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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第28章 新たな神と砂の王達
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28.17 THE MAID'S BIZARRE ADVENTURE

 シノブがトト少年ことネフェルトートに会おうと思ったのは、彼がケームトの将来を左右すると確信したからだ。


 現国王アーケナは『黄昏の神』という謎の神を奉じており、この星を創ったアムテリア達への信仰を捨てた。しかし元の教えを取り戻そうと反体制派が結成され、王都アーケトでも隠然(いんぜん)たる勢力を築くに至った。

 このケームト反体制派の旗頭が、王家の血を引くというネフェルトートだ。彼は王族の証を所持しているし、魔力に恵まれており王の鋼人(こうじん)という巨大像を動かせる可能性もあった。そこで反体制派は、アーケナを退位させてネフェルトートを次王にすべく動いている。


 これをケームト調査隊の面々は歓迎し、積極的な支援を開始した。隊を率いるミリィはアムテリアの眷属として黄昏信仰を憂慮していたし、彼女以外も強い懸念を示していたからだ。

 創世期は神や眷属が生きとし生けるものを導いたから、この星に住む者の殆どは今でもアムテリア達を深く信じている。それどころか極めて一部の例外を除けば、他に神がいると想像したことすらないだろう。

 こういった背景があるから調査隊はネフェルトート達を助けようと張り切り、後ろに控えるアマノ同盟の要人達も積極的に賛同した。中でも動きが早かったのは、同盟の中核たるエウレア地方の統治者達やメリエンヌ学園の研究者達だ。

 まずケームトの国境外、デシェの砂漠の奥にあるオアシスに一大拠点が用意された。本来は魔獣の領域だが超越種達の協力もあって人の暮らせる場に早変わりし、今や大勢の軍人や研究者が詰めている。

 ミリィの同僚達、ホリィとマリィも加わった。前者はオアシスに責任者として常駐し、後者は連絡役かつ後方支援担当として調査隊を補佐している。

 反体制派がオアシスの一員となってからは、もはや対ケームトの前線基地と表現しても過言ではないほどだ。ネフェルトートが先王の遺児なら王位奪還の理由は充分、巨大鋼人(こうじん)(ごう)タイガーの準備も順調。そのため打倒アーケナの声は高まるばかりで、今日にも行動を起こしそうな熱気に満ちている。


 この状況にシノブは一定の理解を示しつつ、性急すぎるのではと危うさを感じてもいた。そこで自身が出向いて一石を投じようとしたが、思わぬ成果を得ることになった。

 それはネフェルトートのアマノ同盟訪問である。


「わあっ、緑が綺麗ですね! それに山の上が白い……もしかして雪ですか!?」


「ああ、山頂は4000m以上だからね」


 ネフェルトートの感動も顕わな様子に、シノブは思わず笑みを浮かべる。

 ここはデシェのオアシスから北西に4000km以上、アマノ王国の王領から西に伸びるゴドヴィング街道の上空だ。シノブとネフェルトートが転移した先は飛行中の磐船アマノ号、正確には甲板の上に置かれた魔法の家である。


 この日シノブはメリエンヌ王国フライユ伯爵領で開かれる式典に出席する予定だった。何しろ彼がエウレア地方に帰還して一周年を祝う場だから、欠席など許される筈もない。

 そこでシノブがネフェルトートと会っている間、残るアマノ王家の面々は移動を始めていた。戦王妃(せんおうひ)シャルロット、英姫(えいき)ミュリエル、華姫(かき)セレスティーヌ、そして王子リヒトは王家専用の磐船アマノ号でフライユ伯爵領の領都シェロノワに向かっていたのだ。

 もちろん乗客は他にもいる。シノブ達が暮らす王都アマノシュタットからシェロノワまでは800㎞ほどもあり超越種最速を誇る朱潜鳳でも片道二時間、飛行船だと更に四倍は必要だ。そこで筆頭従者のアミィを始め多くの側付きが乗り込んでいるし、宰相ベランジェや閣僚達も同乗している。


 先ほどまでネフェルトートはシャルロット達と自己紹介を交わしていたが、一度に大勢と会って少々気疲れしたらしい。彼は社交的な性格だが、異国の王族や重臣達との会話だから失礼が無いようにと緊張したのだろう。

 現在ネフェルトートを含むケームト反体制派は、事実上アマノ同盟の庇護下にあるというべき状態だ。デシェのオアシスに避難できたのも、そこで不自由なく暮らせるのも全てアマノ同盟の力があってのことだから、彼は多くの言葉を尽くして礼を述べた。

 一方シャルロットやベランジェもケームトの鍵を握る少年に多大な興味を示し、来訪を歓迎しつつも色々と問いかけた。そのため少々大袈裟に表現するなら、ネフェルトートは転移早々に支援者達の機嫌を伺いつつ自国の危機を訴えるという難事をこなす羽目になった。

 そこでシノブは気分転換になればと思い、少年を外に(いざな)った。ネフェルトートが生まれ育ったケームトは赤道に近く、アマノ王国のように緯度が高く四季のある風景は物珍しいだろうと思ったのだ。


「あれが雪……。大河イテルの源流も、あのような高山だそうです……見たことはありませんが」


「上流もデシェの領域だから巨大魔獣だらけ、それで探検も進まないんだったね。こちらも高地は魔獣が多いけど、あんな大物はいないよ。でも帝王鷲(ていおうわし)という翼の幅が10m以上にもなる巨鳥がいてね、飛行船の気嚢(きのう)を破ってしまうんだ。それで竜に似せた魔力波動を出す装置で追い払ったり……」


 舷側に寄って白い稜線を見つめ続ける少年に、シノブは同じ方向を眺めながら応じていく。

 ケームトは東西と南の三方を魔獣の領域に囲まれている。このデシェの領域と呼ばれる地域は非常に魔力が多いらしく魔獣が他の倍以上もの大きさに育つから、踏破どころか侵入すら難しい。

 何しろ全長20mを優に超える大蛇や大サソリが大群で襲ってくるのだ。そのためケームトの人々がイテルの上流に足を踏み入れた例は少なく、ましてや源流たる高地に辿(たど)り着いた例は皆無である。

 したがって川上の国境近くで暮らす者達ですら、雪を間近で見た者などいないという。


「ケームトに比べるとアマノ王国は耕作可能な土地が多いけど、周囲が山だから他国との行き来が難しくてね。少し前までは西国境の高原地帯……これから通るガルック平原だけさ。もっとも帝国時代は、それで助かったところも大きいんだけど……」


 シノブは昨年三月まで存在したベーリンゲン帝国に触れた。するとネフェルトートは向き直り、興味深げな顔で聞き入る。


 ミリィは『黄昏の神』がバアルに連なる存在かもしれないと考え、ネフェルトートなど反体制派の主要人物に異神達との戦いをかいつまんでだが伝えた。

 そのやり取りの中でベーリンゲン帝国についても多少は話したから、ネフェルトートは現在のケームト王国と似た存在として強く記憶したらしい。


「今は東……アマノスハーフェンという港から船を出せるし、更に東のアスレア地方と交易してもいる。でも帝国時代の海岸は断崖絶壁しかなかった……彼らも港を造ろうとしていたけど完成前に打倒できたんだ。それにバアルは竜を捕らえて空から侵攻しようと考えたらしいけど……」


『まったく恐るべきことです! 『光の盟主』がいなかったら、どうなったことか!』


『本当に……こうやって空を飛べるのも『光の盟主』のお陰です』


 シノブの言葉を(さえぎ)ったのは上からの声、アマノ号を運ぶ朱潜鳳達が発したものだ。

 アマノ号は他の磐船と違って双胴船型だから、運び手も複数だ。今は片方の船体をフォルス、もう片方をガストルがぶら下げている。


 このうち右を受け持つフォルスは、特に(いきどお)りが激しい。

 およそ七百年の昔、彼の父親ロークはバアルの使徒ヴラディズフに捕らえられた。当時ロークが幼鳥だったこともあり一時は隷属させられ、更に血を異形の材料とされたのだ。幸いロークはエルフの助けで自由を取り戻したが、後に生まれたフォルスにも語り聞かせて使徒や末裔への警戒を厳命したという。

 このヴラディズフこそベーリンゲン帝国の初代皇帝となった男だから、フォルスが強い嫌悪を示すのも当然である。


「もしかして黄昏信仰も……」


「それはどうかな? 『黄昏の神』が何か知っているのは現国王アーケナだけらしいじゃないか。異神かどうか以前に、まず実在するか確かめなきゃ」


 恐れを滲ませたネフェルトートに、シノブは敢えて軽い調子で返した。

 黄昏信仰はアーケナ個人が興した宗教というべきで、他に『黄昏の神』から啓示なり神託なりを受けた者はいないという。それなのにケームトの国教としての地位を得たのは彼が国王として強硬に推したからで、極論すれば自作自演の可能性すらある。

 したがって異神の関与を疑う前に、アーケナ自身や彼が宗教改革をした背景について調べるべきだろう。


 その意味でもネフェルトートのエウレア地方訪問は有益だとシノブは感じていた。

 ネフェルトートの帰国までは準備に専念するしかないから、一日も早くアーケナを倒そうと浮足立つ反体制派を抑えられる。その間にミリィ達が調査を進めれば、彼を帰すころには黄昏信仰の謎が解き明かせるかもしれない。

 シノブは密かに、このような期待を(いだ)いていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 同じころ、ミリィは同僚のマリィとケームトの空を飛んでいた。

 どちらも金鵄(きんし)族本来の姿、ただし青い鷹は目立つから変装の魔道具で茶色に変えた。もっとも彼女達は2000mを超える高みに昇ったから、仮に元のままでも目に()める者はいないだろうが。

 目指す先は王都アーケト、しかし到着は少々先だ。そこで二羽は飛翔しつつ思念を交わし、今後の調査について語らっている。


──やっぱり先王の葬祭殿以外の証拠が必要よ──


──そうですね~。隠し部屋の絵を消されたら困りますから~──


 マリィが指摘した点はミリィも気にしていたらしく、反論することはなかった。

 ネフェルトートが先王メーンネチェルの遺児だと示す証は、今のところ葬祭殿の絵画の痕跡しかない。この痕跡は上から新たな絵で塗り潰されているし部屋自体が封じられているから、今日明日にどうこうされる恐れはないだろう。

 しかしケームト反体制派が『証は封印された部屋にある』と主張したら、アーケナが証拠隠滅に動くかもしれない。葬祭殿を管理しているのは彼が任じた神官達だから、いざとなれば部屋ごと壊してしまう可能性すらある。

 したがって他にも手札を確保すべきという意見には、強い説得力があった。


──マリィは例の王宮侍女さんですか~?──


──ええ。彼女は王妃付きだから、他にも色々知っていると思うの──


 二人が挙げた侍女とは、王妃イティの側付きの一人だ。

 この侍女は若いからか少々口が軽く、王宮で知った事柄を自慢がてらに家族へと語った。それも国王と王妃の口論めいた会話、王妃がネフェルトートの名を口走ったときのことだ。

 二人の緊迫した様子から、侍女はネフェルトートという者が相当な重要人物らしいと受け取った。しかし王宮に該当者はいないから、王家の秘事とでも言うべき極秘事項と考えるべきだろう。

 これを家族に伝えてしまうのだから、今後も彼女から何かを得られる可能性は充分にある。


──確かに~。でも盗み聞きだけだと時間がかかりそうですね~──


──だから変装しようと思うの。あの家、下働きを募集しているから──


 鳥の姿では思うように情報収集できないという同僚に、マリィは人に変じて潜入すると返した。

 彼女達にはアムテリアから授かった足輪があり、その力を使えば好きな姿に変身できる。性別は女性のみで十歳前後の外見だけという制限はあるが、容姿や種族も自由自在だ。

 問題は身元の保証だが、ちょうどケームト反体制派の家族に適当な年頃の少女がおり彼女の姿を借りることにした。既にマリィは話をつけ、本人をオアシスに移しておいたという。


──なるほど~! 侍女の下働き、つまりマリィも侍女ですね~! これは素晴らしいアイディアですよ~!──


 よほど感心したのか、しきりにミリィは羽ばたいた。更に彼女は楽しげな思念を響かせると、右に左にと軽やかに宙を舞い踊る。

 ケームト王のアーケナは憑依術の達人で、魔力波動にも極めて敏感な筈だ。そのため接近が難しく、ミリィ達は王宮への潜入を控えていた。

 そこで王宮侍女の家に潜り込み、間接的な聞き込みをする。王妃の側付きで噂好きの彼女なら、誘導次第でアーケナ達の日常を聞き出せるだろうという目論見だ。

 王宮と違って危険は無いし、充分な成果も望める。そのためミリィは、これなら期待できると歓喜したのだろうか。


──それほどでもないと思うけど……褒めても何も出ないわよ?──


──いえいえ~、とても良い作戦ですよ~! なにしろ侍女に化けての潜入、つまり『侍女の奇妙な冒険』ですからね~! あっ、英語で『THE MAID'S BIZARRE ADVENTURE』っていうのもカッコいいかも~!──


 怪訝そうな様子のマリィに、ミリィは得々とした様子で語り始める。

 どうやらミリィは潜入計画自体に感心したのではなく、彼女の愛する地球文化に繋がったから喜んだらしい。それを理解したらしく、マリィは思わずだろうが僅かに飛行の姿勢を崩した。


──ケームトは砂漠の国だから、オラオラオラって感じで攻めたいですね~! 時間を止めるとか、何か新しい技も欲しいです~!──


──まったく……そんなこと言っているとアーケナが妙な力を使うかもしれないわよ? ……それでミリィ、貴女も変装して潜入しなさい──


 浮き浮きと語り続けるミリィに、マリィは(あき)れを示しつつも釘を刺した。

 更にマリィは別の潜入先も用意しておいたと明かす。こちらも反体制派の家族に扮しての聞き込み、王都生まれの少女に成り代わっての調査である。


──貴女も知っている、バーナルという若手王族の屋敷よ。ちょうど住み込みの侍女を募集していたの──


 マリィが挙げたのは、先日ケームト反体制派を捕らえようとした男性王族だ。

 バーナルは傍系だが、魔力が多く王族級の巨大鋼人(こうじん)を自在に操れる。これは王の鋼人(こうじん)の半分程度の大きさしかないが、今後の修行次第で更に上も望めるらしい。

 アーケナの息子達は魔力不足で王族級すら動かせないから、現在のところバーナルが次期国王の最有力候補とされている。それに彼は反体制派への対応を任されるほどだから、調べる価値は充分にあるだろう。

 現状バーナルの憑依能力がアーケナに劣るのは確か、つまり感づかれる危険は低い。小手調べとしても適切だと、マリィは勧める。


──え~、あのカエル顔の人ですか~!?──


 行きたくないのか、ミリィは戸惑いに似た感情を滲ませた。

 どうやらミリィは八日前の出来事を思い出したらしい。反体制派の幹部サフサジェールの別邸にバーナルが踏み込んだとき、そこに彼女も居合わせたのだ。

 からかい混じりの言葉でバーナルを翻弄したくらいで苦手意識は無いだろうが、どうやら近づきがたく思ってもいたらしい。


──素晴らしいアイディアでしょ、貴女も侍女になって冒険できるのだから。……でも貴女だと『()()()()()の冒険』になってしまうかもね?──


 どこか笑いを(こら)えているような思念を発しつつ、マリィは隣を飛ぶ同僚へと視線を向けた。

 おそらくマリィは、どういう反応が返ってくるか承知の上でバーナル邸への潜入を勧めたのだろう。もしかすると自身が王宮侍女を受け持つと先に宣言したのも、このときのための布石だったのかもしれない。

 そう思ってしまうほど意味ありげな響きが、マリィの思念には宿っていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 結局ミリィは勧めに従い、『カエル顔の人』ことバーナルの館に向かった。

 もちろん姿は変えている。今の彼女は黒髪に褐色の肌の人族、王都アーケト生まれの少女マァトに化けていた。

 そのため館の者も怪しむことなく面接し、ミリィを侍女として採用した。しかも深刻な人手不足だったようで、すぐに働いてくれという歓迎ぶりだ。


「お帰りなさいませ、ご主人様!」


「……新顔か? よく昨日の今日で見つかったな」


 愛想よく出迎えたミリィに、青年王族バーナルは意外そうな声で応じた。

 実はミリィの前任というべき侍女は、昨日辞めたばかりだった。しかも通常の退職ではなく、バーナルの見た目が怖いからという理由だ。


 ミリィがカエル顔と決めつけたように、バーナルの(おもて)はノッペリと丸い。かなりの大顔で一見すると縦より横に広そうに映る、一目見たら忘れないだろう個性的な容貌だ。

 顔以外も独特の迫力がある。背が高い上に筋肉質で雄牛に例えられるほどの逞しさを誇るが、少々猫背というか幾らか前傾しているのだ。そのため全体的な印象にも、どこかヒキガエルのような大型種を思わせるところがある。

 武術で鍛えているから肥満体のような見苦しさはないし、よく見ると丸顔にも愛嬌めいた親しみやすさがある。しかし暗がりなどからヌッと出てきたら、気の弱い者は気絶してしまうかもしれない。


 そして辞めた少女だが、少々神経が細かったようで僅か一週間ほどで暇乞いを申し出た。これをバーナルも耳に入れていたから、そう簡単に次は見つかるまいと思っていたようだ。


「マァトと申します! 一生懸命がんばりますので、ご指導ご鞭撻(べんたつ)のほど、よろしくお願いします!」


「あまり気負わなくてもよい。俺は見た通りの武骨者、王宮育ちと違って堅苦しいことは言わんからな」


 再び頭を下げたミリィに、バーナルは笑みを浮かべつつ柔らかな言葉をかけた。

 せっかく雇えた新人を脅かしてはならないと、精一杯の気遣いを示したのだろうか。魁偉というべき外見に相応しい重々しい声だが、その響きには意外なまでの優しさが滲んでいる。


「ありがとうございます! あの、ご主人様! もうすぐ夕食の用意が整いますが……」


「そうか、では軽く汗を流してくる」


 ミリィの言葉にバーナルは頷き、湯殿へと足を向けた。

 サフサジェールの別邸では高圧的だったが、内向きには別の顔を見せるようだ。少なくとも今の姿には、穏当な主と呼べるだけの風格がある。

 もっともバーナルの貴人というべき威厳は、ミリィの更なる一言で消し飛んでしまう。


「分かりました! そうです、お背中をお流ししましょう! 私では満足いただけないでしょうけど、精一杯ご奉仕します!」


「な、何を言い出すのだ! 子供が妙な気遣いをせんでよい!」


 意表を突かれたのか、バーナルは真っ赤な顔で声を張り上げた。そして彼はミリィの返答を待たずに、それこそ雄牛のような勢いで奥へと消えていく。

 ミリィが扮したマァトという少女は僅か十歳、そこまで動揺しなくとも良さそうなものだ。しかし振り返りもせず足音高く歩む様子からすると、バーナルが慌てふためいたのは本心からに違いない。


「……私だと上まで手が届かないと思っただけですが~。でも純情なんですね~、これは意外でした~」


 後に残されたミリィが言葉を発したのは、しばらく経ってからだった。どうも彼女は、このように初々しい反応を示すと思っていなかったらしい。


 ちなみにバーナルは二十歳(はたち)、ここケームトも成人年齢は十五歳だから立派な大人である。

 ただし彼は(いま)だ独り身で、しかも恋人と呼べるような存在すらいないという。そのため世間では、王女メルネフェルへの婿入りを意識して身綺麗にしているのだ、という声が大きかった。

 そこでミリィも探りを入れてみたのだろうが、どうやら彼の独身主義には少々別の原因もあったようだ。


 先ほどバーナル自身が口にしたように、彼は王宮と縁遠かった。傍系に加えて父を早く亡くしたこともあり、王族と思えぬほど質素な少年時代を過ごしたのだ。

 成人間際に初めて参内するまでは武術一辺倒、国王アーケナが指摘するまで憑依術の適性があることも知らなかった。そんな経緯もあってバーナルは女性と接する機会が少なく、結果的に苦手意識を持つようになったのかもしれない。


「……これでは婿入りも難しいと、侍女を置くように母が勧めてくれてな。とはいえ年頃だと色々差し支える……そこで子供を雇うことにしたが、どうも俺の顔が怖いようでなあ」


 バーナルは夕食後、ほろ苦い笑みを浮かべつつ語り始めた。

 場所は彼の居室、先ほどまで食事をした広間には劣るが充分に広い。しかし室内には他に侍女マァトのみ、つまりミリィが(はべ)っているだけだ。

 長椅子で寛ぐバーナルの脇には小卓が置かれ、上には酒瓶とグラスに燻製肉を盛った皿がある。これらの給仕をするのがミリィの役目だが、主は勝手に酒や食べ物に手を伸ばすから世話役が必要とも思えない。

 実は給仕係とは名ばかりで、バーナルが語った通り彼が女性に慣れるための措置なのだ。


 このような方法で改善されるか疑問ではあるが、かといって妙齢の女性を配するわけにもいかない。

 バーナルは次期国王候補と目されているものの、あくまで王女への婿入りが前提だ。妙な相手を近づけて篭絡されたら台無しだと、周囲が用心するのも当然だろう。


「その……力強いお顔だと思いますよ! まるでナマズのような……。そう! 私、ナマズ好きです! ……美味(おい)しいですし」


 根拠のない賞賛は逆効果だと思ったのか、ミリィは言葉を選びながら励ます。

 ちなみにナマズを挙げたのは理由があってのことだ。バーナルとはケームトの聖なる言葉で『ナマズの魂』という意味があり、彼自身も自慢げに語ったくらいだから機嫌を損ねることはないだろう。

 もっとも最後の『美味(おい)しい』という一言は余計だと思ったのか、ミリィは少々声を落としながら口を閉ざす。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「ナマズが好きか……変わった娘だな。もしかしてデューネ様の信者か?」


「えっ、その……」


 バーナルの問いは、ミリィにとって答えづらいものだったに違いない。

 海の女神デューネは最高神アムテリアの娘にして従属神、ミリィにとっては敬うべき存在だ。しかし今は侍女マァトに変装しており、アムテリア達への信仰を口にするわけにいかない。

 なにしろ現在のケームトで許されているのは黄昏信仰のみ、下手なことを言ったら反体制派として捕縛されてしまう。潜入捜査を続けたいなら、信じるのは『黄昏の神』だけと宣言すべきだ。

 とはいえ偽りと断じた存在を崇めるなど、たとえ演技であっても耐えがたい屈辱だろう。そのためミリィは言葉に詰まってしまったようだ。


「これは失言だったな。(おび)えずとも良い、俺も()()()()と名乗る者……これ以上は言えぬが、分かるだろう?」


 よほど気を許したのか、バーナルは意味ありげな言葉と共に笑みを浮かべる。

 どうやら彼は、目の前の少女を怖がらせぬよう細心の注意を払っているらしい。自身の容貌を気にせず話し相手となってくれたのが、相当に嬉しかったのだろう。


「聖なる言葉を定めたのは……。でも、それならどうして……」


 ミリィは半ば我を忘れた様子で呟いた。

 バーナルとは創世の時代にケームトの人々が授かった言葉、つまりデューネが与えたものの一つだ。それを現在も名乗るのは、彼女を含む従来の神々への信仰を保っているからではないか。

 しかし真正面から問えはしないし、問うたところで素直に明かすとも思えない。バーナルは『黄昏の神』を奉じるアーケナの配下で、アムテリア達への信仰を守る者達を捕らえようと今日も街を巡っていた筈だ。


「全ては王になるためだ。それに陛下も本心では……いや、()めておこう。お前のためにもな」


 意味深なことを言いかけたバーナルだが、途中で思い直したらしく口を(つぐ)んでしまう。

 どうやらバーナルは『黄昏の神』を信じていないようだ。しかし黄昏信仰は国教として絶対的な地位にあるから、次の王を目指すなら表向きは否定できない。

 アーケナの宗教改革にも何か裏があるらしいが、これもタブーというべき事柄なのだろう。そのためミリィも続きを問うようなことはせず、しばし居室に沈黙が満ちる。


「……ご主人様のように優しい方でしたら、きっと良い為政者になれます。それに王子達は魔力不足、他に候補もいませんから」


 少々ほだされたのか、ミリィは応援めいた言葉を紡いだ。

 実際には先王の遺児らしきネフェルトートがいるが、その存在は秘されたままだ。そのため街でもバーナルを次期国王の最有力候補としているし、ならば今のように答えるのが自然だろう。

 しかし彼女の言葉には、単なる芝居とは思えぬ優しさが宿っていた。どうもバーナルが従来の教えを堅持していると察してから、少々風向きが変わったらしい。


「候補か……先王陛下に子供でもいたら別だっただろうがな。そういえば昔、陛下に隠し子がいるという噂が流れたそうだが……」


 賞賛が口を軽くしたのか、それとも酒が回ってきたのか。バーナルは独白めいた呟きを漏らす。

 一方ミリィは僅かに表情を鋭くしたものの、すぐに押し隠して酒瓶を手に取る。どうやら彼女は、更に酔わせて話を促そうと考えたようだ。


「イティ様はお怒りになったのでは? 根拠のない風聞に決まっていますが、王妃としては聞き逃せないでしょうし」


「ああ。当時は王子達も幼く魔力量も不確か……。どちらかが王になれると思っていただろうしな」


 ミリィが酒を注ぎつつ語りかけると、バーナルは頷きつつ応じる。

 どうも噂は彼が王宮に上がる前のことらしく、詳しくは知らないようだ。上の王子ジェーセルは十六歳で下の王子ウーセルは十四歳だから、隠し子騒動とは十年近く昔のことかもしれない。


 ちなみにケームトでも一夫多妻を認めているが、代々の王は妻が一人の例が多かった。

 これは巫女である王妃の権威が高く、その隣に並び立てる女性が希少だったからだ。神殿も自分達が推した巫女を支援したから、子が出来ないなどの理由がない限り地位は盤石だったという。

 つまりアーケナが他の女性に子を産ませたら、王妃のみならず神殿との関係を損ねた可能性もある。もっとも彼は既存の信仰を捨てて『黄昏の神』を奉じたくらいだから、神官達の反発など意に介さなかったかもしれないが。


「当時のことに詳しい方はいないのでしょうか? 実は私、王宮の暮らしに興味がありまして……将来は王宮侍女になれたら、なんて思っているのです! それで侍女の奇妙な……いえ、華麗な冒険って本を書いたりして!」


「やはりお前、変わっているな。まあ、王宮勤めは給金も良いから分からぬでもないが……」


 少々こじつけめいたミリィの発言に、バーナルは怪訝そうな表情を浮かべた。しかし王宮での勤務が街の者にとって一種の憧れなのは事実だから、そんなものかと受け取ったようで問い質すことはない。


「そ、そうなんです! 家族からも『奇妙な子』とか言われていますし……さあ、お酒をどうぞ!」


「ふむ……マァトとは聖なる言葉で『真理』や『正義』を意味するという。それがお前の詮索癖に繋がったのかもな……。そうだ、母なら知っているかもしれぬぞ? 父が存命だったころは王宮に上がっていたのだ」


 ミリィは冷や汗混じりに誤魔化すが、幸いバーナルは何も気づかなかったらしい。そして彼は、自身の母から話を聞くようにと勧める。


「ありがとうございます! 明日お伺いします!」


「そうするがよい。しかしマァトよ、母は俺と違って厳格だぞ? 『奇妙な侍女』など叱責は必定、充分に気を付けるのだな」


 ペコリと頭を下げるミリィに、バーナルは意味ありげな笑みを向けた。

 実際ミリィの行動には、夕刻からの数時間程度にも関わらず怪しげな点が散見された。そのためバーナルが変わった少女という認識に至るのも無理はあるまい。


「き、気をつけます! ……それでは侍女の練習です、もっと飲んでください!」


「おいおい……」


 話を()らすためか、それとも謝意を示そうとしたのか、ミリィは更に酒を勧めた。これにバーナルは(あき)れた表情を浮かべたものの、どこか楽しげな様子でグラスを差し出す。

 どうやら二人は、意外にも気が合うらしい。そのためだろう、この日バーナルの居室には夜遅くまで笑い声が響き続けた。


 お読みいただき、ありがとうございます。


 次回は、2019年9月上旬を予定しております。


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