06.12 美しき王女セレスティーヌ 前編
「シノブ、どうでしょうか?」
シノブの目の前には、青いドレスを身に着けたシャルロットが立っている。
いつもシンプルな衣装を好むシャルロットにしては、珍しくカトリーヌのような優美な飾りのあるドレスだ。それにイヤリングやネックレスも着けており、彼女の容姿に彩りを添えている。
「ああ、綺麗だよ。そういう格好をすると、義母上とそっくりだね」
シノブは大きく顔を綻ばすと、シャルロットに賞賛の言葉を贈る。
普段凛々しい印象のシャルロットだが、容姿自体は母との相似が明らかである。今のように軍服から華やかなドレスへと変えたら、容姿端麗かつ慈母のように優しいカトリーヌ、貴婦人の中の貴婦人たる女性と瓜二つなのだ。
「そんな……母上のようには……」
シャルロットはシノブの賛辞に頬を染め、微かに身を捩った。
軍務にその身を捧げたシャルロットだが、優雅で美しい母親への憧れは強いようだ。そのため彼女は恥じらいながらも、喜びを隠し切れない様子である。
「本当さ。嘘なんかじゃない。あれっ、そのネックレスは、セランネ村のヴァンニさんの作品だね」
シノブはシャルロットの胸元で光るネックレスに目をやると、ドワーフの細工師の名前を口にした。シャルロットが身に着けていたのは、シノブが口にしたようにセランネ村で手に入れたネックレスだったのだ。
大きなサファイアのペンダントトップが付けられた、ミスリル製のネックレス。それはシノブがシャルロットに初めて贈った品でもある。
「ええ。これは貴方から初めて頂いた品ですし」
シャルロットはシノブが気がついたのが嬉しいようで、にっこりと微笑んだ。
「そうか。それは光栄だね。さあ、行こうか」
シノブはシャルロットに、自身の腕を差し出した。するとシャルロットは微笑みを増して腕を絡める。
そして二人は静かに寄り添い、共にある幸福を確かめるようにゆっくりと歩んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
「なんだか感慨深いね。こうやってシャルロットが婿となる男性と仲良くしている姿を見るのは」
王宮へと進む馬車の中で、ベルレアン伯爵は、シャルロットとシノブに笑いかけた。
「父上、からかわないで下さい……」
シノブに寄り添うシャルロットは、薄い色をした肌を赤く染め、微かに下を向いた。
「いや、からかってなんかいないよ。単純に嬉しいだけさ。
しかし、シノブ。君まで照れなくてもよかろうに。そんなことでは、王宮にいる令嬢達に太刀打ちできないよ」
伯爵は、娘の反応は予想通りだったようだが、シノブまで赤くなって俯いたのは想定外だったようだ。
「令嬢達ですか! 貴族のお嬢様なんか、そもそも手におえませんよ!」
シノブの脳裏には、妖艶なドレスで迫る華やかな女性達の姿が浮かんでいた。ここのところ、ジェルヴェなどから貴族の作法を教わっていただけに、シノブの脳内には独特の貴族観が形成されていたのだ。
この国の貴族は一夫多妻が普通ということもあり、シャルロットの婚約者だからといって決して安心できないとシノブは思っていた。下手なことを言えば、二人目、三人目が来ると伯爵達に脅されたせいもある。
「君の隣にいるのも貴族のお嬢様だがね……まあ、アミィもいるからなんとかなるかな」
伯爵も、シノブの日常をアミィがサポートしていると気付いていたらしい。彼はシノブから、隣に座るアミィへと視線を向ける。
「はい! シノブ様のことはお任せください!」
アミィは伯爵の視線を受け、ニコニコと可愛らしく微笑んだ。
今日の彼女は、王宮に行くということもあり、侍女のような服を着ている。アムテリアが最初に授けた服の一つで、伝統的で清楚なメイド服を想起させる一品だ。
「アミィ様の助けがあれば安心ですね」
ジェルヴェまで、冗談めいた口調でシノブに笑いかける。どうやら彼は、王宮に向かうシノブの緊張を解そうと思ったらしい。
「ところで『隷属の首輪』の解析は進んだのかね? 午前中はずっと掛かりきりだったようだが」
伯爵は表情を改めると、シノブへと問いかけた。
「はい。やはり、特定の波長の魔力で干渉すれば、効果を抑えることができます。最低でも起動できないのは確認しました」
シノブも真顔になると、伯爵に午前中の成果を説明した。
『隷属の首輪』の解析については、アミィの知識が大きな助けとなっていた。
アムテリアが禁忌とする奴隷制度。それを支える『隷属の首輪』を無効化するために、アミィは眷属としての知識の全てをつぎ込んでいた。
普段の彼女は、シノブが助けを求めない限り、眷属としての知識を無闇に伝えないようにしているらしい。ミステル・ラマールやアーボイトスのような眷属と思われる人物についても、彼女は最初は黙っていた。
だがアミィは、アムテリアの憂いを晴らすためにも、この件に関して一切の遠慮をやめたようだ。
彼女の頑張りで、数時間のうちに『隷属の首輪』の起動法は判明した。そしてシノブは、そのときの波動を元に動作への干渉を成功させていた。
「そうか! それなら陛下の説得もしやすいな!」
シノブが伝える朗報に、伯爵も喜びを隠せないようだ。彼は、早くも国王アルフォンス七世との会見に思いを馳せているようで、中空を見つめながら、なにやら思案し始めた。
◆ ◆ ◆ ◆
「さて、それでは陛下のところに行こうか。奥の小宮殿でお待ちのはずだ」
伯爵は、非公式な会見ということもあり、いつもの略式の軍服を身に着けていた。シノブも、領都セリュジエールで仕立ててもらった、略式軍服姿である。
「シノブ様、とてもお似合いですよ。お館様とお揃いの姿、まるで本当の親子のようでございます」
ジェルヴェが、感極まったかのような声を漏らす。
馬車から降り立った伯爵とシノブは、彼の言うように細部を除いてはほぼ同一の軍服姿のせいか、まるで実の父子のようにも見える。
「シノブ様、これをどうぞ」
アミィは魔法のカバンから細剣を取り出した。それはアシャール公爵から拝領した、鞘に公爵家の紋章が刻まれた品である。
「義父上、本当に王宮内で武器を帯びて良いのですか?」
「ああ。今回シノブは、私の護衛官として申請しているからね。もちろん陛下の御前に出る前に武器を預けるが、そこまでは大丈夫だ。
それにアシャール公爵家の紋章が入った細剣は、ちょうど良い牽制になる」
事前に聞いてはいたが、シノブは念のため伯爵に確認した。すると伯爵はシノブが佩刀した細剣へと目を向け、問題ないと保証する。
「そうですね。これを見れば、シノブの背後に伯父上がいらっしゃると誰の目にもわかるはずです」
シャルロットは伯父のアシャール公爵を頼もしく思ったようだ。彼女は柔らかな微笑みを浮かべ、シノブに頷いてみせる。
「わかりました。それでは行きましょう」
シノブは王宮の中に視線を向けた。そして一行は緩やかな歩みで進んでいく。
まず伯爵の右隣にシャルロット、その逆にシノブと三人が横に並ぶ。従者のアミィとジェルヴェは、その後ろだ。
今日のアミィはシャルロットの侍女として申請しているから、彼女の後ろを静々と続いていく。
「ところで、シャルロットが王宮に来るのは久しぶりなんでしたね?」
道中でした話をシノブは思い出す。
シノブが王都メリエについて問うたとき、シャルロットは軍務が忙しく行く機会が少なかったと答えた。それ自体は別に構わないが、シャルロットに恥を掻かせないように最後に訪れたときくらい把握しておくべきだろう。
「ああ。この娘は、婚約者候補を避けてヴァルゲン砦に引きこもっていたからね。確か、成人式典以来じゃないかな?」
「引きこもってなどいませんが……でも、煩わしかったのは確かです。ともかく父上の仰るとおり、王都で私の成人を祝っていただいたとき以来ですね」
父の言葉に、シャルロットは僅かに頬を染めた。そしてシノブへの釈明なのだろう、彼女は当時のことを語り出す。
先王の孫、つまり王家の外孫であるシャルロットの成人式典は、王宮で実施された。しかし彼女は直後にヴァルゲン砦の司令官を拝命し、以降は王都に来ていないという。
「さて、ここからが小宮殿だ。大宮殿が公務のための場所で、こちらが王家の私的な空間だね」
伯爵が指し示す先には、大宮殿と回廊で繋がれた建物があった。大きく窓が取られた回廊からは、宮殿の中庭と、その先に建つ小宮殿が見える。
シノブは、伯爵の館の薔薇庭園のように美しい中庭を眺めながら、回廊を歩いていった。
「あら、ベルレアンの叔父様? それにシャルお姉さま! お久しぶりです、セレスティーヌです!」
シノブが眺めていた中庭の木陰から八人ほどの少女達が現れると、その中でも一際華麗な容姿の乙女が可愛らしい声を上げた。そして彼女は、長い金髪を靡かせながら、伯爵やシャルロットの下へと駆け寄ってくる。
「おお、セレスティーヌ殿下。お久しゅうございます。昨日ご挨拶をした際には掛け違ってお目にかかれませんでしたね」
伯爵は、少女に畏まった様子で一礼すると、にこやかに微笑みかけた。
「叔父様、昨日は失礼いたしました。式典の衣装合わせが中々終わらなくって……」
伯爵の呼びかけからすると、この少女がセレスティーヌ王女らしい。
この12月で15歳になる少女は、年齢どおりの可憐な容貌であったが王女らしい気品も併せ持っていた。それに、美しく長い金髪を手間の掛かりそうな巻き髪にした姿は、いかにも身分の高い女性らしく見える。
彼女は、白を基調にところどころ薄桃色を配した、乙女らしい愛らしさを強調したドレスをその身に纏っていた。そんな彼女は、シノブの目には、成人前の令嬢らしい無垢な輝きに包まれているように見えていた。
「殿下。ご無沙汰しています。私の成人式典以来になりますね」
シャルロットも、伯爵に続いて典雅な礼をする。
彼女とセレスティーヌは従姉妹同士である。だが、王女と伯爵継嗣としての身分に則り挨拶をするところは、真面目なシャルロットらしい、とシノブは思った。
「もう、シャルお姉さま! そんな他人行儀な言葉はやめてくださいませ! 折角お会いしたのだから、昔のようにセレスティーヌ、と呼んでほしいですわ……」
セレスティーヌは、礼節を守ろうとするシャルロットの態度が不満なようだ。彼女は白い頬に血を上らせ、更に眉を顰める。
ただしセレスティーヌはシャルロットより拳一つ分くらい背が低い。そのため彼女は上目遣いに年上の従姉妹を見つめており、どこか微笑ましくもある。
「わかりました。セレスティーヌ様。久しぶりですね」
シャルロットは仕方ないと言いたげな表情で、従姉妹の主張を受け入れた。そして彼女は畏まった口調をやめ、穏やかにセレスティーヌに語りかける。
「様も不要ですのに……でも、仕方ありませんわね。私ももうすぐ成人ですし……」
セレスティーヌは少し寂しそうな表情となる。どうも彼女にとって、シャルロットは特別な存在らしい。
「申し訳ありませんが、お言葉の通りですね。人目もありますし……」
伯爵は、やんわりと王女に声をかけると、彼女の後を追ってきた少女達へと目をやった。
「あら、失礼しました! シャルお姉さま、私のお友達をご紹介します! さあ皆さん、憧れの『ベルレアンの戦乙女』にご挨拶できますわ!」
遠巻きに様子を窺っていた少女達に、セレスティーヌは明るく声を掛けた。すると少女達は歓声を上げ、足早に歩み寄ってくる。
シノブは、なんとなく学校一の才媛に憧れる後輩達のような光景だと思いながら、彼女達の様子を眺めていた。
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