津鏡雪白
色々と状況が飲み込め無い八郎であったが、時間に五月蝿い国正を思い、稽古場を片付け風呂に向かった。風呂は国正が毎日先に入るので既に湯が沸かされていた。《ざっぷん》お湯は木桶の八分目くらいだ。
《⁑ふぁ〜つっかれたー!》
八郎は一呼吸後に粉々になった槍と木刀を思い出していた。
《あの瞬間…俺が?そんなはず無いよな…》
八郎は右手でお湯をすくい、しばらく眺めていた。辺りがうっすらと暗くなりかけていた時、突然の風が笹の葉を歌わせて八郎の視線を一瞬奪う。
《⁑…!》
そこには真っ白な雪柄の着物を着た美しい女がこちらを向いて立っていたのだ。髪は長く艶があり真っ直ぐに細くしなやかに美しい。こちらを見つめる瞳は、奥深く澄み切っていて吸い込まれそうだ。
《⁑あ。…あのぉ》
八郎は驚きと恐怖が交差する様な心境であったが…声を出した
《⁑っ!津鏡八郎と申しますが貴女は…?》
女は八郎の顔を優しく見つめて口元がわずかに動いた様な気がした
《し…。。》
女は何か言おうとしたが寂しい表情になってしまって言葉は続かなかった。
《⁑…》
その後お互いが黙り見つめ合って沈黙が風巻く空間を支配したのだった。以外にも沈黙を先に破ったのは女だった。
《八郎さん…私は貴方にしか見えない幻影の様なもの。雪が溶ける様に消えてしまう仮の姿なのです。この姿を貴方は知っていますね?》
八郎は女を強く優しく見つめた。しばらく間があった後に、八郎の目から涙が溢れ出した。
《⁑母さん…?母さんなのか?》
八郎が見つめる女性は生まれてから一度も会った記憶がない、八郎が想像する母親の姿、八郎がこんな人が母親だったらと願う姿がそこにはあった。
《貴方が願うのならば今だけでも母となりましょう…》
と言い、女は白い笑顔を見せた。八郎の母は津鏡雪白という名の女性である。八郎が3才の時に八郎を守る様に死んだとだけ説明されていて、真相は闇の中である。国正も絶対に話さない事案で、津鏡一族の闇である。
《母さん…?俺さ。母さんがいなくて…うぅ》
八郎は伝えたい事があるのに涙が邪魔をして声がまともに出ない状態である。
《⁑兄さん…ぅ…達は母さんを覚えてるんだ…だけど俺は…母さんを知らないんだ…。》
女は顔色を少し暗くした。
《八郎…母さんは八郎を知っています。母さんは今でも貴方を愛しています。…八郎?。これから沢山の辛い事、悲しい事が貴方を惑わせるけれど…どうか…真実を見失わないで下さい。貴方は八郎として生まれて、八郎として生きて行くのです。分かりましたね?…貴方は津鏡八郎です!》
女の言葉は真っ直ぐに八郎の心に納まったのであった。。
《母さん…俺さ!…。。》
八郎が涙を腕と手で拭き取ると、そこには母の姿は無かった。残るのはザザッと笹を鳴らす小さな軽く素早い足音であった。