プロローグ
この店を亡くなった祖母から受け継いだのは私が高校2年の秋頃のことです。
脳梗塞で倒れた祖母が救急の集中治療室で寝ている間に、両親が店を取り壊す話をしているのをうっかり聞いてしまい、思わず
「私があの店を継ぎます!」
だなんて言ってしまったのがそもそもの始まりでした。
それから、学校帰りに祖母のお見舞いに行った後にお店を開店させるのが、私の日課となりました。午後5時から午後8時までの3時間だけ開く、小さな小さな洋菓子店。祖母と共にお店でお菓子を作っていた祖父が奥で見ていてくれるので、レジに1人で立っていても怖くはありません。
お客さんは少ないけれど、高校生の私の様子を見に 近所のおばちゃん達や、お父さんの知り合いの人が買いに来てくれるので安心して接客できます。
いつも温かな笑い声が聞こえるこのお店を、私は以前よりもっと好きになりました。
あれから1年後、高校3年生となった私は製菓専門学校に通うべくお勉強に勤しんでいました。その頃には、祖母は無事退院し、車椅子に乗りながら優しい笑みを浮かべてレジの隣に居るようになっていました。
発見と病院への搬送が早かったため、命に別状は無かったそうでした。目が覚めて、お店のことを話したら
「あのお店を守ってくれてありがとう。」
と今まで見てきた中で1番穏やかな顔でお礼を言われたことを今でも時々思い出します。
このお店は祖父と祖母にとって何よりも大切なものだとこの時の私はすごく強く実感しました。
そして、決めました。
祖母の大切なこのお店をもっともっと先まで残していこうって───。
祖母が倒れた時は思わず
「この店を継ぐ」
だなんて言ってしまったけれど、これからは違う。祖母のあの一言を聞いて本当の意味で、味も雰囲気も、この店の持つ全てを私が残して語り継いでいきたいと思ったのです。
そのために、私は一歩ずつ進み始めました。
この店を継ぐ、と決意してから私は毎日努力を重ねてきました。シェリー製菓専門学校で学び、海外の製菓グランプリで賞を受賞した後、フランスで5年年ほど修行を積み、そして遂に私は25歳の春、日本に帰ってきました。5年という月日は大きく、故郷の町並みは少し変わっていましたが、祖母のあのお店は変わらず残っていました。
一年前、体調を崩した祖父が店を閉めてしまったと手紙で知っていたけれど、お店自体は残してくれていて、私の帰りを待っていたそうです。
店の扉を見た時、フランスで働いていた時のオーナーに言われた言葉がふとよぎります。
「店に入った瞬間が勝負だ」
技術だけでなく、心も、思いも成長した私の生活が始まります。