28.22 鷹は舞い降りる?
創世暦1002年5月5日の昼前、アミィはアフレア大陸の北東部にあるケームト王国を訪れた。
もちろん多忙な彼女が普通に旅する筈もなく、今回も転移の神具を使っての移動だ。ケームト王国の王都アーケトに降り立ったのは、同僚ミリィが所持する魔法の幌馬車からである。
魔法の家に転移の絵画があるように、魔法の馬車や魔法の幌馬車の隠し部屋にも同様のものが掛かっている。これらは権限さえあれば互いに行き来できるし、各地に置いた転移の神像にも跳べるのだ。
そのためアミィは、言うなれば『ちょっとそこまで』といった気軽さで旅立った。
出発地点はアマノ王国メリャド自治領に置かれた魔法の家で、王都ケームトとは3300km以上も離れている。しかし転移なら一瞬だから、隣の家に行くのと変わらない。
ただし服だけは替えている。アミィが選んだのは、白い薄手のワンピースだ。
先ほどまでいたメリャド自治領はアスレア地方でも最北端に近く、五月でも厚い毛織物や毛皮のコートが手放せない。一方ケームトは灼熱の地、北国の衣料など無用の長物である。
「ミリィ、お疲れ様です」
「いえいえ~、アミィも元気そうで何よりです~」
魔法の幌馬車を出たアミィに、侍女姿のミリィがニコニコと笑いながら応じた。
侍女姿とはいうが、年中暑いケームトだから薄手の布服一枚に下着のみだ。そのため二人の恰好は似たようなものだが、容易に30℃を超す場所だから必然の一致というべきか。
ここは現在ミリィが潜入中の屋敷、つまりケームトの傍系若手王族バーナルの住居だ。
ただし二人がいるのは屋外、バーナルの母セプストのために設けられた奥庭である。魔法の幌馬車を出す場所の確保に加え、怪しまれぬよう人目を避けた結果、ここが選ばれた。
セプストはアムテリア達の敬虔な信者で、しかもミリィが神の眷属だと承知している。そして彼女には話を通してあり、他の者が立ち入る心配はない。
とはいえ馬車の幌は塀よりも高いから、見つからないように透明化の魔道具で隠していた。
この魔道具は潜入にも使う携帯用で、ネックレスのペンダントに偽装されている。金の鎖に宝石を散りばめたペンダントトップは少々目立つが、愛らしい少女姿に相応しい佳品でもある。
「ええ。みんな元気ですし、メリャド自治領の視察も順調ですよ。……しかし、やはり日差しが強いですね。向こうとは大違いです」
アミィは手を翳しつつ顔を上げ、快晴の空を眺める。
メリャド自治領は北緯50度に近いが、ここ王都アーケトは北緯15度を切っている。しかも五月の昼前だから太陽は殆ど真上にあるし、ケームトは晴れの日が多く今も雲一つない。
そのためアミィの薄紫色の瞳は、アメジストのように美しく煌めいた。
「おかげで花も元気いっぱい、鳥さん達も楽しそうです~」
ミリィが指さした先には広々とした池があり、その上を様々な色の睡蓮の花が飾っている。そして岸辺には大柄な水鳥達が集い、池にかかった枝の幾つかには小鳥の姿もある。
大きな水鳥は少し湾曲した長い嘴と白地に羽裏が薄ピンクの体、小鳥は真っすぐ伸びた嘴に鮮やかな青い背とオレンジの胸。双方とも池の魚に惹かれて集まったようで、視線は水面下に向けられている。
王都アーケトを含む上ケームトは、高度な治水技術で豊富な水を確保している。元は砂漠の中を大河イテルが流れているだけだったが、大規模な土地改造で巨大なメーヌウ湖を完成させ、そこからの水で周囲の差し渡し160㎞にもなる緑地を生み出した。
そのためセプストの庭園も水をふんだんに引き込んでおり、目に鮮やかな花々が池の周囲を含め数え切れないほど咲いているし、鳥達も餌を求めて次々と現れる。
「赤、白、薄紅色……あっちには青も。それにトキとカワセミですね。元が砂漠だったなんて、とても信じられません」
「地下からの魔力があっても、それだけだと植物は育ちません~。動物だって同じですよ~」
呟くアミィに応えつつ、ミリィは自身の幌馬車を手のひら大のカードに変えた。魔法の家と同様に、魔法の馬車や魔法の幌馬車には携帯するための機能が備わっているのだ。
続いてミリィは胸元に手を伸ばして透明化の魔道具を停止させ、更に庭園の一角にある東屋を指差した。
「さあ、あっちに行きましょ~。ここは暑すぎますから~」
「そうですね」
先導するミリィに続き、アミィは進んでいく。
どちらも白いワンピースを着ているが、ケームト風の濃い褐色の肌と北大陸西部の白い肌では随分と印象が異なる。それにミリィは人族に変じているがアミィは狐の獣人のまま、髪も前者は黒で後者はオレンジがかった茶色だ。
ちなみに狐の獣人はケームト王国にもいる。頭上の狐耳が北大陸の同族より大きいから、正確にはフェネックの獣人と呼ぶべきかもしれないが。
もっともケームト王国の狐の獣人は濃褐色の肌だから、もしアミィと並んだら多くの人は狐耳ではなく肌を見比べるだろう。
それはともかく二人は東屋に着き、屋根の下に置かれた長椅子に並んで腰かけた。
四方の柱も含め、東屋は全てが木製だ。王都を含む上ケームトは緑豊かで大木も珍しくないが、それでも木材は貴重だから王族ならではの贅沢である。
二人が座った椅子を含め、いずれも繊細な装飾が施されている。
そんな特別な場所をミリィが選んだのは、ここでバーナルの母セプストと語らうからだ。
セプストは国王アーケナと会うように勧めたが、相手は王の鋼人という特大の金属像を自在に操る憑依術者だから不用意に近づくわけにいかない。そこで今一度セプストの話を聞き、アーケナの実像に迫ることにしたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
アマノ同盟には豪タイガーという王の鋼人に匹敵する憑依用の巨大像があるが、操縦者のマリエッタのみだと動かせず超越種の子供達の力を借りている。
もちろんシノブやアミィ達なら単独でも操れるが、どちらも人の領域を遥かに超えているから例外中の例外とすべきだろう。なにしろシノブなど、心を研ぎ澄ませば王都全体すら感知範囲に出来るほどなのだから。
しかし本当に例外として良いのか。もしかするとアーケナも、同じような力を備えているのではないか。そんな不安が、これまで調査の足枷となっていた。
幸いにも懸念は晴れつつある。玄王亀ラシュスの調査により、王の鋼人の格納庫は地下深くから膨大な魔力を汲み上げていると判明したのだ。
つまりアーケナを支えているのは代々継承してきた技術で、独力で成人男性の二十倍もの背丈を誇る巨像を動かすほどではないらしい。
ちなみにケームト王国に伝わる逸話を信ずるなら、創世期の超越種はケームトの初代国王に様々な知識を授けたようだ。そのためシノブ達は、地下の魔力脈を活用する秘術も超越種から得たのではと考えた。
「実際、当たっていたんですよね~。少なくとも朱潜鳳の第一世代は関わっていますし~」
「ええ。ティタスさんの先祖が指導したのは、ケームトの初代国王で間違いないようです」
ミリィの半ば独白めいた言葉に、アミィは静かに頷き返す。
セプストが来るまで少々時間があるため、東屋にいるのは二人だけだ。そのため彼女達は遠慮することなく、デシェの砂漠の地下深くに棲む超越種を話題にする。
ティタスとは、現在シノブが預かっている二羽の幼鳥ソルニスとパランの父だ。そしてティタスの先祖は創世期から現在の場所で暮らしており、当時はケームトに住む人々とも交流していた。
デシェの砂漠はケームトと隣接しているから、超越種最速の朱潜鳳達からすれば目と鼻の先なのだ。
同じように嵐竜の第一世代も人間を指導したという。彼らのうち一組がケームト北の海上を生息範囲としていたのだ。
ただし創世暦280年ごろ異神ヤムの侵入で一帯の魔力が減じ、そこにいた嵐竜達は縄張りを移してしまった。そのため今のところ詳細は不明だが、真実を確かめるべく手を打っている。
「嵐竜の第一世代が何を教えたかですが~、まだ長老さん達の確認待ちですよね~?」
「数日以内には戻られると思いますよ」
ケームトの北にいた嵐竜の子孫は、現在アフレア大陸の南東部の海上にいるという。彼らは仲間と同様に、風の流れに沿って大洋を巡っているのだ。
幸い長老達は巡回する経路や時期を知っているし、嵐竜は朱潜鳳に次いで飛翔速度が速い種族だ。おそらくアミィの予想通り、長老達は何日かすれば新情報と共に現れるだろう。
「でも、それまで待っているだけなんて退屈ですね~」
「そう言うと思いました。……ミリィ、アーケナを探ってください。貴女の報告通りなら、いきなり強硬手段ということもないでしょう」
ミリィの軽口に、アミィは予想していたと言いたげな笑みで応じた。
先日ミリィ達が島に潜入したとき、王の鋼人は執拗に侵入者を探し回った。それも相当に焦ったのか巨像は格納庫を壊して現れ、その後も周囲の地形が変わるほど念入りに調べたくらいだ。
このこともあり、シノブ達は王宮への潜入を控えてきた。あくまで最悪の場合だが、王都全体を巻き込む大戦闘に発展する可能性を否定できなかったからだ。
しかしセプストが語るアーケナは、とても穏やかで聡明な男性だった。それに彼女の想像通りなら、アーケナは今も密かにアムテリアを敬っているようだ。
同じようなことをセプストの息子バーナルも口にした。彼は明言こそ避けたものの、アーケナの本心は別にあると示したのだ。
もし二人の考えが当たっているなら、アーケナが黄昏信仰を打ち立てたのは腐敗した神官達の排除などを意図した方便なのだろう。そうであれば交渉の余地は充分にあるが、万全を期すため密かに見定めたい。
そこでシノブは、ミリィにケームト王宮を探ってもらおうと考えた。
現状ケームト国内は平穏、それに他国と接点がないから危険度は低い。しかし今後に備え、アーケナの狙いを把握しておくべきだろう。
そういったシノブの意見を踏まえ、アミィは急遽ケームトを訪れることにした。
「念のため、私もセプストさんの話を聞きます。貴女の目を疑うわけではありませんが、王の鋼人の力を考えると……」
「もちろんですよ~! 一緒に王宮のこと、教わりましょ~! そしてアミィも潜入です~!」
アミィがセプストの名を出すと、ミリィは共に王宮に行こうと言い出した。それも大歓迎というべき喜びようだ。
「私も?」
アミィは怪訝そうに小首を傾げたから、頭上の狐耳も合わせて揺れる。
幻影の術を得意とする彼女がいれば、王宮であろうが容易に潜り込める。しかしミリィも透明化の魔道具を持っているから、単独でも問題ない筈だ。
それに二人でいけば、アーケナに気付かれやすくなるかもしれない。アミィが疑問を抱くのも当然である。
「ここは砂漠に囲まれた国、そしてアミィは天狐族です~! つまり砂漠の狐、これで大勝利は決定です~!」
「……それはエジプトの話では?」
興奮も顕わなミリィに、アミィは頭が痛いと言いたげな顔で応じた。
ミリィのことだから地球に絡めた冗談を言うかもしれない。その程度はアミィも予想していた筈だが、これは微妙すぎるだろう。
『砂漠の狐』ことエルヴィン・ロンメルは英雄だが、悪名高いナチス・ドイツの軍人でもある。それにロンメルはエジプトに攻め込んだから、聞きようによってはケームト侵攻を勧めているようにも受け取れる。
「私がアーケナを捕まえちゃうのもアリですね~! 名付けて『鷹は舞い降りた』作戦、映画も作っちゃいますよ~!」
「イギリスでもありません!」
よほど気に入ったのか、ミリィは第二次世界大戦に絡めた冗談を続けていく。
対照的にアミィの機嫌は悪くなる一方だ。今の叱声など、大抵の者なら首を竦めただろう。
◆ ◆ ◆ ◆
色々と問題発言の多いミリィだが、これは彼女が場を和ませようとしているからだ。それはアミィも重々承知しているから、叱責は短時間で終わる。
そのためセプストが現れたとき、二人は姉妹のように仲良くお茶を飲んでいた。
「遅くなり、まことに申し訳ございません」
セプストは二人の側に寄ると、ミリィとの初対面と同様に平伏した。
傍系とはいえセプストは王族で、ミリィは表向き侍女を務めている。それにアミィも同僚と似た簡素な装いだから、王族が伏して敬うような相手とは思えない。
したがって誰かが見たら大騒ぎになるだろうが、セプストは一人で奥庭に入ったから咎める者はいなかった。ここは屋敷でも最奥部だからと、彼女は側仕え達を下げることが多いのだ。
ケームトの場合、巫女は最上級の一部を除いて身の回りのことは自分でする。そしてセプストは若いころ巫女だったから、今も多少のことであれば人手を煩わさずに片付ける。
そのため奥庭で侍女達を下げる程度なら、誰も問題にしないという。
「大丈夫ですよ。セプスト、彼女は同僚のアミィです」
「初めまして。今日は貴女の知恵を借りに来ました」
今のミリィには眷属に相応しい風格がある。凛とした声音や品のある表情は、続いたアミィと比べても甲乙つけがたいほどだ。
ただし実のところ、眷属としての振る舞いをミリィ自身が望んだわけではない。
セプストは長く巫女を務めたこともあり、神々や眷属に対して並々ならぬ畏敬の念を表す。そのためミリィも眷属として接するときは、神々の使徒たる聖なる存在という世間一般のイメージに合わせているのだ。
「アミィ様、セプストでございます。なんなりとお訊ねくださいませ」
「楽にしてください」
伏したままのセプストに、アミィは柔らかな表情で応じた。
こう畏まられては話しづらい。そう考えたらしく、返した声は優しさを増している。
「セプスト、こちらに」
「失礼します」
ミリィに促され、セプストは場を移す。そして彼女はテーブルを挟んだ向こう側、細やかな彫刻が美しい椅子に落ち着いた。
「それでは始めましょう。現在この国の王族で、貴女より魔力が多い者は誰ですか?」
時間を惜しむかのように、アミィは率直な問いを放った。
表向き、セプストは昼食後の散歩を楽しんでいることになっている。先行した侍女マァトことミリィが東屋の準備をし、そこで一休みして戻るという流れだ。
そのため割ける時間は限られているし、聞きたいことも数多い。セプストはネフェルトートことトト少年の養育係を務めていたから、王家の内情にも詳しい筈なのだ。
もっとも彼女が養育係だったのはネフェルトートが二歳になるまで、つまり今から十二年ほど前だ。それ以降は王宮から遠ざかっているが、息子のバーナルが日々参内しているから一定の知識はあるだろう。
そもそも他者の魔力量を見抜ける者など非常に稀だ。
バーナルも王族級の鋼人に憑依できるほどで感知能力も相当な域だが、彼はミリィの正体に気付いていないらしい。つまり感知はセプストが上、アーケナが意識的に魔力を抑えている場合まで考慮するなら、彼女の評を参考にすべきだ。
「多い順ですと、陛下、王女のメルネフェル様、我が息子、王妃のイティ様です」
セプストは躊躇うことなく並べていった。
国王アーケナが最も魔力が多いのは当然だし、王女メルネフェルも優れた素質を持つと評判だから納得がいく。しかし続いたのはバーナルとイティのみで、王子のジェーセルとウーセルは挙がらぬままだ。
「王子達は王族級の鋼人を動かせないそうですね?」
「……はい。私の口から申すのは大変心苦しいのですが、お二人の魔力は王族級の水準を下回ります。あくまで私の想像ですが、どちらも半分ほどでしょう」
アミィの確認に、セプストは少々間を置いてから応じた。
王族級の鋼人の背丈は王の鋼人の半分以下、そのため王族級を操れない者は自動的に国王候補から脱落する。しかも王族級ですら下限の半分なら、もはや絶望的というべきだ。
第一王子ジェーセルは十六歳、第二王子ウーセルは十四歳。どちらも魔力が大きく伸びる時期を過ぎているからだ。
「そうですか……では次の問いに。貴女を超える四人ですが、どの程度の魔力を持っているのでしょう?」
アミィは本題というべき事柄に移る。
今回の主目的は、アーケナの能力の把握である。もし彼に悟られず接近できるなら、労せずネフェルトート出生の秘密を解き明かせるからだ。
セプストが出産に立ち会っているから、ネフェルトートの母が先王妃ヘメトなのは間違いない。
しかし父親は未だ定かではなかった。普通に考えたら先王メーンネチェルの筈だが、セプストは明言せずアーケナに聞いてほしいと語ったのだ。
そのためシノブ達はアーケナがネフェルトートの父かもしれないと想像しているが、二人が親子だとしたら最悪の場合ネフェルトートに父殺しの重荷を背負わせることになるかもしれない。
なにしろ反体制派の旗頭と現在の国王である。激突したら一方が命を落とす可能性は高いから、その前に真実を知りたいところだ。
とはいえアーケナに気付かれることなく身辺を探れるのか。
一般に憑依術者は魔力感知を得意としているし、多くの場合は魔力が多いほど感知能力も高いから危険度も増す。逆に魔力が少なければ、遠方から観察する程度なら充分できる筈だ。
そこでアミィは、セプストの示す事例から彼の力を量ろうと考えたのだ。
「イティ様は私の倍ほど、息子が更に三割増しといったところでしょう」
まずセプストは、よく知る者達から答えていく。
セプストの感知能力は非常に優れているようで、彼女は自身と息子の差を正確に把握していた。ミリィは二人と直接会っているから、この件に関しては彼女の目利きが正しいと保証できる。
そしてイティだが、こちらは巫女時代に接していたから間違いないと思ってよいだろう。
「メルネフェル様は息子より一割近く多いかと。お目通りしたのは数回ですから、確実とは言いかねますが……」
──バーナルさんの一割増しなら、側に寄っても大丈夫かも~──
セプストの言葉が続く中、ミリィが思念を響かせた。
ただしミリィは魔力波動を充分に抑えたし、相手もアミィだけに限定していた。そのためセプストは気付かなかったようで、残る一人へと語り進めていく。
「そして陛下ですが、メルネフェル様より魔力をお持ちなのは間違いありません。もっとも陛下の魔力操作は私より遥かに上ですから、正確なところは分かりかねます」
セプストは申し訳なさそうに口を閉ざした。
なにしろ相手は国一番の憑依術者だ。その魔力を量るなど、元巫女のセプストであっても容易なことではない。
◆ ◆ ◆ ◆
アーケナの力量を把握したい理由は、もう一つある。それは彼が自身の死による幕引きを望んでいる節があるからだ。
それもアーケナが黄昏信仰を打ち立てる以前、少なくとも十年来の強固な願望だ。
ケームトの神官達は、王家に魔力豊かな血統の維持を強制した。王の鋼人の威を借りて己の欲望を満たすため、彼らは禁忌の関係すら強要したのだ。
口では国を守るためと言いつつ、実際は権力維持しか頭にない欲深な者達。そんな輩が神殿の中枢を占めていたら、追い払いたくもなるだろう。
これを前提とすれば、アーケナがネフェルトート達を泳がせている理由も見えてくる。彼は改革を成し遂げた後、邪教の長として反体制派に断罪されるつもりなのだ。
したがってアーケナへの接近は細心の注意を払う必要がある。神の眷属の訪れを、彼は幕を引く絶好の機会と捉えかねないからだ。
──アーケナの感知能力次第では、こんなの杞憂でしかないんですけどね~──
ミリィは残念そうな思念を響かせた。
彼女はアーケナと会っていない。彼が王の鋼人に憑依する直前、魂を移した符を目にしただけだ。
しかも、この符の目撃が事態を一層ややこしくしている。
──飛翔する符から、貴女は常識外れの魔力を感じたのでしたね──
──はい~。セプストさんの評に当てはめるなら、バーナルさんの何倍もです~。肉体を離れて魔力が解放されたのを考慮しても、倍近いのは確実ですよ~──
アミィの確認に、ミリィは先ほどの例を持ち出して答えた。
バーナルの二人分に匹敵する魔力があり、それに比例した感知能力を持っているなら、姿を隠した眷属を察知できるかもしれない。つまり密かな接近など不可能である。
アーケナの驚異的な憑依能力は、王妃のイティが密かに協力しているからだ。ただし、この事実をシノブ達は未だ知らない。
イティは自身が持つ魔力の殆ど全てを譲渡でき、夫が王の鋼人に乗り移るのを助けている。しかし二人は、これを秘中の秘として隠し通した。
そのためミリィを始めとする潜入部隊はアーケナを過大評価してきたが、ここしばらくで得た情報が新たな見方を齎した。
──そうですね。しかし貴女も知っているように、格納庫の地下から魔力を汲み上げるなど王の鋼人には不審な点があります。それにアーケナの魔力を知る手段は、まだ残されていますよ──
──流石はアミィです~! で、それはどんな手ですか~!?──
「あの……アミィ様、ミリィ様?」
思念でのやり取りが長すぎたらしく、セプストは怪訝そうな声を発した。
アミィとミリィは限界まで魔力波動を絞ったから、今の思念に気付けるのは神々や眷属を除けばシノブくらいだ。そのためセプストは、沈黙をどう捉えるべきか悩んだらしい。
「済みません。それでは新たな質問です……先王夫妻の魔力量を教えてください」
アミィは十三年前に亡くなった二人について問うた。
セプストはネフェルトートの誕生に立ち会い、その後の二年間を養育係として過ごした。先王夫妻が存命だったのは最初の十ヶ月のみだが、その間はヘメトとも近しい関係だったから魔力量も充分に把握した筈だ。
それに当時は先王メーンネチェルとも会っており、こちらに関しても期待できる。
「ヘメト様はイティ様より多くの魔力をお持ちでした。先に王妃に選ばれたのですから当然ですが……。そして具体的な量ですが、おそらく今の息子と同程度かと……」
まずセプストはヘメトから挙げていった。とはいえ十三年も前のことだから、思い出しつつといった態ではある。
それはともかく、これではイティがヘメトを羨んだのも無理はない。なにしろ競争相手は自身より三割も魔力が多かったのだから。
その辺りを思ったらしく、セプストの顔には同情めいた色が浮かんでいた。
「そしてメーンネチェル様ですが……。そうです、確かヘメト様に『そなたの倍も無いぞ。せいぜい三割か四割だろう』と仰ったことがあります」
続いて先王について述べたセプストだが、途中から何かに気付いたように表情を改めた。
セプストからすると、メーンネチェルは数段格上の実力者だ。そのためアーケナのときと同様に、相手の力を量りかねたのだろう。
しかしメーンネチェルの言葉が事実なら、彼の魔力は最大でも妻の四割増しということになる。存命の者に当てはめるなら、バーナルの四割増しだ。
「それは貴重な情報ですね」
「ええ」
アミィは微笑みを浮かべ、ミリィも大きく頷いた。
メーンネチェルがアーケナより魔力が多かったのは間違いない。そうでなければ兄弟の順に関係なくアーケナが先に王となった筈だから、これは確実である。
ミリィはアーケナが宿った符からバーナルの倍以上の魔力を感じたが、セプストの証言が正しいなら何らかの手段で魔力を増した結果だろう。そして本来の力はメーンネチェルより明確に少ないとすれば、最大でもバーナルの三割増し程度ではないか。
そのためアミィとミリィは、これなら王宮に忍び込んでも正体を隠し通せると踏んだわけだ。
「頼みがあります。ミリィを王妃の側仕えに押し込めないでしょうか? どんな役でも構いませんが国王夫妻の側に置きたいのです」
「……おそらくですが、踊り子なら採用されると思います。イティ様は舞踏がお好きですし、私達が推薦すれば少なくとも審査はしていただけるかと」
アミィの問いかけに、セプストは少しばかり考えた後に答えた。
セプストとバーナルは傍系とはいえ王族であり、王や妃に側仕えを紹介するくらいは容易だ。そしてミリィが扮しているマァトという少女は王都の商家の娘だから、すげなく門前払いされることもないだろう。
「それは良いですね。……ミリィ、作戦名は『鷹は舞い踊る』でどうでしょう?」
「これは一本取られました~。でも『砂漠の狐』の策ですから、きっと上手くいきますよ~」
アミィの冗談混じりの言葉に、ミリィは思わずだろうが普段の口調で返した。それだけ意外だったのだろうが、悪戯っぽい笑みを浮かべた同僚から明るい予兆を感じ取ったのかもしれない。
「まあ……」
眷属達の微笑みに、セプストも顔を綻ばせる。
こうしてミリィは、セプストと共にケームト王宮に参内することになった。アーケナがネフェルトートの父なのか、もし父なら二人の衝突を避ける方法はないか、これらを探るために。
「では早速、私の踊りを見ていただきましょ~!」
ミリィは立ち上がると、東屋から走り出た。そして彼女は、ここ最近で習い覚えたケームト流の舞踏を披露していく。
「ルンルンルン、ルルルンルン~」
満面に笑みを浮かべて軽やかに舞うミリィの姿は、ケームトの健やかな未来を保証するかのようだ。天空の太陽や吹き渡る風、輝く水面や咲き誇る花々も、眷属の妙技に彩りを添える。
そして楽しげな様子に惹かれたのか、彼女の周囲に鳥達が舞い降りる。
「あら~、トキさんにカワセミさんも踊りたいんですね~。それじゃ一緒に~」
ミリィは更に顔を綻ばせ、誘うように手を伸ばした。
するとトキ達はラインダンスのように左右に並び、カワセミ達は羽を煌めかせつつ宙に陣取った。そしてミリィと鳥達は、まるで心が通じているように息の合った舞いを披露していく。
右に左にとミリィが跳ねると、トキ達は朱色が美しい羽を広げて続く。その上で自由自在に飛び回るカワセミ達は、まるで光輝く宝石が踊っているようだ。
「時は来たり~、交わす笑み~、なんちゃって~」
「まったく……」
「その……とても和みます」
同僚の軽口にアミィは顔を赤くしたが、セプストの助け舟で再び表情を緩める。
本来が鷹の姿の金鵄族とはいえ、ここまで鳥達に慕われるものだろうか。少々変わってはいるが、これぞ眷属のあるべき姿なのかもしれない。
おそらくアミィは、そのように思い直したのだろう。彼女は手拍子で同僚の舞いに華を添える。
もちろんセプストも続いていく。そしてしばらくの間、奥庭は晴れやかな笑みと弾む声で満たされた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2020年4月上旬を予定しております。