06.02 シノブ王都へ行く 後編
シノブ達は、都市アデラールを預かる代官ブレソール・モデューの先導で、代官のための壮麗な公館の中を歩んでいた。
アデラールの中心にある公館は、代官であるモデューの公務の場でもあり、住まいでもある。
伯爵の館を半分以下にしたような、どこか見覚えのある雰囲気の公館には、貴族をもてなす為の大広間や貴賓室もある。
ベルレアン伯爵コルネーユやシノブ達は、一日かけて領都セリュジエールから旅してきた。そこで、まずは一休みするため、建物の左翼二階にあるサロンへと向かっていた。
「閣下、領都からの旅路お疲れでございましょう。さあ、こちらへお掛けください」
代官モデューの勧めを受け、伯爵やシャルロット、シノブにシメオンは着座する。
家令のジェルヴェにアリエルとミレーユ、そしてアミィやイヴァールは、それぞれの主の後ろに移動していった。
「モデュー。アデラールの様子も変わりないようだね」
既に、シノブ達の紹介は済んでいる。
そのため伯爵は儀礼的な会話を省き、対面に座る重臣モデューへと労いの声をかける。
「はい。幸い、この近辺では取り立てて問題はございません。敢えて上げるなら、商人達がさらに増えて通りや街道で身動き取れない件でございますね。非常に嬉しい悩みではありますが」
伯爵の言葉にモデューは相好を崩し、満面の笑みを浮かべた。そして彼は、謙遜めいた言葉を交えつつアデラールの発展具合を語り出す。
にこやかに微笑む押し出しの良い体型のモデューは、その様子から文官というよりは豪商のようにも見えた。もしかすると商都アデラールにいるうちに、彼らの振る舞いに馴染んでしまったのかもしれない。
「そうか。これからもよろしく頼むよ」
伯爵はモデューの大げさな表現を聞き、僅かに苦笑したようだ。シノブ達も来る道で見てきたが、動きが取れないというのは流石に言い過ぎだろう。
「もったいないお言葉。領内繁栄のため、一層励みます」
モデューは伯爵の苦笑など気がつかなかったように、大仰な仕草で頭を下げた。どうも過剰な表現は彼独特の言い回しらしく、伯爵も咎めるつもりはないようだ。
「閣下、お茶をお持ちしました」
代官モデューから都市の様子を聞き取る伯爵と、それを静かに聞くシノブ達。そんな彼らの耳に、優しげな声が響いた。
シノブが声のする方向を見ると、品の良い中年の女性が侍女を連れて佇んでいた。彼女は狐の獣人らしく、明るい茶色の髪の上にはアミィと似た獣耳があり、その背後にも尻尾がある。
「おお、モデュー夫人。元気そうだね」
伯爵は、モデューの妻に優しく声を掛けた。シノブが見るところ、代官モデューは人族らしいが彼の妻は獣人族だったようだ。
この世界の人類には、人族、獣人族、ドワーフ、エルフの四つの種族が存在する。
種族間の混血は可能であり、両親が異なる種族の場合、子供はどちらかの種族になる。そのため種族の違い自体は、婚姻の問題とはならない。
「アデラールは平穏ですので……」
モデューの妻は遠慮がちな性格なのか、言葉少なに伯爵に答える。
種族間の結婚は禁忌ではない。だが実際には、同じような特徴を持つ方が共感しやすいのか、同族同士の婚姻が多いようである。
シノブが今まで会った人々にも、異種族の夫婦は存在しなかった。だが、ジェルヴェから異種族婚は家臣の間でも数少ないが存在すると聞いていた。
シノブは、もしかすると数少ない異種族婚をしたモデュー夫人が、そのせいで遠慮しているのではないか、と思った。
「それはよかった。これからもブレソールを支えてやってくれ」
伯爵の温かい言葉に、モデュー夫人は深々と会釈した。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達はサロンで寛いだ後、各人が滞在する部屋へと案内された。
シノブは、アミィとイヴァールそれぞれの控えの間がついた、一続きの区画を割り当てられた。
「イヴァール、訓練のほうはどうかな? 馬の上でも充分にできた?」
シノブは、半日話をしていなかったイヴァールへと声を掛けた。
「ああ、問題ないぞ。
やはり、お主が言った通り、俺達は筋力を上げる使い方のほうが向いているようだな」
彼は、宣言通り馬上でずっと魔力操作の訓練をしていたらしい。賢い愛馬ヒポは、騎乗するイヴァールが訓練に集中していても、一行から遅れることなく歩んでいたようだ。
「やっぱりそうか。ドワーフ馬もそうだけど、種族の特徴があるみたいだね。もちろん、速く動くこともできるようにはなるだろうけど、力を入れたり集中したりする方が向いていると思うよ」
シノブは、イヴァールの話を聞いて頷いた。
『戦場伝令馬術』に向けた特訓では、何とかヒポに軍馬の素早い動きを修得させた。だが、それぞれの種族には、本来の特性がある。それらを活かした強化のほうが、より大きな成果を得られるだろう。
「そうですね。私も、強化した能力で戦斧の威力を上げたり敵の攻撃を受け止めたりするのが、効果的だと思います。イヴァールさんなら岩猿くらいある大岩でも、受け止められるようになると思います」
岩猿とは、3mもある巨大な魔物だ。
シノブは、イヴァールが直径3mの大岩を弾き飛ばす様子を想像した。シノブは、彼ならいずれ実際にそういった光景を見せてくれるだろうと、期待して待つことにした。
「そうなるよう努力するぞ」
イヴァールも、アミィの勧める方向で考えていたのだろう。彼は、黒々とした髭を撫でながら、力強く宣言する。
そんな風にシノブ達がイヴァールの訓練方針を話していると、代官の部下である従者が晩餐の用意が整ったと伝えに来た。
彼らは、従者に案内され、真下にあたる右翼二階の大広間へと移動していった。
大広間は、既に食事の用意が整っていた。シノブと同様に、従者の先導で伯爵達がやってくる。
「それでは、閣下とシャルロット様、シノブ様の健康を祝して。『全ての命を造りし大神アムテリア様に感謝を』」
代官モデューの寿ぎとアムテリアへの祈りで、晩餐は始まった。
伯爵、シャルロット、シノブにシメオンは、伯爵家の一族という扱いで上座に据えられた。どうやら、モデューも既にシノブとシャルロットが内々に婚約していることを承知しているらしい。
右手には一行の従者として、ジェルヴェを筆頭に据え、女騎士達にシノブの従者であるアミィとイヴァール。左手にはモデュー夫妻が座している。
「閣下。『アマノ式伝達法』ですが、問題なくアデラールまで伝達できました。今回は巡回守護隊に協力してもらいましたが、町々の駐留兵に習得させれば、都市間の連絡が大きく改善されるでしょう」
しばらく食事をしながら道中の話などをしていたが、代官のモデューは、伯爵に新たな伝達方法の試験結果について報告した。
今回の来訪に合わせて、領軍では『アマノ式伝達法』こと、モールス信号のような音や光の長短による通信方法を試験していた。今回は、光の魔道具で夜間の伝達を実験したが、無事に成功したようだ。
「ほう。それは良かった。夜間は早馬も危険だからね。町や近辺に櫓などを新設する必要はあるだろうが、まずは一安心だな」
伯爵の言うとおり、従来の見張り台などでは高さが足りなかったり、遮蔽物があったりして使えない場合もある。そのため、多少の整備は必要である。
だが、それでも伯爵は新たな伝達方法が運用される将来を想像したのか満足げな表情を浮かべていた。
「シノブ殿のおかげで、我が領地も一層の発展が望めそうだ。感謝しているよ」
一応公的な場、ということで、伯爵はシノブに敬称を付けていた。
シノブは、彼の言葉に、軽く頭を下げ、謝意を示す。
「その……シノブ様は、遠い異国からお出でになり、様々な知識を御存じと伺っております。
なんでも、領軍に魔術の鍛錬方法まで伝えていらっしゃるとか……」
モデューは、伯爵とシノブのやり取りが終わったとみて、遠慮がちに話しかけた。
彼の言うとおり『アマノ式魔力操作法』と伯爵が命名した訓練方法は、10月から正式に領軍の訓練手法として採用されている。
「ええ、領軍に教えた訓練法は、故国の方式ですね」
シノブは、彼の言葉に頷いた。
三大都市の代官は家臣とはいえ長官級の高官だ。軍であれば司令官に相当する。シノブは、重臣が発した唐突な問いの意図が読めず、慎重に言葉を選んで答えた。
「どうしたのかな? シノブ殿は本当に色々な事を知っている。聞きたいことがあるなら、この機会に聞いておくと良い」
伯爵はモデューの心中を察したらしく、彼に続きを促した。
「はっ、それでは……。実は、サロンでもお伝えしましたが、アデラールは非常に繁栄しております。ですが、その繁栄に町の整備が追い付いていない状況でして。
町に搬入搬出する物資も多く、隊商や馬車に関する諍いも、少しずつ増えております。
もし、よろしければ、お国の都市や商人がどうしていたのか、お教えいただけないかと思いまして」
サロンでのモデューの報告は大げさではあったが、一応根拠はあったらしい。
彼は、無秩序に増えていく商人や馬車により、町の治安が悪化したり商売が滞ったりするのを恐れているようだ。
シノブは、彼の話を聞いて困惑していた。
彼は、地球では普通の大学生だった。しかも入学して最初の夏休みでこちらに転移してきたのだ。都市運営や商業についての知識を持ち合わせているわけではない。
「……領都やアデラールは、道路も整備されているし、城門を通る時も入る方と出る方を分けているし。そうなると、交通方法の整備では意味がないか……」
シノブは、思わず誰に言うともなく呟いた。
「確かに、街道や大通りは充分整備されているはずだ。荷の積み降ろしの問題では?」
シャルロットが、悩んでいるシノブを見ながら、モデューへと質問した。
軍人である彼女は、街道や都市の道路に関しては、ある意味官僚以上に詳しい。そのため、自身の知識を活かしてシノブの手助けがしたかったのだろう。
「いえ、商業区には馬車を置く区画も用意していますし、そちらは大丈夫です。とにかく、出入りする荷が多くて困っているのです」
モデューは、荷を扱うための場所などは充分に用意しているという。
「出入りする荷物が多いのは、不要な物が多いからでは? ここは交易の要衝だから、中で消費するものはともかく、生産している物は少ないと思うのだけど?」
シノブは、モデューの説明が気になった。彼は、東京の交通渋滞は都内に入る必要のない車が通過することも原因の一つだ、とニュースか何かで聞いたことを思い出した。
彼は、モデューが純粋に都市運営を案じているだけだと理解し、少し気安げな口調で話しかけた。
「はい、仰る通りです。ただ、お言葉の通り交易のため、一旦アデラールで泊まって旅立つ者もいれば、ここに拠点を置く商人が在庫を蓄積させることもありまして……」
モデューはシノブが交通問題に詳しいと思ったのか、嬉しそうな顔で返答した。
「このアデラールは大きな都市だけど、全ての物資をここに集中させるのは非効率では?
周辺の町などに倉庫を作って、そこから近くに輸送すれば解決できるかも……」
シノブは、大都市の近くにある物流センターを思い出した。彼は、ネット通販などで購入するものが近隣の県の拠点から配送されてくると、テレビの特番や配送履歴の追跡サービスなどで知っていたのだ。
「商人達は、自分の近くに商品を置いておきたいのでしょう。それに、町や村まで指示を出すのも大変ですから」
モデューは、シノブの考えは理解したようだが、商人達の手間や時間がかかるとシノブに説明した。
「指示なら『アマノ式伝達法』を活用しては?
商人達にも、一回いくらで使用させれば、領軍の副収入になると思う。そうすれば、通信用の櫓の維持費くらいは出るかもしれないし」
シノブは、電報などの仕組みを思い浮かべながら、モデューに説明する。
彼は、モールス信号のおかげで電信が急激に発達したことを思い出したのだ。
「なるほど! 確かに、そうすれば指示は早く出せるし、アデラールまで集積して再度近隣まで輸送する必要もない!」
伯爵は、シノブの語る内容に驚愕したようで、大きな叫び声を上げた。
「それに、どこの物資が足りなくなったか『アマノ式伝達法』で連絡すれば、在庫の融通もできますね。夜間だけでなく、日中も利用できるような伝達方法の開発も必要ですが。
商人達も、高い賃料を払って都市の倉庫を借りなくても良いなら、諸手を挙げて賛成するかもしれません」
シメオンも、商業上の利点を思いついたようだ。彼にしては珍しく、顔を紅潮させていた。
「そう上手くいくかわからないですよ。こちらの商売のやり方に合うか、という問題もあります」
シノブは、念のため伯爵に釘を刺した。賢明な伯爵は理解していると思っていたが、あまりに自分の思い付きが大きな反響を得たので、伝えておく必要があると思ったのだ。
「いや、それはわかっているよ。
モデュー。軍では手旗信号などの活用も考えている。まだ検討中だが……」
伯爵はシノブに頷くと、日中の伝達に関する領軍での検討状況をモデューに伝えた。
問題点はあるかもしれないが、新たな産業振興に繋がると考えたのか、彼はこの件を思いつきのままで終わらせるつもりはなさそうだ。
「シノブ様、恐れ入りました。すぐに実現するのは困難かもしれませんが、絶対に形にしてみせます。ええ、これは私の使命ですとも!」
代官のモデューも感激した様子で、自分の手で実現させてみせるとシノブに誓っていた。
シノブの発想が領内の経済活動を大きく変えると予感したのか、シャルロットは誇らしげな顔で隣に座る婚約者を見つめていた。
お読みいただき、ありがとうございます。




