06.01 シノブ王都へ行く 前編
「義父上、快適な馬車ですね。雨が降っている間は、同乗することにします」
シノブは、伯爵家が保有する馬車の乗り心地に感心した。
あいにく小雨がしとしとと降る天気であったが、それ以外は特に問題はなく、ベルレアン伯爵一行は、領都セリュジエールを旅立っていた。
王都での事件もあり伯爵領内は可能な限り急ぐことにしていた。しかし、伯爵家の馬車はそんなことを感じさせない安定と静粛さを保っている。
「シノブ、雨の間と言わず、ずっと乗っていていいんだよ。これは最新式でね。バネなども使っているから、昔のものに比べて天地の差らしいよ。もっとも、私も昔の話は父上から聞いただけなんだけどね」
ベルレアン伯爵コルネーユは、シノブに嬉しそうに馬車について説明する。
行方不明になった従者アルノー・ラヴランの話を聞いた後、シノブは伯爵家に入る自分に敬称を付けないでほしいと彼に伝えていた。将来の義父から敬称付きで呼ばれるのを嫌ったのだ。
シノブの言葉を聞いた伯爵は嬉しげに頷くと、自分のことを父と呼んでほしい、と言葉を返した。それからは、二人は私的な場では、義父上、シノブ、と呼ぶようになっていた。
「今日はアデラールに泊まる予定です。ほら、ミュリエルが教わった歌に『アデラールの橋』と入れてくれた、あの場所です」
シノブの隣に座るシャルロットが、彼らの会話に混ざる。
アリエルとミレーユは外で騎乗しているが、今日は雨ということもあり彼女は馬車の中にいた。
終日騎乗しないため、今日の彼女は軍服は着ているが髪は降ろしたままだ。緩やかに波打つプラチナブロンドが、肩や背中へと流れている。
「ああ、アミィの歌だね。あの歌と踊り、家臣の子供達の間で流行ってるんだって?」
シノブは、9月ごろにアミィが教えた魔力操作訓練のための踊りを思い出した。
とある橋の上で輪になって踊る情景を歌った地球の歌を、アミィは「アデラールの橋で~」と歌詞を変えてミュリエルやジェルヴェの孫ミシェルに教えたのだ。
「ええ、シノブのようになりたいと、子供達も熱心に練習しているみたいですよ」
シャルロットは、英雄視されることが苦手なシノブに悪戯っぽく微笑みかけた。
「そ、そうか。まあ、立派な橋らしいからアデラールに着いたら良く見ておくよ」
案の定、彼は少し戸惑ったようだ。頭に手をやり、照れくさそうな様子を見せる。
彼から思い通りの反応を引き出せたシャルロットは、クスクスと小さな声で笑っていた。
「しかし、誰が子供達に教えたのかな?」
シノブは、どこから伝わったのか疑問に思った。
既にアミィの訓練法は『アマノ式魔力操作法』として領軍でも採用されている。だから、広まること自体は何の問題もない。だが、子供達まで真似しているとは思わなかったのだ。
「魔力操作の訓練として優れているので、サビーヌ達から広まったようですね」
シャルロットは、シノブにブリジットの侍女達から家臣の間に伝わっていったと教える。
「シノブ殿。我々魔力が少ない人間からすれば、上手く使いこなせるかは後の人生を大きく左右するのですよ。仮に私が親でも、子供に一生懸命練習させますね」
伯爵の隣に座っているシメオンは、真剣な顔で言った。
魔力は、平民よりは貴族のほうが多い。貴族達が、魔力を維持しようと魔力重視の婚姻をしてきた結果である。貴族同様に、騎士階級や従士階級でも、そういった傾向がある。
シメオンは、シノブにそんな現実的な背景があると説明した。
「もっとも、楽しいからやっている、という子供も多いようだけどね。そういう意味でも、あの訓練方法は優れているよ。アミィに感謝しないといけないね」
伯爵は、シノブを挟んでシャルロットの反対側に座るアミィに微笑みかけた。
彼は、シノブと同様に彼女に対しても呼び方を変えていた。
「ありがとうございます。シノブ様や伯爵家のお役に立てたなら嬉しいです」
アミィも、伯爵の賛辞に笑顔で答えた。
彼女は従者として外にいる、と言い張ったが、伯爵が強く勧めたため車中にいた。シノブもそうしてほしいと思っていたので、心の声でアミィに同乗するように頼んだからでもあるが。
ちなみに、イヴァールは、愛馬ヒポに騎乗しながら魔力操作の訓練をすると言って、馬上の人となっていた。
「アミィの教えたことは、きっと領地のためになるよ」
「はい、これは素晴らしいことでございます。家臣の能力が向上すれば、領内のさらなる発展が望めます」
シノブの言葉に、アミィの向かいに座るジェルヴェも大きく頷いた。
彼の言うとおり、身体強化にしろ魔術師として活躍するにしろ、魔力を上手く使用できて困ることはない。10年、20年と経てば、子供達も第一線に出ていく。彼は、その時のことを想像したのだろう。
「まあ、先々の事は置いておくとして、ミュリエルがあれほど楽しんでくれているんだ。親としては嬉しい限りだよ」
伯爵は、娘が真剣に魔術に取り組んでいるのが嬉しいようだ。楽しんでやっているから、とは言っていたが、彼も人の親である。娘の才能が開花する様を見るのは、やはり嬉しいのだろう。
「そうですね。見送りの時は涙ぐんでいましたが、父上のお言葉通り、あの子は毎日楽しそうです」
シャルロットも、伯爵の言葉を肯定する。彼女は2年もヴァルゲン砦に勤務していた。そのため、妹の面倒を見ることが出来なかったのを気にしていたらしい。
「シャルロットが砦から戻ってきたのも大きいと思うけどね。でも、あの涙を見たら無事に帰らなくちゃ、と思ったよ」
シノブは、姉の帰還こそがミュリエルのためになったのでは、と思っていた。シャルロットの妹に対する引け目を知っていたシノブは、自身の考えを彼女に伝えた。
「ふむ。今日の雨は、ミュリエルの涙雨ということかもしれないね。シノブの言うとおり、無事に帰って嬉し泣きに変えてみせようじゃないか」
伯爵は、王都で待つ困難を想起したのか、僅かに顔を引き締めると、一同に力強く宣言した。
◆ ◆ ◆ ◆
領都から南方100kmほどに位置する都市アデラール。領都からの旅人を迎える北城門の手前には、シノブが聞いていた通り大きな石造りの橋が架かっていた。
幸い雨も上がり、街道の路面は湿っているが雲も晴れ外は明るくなっている。シノブは馬車の窓から見える風景に見入っていた。
幅100mほどであろうか、広々とした川の澄んだ水面を横切る橋は、緩やかなアーチを描く橋梁の上が幅30mほどの橋面となっており、綺麗に敷石で覆われていた。
側面には細かな彫刻が施され、欄干も石造りで胸ほどの高さがある、立派な橋だ。
シノブは、元になった歌とは違って、これなら橋の上で踊っても大丈夫だろう、と考えた。
「シノブ、初めて見るアデラールの橋とレーヌ川はいかがですか?」
シャルロットは、シノブが優美な橋や、その周囲の情景に見惚れていると思ったようだ。
夕日が沈み行く都市アデラールの城壁や橋は赤く染まり、川面もキラキラと輝いている。ゆったりと流れる水上には、貨物を積んでいるらしき船が何艘か行き来していた。
「ああ、とても綺麗だね。美しくて、平和で、みんな楽しそうだ」
シノブの言うとおり、道や水上を行く人は、皆、穏やかな顔をしていた。
伯爵一行の馬車数台と前後を警護する騎士達の姿を見ても、彼らは恐れることもなく静かに道の脇によけて頭を下げていた。そんな彼らの、ごく自然に己から動く姿は、代々の善政を象徴しているようであった。
帝国や王都での事件など、ここには何の影響もない。シノブは、そう思いながら窓外の景色を見たまま、シャルロットに答えた。
「はい。これが、ベルレアン伯爵領です」
シャルロットの誇らしげな声音には、祖父や父の良政を受け継ごうとする彼女の強い決意が感じられた。そのためシノブは彼女の愛するものを目に焼き付けようと、美しい風景を見つめ続けた。
都市アデラールは、領都セリュジエールをそのまま縮小したような似通った構造だった。
建国して間もないころに作られた王領や各伯爵領の都市は、どれも同じ建築様式である。シメオンによれば、『メリエンヌ古典様式』というアーチを多用した幾何学的な設計の石造建築が特徴らしい。
「これもミステル・ラマールが授けた知識と言われています」
シメオンの説明通りなら、建国王を導いた神の使いがもたらした建築様式だ。もしかすると信仰としての意味もあり、そう簡単に廃れないのかもしれない、とシノブは思った。
領都より若干背の低い城門に、少し幅の狭い大通り。その両脇は、王都メリエと領都を結ぶベルレアン南街道の要衝に相応しい繁栄を見せていた。
アデラールは南北だけではなく東西にも街道が伸びており、領内の都市セヴランやルプティ、更に南東のボーモン伯爵領とも繋がっている。そのためアデラールは、領都に続くベルレアン伯爵領で第二の都市となっていた。
大通りは交易の拠点に相応しく、商人の姿も多い。馬車から町の風景を眺めるシノブの目には、商店に混じり交易商を対象にした宿や彼らが訪れる酒場なども多数映っていた。
この領都より若干雑多な印象を受ける都市アデラールは、伯爵によれば人口、面積共にセリュジエールの半分ほどだという。
「さて、代官の館に着いた。今日はここで宿泊だね」
伯爵の言うとおり、中央区にある代官の館についたらしい。彼の説明では、都市の区割りも領都と同様に、中央区と外周区に別れているという。そして、領都で言えば伯爵の館のある位置に代官の館があるそうだ。
「閣下、お待ちしておりました。さあ、お入りください」
一行が馬車を降りると、黒い文官服を着た代官らしい男が出迎えていた。
温厚な顔をした人族らしい五十絡みの男は、文官生活が長いせいか、ふっくらとした体型であった。だが、その体格は年齢と共に、いかにも高位の官僚といった雰囲気を醸し出すのに役立っているようだ。
シノブは、大店の主のような押し出しの良さを見て、そんな第一印象を抱いた。
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