06.21 水晶宮の王女
「まあ、シノブ様、シャルお姉さま!」
シノブ、シャルロットは、王女セレスティーヌを訪問していた。彼らの従者として、アミィとアリエルも同行している。
「セレスティーヌ様、ご気分が優れないのですか?」
シャルロットは、王女が一人で居室にいたことを不審に思ったようだ。彼女は、侍女達も隣室に下げて一人で居間にいたのだ。
「これは、お父様への抗議ですわ!
シノブ様の試しに私のことを持ち出すなんて……。おかげで、シノブ様に嫌われてしまったのではないかと……」
セレスティーヌは、シノブを上目遣いに見つめる。
彼女の豪奢な巻き髪が、その動きに合わせてドレスの上を滑り、窓からの光を反射して金色の光を放つ。
今日の彼女は、薄いピンクのドレスを身に纏っていた。昨日と同様に繊細なレースやリボンの付いた、飾りの多い可愛らしい衣装である。
「嫌ってなどいませんよ。陛下のお言葉には驚きましたが……」
シノブも、シャルロットから彼女の複雑な立場を聞いていたので、優しく微笑みかけた。
シャルロットが教えてくれたが、王女の嫁ぎ先に相応しい家格で波風が立たない相手は少ないらしい。
年長の者には、既に第一夫人がいる。そこに王女が嫁いだ場合、彼女を正妻として扱うことになり、既にいる夫人やその子供を押しのけることになる。優しい王女は、それを嫌っているらしい。
未婚の嫡子だと、ポワズール伯のセドリックとボーモン伯のディオンがいるが、13歳に10歳である。嫁ぎ先としては問題ないが、まだ将来どう育つかもわからず、王女も不安に思うのだろう。
国王の子供が、他に王太子テオドールしかいないこともあり、彼女の婚約者選定は難航していたようだ。
「そう言っていただけると嬉しいですわ!
……いけません、シノブ様、シャルお姉さま、さあ、お掛けになって!」
セレスティーヌは、シノブに大輪の花が綻ぶような笑みを見せた。
彼女は僅かな間、シノブの顔を見つめていたが、彼やシャルロットを立たせたままであったことに気がついたと見え、慌ててソファーへと誘った。
シノブやシャルロットは、彼女の向かい側に座り、アミィとアリエルはその後ろに立つ。
「失礼しましたわ。さあ、アガテ、クローテ、お客様にお茶をお出しして」
セレスティーヌは、シノブ達を案内した侍女達に命じると、シノブ達に顔を向けた。
「陛下への抗議というのは理解できますが、塞ぎこんでいては身体に良くありません」
シャルロットは、自身の従姉妹でもある王女に、心配そうに声を掛けた。
自身の婚姻を軽々しく持ち出されるのは嫌だという気持ちは、同じ未婚の娘として彼女も良くわかるのだろう。自分も婚約者選定に振り回されたシャルロットは、その点は王女に同情しているようだ。
しかし、部屋に閉じ篭っていては健康に悪いと思ったらしく、彼女は年下の従姉妹に優しく諭すように語りかけた。
「……すみません」
尊敬する従姉妹の忠告に、セレスティーヌは気落ちした様子を見せた。
彼女は、僅かに俯き、その青い瞳を伏せる。
「殿下、魔法のお茶がありますが、いかがですか?
魔力回復効果もありますし、冷たくて美味しいですよ。私達も、疲れたときに良く飲むのです」
シノブは、王女が落ち込む様子を見て顔を曇らせた。そして、場を明るくしようとアムテリアから授けられた魔法薬の一種でもある、お茶のことを持ち出した。
「昨日お話しくださった、竜の棲家に行くときに、お飲みになったものですね!
ぜひ、いただきたいですわ!」
セレスティーヌは、伏せていた顔を上げ、シノブに明るく微笑んだ。
「それじゃ、アミィ。お茶を出してくれ。ティーカップは折角だから用意してくれたのを使おう」
シノブは、その浮き沈みの激しい様子に内心苦笑しながらも、アミィに声を掛ける。
「はい、今出しますね!」
アミィは、元気良くシノブに返事すると、魔法のカバンから水筒を取り出した。そして、侍女が持つティーセットに、水筒からお茶を注いでいく。
「シノブ様。このお茶、カバンに仕舞っていたのに、冷たいのですね……それに、変わった味ですけど、とても美味しいですわ」
一応毒見ということもあり侍女やシノブ達が先に口をつけてから、王女はティーカップを手に取った。そして彼女は、お茶をゆっくりと味わうように少しだけ飲んだ。
魔法のお茶は、日本の冷茶が元になっている。セレスティーヌは、まず冷たさに、それから未知の味に驚いたようだ。
「カバンは魔道具ですから、時間の経過がないのですよ。それに、水筒自体にも冷却効果が付与されていますし。お茶は、私の故郷の味ですね」
シノブは、簡単に自身が持つ魔道具について、王女に説明した。
「シノブ様の故郷『ニホン』は、随分魔道具技術が進んでいるのですね。王家に伝わる収納の魔道具では、そんなことはできませんわ」
昨日の晩餐の間に、シノブは自身の経歴を王家の人々にも話していた。例のベルレアン伯爵にも伝えた架空の経歴である。
そのため、王女はシノブの故郷である『ニホン』が高度な魔道具技術を持つ国だと思ったらしい。
魔法のカバンの性能に感嘆したセレスティーヌは、王家には大きさの5倍くらいを収納できる魔法の袋がある、とシノブ達に説明した。だが王家が持つものは、空間拡張のみで時間は普通に経過するらしい。
セレスティーヌの説明では、それでも国宝として代々伝わるものだという。
シノブは、不用意な発言をしてしまったかと思い、苦笑いした。
「殿下。確かに故国の魔道具技術は進んでいます。ですが、メリエンヌ王国も良い国だと思いますよ」
シノブは、魔道具技術を科学技術に置き換えれば間違いでもないな、と思いながら王女に答えた。
「シノブ様。その『殿下』はおやめいただけませんか?
シャルお姉さまだって、名前で呼んでくださいます。それに、お兄様のことは『テオドール様』と呼んでいたではないですか!」
セレスティーヌは、シノブの呼びかけが気に入らないらしく、眉を顰めた。
確かに、彼は晩餐では王太子のことを名前で呼んでいた。親しみやすい笑顔を見せる王太子が、名前で呼んでくれ、と言ったからではあるが、王女からすれば、自分と距離を置いているように思ったのだろう。
それに、国王から王女を娶らないかと言われたせいもあり、シノブは晩餐の間、セレスティーヌとの会話を避けていた。そのあたりが、彼女が国王に抗議する気になった理由なのかもしれない。
「わかりました、セレスティーヌ様。
義理とはいえ従姉妹になるわけですし、私的な場ではそう呼ばせていただきます」
シノブは、国王を悩ませたのは結局のところ自分が原因だったのかも、と思ったため僅かに苦笑しながら王女に答えた。
「ありがとうございます、シノブ様!」
王女は、シノブの言葉に、再び輝くような笑みを見せた。
今度こそ一切の憂いが無くなった、と言わんばかりの笑顔に、シノブ達も釣られて表情を明るくした。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は、王女セレスティーヌと共に小宮殿の庭園へと出た。シャルロットが、部屋に籠もっていた王女を案じ、庭を散策しようと提案したのだ。
王都メリエは、ベルレアン伯爵領の領都セリュジエールより、だいぶ暖かいらしい。午後の庭園は、汗ばむほどではないが、寒さを感じることも無く、快適であった。
庭園には、セリュジエールでは終わりを迎えた秋薔薇が、まだ咲き誇っている。庭園をゆっくりと回っているシノブには、一月くらい季節が巻き戻ったように感じられた。
「綺麗な薔薇ですね。まるでセレスティーヌ様のようだ」
シノブは、庭園に咲いている蔓薔薇を見て、思わず呟いた。
薄いピンク色の大輪の薔薇の花は、彼女が着ているドレスと色合いが良く似ていたのだ。シノブは、隣を歩く王女と、薔薇の花を見比べた。
「まあ……その花は、セレストと言うのですよ」
シノブの賛辞に、王女は頬を染めて彼を見上げた。
「セレスト……似ていますね」
シノブは、偶然の一致に驚いた。
単なる一致か、それとも王女の名前が薔薇の花から取られたものなのだろうか。シノブは、薔薇の花を背に微笑む王女を見ながら、内心そんなことを考えていた。
「ええ。聖人ミステル・ラマール様がお定めになった名前だそうです。なんでも『天空』や『至高』という意味があるそうです。私の名前も、それに由来するものですわ」
セレスティーヌは、薔薇の花びらを撫でながら、シノブへと語った。
「そうですか。では、この花はセレスティーヌ様の花、というわけですね」
シノブは、花と彼女の名前の由来に驚きながら、セレスティーヌの撫でる薄いピンク色の大輪の薔薇を見つめていた。
「シノブ。セレスティーヌ様はこの薔薇に因んで『王国の華』と呼ばれているのです。
王国に咲く薔薇の中でも一際美しいこの花と、セレスティーヌ様の華やかな容姿を重ねた異名ですね」
シノブの隣に立ち、二人と同じく見事に咲き誇る薔薇の花に視線をやったシャルロットは、彼に王女の別名とその由来について説明した。
「……シノブ様。もう少ししたら、私はサン・ラシェーヌに行くのです」
セレスティーヌは、薔薇の花を眺めながら、ポツリと呟いた。
「サン・ラシェーヌというと、大聖堂ですか?」
シノブは、ジェルヴェから学んだ王国の歴史を思い出した。
建国王エクトル一世が、神託を受けた場所ラシェーヌは、王国の成立直後に聖地とされ大聖堂が築かれた。元々は都市国家メリエの郊外にあったごく普通の村ラシェーヌは、今では王国一の聖地となっている。
「はい。王家の者は、成人式典の前に大聖堂で神に祈りを捧げるのです」
セレスティーヌは、シノブに王家のしきたりについて説明した。
「シノブ様。シャルロット様も、成人のときに行っています」
彼らに随伴するアリエルが、シノブに補足する。
シャルロットの母は、先王の娘カトリーヌである。そのためシャルロットは、優先順位は低いものの王位継承権を持っている。だから、彼女は王家の娘としての儀式も実行していた。
「シノブ様。サン・ラシェーヌに、一緒に行っていただけませんか?」
セレスティーヌはシノブへと振り向くと、青い瞳を潤ませながら彼の顔を見上げ、聖地へ同行してほしいと頼んだ。
「私がですか?」
シノブは、神々の眷属であったというミステル・ラマールについて、その事跡を調べてみたいと思っていた。だから、彼は王都滞在中にサン・ラシェーヌに行きたいとは思っていた。
だが、王女が同行を願い出た理由は、彼にはわからなかった。シノブは、疑問をその瞳に宿し、王女の言葉を待った。
「王都には、帝国の手の者が侵入していると聞いています。それに、夏にはシャルお姉さまも、彼らに暗殺されそうになりました。
……私は、不安なのです」
セレスティーヌは、ついにその瞳から涙を一滴流した。
「わかりました。そういうことなら同行しましょう……シャルロット?」
王女の不安を理解したシノブは、深く頷くと同行を了承した。
そして、彼は隣に立つシャルロットへと顔を振り向けた。
「ええ。セレスティーヌ様。私とシノブがついています。暗殺者どころか竜だって退けてみせます」
シャルロットは、セレスティーヌを安心させようと思ったのか、冗談を交えながら笑いかける。
「ありがとうございます!」
セレスティーヌも微笑を取り戻すと、シノブとシャルロットに喜びを表すように抱きついた。
「セレスティーヌ様。ちょうど私も、サン・ラシェーヌに行きたいと思っていたのです。
『竜の友』は聖人に匹敵する業績だとお褒めいただいたので、その事跡に触れてみたいと思っていました。
なあ、アミィ?」
シノブは、セレスティーヌの肩に手をやりながら、アミィへと声を掛けた。
「はい、偉大な先人について学ぶ、ちょうど良い機会だと思います!」
アミィも、狐耳をピンと立たせて、シノブに元気良く返事をした。
アムテリアの眷属である彼女にとっては、ミステル・ラマールは言葉どおり先輩であるといえる。それを知っているシノブは、アミィへと大きく頷き返した。
「シノブ様……皆さま……ありがとうございます。これで、安心してサン・ラシェーヌに行けますわ」
セレスティーヌは、憂いが晴れ安堵した様子で、シノブ達に微笑んだ。
シノブは、大輪の薔薇のような華やかな王女に、己の決意を示すように静かに頷いて見せた。
お読みいただき、ありがとうございます。




