28.23 ケームトの伝説
アミィがケームトでミリィ達と語り合った数時間後、遥か北のメリャフスクではネフェルトート達が鍛冶工房へと向かっていた。
案内するのはヤマト王国の王太子健琉、ただし全高10mほどの巨大鋼人に憑依しての移動だ。そしてトト少年ことケームト王国の王族ネフェルトートも、三割ほど背が低い鋼人で続く。
憑依中は体を動かせないから、自身が操る巨像に運ばせている。どちらも絶世の美少年と呼ぶべき容貌だから、まるで巨人が姫君を抱えているようだ。
大通りをゆっくりと歩む二体の鉄巨人、腕の上で瞑目する美形二人。夕日が優しく照らし、彩りを添える。まるで絵画のような光景は、どこか幻想的にすら映る。
ただし像の大きさや術者の美貌を除くと、今のメリャフスクでは日常の一部でもあった。
「協力、感謝する!」
「助かったぞ!」
鋼人の周囲では感謝の言葉が絶えないが、ざっくばらんな言葉が殆どを占めている。これは道行く人々の殆どがドワーフだからだ。
創世期以来、メーリャ地方はドワーフ達が暮らす場だった。
かつて地方全体を統一したメーリャ王国。分裂後の東メーリャ王国と西メーリャ王国。いずれも他種族の定住者は皆無に近いという。
ここメリャフスクは統一時代の都、今は東西の狭間だが地理的にはメーリャの中心だ。そのためアマノ王国自治領として生まれ変わった後も、他種族の居住者は一割に満たない。
アマノ王国は多種族国家だが、自治領の長となったパヴァーリを筆頭に移住者の大半はドワーフなのだ。
ちなみに憑依術を使えるドワーフは極めて稀だ。そのため本来なら鋼人や木人を目にする機会は滅多にないが、ここメリャフスクは少々違っていた。
この地は東西分裂のときに打ち壊され、三ヶ月ほど前までは廃都と呼ばれていた。現在は東西を繋ぐ場となったが、百日足らずで元通りになる筈もない。
そこで各地から復興支援者が多数訪れたが、その中に憑依術者もいた。メーリャの鋼は硬化の術が通りやすく、鋼人向きの素材として注目を集めたのだ。
そのためドワーフ達も当初のように驚かず、このように親しげに声をかけるようになった。
『お力になれて嬉しいです! それに良い修業になりました!』
『ええ、やはり実践が一番です』
鋼人の発声機構から、厳つい姿に似合わぬ涼やかな声が響く。先んじて喜びを表したのがネフェルトート、そして続く落ち着いた言葉がタケルだ。
この日、二人は街の修復に加わった。憑依術の上達に最適だと、タケルが誘ったのだ。
ネフェルトートの願いはケームトをアムテリア信仰に戻すことだが、現国王アーケナが自ら興した黄昏信仰を捨てるとは思えない。つまり彼を退位させて新王を立てるしかないだろう。
幸いネフェルトートは非公表ながらも王族と認められているから、王族級の鋼人を操れたら次期国王候補になれる筈だ。しかし王族級は大人の十倍近い背丈があり、今のように全高7mほどが限界では話にならない。
そこでタケルは、更なる経験を積ませようと考えた。
『タケルさん、ありがとうございます。この大きさにも、だいぶ慣れてきました』
職人達と別れて工房街に入った直後、ネフェルトートは礼の言葉を口にした。
二日前に彼が動かしたのは、今より二割ほど背が低い鋼人だった。タケルとリョマノフの試しを受けたときのことだ。
高さだと二割の違いでしかないが、重量だと倍近くに増えている。そして憑依術で重要なのは質量だから、ネフェルトートは僅か二日で倍の高みに達したと言えるだろう。
しかも彼が憑依術を習い始めてから、まだ十日しか過ぎていない。いくら代々巨大鋼人を操るケームト王族だとしても、実に驚嘆すべき成長速度である。
この長足の進歩を可能としたのは、適切かつ懇切丁寧な指導があったからだ。
試し以降、タケルは大半の時間をネフェルトートの特訓に当てた。まさしく寝る間すら惜しんでだから、ネフェルトートならずとも深い感謝を捧げるに違いない。
『貴方が必死に努力したからですよ。……さて、ここを右です』
どうやらタケルは照れたらしい。彼は口早に応じると、話題を行き先へと変える。
二人が向かっている鍛冶工房では、エレビア王国の王子リョマノフの新たな刀を打っている。
彼が二日前に使ったのは、自身の背に匹敵する長さの大太刀だった。しかも巨大魔獣との戦いを想定した、一振りで20㎏以上もある豪刀だ。
しかし、この常識外の代物でも大人の三倍近い背丈の鋼人を斬るのは難しく、リョマノフは更なる業物を欲する。
『どんな刀になるのでしょう? やっぱりタケルさんの愛刀のような?』
ネフェルトートが挙げたのは、先日の試しでタケルが用いた魔法刀だ。
ヤマト王国の鍛冶と魔術の粋というべき名刀は、見事に鋼の巨腕を斬り落とした。これを目にしたリョマノフは、自身も同じような刀が欲しいとタケルに頼み込んだ。しかも頭を下げての懇願である。
義兄と慕う男に礼を尽くされたのだから、タケルが断る筈もない。そこで魔法刀を作った者達、つまり彼の妃立花と婚約者の巫女姫桃花、武者姫刃矢女、鍛冶姫夜刀美は早速作刀に入った。
『タチハナ達はリョマノフ殿の刀術や硬化術を活かすと言っていました。私は非力ですから魔術寄りにしてもらいましたが、あの類稀なる剛力があれば、魔術は補助程度で充分でしょう』
タケルは妻や婚約者達の考えを明かす。
タチハナ達が快諾したのは愛する男性の願いを叶えたいからだが、彼女達自身がリョマノフ向けの魔法刀に興味を示したのも大きい。前回と異なる方向性、硬化向きのメーリャの鋼、そういった事柄である。
『私も楽しみです! ケームトは治水や建築に長けていますが、より優れた道具があれば更に発展できます!』
『まずは修業ですが、合間には見学できると思いますよ』
ネフェルトートが弾む声で鍛冶への興味を示すと、タケルは釘を刺しつつも触れる時間はあると答えた。
これから一週間ほど、タケルがネフェルトートに憑依術を教える。修業の場所はメリャフスク、しばらく彼らはここに残るのだ。
作刀には一週間ほど必要だから、その間はメリャフスクから動けない。そこでタケルは、自分がネフェルトートを預かって指導を続けたい、と提案した。
都市修復は鋼人操作の実践に良いし、歳が近い自分ならネフェルトートも遠慮せず修業できる。このようにタケルは主張し、シノブも一理あるとして託すことにした。
◆ ◆ ◆ ◆
「うりゃあ!」
『はっ!』
『えい!』
生身のリョマノフが巨大な槌を勢いよく振り下ろすと、彼の倍近い背丈の鋼人達が続く。
ここは鍛冶工房の中、灼熱の炎を吹く火床が眩しい。今は鍛錬の最中で、一人と二体は向こう槌を務めているのだ。
向こう槌とは刀匠の指示に従って鋼を打つ役だが、鋼人を使うだけあって全てが桁外れに大きい。
振り下ろす大槌は柄の長さがリョマノフの背を超えているし、槌頭は同じく彼の体重を上回る。鍛える鋼の塊は、更に倍ほども重いだろう。
リョマノフは獅子の獣人らしく大柄で、しかも鍛えた体と磨き上げた強化術がある。そのため規格外の大槌でも軽々と操るが、他に同じことを求めるのは無理がある。そこで残る二人には、憑依術を得意とするタチハナとモモハナが選ばれた。
ただし鍛造は繊細な作業だから、剛力なら名刀が出来るとは限らない。
『リョマノフ殿、力が入りすぎです』
苦言を発したのは鍛冶姫ヤトミ、こちらもタチハナ達のように鋼の体に宿っている。ただし魔術が苦手なドワーフだから、操る鋼人の背は常人より少し高いだけだ。
彼女は刀匠、つまり指揮監督する側だから大槌は持たない。鋼鉄の左手はテコ棒を握り、右手には小槌を構えている。
テコ棒は鍛錬する鋼に持ち手として付ける鉄棒、小槌は折り返しや調整に使う柄の短いハンマーだ。もっとも今回ヤトミが使うのは特別製で、テコ棒は大人の腕より太く長いし、小槌も平均的な大槌を遥かに上回る。
「すまん!」
『はっ!』
『えい!』
リョマノフは大槌を振り下ろす勢いを少し抑え、タチハナやモモハナと合わせた。
今度は合格点らしく、ヤトミは口を挟まない。その代わり彼女が操る鋼人は、次に鍛える場所に小槌を振り下ろす。
「私も憑依術が得意だったら……」
「分かりますわ。私もリョマノフ様の婚約者として、何か手伝えたらと思いますもの」
いくらか離れた場所で悔し気な声を響せたのは、武者姫ハヤメとキルーシ王女ヴァサーナだ。
ハヤメは熊の獣人、ヴァサーナは豹の獣人。獣人族もドワーフと同じで憑依に向いておらず、自身の体より大きな像を操れる者は極めて少ない。
それに向こう槌は三人もいれば充分だから、彼女達は見学する側となったのだ。
「憑依は放出系の魔術とされていますから」
「獣人族やドワーフの方は、体内で魔力を使うのに向いているそうですし……」
タケルとネフェルトートは、遠慮がちな言葉を漏らした。
一般に放出系魔術とは、着火のように体外で発動する系統を意味する。そして憑依は魂を体から出す術だから、放出系に含まれるという意見が主流だった。
ちなみにエルフは他に比べて大きな魔力を持つ者が多く、放出系の術も得意としている。というより魔力の多寡は体から放たれる魔力波動を基準にしているから、比例的な関係になるのは当然だ。
残る人族は個人差が激しいが、特に上位の者はエルフに準ずるほど魔力が多い。
そしてタケルやネフェルトートは人族として最上級の魔力量を持つ。したがって彼らが何を言おうと、ハヤメ達には慰めにしか聞こえないだろう。
『種族ごとの違いは、それぞれの優れたところを活かすためです。個々の差も同じこと……皆が得意とするものを持ち寄れば、より大きなことを成せるのです』
『シューナ兄さま、流石です!』
玄王亀のシューナが教え導くような言葉を紡ぐと、その甲羅の上から弟のタラークが続く。実は兄亀の上に弟亀という状態なのだ。
シューナは成体だから本来は全長20mもあり、そのままだと工房に入れない。そこで女神アムテリアから授かった神具を使い、十分の一程度の大きさになっている。
一方タラークは神具を使っていない。彼は生後約二ヶ月、元のままでも全長1mほどだ。
ここしばらくのシューナは、長さ40kmほどもある大トンネルを掘っていた。それは昨日開通式典を迎えたシューナ地下道、東メーリャ王国とスキュタール王国の間に立ちはだかるファミル大山脈を貫く経路だ。
この式典の後、シューナはシノブ達の一行に加わった。休暇がてら、弟タラークとの交流を楽しもうと考えたわけだ。
そして鍛冶見学は、鉱物の扱いに長けた玄王亀として興味が湧いたからだという。
『シューナさんの言う通りですが……』
『……タラーク、甘えすぎでは?』
『赤ちゃんみたいです!』
『でも兄さん、私達って赤ちゃんですよね~? ほんの二ヶ月前に生まれたばかりですし~』
今度は他の幼体達だ。嵐竜ルーシャに海竜ラーム、そして朱潜鳳の双子ソルニスとパランである。
ちなみに双子は生後五十日ほど、二ヶ月を越したのはタラークを含む三頭だ。つまりパランは少しだけサバを読んだわけだが、タケル達は気付かなかったらしく愛らしいやり取りに顔を綻ばせた。
「こんなに賢いのに……」
「私達とは全く違いますわね」
「超越種の皆様は、生まれる数日前から思念を使えるそうです。卵の中や胎内から両親と語らう……そう伺いました」
感嘆するハヤメとヴァサーナに、タケルが超越種の暮らしぶりを語っていく。彼は光翔虎のシャンジーに弟分として可愛がられているから、二人よりも遥かに事情通なのだ。
「自分の得意とするものを……」
残るネフェルトートだが、上の空といった様子で呟きを漏らした。どうやら先ほどのシューナの言葉が引っかかっているらしい。
◆ ◆ ◆ ◆
「どうしました? 何か気になることがあるようですが」
タケルはネフェルトートの沈黙を訝しく思ったようだ。
ネフェルトートは明るく社交的な性格だ。メリャフスクまでの旅や今日の作業でも周囲と闊達に言葉を交わしたし、自身の意見を述べないときも相槌などで関心を示した。
そんな彼が無反応のまま立ち尽くすなど、タケルならずとも意外に感じるのではないか。
「その……シューナ様の御言葉と同じものがケームトの伝説にもありまして……」
ネフェルトートは呆然自失というべき状態だったのを恥じたらしく、濃い褐色の肌でも分かるほど頬を染めている。
「それはどのような言葉でしょう? 王家の秘密などでなければ聞かせてください」
「大丈夫です、ケームトでは子供でも知っている話ですから。
初代国王ネチェルクフが若者だったとき、嵐竜様が『皆が得意とするものを持ち寄れば、より大きなことを成せる』という金言を授けてくださったそうです。とはいうものの色々信じがたい件もあり、どこまで本当か……」
興味を表すタケルに、ネフェルトートは半信半疑といった様子で応じる。
ケームト王国の成立は創世暦180年ごろ、そして伝説を信じるなら当時ネチェルクフは百歳を超えていたという。つまり若かったのは創世期の終盤だから嵐竜と知り合いでも不思議ではないが、百歳を過ぎて王が務まるのだろうか。
しかし長命の謎は、ある者によって棚上げにされてしまう。
『嵐竜の伝説、聞きたいです!』
文字通り飛んできたのは嵐竜のルーシャだ。
彼女は一族の話が聞けると期待したようで、浮遊は修得したばかりと思えぬほど速い。蛇のように細長い体とはいえ全長2m少々だから、その姿には結構な迫力がある。
『僕達のご先祖様も出ますか!?』
『早く教えてください!』
朱潜鳳の双子、ソルニスとパランも詰め寄って急かす。どちらも興奮も顕わに羽ばたき続け、長い首を伸ばしてネフェルトートを見上げている。
ケームトに高度な技術を授けたのは嵐竜と朱潜鳳、前者が治水関連で後者が地下魔力脈の利用だ。これにケームト王家は深く感謝し、黄昏信仰になる前は王冠にも両者の姿を並べていた。
そしてソルニス達は魔力脈を整えた朱潜鳳の直系子孫、今も両親は隣接するデシェの砂漠の地下深くに棲んでいる。そんな強い縁があるから、先祖の登場を期待するのも当然だ。
「ええと……すみません、朱潜鳳様は『ネチェルクフの遠征』の少し前に別れを告げたと伝わっています。遠征が終わると嵐竜様も海に戻られたので、私達を独り立ちさせるための御配慮だと思いますが……」
『そうですか……』
『残念です……』
ネフェルトートが言いにくそうに答えると、双子は羽を畳んでガックリと項垂れた。
超越種達は創世から百年ほどで人間と関わらなくなったという。これは神々や眷属達が地上から姿を消したのと同じ理由だ。
これ以上の関与は人間のためにならない。そのように神々は告げ、超越種達も従ったのだ。
「つまり『ネチェルクフの遠征』とは、ケームトにおける人の世の始まりなのですね」
「はい。海の女神デューネ様のお告げにより、嵐竜様が最後の助力をしてくださったのです」
感慨深げなタケルに、ネフェルトートは厳粛な顔で応じた。それに声も重々しい。
どうやら特別な感慨があるらしい。そう受け取ったらしくタケル達は静かに頷いたのみだが、まだ興奮冷めやらぬ者もいた。
それは嵐竜ルーシャである。
『どんな手助けをしたのですか!? とても気になります!』
ルーシャは神具を使って半分ほどに小さくなり、ネフェルトートの肩に降りた。そして彼女は長い体を巻き付けつつ頭を寄せる。
少年の右肩の上に後ろ足、そして首を一周して頭の上に前足。嵐竜は地球の龍に酷似した外見だから、首元に巻いた襟巻を片端だけ頭に乗せたような姿だ。
『僕も知りたいです』
『私も』
仲間の後押しをしようと思ったらしく、タラークとラームもネフェルトートの側に寄る。
タラークは兄の甲羅から降りると四本の脚でやって来た。ラームは海竜だから鰭による移動だ。
「それではお話します。……といっても異説が沢山あるので、これから話すものも真実とは限りませんが」
ネフェルトートは前置きめいた言葉を発すると、僅かに目を伏せた。そして少しの間を置いた後、彼は静かに語り出す。
「……およそ九百年前、まだケームトに王国は存在せず、それぞれ独立した何十もの部族に分かれていました。その中でも最大級の一つ、ネーフェル部族で天才的な治水学者として知られていたのがケレプアレク……後にネチェルクフと呼ばれる男です。
そしてケレプアレクには、幼なじみの姉妹がいました。姉は戦士ケネイト、妹は巫女ネヘイト。どちらも二十歳前ですが、やはり部族で一番と噂されるほどでした」
ちなみにケレプアレクは二人より数歳上だったらしい、とネフェルトートは言い添える。
若き治水学者にして工事技師、そして女戦士と巫女の姉妹。この三人は集団の中核で活躍していた。
砂漠の緑化を進めている最中だから治水技術は必要不可欠、現在より魔獣の出現頻度も高く戦士も重要、もちろん神々と交信できる巫女も大切にされた。まだ若いから指導者ではないが、いずれそうなると誰もが目していたという。
「そして、もう一つ。ケネイトとネヘイトのどちらがケレプアレクを勝ち取るか、あるいは二人とも妻になるか……という噂も。当時の部族長は一夫多妻が普通でしたから……。
しかしネヘイトが授かった神託で、三人の運命は大きく動きます。それは『嵐竜の助けを得て、大河イテルを治めなさい』というデューネ様の御言葉でした」
ケームトの人々なら、これだけで充分に通じるだろう。しかし聞き手は他国人だから、ネフェルトートは少々補足する。
まずイテルだが、これはケームトを南から北に貫く国一番の長大な河川だ。ちなみに河口と近辺を下ケームト、中流域を上ケームトというのは昔も今も変わらない。
ただしケレプアレクがいたころ改良が進んでいたのは下ケームトのみで、上ケームトは大半が砂漠だった。朱潜鳳の地下魔力脈整備は終わっていたが、ある理由で人間達の開発が追いついていなかったからだ。
「当時の上ケームトが未開発だったのは、時として大量の魔獣が押し寄せたから。このころのイテルは数年に一度は大水が発生し、一緒に流れてきた水生魔獣が何百もの集落を壊滅させたのです。
九百年前も鋼人技術はありますが未発達で動かせるのは等身大程度……それに大群に対抗できるほど憑依術者もいません。そのため魔獣襲来で多くの命が失われたといいます」
『そこで嵐竜の活躍です! 魔獣退治で感謝され、王冠に飾ってもらったんです!』
ルーシャは焦れたようで、話を勝手に進めようとする。
他所の者にも分かりやすくと、ネフェルトートは背景まで含めて語っていった。そのため遠回りになったのは確かだし、いくら賢いとはいえ生後二ヶ月の幼体にとって退屈だったのも事実だろう。
それは他の子も同じだったらしく、更なる声が上がる。
『でも、ケレプアレクさんは? 伝説になるくらい頑張ったんですよね?』
『そうですよね~。それに姉妹も気になります~。女戦士ケネイトさんと巫女ネヘイトさん、どんな働きをしたのですか~?』
朱潜鳳の双子が指摘すると、残る聞き手も頷きなどで同意を示す。
ルーシャも一理あると思ったらしく、首を捻って黙り込む。彼女の体は蛇のように長いから、ネフェルトートの肩の上で大きな輪を描いた。
◆ ◆ ◆ ◆
『……と思うんですよ~』
「ええ……そういう異説もありますよ」
幼体達が好き勝手に自説を述べる中、ネフェルトートは頷くのみだった。これは彼が最初に触れたように、長き時が伝説を様々に膨らませていったからだ。
嵐竜が三人を乗せて旅立つ様子は多くが目にしたが、その先は戻った者達の言葉しかない。
そこで断片的な証言を繋ぎ合わせ、いくつもの物語が生まれた。そのジャンルも幅広く、冒険活劇や恋愛物どころか人情話に教訓譚まであるという。
今や鍛冶工房の中は、槌音に加えて喧々諤々の声が響き渡っている。
「……『ネチェルクフの遠征』だね。ミリィから聞いたよ」
「シノブ様!」
背後からの声に、ネフェルトートは弾かれたように振り返る。彼は扉に背を向けていたから、入ってきた者達に気付かなかったらしい。
先頭を歩むのはシノブ、その後ろに女性が三人。もちろんシャルロット、ミュリエル、セレスティーヌ、アマノ王家の女性陣だ。
この日、四人はメリャフスクの視察をした。
案内役は自治領の長パヴァーリと、その妻マリーガ。都市再建を邪魔しないように供も付けず、服も簡素なものに替えて六人だけで各所に赴いた。
そして視察を終えてパヴァーリ達と別れた後、作刀や修業の進み具合を聞こうと寄ったのだ。
『シノブさん!』
『魔力もらって良いですか!?』
『早く大きくなりたいです~!』
無邪気な声と共に動いたのは超越種の子供達だ。先ほどまでネフェルトートに張り付いていたルーシャも含め、まっしぐらにシノブを目指す。
「ああ、おいで。……伝説で確実なのは二つだけ。まずイテルから大洪水が無くなり、水生魔獣の襲来も途絶えた。そして嵐竜が乗せて帰ったのは、ケレプアレクと巫女ネヘイトのみだった。……そうだよね?」
しばし幼体達に笑みを向けたシノブだが、再びネフェルトートを見つめなおす。
シノブは今のネフェルトートが抱えているだろう問題を察していた。それは帰らぬ人となったケネイトについて、どう触れるべきかという悩みだ。
「……はい。女戦士ケネイトは帰還しませんでした」
予想は当たっていたようで、ネフェルトートは複雑な表情で頷いた。
まず大きな悲しみ。どうやら彼は、行方不明となったケネイトに強く同情していたらしい。
そして幾らかの安堵。武術を好むハヤメやヴァサーナに、この結末を語りづらく思っていたのも確かなようだ。
治水学者ケレプアレクと共に戻ったのは妹の巫女ネヘイトで、姉の女戦士ケネイトは姿を消した。そして戻った二人は多くを語らず、嵐竜も黙したまま海へと去った。
そのため後の伝説は、大部分を創作で補った。
同じ男への想いが姉妹の仲を裂きかけ、しかし互いを慕う心が繋ぎとめる。肉親への愛情は相手に譲るべきと促し、魂の奥底から湧き上がる熱情は譲れないと主張する。
男も二人の心を知りつつ、今は神命に従うべきと己を律する。そして三人は、すれ違いつつも支え合いながら目的地に辿り着く。
これで役目を果たせると思った瞬間、襲い来る絶体絶命の危機。そのとき姉は自身の命を投げ出し、愛する二人を救う。
これがケームトで最も有名な流れだ。
「……『ケネイトの悲恋』ですね」
「ミリィさんから聞きました……」
「とても悲しく、そして美しい話ですわ」
シャルロットは痛ましげに声を落とし、ミュリエルとセレスティーヌも瞳を潤ませる。
『ケネイトの悲恋』と銘打った演劇や舞踏は、現在のケームトでも女性を中心に強く支持されている。それに王家に関する話だから、ケームト潜入部隊も調査の一環として観ていた。
このときミリィは大いに感動し、シャルロット達にも伝えようと一人芝居で熱演した。そんなこともあって三人は、この伝説を女戦士の悲話として受け取っていたのだ。
「ええ、全てはケネイトの犠牲の上に成り立っているのです。ケレプアレクが国王ネチェルクフになり、ネヘイトが巫女妃ネチェリトになり、ケームト王国を興す……その全てが」
「そうだとしても、ケネイトは幸せだったかもしれないよ」
悲しげに俯くネフェルトートに、シノブは敢えて別の見方を示す。
所詮は物語、真実を知るのは当事者のみだ。しかし自分も家族を守るだろうと、シノブは深い共感を抱きもした。
そしてシノブ以上に感情移入した者がいる。
「私もそう思います。シノブとミュリエルを助けられるなら本望、愛する人の盾となるのも騎士の役目……そう思うのです」
「お姉さま……」
シャルロットはベルレアン伯爵家の跡取りとして騎士の道を歩んだから、『ケネイトの悲恋』を知ったとき我が事のように受け止めた。そしてミュリエルは、姉の愛と強さに改めて感動していた。
「きっと、シャルお姉さまのように高貴な心をお持ちだったのですわ」
「ケネイトは武士の本懐を遂げた……見習いたいものです」
「ええ、自分の役目を果たしたのですわ!」
セレスティーヌに続いたのは、ハヤメとヴァサーナだ。
ネフェルトートは二人の気に障ると案じていたらしいが、逆に彼女達の琴線に触れるものがあったようだ。どちらも声を震わせ、瞳を濡らしている。
このように大多数からは好評な『ケネイトの悲恋』だが、意外なところから不満の声が上がる。
「俺なら共に戦うために残るがな……その男、少々情けなくないか?」
声の主はリョマノフ、いつの間にか鍛造は終わっていたのだ。既に火は落とされ、タチハナ達も憑依を解いて本来の姿で続いている。
「リョマノフ殿、ケレプアレクは治水学者ですよ」
「そ、そうなのか?」
タケルが窘めるような言葉を発すると、リョマノフはキョトンとした表情で問い返す。
どうやらリョマノフは話の終盤しか聞いていなかったらしい。先ほどまでの苦々しい表情は消え、気まずそうな顔でネフェルトートへと向く。
「リョマノフ殿の御言葉も当然です。実は私も子供のころ、どうしてケネイトを見捨てたのか、と歯がゆく思ったものです。
だからでしょう、嵐竜様の金言も空虚に聞こえるのです。この言葉がケネイトの自己犠牲を美化し、彼女を置いて帰ったケレプアレクとネヘイトに許しを与えた……つまり嵐竜様の名を借りて罪を消したのでは? だいたい二人が百歳以上まで生きたというのも信じがたいです」
この伝説をネフェルトートが知ったのは、まだ自身が王族だと知らなかった幼年期だ。そのためか彼は悲劇の女性ケネイトが気になったという。
そして反体制派に加わってからは、王家が威信を高めるために広めた話と受け取るようになった。
実際、王家に都合よく編纂されたのは事実だろう。ケームト王家はケレプアレクとネヘイトの子孫なのだから。
「ケレプアレクが大役を果たしたのも事実だろう。彼が設計した通りに嵐竜が大河イテルの流れを整えた……伝説の大筋は正しいと思う。それに操命術を修めたらだけど、人族で二百歳まで生きた例もある」
根も葉もない作り話では、誰も受け入れない。そうシノブは感じていた。
それに並外れた長寿もスワンナム地方で目にした。憑依を含め、魂に関する術は長命にも繋がるのだ。
『確かめに行きましょう! 嵐竜が工事した場所、見たいです!』
『第一世代の偉業、学ぶべきことも多いでしょう。それに金言が私の知る言葉と同じなのも気になります』
ぜひにと意気込んだのは嵐竜のルーシャ、続いたのは玄王亀のシューナだ。それにタラーク達も賛成らしく、期待も顕わにシノブを見つめる。
「それじゃ行こうか……トトの修行が終わってからだけど」
「ええ、そのころなら俺の刀も仕上がっているでしょうから」
シノブが条件付きで認めると、リョマノフが更に一言添えた。
どうやら大河イテルの上流は、試し斬りの場になるようだ。そう察した者達が微かな笑い声を響かせる。
シノブも笑みを浮かべたが、同時に安堵の溜め息を漏らしてもいた。実はネフェルトートの出生に関する疑惑を伏せたままにしているのだ。
現国王アーケナと先王妃ヘメトの間に生まれた許されぬ子。このようなことを確かめもせず言える筈もないだろう。
ネフェルトートをタケルに預けたのも、なんらかの証拠を得るまで彼をケームトから遠ざけておきたいからだ。
──シノブ、きっとミリィが朗報を持ってきてくれます。それに彼は良い仲間を得ました……だから大丈夫です──
──ああ、もしもの時は俺達で支えよう──
シャルロットの温かな思念、そして寄り添う彼女から伝わる温もり。それはシノブを勇気づけてくれた。
そして同時にシノブは希望を抱く。シャルロットが語ったように、大勢に囲まれたネフェルトートは、とても輝いて見えたからだ。
お読みいただき、ありがとうございます。