06.17 闇の従士と再会 中編
沼のほとりに建つ館は、敷地を頑丈な塀に囲まれていた。黒々とした塀は3mほどの高さがあり、城壁と呼んだ方がよいくらいの威圧感を放っていた。
「特別監察官である! 臨検を行う! 開門せよ!」
ラシュレー中隊長は、頑丈そうな金属製の大門の前で、大音声で呼ばわった。
「門の内側には誰もいないようです。館の中にいる人が動き出しました。館の中には全部で15人いるみたいです」
久しぶりに皮の装備に身を包んだアミィが、ラシュレーへと告げる。
魔力感知に優れた彼女は、門の外からでも敷地内の人の動きがわかる。彼女は、その特技を遺憾なく発揮し、突入部隊の中核であるラシュレーへと情報を伝えていた。
「イヴァール殿、お願いします」
ラシュレーはアミィの言葉に頷くと、イヴァールへと声をかけた。
鱗状鎧を身に着け、愛用の武器を背負った完全武装のイヴァールは、その背から巨大な戦斧を抜き放つと、本人が鞘と呼んでいる金属製のケースを付けたまま振りかぶった。
彼の戦斧は、普段は刃を剥き出しにしないように、両刃の斧の上に金属の覆いを付けている。そして、覆いを付けたままでも戦槌としても使えるのだ。
イヴァールは、戦斧、いや戦槌を振りかぶったまま一瞬目を閉じ、そして、カッと見開いた。
「いくぞ!」
彼が気合を込めて突進し戦槌を振り下ろすと、轟音と共に、厚さ10cmは優に超える鉄製らしき大門が閂ごと吹き飛んだ。
「イヴァールさん、修行の成果が出ましたね!」
アミィは、嬉しそうな声を上げてイヴァールに笑顔を向けた。
元々、体長3mの岩猿を一撃で倒すイヴァールである。しかし、固いとはいえ所詮は岩に例えられる程度の魔獣と、二つ合わせて縦横3mはありそうな巨大な金属製の門では、その頑丈さは大きく異なるはずだ。
そもそも、鉄であれば重さだけでも10t近いのではなかろうか。それを戦槌の一振りで吹き飛ばしたイヴァールは、岩竜から贈られた『鉄腕』の名に相応しい超戦士になりつつあるようだ。
「お主のお陰だ。だが、門くらいでは満足できん。中に入るぞ!」
彼の並外れた一撃は、魔力操作で強化された筋力と、硬化魔術によるものだった。
アミィが教えた、魔力操作による瞬間的な筋力増加と、武器も含め魔力で包み硬度を上げる術。この二つを融合させた一撃が、大門を庭の半ばまで吹き飛ばしたのだ。
イヴァールは技を授けてくれたアミィに礼を言うと、彼女の賞賛に照れたのか足早に敷地内へと入っていく。そして、そんな彼の様子にアミィとラシュレーは一瞬顔を見合わせると、その後に続いていった。
「シノブ殿。我々はここで待機ですね」
吹き飛んだ門を踏み越えて館の扉に近づく三人を見ながら、シメオンはシノブへと声をかける。
「ああ。俺は魔力干渉をするから、戦闘には加われないしね。いざとなったら戦うけど、まずは首輪を抑えるのに集中するよ」
シノブは、シメオンの言葉に頷いた。
「私程度では大して役には立ちませんが、一応、シノブ殿の護衛を務めましょう」
シメオンは、腰に佩いていた小剣を抜き放つと、シノブの側に並んだ。
彼は、利き手に小剣をぶら下げているだけのような柔らかな立ち姿をみせる。だが、見る人が見れば隙のない自然体の構えとわかるだろう。
「ああ、任せた。俺は時期を見計らって魔術を使うからよろしく頼む」
シメオンは武術に関して謙遜しているが、貴族の子弟として幼い頃から鍛えられただけあって、そこらの軍人よりよほど腕が立つ。それを知っているシノブは、安心して魔力を解き放つタイミングを待っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「いきなり門を壊すとは、一体何事でしょう?」
屋敷の扉が開くと、四十歳前後と見える細身の男が現れた。
人族らしき男は文官や商人のような柔らかな口調だが、腰には剣を佩いており歩みからも只者ではないことが見て取れる。そして彼は、穏やかだが何故か冷たさを感じさせる空気と共に進み出た。
その後ろでは同じような隙のない身ごなしの十数名の男達が、ラシュレー達を包囲するように左右に広がっていく。こちらは獣人族が数人、残りが人族のようだ。
「言った通り、特別監察官の臨検だ! この屋敷が奴隷貿易に関わっているとの情報があった! 素直に検査させれば良し、抵抗するなら切って捨てる!」
国王から授かった勅許状を広げながら、ラシュレーは監察官が臨検のときに使う定型句を口にした。実際に監察官にはそれだけの権限が与えられており、この決まり文句には充分な重みがあるのだ。
そしてアミィとイヴァールはラシュレーを守るように両脇に立ち、男達の動きを牽制する。
「そこまで知られていて、素直に言うことを聞くと思いますか? 奴隷貿易は死罪。どうせ死ぬなら、王国の犬を殺してから死ぬほうがマシですね。
……戦闘奴隷よ! あいつらを殺せ!」
細身の男は慇懃な様子から一変し、憎々しげな口調で奴隷に命令する。
そして男の言葉を受けた五人の獣人達は一斉に剣を抜き、異常とも思える俊敏な動きでラシュレー達に襲い掛かっていく。
おそらく『隷属の首輪』による身体強化によるものだろう。彼らの動きは、並の兵士では対応できないほど図抜けたものだった。
「ラシュレーさん、一旦下がってください!」
アミィの言葉にラシュレーは、勅許状を懐に仕舞いながら前庭の中央近くまで素早く後退った。
アミィ自身も、イヴァールと共に奴隷達の剣を打ち払いながら、退いていく。
「はっ! 何だ、口ほどにもない! 奴隷達、そのまま倒せ!」
ラシュレー達が後退する様子を見て侮ったのか、男は哄笑すると、奴隷達に追撃を命ずる。
彼の言葉に戦闘奴隷達は、ラシュレーを守るアミィやイヴァールに攻撃を仕掛ける。相手が三人だけのせいか、奴隷以外の男達は遠巻きに見守るだけで、手出しする様子はない。
「今です! シノブ様!」
前庭中央で奴隷と対峙するアミィは、鋭い声を上げた。
するとその瞬間、魔力感知に長けたものなら怖気を震うような圧倒的な波動が館の敷地全体に広がった。そして、波動が到達したと同時に、奴隷達が糸が切れた操り人形のように倒れ伏していく。
「な、何が起こった!」
細身の男が驚愕のあまり目を見開いたそのとき、シノブとシメオンが敷地の中に入ってきた。
「お前に教えてやる必要はないな……ともかく年貢の納め時だ。大人しくお縄に付いたらどうだ?」
シノブは、冷然とした様子で男に語りかける。
そして、その間に、アミィは倒れた獣人達の『隷属の首輪』を魔法の小剣で切り飛ばしていった。
『隷属の首輪』は、稼働中のまま外そうとすると、装着者の精神に異常をきたすらしい。だから、アミィはシノブが首輪の効果を無効にするのを待っていたのだ。
「ラシュレーさん、全部外しました!」
アミィが、喜びに満ちた声でラシュレーに告げたとき、残った十人の男達が、彼女達の元に殺到した。
どうやら細身の男は指揮官らしく、二人の仲間と少し後ろから追いかけてくるが、残りの七人は、常人離れした速度で倒れ伏した奴隷達に駆け寄っていく。
男達も何らかの魔道具を使っているのか、倒れ伏す元奴隷を守るアミィ達に電光のような速さで肉薄していった。驚くべきことに、彼らの速度は身体強化を使うシノブやアミィに迫るものである。
「証拠隠滅のつもりか? そうはさせんぞ!」
イヴァールが巨大な戦槌を一振りし、襲い掛かる男達のうち、五人を弾き飛ばした。
彼やアミィを包み込むように迫っていた男達の中には、剣で戦槌を受け止めようとした者もいた。だが、無駄な努力と言わんばかりの威力に、為す術もなく吹き飛ばされ、地面に転がり動きを止める。
そしてイヴァールは背中に背負っていた戦棍を引き抜き、戦槌の攻撃範囲外にいた二人の男へと無造作に投げつけた。
イヴァールの投げた戦棍は回転しながら飛んでいくと、狙い過たず二人の男に命中した。彼らも先に倒された男達と同様に地に伏し、ピクリとも動かない。
残る二人の仲間と共に少し後方から様子を窺っていた細身の男は、一瞬のうちに七人が戦闘不能になったのを見て、その足を止めた。
「ば、化け物め!」
男はイヴァールの鬼神のような戦いぶりに、怯えたような叫び声を上げていた。
「お前達こそ人の皮を被った化け物だろうが! いいか、楽には死なせんぞ! 王国の監察官とやらに引渡し、洗いざらい吐かせてやる!」
イヴァールは、怒り狂う獅子もかくやと言わんばかりの咆哮を上げた。
そして絶叫の直後イヴァールは、細身の男へと真っ直ぐ迫っていく。もはや彼の目に他は映っていないのか、残った二名の攻撃など無視して突き進む。
「剣が、剣が通じないのか!?」
イヴァールを囲む二人の男は鋭く切り込むものの、怒れるドワーフを止めることはできなかった。男達の剣は、鎧に覆われていない頬や手首などにも当たっているが、彼がそれを気にした様子はない。
「獣人達の恨み、思い知れ!」
男達の剣撃など、イヴァールは小枝が触れたほどにも感じていないようだ。
群がってくる男達を、彼は虫でも払い落とすかのように腕を一振りして倒す。そして続けざまに岩のような拳を細身の男の腹へと叩き込む。
怒りを篭めたドワーフの戦士の打撃は、何とも凄まじかった。男達は翻筋斗打って倒れ、細身の男は館の中まで吹き飛ばされて気絶したのだ。
「イヴァールさん、お疲れ様でした。でも、硬化魔術が使えるようになったからといって、少し無謀だと思いますけど?」
アミィは魔法のカバンからロープを取り出し男達を手早く縛りながら、未だ怒りが収まらぬ様子のイヴァールへと声をかけた。
「む……。確かに怒りのあまり我を忘れたが……仕方ないだろう?」
イヴァールはアミィの言葉に僅かに怯んだが、どうも開き直ることにしたらしい。彼は微かに顔を逸らしながら、少々言い訳がましい答えを返す。
「イヴァール殿の熱きお心には感服しました。ですが、一つだけ訂正させてください」
どこか皮肉げな物言いと共に、シメオンがイヴァールの側に寄ってきた。魔力干渉を解除したシノブも一緒だ。
「なんだ?」
イヴァールは、シメオンの言葉を理解しかねたようだ。しかし彼はアミィの追及から逃れる良い機会だと思ったのか、僅かに安堵が滲む声で応じつつ向き直った。
「王都の監察官に渡す前に、私が尋問します。戦闘では貴方のように活躍できませんから、こちらで貢献しますよ」
シメオンは、いつぞや領都セリュジエールで見せた冷気の漂う微笑をその顔に浮かべながら、倒れ伏した細身の男を見下ろしていた。
「そ、そうか。まあ、好きにするが良い」
イヴァールは、シメオンの様子に若干気圧されたようだ。しかし、自分が関わるべき問題ではないと思ったのか、彼の言葉に頷いていた。
「他にも未帰還の兵は多いらしいからね。シメオン、よろしく頼むよ」
シノブは、無事救い出したアルノーを抱きかかえるラシュレー中隊長を見ながら、シメオンに声を掛けた。彼は、これは一つの終わりだが、同時に帝国との戦いの始まりであると感じていた。
中天には、そんなシノブの決意を見守るかのように、美しい月が輝いていた。
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本作の設定資料に、王家とアシャール公爵家の人物を追加しました。
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