……が綺麗ですね
私には好きな人がいる。
私の好きな人は運動神経がとても良く、容姿も綺麗で可愛い人。その上、性格も明るくて優しい。でも頭の方は少し残念。それでもその人に惹かれる人は多く、告白をされている場面を何回か目撃している。
他校の生徒にも言い寄られているところも見ており、その度に何度も胸が締め付けられて、嫌な気持ちになる。
でも、絶対に私の気持ちをその人に伝えることは出来ない。
伝えても叶わないと分かっているし、今の関係を壊す事は絶対に嫌だからだ。
それに、その人に軽蔑の眼差しを受けるのは何としてでも避けたい。
多分、その人は私を軽蔑しないだろうとは思うけど、もしもの場合があるかも知れないのだから……
「おーい! 一緒に帰ろう!」
「……うん」
委員会の仕事も終わり、下駄箱で靴を出していると、先程まで思いを馳せていた人に帰りを誘われて、胸が高鳴る。
「……で、今日は自己ベストを更新したんだよ!! ……そう言えばすっかり日が落ちるのも早くなって寒くなったよねえ」
「そうだね。もう暗くなってる」
そう言いながら私は顔を見上げてみると、もう月が出ていて、ため息を吐いてしまう。
「でも珍しいよね。こんな時間までいるの」
「先生の頼まれ事が中々終わらなくて。こんな時間までになっちゃった。……そっちは部活?」
「そうだよ。でも、ビックリしたよ。下駄箱にまだ靴があったからさ」
雑用を頼まれて、ノーと言えなかった私は予定を狂わされ、その事に落ち込む。……録画していたテレビを一気に見たかったんだけどなあ。
私は遅くまで部活の練習をやっている事を知ってはいたが、何故か聞いてしまい、思った通りの答えが返ってきた。
だけど、その後の言葉は予想外だった。
「だけど久しぶりに一緒に帰ることができて、嬉しいや!」
そう満面の笑みで言うのは反則で、その笑みを直で受けた私は心臓がばくばくとうるさく、少し寒かった筈なのに顔が熱くなる。
確かに一緒に帰るのは久しぶりだ。
一年の時は同じ部活に入っていて帰りは一緒に帰っていたのだから。
私がハードな練習に耐えられなくて辞めてしまってからは一緒に帰らなくなったけど……
「……どうかした?」
気が付くと私の足は止まっていたらしい。
私の顔を覗き込む、不思議そうな顔を間近で見ていたら、どうしようもない感情が溢れてくる。
……どうしてだろうか?
絶対に叶わないとわかっているのに、伝えたいと思ってしまうのは……
「…………何でもない」
何でもない様に私は歩き出して見上げれば、完全な丸とは言えない月が見下ろしている。
ふと、今日の授業で先生が絶賛していた話を思い出す。
私には回りくどくて、それで本当に伝わるのか疑問に思っていたが、今はこの言葉を使わさせて貰おう。
目の前にいる人は本はあまり読まないし、今も時々、授業中に寝ていることがあるみたいだから、ちょうどいいのかもしれない。
伝わって欲しいような、伝わらないで欲しいような。矛盾した気持ちで口を開く。
「……月が綺麗ですね」
月を見ないで彼女の顔を見て、言う。でも、少しだけ恥ずかしくて上を見上げる。
「そうだね。でも、満月にはまだまだだよね」
「まあ、来週くらいには満月になるんじゃないかな?」
案の定伝わらずに言葉通りに受け取ったみたいで、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになる。
私は気付かれないように、小さくため息を吐いて、その複雑な気持ちを吐き出したかったが、胸の中はもやもやとしたままで、全然すっきりしない。
もう一度ため息を吐いてもほんの少しだけ白い息が出ただけで、やっぱりすっきりしないまま別れ道になり、「また明日」と言い別れた。
家に着くと私は直ぐに自分の部屋に向かい、着替える。そしてベッドに寝転がり、大きくため息を吐いて、少しだけ泣く。
何で彼女を好きになったんだろうか? 私も彼女も女なのになあ。
あれから一週間経ち、満月を一人で見た数日後も彼女を想っている自分にため息を吐く。
お昼休みでトイレから教室に戻る帰りに、今も少し遠くにいる友達と喋りながら歩いている彼女を目で追っている自分に呆れていると、視線を感じたのか彼女はこちらの方を見て、私と目が合った。
彼女は友達と何かを話し終えると、こちらに向かってきて、驚きと嬉しい気持ちになる。
「どうかした?」
「今日は部活がないから一緒に帰らない?」
喋っていた友達と別れ、自分の方に来た彼女を見て、にやけそうになる自分の顔をなんとかいつもの表情に保ちつつ聞けば、嬉しい言葉が返ってくる。
部活動が大好きな彼女は部活は休まないので今日は本当に部活がないのだろう。何故ないのだろうか、と思ったが、もうじきアレがあるなと思い、それを口に出す。
「……そういえば、もうすぐテストだもんね」
「そうなんだよー。……テストなんて滅びればいいんだ!」
とても嫌そうな顔をしながら叫ぶ彼女を見て、私は呆れた表情になっていると、突然に彼女は真剣な表情になり、私に聞いてくる。
「で、そんな事よりも一緒に帰ってくれるの?」
「別に良いけど」
「よしっ。なら教室で待ってて。終わったら迎えに行くから」
そう言うと私から離れて、待っている友達の方に小走りして行き、残された私はいきなりの事に唖然としていた。けれど、彼女と一緒に帰る約束をしたと気づけば、顔の筋肉が緩む感じがして、気を引き締めて、なんとか顔の筋肉をもとに戻す。
帰りを楽しみにしながら受けていた授業も終わり、彼女を待っている間は少々暇だったので、同じクラスの友達と話しあっている。暫くすると私の名前を呼ぶ声がして、声のする方に顔を向けると笑っている彼女がいた。
「お待たせ! 一緒に帰ろう!」
「うん」
彼女の言葉に私は頷くと、喋っていた友達と何回か言葉を交わした後に別れ、彼女の方へと向かう。
「待った?」
「ううん」
私のその問いに彼女は首を横に振れば、私の手を取り、笑顔でそのまま歩き出す。
彼女と手を繋いでる事に歓喜していたが、表面上はその事に気付かれないようにする。
学校を出て、少しの間は無言状態で私は何でだろうかと疑問に思う。
いつもなら彼女が他愛ない話をして、私はそれに答える感じなのだが、今はそんな事もなく、私は何かを話した方がいいだろうかと考えていると、彼女が口を開く。
「ねえ。少しだけ寄り道に付き合ってよ」
「別にいいけど、どこに行くの?」
「んー。内緒だよ」
少しだけ不安そうな声音なのに真顔で言う彼女に疑問を感じたが、クレープ屋かそこらへんに行くんだろうと思い、たいして気にもしないで彼女の隣を歩く。
歩いて行くうちにクレープ屋がある方向とは違う道を歩いているのに気がつき、不思議に思ったが私は彼女に手を引かれながらもついていく。
「よしっ、着いたよ! 良かったー。間に合って」
「や、やっと、ハアハア、つ、ついたの?」
そう元気よく彼女は言っていたが、私は息切れが激しく、疲れきっている。
彼女に案内されて来たのは高台にある、寂れた神社で結構な数の階段があり、運動は体育の時間しか取らなくなった私にはキツかった……
体力がすごい落ちていて少しショックを受けている私は未だに体力があり、元気な彼女に手を引かれ、まだ歩くの? と思いながらもついて行く。
「ここだよ」
「……わぁ!」
呼吸を調え、俯いていた頭を上げると、綺麗な夕陽がそこにある。
太陽は黄金に輝き、太陽の周りにある空と雲も金色になっており、その周辺は綺麗な橙色で、赤紫から紺色に変わる空のグラデーションがとても美しく、思わず声が出てしまう。
徐々に時間が経つと紺色が多くなると、空が暗くなり、自分の住んでいる町の灯りが点いている。よく見る何の変哲もない電灯もあの夕焼けを見た後だからか、とても綺麗に見える。
たった数分の空の模様替えの様子は私では言葉に表す事が出来ないくらいに、とても綺麗だった。
「……夕陽が綺麗ですね」
唐突に隣で一緒に夕焼けを見ていた彼女が話し出す。
突然の言葉でびっくりし、私は彼女を見ると、とても真剣な顔でまた驚く。
「……現国の授業やったんだよね。真面目に」
それを聞き、一瞬、頭が真っ白になる。
あの時の事が、まさか今になって言われるとは思わなくて、どうすれば良いのか分からない。
冗談みたいに何の事か聞けば良いのかも知れないが、何も言えなかった。
「……やっぱり、そう言う意味だったのかな? その反応は」
「……っ!」
何か言いたかったが、言葉に出来ない。気持ち悪いと言われるかもしれないし、もう会いたくないとか言われたらどうしよう。
そんな考えが出て来て、体が固まったように動かなくなっていると、いつの間にか手を離していた筈なのに、彼女が急に私の両手を握ってくる。
「夕陽が、綺麗ですね」
ぎゅっと握りしめてくる彼女の手は微かに震えていて、とても真っ直ぐな目を私に向けている。
日も落ちて、薄暗くなっているが彼女の顔が僅かに赤く染められているのが分かり、もしかして……と思う。
「……月が、綺麗ですね」
緊張して、吃りながら言えば、彼女はほっとしたような表情をした後に満面の笑みを私に向ける。
それを見た私は我慢できずに、顔を近づけ、彼女とひとつになる。
彼女は驚き、一瞬離れたが、すぐに彼女から近づき、また私たちは重なる。
それほど時間は経たずに私たちは離れ目を見つめながら微笑み合うと手を繋ぎながら歩き出す。
「何で夕陽?」
神社の階段を下りながら私は聞く。
ここの神社の階段は少し急で、登りも大変だったが、帰りの下りは中々怖く、慎重に下りて行く。
「おんなじだと、つまらないかなあって思って。それにあの夕陽も見せたかったしね」
照れるように笑いながら話す彼女はとても可愛く、もう一度キスをしたくなる衝動に駆られるが、何とか抑える。階段から落ちたら洒落にならない。
やっと階段も終わり、ほっとして、何となしに上を見上げれば、欠けている月がそこにある。
「満月になったらお月見でもやる?」
月を見た後に彼女に言えば、頷いてくれて、見ているこちらが嬉しくなるくらいに喜んでいる。
「やっぱりお月見には団子だよね」
まだ先の事なのに楽しそうに話す彼女はどうしようもなく可愛らしくて、またあの衝動に駆られる。
……もう階段ではないので安心してこの気持ちを素直に行動出来る。
そう思った私は帰路についていた足を止めると、手を繋ぎながら歩いていたので、自動的に彼女も止まり、不思議そうに顔をこちらに向け、その顔に私は近づき、触れる。
街灯の下で止まったので、彼女の顔がはっきりわかる。
何が起こったのかわからなかったのか、ぽかんとした表情で、それも可愛くてもう一度する。
今度は先程よりも長くし、離れて見れば真っ赤になった彼女の顔があり、私は微笑みながら彼女の耳元で囁く。
「……月が綺麗ですね」