びかけが自分に向けられたものだとは気付かなかった。


「貴様、聞いているのか!」


 耳元で怒鳴られて、ようやくジェマは我に返る。


 ジェマを呼んだのは、彼女と歳の近い金髪碧眼の青年だった。


 その髪の色は貴族によく見られる特徴だ。年齢は十八くらいだろうか。気難しそうな眼差しでこちらを睨んでいる青年は、白を基調とした制服を着用していた。騎士団では階級により制服の色が決められている。白は一般兵をまとめる隊長の色だ。


「貴様もやられたのだな」


「え?」


「今月に入ってもう十六件目だ。この辺りを荒らしている、ウィーゼルという盗賊が居てね。前は単独犯だったんだが、最近仲間ができたようで、ああやって旅行者に声をかけては仲間にスリをやらせるんだ。今、僕の仲間が追いかけているから、じきに捕まるはず……」


「わ、私も協力させてください!」無礼を承知で、ジェマは縋るように申し出た。「どうしても今日中に取り返さなきゃいけないんです! あの財布には受験票が……」


「受験票?」困惑した様子だった青年は、その単語を聞いた瞬間片方の眉を吊り上げる。「貴様、入団希望者か」


 ジェマは首がもげそうな勢いでうなずく。


「申し遅れた。僕はハロルド・リース。ホークバレー騎士団の七番隊隊長を務める者だ」


 機敏な動作で敬礼する青年に、ジェマは見よう見まねで敬礼を返す。


「わ、私はベリーコイドのウッドペッカー村から来たジェマといいます。よろしく……」


「我々に協力したいと言うならついて来るがいい。せいぜい足を引っ張るなよ」


 ハロルドの言い方にジェマはカチンと来たものの、今は他に頼る者も居ない。白い制服を翻す彼の後をジェマは駆け足で追った。

【補足】

ロック:セルペニアの通貨単位。補助単位はカブル。

1カブル=10円 1ロック=100カブル(1000円)

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