06.03 問われて名乗るも 前編
シノブ達は、都市アデラールを早朝旅立ち、街道をさらに南下していった。
今日も時折雨粒が落ちる天気で、シノブとアミィは昨日と同様に伯爵の馬車に同乗していた。そしてシャルロットも馬車に乗るよう父に勧められ、結局シメオンやジェルヴェも含めて前日と同じ面々が車内にいる。
「義父上、本当にあの方法で物流を改革するのですか?」
シノブは、代官の館で自身が口にした思い付きが、想像以上に大きく取り上げられたことに、強い困惑を抱いていた。彼の通信や物流センターを意識した発言は、伯爵達にとって画期的な発想であったようだ。
「もちろんだとも。確かにシノブが懸念しているように、すぐに上手く行くとは限らない。それに、この地方の実情に合うかもわからないしね。
だが取り組んでみる価値はあるし、領政を預かるものとしては、新たな取り組みで領内の活性化を図る必要があるのだよ」
ベルレアン伯爵は、シノブの問いに穏やかに答えた。
義父上、シノブと呼び合うようになった二人は、既に実の親子のような親しさであった。特に伯爵は今後の政務を想定しているのか、為政者としての心構えのようなことまで話している。
「閣下の仰るとおりです。シノブ殿の内政家としての能力を示す意味もありますが、私も時間をかけてでも取り組むべきことだと思いますよ」
シメオンも、伯爵の意見を肯定する。
地球の歴史でも、通信技術の発展と共に世の中は大きく変わっていった。シノブが『アマノ式伝達法』として伝えたモールス信号のような通信方法は、この世界に大きな変化をもたらすのかもしれない。
「そうですね。私も成功するよう、出来る限り支援します」
アデラールの代官モデューは、自身の管轄する都市で商人の意見を取り入れつつ試してみると言っていた。シノブは王都から帰ったら、彼の改革の手助けをしようと考えた。
「シノブ殿。私も内政官として大変興味があります。お手伝いしますよ」
内務次官のシメオンは、シノブ以上に領政改革に乗り気であった。そのため、アデラールでの取り組みにも目を配る、とシノブや伯爵へと語っていた。
伯爵やシメオンは、昨日のうちに領都の長官達に簡単な説明を記した手紙を書いていた。彼らに、代官モデューへと協力するように伝えたらしい。
「ところで、王都に行ったら気をつけるべき人はいますか?
フライユ伯爵領の人は当然ですが、他の伯爵や侯爵などで対応に気を配るべき人がいたら教えてください」
シノブは、伯爵に王都で注意すべき人物について質問した。
暗殺事件の背後にいると思われる、フライユ伯爵または彼の領地の人間は当然だが、シャルロットとの婚約の件もある。余計な横槍が入ると思って行動すべきだろう。
「フライユ伯爵を別格としたら、まずはアドリアンかな。なんといってもシャルロットに求婚して負けているからね」
ベルレアン伯爵は、フライユ伯爵の次男の名を口にした。
アドリアンは、以前シャルロットに求婚したが決闘で惨敗したらしい。
シノブは、暗殺事件を調査していた頃、侍女のアンナが『お嬢様にあっけなく負けるような方ばかり』と言っていたのを思い出した。屈辱的な敗北をした相手が何か企むことは充分あるだろう、とシノブは考えた。
「その可能性は高いでしょう。兄のグラシアンも援護してくるかもしれません。彼は名誉を重んずると聞いています」
シメオンは、アドリアンの兄が介入してこないかと言った。確かに、名誉を気にする人物なら、次男の雪辱を果たすために何かしてくるかもしれない。
彼の予想では、例の事件はフライユ伯爵領中心だと思って良いらしい。王家や他の伯爵家には、帝国と行き来する経路がない。フライユ伯爵領の誰かが協力しない限り、帝国とやり取りすることも困難だ。
もし他領に協力者がいるなら、王都の下級官僚の一部が買収されているくらいでは、というのが彼の意見だ。
「ポワズール伯爵家は、お館様の味方をしてくださると思っております。大奥様の甥ですし領地も隣です。それに、大奥様とも王都では親しくされていました」
ジェルヴェは、事件のことからシノブとシャルロットの婚約へと話題を移す。
彼は、先代伯爵の妻マリーズの実家であるポワズール伯爵家は問題ないだろうといった。
ポワズール伯爵領は、ベルレアン伯爵領の西隣であり、フライユ伯爵領とは反対側だ。暗殺事件に関係している可能性も低い。
「そうだな。ボーモンも、私の妹オレリアの夫だ。こちらも隣だから親しく付き合っているよ」
ベルレアン伯爵も、続いて関係の深いボーモン伯爵の名を挙げた。
「ラコスト伯、エリュアール伯、マリアン伯は、それぞれ先王陛下、現陛下に姉妹を嫁がせています。陛下達から了承を得れば、変な動きをすることはないでしょう。
逆に言えば、了承が得られなければ動く可能性はありますが」
シメオンは、残り三家についてシノブに教える。
彼はこの三家は中立的な立場だろうと言う。彼の言うとおりなら、王家から根回しすれば問題ないのだろう。シノブは、以前ジェルヴェから七伯爵の特徴や関係を学んでいたが、改めて頭に叩き込んだ。
「すると事件がらみで注意すべきはフライユ伯爵で、他家は問題ないのですか?」
アミィが伯爵へと問いかける。
シノブの安全に関わることなので、普段控えめな彼女も積極的に質問していた。
「そうだね。婚約に限って言えば、公爵家のほうが問題かもしれないな」
伯爵はアミィの言葉に頷いた。
「はい。侯爵家はシャルロット様の婿となるシノブ殿を準公爵として王家に取り込みたい。逆に、公爵家はシャルロット様が女公爵になれば自分が子爵に格下げされかれない。
そうなると、危険なのは公爵家とその取り巻きかもしれませんね」
シメオンは、王家を官僚として支える侯爵家は王権の強化のためシノブを取り込みたいから、危害を加えることはないと言う。
それに対し公爵家は新家の設立なら良いが、既存の公爵家を奪われることを恐れていると彼は語る。
確かに先王の孫であるシャルロットに公爵位を与えなおし、その婿シノブが準公爵となる場合、彼らのいずれかが子爵位に格下げされる。
厳しい決まりだが、前例に従えば公爵家の数を増やすことはないようだ。
「公爵家ですね! アシャール、オベール、シュラールの三家がありましたね。気をつけます!」
アミィも、メリエンヌ王国の情報は勉強しなおしている。彼女は三公爵の名前を挙げ、警戒すると宣言していた。
「アミィがいてくれれば安心だよ」
シノブは、自分を心配してくれる彼女に微笑みかけた。
「アシャール公爵はカトリーヌの兄だから、問題ないと思うよ。王弟だから格下げの危険も少ないしね。
ともかく、あまり先のことを案じても仕方がない。もっと旅を満喫したほうが良いよ。言ってみれば、これはシノブとシャルロットの婚約旅行なんだからね」
伯爵は、一旦王都のことを気にするのは終わりにしようと言った。そして、折角の旅を楽しむべきだとシノブに冗談を交えながら勧めた。
「そういえば今日の宿泊地、カルリエってどんな町ですか?」
シノブは伯爵の配慮に感謝し、本日宿泊する予定のカルリエの町について質問した。
カルリエはアデラールから南西80kmくらいにある町である。人口はおよそ4500人。王領との境に近いため、今回の旅では領内最後の宿泊地となっていた。
シノブも、それらの情報に加え、街道の宿場町として栄えていることはジェルヴェから教わっていたが、折角なので聞いてみる。
「軍人が多い町ですね。
王領に向けて砦を築くのは禁止されており、ある意味カルリエが王領に接する方面の拠点となっています。もちろん王家に反抗する意図はありませんが、領境を越えて出没する盗賊の討伐などがありますから」
シノブの質問に、伯爵ではなく隣に座るシャルロットが、説明する。
カルリエの町には、通常の町同様に駐留兵が50人配置されている。それに加えて、王領との関所に務める警備隊の住居などもある。
その他にも、巡回守護隊という領内を回って魔獣退治などを行う部隊の拠点もあるそうだ。
そのため、カルリエの町は領内の町としては珍しく高い城壁も持ち、都市に匹敵する堅牢さを誇っていると、シャルロットは話す。
「町としては、大きめの駐屯所もあります」
今まで各家の噂話だったので、真面目なシャルロットとしては口を挟み難かったらしい。しかし軍事は彼女の専門分野だから、シノブに駐屯所の規模や設備などの情報を細やかに伝えていた。
シャルロットの話では、カルリエの城壁内には町としては異例なほど広い駐屯所があるそうだ。伯爵の一行に同行している騎士は5個小隊50名だが、彼らも今日はそちらで宿泊するという。
「なるほどね。事実上の軍事基地という側面もあるのか」
シノブは、シャルロットの説明に感心した。強い絆で結ばれたように見える王家と各伯爵家も、見た目どおり親しくしているだけではないらしい。
「まあ率直に言えばそうだが、王都でそんなことを口にしてはいけないよ」
伯爵はシノブの感嘆する様に微笑みながら、どこか楽しげに忠告した。
どうやら伯爵は、真面目に政治や軍事を語り合うシノブ達をおかしく思ったらしい。確かに内々とはいえ婚約した二人だから、普通なら将来のことでも夢想するだろう。
「わかりました。……そういえば前から気になっていたのですが、義父上の二つ名はどのようなものでしょうか?」
シノブは素直に頷くと、話題を変えた。伯爵が言外に示したものを察し、ならばベルレアン伯爵家の逸話でも聞こうと思ったのだ。
「あっ、実は私もです!」
アミィも興味があったらしく、瞳を輝かせつつ声を響かせる。
何しろ先代伯爵アンリ・ド・セリュジエが『雷槍伯』で、継嗣シャルロットが『ベルレアンの戦乙女』だ。そうなると当代伯爵コルネーユにも、何らかの二つ名があると思うのが自然だろう。
しかし最近は様々な事件があり、シノブ達は聞く機会を逸していたのだ。
「そ、それを聞くかね! そんな人様に言うほどのものではないよ……」
「お館様の二つ名は……」
なぜか伯爵は照れた様子で口篭もる。すると隣に座るジェルヴェが、何かを言いかけた。
「ジェルヴェ!」
慌てた様子の伯爵が、自身の家令の言葉を遮った。しかも普段は温厚な伯爵にしては珍しく、声を大きくしている。
「父上、問われて名乗らないわけにもいかないでしょう。シノブ、『魔槍伯』というのですよ」
シャルロットが笑いを含みつつ、父の異名をシノブに教える。どうやら彼女は、照れを示した伯爵を微笑ましく思っているようだ。
「良い異名では?」
槍はベルレアン伯爵家の表芸だ。そして『魔槍伯』というからには、魔術と組み合わせた槍術だろう。
そのためシノブは似合いの名と感じ、伯爵が何故ここまで恥ずかしがるのか理解しかねた。
「私は父上と違って戦場に出たわけではないからね。それにシャルロットのように民に自然と呼ばれるならともかく、槍術試合に勝った程度で大袈裟だよ。……そもそも『竜の友』シノブの前で魔槍なんて恥ずかしくて言えないね」
若い頃の伯爵は、王都の武術大会で無類の強さを誇ったらしい。
試合での華麗な槍術と、模範演技で披露した家伝の槍術と風の魔術を組み合わせた技。それらに王都の武人達は驚嘆し、国王アルフォンス七世が『魔槍伯』の名を授けたという。
「そんなことはないと思います。あれは話し合えたのが一番です」
義父となる相手の言葉でも訂正すべきと、シノブは素早く反論した。『竜の友』と呼ばれるようになったのは岩竜と会話できたからで、強さとは関係のない要素だと思っていたからだ。
とはいえ伯爵の言葉に異論を示しつつも、最後の大仰な二つ名が恥ずかしいという言葉にシノブは内心密かに同意していた。
「それだけとは思えないがね……」
「シノブも、いずれは武術大会に出てもらうかもしれませんね」
どうも伯爵は反論しかけたようだ。しかしシャルロットが、にっこりと微笑みながら割って入る。
おそらくシャルロットは、シノブが謙遜し続けると察したのだろう。それなら無駄な時間を省いて他のことを語らうのが建設的と、話題を転じたのではないか。
「そうか……。そのときまでに伯爵家の槍術を習得したほうが良いかな?」
シノブは、武術大会に出る自分の姿を想像した。
伯爵家の看板を背負って出るなら、我流よりは伝来の技を披露すべきだろう。そもそも槍の名家に入るなら、それなりの腕がなくては恥ずかしい。
シノブは身体強化による力や速さで補っており、実戦でも問題となったことはない。しかし見るものが見れば無駄があると感じるだろうし、未熟者と失笑されるのではないか。
やはりベルレアン伯爵家が代々伝えた技を修めてこそ、シャルロットの婿に相応しい。シノブは、そう思ったのだ。
「シノブ、それは嬉しいね! シャルロット、当家の技を少しずつでも伝えよう!」
「はい、父上! まずは……」
伯爵とシャルロットはシノブの言葉に大喜びし、早くも修行について相談し始めた。
余計なことを言ってしまったかと、シノブは微笑みつつも頭を掻いた。しかし楽しげな二人の姿を目にし、自身の選択は正しかったと溢れるような満足感を覚えてもいた。
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