28.19 王族達の交流 後編
シノブがメリエンヌ王国に持つ領地、フライユ伯爵領。その領都シェロノワの郊外に置かれた軍の演習場で、戦装束の若者達が巨大な鋼人と対峙している。
若者は二人、エレビア王国の第二王子リョマノフとヤマト王国の王太子タケル。そして背丈が成人男性の三倍以上もある鋼の像を操るのは、ケームトから来たトト少年ことネフェルトートだ。
リョマノフの得物は並外れて長く重い大太刀、しかも左右の手に一振りずつ構えている。これは決して見かけ倒しではなく、先ほどは双方から衝撃波を繰り出して大地を割った。
タケルが手にしている太刀は寸法こそ普通だが特別製の魔道具で、術を使えば鋼鉄すら紙のように斬り割くという。実は彼を支える四人の女性による逸品、妃の立花と彼女に続く予定の巫女姫桃花、武者姫刃矢女、鍛冶姫夜刀美が想いと技の全てを注ぎ込んだ傑作だ。
実際に二人は生身であるにも関わらず、二階建ての家に並ぶ高さを誇る黒鉄の巨人と互角以上の戦いを披露している。
このような難敵を相手にするネフェルトートだが、それでも生命の危険は皆無に近い。
鋼人に宿るのは魂だけで、肉体は場外の待機所にある。そして今回は場外攻撃を反則としており、事故を別にしたら彼が負傷する可能性は無視してよい。
憑依術の歴史を振り返っても、術者が命を落としたのは肉体への直接攻撃や魔術による魂への干渉くらいだ。それ以外は依り代が破壊されても魂が体に戻るだけで、かなり無謀な策でも恐れることなく敢行できる。
鋼人や木人は極めて高度かつ高価な魔道具だから損失や大破は避けるべきだが、放棄や破棄が許される状況なら生身の人間では不可能な手段を選べるのだ。
それに対して王子達は生身であり、下手をすれば治療不可能な大怪我を負うし落命もあり得る。
そもそも鋼人と戦えるのは彼らが達人級だからで、本来は相当な武人でも生還すら危ぶまれる。人間同様の素早さを誇る巨像の手足をまともに食らえば常人なら即死、硬化魔術の使い手でも深手を負いかねない。
つまり普通に考えたらネフェルトートが圧倒的に有利だが、今の彼は明らかに攻めあぐねていた。
鋼人の全高は長身のリョマノフと比べても三倍強、素材が鋼で手足も丸太のように太いから重さは最低でも百倍以上だろう。この隔絶というべき差による優位が、逆にネフェルトートの枷となっているようだ。
王子達の防御の技や術が間に合わなければ殺してしまうかもしれないし、命があっても取り返しのつかない大怪我となる可能性もある。その懸念が躊躇いを生じさせるようで、これまで鉄巨人の攻撃は今一歩のところで相手に届かなかった。
しかし、そんな彼の逡巡をもどかしく思った者達がいる。それは今や若き勇者として名高い偉丈夫と貴婦人にも勝る麗姿の王太子、要するに対戦相手のリョマノフとタケルだ。
「アーケナはお前の叔父らしいと聞いた……つまりお前は親族殺しになるかもしれぬ。仮にアーケナが父なら親殺し、それを成す覚悟があれば赤の他人くらい倒せるだろう。
なのに躊躇いで手が届かぬなど甘い! 甘過ぎるぞ!」
焦れも顕わに、リョマノフは獅子吼と呼ぶべき叱声を発した。
獅子の獣人に相応しい巨躯の彼が仁王立ちで、しかも両の手には無骨にも思える豪壮な大太刀を一本ずつ握り締めて。アスレア地方風の鎧兜を陽光に煌めかせ、誰もが思わず震えるような大喝を天地に轟かせ。まだ十七歳だというのに、彼は歴戦の将すら頭を垂れる圧力を備えていた。
気の弱い者であれば、姿を見ただけ、あるいは声を聞いただけで崩れ落ちるかもしれない。
一方タケルは無言のままで、加えてヤマト大王家の直系だから人族にしても小柄で細い。しかし国を継ぐ者に相応しく、彼は盟友たる若獅子にも劣らぬ威風堂々たる姿を示している。
聳え立つ主峰のように天を指す太刀は、ハヤメの父である熊祖威佐雄が伝授した刀法より。完全なる無音の歩みは、リョマノフを始めとする俊英達との研鑽から。そして明鏡止水というべき静やかな魔力は、シノブの指導で。兄貴分が爆発寸前の火山なら、彼は深き氷雪で閉ざされた霊峰だろうか。
稀なる魔法刀だけあって、タケルの太刀は金色の光を放っている。彼は沈みかけた日輪を背にしているから、赤みを帯びた金光が神々しくすらあった。
『……他国の方々に迷惑を掛けられません』
ネフェルトートが操る鋼人は、その巨体に似合わぬ抑えた声を発した。
文官の子として育てられたこともあり、ネフェルトートは穏やかで優しい少年だ。その彼が会ったばかりの相手を傷つけられなくとも仕方ないが、国王になるなら状況次第で非情になれる強い心が必要だ。
そして今こそ決断力を示すときではないか。彼にとって今回の戦いは、国を背負う覚悟を示してケームト王に相応しいと認めてもらう絶好の機会なのだから。
しかし相手が親の仇などであればともかく、単なる模擬戦だとネフェルトートは冷徹になりきれないらしい。彼も成すべきことを理解している筈だが、最後の最後で心が揺らぎ動きが鈍ったようだ。
それらを察したのだろう。居並ぶ観客達の一部には、面に失望らしき感情を浮かばせた者もいる。
「これでは王として……」
「ええ。彼を支えて黄昏信仰を排除したいところですが……」
「そうですな。『黄昏の神』などという邪霊を崇めるアーケナは論外……しかし心弱き王が立てば亡国の元となる」
少しでも迷いを抱えていたら、実戦形式の試しなど断るべき。国王が温和でも構わないが、冷静な判断や要所での決断が必要だ。そんな言葉が貴賓席の各所で響く。
彼らがネフェルトートを優柔不断とする背景には、この場ならではの特殊事情もある。
リョマノフやタケルに万が一のことがあれば国際問題になりかねないが、審判は神の眷属たるアミィであり最悪の事態は避けられる筈だ。もちろん彼女は正体を伏せているが、もはやアマノ同盟の要人達にとって公然の事実というべき状態だから、任せておけば安心と誰もが信じ切っている。
ネフェルトートもミリィが眷属だと察しているし、アミィにも同様の敬意を払っているから真実に辿り着いているだろう。ならば不測の事態は彼女に託し、大胆な攻めで勝利を掴んで支援確約を取り付けるべき。仮にも国王を目指す者なら、そのくらいの計算は出来て当然ではないか。
どうやら見守る人々の大半は、このように考えているらしい。
◆ ◆ ◆ ◆
「では、このまま我が太刀を受けるのですね? 繰り返しますが、この刀は鋼の巨体だろうが……いや、貴方の魂すら斬りますよ」
タケルの声は冷たいまでに澄んでいた。
彼の兄は邪術の使い手に騙されたとはいえ策謀に溺れ、家臣の命を奪い父王にすら魔の手を伸ばした。結果的に弑逆は未然に防がれ廃嫡で済んだが、場合によってはタケルと死闘を演じたかもしれない。
そのような経験が彼に王者の厳しさを教えたのだろう。普段の柔和な様子は消え去り、代わりに気圧されるような鋭さを顕わにしている。
「この刀を作ったのは、私を支える四人の女性。
武者姫と名高いハヤメが監修し、ドワーフの鍛冶姫ヤトミが鍛えた刀身。そしてエルフの巫女姫モモハナが魔法回路を編み、妃のタチハナが各種の符と連動させる仕組みを完成させました。
……タチハナの師は、私の叔母でもあるヤマト姫の斎。つまり太刀には我が大王家の秘術が篭められている……断てぬものなど神々の御手による品のみでしょう」
金色に輝く太刀を、タケルは高々と掲げた。
観客席では名を呼ばれた女性達へと視線が動く。イツキ姫以外の四人は、タケルと共にシェロノワ来訪中だったのだ。
衆目を集めた若き女性達は、微かにだが頬を染めていた。いずれも上品かつ慎ましいヤマト撫子の見本というべき貴婦人だが、慕う男の賞賛を受けて心を動かさぬ筈がない。
「貴方は優しすぎ、即位後に成すべき断罪に耐えきれぬと見ました。ならば今ここで果てるのが、愛する国のためというもの……」
タケルが空へと突き上げた太刀は、沈みゆく日輪が乗り移ったかの如き赤々とした輝きを放つ。
まるでネフェルトートが歩む血塗られた道を示すかのように、あるいは彼の落命を暗示するかのように。天に向けた切っ先から柄元まで、刀身の全てが濡れたような深紅に染まっていた。
『私は……』
ネフェルトートは弱々しい声を漏らしたが、後が続かず絶句してしまう。
タケルの言葉を当然と受け取ったのか、それとも勝てぬ戦いと気持ちが折れたのか。いずれにしてもネフェルトートは深い苦悩に沈んでいるようだ。
心の揺れが鋼人の姿にも表れたのだろうか。先ほどまで力強く構えていた両腕が、誰が見ても明らかなほど下がっている。
拳を降ろしたとはいえ、大人の三倍を超える背の鉄巨人だから腕は結構な高さにある。鋼人が幾らか腰を落としているから、どうにか手首がタケルの顔より少々下という程度だ。
しかし、ここまで下がれば斬りつけるには充分。そう思ったようで、タケルの視線が自身の頭ほどもある鉄塊へと動いた。
もし片方でも拳を落とせば攻撃の幅が随分と狭まる。仮に肘から先を奪えたら戦闘力は半減するだろうし、斬り落とした側を狙えば攻略も容易い。これまでリョマノフは衝撃波で鋼人の足元を穿って動きを封じたが、片腕を失った相手なら更に踏み込んで胴を狙える。
そして落とすなら利き手ではなく反対側だ。
決闘に先立つ祝宴でネフェルトートは右手で握手したし、これまでの攻防でも右を出すことが多かった。したがって利き腕は右だろうし、そうであれば左より素早く反応できるに違いない。
つまり左を狙えば、ほんの少しかもしれないが成功する確率が上がる筈だ。
「きぇいっ!」
難易度の高い利き腕ではなく、まずは確実に一本。元々慎重なタケルだけあり、狙いを定めたのは左腕だった。
八双の構えに移ったタケルは滑るような歩法で瞬時に距離を詰め、溢れんばかりの魔力に満ちた太刀を振り下ろした。それも細身で小柄な彼に似合わぬ強烈な斬り込み、まるで稲妻のような速さと地を割らんばかりの思い切った斬撃である。
これが筑紫の島の王イサオが授けた刀法、熊襲慈厳流の一手『雲耀の太刀』だ。
王としてのイサオは大陸風の直剣を帯びるが、武術百般に通じており太刀の技も極めていた。
そこでタケルが小柄な自分に適した技を問うたところ、イサオは『雲耀の太刀』を勧めた。一見すると剛の極致のような技だが、むしろ体格に劣る者にこそ必要と断言したのだ。
熊の獣人で大柄な自分ならともかく、小兵のタケルが何合も斬り結ぶのは愚か。体が劣る分は技で補い、初太刀で制する術を会得して一撃一倒を成すべき。そのようにイサオは示し、愛娘を託す相手に必殺の刀技を授けた。
そしてクマソ王が叩き込んだ技は見事に結実し、タケルの斬撃は巨大鋼人の左腕を両断した。イサオの教え通りに全身全霊を篭めて振り下ろした太刀は、大木のように太い腕の肘から下を斬り飛ばしたのだ。
「あれを斬るとは!」
「流石ヤマト王国の!」
「いや、これは!?」
「まさか!」
成人男性の胴に勝る太さの鋼柱を太刀が通り抜けたとき、驚愕と賞賛の声が貴賓席に広がった。しかし直後、別の叫びが重なっていく。
なんとネフェルトートが操る鋼人は、斬り飛ばされた左腕を直後に右手で掴んでいた。巨体に似合わぬ素早さで反応し、まだ宙にあった腕の手首近くをガッシリと握りしめたのだ。
そして巨人は間を置かず、投擲の姿勢へと移る。狙う相手はタケル、刀を振り下ろしたままの若き王太子だ。
『くっ!』
投げる鋼人だが魔法刀の斬撃が魂にも影響したのか響く声は苦鳴に近いし、自身を離れた左腕を追って右手を伸ばしたから少々体勢も崩れている。
とはいえ相手がいるのは足元というべき至近だから、的を外すことはないだろう。タケルは躱すべく横っ飛びに跳ねたが、ネフェルトートも好機を逃すまいと依り代を操る。
巨人は右手首を捻りつつ、下手投げに近い要領で腕を振った。そして大きさからすれば当然だが、左腕だった金属塊は投石器での砲弾発射を思わせる重低音と共に放たれる。
「タケル!!」
誰もが息を呑む瞬間、紫電の速さで動いたのはエレビア王国の第二王子リョマノフだった。
若き獅子の獣人は、その恵まれた体格と種族特性である膂力を活かして自身の得物を投じていた。それも大太刀を二振り全て、両の手から続けざまに超重量級の豪刀を飛ばしたのだ。
巨大鋼人を斬るならと、リョマノフは自身の背丈ほどもある大太刀を持ち出した。もちろん長さに見合った身幅と分厚い重ねで折れにくくした特別製だ。
そのため大太刀は規格外の重量で、二つ合わせたら成人女性の体重に匹敵する。これを音すら超える速さで投じたから、場内には爆音と共に濛々たる砂塵が舞い上がった。
◆ ◆ ◆ ◆
砂煙が晴れ、タケルの姿が現れる。
若き王太子は表情を硬くしているものの、その体には傷一つない。リョマノフが投じた二刀は、見事に鉄塊を撃ち落としたのだ。
リョマノフは愛刀に回転を与え、柄頭から当てた。刃を先にすると的に刺さってしまい、軌道を変える力が弱いからだ。
そして彼の思惑通り、鋼の腕は進路を大きく転じてタケルの横を通り抜けた。今は少し後ろの大地を深く抉り埋もれている。
それでは二振りの大太刀はというと、タケルの手前の地面に突き刺さっていた。やはり相当に頑丈な造りのようで、どちらも僅かな歪みすら見当たらない。
「流石リョマノフ様……」
観客席で吐息めいた声を漏らしたのは若獅子の婚約者、キルーシ王国の王女ヴァサーナだ。こちらも武術に長けているから、投擲に篭められた意図を読み取ったらしい。
それに声こそ出さぬが、タチハナを始めとするヤマト王国の女性陣も表情を和らげる。彼女達は優れた巫女や武人でもあるから魔力波動や気配でタケルの無事を察していただろうが、元気な姿を目にしたら安堵の思いも強くなるというものだ。
「なるほど……刃では押しのけるに足らぬか」
「しかも回転させた結果、叩き落とす形になりました。もちろんリョマノフ殿の意図通りなのでしょうが、あの瞬間にそこまで……」
豹の獣人の乙女に続き、賞賛の声が広がっていく。
鉄塊がタケルに届くまでの刹那に投じた早業。軌道変更のために柄から衝突させた工夫。どちらもリョマノフが稀なる達人と示すに相応しい。
このように観客達が言葉を交わす間にも、若者達と鋼人は新たな攻防に向けて動いている。
まずリョマノフが駆けて二振りの得物を掴み、タケルが後ろに跳んで太刀を構えなおす。一方ネフェルトートが操る巨像は身を低くしつつ右拳を突き出すと、王子達との距離をジリジリと詰めていく。
思わぬ奇襲を受けた王子達だが、相手の片腕を奪えたから上首尾というべき成果だ。残る右腕を落とすか片足にしてしまえば勝ちは確定、後は反撃を食らわずに実行できる好機を待てば良い。
逆にネフェルトートは厳しい状況だ。もはや奇手は通じないだろうが、迂闊に飛び込めば返り討ちは必定。彼が警戒も顕わに様子を窺うのも当然である。
果たして勝負の行方は。貴賓席に集った多くが声を潜めて見守る中、場の緊張を解すかのような明るい音が広がっていく。
それは賞賛の表現。席を立ったシノブが手を打ち鳴らしたのだ。
「見事だ! 片腕を囮にした秘策、リョマノフだから凌げたが勝負を決するに充分な一手だった。それにタケルの斬撃を受けたにも関わらず憑依を保った精神力も素晴らしい……あれは魂まで届いただろうに」
まずシノブはネフェルトートの策を誉め、次に実現できた意志の強さに触れた。
勝負が動く直前、鉄巨人が戦意を失ったかのように腕を下げたのはネフェルトートの誘いだった。つまり彼は左腕を犠牲にしてタケルの魔法刀を封じようとしたわけだ。
ここまでは武術を修めた者なら誰もが察するところだが、後半は相当に憑依術を知っていないと分かりかねる事柄だ。普通の武器と違ってタケルの太刀が魔力や霊体まで削っていたと見抜けるのは、メリエンヌ学園の研究者でも鋼人や木人に通じた者のみである。
たとえば研究所所長のミュレ子爵マルタンやヤマト王国のエルフ多気美頭知、それにデルフィナ共和国の大族長エイレーネなど同じく符術を極めたエルフ達。この場に呼ばれた専門家が大きく頷く中、武人を中心に納得がいったという態の響きが漏れる。
「リョマノフ! タケル! これなら合格として良いのではないか?」
「そうですね。ネフェルトート殿にはアマノ同盟を存分に見てもらうつもり……それに明日はアスレア地方北部に移動してシューナ地下道の開通式に臨席する予定、無事に伴いたいものです」
シノブの意図が幕引きにあると察したらしく、隣のシャルロットも立ち上がって美声を響かせる。
実際のところ王子達は充分に目的を達した筈だ。ネフェルトートは知力と胆力の双方を示したし、眼前の相手を打ち倒せる芯の強さも見せた。これ以上の試しは不要、そう宣言して得物を収めても異論は出ないだろう。
しかしリョマノフとタケルは今しばらく競い合いたいらしい。あるいはネフェルトートに意表を突かれたままでは収まりがつかないのか。
これを見て取ったシノブは万一の事態を避けるべく手打ちへと動き、王子達の勝利は動かぬと触れつつネフェルトートの勇気と知恵も称えた。要するに双方に傷がつかないよう事を運んだのだ。
とはいえシャルロットの言葉も事実で、翌日は3000㎞以上も東に飛んで東メーリャとスキュタールを結ぶ地下道の開通式に臨む。これに先方と縁があるリョマノフは是非にと招かれているし、タケルもヤマト王国の代表として外交がてら出席する。
したがって怪我などしたら困るのは彼らも同じ、そろそろ終わりにとシノブ達が計らったのも至極当然だ。
「お恥ずかしい……熱くなりすぎたようです。ネフェルトート殿、素晴らしい戦いぶりでした!」
「ああ! どうやら迷いを振り切れたようだな、合格だ!」
タケルは少しばかり頬を染め、リョマノフは晴れ晴れとした笑顔で。浮かんだ表情は対照的だが、賞賛の言葉に宿る若者らしい清々しさは共通している。
やはり二人は試しということを忘れ、熱闘に没入していたようだ。しかしシノブの言葉で冷静さを取り戻し、ネフェルトートに国を率いる器量ありと認めて素直に矛を収めたのだ。
『ありがとうございます! お二人の教え、決して忘れません!』
一方のネフェルトートは喜びを声に滲ませつつも、同時に感謝の気持ちを顕わにした。彼は己が操る鋼人を跪かせ、まるで騎士が主にするような深い礼を贈る。
「これにて試しを終わりにします!」
審判役のアミィが終了を宣言すると、観客席に拍手の音が広がっていく。
ある者はネフェルトートの奇策と実現させた精神力を称え、別の者はリョマノフやタケルの技に改めて驚きを表す。このように取り上げる事柄は様々だが、いずれも晴れやかな顔というのは共通している。
ネフェルトートは王に推せるだけの素質を備えている。彼を旗印にすればアーケナを倒せるだろうし、黄昏信仰も根絶できる。そんな囁きが示すように、同盟各国の統治者達は決闘の結果に満足かつ安堵していたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
ネフェルトートが国王に必要なことを学び、アマノ同盟の要人達も彼を認めた。それ自体は歓迎したシノブだが、単純に喜んでばかりもいられないと思いもした。
やはり同盟各国は黄昏信仰を許容しない。喜びに沸く代表者達の姿に、改めて今回の問題の難しさを感じたのだ。
シノブは盟主だが自身の考えを押し付けたくないし、これまでも集った者達の意見を尊重しようと務めてきた。
個人としては多様な価値観の並立を望むが、それは地球生まれの自分ならではの視点。異なる思想に意義を認めるなら、アムテリアを慕う彼らの心も大切にすべき。このような信念がシノブに自重を促した。
それに極めて繊細な問題でもある。異神達を倒したシノブへの信頼は絶大で彼の意見は常に大筋そのまま受け入れられたが、信仰に関しては事情が異なり下手をすると同盟崩壊すらあり得る。
アマノ同盟の誕生は異神達の脅威を退けるため。裏返すと、この星を創ったアムテリア達への信仰を守るための集まりだ。したがって異神らしき『黄昏の神』の許容は、大袈裟に言えば同盟の基本理念と相反する。
まだ若いシノブが唯一無二の盟主として盤石の体制を維持できるのも、彼がアムテリアの血族だと皆が承知しているからだ。流石に公表していないが各国要人には内密理に伝えた者も多いし、他もアマノ王国誕生の際にアムテリアが祝福を授けたことなどから真相を察している。
もちろん彼の成した事柄、ベーリンゲン帝国の打倒や各国での難題解決は大いに評価されている。しかし根本には星を守る神々への尊崇の念があり、その想いが強固な支持に繋がったのも事実だ。
それだけにシノブは謙虚であろうと己を律したし、皆が語らう場としての同盟を大切にしてもいた。それに彼個人の主義や好みを別にしても、せっかく踏み出した協調への一歩を無に帰すのは愚かに過ぎるだろう。
アマノ同盟の結束を堅持しつつ、ケームト王国の自主性を重んじ、穏便な解決へと誘導する。
なんとも困難な課題にシノブは思わず溜息を漏らしてしまった。もっとも今は周囲に誰もおらず、若き盟主の吐息は宙に霧散するのみだ。
ネフェルトートの試しは昨日のこと、まだ夜明けから一時間ほどだが新たな一日は既に始まっていた。今はシューナ地下道開通式に出席すべく、アマノ号で遥か東のアスレア地方へと向かっている最中である。
ただし先ほどガルック平原を越えてアマノ王国に入ったばかり、運び手は超越種最速を誇る朱潜鳳達だが到着まで八時間ほどもある。したがって朝食や昼食も空の上、これからの半日は客人達をもてなしつつ過ごす予定だ。
そんなこともあり、シノブは自身が受け持つ三人へと視線を向けた。もうそろそろ朝食だから、中に入るよう促すべき頃合いでもある。
「しかし腕を斬り落とさせて投げるなんて、よく考えたな!」
「ええ、驚きました。それに私の太刀は魂も削ったのに……痛かったでしょう?」
「はい。でも、あれしか勝機を見いだせなかったので……」
相変わらず若者達は兄弟のように仲良く語らっている。どうやら彼らはシノブが思いに耽っていたことにも気づいていないようだ。
リョマノフが最年長で十七歳、しかも獅子の獣人だけあり大柄で他の二人より頭一つ以上も背が高い。その次は十六歳のタケルだが、彼は小柄だから二つ下のネフェルトートと大差なかった。
そのため一見すると何歳か上の長兄と双子の弟達のように映るし、実際も似たような距離感らしい。今もリョマノフが会話を主導しタケルとネフェルトートが素直に応じてと、実に自然なやり取りを続けている。
この微笑ましくすらある交流にシノブは頬を緩めたが、続く言葉で少しばかり表情を硬くする。
「ともかく凄い策だった! 将来トトは知略の王と呼ばれるかもしれん!」
「そうですね。ケームトには優れた技術がありますし、あの発想力を活かせば更なる繁栄を齎せるでしょう」
「いえ、実は私だけの考えではないのです。あれはミリィ様が仰った『砲弾拳』が元でして……」
王子達が重ねて称えたのを気恥ずかしく感じたのか、ネフェルトートはミリィの発言から着想を得たと明かす。
現在ミリィ達はケームト西にあるデシェのオアシスを拠点とし、そこで豪タイガーという巨大鋼人の試験をしている。
操り手はカンビーニ王国の公女マリエッタと、オルムルを始めとする超越種の子供達。鋼人の調整や改良はガルゴン王女エディオラが率いる開発班の担当だ。
今のミリィは潜入調査があるから直接関与していないが、構想の初期に多くのアイディアを出した関係で時々助言をしていた。そして彼女の提案の一つに『腕を飛ばして遠距離攻撃に用いたら』というものがあったという。
「でも切り離したら魂が……」
「ええ。痛みはあるし回収できなかったら弱体化すると、反対意見が多かったそうです」
「新たな腕を生やす……のは無理か」
タケルの指摘にネフェルトートが頷き返すと、興味を抱いたらしきリョマノフが口を挟む。
しかしメリエンヌ学園の技術力でも金属生成など不可能だし、替えの拳を用意するくらいなら最初から複数の砲弾を携えておけば済む話ではある。そのため一案を示したリョマノフも非現実的と自己完結したらしく、結局は笑い話として終わる。
一方シノブは噴き出しそうになるのを堪えていた。日本で生まれ育ったシノブは『砲弾拳』がロケットパンチだと即座に分かったし、アニメを含む地球のサブカルチャーをこよなく愛するミリィが要望したのも当然と納得したからだ。
とはいえ少々呆れもしたし、きっとホリィやマリィに叱られただろうと案じもした。そして同時に、今日の潜入は大丈夫だろうかと遥か南方のケームトに思いを飛ばす。
この日の夜、ミリィはケームト王族女性と会う。
相手は次期国王候補バーナルの母、ネフェルトートが生まれた十四年前には王宮に上がっていたという。つまりネフェルトート出生の謎を解く手がかりを得られそうではあるが、彼女は厳格な性格らしいから奇矯な行動が目立つミリィを敬遠する可能性も否定できない。
「シノブ様?」
呼びかけの言葉を発したのはネフェルトートだ。よほど気にかかったのか、彼は怪訝そうに小首を傾げている。
それにリョマノフやタケルも物問いたげな様子を隠さない。シノブは三人を見つめたまま黙りこくっていたから、何があったのかと不審に思ったのだろう。
「……いや、なんでもない。さあ、そろそろ朝食だ! 中に入ろう!」
シノブは微笑みを返し、宣言した通りに船体中央に置かれた魔法の家へと向かう。
きっとミリィは上手くやってくれるだろう。こうやってケームト王国の鍵となる少年を見事に探し当ててくれたのだから。それが単なる偶然だとしても、彼女が強運の持ち主という証に違いない。
少々自分に言い聞かせつつではあるが、シノブの心にはミリィへの変わらぬ信頼があった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2019年12月中を予定しております。