06.15 別邸への道
「シノブ、お疲れ様でした」
王宮からの帰り道。シャルロットは伯爵家別邸へと戻る馬車の中で、シノブに優しく語りかけた。
「本当に晩餐にまで招待されることになるとはね……。でも、お陰でメレーヌ様にお会い出来たのは良かったね。
シャルロットも、お土産を直接お渡し出来たし」
シノブにシャルロット、アミィは王女セレスティーヌの言葉どおり、王家の晩餐へと招かれた。そこでシノブは、昼間会えなかった王妃達や先王妃達とも顔を合わすことになったのだ。
シノブからすれば、婚約者の祖母や伯母達である。しかし一夫多妻のため、それぞれ二人ずつ計四人に挨拶するのは、彼にとってある種の苦行ではあった。
「はい、お婆様がセランネ村で買った髪飾りを喜んで下さってホッとしました。それに、シノブの事も」
シャルロットは色の薄い肌をほんのりと赤く染め、隣に座るシノブを見上げる。
先王エクトル六世の第二妃メレーヌはベルレアン伯爵夫人カトリーヌの母、つまりシャルロットの祖母である。濃いめの金髪に青い瞳の彼女は、どこか娘や孫と似た美しい老婦人であった。
どちらかといえばカトリーヌに似た雰囲気のメレーヌは、シノブとシャルロットの婚約を非常に喜ばしく思っているようで、早くも結婚式をどこで行うのか孫娘に尋ねていた。
「そうだね。お昼はどうなることかと思ったけど、無事に終わってよかったよ」
シノブは、伯爵も承知していたらしい国王アルフォンス七世とのやり取りを思い出した。
「シノブが私と添い遂げたい、と言ってくださったのはとても嬉しく思いました。ですが、あの時は本当に心配しました」
シャルロットも国王とシノブの緊張感溢れる会話を振り返ったのか、少し眉根を寄せて言葉を返す。
王命であっても無条件に従うつもりはない、と啖呵を切ったシノブの言葉は頼もしくはある。しかし伯爵継嗣としては表立って褒めるわけにもいかない、と考えたのかもしれない。
「ごめんね。でも、あそこで折れるわけにはいかないと思ったんだ」
シノブは自分が英雄として捉えられているのを、もう仕方のないことだと思っていた。自身がどう考えようと人々の評価を動かすことはできない。シノブは、それを充分に理解しているつもりであった。
だがシノブは、自身の虚像を無制限に利用されるのを回避したかった。そのため王家との付き合いも、初手を間違えるとシャルロットを支えて生きるどころではない、と思ったのだ。
「はい。貴方のお考えは理解できます。大きな力を持った者には、大勢の人々が集まっていく。ですが流されているだけでは、不幸を招きます」
シャルロットも、シノブの心配には気がついていたらしい。彼女はシノブの言葉を肯定するように、柔らかく頷いた。
「ただ……セレスティーヌ様達は諦めていないと思いますよ?」
シャルロットは悪戯っぽく微笑みながら、シノブに警告した。
「う~ん。やっぱりそうなるのかな……」
シノブがこちらに来てから100日少々。森を出てから、ちょうど三ヶ月といったところか。
その間にシノブも様々な事を体験し、教わった。戦いのように、その身をもって思い知ったものもあれば、貴族制度のように学びはしたが、まだまだ実感には至っていないものもある。
そして結婚制度については、後者であった。
「……セレスティーヌ様はお優しい方ですから」
シャルロットは少し躊躇った後、ポツリと呟いた。
シノブには、彼女の言葉がよく理解できなかった。なぜ優しいと自分に嫁ぐのだろうか。シノブは、そう疑問に思ったのだ。
「母上と同様に、セレスティーヌ様は王の娘です。どの家に嫁いでも、第一夫人として迎えられるでしょう。ですから既に夫人のいる方に嫁ぐのは、遠慮されるはずです」
シャルロットは自身の母カトリーヌと重ね合わせ、セレスティーヌの胸中を察したようだ。
シノブはベルレアン伯爵の第二夫人ブリジットを連想する。王女であったカトリーヌに気を使い、控えめな態度を崩さない姿が重なったのだ。
第一夫人を蹴落としてまで正妻に収まるのは、セレスティーヌも嫌がるだろう。シノブはシャルロットの推察をもっともだと感じる。
「かといって、公爵家、侯爵家、伯爵家で独身かつ10歳以上の嫡男は、ポワズール伯のセドリック殿とボーモン伯のディオン殿くらいです。お二人とも、まだお若いですが」
シャルロットが触れた二人は、ミュリエルの婚約者候補でもある少年達だ。セドリックが13歳でディオンが10歳と、どちらも15歳になるセレスティーヌより年下である。
「セレスティーヌ様ほどの年齢であれば、既に婚約者がいてもおかしくありません。ですが陛下のお子は、他にテオドール様しかいらっしゃいません。そのため、お相手を決めかねていたのだと思います」
少ない子供だけに降嫁させる相手の選定も慎重になっていたのでは。シャルロットは、そう結ぶ。
テオドールに万一のことがあれば女王として立つか、公爵の息子に嫁がせて王家を存続させる。確かに王家として備えるべきことではある。
「外国の王子様を婿に迎えたりしないのかな?」
シノブは、セレスティーヌの婿に相応しい人物が国内にいなければ、外国から王女に釣り合うだけの貴人を迎えれば良いのでは、と思った。確かに国王の子供が王太子テオドールとセレスティーヌだけであれば、国外に出すことはできないだろう。だが、逆に婿を取るのならどうだろうか。
「その場合、婿となった方の影響が無視できないでしょう。もしテオドール様に万一のことがあれば、セレスティーヌ様か、そのお子様が国王になる可能性もあります。
そもそも、どの国も神々の加護を受けた王家の血筋を外に出すのを嫌がるのです」
シャルロットは他国の影響を嫌う故、外国からの婿取りは困難だと言う。
確かにシャルロット自身の結婚でも、領内の子爵家が優先された。他領の者を事実上の主君として仰ぎたくないという家臣の思いに配慮したからだが、王女の場合も同様なのだろう。
「なるほどね。神の加護を受けた血筋か……」
シノブは、シャルロットの言葉に思わず頷いた。どうやら初代国王が神から神託を授かった事実は、シノブの想像以上に重視されているらしい。
そしてメリエンヌ王国だけではなく、この地方の国の多くは同様に神託を授かり神の使徒に助けられて建国をした。だから各国の初代国王自体、一種の聖人であるらしい。
おそらく聖人の血を外国に拡散させたくないという思惑が、このような状況を作り上げたのだろう。
「ですが、シノブの登場で状況が変わりました。
シノブの隔絶した魔術や武術を見た人々は、神々の強い加護を受けていると感じるでしょう。王家に新たな強い血を入れたい、そう思うはずです。
セレスティーヌ様も、シノブと結婚して女公爵になる道があるのなら、他の女性を押しのける必要はなくなります。それに、自分より年下で実力も定かではない相手と結婚することもありません。
だから、シノブに嫁げば皆が幸せになれると考えてもおかしくありません」
シャルロットは、そう締めくくった。
「なるほどね。セレスティーヌ殿下のご事情はわかったよ。シャルロットもそうだけど、なまじ身分があると嫁ぎ先にも困るんだね」
シノブは、快活な王女には自分が想像したこともない悩みがあったのだ、と溜息をついた。
「……でも、侯爵の娘達は? いくらなんでも姉妹一緒に娶ってとか、本気とは思えないんだけど」
王女の悩みは理解したシノブだが、ジョスラン侯爵の娘ジネットの言葉を思い出し、シャルロット達に質問してみる。こちらも、シノブには理解しがたい考えであった。
「シノブ様。ジネットさんが言っていた『お姉さまも一緒にお嫁さんにしてもらえばいいのに』というのは決して冗談事ではありませんよ。
侯爵達の間には、シノブ様の第二夫人と第三夫人を自分の娘にして後に続く者を排除しよう、と考える人がいてもおかしくありません」
アミィは真剣な表情で忠告する。どうやら彼女は、この際シノブに注意しておこうと思ったようだ。
「しかし折角の娘を二人とも同じ人に嫁がせたら、もったいないんじゃないか?」
シノブは思わずアミィの言葉に反論した。
多くの家と縁を繋ぐべき。常識的に考えれば、そうなるだろうとシノブは思ったのだ。
「シノブ。貴方は『竜の友』の名の意味を、まだ理解していないのですね。
聖人ミステル・ラマールは王国成立後に姿を消し、その血を残しませんでした。『闇の使い』アーボイトスも同じです。
その彼らと同等の偉業を成し遂げた貴方が、私を娶るのです。聖人達が残さなかった血を自身の子や孫に与えたい、と思う貴族がどれほどいることやら。父上だって、できればミュリエルも娶ってほしい、と考えているかもしれませんよ」
シャルロットは、メリエンヌ王国とヴォーリ連合国の建国に関わった聖人達の名を挙げ、シノブに神の使いに並ぶ偉業だと諭すように伝えた。
そして自身の父でさえ例外ではないと、シャルロットは真顔で言う。
「ミュリエルか……」
シノブは領都セリュジエールをミュリエルと散策したときを思い出した。
あの時ミュリエルは『シノブお兄さまと同じくらい強くて頼りになる人を探してください』と自分に囁いた。しかし彼女の言葉を気にするアミィに、自分は初恋のようなものだと返した。
だがシノブは、今になって自身の考えが甘かったと感じずにいられなかった。
「ミュリエルは嫌いですか? あんなに仲良くしているのですから、相性も良いと思いますが……」
シャルロットは、小首を傾げながらシノブに問いかける。
「……嫌いじゃないさ。でも、まだ9歳じゃないか」
ある意味シノブは、この世界に来てから最大級の戸惑いを感じていた。シャルロット達が冗談を言っていないのがわかるだけに、常識の差を思い知ったような気がしたのだ。
「はい。でも、リュシーリアさんも10歳です。セレスティーヌ様の周りにいた娘達とミュリエルは、いくつも違いません」
シャルロットはフレモン侯爵の娘を挙げた。セレスティーヌが12月で15歳、今日会った各侯爵の娘達は、14歳から10歳であったらしい。
「もう何年かしてから考えるよ。今は、君と一緒にいたい」
シノブは今の時点でこれ以上話しても平行線だと思った。そこでシャルロットの瞳を見つめ、自身の想いを優しく囁いた。
シノブの言葉に、シャルロットは煌めく青い瞳を潤ませて見つめ返す。
「……シノブ、貴方は意外と女性の扱いが上手いのですね。そういえば、今日もセレスティーヌ様達を上手くあしらっていましたし」
しばらく陶然としていたシャルロットだが、どうやらシノブが話を逸らしたのに気がついたようだ。彼女は美しい眉を顰め、少し困ったような表情となる。
「妹と大して違わない年齢だからね。よく妹が友達を家に連れて来たから、慣れたんだと思う」
シノブは貴族の令嬢と聞いて、なんとなく自分と同じか、それより年上の女性を想像していた。だが、この地方の国々は15歳が成人年齢で、しかも高位の貴族ほど息女は早く嫁ぐらしい。
そして侯爵や伯爵の娘ともなれば、成人早々に輿入れするほうが多いという。落ち着いて考えれば、二十歳前後の令嬢などいないのは当然のことであった。
それに14歳以下の娘達は、シノブにとって中学二年生の妹、絵美と同じか更に年下である。貴族としての教育を受けた彼女達に年齢以上のものを感じたシノブだが、実年齢を知ると結婚相手とは思えなかった。
「エミさん……でしたね。お会いしたいのでしょう?」
シャルロットは、シノブの言葉にその顔を曇らせた。
「会いたくない、と言ったら嘘になるね。でも、向こうと行き来できない以上、仕方がないよ。……こんな美人の婚約者が出来た事くらいは伝えたいけどね」
余計なことを言ったな、とシノブは妹に触れた事を後悔した。そこで、おどけた様な口調でシャルロットに答えると、彼女の緩やかに波打つプラチナブロンドに手をやり優しく撫でた。
「まあ……。やっぱり貴方は女あしらいが上手です」
シャルロットは婚約者の胸に生じた郷愁を察したのだろう。シノブの剽げた様子に合わせるかのように、彼女は大袈裟に眉を顰める。
「そうですね~、シノブ様は王妃様達や先王妃様達にも人気でしたからね。王太子妃殿下も、シノブ様のお言葉に、熱心に聞き入っていたじゃないですか」
アミィも雰囲気を盛り上げようと思ったようで、明るい声で囃し立てる。
「人聞きが悪いなぁ。あれは、いつもの検査と注意じゃないか……」
シノブは内心アミィに感謝しながら、頭を掻いてみせる。
例によってシノブとアミィは王家の女性にも魔力感知で妊娠の有無を検査し、注意事項を伝えていた。60歳を過ぎた先王妃エリーズとメレーヌは別にして、国王の妻である第一王妃ラシーヌに第二王妃オデット、そして王太子テオドールの妻ソレンヌを検査したのだ。
残念ながら、妊娠の兆候を示す女性はいなかった。だがシノブがアシャール公爵の妻レナエルの懐妊を察知したと聞いた彼女達は、並べた事柄に真剣に聞き入っていたのだ。
「王家も、テオドール様とセレスティーヌ様しか次代を担う方がいませんからね。ソレンヌ様も二十歳を過ぎていますから、大変だと思います」
シャルロットは優しげな王太子妃ソレンヌを思ってか、深い溜息をついた。
「テオドール様は、ソレンヌ様を深く愛しているようじゃないか。なんでも、彼女に子供が出来るまでは第二妃を迎えないと仰っているとか。簡単に出来ることじゃないと思うよ」
シノブは王太子テオドールについての噂を思い出す。
実際に晩餐の間、テオドールとソレンヌはとても親密な様子を見せていた。次代の国王夫妻の仲睦まじい様子に、シノブは温かいものを感じていたのだ。
そして想起した光景が、シノブの顔を綻ばせる。
「俺も君とあんな風になりたいと思ったよ。人生の先輩として、尊敬すべきお方だね」
シノブは貴族の風習を理解しつつも、シャルロットとの愛を貫きたかった。そこで冗談半分ではあるが王太子のことを褒め称えた。
シャルロットとアミィはシノブの心中を理解したようで、申し合わせたように微苦笑を浮かべる。
夜の王都をゆるゆると進む馬車は、伯爵家の別邸に着くまで、まだしばしの時間が必要なようだ。そしてシノブは、車中の一時を自分に与えられた猶予期間のように感じていた。
どうせなら残った時間をできるだけ楽しもう。そう決めたシノブは、隣に座るシャルロットの美貌へと視線を移した。
お読みいただき、ありがとうございます。




