06.07 旅の光と影 後編
「シノブ。久しぶりですね。元気そうでなによりです」
シノブの目の前には、光り輝く美しい女性の姿があった。
「アムテリア様!? それに、ここは……」
シノブは突然のことに驚いた。そして彼は、確かアシャール公爵の館で就寝していたはずだが、と思いながら周囲を見回す。
いつの間にか、シノブは霧のようなものが漂う見たことのない場所に佇んでいた。突然の出来事に驚く彼の眼前にはアムテリアの麗姿があるだけで、周囲には何も存在しない。
「ここは、貴方の夢の中です」
アムテリアは、シノブの困惑に気がついたようだ。
厳かな光に包まれた彼女は、その神秘的で優しげな容貌に穏やかな微笑を浮かべた。深い碧の瞳も柔らかな光を宿し、シノブを安堵させるかのように温かく見つめている。
「夢の中ですか……」
確かに明晰夢と呼ばれる、夢と自覚した状態に似ている、とシノブは考えた。
だが、通常の明晰夢よりも遥かにしっかりした意識を保っているようだ。それにシノブは、夢独特の脈絡のなさや不条理さも無いように感じた。もちろん、女神が現れたことを除いてではあるが。
どことなく通常の夢とは異なる状態に、シノブは、これもアムテリアの神力のためだろう、と思うことにした。
「……ところで、アムテリア様、今日は一体どのようなご用件で?」
シノブは、唐突な神の降臨に思わず身構えた。
神が夢を訪れ重大なお告げをする、というのは古来よく聞く話である。
「貴方がこの世界に転移してから、100日目になるので、それを祝福しにきたのですよ」
アムテリアは、シノブの緊張を察したようで、彼を落ち着かせるかのように、にっこりと微笑んだ。
彼女の察しの良い様子に、シノブは流石は神様と感心した。だが、ほどなく彼は、アムテリアが相手の考えを読み取れることを思い出し、一人納得した。
「100日ですか。そういえば……」
シノブは、都市アシャールに到着したのが11月7日、明けて8日になればちょうど100日目であることに思い至った。たぶん、夢を見ている今現在は、既に零時を越えて8日になっているのだろう。
「アミィもシノブを助けて良く頑張りましたね」
アムテリアは、僅かに隣に顔を向けて言葉を続けた。
彼女の挙措に合わせて、繊細な金糸のような光り輝く髪が、さらりと揺れる。
「もったいないお言葉です! アムテリア様!」
シノブが、隣から響く声に振り向くと、そこにはアミィが跪いていた。
「アミィ、遠慮しないで。さあ、立ちなさい」
アムテリアは、アミィの緊張した様子を見て僅かに苦笑すると、楽にするようにと伝えた。
アミィは彼女の言葉を受け、おずおずと立つとシノブの隣に並んだ。
「……お渡しした道具も役に立っているようで、私としても嬉しいです」
アムテリアは、アミィが立ち上がったのを見て、シノブ達に再び話しかけた。
「ありがとうございます。あの道具がなければ、こんなにスムーズにこちらに馴染めなかったと思います!
それに、加護もとても助かっています!」
シノブは、この機会にアムテリアにお礼しようと思い至った。
彼は、今まで生きてこられたのは彼女のお陰だ、と改めて感じながら、深々と頭を下げた。
「良いのですよ。転移のときにお話しましたが、貴方がこちらの世界に定着したほうが、私の為でもあるのです」
アムテリアはシノブに鷹揚な様子で頷いた。
転移前に彼女は、シノブが早々に死んでしまった場合、自身の神域に魂が戻ってきてしまう、と言っていた。その場合、神域が穢れて使えなくなってしまうらしい。
「もう、定着したのでしょうか?」
シノブも今すぐ死ぬつもりはないが、世界に受け入れてもらったかどうか、という指標のような気がしたので、アムテリアに問いかけた。
「いえ。まだ道半ばです。貴方はこの世界で守るべき人を見つけ、友も得ました。この絆が育っていけば、貴方は本当の意味でこちらの人間になるでしょう」
アムテリアは、シノブの問いに優しい声音で答えた。
「絆ですか……」
シノブは、絆を育てるというアムテリアの言葉に考え込んだ。
アミィにシャルロット、シメオンにイヴァール、と頼れる仲間とも出会えた。特にシャルロットは、生涯の伴侶となる特別な女性だ。シノブは、これまでの事、そしてこれからの事に思いを馳せた。
「そう深刻に考えることはありません。貴方の愛すべき人達と家庭を持ち子供が生まれたら、絆も一気に強くなると思いますよ」
アムテリアは僅かに冗談めいた雰囲気を混ぜながら、シノブへと笑いかける。
「子供ですか!」
女神のからかうような口調に意表を突かれ、シノブは思わず声を上げてしまう。
「貴方は大きな力を得ました。そして得たものを健全に使おうという意思も持っています。
これからも、多くの人々が貴方の下に集まるでしょう。彼らと手を携え歩んでいけば、絆もより深まっていきます。ですから今後も様々な人々と出会い、絆を深めながら進んでください。
そうすれば、貴方とその周囲に集う人々から幸せが広がっていくでしょう」
アムテリアは笑いを収めると、一転して厳かにシノブへと語りかける。
自身の加護を強く持つシノブが、この世界の人々と繋がりを深めていく。それを彼女は望んでいるのだろうか。人々に幸せを、というアムテリアの慈母のような笑みを見ながら、シノブはそう感じた。
「ありがとうございます。
頂いた数々の品や加護のお陰で、幸い無事に過ごせました。これからも授かったお力に頼ると思いますが、アムテリア様からの恩恵を少しでもこの世界に還元できるよう、頑張ります」
アムテリアの忠告に感謝したシノブは、自身の決意を彼女に語った。
望外の力を得た彼は、努力して得たものではない能力に当初は少々後ろめたさを感じていた。だが仲間や伯爵達と接するにつれ、その力を活かしていくことが自分の使命だ、と思い始めていたのだ。
「そんなに堅苦しく考えなくても良いのですよ。貴方は思い通りに生きてください……それが結果的にこの星の発展に繋がるでしょう。
ただし、私の力も万能ではありません。貴方に大きな加護があるのは確かですが、この世界は必ずしも私の思うとおりに動いているわけではありません」
アムテリアはシノブの決意を微笑ましく感じているようだが、あまり気負うことはないと語る。しかし彼女は、その一方でシノブに新たな忠告を与えていた。
「えっ、そうなんですか?」
シノブは、万能の最高神だと思っていたアムテリアの言葉に、意外さを隠せなかった。
「はい。たとえば、私は奴隷を禁忌としました。地球で奴隷制度が多くの人々を苦しめたのを見てきましたから。ですから、この星の多くの人々は奴隷制度に本能的な嫌悪を抱いているはずです」
驚愕するシノブに、アムテリアは奴隷の存在を例に説明を始める。
「そういえば……」
シノブは、伯爵やシメオン達が、奴隷制度を嫌悪していたのを思い出した。
あのとき、敵国であるベーリンゲン帝国の制度だから軽蔑しているのか、とシノブは思った。だが、アムテリアの授けた教えがあったから、人々が奴隷制度を禁忌とするようになったらしい。
「ですが、実際に奴隷制度は存在しています。私も眷属を通して動いてはみましたが……」
アムテリアは、シノブに悲しそうな顔を見せた。
彼女は、人々の意思を縛るようなことは嫌っている様子だ。シノブはアミィから、教えを授けたり眷属を通して好ましい人を支援したりはするが、今ではそれらも最小限に留めている、と聞いたことを思い出した。
「私達眷属も、陰ながら地上を見守ったり、時には支援したり頑張っているのですが……」
アミィもアムテリアの言葉を、遠慮しながらも補足する。
彼女のような眷属は、地上を監視したり、時には神の使徒として英雄達を助けたりしていたという。だが、そんな眷属の支援があっても、全てが上手く行ったわけでもないようだ。
「そうだったのですか。アムテリア様のお力の及ばないところがあるとは思いませんでした」
シノブは、アムテリアといえど、地上を完全に掌握しているわけではないと理解した。
考えてみれば、彼女は惑星の最高神だが、世界自体を創ったとは言わなかった。つまり、世界の法則自体を定めた存在ではないのだ。
とはいえ、この惑星がアムテリアにより造り上げられたのは間違いない。
彼女は、地球で得た経験を活かすためか、惑星を地球に似通った環境に整えたという。だが、神々は人類にある程度の知識を与えた後、大きく介入するのは控えているらしい。
絶大な力を持つ彼女だからこそ、直接手を出すのは自粛しているのだろうか。シノブは、アムテリアの言葉を聞きながら、そう考えた。
「シノブ。私の力が決して万能ではない、ということは覚えておいてください。そして、私の力を持つ貴方が色々な意味で注目されていくだろう、ということも」
アムテリアは、重ねてシノブに忠告した。
彼女は、シノブを助けるために多くの支援をしていた。いや、その後に授かった道具などから考えると、今でも陰ながら支援しているのだ。
そんなアムテリアは、注目が集まっていくシノブの将来を憂えているのか、僅かに表情を曇らせた。
「はい、わかりました! ご忠告感謝します! アミィと頑張っていきますから安心してください!」
シノブは、アムテリアを安心させようと、明るく返答した。
女神である彼女には内心の思いはバレているだろうが、その分、安心させたいという思いは伝わったはずである。
シノブは、アミィの頭を撫でながら、アムテリアへと快活な笑みを見せた。
◆ ◆ ◆ ◆
「朝か……」
シノブは、アシャール公爵の館の一室で目を覚ました。
就寝中に見た夢の内容は、しっかりと記憶している。彼は、アミィに会いたくなり、寝室から居間へと歩んでいった。
「シノブ様、おはようございます!」
シノブの姿を見たアミィは、明るく笑いかける。
「おはよう。イヴァールは?」
シノブは、規則正しい生活を心がけているイヴァールの姿が見えなかったので、アミィに確認した。
「イヴァールさんなら、早朝訓練に行きましたよ。裏庭で戦斧を振り回してくる、と言ってました」
アミィは、シノブに訓練熱心なドワーフの行方を告げた。
「そうか……アミィも夢を見た?」
シノブは、イヴァールが居ないうちに、アムテリアの夢についてアミィに聞いておこうと思ったので、率直に質問した。
「はい。あれはただの夢ではありません。
アムテリア様が、シノブ様のご活躍を祝して降臨されたもの、一種の神託です」
アミィは、シノブに真顔で頷いた。
シノブも、神託というには世間話に近い内容だったとは思いながらも、アミィに頷き返した。
「……やっぱり、ただの夢じゃなかったんだね。ところで、魔法のカバンは?」
シノブは、アミィに魔法のカバンの所在について質問した。あれが普通の夢ではないとすれば、確かめておきたいことがあったのだ。
「はい。新たに槍などを頂いています……」
アミィは、苦笑しながらシノブに答えた。
槍を学ぶことになったシノブと、元から槍を得意とするシャルロットのために、アムテリアは揃いの槍を授けてくれたのだ。
その他にも、魔法の杖など以前授けた道具も、シノブやアミィが許可した人だけが使えるように機能強化したそうだ。アムテリアはアリエル達に使わせたら良いと考えているらしい。
利用権限の強化に加え、魔法のカバンや魔法の家のカードのように念じると手元に戻ってくる機能も付与したと、アムテリアは語ったそうだ。
「流石に全員揃いの装備なんかはなかったね」
シノブも魔法のカバンの中身を確認しながら、アミィに答える。
過保護なアムテリアであるが、シノブが仲間達の体格にぴったりの装備を持っていると不審に思われると考えたのか、鎧などは入っていなかった。
「でも、フリーサイズのインナーとかはありましたよ」
アミィの笑いを堪えるような声に、魔法のカバンを確認中のシノブは、改めて内容物に意識を集中した。
彼女の言うとおり、カバンには男女それぞれの各種インナーが入っていた。ご丁寧にドワーフ向けのものまである。どうやらスポーツ用の機能性インナーのようなものらしい。
「うわっ、魔法のインナーだって!? 下手な鎧より防御力が高いんじゃないかな?」
シノブは感謝しながらも、やっぱりアムテリアは過保護だった、と若干の呆れを感じていた。
お読みいただき、ありがとうございます。




