28.26 蛙愛づる姫君
シノブとアミィが四頭の嵐竜と語らっているころ、金鵄族のミリィは王女メルネフェルの部屋に向かっていた。
もちろん本来の姿ではなく、ケームト王国の少女マァトに変じたままだ。王宮侍女の衣装に着替え、案内する女官の後を静々と歩んでいる。
服は双方とも刺繍された白い長衣、ただし先導役の方が手が込んでいる。少女マァトは見習いだから、飾りも地位相応に簡素なのだ。
「繰り返しますが、特別扱いはしませんよ。見習いは外出禁止、実家に何かあっても帰れません。例外はメルネフェル様に随伴するときのみです。いくら貴女の踊りが見事でも、ここでは単なる侍女です。陛下に認められたからといって、思い上がらないように」
女官の言葉には、隠しきれぬ棘があった。
確かに少女マァトの舞踏は素晴らしかった。国王アーケナが空前絶後と賞し、王女メルネフェルが側に置きたいと願うのも理解できる。実際に多くは、それも当然と受け止めたようだ。
しかし一部だが、警戒心を抱いた者達もいる。
マァトが国王や王女に取り入り、国政に悪影響を及ぼすかもしれない。新たな勢力を形成し、自分達の既得権益を脅かすかもしれない。こういった不安が広がったのだ。
「承知しております」
対するミリィだが、卒のない返答でやり過ごす。
王族の側仕えになるのだから、相応の反発があるのは想定済みだ。むしろ諸手を挙げての賛成など、不自然極まりない。
実際に舞踏の際、王妃イティは強い反対を示した。
マァトの推薦者として同席したバーナルとその母セプストにも、イティは隔意を隠そうともしなかった。どうも彼の台頭を恐れているらしい。
イティがアーケナと成した息子達は、魔力不足で王族級の鋼人すら動かせない。それに対しバーナルは王族級を操れるし、先々は王の鋼人もと期待されている。
ケームトでは王の鋼人を動かせる者が王位を継承するから、バーナルは次代国王の最有力候補だ。そして彼は傍系王族だから、即位するなら王女に婿入りさせるのが妥当である。
しかしイティからすると、これは次善の選択ではないか。
最善は王子達のどちらかの即位、したがって現時点で王女の婿を確定させたくないのでは。このような意見はイティの側仕えを中心に多いし、その前提で動く者達も珍しくない。
おそらく先導する女官も、イティ派の一人だろう。そのためミリィも普段の奔放さを隠し、侍女らしい態度に徹していた。
「一部の場所を除き、魔術の使用は禁止されています。外との連絡は家族との手紙だけ、検閲もします。取り寄せは許可されたものだけ、もちろん持ち込むときは厳重に調べます。よろしいですね?」
「はい、王族の方々に接するのですから当然です」
少々くどい注意にも、ミリィは動じない。
実は王宮に入る際も、厳重な検査があった。私物の持ち込みは一切許されず、服も下着を含め全て用意されたものに替えたのだ。
例外は変身用の足輪のみ、これは神具の効果で誰にも認識されなかった。
「……その言葉、くれぐれも忘れぬように。ここがメルネフェル様の居室です。声をかけるまで、そこで待ちなさい」
少しの間は、難癖を付けようとしたからか。しかし落ち度を見いだせなかったようで、女官は扉をノックする。
一方のミリィだが、微かな吐息と共に少しだけ表情を曇らせた。
視線の先には、古代エジプト風の平面的にデフォルメされた壁画がある。そして絵の真ん中には、夕日を模した頭を持つ異形が大きく描かれていた。
この『黄昏の神』をアーケナが奉じたのは約十年前、そして王女メルネフェルは十二歳だ。したがって彼女は物心ついてから『黄昏の神』だけを見てきたことになる。
そのため『果たして王女が信ずる神は』と、ミリィが案ずるのも無理はない。
◆ ◆ ◆ ◆
王女の居室は南面が大きなガラス窓で、綺麗に整えられた庭が一望できた。
涼むためか、部屋の近くには大きな池がある。庭の半分を占めるくらい広く、中央の島には立派な東屋があるほどだ。
そのため部屋には池からの反射も差し込んでくるが、レースのカーテンで程よく遮っているし冷房の魔道具があるから暑くない。
室内は広く、家具は全て壁際に寄せられている。誇張ではなくダンスパーティーを開けるほどだ。
踊りの得意なマァトを侍女にするくらいだから、メルネフェル自身も舞踏を嗜むのだろうか。
「一差し所望しても、よろしいでしょうか」
「もちろんでございます」
王女の言葉を受け、ミリィは舞いを披露する。
踊り場としたのは南側、そして王女メルネフェルが反対側に座す。低めの長椅子に王女、その後ろと両脇に侍女達が侍る。
侍女達は王女より十歳ほど上、つまり二十歳を少々超えている。イティが娘の世話役に選んだのは、お目付け役が中心のようだ。
「……お目汚しでございました」
「そんなことはありません。とても感動しました」
踊り終えたミリィが一礼すると、メルネフェルが涼やかな声で応じた。そして侍女達が、主の言葉を飾るかのように拍手を添える。
「こちらに」
メルネフェルが自身の手前を指し示すと、侍女達は静々と動き始める。
王女が示した場所にクッションを置き、飲み物を用意し、果物を盛った皿を運び。長い時間を共にしているらしく、阿吽の呼吸で場を整えていく。
「失礼します」
「本当に見事でした。セプスト様から教わったのですか?」
ミリィが腰を下ろすと、王女は待ちきれないといった様子で問いかける。
これまでと違い、今のメルネフェルは年齢相応に映る。よほど聞きたかったのか、僅かに身を乗り出しているくらいだ。
「いえ、バーナル様のところに上がる前からです」
「そうですか……」
望む答えではなかったらしく、メルネフェルは顔を曇らせた。どうも彼女はバーナルやセプストのことを聞きたいらしい。
相手は夫になるかもしれない男と、その母親だ。したがって興味が湧くのは当然ではある。
「メルネフェル様、マァトがバーナル様のところで働くようになったのは、ごく最近だと聞いています」
「そういえばマァト、なぜ貴女は王宮侍女を志したのですか?」
場の空気を変えようと思ったのか、侍女達は話題を転じていく。
やはり彼女達はイティ派で、バーナルやセプストに触れたくないのか。それとも王女の沈んだ様子を見かねただけか。
どちらにせよ早合点は禁物だろう。
「王宮で働くのは非常に光栄なことですし、中でも王宮侍女は憧れの仕事です。それに私、王の鋼人を見たかったんです」
ミリィは無難な返答に続き、恥ずかしげに頬を染める。
まずは王宮勤めへの憧れを示し、続いて侍女達を持ち上げ、そして幼さを滲ませた一言を添える。最後は少しばかり唐突だが、マァトは十歳だから子供じみた願いも不自然というほどではない。
「まあ……。ですが、それは難しいと思います。普段はメーヌウ湖の島に置かれているのですよ」
「中央近くの島だとか。警備を担当した兵から聞きました」
「数え切れないほどの鋼獣に分けて格納されているそうです」
幸い怪しまれずに済んだようで、メルネフェル達は笑みを浮かべた。そして侍女達も含め、自身の知識を披露していく。
もっとも、これらはミリィにとって既知の事柄だ。なにしろ彼女は、島にある格納庫に潜入して王の鋼人とも相まみえたのだから。
しかし次の一言は、今まで集めた情報に含まれていなかった。
「ええ、王の鋼人が三つは作れると聞きました」
「凄いですね~! あっ、失礼しました!」
王女の言葉は相当な衝撃だったようで、ミリィは普段の口調に戻ってしまう。ただし子供っぽさを強調したのみらしく、周りは再び笑みを浮かべている。
やはりミリィが見せた幼さは、侍女達の警戒心を解くのに役立ったらしい。
◆ ◆ ◆ ◆
メルネフェルの日常は、王女ということを差し引いても随分と窮屈なものだった。
外出は神殿での修行のみ、しかも巫女の技を修めた後は激減したという。他に外との接点といえば、バーナルと交わす文くらいだ。
しかも、その手紙ですら自由に書けないという。
「実は、全て代筆していただいているのです。幼いころならともかく、もう自分で書けるのに……」
「わざわざメルネフェル様のお手を煩わせることはありません」
不満そうなメルネフェルに、最年長の侍女が諭すような口調で応じた。
バーナル宛の手紙も、この侍女が全て代わりに記したという。おそらく余計なことを書かせないよう、王妃イティが指示したのだろう。
「ですが、私の気持ちをお伝えするのですから」
「畏れながら、婚約が正式に決まるまではお控えください」
「これは王位継承にも関係する、極めて繊細な問題なのです」
メルネフェルは納得できないようで言い募るが、侍女達は首を振るばかりだ。
今のところバーナルが婿の最有力候補だが、先々もっと相応しい者が現れるかもしれない。そのときバーナルへの好意を示す文書があれば騒動の元になるし、最悪の場合は国を割っての争いに発展する。
このように侍女達は反論した。
「せめて初めてお会いしたときの誤解を解きたいのです。泣いてしまったのは、清蛙族様と勘違いしたからなのに……」
「確か、カエルの姿をした眷属ですよね? でも、それは……」
王女の意外な告白に、ミリィは思わずといった様子で問いを発する。
清蛙族とは、古代エジプトの女神ヘケトをモチーフにした眷属だ。そしてヘケトの姿は、カエルそのものか人身蛙面とされている。
創世期にケームトを担当したのは海の女神デューネだが、海生動物は人々を導くのに向いていない。そこで配下の仮の姿の一つに、カエルを選んだのだ。
しかし現在ケームトで神とするのは『黄昏の神』だけ、そして王女がバーナルと会ったのは五年前だ。つまり黄昏信仰になってから随分と経っている。
国王アーケナは従来の信仰を廃して『黄昏の神』のみを崇めるように命じた。そのため下手な言葉は禁物、そもそも今は侍女見習いだから質問できる立場でもない。
そのためミリィは途中で口を噤んでしまう。
「大丈夫ですよ。昨年私はデューネ様から神託を授かりましたが、お父様は誉めてくださいました」
「陛下が黄昏信仰を立ち上げたのは、腐敗した神官達を排除する方便です」
「外では伏せてもらいますが、ここではアムテリア様達への信仰を隠す必要はありません」
黙した理由を察したらしく、メルネフェルと侍女達は微笑みと共に内情を明かしていく。
ケームトの神官達は治水も担っており、王家に干渉するほどの権勢を誇っていた。そこで彼らを排除しようと、アーケナは黄昏信仰を興したという。
王女が神殿で学んだ巫女の技も、従来と同じアムテリア達に祈りを捧げるものだ。アーケナが本心から『黄昏の神』を信じているなら、そのようなことを学ばせる筈がない。
「そうだったのですか」
一方のミリィだが、どう受け取るべきか迷ったらしく無難な返答で応じる。
潜入調査の主目的はアーケナの意図を探ることだから、これが本当なら大きな進展があったことになる。しかし彼自身に確かめたわけではないし、王女達が騙されているかもしれない。
それに少々邪推じみているが、これが試しという可能性もある。『黄昏の神』を信じているか調べるため、という見方だ。
そういった考えに立てば、言質を取られるようなことは控えるべきだろう。
「話を戻しますが、泣いたのは眷属様が現れたと思って感動したからです。本当はバーナル様にお伝えしたいのですが、お母様がお許しくださらなくて……」
「バーナル様の顔がカエルに似ていて怖かったからという噂ですが」
あまりに意外だったからか、ミリィは少々余計なことを口にしてしまう。
バーナルが女性を苦手としているのは、王女との初対面で泣かれたのが大きく影響したようだ。元から武術一筋で女性と縁が無かったのもあるが、この一件で更に悪化したらしい。
これらをミリィはバーナル邸で侍女として働いたときに聞いているから、なおさら驚いたのだろう。
「カエルは好きですよ。外の池でも飼っていますし。それにバーナル様のお顔は力強くて素敵だと思います……」
頬を赤く染めての返答だから、王女が本心を明かしたのは間違いないだろう。それに侍女達には周知のことらしく、いずれも平静なままだ。
「はい、立派なお方だと思います」
ミリィは顔を綻ばせる。
これをバーナルに伝えたら、女性への苦手意識が解消されるかもしれない。どうやら彼女は、そう受け取ったようだ。
今の姿は十歳の少女マァトだが、柔らかな笑みと声音には大人びた深みがあった。
◆ ◆ ◆ ◆
ケームトの昼は暑すぎるから、多くは日陰で休む。王女達も例外ではなく、休憩時間としていた。
しかしミリィは庭を散策したいからと外に出た。そして王女の部屋からも見える、池の中にある小島へと歩んでいく。
ケームトの王都アーケトは北緯14度ほど、太陽は真上近くに位置している。しかも快晴だから、誇張ではなく焼けるような暑さだ。
そのため誰も付いてこようとしないが、むしろ都合が良い。これからミリィは、同僚にして姉貴分のマリィと語らうからだ。
小島を選んだのは理由がある。
王宮は原則として魔術の使用を禁止しているが、ここで暮らす者達が学ぶ場も必要だ。そのため練習場として、この小島には魔力感知用の装置を含め一切の魔道具を置いていない。
これをミリィは王女との歓談で知ったから、わざわざ強い日差しの下へと出てきた。そして最も熱い時間帯に修行しようという変り者はいないらしく、彼女は島を独り占めできた。
「……良かった」
ミリィが見上げた先、遥か上空には鷹が舞っている。もちろん情報交換すべく訪れたマリィだ。
ちなみに今のマリィは本来の青ではなく、幻影の神具で茶色の鷹に見せかけている。
「それでは始めますか」
そう呟くと、ミリィは手を挙げたり降ろしたりステップを踏んだりと踊りめいた動作をする。もしもシノブかアミィが見たら、パラパラのようだと評するだろう。
もちろん遊んでいるのではなく、『アマノ式伝達法』に則った通信をしているのだ。彼女は『ここに降りてください』と示している。
降りるだけなら大丈夫だろう。そう思ったのか、マリィは素直に妹分の指示に従う。
──ここは監視用の魔道具がありません~。だから思念を使えますよ~──
笑顔で迎えたミリィは、普段より抑えた魔力波動で事情を伝えていく。
後宮ではアムテリア達への信仰が維持されていること、王の鋼人は最大で三体用意できるらしいことなど。これらはマリィも強い興味を覚えたらしく、静かに聞き入っている。
──それと王女はバーナルさんの顔が怖くないそうです~。『バーナル様のお顔は力強くて素敵だと思います』って言っていたんですよ~──
──ミリィ、こちらも進展があったのよ。シノブ様が嵐竜達から聞いたの──
最後の一言は、あまりマリィの心に響かなかったようだ。ミリィと違い、バーナルとの接点が少ないから仕方ないことではある。
──ワーニャという第二世代で最年長の嵐竜が、大河イテル上流のダム湖にいるそうよ。デシェのオアシスに駐留している部隊から、飛行船と磐船を数隻ずつ派遣したわ──
──『ネチェルクフの大堤』に棲んでいるのですか~?──
マリィの言葉が意外だったのか、ミリィは首を傾げる。
ネチェルクフは初代国王の名、そして『ネチェルクフの大堤』は彼が治水学者ケレプアレクと呼ばれていたころに築いたとされる堰だ。ただし、ここもデシェの領域という巨大魔獣が犇めく場所で、ケレプアレク達以外に行った者はいない。
そんな魔境だから超越種が棲んでいても不思議ではないが、嵐竜は子育てを別にすると定住しない種族である。しかも水中で暮らすことはない。
──近くの高山にいるらしいわ。ワーニャは千歳近くだから、終の棲家と定めたのね。それとワーニャはケレプアレク達と面識があるの。『ネチェルクフの遠征』に同行した嵐竜は、おそらく彼女でしょう──
──なるほど~──
マリィの言いたいことを理解したらしく、ミリィは顔を綻ばせる。
シノブの夢では、人の姿に変じたワーニャがケレプアレクや彼の妻ネヘイトと語らっていた。そして会話から察するに『ネチェルクフの遠征』から五十年は後、つまりケレプアレクが初代国王になる少し前らしい。
しかし通説によれば、嵐竜は遠征の直後に姿を消したとされている。
──真実を知る者がいるとすればケームト王家のみでしょうね。だから調査してほしいの──
──了解しました~。ところで私からも、お願いがあります~。王女に嫌われていないと、バーナルさんに伝えたいんです~──
マリィの指示をミリィは受け入れたが、代わりに頼み事をする。
王女の手紙は侍女が代筆するし、ミリィが出す場合も検閲される。これらは既に伝えたから、マリィも途中までは静かに聞いていた。
とはいうものの、次の一言には衝撃を受けたらしい。
──できれば直接ですね~。なんとかして二人を会わせたいです~──
──どうやって? それに私の一存では決められないわ──
バーナルとメルネフェルを対面させるなど王妃イティが許さないし、王宮の外に連れ出したら大騒ぎになるのは確実だ。そのためマリィが難色を示すのも当然だろう。
──ですよね~。だからシノブ様に聞いてください~──
──無駄だと思うけど、一応お耳に入れておくわ。それじゃ戻るわね──
あくまでも前向きな妹分に、マリィは呆れを滲ませつつ応じた。そして彼女は別れの言葉を残して舞い上がる。
実は侍女が庭に現れたのだ。どうやらミリィを探しているらしく、辺りを見回しながら歩いている。
「マァト、そこにいたのですね」
「すみません、今戻ります!」
やはり探していたらしい。ミリィはペコリと頭を下げ、彼女に向かって駆けていく。
◆ ◆ ◆ ◆
王女の居室に戻ると、侍女達が文机を出していた。
文机は床に座って使うもので、その前にクッションを敷いて最年長の侍女が座る。さらに同じ型の机とクッションが、その隣に並べられた。
「バーナル様とセプスト様に、お礼の手紙を出そうと思います。マァトも書いてみては?」
メルネフェルは空いたクッションを指し示す。
ちなみに彼女はソファーに腰かけたままだ。本当は自身で手紙を書きたいだろうが、それは禁じられているから仕方ない。
「ご配慮、ありがとうございます」
無事に採用されたから、礼状を出すのは自然なことだ。そこでミリィは文机の前に腰を下ろす。
紙はパピルスに似たもの、筆は葦ペンだ。エウレア地方で使う羊皮紙とは書き味が随分と違うが、既にミリィは充分に慣れている。
「これで良いでしょうか?」
「ええ、大丈夫です」
ミリィが書いた手紙を侍女の一人が確認し、問題ないと頷き返す。
検閲されるから書ける内容も限られる。そのためミリィは定型文というべき簡潔な文面にしていた。
それに対しメルネフェルは、なかなか纏まらないようだ。
「その……『今日はお会いできて嬉しゅうございました』と書きたいのですが」
「申し訳ありませんが、それは……。『良い侍女を紹介してもらい感謝しています。バーナル様の御配慮、嬉しく思います』としましょう」
メルネフェルが口にする率直な好意を、侍女は間接的なものに置き換えていく。それでも『嬉しい』という言葉を残すあたり、王女の気持ちも汲んでいるのは間違いない。
側近達はイティが付けた監視役のようだが、愛情を篭めて世話しているのも確からしい。長く仕えたから情が移ったのだろう。
行動を制限するのは、メルネフェルの立場を悪くしないため。現時点で彼女とバーナルが接近したら、王妃イティから睨まれる。可哀そうだが、今は距離を置くしかない。
どうやら侍女達は、そう考えているようだ。
メルネフェルも察しているらしく、修正に不満を述べはしない。そのため三十分ほどで手紙が完成する。
しかし筆記役の侍女は文机から離れない。彼女は今書いたばかりの手紙を別の紙に写し始めたのだ。
「メルネフェル様は、ご自分が出す手紙の写しを保管なさっているのです」
「頂いた手紙も含め、あちらの棚に仕舞われるのですよ」
侍女の一人が示す先には、重厚な家具が置かれている。
高さは大人の背丈ほど、幅は両手を広げたほどで奥行きもある。観音開きの扉には細かな彫刻まで施された、芸術品と称すべき品だ。
「それではメルネフェル様、お願いします」
「ありがとう」
王女は写しを受け取ると、棚へと歩んでいく。どうやら自身の手で収めるようだ。
「あの、私が……」
「あれはメルネフェル様しか開けられません」
「持ち主の魔力波動が鍵になっているので、他の人ではダメなのですよ」
立ち上がろうとしたミリィを、侍女達が押し留める。
この鍵も初代国王ネチェルクフが遺した技術の一つだが、王家の秘術として一般には公開されていない。王族の葬祭殿などにも使われており、仕組みを知るのは代々の国王のみだという。
「お父様の書庫を始め、王宮では多くの場所に使われています」
そう言うと、王女は両開きの扉に手をかけて魔力を注ぎ込んだ。すると僅かな間の後、扉が静かに開いていく。
一方のミリィだが、その様子を注視しつつも少しばかり顔を曇らせていた。
国王アーケナの書庫は、彼の魔力波動でしか開けられない。つまりミリィが密かに調べるのは不可能に近いというわけだ。
他の重要な場所も同じだろうから、当面は王女達からの聞き込みくらいしか出来ないと思われる。せいぜい王女や侍女達が持つ書物を見せてもらうくらいか。
「どうしたのですか?」
「い、いえ……。王宮は凄いな、と思いまして……」
気遣ったらしい先輩侍女に、ミリィは苦しい言い訳をする。幸いにも疑われなかったようで、周囲には理解の色が広がっていった。
「これから学べば大丈夫ですよ」
「はい、頑張ります!」
写しを収めたメルネフェルが微笑みを向けると、ミリィは輝く笑顔で応じた。そして再び彼女達は語らい始める。
どうやら王女達の午後は、新人侍女マァトとの懇親会になるようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
それから数時間が過ぎたころ、遥か西のメリエンヌ王国でも宴が始まっていた。
場所は王都メリエの水晶宮、集う人々はエウレア地方の重鎮達。午前中に聖地サン・ラシェーヌで神事を執り行った一同が王都に戻り、交歓すべく午餐会に移ったのだ。
エウレア地方の午餐会は立食形式が一般的で、今回もそれに倣っている。そのため多くは歓談と食事を楽しみつつテーブルの間を行き来しているが、そうもいかない者が広間の中ほどにいた。
それはシノブ、アマノ王国の王にしてアマノ同盟の盟主を務める青年だ。
愛妻シャルロットに婚約者のミュリエルとセレスティーヌ、そして最も信頼する側近アミィ。この四人も側にいる。
「大聖堂での剣舞奉納、とても感動しました。それに今のお姿も」
「ありがとうございます」
何十回となく繰り返された賞賛に、シノブは無難な言葉で応じた。
光の神具が揃って一周年を祝う場だから、所有者のシノブに注目が集まるのは当然だ。しかも今も四つの神具を全て着けたままだから、せめて一言だけでもという者が行列を作る。
既に各国の統治者や準ずる歴々とは言葉を交わしたが、この機会にという者が途切れることなく押し寄せてくる。
普通なら『このあたりで』と終わりにしてもらうところだが、光の神具は元々メリエンヌ王国の秘宝だったから断りづらい。そもそも祝宴で神具を着けているのも、一年ぶりに見てもらうのが目的である。
それに大半は顔見知りだ。かつて共に戦った人々、妻や婚約者達の縁戚や知人、アマノ王国に移籍してもらった者達の親兄弟や友人など、親しい人や恩義のある人は無数にいる。
そんなわけでシノブは会話を楽しんでいたが、その中で繰り返される質問があった。
「リヒト殿下をお連れにならなかったので?」
「今回は朝から晩まで予定が詰まっていますから」
シノブが微笑みと共に応じると、相手は納得したような表情となる。およそ半数が、こういった問いを発するのだ。
しかしシノブの答えは表向きのもので、本当の理由は別にある。
──まさか神具を動かせるとはね──
──貴方の子です。いつかは、と思っていましたが──
──でも、ここで明かしたら大騒ぎですね──
次の相手が進み出る間、シノブはシャルロットやアミィと声なき会話を交わす。それに思念を使えぬ二人、ミュリエルとセレスティーヌも困惑まじりの感情を面に浮かべた。
これまで光の神具を動かせるのは、シノブと彼に仕える眷属のみだった。しかし出立前にアミィがテーブルに並べたとき、つかまり立ちで覗き込んだリヒトが光の首飾りをつまみ上げた。
リヒトが神具の後継者になれると分かったのは喜ばしいが、一層の注目を集めるから当分は伏せておきたい。そこで今回はアマノシュタットで留守番となったのだ。
そんなことをシノブが思い起こしていると、脇から声が掛かる。
「シノブ様、お耳に入れたいことが……」
呼びかけたのはマリィだ。目立たたないようにと思ったのか、アマノ王国の王宮侍女に扮している。
「少々失礼します」
シノブは挨拶待ちの者達に断りを入れ、シャルロット達と共に歓談用の部屋に移った。そして皆が腰を下ろすと、マリィは間を置かずに語り始める。
もちろん内容は、ケームトでミリィから聞いた事柄だ。
「王女をバーナルと会わせたい、か……。やってみる価値はあるな」
「そうでしょうか?」
シノブの言葉が意外だったらしく、マリィは驚きの表情となった。彼女は意図が分からぬといった様子で、続く言葉を待っている。
「王女の魔力波動がトトの……ネフェルトートの父親を確かめる手がかりになるかもしれない。彼の母は先王妃ヘメト、これは出産に立ち会ったセプストさんが証言したから確かだ。だが先王メーンネチェルは長く子を得られなかったから、弟のアーケナが代役を務めたのでは、と疑われている。しかし……」
「メルネフェルはアーケナとイティの子。もしトトさんがアーケナの子なら、いくらかは魔力波動が似ている筈。シノブ様なら分かるかもしれませんね」
シノブが考えを明かしていくと、アミィが後を引き継いだ。
魔力波動で血縁関係を探るなど普通は無理だが、シノブは別だ。もしネフェルトートがメーンネチェルとヘメトの子ならメルネフェルは従姉妹、彼がアーケナとヘメトの子なら異母兄妹となる。確実に判るとは限らないが、やってみる価値はある。
「ですが、アーケナの目を盗んで連れ出せるでしょうか?」
「そうですわ。王宮に侵入するのは難しいのでしょう?」
問題点を挙げたのは、ミュリエルとセレスティーヌだ。
メルネフェルが外出するのは神殿に行くときだけ、そのときも予定外の行動など許されない。そして王宮には検知用の魔道具が無数に仕込まれており、魔術を使ったら即座に分かるという。
「外で会うのは大前提だ。それにアーケナが来てくれるなら好都合だよ」
「魔力波動を確かめられるからですね」
どうやらシャルロットは、最初から夫の狙いを察していたらしい。彼女は承知していたと示すかのように、大きく頷いてみせる。
「そんなわけでマリィ、大変だと思うけど段取りを頼むよ」
「問題ありませんわ。ミリィに苦労してもらいますから」
丸投げと言うべきシノブの言葉にも、マリィが動じることはなかった。
普段ミリィに振り回されているから、たまには逆もと思ったのか。それとも単なる冗談か。
いずれにせよ彼女なら上手くやるだろう。自信満々の返答には、そうシノブ達が信じるだけの何かが宿っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。