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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第28章 新たな神と砂の王達
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28.21 王の過去・未来の王

 およそ十三年と五ヶ月前、創世暦989年元旦のケームト。国全体が祝賀に浮かれる中、王宮の一室に篭もって書物に目を向ける男がいた。


 長身だが肉付きの薄い体。年齢は三十前、しかし落ち着いた容貌から五歳は上に映る。

 真冬でも暑い土地だけあり、服は短い袖の上と膝丈の腰巻きのみ。どちらも白い薄布だから痩身が僅かに透けている。

 前には簡素な机、広々とした室内には何十もの書棚、これらを埋めるのは古びた巻物や分厚い()じ本など。誰もが彼を学者と思うだろう光景だ。


 しかし真実は違う。

 彼こそは後のケームト国王アーケナ、ただし創世暦989年初の時点では王弟ネチェリヘテプとして知られている。まだ兄メーンネチェルが王位にあるし、ネチェリヘテプからアーケナに改名したのは即位する直前だからである。


「……やはり手がかり無し、か」


 ネチェリヘテプは大きな溜め息を()くと、続いて焦燥も顕わな呟きを漏らした。そして彼は手にしていた巻物を閉じ、机の上にある小箱に手を伸ばすと上部に並んだボタンの一つを押す。

 すると図書室のように広い部屋が一様に薄暗くなっていく。


 卓上の小箱は魔力波動で灯りを操る装置、つまり無線式のリモコンだった。

 ここは書庫だけあって窓が存在せず、光源は天井に並ぶ魔道具の照明のみだ。しかし壁のスイッチまでは随分と歩くから、持ち運べる小箱でも操作できるようにしたのだ。

 ちなみにケームトの都市部だと、無線で点灯や消灯をさせる程度なら珍しくない。およそ十二年後にメリエンヌ学園研究所も同じような魔道具を作るが、ケームトは鋼人(こうじん)(つちか)った技術を活かして遥か以前に完成させていた。


 ただし王宮書庫の灯りは無段階の光量調整や色調変更まで可能な高級品だ。ネチェリヘテプがボタンから手を離すと、室内は近くをかろうじて把握できる程度の明るさに保たれる。


「残された時間は僅かだが……」


 薄闇の中で目を閉じたネチェリヘテプは、再び焦りの滲む声を響かせた。

 彼はケームト王家が長らく抱える問題に取り組んでいた。それも兄王メーンネチェルから厳命された最優先課題である。

 実は王の鋼人(こうじん)が年々操りづらくなり、最悪の想定だと数年で動かせなくなると予想されていたのだ。


 王の鋼人(こうじん)は成人男性の二十倍もの背丈を誇る。当然ながら非常に重く、いくらケームト王家が飛びぬけて魔力が多い血統といえど、扱える範囲を随分と超えていた。

 これを動かせる秘密は、魔力蓄積および変調機構による補助だ。地下深くにある魔力の流れを吸い上げて貯め、更に憑依術者の魔力波動と完全に同調させる仕組みである。

 ただし膨大な魔力を貯め続けるのは非常に困難で、待機中は自然に抜ける分を常時補充している。王の鋼人(こうじん)の格納庫は魔力溜りの真上というべき位置にあり、秘伝の術で造った経路から常に()み上げているのだ。

 だが近年、地下から供給される魔力量が減少の一途を辿(たど)っていた。


「代々の研鑽(けんさん)により、蓄積機構や揚力経路の魔法回路は何倍も効率的になった。秘録の通りなら初代や続く王達の魔力は我らの三割増し程度、大きく見積もっても差は五割ほど。つまり……」


 考えを整理したいようで、ネチェリヘテプは調べ上げた事実を並べていく。しかし彼は言葉を途切れさせ、先を続けるのが怖いというように口を(つぐ)んだ。


 実際のところ、王の鋼人(こうじん)に魔力を貯める仕組みは長年の努力で遥かに向上している。

 格納時に何十もの鋼獣(こうじゅう)に分けるのも、その工夫の一つだ。代々の王は()み上げた魔力の吸収効率改善を模索し、対象を扱いやすい大きさに分割する方式に辿(たど)り着いた。

 他にも伝導素材の吟味や魔法回路の工夫など、王達は様々な改良を施した。知力と財力の双方を注ぎ込み、何百年にも及ぶ長き時を費やし、それこそ『人が成しえる全てを』と表現できるほど。

 おそらくだが、これ以上を望むなら地下深くを流れる魔力脈に手を出すしかない。この星の内部を巡り大地に活力を(もたら)す、人知を超えた力そのものに。

 とはいうものの、それこそ人の手が届かない領域だ。


「魔力溜りの場所は初代を支えてくださった朱潜鳳様から教わった。あれほどの深みを調べるなど我らでは不可能、ましてや魔力脈の流れを変えるなど……」


 ケームトの初代王に手を貸したのは朱潜鳳と嵐竜だ。そして地中を自在に移動できる前者が魔力の流れについて教え、大空を我が物とし雲や雨を呼ぶ後者が水を操る(すべ)を授けた。

 そのため王冠には彼らの姿があるが、この真の理由を知るのは王族と高位神官だけだ。


 したがって魔力脈の調査や研究は、王弟であるネチェリヘテプが大半を担うしかない。

 同じくらい高度な魔法知識の持ち主は、王家だと他に兄王メーンネチェルのみ。しかし彼は政務に加えて王の鋼人(こうじん)による治水工事まで受け持っており、研究時間の捻出など不可能だった。


 とはいうものの、外部に協力を求めたら大混乱は必至だ。

 もし王の鋼人(こうじん)が使えなくなったら、砂漠を土地改良して造った都市や農場は消える。もちろん今日明日ではないが、巨大鋼人(こうじん)による補修なしでは十年持つかどうかだろう。

 そうなればケームト王国崩壊は避けられない。おそらく大河イテルに沿った小集落が残るのみ、他は魔獣の領域と化す可能性すらある。

 砂漠から現れる魔獣を撃退するのは、王族や神官達が操る(はがね)の像だ。魔獣の大半は人間の倍程度の大きさだが、中には並外れた個体もいるから生身だけでは立ち向かえない。

 それに非常に稀だが、国を囲むデシェの領域に棲む超大物が迷い込むこともある。これは王の鋼人(こうじん)に匹敵する大きさだから、他の手段では対処できないだろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「このオーセトも、いつまで持つか……」


 ネチェリヘテプが口にしたのは創世暦989年時点の王都、つまり彼がいる場所だ。

 少し後に国王となった彼は新王都アーケトを興すが、これも魔力脈の弱体化と関係があった。研究の結果、ここオーセトがあるメーヌウ湖南岸より北岸の方が魔力を得やすいと分かったのだ。


 最も効率が良いのは王の鋼人(こうじん)の格納庫があるメーヌウ湖中央の小島で、これは今も昔も変わらない。しかし徐々に魔力溜りが移った結果、オーセトの維持は難しくなりつつあった。

 この書庫にしても様々な魔道具を使っている。室内を照らす灯り、赤道近くの高気温から書物を守る冷却設備、虫害などを避けるための嫌忌装置、そして幾重にも渡る侵入防止機構。もし魔力を断たれたら、全てが無用の長物である。

 王都全体や周囲も同じ、特に水利に関しては深刻だ。この辺りは平坦で風も弱いから揚水の殆どは魔法装置頼りで、それらが機能しなくなったら他に移るしかない。


 もちろん完全に魔力が失せることはないが、王都を支えられなくなるのは明白だから早く手を打つ必要があった。

 既にネチェリヘテプは遷都すべきと兄王に進言しているが、内々の意見に(とど)めてもいた。下手に公表したら暴動になると双方が懸念した結果、当面は伏せることにしたからだ。

 そのため遷都計画についても、この時点ではネチェリヘテプが密かに腹案を練るのみである。


 このようにネチェリヘテプは容易に解決できぬ問題を複数抱えていたが、最近そこに新たな悩みが加わった。それは兄の隔意、ある件が原因でメーンネチェルから(うと)まれるようになったのだ。


「ネチェリヘテプ、居眠りとは大した余裕だな」


 唐突に扉が開き、室内に光が差し込む。しかし続く男性の声には明るさなど欠片もなく、それどころか暗い情念が満ちていた。


 王弟を呼び捨てる者など、国王メーンネチェルのみだ。そしてネチェリヘテプが兄の声を忘れる(はず)もなく、彼は目を開けると弾かれたように立ち上がる。


「兄上、これは……」


 最初ネチェリヘテプは、沈思黙考していたと返すつもりだったようだ。しかし扉へと向き直った彼は口篭もり、そのまま無念そうな表情で押し黙る。


「言い訳くらいしたらどうだ? そう、ネフェルトートの件のように……」


 メーンネチェルは皮肉も顕わな言葉を紡ぎつつ、扉脇の壁に手を伸ばした。すると室内は真昼のような光で満たされる。

 壁には卓上の小箱と同様のボタンが並んでおり、そこでも天井の灯りを操作できるのだ。


 先ほどまで王の顔は逆光で判然としなかったが、今は容易に見て取れる。

 メーンネチェルは威厳を示すべきと考え、鼻の下と顎に髭を蓄えた。しかし元が繊細な容貌だから、むしろ知性や品の良さを強調している。

 端的に表現するなら、彼は弟ネチェリヘテプと極めて似た面立ちなのだ。


 体つきも瓜二つと呼べるほどで、実際に二人を間違える者は多かった。五歳離れているがネチェリヘテプが早くに大人びたから、彼が成人したころは入れ替わっても側近すら区別できなかった。

 しかし双子のように似た姿も、今は全く違って見える。兄は瞋恚(しんい)、弟は失意を顕わにしているからだ。


「あれは赤子のときのお前を思わせる! それも当然、お前の子だからな。子を得られぬ私に代わり、お前が我が妃ヘメトに産ませた子……王の鋼人(こうじん)を受け継がせるために生まれた、呪われし存在なのだから!」


「兄上……」


 憎々しげな声で言い立てる兄に、ネチェリヘテプは反論しなかった。

 この件については何度も言葉を交わしており、もはや心を通わせることなど不可能。王弟の顔に浮かぶのは、そんな深い絶望と幾らかの悔恨のようだ。


 メーンネチェルは長く子を得られぬままだった。それも十数年を共にした妃ヘメトのみならず、数年前に後宮に入れた女性達も懐妊しない。

 そのため高位神官達は、王弟ネチェリヘテプとヘメトの間に子を儲けろと言い出した。ヘメトはメーンネチェルの妃で、ネチェリヘテプにはイティという妻がいるにも関わらず、まるで競走馬の交配のように魔力量の維持を強要した。

 ただし神々は不義を固く戒めており、神官達も最初から勧めたわけではない。まずヘメトとの離別を要求し、受け入れられぬと察したとき禁断の提案に移ったのだ。

 離縁か禁忌か。メーンネチェルは妻を心底から愛しており、心を狂わせるほど深く悩んだ。そして不眠の夜を重ねた末に出した答えは後者、彼は子を作れぬ男という不名誉な称号を避けようとした。


 常の王は自身の地位を親から子へ渡す。つまり子を儲けられぬ現状は、国王失格というべき大問題だ。

 ケームト王家の場合、王の鋼人(こうじん)を受け継ぐための魔力維持もあるから更に悩ましい。神殿の圧力が非常に強いとはいえ、秘密裏に同腹の子同士で結ばれたことすらあったほどだ。


 そういう歴史もあってか、メーンネチェルは妻ヘメトと弟ネチェリヘテプの関係を一旦呑んだ。しかし時間が経つにつれ、後悔の念が強くなってきたようだ。

 ヘメトが産んだ子、ネフェルトートの顔が弟を思わせる。そうメーンネチェルは主張しているが、最初から覚悟していた(はず)ではないか。

 おそらく彼の胸の内にあるのは怒り、妻を奪われたという行き場のない感情だ。それが今さらと呼ぶべき詰問を繰り返す理由に違いない。


 これを分かっているから、ネチェリヘテプは反論しないのだ。彼には彼の言い分があるが、どう語りかけても届かないと承知しているから。

 そのためネチェリヘテプは怨嗟(えんさ)を受け止め続ける。生きている限り、絶対に心から消えぬほど深く。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……夢、か」


 かつてネチェリヘテプと名乗った男、国王アーケナは横たわったまま静かに呟いた。

 とても苦い響きだったのに、まるで名残惜しむかのように彼は目を閉じ続ける。しかし事情を知る者がいれば、当然と頷くだろう。

 つい先刻までアーケナが見ていた夢は、兄と最後に言葉を交わした光景でもあった。一方的な非難のみで終わったが、それでも先王メーンネチェルが彼に向かって話したのは創世暦989年元旦までだった。

 その直後にメーンネチェルは体調を崩し、僅か半月ほどで崩御したのだ。


 これはメーンネチェルが密かに毒を飲んだからだ。

 といってもプライドの高い彼が明白な自殺などする(はず)はない。徐々に体を(むしば)むように調合した薬を幾度にも分けて服用したから、近しい者も殆どが病死と受け取った。

 もっとも弟であるネチェリヘテプは別だ。それに彼の妻イティやメーンネチェルの妃ヘメトも真実を察していた。

 それだけメーンネチェルはネフェルトートを(うと)んじ、その父と断じた弟を憎んでいた。家族や準ずる者達には、これは火を見るよりも明らかだったのだ。


 したがってネチェリヘテプは我を失うことはなく、外見上は平静に後始末をしていった。

 彼は淡々と即位の準備を進めさせ、その一環としてアーケナへの改名を済ませた。イティも驚愕から立ち直り、王妃に相応しい衣装を整えたり式典の段取りを学んだりと忙しい日々を送る。

 ただし先王妃ヘメトは違った。彼女は自分のせいで夫が死んだと己を責め続け、心を次第に病んでいく。

 そして幾らもしないうちに、ヘメトは伴侶の後を追う。アーケナが即位した日、彼女は王宮の塔から飛び降りて(みずか)らの命を絶ったのだ。

 そのため新王の初仕事は醜聞隠しとなった。アーケナは厳重な緘口(かんこう)令を敷き、しばらく後に先王妃が病死したと発表する。


 これだけ衝撃的な事件が重なったから、書庫の一幕はアーケナの心に深く刻まれた。十三年以上が過ぎた現在、創世暦1002年5月の今も幾度となく夢見るほどに。


「貴方……もしかして?」


 瞑目を続けるアーケナに声をかけたのは妻のイティ、つまり現在のケームト王妃だ。彼女は静かに身を起こし、伴侶の様子を確かめるべく美貌を向けた。


 イティは夫の七歳下、既に三十半ばに達している。しかし瑞々(みずみず)しい肌や(つや)のある髪は、年頃の乙女にも劣りはしない。

 半透明に近い薄物の下は、国一番の踊り手すら(うらや)む均整の取れた肢体。とても二男一女の母とは思えぬ若々しさだ。


 そんな時すら超えたようなイティだが、声には年齢相応の深みがあった。

 正しくは情念深さとでも表現すべきか。未明の寝室に広がったのは暗い声音(こわね)、夫への気遣いと同時に嫉妬や疑心などを多分に含んだ響きだった。


「ああ、あのときの夢だ。兄上に罵倒され、死んでも呪い続けると言われたときの……」


「……仕方がありませんわ。メーンネチェル様からすれば、貴方は妻を奪った男なのですから。それに最愛のヘメト殿に怒りをぶつけるわけにもいきませんし」


 淡々と応じたアーケナに、イティは険のある声を返す。

 昔からイティはヘメトを敵視していた。それはヘメトが王妃の座を奪った相手だからである。

 イティはヘメトより五歳下、つまりメーンネチェルとは一回りも違う。しかしケームトの王妃選定では魔力量が最も重視されるから、年齢差など些細な問題でしかない。

 そしてイティは幼いころから魔力が多かったが、残念ながらヘメトほどは伸びなかった。そのため神殿側は後者を推し、イティは予備扱いというべき地位に据えられる。

 つまり彼女は王弟ネチェリヘテプに嫁がされたのだ。


 ヘメトは義妹に礼を尽くしたが、それもイティからすれば勝者の余裕と映ったようで一層の反発に繋がった。しかしイティが先に子を得たことで少々風向きが変わる。

 王妃ヘメトには懐妊の兆候すら無いが、イティは跡継ぎたる男子を早々と産んだ。このままなら自身の子が王になるかもと期待し、攻撃の手を緩めたのだ。

 しかしイティの喜びは長く続かなかった。魔力で勝るヘメトに次代の王を産ませるべき、そして王弟ネチェリヘテプをメーンネチェルの代役にすべき、と高位神官達が主張したからだ。


「イティ、それは……」


「言い訳は聞き飽きました。……ともかくネフェルトートを王宮に戻さないでください。あの子をメルネフェルと結婚させるわけにいかないのですから!」


 アーケナが何かを言いかけると、イティは素早く(さえぎ)った。そして彼女はトト少年ことネフェルトートの名を挙げる。


 もしネフェルトートがアーケナとヘメトの子なら、王女メルネフェルとは異母兄妹になる。そのため彼を王族として公表することを、イティは頑として受け付けなかった。

 イティが産んだ男子達、長男ジェーセルと次男ウーセルは魔力が決定的に足りず王の鋼人(こうじん)を動かせない。実はアーケナが条件緩和の秘術を編み出したが、それを用いても二人は無理だと明らかになっている。


 もしイティの血統を王家直系に残すならメルネフェルを王妃にすべきだが、アムテリア達は過度の近親婚を禁じたから異母兄は避けたい。

 近親婚への姿勢はアーケナが興した黄昏信仰でも変わらないし、現在のケームトでも密かにアムテリア達を信じる者は多いから一般でも禁忌であり続けた。そしてイティも内々では従来の信仰を守っており、自身の子に禁断の道を歩ませないと強固に主張したのだ。


 それに更なる理由もある。

 イティのヘメトに対する敵視は、ネフェルトートにも及んでいた。仮に禁忌でなかろうが、憎き女の息子に愛娘を嫁がせるなど彼女が許す(はず)もなかった。


「くれぐれもお願いします。さもなければ貴方に力を貸すのは……」


「分かっている。お前の魔力なくして王の鋼人(こうじん)は操れない……全てはお前のお陰だ」


 イティの念押しに、アーケナは秘中の秘である事実を交えつつ応じた。

 彼の魔力は王の鋼人(こうじん)を動かせる下限に近く、長時間の作業など不可能だった。これを治水工事や都市建築すら易々と成すほどの域に押し上げているのは、イティの飛びぬけて優れた魔力譲渡能力だ。

 なんと彼女は自身の魔力の大半を譲り渡せた。アーケナが完成させた秘術を用いており彼の手柄でもあるが、イティの極めて稀な素質がなければ成立しないから事あるごとに言い立てるのも無理はない。


 以前にもイティは『貴方に力を貸す条件』と口走ったが、これはネフェルトートに王位を譲らないことを意味していた。

 娘のメルネフェルにも魔力譲渡の素質があるし、着々と腕を上げてもいる。そのため傍系王族のバーナルを娘婿に、というのがイティの望みだ。


「ええ、忘れないでください。貴方には私が必要なのです。私が誰よりも王妃に相応しいのです。だから私を……」


 仰向けのままの夫にイティは重なり、幾度も幾度も(ささや)きかける。

 自分の価値を訴えかけ、誰よりも有用だと繰り返す。亡きヘメトに対する対抗心を滲ませつつ、言葉だけではなく全身で自分の魅力を伝えていく。

 なまじ美しいだけに、執拗に夫を求めるイティの姿は鬼気すら感じるほどだ。


 対するアーケナは、静かに妻を受け止め続ける。狂おしいまでの愛情表現、あるいは嫉妬が転じた独占欲の発露に、我が身をもって応えたのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 アーケナとイティが重苦しい朝を過ごしているころ、遥か北でも国王夫妻が新たな一日を迎えていた。

 場所はアスレア地方の北端近く、東西メーリャ王国の間にあるアマノ王国メリャド自治領。かつては廃都メリャフスクと呼ばれたが、今年の二月初めにアマノ王国の飛び地になった。

 王はシノブで王妃はシャルロット、アマノ王国を代表する若き二人。昨日は東メーリャ王国とスキュタール王国を結ぶシューナ地下道の開通を祝い、今日はメリャド自治領の視察をする予定だ。


 ちなみにシノブ達は既に起床している。

 メリャド自治領とケームトの経度は殆ど同じだが、こちらは北緯50度近いから五月上旬だと四時半ごろには日が昇る。アーケナ達がいる低緯度帯に比べ、この時期だと一時間ほども早いのだ。

 もっとも今日に限っては、日の出と関係なくシノブ達は早起きしただろう。この創世暦1002年5月5日に、シノブとシャルロットの愛息リヒトが生後半年を迎えたからだ。

 そのためミュリエルやセレスティーヌ、そしてアミィを含めた五人は朝早くからリヒトに会いに行った。


「しかし手狭になったな」


「預かる子も随分と増えましたから」


 シノブが室内を見回すとシャルロットが続く。

 ここは魔法の家の一室である。メリャフスクは北大陸でも寒冷な地域に含まれるから、冷暖房完備の神具を宿としたのだ。


「これでも広くなったんですけど……」


「そうですよね……」


「私が初めて見たときより更に部屋が増えましたわ」


 遠慮がちなアミィの声に、ミュリエルとセレスティーヌが(ささや)きで応じた。まだリヒトが眠っているから、シノブを含め声量は随分と抑えている。


 魔法の家は当初に比べると内部が大幅に拡張された。

 外見は昔と同じで数室が収まる程度の平屋だが、神具の機能で内部空間が拡張され総床面積は六倍以上になった。それに部屋も随分と増えてゲスト用だけでも十数室、中には大部屋と呼べるものもある。

 今回の旅では、ゲストルームで最大のものをリヒトの育児室に当てた。しかし彼だけならともかく、オルムルを始め十四もの超越種の子がいるから少しばかり窮屈なのは事実だ。

 狭さを増す最大の原因は『神力の寝台』だ。これはシノブが着けた腕輪を通して超越種の子に魔力を与える神具だが、キングサイズのベッドよりも大きい。


『そろそろですね』


『はい』


 その『神力の寝台』の上で微かな声音(こわね)が響いた。声の主は岩竜オルムルと炎竜シュメイ、それに他の子も側に置かれた揺り籠を見つめている。

 オルムルが魔力波動で察したように、リヒトが目覚めかけているのだ。


「うぅ……あ……。お~?」


 リヒトは目を開けると同時に、怪訝そうな声を響かせた。どうやら普段と少しばかり違う様子に気付いたらしい。

 既にリヒトは、魔力波動を周囲の把握や意思伝達などに活用している。生まれたときから超越種の思念が飛び交う中で過ごしているから、体を動かすのと同じくらい自然に魔力操作を修得したのだ。

 そのためリヒトは迷うことなく両親のいる側に顔を向ける。視覚で確かめるより早く、魔力で二人の位置を察したからだ。


「リヒト、おはよう。そして生まれて半年、おめでとう!」


「おめでとう。とても嬉しいですよ」


「お~! おめ~! おめ~!」


 シノブとシャルロットが祝福するとリヒトは上機嫌な声で応じ、更に素早く寝返りして体も起こす。

 リヒトは両親の高揚を魔力波動で感じ取っている。贈られた言葉を何度も繰り返すのも、そこに特別な意味を読み取ったからだ。


「ますます賢くなりましたね!」


「本当ですわ!」


「将来が楽しみです!」


 感動の声を上げたのはミュリエルとセレスティーヌ、そしてアミィだ。三人は揺り籠の側に寄り、賞賛の雨を降らせ続ける。


『だいぶ魔力操作も上手くなりました!』


『私達みたいに飛びたいんですね~』


『まだ体を浮かすのは無理だと思いますが……』


『でも力が強くなったし、もうそろそろ自分だけで歩けるかも!』


 こちらは宙に移った超越種の子供達だ。岩竜ファーヴと光翔虎のフェイニーが真上から覗き込み、更に海竜リタンと嵐竜ラーカが斜め上に陣取る。

 他も年長の子は自身の力で浮遊し、まだ飛べない子は兄貴分や姉貴分に乗って揺り籠の上から眺める。


 最近オルムル達は毎日のようにデシェの砂漠のオアシスに行くが、夜は戻ってリヒトと共に就寝している。これは育児室に置かれた『神力の寝台』からシノブの魔力を得るためだが、まだ浮遊すら出来ない年少者達が帰りを待ちわびているからでもある。


 和やかな空気の中、シノブは隣へと僅かに顔を動かす。寄り添う妻の様子が気になったのだ。

 シャルロットは夫の視線に気づいたらしい。彼女は我が子に笑みを向けたまま、極限まで抑えた思念を発する。


──アマノ王国の未来を思うと、無邪気に喜ぶばかりではいられませんね──


 シャルロットは思念の波動をシノブだけに届く程度に絞っていた。

 彼女はシノブやアミィ達と違い、遠方まで思念を送れない。神々の加護で魔力が増したとはいえ、まだ神の血族や眷属とは明確な差があるからだ。

 一方でシャルロットは気配を抑える技に()けていた。父のベルレアン伯爵コルネーユや祖父の先代伯爵アンリが、どんな危機でも生き残れるようにと厳しい修行を課した結果である。

 この二つにアミィから教わった『アマノ式魔力操作法』が合わさった結果、彼女の魔力制御は眷属にも匹敵するほどとなったのだ。


 ちなみに乳母達は退出済み、つまりミュリエルとセレスティーヌ以外は全て思念を使える。しかし浮遊なども含め室内は様々な魔力で満ちており、たとえ超越種といえど限界まで抑えた波動を感じ取るのは難しい。

 そのためシノブ以外、シャルロットの思念に気づいていないようだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



──未来か。ケームトみたいに王家の血が絶対視されたら、俺達の子孫も道を誤るかもしれないな──


──はい。そうならないように手を打ちますが、いつか貴方のように特別な存在を熱望する者が現れるでしょう。どれほど厳しく警告しても、何百年も先まで縛れませんから──


 シノブとシャルロットは密やかな会話を続けていく。


 昨夜遅く、マリィとミリィの調査結果がアミィに届いた。そのためシノブとシャルロットを含めた三人は、ネフェルトートが現国王アーケナと先王妃ヘメトの間に生まれた子供かもしれないと知っていた。

 これが真実なのか、あるいは単なる噂に過ぎないのか、シノブ達は知る(すべ)を持たない。シノブは魔力波動で血縁関係を推測できるが、既に没した者と比べるのは流石に無理がある。

 そのためネフェルトートに伝えるのは保留し、更なる調査結果を待つことにした。


 十三年前に先王メーンネチェルが弟と交わした会話、それに今朝のアーケナとイティの一幕。これらもシノブ達は知らないから、ネフェルトート誕生の経緯や王族として公表されない背景については想像を巡らすのみだ。

 逆に地下の魔力脈が弱まったり移動しつつある件は、アーケナより詳しく把握している。葬祭殿に潜入したときのように、玄王亀ラシュスが地中深くから調べたのだ。

 したがってシノブ達はアーケナが遷都した理由などは、確証こそないが殆ど事実に近い域まで(つか)んでいる。


──おそらくだが、アーケナは自身の死で幕引きするつもりだろう。黄昏信仰を立ち上げたのも、その布石……腐りきった高位神官達を次代のために一掃したんだ。そして時が過ぎ、かつての(ゆが)みが完全に消えてから元の信仰に戻す。自身を倒した者……大人になったネフェルトートの手で──


 なんと凄絶な決意だろう。このように心定めるまでに、どれほどの悲劇があったのか。シノブはアーケナの過去に思いを巡らせる。


──王族は国に命を捧げるべきです……しかし我が子の手にかかるなど、あまりに不憫(ふびん)では? それに特別な血統の維持ですが、本当にケームトのためになるのでしょうか?──


 シャルロットの思念は、シノブの胸に重く響いた。アーケナに関しては望み通りにさせるべきかとも思うが、後半に関しては常々の懸念とも重なったからだ。

 シノブは先を考え、人を超えた力をなるべく使わないようにした。後代まで受け継げるか分からない以上、あまり頼りすぎるのは問題だからである。

 これをシャルロットは積極的に支持していた。幸いというべきかリヒトはシノブの後継者として申し分のない素質を持っているが、何代もすれば薄れてしまう可能性が高いからだ。


 しかしケームトのように、アマノ王国もシノブやリヒトの能力を残そうとするかもしれない。

 もしそうなったとき正しい決断を下せるか。家族や子孫だからと流されはしないか。シノブは自然と愛息リヒトに意識を向ける。

 同じ思いをシャルロットも(いだ)いたらしく、彼女も揺り籠の我が子を見つめている。


「と~! ま~!」


 無言の二人に応えたのは、リヒトの可愛らしい声だ。彼はシノブを『(とう)さま』と、そしてシャルロットを『ママ』と呼んだのだ。


 本来ならシャルロットは『(かあ)さま』と呼ばれるべきだが、リヒトはシノブの影響で母を表す語を『ママ』と覚えてしまった。

 この星の言葉をアムテリア達は日本語で統一したからシノブも外来語を避けているが、幼児が母を呼ぶ言葉として最初に思い浮かべたのは自身が年少時に使ったものだった。そしてリヒトだが、どうもシノブにとって自然なイメージを気に入ったらしい。

 これを集った者達は知っているから、誰もがシノブとシャルロットに顔を向ける。


「リヒトは本当に賢いですね!」


「アマノ王国も安泰ですわ!」


「ああ……」


 ミュリエルとセレスティーヌが褒め称える中、シノブは我が子へと手を伸ばした。しかし二人には曖昧な声を返したのみで、腕の中に移した愛息を見つめ続ける。


 リヒトは声と同時に、魔力波動でも語りかけていた。

 幼子が発したのは深い信頼を乗せた波動、無垢な心が放つ(まばゆ)い輝きだった。とても強く純粋な思いが、稀なる魔力で太陽のように強く(きら)めいている。

 まるで外を照らす朝日のように柔らかい光。それは父母への想いであり、どこか普段と違う二人に自分がいると主張しているようでもあった。

 少々大袈裟ではあるが、シノブは我が子に励まされたようにすら感じる。


──リヒトなら大丈夫だ。この優しい心で未来を照らし、先々に伝えてくれる──


──ええ。愛情豊かに、そして強く真っすぐに育てましょう。そうすればリヒト達が更なる世代に繋げてくれます──


「あい~!」


 シノブとシャルロットが顔を綻ばせると、リヒトも満面の笑みと弾む声で応じた。そして先々アマノ王国の未来を担うだろう赤子に、囲む者達は感動も顕わな視線を注ぎ続けた。


 お読みいただき、ありがとうございます。


 次回は、2020年2月中を予定しております。


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― 新着の感想 ―
[良い点] >「預かる子も随分と増えましたから」 超越種の子ばかりねー。 (*´∀`)σ)Д`) 幼稚園… [一言] >アーケナは自身の死で幕引きするつもりだろう。 >黄昏信仰を立ち上げたのも、その…
[一言] こういっちゃなんだけど、イティさん、感情に振り回されいるけれど比較的普通の人だったんですね(体質的なところは別として) しかし、先王に誰が毒を盛ったのか明言されてないのも気になりますが・・…
[良い点] ミリィは正太郎コンプレックスを拡げる為に王子育成記録を3部保管している
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