05.21 初恋のメヌエット 後編
「シノブお兄さま! 素敵です!」
シノブ達は、伯爵家御用達の高級服飾店ラサーニュを訪れている。
ベルレアン伯爵は、領都セリュジエールに戻ってから魔術指南役となったシノブのために、貴族に相応しい服や軍服を仕立てさせていた。
今日は、ミュリエル達を連れて仕上がった服を引き取りに来たのだ。
「ミュリエル様のおっしゃる通りです。さすがは『竜の友』シノブ様。凛々しいお姿ですよ」
さすがに伯爵家御用達だけあって、店主で服飾職人のラサーニュは、シノブの二つ名を知っていたらしい。揉み手をしながら白い軍服姿のシノブを褒めていた。
「はい! シノブ様、とってもお似合いです!」
「うん、カッコいい!」
アミィやミシェルも手放しに褒め称える。
「本当にお似合いですよ。お館様と並んでいるお姿を、早く拝見したいものです」
伯爵の家令ジェルヴェも、シノブの軍服姿に感慨深げな様子である。伯爵の略装に良く似た軍服を見て、二人が並ぶ姿を想像しているらしい。
シノブの軍服は若干飾りなどが省略されているが、伯爵のものと同様に実用性と美麗さを兼ね備えたデザインである。
青と白を基調とした軍服。胸の両側に金ボタンが並んだ燕尾服のような外衣に、細めのズボンと革の長靴の組み合わせ。そして肩には、金モールのような肩章に飾緒まである。
そんな近世欧州の将校を想起させる美々しい軍服は、少女達やジェルヴェが言うとおり、彼に良く似合っていた。
「ありがとう。それじゃ、軍服はこれで問題ないかな」
シノブは一同の称賛に、顔を赤く染めた。
この略装の軍服は、正式な場にも着ていくことができる。それゆえ、王都に行く際には必須であった。
シノブとしては伯爵で見慣れたせいか、貴族風の華やかな格好よりは軍服姿のほうが抵抗感がなかった。そのため彼は、王都ではなるべくこちらの服にしようと思っていた。
「それでは、シノブ様。次はこちらの礼装をお召しになってください」
しかしシノブの内心を知る由もないラサーニュは、煌びやかな衣装を取り出した。手にしているのは夜会向けの礼装、シノブが苦手と感じた方である。
「では試着してくるよ」
軍服は同じ物を数着、礼装はデザインの異なる衣装を三点ほど用意してもらっている。まだまだ着せ替え人形になるのかと思ったシノブだが、表情に出ないように注意する。
「ご面倒ですが、よろしくお願いします」
ラサーニュが恭しく会釈すると、店員が歩み出て、先ほど軍服に着替えた試着室へと案内する。
礼装は複雑であるため、慣れればともかく最初は店員の助けが必要だ。今のシノブには、複雑に結ぶタイを自分で綺麗につけることすら出来ないだろう。彼は、大人しく店員についていった。
「次の礼装は、王都から招いた腕利きに作らせたものですよ。きっと気に入って頂けると思います」
シノブを待つミュリエルに、店主のラサーニュは、にこやかに説明する。おそらく、着替えの間は自分が場を持たせようという考えなのだろう。
なにしろ、領主の娘の来訪である。店内は貸切だし、シノブの試着だけなのに、品の良い揃いの服を着た店員が何名も控えていた。その有様からは、ラサーニュの気合の入れようが見て取れた。
「そうですか! 今度、私の服も作って頂きたいですね……」
ミュリエルは、王都という言葉に惹かれたようだ。どこか、うっとりとした様子で、周囲に飾られた美しい衣装を眺めている。
「もちろんですとも! ぜひお願いします!」
早速、伯爵令嬢の注文を取れそうだと思ったラサーニュは、満面の笑みを見せてミュリエルに恭しく一礼した。
◆ ◆ ◆ ◆
服の試着を終えたシノブ達は、その足で宝飾店へと向かっていた。アミィのネックレスを購入した店、デュフレーヌがすぐ近くにあり、そこに注文していた品々を受け取りに行くのだ。
シノブ達は、遠巻きに警護する兵士達に守られつつ、数軒先のデュフレーヌへと歩いていった。
「シノブお兄さま、その服もとってもお似合いです」
シノブと腕を組んだミュリエルが、彼を見上げて笑いかける。
シノブと50cm近く身長差がある彼女は、まるで彼の腕にぶら下がっているようである。だが、兄と敬愛するシノブと寄り添って歩くことができ、とても嬉しそうだ。
「ありがとう。ちょっと恥ずかしいけど、早く着慣れないとね」
シノブは、最後に試着した貴族の礼装を着たままであった。
彼はミュリエルの熱望に負け、そのままの格好で服飾店ラサーニュを辞することとなった。今日はミュリエルに楽しんでもらうための散策だ、と考えたシノブは、自身の思いより彼女の要望を優先したのだ。
シノブが着ているシャツは艶やかな布地で、袖口や襟元にはギャザーまである。そして胸元には例の複雑な結び目のタイである。
穿いているのは細めのパンツ、上着は裾の長いフロックコートのようなもの。冬の到来を告げるかのような寒風も気にならないのは助かるが、宝塚の男役か粋に決めた男性歌手のような派手な格好が周囲からどう見えているかとシノブは気になって仕方ない。
「恥ずかしくなんかないですよ。まるで、絵本の王子様みたいです」
ミュリエルは、本心からそう思っているようだ。キラキラと輝く純真な目でシノブを見上げている。
「そういえば、テオドール殿下にはお会いしたことはあるの?」
伯爵令嬢でも絵本の王子様にあこがれるものだろうか。シノブは何だか面白く感じたが、そんな内心を表さずに、ミュリエルへと問いかける。
「いえ、私はまだ王都に行ったことはありませんから……。
本当なら今度のセレスティーヌ様の成人式典に連れて行ってもらえるはずでしたが。
たぶん、来年には行けると思います」
ミュリエルは残念そうな顔でシノブに答える。
テオドールとは、メリエンヌ王国の王太子である。彼は、シメオンと同じくらいの年頃だという。そして、セレスティーヌはその異母妹だ。彼女はこの12月で、成人年齢である15歳になる。
「そうか……。でも、昨日も言ったけど、王都は危険らしいんだ。安全になったら行こうね」
不味いことを聞いてしまったな、と思ったシノブは、彼女に言葉を選びつつ柔らかく語りかけた。
「はい! そのときはシノブお兄さまと行きたいです!」
幸い、シノブの心配したほどミュリエルは落ち込んでいなかったらしく、一緒に王都を訪ねようと元気よく返事を返す。
「ああ、そうだね。安心して王都を歩けるようになったら、ミュリエルを連れていってあげるよ」
シノブはミュリエルの様子にホッとして、嬉しげな彼女へと頷き返した。
「はい! 約束ですよ!」
ミュリエルは、シノブが一緒に行くと宣言したのに安心したらしく、彼の腕をギュッと握って足取りも軽く歩んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
高級宝飾店デュフレーヌに到着早々、シノブは贅を尽くした品々を披露された。
細かく彫金され宝石まで散りばめられた文具と文箱。守り札でもある数点のブローチ。太いミスリルの鎖にペンダントヘッドのついた男性用の首飾り。
彼の目の前には、それらを含む貴族向けの小物が並んでいる。いずれも伯爵家の紋章入りであり、普通の人が持って良い品ではない。
ベルレアン伯爵が紋章入りの品々を発注したと言ったとき、シノブは、まだ内々の婚約者なのに良いのかと聞いてみた。だが戸惑う彼に対し、伯爵はどうせすぐ必要になるから、と笑っていた。
「しかし、これは見事だね……」
シノブが感嘆し見つめているのは、精緻な紋様が浮きだしている懐中時計である。この懐中時計も、伯爵家の紋章入りだ。
伯爵家の紋章は、双頭の鷲に盾が重なる図案で、盾の中には槍も描かれている。おそらく槍働きで建国に貢献した初代伯爵の偉業を讃える意味があるのだろう。
シノブは、領都に来てから、いくつもの時計を見ている。
領都には時計塔もあれば、ホールクロックのような立派な据え置き型の時計もある。また、『戦場伝令馬術』で使った計測用の時計、言ってみればストップウォッチに相当する物まである。
だがシノブはこちらに来てから、これほど小型で精密な時計を見たことはなかった。シノブだけではなく、アミィや少女達もうっとりと見惚れている。
「お気に入りいただき、光栄でございます。
こちらは領都でも最高の時計職人に作らせ、我がデュフレーヌ第一の職人に仕上げさせたものです。憚りながら、これだけの品を用意できる宝飾店は、王都にもそうはないかと自負しております」
見惚れたままのシノブに、店主のデュフレーヌが満面の笑みと共に説明する。
ふっくらとした容貌には、シノブが気に入ったことによる安堵と、気に入られるだけの自信の双方が混在していた。しかし、どちらかと言うと前者のほうが大きそうだ。
当然のことではあるが、デュフレーヌも『竜の友』の名を知っているようだ。未来の準伯爵になるかもしれない英雄に嫌われずに済み、彼は大いに安心したのだろう。
「確かに私も王都の店は知っておりますが、これほどのものは見たことがありません。お館様もきっとお喜びになるでしょう」
ジェルヴェも驚嘆を隠せないようだ。彼の表情には本心からの賞賛が滲んでいる。
「もっ、もったいないお言葉……ありがとうございます!」
伯爵家の家令に褒められたデュフレーヌは、舞い上がらんばかりに興奮していた。
家令として審美眼も磨かれたジェルヴェの言葉は、ある意味シノブの称賛よりも嬉しかったようだ。有頂天になった彼は、一瞬の間を置いて我に返り、慌てて深々と会釈をした。
「さて、シノブ様。本日はお天気もよろしいですし、近くの公園など散策されてはいかがでしょう?」
ジェルヴェはデュフレーヌでの用事が済んだとみて、シノブに声を掛けた。
「そうだね。天気も良いようだし、案内を頼むよ。
アミィ。すまないけど、これも仕舞っておいてくれないかな?」
「はい!」
シノブは、受け取った品々をアミィに渡す。彼女は、箱に入れなおした高級宝飾品を、大事そうに魔法のカバンへと入れていく。
「先ほど通りの先に見えた、中央区と外周区の境にある東公園に参りましょう」
ジェルヴェが案内する東公園は軍の駐屯地も近いので、治安の面でも安心である。領都についての情報を思い浮かべたシノブは、彼らしい慎重な配慮に感心し、頷き返した。
◆ ◆ ◆ ◆
「さあ、ここに座って」
シノブは、以前見た映画を思い出し、ポケットから取り出した大きめのハンカチを公園のベンチに広げ、ミュリエルに座るよう促した。
南向きのベンチは日当たりが良いが、若干埃を被っていた。それを見たシノブは、気障な仕草だとは思ったが、そのまま座らせるのもどうかと考え、ハンカチを取り出したのだ。
「あ、ありがとうございます……」
きちんと淑女として扱われたのが嬉しいのか、ミュリエルは頬を染めながら、そっと座る。
「今日はどうだった?」
シノブも隣に座り、彼女に話しかけた。
アミィはミシェルと共に隣のベンチに座り、ジェルヴェもシノブ達の脇に控えている。
「はい、とても楽しかったです!
お店の中も、色々な服や小物があって面白かったですし……普段、職人さんに来てもらうときは、私が着るためのものしか持ってきてくれません。だから、あんなに種類があるとは思いませんでした!」
ミュリエルは自分や伯爵達が身に着けるような高級品よりも、少し庶民寄りの服や道具に興味を示したようだ。確かに階級によって衣装や道具が異なる社会では、伯爵家の中では目にしない品々があるのだろう。
「ふ~ん。まあ、お父さんやお母さん達が着ているのは上品な物が多いからね」
シノブも、彼女の言わんとしているところを理解した。
基本的には高級品を置いている店内だが、裕福な領民向けに一段安めの商品も置いてあった。それらは貴族ほど形式に囚われていないせいか、若干奇抜なデザインの品もあったのだ。
「そうですね。シノブお兄さま、王都にはもっと色々あるのでしょうか?」
「多分あると思うよ。今度帰ってきたら教えてあげるね。どんな物があって、どんな人がいるか、良く見てくるよ」
遠く南方の王都を想ったのだろう、ミュリエルは南の空を見上げながら呟いた。そこでシノブは未知の場所に憧れる少女に応えようと、戻ったら風物を語ると約束した。
「はい! お帰りを待ってます!」
ミュリエルは元気よく振り向いた。しかし彼女は何か思い出したのか、急に顔を曇らせる。
「……王都に行けなくて、一つだけ良いことがあるんです」
「行けなくて良いこと?」
ミュリエルがポツリと口にした言葉に、シノブは首を傾げた。あれだけ王都に行きたがっていた彼女が、どうして留守番を喜ぶのかと不思議に感じたからだ。
「……王都に行ったら、私の婚約の話が出ると思います。
でも、せっかくシャルロットお姉さまも領都にお帰りになったし、シノブお兄さまもいらっしゃいます。私は、もう少し領都に居たいのです……どんなところに嫁ぐかもわかりませんし……」
シャルロットは、ヴァルゲン砦に2年間も行きっぱなしだった。たまには領都に帰還したようだが、結婚を申し込む相手を避けるために、あまり帰ってこなかったらしい。
「そうか……なら、俺が王都に行ったとき、どんな相手か見てきてあげるよ」
ミュリエルの言葉にシノブは納得した。
婚約が決まっても、いきなり輿入れすることはないそうだ。だが婚約者と頻繁に会うことになるから、領都を離れて王都の別邸などで暮らす事もあるという。
まだ姉の下を離れたくない彼女としては、それは避けたいのだろう。
「……あの、それならお願いして良いですか?」
「いいよ。何をすれば良いのかな?」
おずおずと見上げたミュリエルに、シノブは敢えて軽く応じた。悲しげな少女の慰めになればと、思ったのだ。
しかしミュリエルは、何故か顔を赤くした。
「私の婚約者になる方ですけど、こういう方が良いなあ、って……」
「それは……頑張って探すよ」
少女はシノブの耳元で、とても小さな声で呟いた。
意外な言葉に、シノブは一瞬だけ表情を動かした。しかし相手の真摯な表情と声音に今は安心させるべきと、深く頷いて了承の言葉を返す。
「はい! お願いします!」
ミュリエルはシノブが聞き入れてくれたのが嬉しいようだ。彼女は大輪の華が咲くような笑顔となる。
「あっ、そうだ。これミュリエルにプレゼント。今日の記念にって、ラサーニュさんの所で買ったんだ。開けてごらん」
「わぁ、可愛いハンカチ!」
シノブが渡した小さな包みをミュリエルは早速開けた。そして彼女は、包みから綺麗なレースのハンカチを取り出す。
いくら伯爵令嬢とはいえ高価な品ばかり渡すのもどうかと思ったシノブは、それほど高くないものを用意していた。彼は試着の最中に心の声でアミィにお願いして、選んでもらっていたのだ。
「気に入ってもらえてよかったよ。じゃ、寒くなる前に帰ろうか」
「はい! ありがとうございます、大切にします!」
シノブが帰宅を告げると、ミュリエルは一際嬉しそうに頷く。そして元気よくベンチから立ち上がった彼女は、軽快な足取りで馬車へと向かっていく。
──シノブ様、よかったのですか?──
ミュリエルを囲むように歩みながら、アミィが心の声で語りかけてきた。
──仕方ないだろ? まさか探せません、とは言えないし──
──でも『シノブお兄さまと同じくらい強くて頼りになる人を探してください』って……もしかして何を意味しているか、おわかりではないとか?──
アミィは、薄紫の瞳に疑問を浮かべながら、シノブに密かに問いかける。
やはり、耳の良い彼女にはミュリエルの囁き声は聞こえていたようだ。
──わかっているよ。でも、これって初恋ってヤツだろ?──
シノブは、小学生のころ自分や友達が綺麗な女の先生に惹かれたことを思い出した。そういえば、女子達はカッコいい教習生に夢中だったな、とシノブは回想する。
──そうかもしれませんが……──
──どっちにしたって、まさかミュリエルとも結婚するわけにはいかないんだ。嫌な言い方だけど、時間が解決してくれると思うしかないよ──
シノブもミュリエルの言葉を聞いたときには困惑した。だが、自分の意思を今の彼女に告げるのは酷だと思ったのだ。
──そうですね。なら、王都で頑張って探すしかないですね──
アミィの思念には複雑な感情が滲んでいた。溜め息を吐きつつも笑いを零したような、どこか大人びた響きだったのだ。
──悪いけど、従者として協力してもらうよ。こんなことを頼めるのは、アミィしかいないんだ──
シノブの冗談めかしてはいるが真剣な心の声に、アミィは母や姉のように柔らかな微笑みを返した。
どうやら王都ですることが一つ増えたようだ。どうかミュリエルにとって良き未来が見つかるようにと願いつつ、シノブは秋の公園を歩んでいった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回から第6章になります。




