06.10 首輪は不吉な輝き 中編
ジェレミー・ラシュレーが化けた、騎士ラムレーが去ったソレル商会。その奥にある応接室に、再び商会の主ガストン・ソレルが現れた。
ガストンは使用人にお茶の用意をさせると、誰かを待つようにソファーに腰掛ける。そして使用人が去った後、入れ違いに一人の老人が姿を見せた。
「父上、あのラムレーという男、良い金蔓になりそうですね」
ソレル商会の主ガストンの父であれば、ジェラール・ソレルという人物のはずだ。商会発展の基礎を築いたのは父、花開かせたのは息子。それが世間の評である。
ジェラールは60歳を過ぎ、息子に店を任せて悠々自適の生活を送っている。そう世間では噂しているが、実は今でも商売の相談に乗っているのであろうか。
「儂は、王家の密偵ではないかと思うのだが」
「『雷槍伯』ですか? 彼らも私達を疑っているかもしれませんが、そう簡単に足取りは掴めませんよ」
息子の楽観的な意見に、ジェラールは異を唱えた。しかしガストンは落ち着いた様子を崩さず、父に反論する。
「そうあってほしいものだがな」
ジェラールの心配は晴れないようだ。彼の眉間には、深い皺が刻まれている。
老境に入りかけた身であるが、それを感じさせない引き締まった身体に、時折鋭さを見せる視線。先代伯爵は息子のガストンを裏仕事の匂いがすると評したが、彼を見たらなんと言っただろうか。
「まあ、今回は父上に聖人の真似事をしてもらわなくても良さそうです。
仮に密偵であったとしたらもう来ないでしょう。もし、わざと借金を作ってまで嗅ぎ回るなら、ごく普通に金を貸してやりますよ。
それに、本当に貧しい貴族の可能性もありますしね」
ガストンは父親の意見を聞き入れ、警戒することにしたようだ。だが彼の言葉には、どこか余裕が感じられ、この件を重要視していないのが明らかである。
「それより繋ぎが来たぞ。今夜、あのお方が来る。『雷槍伯』に壊された代わりを補充してくれるそうだ」
「おお、それは助かります。あれが補充できないと、手下の数が足りませんからね。……密偵がいるなら、早めに対処しておきたいですから」
ジェラールは何者かの訪問予定を伝えた。するとガストンは、待っていたと言いたげな表情となる。
「そうだな。また、この部屋に呼ぶのか?」
ジェラールは対照的にむっつりとした様子だ。積み重ねた年月の差だろう、彼は息子よりも遥かに用心深いらしい。
「ええ。ここは、防音設備も整っていますし、隠し部屋も備えていますからね。もっとも貧乏貴族の騎士相手ならともかく、あのお方に隠し部屋を使うことはないでしょうが」
ガストンの言葉から察するに、ジェラールは隠し部屋から様子を窺っていたらしい。どうやら隠居は表向き、もしかすると裏の仕事に徹するためなのだろうか。
「わかった。21時ごろに来るらしい。時間を空けておけよ」
ジェラールは息子への指示を終えたようだ。彼は言い終えるとソファーから立ち上がる。
「あのお方をお待たせするわけはないでしょう。そのくらい心得ていますよ」
ガストンも父に続いて席を離れる。そして二人は、連れ立って部屋を後にした。
◆ ◆ ◆ ◆
ガストンとジェラールが退室した応接室。そこには、姿を消したアミィとイヴァールが潜んでいた。
彼らは予想通り、いや、それ以上の情報を得て興奮していた。なにしろ、マクシムを唆した相手、ミステル・ラマールという聖人の名を騙った人物がジェラールだと、ほぼ確定したのだ。
それに予想はしていたが、『雷槍伯』こと先代伯爵アンリを襲撃したのが、彼らによるものだという裏付けも取れた。
自分自身や仲間同士の姿は見えるように、アミィは幻影魔術をかけていた。そのため彼女とイヴァールには、笑みを隠し切れない互いの様子が見て取れた。
アミィは『あれを補充、というのは首輪のことでしょうか?』と書いた紙片をイヴァールに見せる。
音を出さなくても意思疎通できるように、彼らは筆談の用意をしていた。ここには隠し部屋もあるようだし、二人だけだからといって油断はできない。そう思ったアミィは、用意した紙片を使ったのだ。
イヴァールは『そうだろう。他には考えられん』と書いてアミィに見せる。
補充できないと手下の数が足りない、との言葉は『隷属の首輪』を示していると理解するのが妥当だろう。ならば今回の最大の目的である『隷属の首輪』の入手、最低でも手掛かりは掴めそうだ。
笑みを交わす二人だが、同時に何かを思い浮かべているようだ。もしかすると二人を待つ者の笑顔、シノブ達の喜ぶ顔だろうか。あるいは潜入までの一幕かもしれない。
昨日ベルレアン伯爵家の別邸で、アミィとイヴァール、そしてラシュレーの三人はシノブと共に潜入の準備をした。
「今回の目的は『隷属の首輪』の入手だ。できれば奴隷とされた人達の行方も知りたい……だが『隷属の首輪』が手に入れば、そちらはなんとかなる。
『隷属の首輪』特有の魔力波動がわかれば、近距離なら察知できる。だから、最低でも一つは入手したい」
シノブは部屋に招いた三人、アミィ達に自身の思惑を告げた。
アミィの指導で磨いた魔力感知は、魔道具の種別も確実に見抜ける域に達した。しかし未知の魔力波動で用途を推測するほど、シノブは魔道具に詳しくない。そのため現物を入手するか保管場所を掴もうと、潜入を決断したのだ。
「近距離とはどれくらいですか?」
ラシュレーはシノブの魔術に接したことがない。そのため彼は、どのくらいの距離なら感知できるのか気になったようだ。
距離次第では今後の探索の仕方が大きく変わる。隣接する建物の中を探る程度なら、回る順や探る場所も今から考えておくべきだろう。
「たぶん、王都全域かな。隣の町や村にいると厳しいから、できれば行方も知りたい。最悪、あちこち回ってみることになるが……」
「それでも王都全体がわかるのですか!」
シノブは顔を曇らせながら応じるが、ラシュレーは狂喜する。これなら入手に成功さえすれば救助は成ったようなものだと、彼は思ったのだろう。
「ああ。それとアミィには壊れた首輪を元に作った偽物を渡す……向こうが気付くのを遅らせるためにね。
もちろん壊れた首輪は焼け焦げたり隷属の効果を発揮していた部分が焼失していたりと、元の形状は正確にはわかっていない。だから、これは本物とは似ていないかもしれない……だけどアミィなら本物を見ながら修正できる」
シノブは手にした偽物の首輪に魔力を込め、色や形を変えてみせる。シノブやアミィほどの能力があれば、土魔術を応用して金属の形や色合いを変えることは充分に可能だ。
シノブは一通り操作をしてみせた後、アミィに偽物の首輪を渡す。
「こういう作戦は二人一組で当たるべきだろう。だからアミィとイヴァールの二人で潜入してもらう。
もしかすると奴隷とされた人達を発見できるかもしれないが、『隷属の首輪』がどういう命令を与えているかわからない。だから今回は残念だが、発見しても救助は見送るように」
シノブは苦い表情で続ける。
『隷属の首輪』を通して予め自死などを命令する。あるいは脱出を拒否して騒ぎ立てる。そういったことは充分にあると、シノブは考えていた。
「わかりました……確かに仰るとおりだと思います。まずは首輪の入手、そして捕まった人達は居場所の確認に留めます」
アミィは、シノブの言葉に頷いた。
一方のイヴァールは残念そうな表情となる。しかし彼もシノブの言っていることは理解したようで、反対はしない。
「目的は以上だが、何より無事に帰ってきてほしい。『隷属の首輪』についてはまだ情報が少なすぎるから……。
アミィほどの魔力があれば効かないと思うが、イヴァールは危ないかもしれない。くれぐれも注意して、必ず戻ってきてくれ」
シノブの言葉に三人は表情を引き締め、深く頷いた。
これが昨日ベルレアン伯爵家の別邸での一幕だ。『隷属の首輪』を発見するか、どこにあるか掴む。そして次に繋げるため必ず帰還する。交わした誓いの実現へと、大きな一歩を踏み出したのだ。
ソレル商会の応接室で、アミィは中空を見つめつつ僅かに微笑んだ。
嬉しげな彼女の様子に、イヴァールは不思議そうな顔をする。しかし彼は何か思い当たったのか、そのままの姿勢で自身の黒々とした髭を扱く。
アミィは『21時まで交互に休みましょう。まずはイヴァールさんから休んでください』と書いて指し示す。するとイヴァールは『わかった。それでは先に休む』と記し、そのまま床にゴロリと転がった。
今日の彼は音を出さないように、いつもの鱗状鎧ではなく普通の服を着ている。それに武器も、取り回しの良い戦棍のみを手にしていた。
もっとも他の装備、愛用の戦斧などもアミィが持つ魔法のカバンに入っている。しかし狭い室内で巨大な戦斧は役に立たないから、今日のところは戦棍で充分である。
ともかくイヴァールは、愛用の戦棍を抱え込んだ体勢で時が過ぎるのを待つことにしたようだ。アミィは泰然自若といった態の勇者に笑顔を向けつつ、あたりの様子に気を配るように狐耳を動かした。
◆ ◆ ◆ ◆
そして夜更けのソレル商会の応接室。そこには、三名の男が集っていた。
正確には姿を消したアミィとイヴァールも壁際にいるのだが、彼らはそれを知る由もなかった。
「新しい首輪だ。とりあえず五個渡す」
フードを深々と被って口元も隠した男が、ガストンに何かの入った包みを渡す。
「ありがとうございます。急にお願いしたのに五つも下さり、感謝しております。……念のため、確認させていただきます」
ガストンが包みを開けると、そこには五つの『隷属の首輪』があった。金属の輪に付いた宝石のような結晶が、灯りに照らされて怪しい光を放つ。
「確かに。これはお礼でございます。些少ですがお納めください」
ガストンは懐からずっしりと重そうな皮袋を取り出し、フードの男へと渡した。袋には相当の額の金貨が入っているのだろう、はち切れそうに膨らんでいる。
「ふん。これが些少なものか。また随分とあくどい商売をしているようだな」
「いえいえ、人をも縛る道具を下さる貴方様ほどではありませんよ」
男は明らかに嘲りを含めながら語りかける。しかしガストンは動じる様子もなく、男の言葉を受け流す。
「……同じ穴の狢、ということか。装着する奴隷は自分達で手配しろ。残った奴隷達はどこにいる?」
先ほどのやりとりは本気ではないのだろう、男は無愛想に頷くのみだ。そして彼は間を置かず、奴隷の行く先を尋ねた。
部屋の隅に潜んでいるアミィとイヴァールは、表情を変え耳をそばだてる。これこそ二人が知りたかったことであり、聞き逃すわけにはいかない。
「コロンヌの手前の村外れにおります」
「ああ、あの寒村の森か。あそこなら良いだろう。
どうもきな臭くなってきた……。最悪、王領から撤退するかもしれん。その場合、街道を避けて領外に出ろ。あそこなら、あまり伯爵領を通らず小領伝いにフライユまで帰還できるだろう」
ジェラールが恭しげな声音で答えると、男は満足そうな声で応じる。
そして男は、脱出する際の経路を指示する。やはり彼はフライユ伯爵領から来たのだろうか、そちらへの経路をジェラール達に伝えていた。
「わかっていると思うが、ベルレアンには近づくなよ。
あそこの小僧を使ってちょっかいを出したせいか、もう一人の小僧が色々嗅ぎ回っているらしい。あの爺だけが敵だと思ったら足を掬われるぞ」
男は、シメオンが調査をしていることに気がついているようだ。先代伯爵だけではなく、シメオンにも気をつけるように警告した。
「はっ、お言葉感謝します」
ジェラールとガストンは、深々と頭を下げた。新たな追っ手がいると示されたせいか、二人の声には緊張が滲んでいる。
「それでは帰る。また何かあれば、いつもの方法で連絡をつけろ。見送りはいい」
男はソファーから立ち上がり、足早に退室していく。一方のジェラール達だが、こちらは起立して一礼するのみだ。
男が去った室内で、ガストンは小さな鍵を取り出すと、アミィ達が潜むほうとは逆の壁に近寄った。そして彼は、手に持つ鍵を壁に掛かった絵画の裏に差し込んだ。
ガストンが鍵を捻ると、そこには隠し金庫があったようで壁の一部が開いた。ガストンは隠し金庫に『隷属の首輪』を仕舞うと、扉を閉めて鍵を掛ける。
「父上、奴隷候補は明日以降、選別しましょう。姿を消してもおかしくない貧乏人でも見繕いますか」
「ああ、任せる」
ガストンが問うと、ジェラールは静かに頷く。そして二人は肩を並べ、応接室を出て行った。
明かりの消えた室内で、アミィは魔法のカバンから金属片を取り出した。次に彼女は、金属片を土魔術で変形させて鍵を作り出す。どうやらアミィは、ガストンが取り出した鍵の形を記憶していたらしい。
アミィは隠し金庫の扉を作り出した鍵で開けると、金庫の中にあった『隷属の首輪』を一つ取り出した。
そして彼女は、魔法のカバンから出した偽物を『隷属の首輪』に似せるために少しずつ変形させていく。彼女は、形や色合い、そして隷属を制御する部分についていた宝石のような物まで、見事に再現してみせた。
アミィは形状を修正した偽物を隠し金庫に仕舞い、扉を閉めた。
後は脱出するだけだと感じたのだろう、アミィはイヴァールに顔を向けて微笑む。一方のイヴァールも、満足そうな顔で大きく頷き返す。
二人はシノブ達の喜ぶ顔を思い浮かべているに違いない。脱出の時を今や遅しと待つ間も、とても楽しげな笑みを交わしていた。
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魔道具を中心に、この地域の標準的なレベルの道具と主人公が持つ高性能装備を並べました。
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