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『そこで、何をしている?』
かけられた声にハッとして、エリシアは慌てて狼に向き直り答えた。
「わたくしはエリシアと申します。この国の安定を願ってこちらで森の主様にお祈り申し上げていたところですわ」
『第四王女か』
「わたくしをご存知でしたか……」
予想外の言葉にエリシアは目をぱちくりさせる。
まさか名前だけで自分が王女だとわかる者がいるとは思っていなかったのだ。
『まあな。それで王女、祈りは終わったのか?』
「あ、いえ……一晩中祈り続けるつもりですわ」
『一晩中?祈りが届くかどうかに時間は関係ない。その気持ちの大きさによる。だから一晩中祈っても意味がないぞ』
「でも……一晩中祈りを捧げて、明日の朝こちらに来る迎えを待つように言われて……」
『……そうか。でもやはり一晩中祈り続ける必要はないな。こちらへ来い。家の中で休むといい』
狼の言葉にはどこか労るような響きがあった。
狼にはわかったのだろう。
エリシアは捨てられたのだと言うことが。
エリシアが選ばれたのにはもう1つ理由があった。
それは、エリシアが黒髪に紅い瞳ーー"魔女の色彩"を持つ者だったからである。
"魔女の色彩"を持つ者は魔術師と比べても魔力量が桁違いに多く魔法の扱いに長けているが、災いをもたらす者として人々から忌み嫌われている。
母親の身分が低いことと相まって、エリシアは人々から蔑まれてきた。
今回のことはエリシアを捨てる絶好の機会だったのだ。
『どうした?』
家に入ろうとしていた狼が振り返って、動かないエリシアに問う。
エリシアはその優しげな声に導かれるように狼の後について家の中へ入った。
家の中は外から見るよりもずっと広かった。
あの外観からどこにこれほどの空間が?と思うくらいには。
そんなエリシアの疑問に気づいたのか、狼が『ここは魔法で空間を広げてある』と説明してくれた。
きょろきょろ見回しながらついていくと、狼はある部屋に入っていった。
続いて入ると、そこには机とベッドとソファなどが置いてあり、僅かにだが生活の気配がある部屋だった。
おそらくここは狼の私室なのだろう。
狼はそのままベッドに飛び乗り、エリシアを呼んだ。
エリシアは少し迷ったが、疲れていたのと、狼のそのふかふかな身体に抱きついてみたいという欲望に負けて素直にベッドに入った。
全身でもふもふを感じながら、エリシアはすぐに眠りに落ちた。
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腕の中いる何かがもぞもぞと動くのを感じ、狼ーージンは目を覚ました。
窓から差し込む朝日に目を眇め、この状況はなんだと目覚めたばかりのぼーっとする頭で記憶を辿る。
そしてすぐに、そういえば王女を拾ったんだったな、と思い出す。
ジンは改めて腕の中にいる少女を眺めた。
漆黒の髪はつやつやと美しく、今は閉じられているが昨夜見た瞳は紅くきらめいていた。
"魔女の色彩"を持つこの少女からは膨大な量の魔力が感じ取れる。
森を歩いても獣たちに襲われる気配がなかったのは、この小さな身体から溢れ出る魔力のおかげだろう。
獣たちは賢い。自身より強い相手には決して手を出さないからな。
それにしてもーーとジンは思い巡らせながら何とはなしにエリシアの頭をなでる。
昨日少し会話をしたが、返答や振舞いからこの少女の精神年齢が異常に高いことが伺えた。
ジンの記憶が正しければまだ10歳のはずなのだが、まるで17歳やそこらの貴族の娘と会話しているかのように感じた。
まあこれほどの魔力を有していればこうなるのも当然か、とジンは思った。
あまり知られていないことだが、保持する魔力量が多いと知力も高くなる傾向にある。
頭の回転が速くなければその大きな魔力を操ることができないからだ。
そして、その身に余るほど多くの魔力を持つこの少女は、魔力に引きずられるように年不相応の知力を身に付け、精神年齢も高くなってしまったのだろう。
だが10歳は所詮10歳である。
完璧な大人の振る舞いなどできるはずがない。
家の中を物珍しげに眺めたり、自分に縋り付いて眠ったエリシアは年相応に幼く感じられた。
そんなちぐはぐな少女をこれからどうしようか、と考えていたらエリシアも目覚めたようなので「おはよう」と声をかける。
「ん、おはようござい……」
こちらを見上げたエリシアが固まった。
目を見開き絶句している。
何かあったのだろうか。
そんなエリシアの反応を不思議に思っていると、「人間……?」と小さく呟く声が聞こえた。
その呟きで自分は今、人型に戻っていることを思い出した。
不用意に驚かせてしまったことを少し申し訳なく思いつつも、驚きを素直に表すその姿はやっぱり年相応だな、と思ったジンであった。
実はジンはエリシアの年不相応な振舞いに結構戸惑っています。
ここまで読んでいただきありがとうございました。