06.08 水晶の都
シノブ達は、王都の伯爵家別邸に到着した。彼らは都市アシャールを出発した後コロンヌの町で一泊し、王都に5日目の夕方に予定通り到着したのだ。
王都メリエはベルレアン伯爵領の領都セリュジエールに比べ、人口が3倍、面積が2.5倍の大都市である。
面積に比べて人口が多いのは、やはり首都だということなのだろう。別邸へと向かう際に馬車の窓から眺めた建物も、そういった情報を知っているシノブの目には、若干過密気味にみえた。
もっとも、伯爵家別邸の窓から見える風景は広々としたものである。別邸の会議室からは、領都よりも広い幅50mの大通りを挟んで、広大な王宮を眺めることができた。
「義父上、あれが水晶宮ですか……」
シノブは、別邸の窓から壮麗な宮殿を眺めながら、隣に立つベルレアン伯爵に語りかける。
彼の眼前には、別邸の庭と大通りを挟んで、メリエンヌ王国の心臓部ともいえる宮殿とその周囲を囲う城郭があった。
王宮と通りは大きな堀で分かたれ、堀の向こうには高さ8mくらいの城壁がある。
一階あたり約5mと背の高い伯爵家別邸の三階だから王宮の様子を覗けるが、どうやら、王宮の周囲でそれだけの高さを持つ建物は、七伯爵の別邸だけらしい。
このあたりも、建国の功臣としての特権、ということなのだろう。
その特権に与りシノブが眺めている王宮は、陸上競技場がいくつも入りそうな敷地の中にあった。
シノブの見下ろす先には『メリエンヌ古典様式』に則って左右対称に広がる巨大でありながらも華麗な宮殿がある。そして、その宮殿に、大小いくつもの別棟が繋がっている。
そして、要所要所には、物見も兼ねた天を突くような尖塔がある。水晶宮の代名詞の元ともなった数々の尖塔には、壁には煌めくタイルが張られ、その窓には透明度の高い大きなガラスが惜しげもなく使われている。
「……話に聞いていた通り、美しい宮殿ですね」
シノブは、来る道々で伯爵やシャルロットから王宮の様子を聞いていたが、夕日に輝く宮殿の威容を前にして改めて感嘆した。
「ああ、そうだよ。残念だけど、明日は私だけで陛下にご挨拶をしてくるよ。
到着の報告がてら、まずは様子見というところだね」
伯爵は、シノブの驚嘆する様子を見ながら、彼に翌日の予定を伝える。
「シノブ殿は、まだ正式に爵位を持っていません。ですので参内の前に、陛下の意向をお伺いする必要があります」
後ろに控えるシメオンも、伯爵の言葉を補った。
今のシノブは、役職は伯爵家の魔術指南役、身分は聞いたことも無い外国の騎士階級を自称しているだけである。伯爵やシメオンの考えは、当然のことといえる。
「本当に人族の貴族は面倒だな。あのアシャール公爵は例外か?」
だが、そんな風習を面倒に感じたのだろう、イヴァールがアシャール公爵の名を挙げ、慨嘆する。
「ははっ、イヴァール殿の言うとおりだね。義兄上は例外中の例外だよ」
ベルレアン伯爵は、イヴァールの嘆きに苦笑した。
アシャール公爵は、開放的というか型破りというべきか、一風変わった性格をしていた。彼は、あれが標準だと思われては困る、と考えたのかもしれない。
「ですが、アシャール公爵を味方にできたのは、大きな成果でございましたね。
もとより奥方様の兄君ですから、悪いようにはされないと思っていましたが」
カトリーヌの実兄で主君の義兄であるアシャール公爵を非難するわけにもいかないと思ったのか、家令のジェルヴェがアシャール公爵との出会いが成功裏に終わった事を話題に上げた。
シノブが第二夫人レナエルの妊娠を感知し、夫人達や嫡男アルベリクの妻アリエットに様々な注意を与えたことを、アシャール公爵はことのほか喜んだ。
奇矯な言動が目立つ彼ではあったが、魔力のためか子供ができにくい高位の貴族として、それなりの悩みはあったらしい。
「まさか、シノブに公爵家の紋章が入った細剣をお授けになるとは思いませんでした」
シャルロットは、驚いたような口調で隣のシノブに言う。
紋章入りの道具は、身分の証明として使われることもある。そのため、他人の手に簡単に渡すものではない。
シノブも、領都で伯爵家の紋章が入った小物を与えられた。だが、それらも王都で身分を保証する際を考えての事であり、当然ながら他人に渡して良いものではなかった。
「そうだね。あの調子で『困ったことがあれば、この紋章を見せるがいい。我が義甥よ!』と突き出されたから、思わず受け取ってしまったけど」
シノブも、そのときのことを思い出しながら、シャルロットに答えた。
見送りのときに、なぜか細剣を持っていた公爵が、いきなり押し付けるように渡したときには、彼もなんと答えてよいかわからず、一瞬固まってしまったものだ。
「アシャール公爵は元から友好的に済むとは思っていました。シノブ殿が一晩くらい竜の話をすれば公爵の興味を引くのは簡単ですから。
オベール公爵も先王陛下のご子息ですし、嫡男オディロン殿も成人済みです。そういう意味では、アシャール公爵と似ていますから、シノブ殿に悪感情を持つことはないでしょう。
読めないのは、シュラール公爵ですね」
シメオンは、アシャール公爵から、他の二公爵に話題を移す。
先王の三男であるオベール公爵クロヴィスは、先代のオベール公爵の娘リュクレースと結婚して公爵家の婿に入った。娘しかいない公爵家は、こうやって王家の男子を得て家を継いでいくのだ。
「シャンタル様ですか?」
シャルロットの後ろに控えていたアリエルが、小首を傾げながらシメオンへと問いかける。
「たしか、シュラール公爵は上のお二人は嫁がれていましたね~」
ミレーユも、顎に指を当てながら呟いた。
彼女が言うとおり、シュラール公爵の長女と次女は、それぞれ別の侯爵家に嫁いでいた。
そして、シュラール公爵の三女シャンタルは成人前であり、当然未婚である。
「ええ、そうです。シュラール公爵には男子がいない。王家にも他に男子はいない。そして、シノブ殿を婿に迎える娘がまだ残っている。
シノブ殿がシャルロット様と結婚して女公爵シャルロット様に準公爵シノブ殿、となるのが許されるなら、なぜ自分の娘ではいけないのか?
そう考える可能性もあります」
通常、女子のみしかいない公爵家は子爵に格下げになるか、王家から男子を婿に取る。
だが、王家には未婚の男子はいない。そもそも男子自体が、アシャール公爵やオベール公爵となった王弟達以外には、王太子テオドールしかいないのだ。
まだシュラール公爵は40歳だから、もう20年当主を続け、その間に子供を儲けることは可能である。だが、今現在は、不安定な立場といえた。
「シノブを婿に欲しがるのか?
そんなに子供が必要なら、いくらでも妻を娶れば良いのではないか? 王国の貴族は一夫多妻が普通なのだろう?」
イヴァールは、シメオンの言葉に首を捻った。
「イヴァール殿。単に子供を得るだけならともかく、爵位を継ぐともなれば、それなりの家から迎えるものだよ。そして、それなりの家の娘がそんな立場に収まるわけがない。
実家だって、大勢の中の一人では娘の子が跡取りになれるかわからないからね。跡取りどころか、家臣にされるかもしれないような相手に、可愛い娘をやる親はいないよ」
伯爵は、イヴァールに対し貴族の思惑を教えた。
彼の言うとおり、娘を嫁がせる以上、その家の跡取りを生むか最低でも他の貴族家に入ることができる子供を得なくては意味がない。
「ふうむ。本当に貴族とは面倒なものだな。シノブ、お主、よく結婚を決断したものだな!」
イヴァールは、感心したのか呆れたのか良くわからない感想を漏らした。彼の言葉に、シノブは苦笑いをするしかない。
「ともかく、シノブ殿がいなければ、シャルロット様が女公爵になることもないでしょう。
シノブ殿を彼らがどうこうできるとは思いませんが、邪魔な存在は消せ、など短絡的な考えを持たないともかぎりません」
シメオンは、イヴァールの様子に僅かに微笑むと、説明を続けた。
「シノブ様は、私とイヴァールさんが警護しますから、そんな人達は近づけません!」
アミィは、シノブの従者として彼に近づく者への警戒を改めて誓った。
「うん。アミィがいるから心配はしていないよ」
シノブは、アミィの頭を優しく撫で、彼女の決意に謝意を示した。
彼の手の感触に、アミィは嬉しそうに目を細め、狐耳を微かに揺らしている。
「いずれにしても、陛下にお伺いして、どのようなお考えか探ってくるよ。
すまないが、それまでシノブにはこの別邸にいてほしい。陛下のご意思が定まる前に、余計な騒動は避けたいからね」
「わかりました。『隷属の首輪』関連は、まずはアミィ達に動いてもらいます」
幻影魔術の使い手であるアミィは、こういうことには適任だ。
シノブの言葉を聞き、アミィも嬉しそうに微笑んだ。
「そうしてもらえると助かるよ。
陛下には、我がベルレアン伯爵家継嗣シャルロットとその婿シノブ殿、という風にご決断いただきたいものだがね。そうなれば、公爵家が余計なことを心配しなくても済むのだし。
まあ、カトリーヌからの手紙も預かってきているし、勝算は充分にある。初手は私に任せてほしい」
ベルレアン伯爵はシノブの答えに満足そうな表情を見せると、自信ありげな口調でシノブやシャルロットに頷いてみせた。
シノブとシャルロットは、頼もしげな彼の様子に表情を和らげながら静かに寄り添った。
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