06.05 旅の光と影 前編
領境の通過は、何の問題もなく終わっていた。
なにしろベルレアン伯爵領側では領主一行の通過である。通関時の検査などあるはずもない。
王領側としても、王家に次ぐ広大な所領を持つベルレアン伯爵と、その娘にして王家の外孫であるシャルロットが相手だ。形式的な確認を行うのみで、実質無検査に近い状態で王領内へと招き入れていた。
「ここからが王領ですか。砦もあまり大きくないけど年代を感じさせる立派なものでしたね」
シノブは、形ばかりの通関処理を終えて王領内に入ると、伯爵へと声をかけた。
彼は、今日も伯爵の馬車に乗っていた。今日は天気は良かったが、二日間馬車に乗って、伯爵達と色々な話をしたのを彼は楽しく感じていた。
それに伯爵達との会話には、王都に行ってから役立ちそうなものも多かった。そのため、シノブは馬車に乗る時間を増やしたのだ。
シノブは、ときどき開けたところで愛馬リュミエールに騎乗する以外、移動時の大半を車中で過ごしていた。
「シノブ、あの砦は王国設立直後からあるのだよ。もう500年以上は経っているはずだよ」
伯爵が、砦についてシノブに説明する。
「はい、ビヤール砦の建築は創世暦467年から開始されました。完成が479年です」
家令のジェルヴェは、主の言葉を補って、砦の建築時期をシノブに教えた。
「それは凄いですね」
シノブは、砦の歴史に驚いた。
今が創世暦1000年だから、完成の時点からでも521年経過している。日本の歴史に当てはめると、室町時代くらいに築かれたことになる。
地球の西洋建築と同じで、石造りだから残りやすいのだろう。だが、それにしても大したものだ、とシノブは思った。
「本来はベルレアン伯爵領が敵の手に落ちたときの防衛線です。幸いこのあたりは、戦もなく平和なまま来ていますが」
シャルロットは、隣に座るシノブに砦の意義を説明した。
彼女の説明によれば、万一のために築かれた砦ではあるが、一度も戦火に会うことなく、通関や地域守護の拠点となっているだけだという。
「戦争なんてないほうが良いよ」
シノブは、もちろん戦争を経験したことはない。だが、暗殺者との戦いなど数少ない対人戦闘を思い出し、溜息をつきながらシャルロットに言った。
「そうですね。領地を守るためには仕方ありませんが、いざ戦いとなれば、戦死者や未帰還兵が大勢出ます。無事に帰っても、昨日のジロードのように、怪我のため現役を退く者も多いのです」
シャルロットは祖父から聞かされたのか、過去の帝国との激戦についても戦史として把握しているようだ。シノブも、ジェルヴェから聞いた話を思い出しながら、彼女の言葉に頷いた。
「シノブ、シャルロット。領主としては頼もしい限りだが、もう少し柔らかい話はできないのかな。
似合いの二人と言ってしまえばそれまでだが、親としては少々不安になるね」
伯爵が苦笑いしながら、シノブ達に語りかける。
彼は面白そうに表情を緩めて二人を見守っている。たぶん本気ではないのだろうが、堅い話ばかりする彼らに僅かながら不安を感じたのかもしれない。
「私も伯爵家を支える一員として、閣下のお言葉に同意します。
このままでは家庭内でも政務か軍務の話ばかりではないかと心配になります」
シメオンも伯爵の尻馬に乗って、シノブ達をからかった。
シノブとシャルロットは、二人の言葉に頬を赤らめ、思わず互いの顔を見つめた。
◆ ◆ ◆ ◆
アシャール公爵は、都市アシャールとその周辺を領地とする。
都市アシャールは、王領北部の重要拠点である。北方のベルレアン伯爵領や東方のボーモン伯爵領などに向かう街道、そして目的地である王都メリエへの街道がアシャールから伸びている。
その太守であるアシャール公爵位は、現在カトリーヌの兄であるベランジェ・ド・ルクレールに与えられていた。
メリエンヌ王国では、公爵に王領内の都市とその周辺の土地が所領として与えられる。
公爵位の任命権は国王にあり、厳密には永続的なものではない。数代は世襲となるが、新たな王族が公爵になる場合、既存の公爵が子爵に格下げされる。
現アシャール公爵であるベランジェ・ド・ルクレールは、先王の次男である。彼は、現国王アルフォンス七世の異母弟であるため、現在の公爵家の中では、王家に近い血筋の一つである。
現在、オベール公爵が先王の三男、シュラール公爵が先王の弟であり、アシャール公爵は血統面では公爵家筆頭ということができる。
当主がベルレアン伯爵夫人カトリーヌと同腹ということもあり、シノブやシャルロットからすれば、一番接しやすい公爵家だろう、というのがシメオンの見解であった。
「義父上、立派な都市ですね」
シノブはベルレアン伯爵コルネーユへと声をかけた。
夕暮れの中進む馬車から眺める都市アシャールは、大層な賑わいようだ。それに裕福な人が多いらしく洒落た装いが目立つし、建物にも手が込んだ装飾が施されている。
「ああ、アシャールはアデラールより人口が多いからね。面積は大して変わらないから、その分だけ上に伸びているんだ」
伯爵の言うとおり、都市アシャールはアデラールに比べて建物の間隔が狭く、高層建築が多いようだ。
ここも基本は『メリエンヌ古典様式』のようだが、増改築されたらしく左右非対称な建物も目立っていた。中には途中の階層から作り直したのか、上下で様式が異なるものまである。
都市アシャールの人口は現在三万二千人近いという。未だに増加を続ける活気のある都市の中を、伯爵家の馬車は静々と進んでいった。
「アデラールよりも多いのですか……」
シノブは、商人や馬車で混雑しているといっていたアデラールの代官モデューの言葉を思い出した。
面積がほぼ同じで人口が多ければ余計に大変なのではないか、とシノブは考えた。
「この規模の都市は、王領にもそうはないよ。ここから王都の間は町だけで、明日宿泊する予定のコロンヌが五千人くらいだったかな。王領といえど、都市は王都を合わせても八つしかないからね」
伯爵は旅程を交えながら語っていく。
ちなみにメリエンヌ王国では一万人以上の街を都市と呼ぶ。そして都市アシャールと王都メリエの間だと、コロンヌの町が最も大きいという。
「ありがとうございます。そういえば、この辺は地震はないのですか?」
シノブは窓外の建物を見上げる。上手く拡張して使っているが率直に言えば継ぎ接ぎと言うべき建築物を見て、地震対策は大丈夫なのだろうかと考えた。
「幸い我が国は非常に稀だよ。ガルゴン王国は200年や300年に一度くらい大きな地震があるというが、こちらではそんなことはない。
大丈夫さ、あれでも増築時にしっかり構造計算をしているそうだよ」
伯爵は、シノブが何を気にしているか、悟ったようだ。
この国の数学や建築は、シノブの当初の想像より遥かに進んでいた。これだけの建築物や時計のような精密機器を作る技術は、やはり相応の知識があってのことらしい。
もちろん構造計算といっても経験則に基づくものだ。しかし長い年月をかけて積み上げた知識は充分実用的な域に達しているようで、建築時や完成後の事故もほとんど無いという。
「それに地震より、今日は義兄上に気をつけたほうが良いと思うがね」
伯爵は意味ありげな笑いを浮かべる。
義兄とはアシャール公爵ベランジェのことだ。ベランジェとベルレアン伯爵の第一夫人カトリーヌは先代国王エクトル六世とその第二妃メレーヌの子供、つまり同腹の兄妹である。
「随分変わった方だと聞いていますが……」
シノブは、ジェルヴェやシメオンから聞いた話を思い出しながら答えた。
アシャール公爵は現国王の異母弟という重鎮、しかもカトリーヌの縁もある。そのため多少は聞いていたのだ。
「悪い方ではないんだよ。ただ、なんというか突飛なところがあってね。私もカトリーヌの縁で親しくさせてもらっているが、未だに驚かされるよ」
伯爵はシノブの言葉に頷いた。
アシャール公爵ベランジェは領主として優秀らしく、都市アシャールも繁栄している。
ただし自分の興味が向いたことには食事も忘れて熱中したり、通常なら忘れないと誰もが思うようなことを忘れ周囲を驚かせたりするらしい。
良く言えば一種の天才、悪く言えば変人、ということのようだ。
「アシャール公爵がシノブ殿に興味を示す可能性は高いと思いますよ。最悪、今夜一晩離してもらえないかもしれませんね」
シメオンも伯爵に続いて苦笑する。冗談めいた言葉で済ませるのだから深刻には捉えていないようだが、多少の面倒は覚悟しておけと言いたいのかもしれない。
「シノブ様を敵視しないのなら良いのですけど、変に興味を持たれるのも困りますね」
シノブの警護をするアミィとしては、敵意がないのは助かるが付き纏われても困ると思っているようだ。おそらく自身やシノブの秘密に感づかれるのを警戒したのだろう。
「伯父上に悪気はないのです……ちょっと子供のようなところがあるだけで、良い方なのですよ。それに、統治のほうには全く影響していないのですから……」
自身の伯父のことだけあって、シャルロットは擁護したくなったようだ。美しい眉を顰め困ったような顔をしながら、シノブに伯父について説明する。
「そこまで言われると逆に期待してしまうな……どんな方だか楽しみになってきたね。聡明な方だとも聞いているし、もし捕まったら色々お話させてもらうよ」
シノブは、シャルロットを安心させるように明るい口調で、まだ見ぬ公爵への興味を語った。
「私もなるべく気をつけますから……」
シノブの言葉を聞いて少しは安心した様子のシャルロットだが、まだ不安があるようだ。
シャルロットの表情を見て、そんなに奇矯な行動をする人物なのだろうか、とシノブは疑問に思った。だが、もうじき会えるのだからと思考を切り替える。
仮に本当に警戒すべき相手なら、伯爵達が無策で行くわけもないと考えたのだ。
「お館様、公爵家の館に到着しました」
ジェルヴェの声に、シノブは再び前方を向いた。すると目の前には、ベルレアン伯爵家の館に勝るとも劣らぬ巨大で豪壮な建築物がある。
「さあ、シノブ。ご期待のアシャール公爵に会いに行こう。大丈夫だよ、取って食われはしないさ」
伯爵の悪戯っぽい声に、シノブは大きく頷いた。
変わった人物と噂のアシャール公爵だが、シャルロットの伯父なのだ。ならば先入観に囚われず、会ってみよう。そう考えたからだろう、シノブは自然と笑みを浮かべていた。
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