28.18 王族達の交流 前編
「ここがガルック平原なのですね……」
「ああ、そうだよ」
トト少年ことネフェルトートの呟きに、シノブは同じくらいに抑えた響きで応じた。
ガルック平原はメリエンヌ王国とアマノ王国の間にある高原で、国境の山脈を抜ける殆ど唯一の道でもある。南北に連なる稜線は大半が標高4000mほどだが、ここだけは半分にも満たないから真冬でも通れるのだ。
しかし二人が声を潜めた理由は、白く輝く山々や間を通る街道ではない。
ここはシノブが初めてベーリンゲン帝国軍と相まみえた『創世暦1000年ガルック平原の会戦』を含め、数えきれない戦いが繰り広げられた場所だ。創世暦450年のメリエンヌ王国誕生からシノブ達が終止符を打つまでの五百五十年もの間、無数の命が散った激戦地である。
ベーリンゲン帝国は建国以来、隷属の魔道具で作り出した奴隷を酷使して西の豊かな地を目指した。迎え撃つメリエンヌ王国は禁忌の技を使う者達を倒すべく奮戦したが押し返すには至らず、両国が初めて衝突したガルック平原は国境とされ長い対峙が始まった。
これは異神バアルがベーリンゲン帝国を裏から操り、代々の皇帝に力を分け与えていたからだ。そのため女神アムテリアの血族であるシノブが現れるまで、凄惨な戦いが延々と繰り広げられた。
しかしアマノ号から見下ろす光景に、かつての面影は全くない。
ベーリンゲン帝国が滅びた後、平原には街道が整備されて多くの旅人が行き交うようになった。昨年六月のアマノ王国建国後は更に整備が進み、戦場で散った人々を悼む慰霊施設も完成した。
メリエンヌ王国の砦近くには自国軍人や友好国を含む傭兵のための慰霊堂が設けられ、反対側にもベーリンゲン帝国の死者を慰める場が造られた。帝国兵の大半は戦闘奴隷だから彼らは被害者だし、現在のアマノ王国には血縁者も大勢いるからだ。
これらは公園のように整備され、緑や花々で満たされた。それに間の草原にも、同じく美しく飾られた場が多数生まれた。
大きな合戦があった地には国が、史書にも残らぬような小規模な戦場には関係者が。この星を守る女神アムテリアと彼女の従属神達は魂の輪廻を説いたから、参拝に訪れた人々は幸せな来世に進めるように祈りを捧げている。
「昨日、皆様に教えていただきました……。ここで散った方々のこと……どれだけ多くの犠牲があったかを……」
思い返しつつなのだろう。ネフェルトートは途切れ途切れに言葉を紡いでいく。
昨日フライユ伯爵領の領都シェロノワで、シノブのエウレア地方帰還一周年を祝う式典があった。そこでネフェルトートはアマノ同盟の統治者達と交流し、彼らの歩んできた道筋を改めて知った。
その中で多くが口にしたのは、ガルック平原での長き戦いについてだった。
フライユ伯爵領はガルック平原と接しているし、領軍は対ベーリンゲン帝国の要を担ってきた。それに『創世暦1000年ガルック平原の会戦』はシノブが初めて軍を率いた戦いで、ベーリンゲン帝国打倒の端緒でもある。
したがって誰もが当時を振り返り、そこに至るまでの長い歴史に触れたのだ。
「そうか……行きで紹介すべきだったな」
シノブは往路を思い返し、僅かだが頬を緩めた。
ガルック平原からシェロノワまで150㎞ほどもあるが、アマノ号を運ぶのは超越種最速を誇る朱潜鳳達だから二十数分で着いてしまう。そのため平原を通過する少し前に、シノブ達は到着後の準備をすべく室内に戻っていた。
シノブは国王の正装に着替えなくてはならないし、ネフェルトートにも冷涼な気候に合わせた衣装が必要だ。アマノ号は朱潜鳳達が結界を張ってくれるからケームトの服でも問題ないが、そのままでシェロノワに降りたら風邪をひくに違いない。
「いえ……」
ネフェルトートは異神が率いる国との戦いに思いを馳せたままらしい。彼は曖昧な言葉を漏らしたのみで、眼下の光景を見つめ続けている。
「シノブ様の御活躍……私も直に見たかったです」
どうもネフェルトートはシノブを英雄視するようになってしまったようだ。
おそらく彼は、アムテリアがアマノ王国建国を祝福した逸話などからシノブの出自を察したのだろう。相手が神の血族だと思えば、崇拝めいた感情が湧くのも無理はない。
「出来れば『さん』にしてくれないかな。未公表だけど君はケームトの王族で、将来は王になるかもしれないんだから……」
「私も王になる予定ですが、『様』とお呼びしております」
「しかも大王ですよ、シノブ殿。……あっ、ヤマトは大王だったか」
ぼやき混じりのシノブに声をかけたのは、ヤマト王国の王太子健琉とエレビア王国の第二王子リョマノフである。この二人も昨日の式典に出席していたのだ。
どちらもアマノ王国に常駐の大使を置いているが、シノブに会う良い機会だと遠路はるばる訪れた。
シェロノワとヤマト王国の距離は1万km近いから、朱潜鳳が休まず飛んでも一日以上は必要だ。そこでシノブが魔法の馬車の呼び寄せ権限を付与し、タケルの一行をシェロノワに転移させた。
リョマノフの場合は四分の一ほどと比較的短距離だから、定期便の飛行船でやって来た。彼は婚約者であるキルーシ王国の王女ヴァサーナと、数日間の空の旅を楽しんだのだ。
「そうですよね! シノブ様は『様』で良いですよね!」
子供のように華やいだ声を上げたのはケームトから来た褐色の肌の少年、つまりネフェルトートだ。
この三月で彼は十四歳になった。そしてタケルが十六歳でリョマノフが十七歳と、どちらも年齢が近い。
そのためネフェルトートは二人に親しみを覚えたらしく、出会ったときから積極的に語りかけた。
「ええ!」
「俺も二人を見習って『シノブ様』にしようかな」
王子達もネフェルトートを好ましく思い、仲間として迎え入れた。二人は兄弟分として友誼を結んでいるから、ネフェルトートが末弟として加わった形だ。
そのためネフェルトートは彼らと接するとき、少年らしい表情を覗かせるようになった。様付けで敬われるシノブとしては、少々羨ましく思うほどである。
もっとも三人の若者を微笑ましく思っている者は、シノブ以外にも大勢いるようだ。
タケルの妃立花や婚約者の三人は男同士の付き合いなのだからと遠慮したらしいが、一方で良き交流と喜んでもいるようだ。普段のタケルは王太子として気を張っているから、こういう身分抜きの友情を得難いものと思ったのかもしれない。
ヴァサーナは笑いたいのを堪えているらしい。リョマノフは兄と姉を持つ末っ子だが、今は長兄役を存分に楽しんでいると察したようだ。しかし婚約者を快く送り出したところからすると、彼女も良い出会いと認めたに違いない。
残る女性陣、シャルロット達も似たようなものだ。こちらはシノブを含めた四兄弟と見なした結果、貴重な息抜きの時間として見守るべきと判断したのだろう。
「でも、あんなことになるとは思わなかったな……」
じゃれあう三人を眺めつつ、シノブは笑みを浮かべる。今日は語り合いのみだが、出会ったときは少々違ったのだ。
ネフェルトートは文官の子として育てられただけあって人好きのする少年だが、それだけで王として立てはしない。これをタケルとリョマノフは危惧したらしく、意外というべき行動に出た。
少年達の出会いに思いを馳せたからだろう。シノブの思考は昨日の出来事に向かっていく。
◆ ◆ ◆ ◆
創世暦1002年5月3日の夕方前。帰還一周年式典を終えたシノブ達は、シェロノワの郊外にある演習場に移動した。
この演習場では『大武会』など領民も参加や観戦できるイベントを開くこともあるが、今日は限られた者だけが演習場に入った。
シノブを始めとするアマノ王家、伯爵領を預かる先々代フライユ伯爵夫人アルメル、各国の代表者達や家族。いずれも供を最小限にしての入場である。
これはネフェルトートの存在を伏せるためだ。
現在のところケームト自体僅かな者しか知らないのに、向こうの王族を招いたと公表するわけにいかない。そんなわけで何千名も収容できる一般観客席は無人のまま、貴賓席に僅か数十名が座すのみとなった。
「人品は及第点、次は憑依術……か。我らカンビーニなら武威を示すところだが」
「ケームトで重視されるのは、王の鋼人を動かせるかですからね」
カンビーニ国王レオン二十一世の太い声に、シノブは笑みを浮かべつつ応じた。
式典の前に開かれた午餐会で、各国の統治者達は先を競うようにしてネフェルトートと語らった。彼らは異教に支配されたケームトの現状を憂慮しており、次期国王になるかもしれない少年から現地の状況を知ろうとしたのだ。
幸いにしてネフェルトートは好意的に受け入れられた。
父は文官で自身も跡を継ぐべく学んでいたから、彼は会話を苦にしないし物腰も柔らかで品がある。もちろん王者としての教育は必要だが、言動からは豊かな将来性が感じられた。
そのためアマノ同盟の要人達は、ネフェルトートの後押しをすべきという意思を強くしたのだ。
こうなると残る問題は、ケームト王位継承における決まり事を満たせるかである。つまりネフェルトートが王の鋼人を動かせるかどうかだ。
しかし武王の異名を持つ男としては、国を率いる条件は己自身の肉体による強さであってほしいのだろう。カンビーニ王国は初代の『銀獅子レオン』から今の二十一代目まで、全ての王が国一番の勇者なのだ。
現に獅子王と謳われる男の顔には、複雑な感情が滲んでいる。孫の公女マリエッタが憑依術を修得し、オルムル達の魔力を借りてだが王の鋼人に匹敵する大きさの豪タイガーの操り手となったのは喜んだ彼だが、それは孫娘が武術も稀なる高みへと手を届かせているからだろう。
「私も武人ですから思うところはありますが、仕方ないかと……。彼らは鋼人で治水や緑化をし、砂漠を人の住める地に変えたのですから」
柔らかにだが、シャルロットは取り成すような言葉を発した。
ミリィ達から寄せられた報告には、映像の魔道具で記録したケームトの光景もある。巨大な人工湖の周囲に広がる肥沃な農業地帯や石造りの壮麗な建築物で満ちた王都など、元が周辺と同じ不毛の地だったとは信じられない情景も含まれていた。
これらをシャルロットは観ているから、ケームトの統治に憑依術が欠かせぬと理解しているのだ。
「娘から聞きましたが、それでも信じがたく思いますよ。よほど魔力の多い家系なのでしょうが……」
ガルゴン国王フェデリーコ十世が挙げた娘とは、もちろんエディオラのことだ。
エディオラは豪タイガーの開発者として、ケームトに隣接するデシェの砂漠にあるオアシスに赴いた。これをフェデリーコ十世は許したが、同時に日々の報告を義務付けた。
そのため彼は、シノブやシャルロットほどではないがケームトの実情に詳しい。
「私はケームト王家や神官団が秘匿する技術に驚きました」
「そうですね。巨大鋼人の格納庫が一晩で元に戻ったのも、あらかじめ用意した仕組みだとか……」
デルフィナ共和国の大族長エイレーネの言葉に、隣のミュリエルが相槌を打つ。
祖母のアルメルと共に、ミュリエルはエイレーネ達エルフの一団と同じテーブルに着いていた。ここにはドワーフであるヴォーリ連合国の大族長エルッキもいるが、どちらもフライユ伯爵領内のアマテール地方やメリエンヌ学園に様々な形で手を貸しているから礼を述べる意味もある。
ミュリエルはシノブの婚約者だから先々は姉と同じくアマノ王国の妃になるが、フライユ伯爵家の血を継ぐ者として将来は伯爵夫人の称号も得る。したがってシェロノワでの彼女は祖母を助け、伯爵家の一員として動くことが多かった。
「セレスティーヌ、あらかじめ用意した……とは?」
「屋根や壁の予備が一式あるそうです。あくまでも街の噂にすぎませんが」
父であるメリエンヌ国王アルフォンス七世の囁きに、セレスティーヌは同じく小声で応じた。
こちらはアルマン共和国大統領ジェドラーズやウピンデ国の大族長ババロコが同席しており、彼らがアルフォンス七世に更なる情報を提供する。アルマン共和国は王国時代に王女だったアデレシアがエディオラの補佐をしているし、ババロコの娘エマはミリィの配下として働いているのだ。
ミリィ達が王の鋼人の格納庫に潜入したとき、なんらかの仕組みにより即座に王都へ伝達されたらしい。直後に王都から呪符が飛来した以上、そう考えるのが妥当だろう。
この呪符が庫内に入ると、間を置かずに王の鋼人が屋根と壁を破って出現した。これは中にあった無数の動物型金属像が組み合わさって誕生したものだが、合体以外にも大きな謎を残した。
巨大鋼人が壊した格納庫は、僅かな間で元通りになったのだ。
こういったことは過去にも何度かあったらしく、ケームトには伝説めいた噂が伝わっていた。それは王の鋼人が眠る場には様々な仕掛けがあり、侵入者の排除どころか建物自体も勝手に直るというものだ。
格納庫が置かれているのは巨大湖の中央にある島で、しかも一般人の立ち入りは禁止されている。したがって真偽は分からぬものの、過去の王達の言動からすると事前に用意した建材を使って修理するらしい。
修理といっても一晩で復元されたことから考えると、ほぼ完成状態の壁や屋根が地下にあったのだと思われる。格納庫はエウレア地方の大神殿にも劣らぬ規模だが、王の鋼人の背丈は人間の大人の二十倍近いし、板を箱状に組み合わせる程度なら短時間でも可能だろう。
しかし理論的に問題ないからといって、実現できるかは別だ。貴賓席にいる者達がネフェルトートに関心を寄せる背景には、ケームトの異常とも思えるほど優れた技術があるに違いない。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブが来賓達の観察を続けている間に準備が終わったらしく、演習場にリョマノフとタケルが入場してきた。どちらも戦支度だが、見た目は相当に違う。
リョマノフはエウレア地方にも近いエレビア王国の出身、ここは朱潜鳳達が維持する大砂漠の影響で暑いから地球の中東風に似た衣装だ。具体的には頭にターバン、袖や裾が比較的ゆったりした服である。
もちろん戦支度だから防具はある。ターバンはミスリル製の兜の上からで、手にも甲を当てている。それに袖から覗く煌めきからすると、鎖帷子も着込んでいるようだ。
手に持つのは身長ほどもある長い湾刀、既に抜いているから陽光を浴びて眩しく輝いている。これは日本刀のように切っ先から鍔元まで身幅が殆ど変わらない形状だが、違う点もあり柄は短い片手用だし護拳も存在する。
この星の武人の多くは魔力で身体強化をするから、特に優れた者なら片手で超重量級の武器を操れる。そしてリョマノフは誰もが認める達人で、自国や隣のキルーシ王国に存在した古式一刀流の絶技『飛燕真空斬り』を再現したほどだ。
したがって彼が軽々と得物を掲げても驚くに当たらないが、観客からは僅かだがざわめきが生じていた。リョマノフは左右の手に一振りずつ持っているし、輝きから刃引きをしていないのが明白だったのだ。
タケルも真剣のようで、手にする太刀は冷たくも美しい光を宿している。
ヤマト王国の国土は大陸の東にあるヤマト列島、つまり日本に相当する場所だ。そのため刀も日本刀と酷似しているし、服も中世の武士を思わせる直垂である。
どうやらリョマノフが前衛でタケルが後衛らしく、こちらは防具らしきものを着けていないし太刀も定寸程度らしい。しかも刀は儀式用のように飾られており、大きな鍔は黄金らしき光を放っているし宝玉が散りばめられてもいる。
タケルの腰帯には符と思われる金属製の札が何枚も下がっているから、刀は念のためなのかもしれない。
「リョマノフ殿、また腕を上げたようですね」
「ええ、驚きました」
「タケル殿下の魔力も相当に増していますよ。うまく隠していますが……」
「そういうテオドールも感知の精度が上がったようだね」
演習場に立つ王子二人を評したのは幾らか年長の青年達と、中年と呼ぶべき男性だ。
先に言葉を交わしたのはカンビーニ王太子シルヴェリオとガルゴン王太子カルロス、どちらも極めて優れた武人だからリョマノフに目が向いたようだ。シルヴェリオはリョマノフの姉オツヴァを第二夫人としたから、義弟の成長が気になったのもあるだろう。
続いたのは甥と叔父、メリエンヌ王太子テオドールと元メリエンヌ王国筆頭公爵で現在はアマノ王国宰相となったベランジェである。今回アマノ王家は各国元首の接待に回ったから、王子や大使は閣僚級や側近が引き受けているのだ。
他のテーブルを囲む者達も同様にリョマノフとタケルを注視し続けたが、しばしの後に彼らの顔は別方向へと向けられる。王子達が見つめる先、観客席の左手から重々しい音が響いたのだ。
「おお、来ましたな」
「あれをネフェルトート殿が……」
観客達が耳にしたのは何者かが歩んでいるような連続音だった。ただし一つ一つが大岩でも落としたように鈍く低い轟きで、相応しい振動を伴っている。
新たに入場したのは鋼人、それも背丈が大人の三倍以上はある代物であった。武器は無いようで両手は空だが、その巨体だけで充分な威圧感を備えている。
ここシェロノワを領都とするフライユ伯爵領は北のアマテール地方にメリエンヌ学園を持つし、学園の研究所では様々な木人や鋼人を開発してきた。
現在は多くが実用に供されており、憑依術を使えない者も鉄道敷設や都市開発で目にする機会は多い。それに研究所が保有する身長20m級の試作型は昨年アスレア地方の戦いで活躍したから、他国の軍人でも知る者は大勢いる。
ましてや貴賓席にいるのは各国の代表者だ。彼らは最大級の戦闘向けから子供より小さな配管点検用まで見学済みだから、全高6m弱では今さら驚くに値しない筈だ。
そんな貴顕達が声を抑えきれなかったのは、操り手であるネフェルトートが憑依術を習い始めて一週間少々だと知っているからだ。
憑依術は特別な適性が必要で、しかも多くは等身大の木人を操る程度だ。これは魂が持つ総魔力量と、それを意識と合わせて体外に放出できる分量が問題となるからだ。
他の何かに魂を移す才能があっても、対象を操るだけの魔力を持たなければ動かせはしない。工事や戦闘なら長時間操作できるだけの魔力量が必要だし、仮に魔力が多くても持てる全てを術に注げるかは別である。
研究所の調べだと、魂自体の魔力量は条件を満たす者が多いが憑依の素質で大半が脱落するという。それに運よく適性があっても自身と同様に動かすには長い訓練が必要で、しかも殆どは術に使える魔力が僅かしか増えない。
「それなのにネフェルトート殿は、重い鋼の像を動かした。憑依術で本当に問題となるのは大きさより重量……。あの重さを苦もなく動かすのは生まれつき魔力操作に長けたエルフの専売特許かと思っていましたよ。もちろん陛下やアミィ様達のような例外はありますが……」
「ええ。私も人族ではタケル殿下など大王家の方々しか知りません」
こちらはメリエンヌ学園の研究員達である。ただし所長のミュレ子爵マルタンを始め、列席したのは主要な者ばかりだ。
ちなみにミュレに応じたのは、ヤマト王国のエルフ多気美頭知だ。彼は元々優れた憑依術者であるのに加え、タケルと同じ国の出身だから特別に選ばれた。
それはともかく二人が触れたように、短時間で憑依術を修得する者達がいるのは事実だ。
アミィなど神々の眷属達は即座に動かしたし、シノブも一時間もせずに覚えた。ヤマト大王家もアムテリア達が故地に似た場所を統べる一族として強い加護を与えたから、彼らも僅か数日で人の十倍もある巨大木人を自在に操るまでに上達した。
しかし彼らは常識外というべき存在だ。それをミュレやミズチは知っているから、ネフェルトートの素質を正確に読み取ったようだ。
少なくともネフェルトートが王に相応しい魔力を備えているのは間違いないし、おそらくは憑依術も充分な伸びしろを備えていると。
◆ ◆ ◆ ◆
「それではネフェルトートさんの試しを始めます。対戦相手はリョマノフ王子とタケル王子、二人のどちらかを戦闘不能にするか降参させたらネフェルトートさんの勝利とします。それと勝負の場は演習場の中だけ、ネフェルトートさんの体がある待機所を狙うのは反則です」
審判役のアミィが中央に進み出て、勝負方法や注意事項を並べていく。
もしネフェルトートの操る鋼人が動けなくなったら彼の敗北。これは魔力欠乏などによる憑依解除も含むから、彼が有利とは限らない。
「これは……」
「ええ、どちらも決め手に欠けるのでは?」
「時間切れで引き分け……これでは締まらないでしょうし」
観客の多くは勝敗を読みがたく思ったようだ。
憑依対象に強化や活性化を行使できる者は少ないし、使える場合でも生身のようにはいかない。普通は魔術を使わずに自身の体を動かすときと同じ程度の素早さだ。
今回は三倍強の巨像だから普段のテンポで手足を動かせたら走る速さも三倍強となるが、それではリョマノフやタケルに追いつけない。
タケルは身体強化の代わりに活性化の魔術で超人的な速さを引き出すから、回避に専念すれば兄貴分にも劣らない。つまりネフェルトートが二人を捕らえるのは難しいだろう。
演習場は馬術競技も可能な広さだから、延々と逃げ回っても良いのだ。
とはいえリョマノフやタケルが魔力切れを狙うとも思えない。ネフェルトートの器量を確かめるため試練を課すと言い出した彼らが、そのような姑息と受け取られかねない策を用いるだろうか。
待機所は場外だから手出し禁止、したがってリョマノフ達は鋼人自体を相手にするしかない。つまり巨像を行動不可能に追い込むなら、手足を落とすなど相応のダメージを与える必要がある。
かつてタケルは刀術と活性化の魔術を併用し、腕の太さほどの鋼の棒を斬り飛ばした。リョマノフは魔術が苦手だが、彼は鍛えた体と磨きぬいた刀術のみで斬鉄を成すだろう。しかし今回は三倍以上の太さがあるし、動く相手だから据え物とは違う。
入場時の歩みから考えるとネフェルトートは自身の体と同程度に憑依対象を操れるようだから、攻撃されたら反射的に身じろぎくらいするだろう。その場合は刃が滑って斬れないだろうし、最悪は刀が折れる可能性もある。
「始め!」
ざわめきを払ったのは、アミィの澄んだ声である。見守る者達が勝負の行方に思いを巡らせる間に諸注意は終わっていたのだ。
「行くぞ!」
「多力貴子よ! 若き獅子に御身の大力を!」
リョマノフが突進を始めると同時に、タケルは符の一つを掲げて叫ぶ。
多力貴子は戦の神ポヴォール、若き獅子はリョマノフだ。エレビア王国の第二王子は父と同じで獅子の獣人である。
「おお!」
元からリョマノフは紫電の如き速さで駆けていたが、タケルが呪文を唱えた直後に爆発的な加速をみせた。音速すら超えたのか彼の姿は霞み、合わせて大気が衝撃波で揺れる。
『くっ!』
苦しげな声を発したのはネフェルトートが操る巨像だ。
どうにか反応できたのか、あるいは突進すると予想していたのか。鋼人は腰を沈めつつ右手を地上近くへと動かす。
いくらリョマノフが身体強化に長けていても、捕まったら終わりだろう。なにしろ相手の背丈は自身の三倍以上、鋼の手で握られたら刀も充分に振るえない。
もし掴めなくても牽制にはなるし、運よく刀やリョマノフ自身に当たれば有利な展開に持っていける。おそらくネフェルトートは、そのように考えたのではないか。
「甘い!」
リョマノフは僅かに進む先を変え、同時に凄まじい速度で刀を振るう。彼が得意とする奥義『飛燕真空斬り』を連続的に放ったのだ。
しかも技に用いたのは二刀、つまり左右双方の手で真空刃を生み出していく。
この竜巻のように回転して斬りつける様を、どれだけの人が目にできたか。観客の半数ほどを占める超一流の武人は強化で反応速度を上げるだろうが、残りは魔術師寄りだから渦巻く旋風としか映らない筈だ。
『えっ!?』
どうやらネフェルトートは後者だったらしい。意外そうな声と共に鋼人は体勢を崩し、膝を突く。
なんと巨人の足元は崩れ去り、膝下まで埋まるような大穴が生じていた。リョマノフが連撃で狙ったのは、鋼人が立つ大地だったのだ。
「なるほどな……まずは動きを封じるか」
「小手調べの意味もあるのでしょうね。鋼人の素早さ、見かけ通りの怪力を持つかどうかなど……」
「しかしネフェルトート殿も大したものです。咄嗟にでしょうが払いのけましたよ」
見守る人々が攻防を評する間に、両者は離れていた。
まずリョマノフは倒れかけた鋼人に追い打ちをかけようとしたが、これをネフェルトートは巨人の丸太のような腕を振るって防ぐ。そのため若獅子は飛び退き、生じた間を使って鋼の像も立ち上がった。
「これはどうだ!?」
小手調べという言葉は当たっていたらしく、リョマノフは再び鋼人の立つ地面への攻撃を繰り出す。
少々まだるっこしい気もするが、そもそもネフェルトートを試すのが目的だ。それに先々彼が現国王アーケナと対決するなら、王の鋼人との戦いを見据えた訓練をすべきだろう。
実際リョマノフの戦いぶりは、相手を鍛えているようにも映る。
それをネフェルトートも理解しているのか何度も掴みかかるが、今一歩で及ばない。
『飛燕真空斬り』は大技だけに間合いに限りがあるらしく、リョマノフは巨像の至近まで踏み込んで刀を振るう。あくまでも見た限りだが、もう少し手を伸ばせば届きそうな位置だ。
しかし何かが足りないのか、鋼人の指は若き達人に掠りもしない。
「もっと本気になれよ! 優しいだけじゃ王になれない……そうだろ、タケル!?」
「ええ。私は兄を失脚させましたが、最悪は命を奪うと覚悟を決めていました」
リョマノフの叫びにタケルは応じ、続いて静かに歩み始める。
華麗に飾られた太刀を右手で掲げ、更に左手を腰に伸ばすと符である小札を二枚ほど抜き取り。そして彼は前を見据えたまま、手にした札を鍔元へと動かす。
「皆の労作、今こそ真価を見せましょう。……多力貴子よ、戦を統べる神よ! 我に御身の大力を授け給え! 大土貴子よ、大地を統べる神よ! 我が太刀を金鋼と成し給え!」
タケルは二枚の札を、それぞれ柄元に差し込んだ。すると鍔の表面を飾る宝玉が七色の光を放ち、続いて刀身が陽光を思わせる輝きで満ちる。
ちなみに『皆の労作』が示すように、この太刀は彼を支える女性達の作品である。妃のタチハナ、婚約者の桃花、刃矢女、夜刀美が力を合わせて作り上げたのだ。
どこか見得を切るようなタケルの一言は、そのためだろう。
「この刀は鋼の巨体だろうが断ちますよ?」
「さあ、どうする? 俺達を倒して王者の道を歩むか、ここで負けて諦めるか……。ネフェルトート、お前はどちらを選ぶんだ?」
タケルとリョマノフは鉄巨人に迫りつつ、静かに問いかける。
果たしてネフェルトートが血塗られた道でも歩めるか。それを確かめるため、彼らは試練を課したのだ。
『私は……』
ネフェルトートは悩ましげな声を上げる。
彼が先王の子なら現国王アーケナは叔父、つまり王位に就くなら親族を退位させるか倒すことになる。そして簡単に玉座を明け渡すとは思えないから、後者の場合も辞さぬ覚悟を決めておくべきだ。
突きつけられた難題に、優しげな少年がどのように返すのか。見守る者達は固唾を呑み、続く言葉を待っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2019年10月中を予定しております。