一品目~さくらんぼパイ~
カラン────。
涼やかなベルの音が洋菓子店を包み込む。いらっしゃいませ、私は笑顔と共にお決まりの挨拶をして、1人で入店した目尻の赤い小さな女の子にメニュー表を差し出した。
『ご注文が決まりましたら、お席のベルをお鳴らし下さい。』
にこりと笑ってみせると、女の子は一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから桃色の小花が散った着物の裾ををふわりとはためかせ、女の子が近くのテーブルのベルをチリンと鳴らした。
「お母さんが居なくなっちゃったのっ……。お母さん、どこ。」
「ご注文はお母さんですか……、お探しします。その間、ケーキでも食べてお待ちください。」
女の子の目から涙が零れる。それを腰に巻いていた赤のエプロンで優しく拭ってあげる。すると女の子はぎこちなく、けれど確かに少しだけ笑って「ありがとう」と、お礼を言って席についたのだった。
さて、今日も忙しくなりそうだ。
レジに置いていた真っ白な帽子を被り、私はキッチンへと向かった。
* * *
女の子は三軒離れた呉服屋の女の子だった。確か、奥さんが臨月だと呉服屋の店主が来店の際話していたっけ。
きっと、奥さんの陣痛が始まって病院へ向かったのだろう。少女はもしかしたらお昼寝でもしていて、旦那さんはそのまま娘を残して病院に向かったのだろうか。しかし女の子は目が覚めてしまい、家には一緒に暮らす父方の祖母しかおらず、お母さんと泣く彼女をどうしたら良いか分からずとりあえずこのお店まで連れてきた……そんな所かな。
焦げ茶のドアの向こう側からちらりと見えた藤色の着物は、時々祖母とおしゃべりに来ていたとし子おばあちゃんのもので、経緯はすっかり見えてしまった。
女の子の好きなさくらんぼパイを焼く最中に旦那さんに電話してみると、思った通り。
臨月の奥さんを病院まで送っていたそうだった。無事元気な男の子が産まれたようで、今からここに迎えに行くと言っていた。
さくらんぼパイを一緒に食べながら、女の子とおしゃべりして待っていると暫くして旦那さんが忙しなくドアを開けた。
「すみれっ」
「お父さん!」
とたっと椅子から降りて旦那さんに抱きつくすみれちゃんはまた涙を零していた。そんな娘に、
「もうお姉ちゃんになるんだから、いつまでも泣いてちゃダメだぞ。」
と愛おしそうに涙を拭う旦那さんに子供を持つっていいなぁと思いながらも、箱に人数分のさくらんぼパイを詰めて手渡してあげた。
「出産祝いです。またのご来店、心よりお待ちしております。」