28.13 シノブの決断 前編
ケームト王国は東西南の三つを『デシェの領域』と呼ばれる人跡未踏の秘境で囲まれ、残る北も肉食の巨大魚が犇めく海に面していた。
特にケームトから見て西は難所で、同国の貴人達は沈む夕日と重ねて『黄昏の砂漠』という異称を贈ったほどである。この西への特別視は時が経つにつれて民衆にも広がり、一般に『デシェの砂漠』といえば西方の死地を意味するようになった。
デシェの砂漠は外縁付近でも人を寄せ付けず、しかも狭いところですら幅500kmはある。そのためケームトの人々は内奥を知らぬままで、地誌なども『不毛の地が延々と続くのだろう』などと根拠なき推測を付記するのみだ。
しかし現実のデシェの砂漠には僅かながらオアシスがあるし、その中でも最奥部の一つは直径100kmを超える広さを誇っていた。もっともオアシスは全て巨大魔獣が闊歩する人外魔境で、水の補給どころか立ち寄ることすら難しいが。
ただし、これらは人間にとっての話だ。豪タイガーと命名された巨大鋼人の試験運用拠点として選ばれたのは、そのデシェの砂漠で最大のオアシスだったのだ。
人々が恐怖する魔獣も、超越種からすれば幼体に与える餌にすぎない。そのため偉大なる種族が空から舞い降りると、元からいた巨大生物は文字通り脱兎の勢いで逃げ出した。
威嚇のみで拠点確保を成したのは岩竜と炎竜の長老達、平均年齢が八百歳を超える四頭だ。竜としての技を極めた彼らは恐ろしげな咆哮で先住者たる魔獣達に退去を促すと、驚くほど僅かな時間で魔力による結界を完成させた。
竜が子育てに使う結界は狩場の獲物を逃がさぬための囲いだが、今回は安全な場所の確保に用いた。そして試験運用班には研究一辺倒で戦えぬ者も多く、長老達は幼体を育てるときと同様の広さと強度を持つ結界にした。
そのため試験運用班は幾つもの村が周辺の農地を含めて収まる土地を得た上に、巨大魔獣達を支えてきた豊富な水資源や食用可能な動植物も手にしていた。
「なんて大きな『デカメロン』だ……」
「子供の背丈くらいある……」
呆けたような声を上げたのはウピンデ国出身の兄妹、ムビオとエマだ。二人は相当に驚いたようで、後ろでは獅子の獣人に特有の房付き尻尾が不規則に揺れている。
もっともムビオ達が驚くのも当然で、彼らの前に鎮座するメロンは直径1mを優に超えていた。どうも収穫済みのものを並べたらしく、広場として使うべく整えた空き地には少なくとも二十以上が置かれている。
ムビオ達は移動を終えた直後、呼び寄せ機能で転移した魔法の幌馬車を出たばかりだ。馬車から降りたら想像を絶する代物が目に映ったから、虚を衝かれたらしい。
この巨大メロンはオアシスに自生していたもので、緑色の外皮や真球に近い形状は一般的な品種と同じである。しかし魔獣の領域に特有の濃い魔力が作用したからか、大きさは五歳児や六歳児の背丈に匹敵する。
この星を含む世界は魔力に満ちており、特に濃密な場所だと生物の巨大化を促す場合がある。実際にデシェのオアシスには通常の五倍以上もあるカバやゾウが棲んでおり、この巨大メロンも彼らと同じ比率で大きくなっただけだ。
ちなみに全ての種が身体の成長に魔力を活かせるのではなく、人間のように巨大化しない生き物も多い。ただし人間も各種の魔術や身体強化などの体術で魔力を使っているし、利用自体は極めて普遍的な事象だ。
なお『デカメロン』のようにウリ科の植物は魔力による巨大化が顕著で、別格の成長だけなら驚くには当たらない。とはいえ『デカメロン』は大玉のスイカほどの大きさだから、デシェのオアシスは常識外れなまでに魔力が多い場所なのだろう。
「久しぶりじゃな! これは『デカメロン』の元、『モトメロン』なのじゃ! 大きい上に原種じゃから皮が分厚いし硬くての……妾は剣で両断するから良いが、料理人が自分では切れないと嘆いておったぞ。でも中は柔らかいし、とても美味じゃから大好きじゃ!」
縞模様の尻尾を揺らしつつ駆け寄ってきたのはカンビーニ王国の公女マリエッタ、エマの親友でもある虎の獣人の女騎士だ。もっとも今の彼女は豪タイガーの操縦者として訓練に励む日々を送っており、ケームト潜入任務のエマとは半月以上も別行動をしていた。
ミリィの率いる潜入部隊がケームトの少年トトを始めとする反体制派を助けてから、およそ一週間が過ぎていた。
この時間を無駄にしてはならぬとミリィは意気込み、配下と共にケームトの王都アーケトに戻って情報収集を続けている。神々の眷属たる金鵄族としての矜持からか、彼女は謎の解明を急いだのだ。
そのためムビオ達がオアシスを訪れたのは救出以来で、ここを拠点として訓練していたマリエッタの方が『モトメロン』を先に知っていたわけだ。
ちなみに魔法の幌馬車を呼び寄せたのもマリエッタである。この幌馬車の所有者はホリィだが、オアシス全体の管掌で忙しい。そこで彼女はシャルロットの一番弟子なら任せられると、公女に必要な権限を付与していた。
「原種か……。エディオラ殿、我らウピンデ族には森の女神アルフール様が『デカメロン』と命名したという言い伝えが……」
ムビオは更なる登場者の一人、ガルゴン王国の王女エディオラへと顔を向ける。
エディオラはマリエッタを妹分として可愛がっているから、今のように追ってくるのも珍しくない。それに彼女の隣には第二の妹分、アルマン共和国のアデレシアもいる。
アルマン王国時代のアデレシアは王女だったが、異神と繋がる反逆者達から逃れるためにメリエンヌ学園への滞在を選んだ。そのため彼女は学園で研究職にあったエディオラと接する機会が多く、自然と助手めいた立場に収まっていた。
反逆者達が倒されてからも同様で、アデレシアは国に戻らず学究の道を選ぶ。これは共和制への移行により王家が伯爵家となった関係で彼女の自由度が増したからでもあるが、先進的なメリエンヌ学園で学んで交友を結ぶべきというアルマン共和国側の思惑も多分に影響しているらしい。
「ムビオ殿の想像通り。これもアルフール様が名を与えた植物」
「はい、エルフのメリーナさんが神託を授かっています」
エディオラの言葉が少ないのは普段からで、心得ているとばかりにアデレシアが補う。やはり二人は随分と親密さを増したのだろう。
それはともかくデルフィナ共和国のメリーナはメリエンヌ学園の研究員の一人で、エウレア地方初の巨大木人の開発者でもある。そのため彼女はエディオラ達とも親しくしているし、このオアシスにも試験運用の手助けをすべく訪れていた。
しかしメリーナには今ひとつの顔がある。彼女は以前アルフールの神降ろしに成功したほどの優れた巫女なのだ。
そのメリーナが自分達エルフの氏神たるアルフールの命名と太鼓判を押した以上、この超巨大メロンも森の女神の作品で間違いない。それらにムビオは思いを馳せたらしく、敬虔な表情で静かに頷き返した。
◆ ◆ ◆ ◆
ガルゴン王女エディオラと関係が深いのは、アデレシア以外も同様である。
マリエッタのカンビーニ王国は湾状のシュドメル海を挟んでガルゴン王国と隣同士、しかも両国の王太子は南方冒険航海で共に船団を率いた縁もあり義兄弟と表現できるほど昵懇だ。そしてカンビーニ王太子シルヴェリオはマリエッタの叔父、ガルゴン王太子カルロスはエディオラの異母兄である。
ちなみにシルヴェリオは既婚だが、この冒険航海当時だと妻に迎えたのは第一妃だけで他に十歳の婚約者がいるのみだった。そのためガルゴン王国内にはエディオラを彼の第二妃以降に推す意見もあったが、本人の研究志向とシノブとの関係作りを考えてメリエンヌ学園行きを認めたという。
ムビオとエマの生地は両王太子が目指した南方大陸、つまりケームトを含むアフレア大陸だ。しかし二人とエディオラは、もっと直接的な関係で表現できる。
およそ二ヶ月半前の創世暦1002年2月14日、エマはガルゴン王太子カルロスと婚約して先々彼の第三妃になることが決まった。したがってエマは数年内にエディオラの義妹になるし、そうなればムビオもガルゴン王家の縁戚である。
ムビオとエマの父はウピンデ国の大族長、王と違って世襲ではないが国を治めていることには変わりない。そこで両国は関係強化を目的とした政略結婚を選んだのだ。
ただし婚約の最終的な決定権はエマにあり、彼女は決闘で相手を確かめた上で決断した。現在の彼女はシャルロットに側仕えとして侍りつつ技を磨くのに夢中だが、将来を託す相手としてカルロスを認めたのも事実であった。
女性陣の年齢はエディオラが二十三歳、アデレシアが十五歳、エマが十四歳、マリエッタが十三歳。ただしアデレシアとエマは同年の誕生で今月エマが誕生日を迎えたら並ぶし、神々は十五歳を成人年齢としたから以降はマリエッタのみが未成年となる。
このようにエディオラのみ歳が離れており、もし姉妹なら充分に大人の姉と成人前後の妹三人といった構図である。とはいえエディオラとアデレシアが人族、エマが獅子の獣人、マリエッタが虎の獣人だから同腹はあり得ない。
この星の人間には人族、獣人族、エルフ、ドワーフの四つが存在し、更に獣人族は様々な動物を象徴とする種族に細分される。これらは全ての組み合わせで子供が生まれるが父母の一方と同じ種族になり、中間的な形質は発現しないのだ。
そのため兄弟姉妹に三種族以上がいる場合、親は一夫多妻か一妻多夫、あるいは再婚の結果ということになる。ちなみにエウレア地方に一妻多夫制の国は存在しないから、一夫多妻か再婚を思い浮かべる者が殆どだろう。
「エマ、ここでゆっくりすると良い。俺はホリィ様に報告してくる」
ムビオは妹の返事を待たず、急ぎ足で歩み始めた。ウピンデ族は総じて長身で手足も長いから、彼は並の者の駆け足に匹敵する速さで遠ざかっていく。
エディオラ達の仲睦まじさは実の姉妹でも珍しいほどで、そのためか男性のムビオは居づらさを覚えたらしい。
「兄様……。マリエッタ?」
「気を使わせたようじゃな。せっかくの兄上の御配慮、ありがたく受けるが良かろうて」
エマが物問いたげに顔を向けると、マリエッタは重々しく頷きつつも笑顔で応じた。
最年長はエディオラだが、彼女はエマ以上に言葉少ないし研究に没頭するあまりか雑事に疎かった。それにエマにとってマリエッタはシャルロットの側仕えとしての先輩だから、こういった日常関連の大半は同僚にして親友の公女に問うのが常である。
「ムビオ殿は良い長になると思う。兄上……貴女の婚約者も、将来はウピンデ国の大族長かアマノ王国の親衛隊長だと言っていた」
「エディオラ姉さま、ありがとうございます!」
少々唐突にも思えるエディオラの評価にもエマは動じず、それどころか満面の笑みで礼を返した。
これまでエマはエディオラを様付けで呼んでいたが、最近になって『エディオラ姉さま』に変えていた。これはエディオラが将来の義姉と決まったのもあるが、マリエッタやアデレシアに倣ったようでもある。
それはともかく一国の統治者と国王直属とはいえ親衛隊長では大きな差がある筈だが、評したエディオラや聞き手の三人に気にした様子はない。それどころか彼女達は後者に興味があるらしく、現在の親衛隊長エンリオに触れていた。
「何しろアマノ同盟の盟主、シノブ様の親衛隊長じゃからの。まさしく側近中の側近、妾の故郷カンビーニ王国もイナリーノ先代子爵のお陰で随分と助かっておる」
マリエッタが挙げた『イナリーノ先代子爵』とは、エンリオの新たな家名と爵位だ。
元々はエンリオ・イナーリオというカンビーニ王国の従士だったが、三男アルバーノや次男の娘ソニアに彼女の弟ミケリーノの活躍でシノブと縁が生まれた。そして昨年六月にアマノ王国が誕生したとき、新王国の宰相ベランジェが親衛隊を任せるべくカンビーニ王国に頼んで彼を譲ってもらった。
エンリオはアルバーノの父として先代伯爵を名乗ることも出来たが、自身に功績が無いのにと遠慮した。しかし長男の息子ロマニーノがアマノ王国に移籍して子爵になったとき、シノブの再度の勧めに応じて先代子爵の称号を受け取り、同時にアルバーノの伯爵家と混同されぬよう新たな家名へと変えた。
どうもエンリオとしては親衛隊長が伯爵家の先代格だと大袈裟すぎるが、子爵の隠居なら適度に感じるらしい。
いずれにしてもエンリオがシノブと共に動くことで、カンビーニ王国は有形無形のメリットを享受しているようだ。同国は女性王族をシノブか次代に嫁がせるべく動いているから、狙う相手の側近に自国出身で確かな者がいたら計り知れぬ利があるのだろう。
「北大陸の大半はアマノ同盟の加盟国か予備軍ですからね。まず正式加盟国がエウレア地方とアスレア地方の全て、それにヤマト王国。イーディア地方やスワンナム地方も接触した国々の仲間入りは確実、カン地方も主要部の三国はシノブ様が訪問済みで皇帝家から留学生を預かっていますし……」
「父様も同じことを言っていた。兄様にはアマノ王国で出世してもらい、私が交易で世話になっているガルゴン王国に行く。知り尽くしたウピンデ国より外での仕事の方が難しいし、任せられる者は少ないって」
アデレシアはエマ達の思惑を的確に理解していた。これは彼女が同じような立場だからであろう。
先ごろアデレシアはメリエンヌ王国の王太子テオドールと婚約した。テオドールには第一妃と第二妃がいるから、こちらもエマと同様に第三妃である。
テオドールは長男を得ており、アデレシアに子が生まれても王位を得る可能性は低い。
しかしシノブはメリエンヌ王国にも爵位や領地を持っているし、彼の妻や婚約者は全て同国出身だ。これは貴族も同様で、筆頭の宰相ベランジェはメリエンヌ王国の公爵だったくらいである。
そこでアルマン共和国は、隣国でもあるメリエンヌ王国との接近が良策と判断した。何しろテオドールはシャルロットの従兄弟でセレスティーヌの兄だから、彼と結婚すれば自動的にアマノ王家とも縁戚関係を結べるのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
このようにエディオラ達にはアマノ同盟内の非メリエンヌ王国出身者として、ある種の共闘関係を結ぶ下地が存在した。もっとも当人達にとっては前提以前の話で、既に直接間接を含め幾度も意思疎通を図っているから改めて持ち出すまでもない。
そのため若き女性の会話は、現在いるオアシスから最も近い国ケームトへと向かっていく。
「デシェの砂漠に飛翔する魔獣は少ないし、生息する種も比較的小型だから飛行船に積んだ竜の魔力波動を模した装置で充分に追い払える。もし竜の長老様達がオアシスに張った結界を恒久的なものとしてくださるなら、アフレア大陸北部の東西を結ぶ航路が完成する」
他と違って魔術や魔道具関連なら、エディオラも普段の無口が嘘のような弁舌を振るう。
飛行船の推進力は湯沸かしの魔道装置を熱源とした蒸気機関で得ているし、ヘリウムも創水の魔術を応用した器具で足している。他にも飛行船にはエディオラ達が開発した魔道具を多数用いているから、彼女の関わった部分も多いのだ。
ちなみにエディオラは、最後の部分を特に強調していた。
現時点で最も優れた飛行船でも無着陸で飛行可能な距離は400km程度、しかしデシェの砂漠は狭い部分でも幅500kmを越える。つまり内部に最低でも一箇所は補給地を置くしかない。
実際には向かい風で速度が出ないこともあるし、故障の備えとして余裕も欲しい。魔獣が出没する空域を突っ切るなら、倍の距離を無着陸で飛べる機体が望ましいだろう。
したがってエディオラからすれば、このオアシスを補給地とするのは大前提らしい。もちろん超越種の協力があって可能なことだが、無理なら巨大鋼人を大量生産してでも確保したいと彼女は結ぶ。
「ここには大きな湖がありますし、このメロンのように補給地を支えるに充分な作物も採れます。緯度はウピンデ国より少し南ですが、数度の違いですから向こうの作物にも好条件ではないでしょうか?」
「既に植え始めておるぞ。ここは赤道に近い常夏じゃから、程なく結果が出るじゃろう」
「ウピンデムガの作物……」
アデレシアとマリエッタの指摘を受け、エマは湖岸に近い一角へと顔を向けた。
正午過ぎの陽光は天頂近くから降り注ぎ、湖面を眩しく煌めかせている。それもその筈、ここはエディオラ達の計測だと北緯13度ちょうどであった。
今日は創世暦1002年5月2日だから春分から四十日ほど、そのため現在の太陽高度は90度を僅かに下回る程度だ。つまり体感的には真上と呼べる位置に日輪があり、ほぼ完全に影は失せている。
しかし数度ほど北のウピンデムガで育ったエマにとって、これが正しい太陽の位置であり光の届き方だ。それに彼女は漆黒の肌の持ち主だから、文字通り焼ける日差しでも表情を全く動かさなかった。
一方エウレア地方で生まれ育った三人は長い袖や裾に加えて頭布で肌を守り、しかも入念に日焼け止めを塗っていた。もし彼女達が故国と同様の格好で立っていたら、あっというまに火傷してしまうから当然である。
「あれは『スズシイネ』の苗? それに『オイシイネ』まで……」
エマが注視しているのは倉庫らしき急造の建物と、隣の四角い水面だった。
前者は低い傾斜の屋根に土を盛り、更に稲らしき草を植えている。そして後者にも似た植物があり、水面には細い葉の束が一定間隔で並んでいた。
「流石はエマ。『スズシイネ』には気温抑制効果があるし、魔力蓄積も役に立つから持ってきた。食用の『オイシイネ』も外せない。メロンやスイカばかり食べて暮らすわけにはいかないもの」
エディオラはウピンデ国のオアシスを参考に拠点造りを進めていると明かす。
ウピンデムガと呼ばれる地域には二つの大きな湖があり、その周囲では魔法植物により快適な環境を実現していた。陸稲の『スズシイネ』を屋根に植えて涼しくし、水稲の『オイシイネ』で米を得るのだ。
『スズシイネ』は吸収した熱を魔力に変えて溜める性質があり、ウピンデムガでは魔道具にも用いている。『オイシイネ』は魔力で旨味成分の合成や蓄積を促進するし、僅かだが『スズシイネ』と同様の熱吸収効果もあるから一石二鳥だ。
これらをメリエンヌ学園でも研究しており、その結果を蒸気機関の冷却装置や復水器にも役立てていた。そのためエディオラはオアシスを拠点にすると決めたとき、ウピンデ国から苗の買い付けを手配したという。
他にも『デカメロン』や『アイスイカ』などの種を蒔いたり苗を植えたりと、ウピンデ国やメリエンヌ学園の農業班から招いた人々が今も忙しく働いている。
「これは補給地点にするため? それともトト君……ネフェルトート達を支援するため?」
エマはエディオラ達に向き直ると、探るような口調で問いかけた。
ケームトの少年トトの正体は、同国の若き王族ネフェルトートだった。しかし彼は物心付く前に文官夫婦に養子に出されて実の両親を知らぬまま、夫婦もネフェルトートが王族だと保証する書き付けを渡されたのみで真実に迫る手がかりは皆無であった。
そのためトトが王族と名乗りを上げるには、まず彼の親を明らかにしなくてはならない。書き付けは現国王アーケナが記したものだが、親が不明なままではトトを旗頭とする反体制派への支持を集めにくいからだ。
何しろトト達が対決する相手はアーケナだ。最悪の場合、証書である書き付けを記したのも冗談だったなどと言い逃れされかねない。
そこでミリィは潜入担当の残る一人、メジェネ族の青年ハジャルと王都アーケトに残って真実を探っている。エマやムビオにしても報告を終えたら即座に戻り、再びトトの出生やアーケナの意図を探るのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「補給地点だけど、トト君達を助けるためでもある。ケームトに渡れるようになっても、黄昏信仰のままだと仲間として迎えるのは無理だから」
平静な口調で言葉を紡ぐエディオラを、エマを含む三人は心持ちだが表情を引き締めつつ見つめる。
面に内心の動きを表さず淡々とした声で語るエディオラの姿は、研究所で同僚や後進と語らうときと変わらぬように思える。しかし妹と呼ばれ親しく接する乙女達は、内に秘めた彼女の意気込みを感じ取ったのだ。
「エディオラ姉さまの仰る通りです。邪神を奉じる国との交易など論外、接触すら躊躇われます。この星をお創りになったのは大神アムテリア様、そして支えるのはニュテス様を筆頭とする六柱の神々に眷属の皆様……これが唯一の真実です」
アデレシアは音楽好きな少女で性格も穏やかだが、今は別人のように鋭い口調で嫌悪を表した。これは自分達の過去、異神バアルの使徒により滅びた王国と重ねたからだろう。
アルマン王国が滅亡した理由は異神のみではなく、同国の軍務卿ジェリール・マクドロンと彼の長男ウェズリードの暗躍も大きい。しかしマクドロン親子が反逆に踏み切った背景に、異神の技による優位があったのも事実だ。
謎の宗教に加え、治水や巨大鋼人が示すケームトの常識外れの技術力。これらをアデレシアは自国を襲った悲劇と重ね、不吉な予感を覚えたようだ。
「やはり『黄昏の神』が問題じゃろうな……。詳細を知るのは教祖たる現国王アーケナのみで、どのような存在か謎のままじゃが……」
先の二人が並々ならぬ熱意を示したからか、マリエッタは逆に慎重な物言いで自身の意見を表明した。
今のマリエッタは武人としての技量向上に心血を注いでいるが、幼いうちはアルストーネ公爵位を継ぐかもしれないと帝王学を叩き込まれた。彼女は公爵の第一子だから、六歳下の弟テレンツィオが生まれるまでは第一位継承者だったのだ。
それにテレンツィオ誕生後も、マリエッタは文武で補佐できるようにと軍政の双方を学び続けた。したがって彼女は最年少にも関わらず、エディオラやアデレシアのように兄がいて最初から姫君の道を歩んだ者達より冷徹な心を養っている。
「ミリィ様は神殿や官衙に潜入したけど、詳しいことは分からないって……。アーケナは憑依術の使い手で魔力に敏感だから、見極めるまでは近くに寄らない方が良いらしい。ただ『黄昏の神』について詳しく記したものは無いから、最後は本人に確かめるしかなさそう」
「憑依すると魂が解放され、思念が使えるようになったり何倍も遠くの魔力を察知したりできる。だからミリィ様の御判断は正しい」
「アーケナは人族だそうですから、普段なら無理だと思います。でも木人や鋼人に憑依している最中だったら、宮殿内に変わった魔力が紛れ込んだと気付くかもしれませんね……」
もどかしげな様子のエマに、エディオラとアデレシアは専門家としての意見を返す。
実際エディオラは木人に憑依したとき、極めて短距離だが思念で会話できた。彼女が放った思念は触れるくらい近くにしか届かなかったが、思念での問いかけは神託を得る巫女でも不可能な者が殆どだから驚愕すべき快挙である。
それに修行中のアデレシアですら憑依で魔力感知能力の向上を実感したと続けたから、エマも納得を顕わにした。
「ケームト王の鋼人は、ヤマト王国のヒミコ殿の木人……衛留狗威院より大きいそうじゃの? つまりアーケナの魔力はエルフの巫女王に勝るのかもしれぬ。しかも鋼人の大きさが上限という保証はない……杞憂かもしれぬが更に上もあり得るのじゃ」
「すると確実に上回るのは、シノブ様だけ?」
マリエッタが暗に示した結論を、エマは的確に読み取った。
ミリィは黄昏信仰への嫌悪を度々口にしているくらいだから、詳細調査の実施を逡巡する裏には相応の理由がある。それはアーケナの魔力感知範囲や精度が読めないという問題だ。
神々の眷属だけあり、ミリィは人間より遥かに優れた魔力操作や感知を体得している。その彼女が同じく眷属のアミィが作った透明化の魔道具で潜むのだから、かなりの魔術師に近寄っても気付かれはしない。
しかしアーケナがエルフの巫女の長より高い能力を持ち、加えて憑依で桁違いに底上げされたら。そのときは眷属といえど、不用意な接近が命取りになりかねない。
試してみないと結果は分からないが、かといって最悪の場合は挽回不可能な失敗もあり得る。拙速が人々に多大なる苦難を招くかもと思えば、慎重になって当然だ。
このように強大な相手に悟られず探れる者がいるとすれば、神の血族たるシノブくらいだろう。もちろん神々が直接関与すれば別だが、そのような選択をアムテリア達がするとも思えない。
「シノブ様に御出馬をお願いできないでしょうか?」
「それはどうかの? どうも最近、ご自身だけでの解決を避けているらしいのじゃ。……しかし通信筒で現場の様子を伝えるだけなら良いと思うぞ。ホリィ殿に頼めば送ってくれるからの」
「シノブ様だと書きづらいなら、シャルロット様でも良い。私もミリィ様にお願いして、日々の修行や感じたことをお伝えしているから」
アデレシアの意見に、最初マリエッタは首を振った。しかし状況報告ならシノブも喜ぶだろうと公女は言い添え、更にエマが自身も毎日シャルロットと文のやり取りをしていると明かす。
「お伝えしましょう……私達が見たことや、感じたことを。シノブ様に縋るのではなく、ご判断いただく材料をお届けするために」
「それが良いのじゃ!」
「はい!」
「エマも書く!」
エディオラの提案に、妹分達が高らかに賛意を示す。
まるで真夏のように眩しい空に、乙女達の声はどこまでも広がっていく。その響きに気を惹かれたのか、周囲を行き来している者達の一部が顔を向ける。
補給地点として、そしてケームト反体制派の避難所として、ここを中心にオアシスは急速に整えられている。とりあえず磐船を住居としているが将来への布石として家屋や倉庫も建て始めたし、作物の試験栽培もしているのだ。
「そうと決まったらエマ、スイカ斬りをするのじゃ! ウピンデムガでは『アイスイカ』を割るそうじゃが、このオアシスの『ダイスイカ』も面白いのじゃ!」
「エマさん、『ダイスイカ』は私の背丈ほどもある四角いスイカですよ。それをマリエッタさんは大剣で斬るのです」
「箱に入れて育てたら四角くなるけど、何もしないのに立方体になるのは不思議」
マリエッタとアデレシアはエマの手を引き、エディオラは遠方の一角を指し示す。
ガルゴン王女が示す場所には、緑色の箱状のものが並んでいた。大きさは成人女性の身長に近いから一見すると防水布を掛けた大荷物のように映るが、実は立方体状に成長した巨大スイカだったのだ。
「それは楽しみ!」
エマは手を取る二人と走り出し、その後をエディオラが緩やかな歩みで追っていく。
どうやらシノブへの手紙を記すのは、少し後になりそうだ。そして昼食のデザートは巨大スイカに決まったらしい。しかし真夏のリゾート地を思わせるオアシスだから、少々横道に逸れて満喫するのも良いだろう。
周囲もそう思ったようで、四人に微笑みを向けている。そして天頂近くで輝く太陽も、力強くも母のように優しい光で乙女達を照らし続けた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2019年5月中旬を予定しております。
先月入院したこともあり、しばらくは更新間隔を調整しつつ進めていくつもりです。そのため次回に関しては具体的な公開日時を未定とさせていただきます。
本作の設定集に、ケームト王国や近辺の地図を追加しました。
上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。