28.09 ガルゴン王国、親の心子知らず?
ミリィが確保した二つの品、肉食獣型の巨大像と円盤型の魔道具。これらはマリィの手でカンビーニ王国の王都カンビーノからメリエンヌ学園に移された。
前者は家一軒ほどもある金属像、後者も人が充分に乗れる大きさの石板だ。それに距離は900kmを超えるから、普通に運んだら何週間かかるか分からない。
しかし学園には転移の神像があるし、運ぶ品々も魔法のカバンに入れており実質的には手荷物一つだ。そのためマリィの出立は、カンビーノで朝食を済ませた後という余裕のあるものだった。
移動に要した時間は多く見積もっても三十秒足らずだろう。
まず魔法の家を出し、次にリビングにある転移の絵画の前で行き先を念じる。すると学園の庭にある転移の神像前、聖壇の上に出現だ。
「やはりアマテール地方は涼しいですわね」
ここは高地、しかもマリィがいるのは岩天井の下だから空気も冷たい。
転移の神像は岩山を少し掘り下げて刻んだ形、つまり壁龕のような構造だ。しかし像の高さが大人の背丈の十倍近いし、奥行きも随分とある。
それに当初と違って聖壇の前にも屋根が掛けられていた。ここは北の高地と呼ばれたくらいで、冬場は雪が多いからだろう。
「さて研究所に……あら?」
マリィは聖壇を降りた直後、歩みを止めた。これから訪ねる相手、所長のミュレ子爵マルタンを発見したからだ。
しかも隣にはミュレの妻で補佐役のカロルまでいる。
ケームトで得た品々を調べるのは、研究所の魔術師や魔道具技師達だ。
そこでマリィは事前に話を通したが、所長自身が待ち構えていなくても良いだろう。そう思ったのか、彼女は頬を緩める。
「お待ちしておりました!」
「お忙しいところ、ありがとうございます」
ミュレが歓迎の意を示すとカロルが続く。ただし前者は朗らかな笑みと弾む声音、後者は普段と変わらぬ落ち着いた様子と対照的だ。
研究に没頭して周囲が見えなくなるミュレと、支えつつ手綱を引くカロル。二人の関係は以前と変わらないらしい。
「朝早くから済みません」
「いえ、楽しみです。少々不気味ですが、技術自体には興味がありますので」
マリィが笑みを向けると、ミュレは先に立って歩み始める。向かう場所は学園に付属する演習場、大型弩砲や投石機も使える広大な空き地だ。
調査対象は異国の魔道具、そこでミュレは万一を考えたという。
「確かに用心すべきですわ。何しろ邪教を信じる相手が造った代物ですから……」
マリィは一瞬だけ振り向いた。
憂い顔で見つめた先、そこには転移の神像があった。母なる女神アムテリアと彼女を支える従属神達、シノブとアミィが造った石像である。
「黄昏信仰……でしたね」
「恐ろしいことです」
ミュレは足を止めて神像を見上げ、カロルも夫に倣う。
普段は知的好奇心を優先するミュレだが、他と同じくアムテリア達への信仰は厚いようだ。彼の面には強い憤りが滲んでいる。
カロルの声は震えてすらいた。それに顔からは血の気が引いている。
おそらく二人は昨年の激闘、異神達との戦いを思い浮かべたのだろう。
シノブはケームトの現状をミュレ達にも伝えた。ケームトの技術を解き明かすには、『黄昏の神』がどんなものか知る必要があると考えたからだ。
そのためミュレやカロルも、現ケームト王アーケナがアムテリア達への信仰を禁じたと承知している。
「持ってきた像……鋼獣も黄昏信仰の影響が強いようですわ。それに合体後の鋼人も球状の頭だったと言いますし……」
マリィは自身が手にした神具、魔法のカバンへと目を向けた。
魔法のカバンに入っている金属像は肉食獣型だが、頭だけは球体だった。それに他の像も全て同じ、これらは沈む日を崇めるアーケナの意向のようだ。
つまりケームトから持ってきた像や魔道具には黄昏信仰ならではの魔術が使われている可能性が高く、下手に触れると危険なのは事実だろう。
「……念のため演習場には巨大木人を用意しました。それにソフロニア様も同席してくださいます」
ミュレは充分な対策を打っていた。
家ほどもある金属像が暴れたら、常人では太刀打ちできない。そこでミュレは学園が製造した巨大木人を控えさせた。
まず研究所で初めて造った、木人ガー。人の背の十倍はあろうかという漆黒の巨人には、エルフで巫女のメリーナが憑依している。
続いて狗礼徒木人ガー。三割ほど大きさを増した二作目は、ヤマト王国から来た褐色エルフの多気美頭知が操っている。
そしてソフロニアはメリーナの曾祖母にして巫女、デルフィナ共和国の長老でもある。彼女も二人に並ぶ、憑依術の達人だ。
ちなみにマリエッタ達は今日も山篭り、そのため豪タイガーは立ち会えない。しかしメリーナ達が動かす二体は獣型の像よりも大きいし、動きを封じるには充分だろう。
「エディオラ様やハレール様もいらっしゃいます。ですから……」
カロルの言葉は、自分に言い聞かせるようでもあった。
ガルゴン王国の王女エディオラ、そして彼女を補佐する魔道具技師達。つまり最新鋭の巨大鋼人、豪タイガーの開発班だ。
更に円盤型の魔道具を調べる担当として、ハレール男爵ピッカールが率いる一団も呼んだ。彼は老練な魔道具技師、それにミュレやカロルと共に研究所を立ち上げた人物でもある。
素材の調査担当としてドワーフの鍛冶師、不測の事態に備えた武人達や治癒術士達。およそ考えうる手段、そして学園で準備できる陣容を整えている。
この大袈裟に思えるほどの準備は、警戒心の強さを示しているようだ。あるいは生理的嫌悪と表現すべき感情か。
不要なくらいの入念さからすると、後者の可能性は高そうだ。
「武人を率いてくださるのは副校長……先代ベルレアン伯爵アンリ様です」
「でしたら安心ですわね。……さあ、急ぎましょう!」
ミュレの最後の一言にマリィは大きく顔を綻ばせ、更に足を速める。
それだけ大勢が待っているなら、のんびり歩いている場合ではない。おそらくマリィは、そう思ったのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
マリィは演習場に着くと、運んできた品を取り出す。まず巨大な金属の塊、体は肉食獣で頭は球体という異形を表した像だ。
『動きませんね……』
『魔力の動きも感じない……』
巨大な木人達、メリーナとミズチの宿る二体は鋼獣を押さえつつ声を発する。
ケームト製の金属像は、湖中の島に安置されていたときの姿勢のままだ。そのためエディオラやソフロニアなどが、警戒しつつも側に寄っていく。
メリーナ達は大魔力を誇るエルフ、エディオラは人族だが極めて感知能力が高い。この四人が平静な様子を保っているから、他も安心した様子で続いていった。
ある者は瞑目して魔力の流れを探り、別の者は逆に魔力を発して反応を読み取ろうとする。しかし金属像を囲む者達の表情は、次第に困惑へと変わっていく。
「これに憑依できるの? 魔道具の一種なのは間違いないし、魔力は溜まっているけど……」
「どこにも宿れる場所がない……な」
エディオラとソフロニアは顔を見合わせた。
二人が知る鋼人や木人と違い、この獣型の金属像には憑依の拠り所となる魔法回路が存在しないようだ。仮にあるとしたら、彼女達が知る技法では感じ取れないのだろう。
「私が試してみます!」
じれったく感じたのか、鋼人開発担当の一人が憑依を試みる。しかし彼は失敗し、続けて挑戦した者達も同様に乗り移れないままだ。
「魔道具でしたら、我らが調べましょう」
進み出たのはハレール老人と彼が率いる一団だ。その中には弟子にして養子のアントン少年もいる。
「アントン、魔力測定器だ」
「はい!」
ハレール老人が声をかけると、アントン少年は担いでいた箱から小剣程度の長い棒を取り出した。
続いて少年は棒の端にケーブルを繋ぎ、更に反対側を別の者が箱型の魔道具へと差し込む。その箱の前にハレール老人が陣取ると、準備完了だ。
「では行きます!」
「うむ」
緊張気味の表情で、アントン少年は金属像に寄っていく。手には先ほどの棒、まるで剣を突きつけるように像に向けたまま慎重に進む。
「おお、反応があったぞ!」
「やはり魔力を蓄積しているんですね!」
箱の前でハレール老人が叫ぶと、アントン少年は嬉しげに尻尾を揺らした。ハレールは人族だが、アントンは狼の獣人なのだ。
「憑依術ではないのか?」
「補助用の魔力を溜めているのかも?」
ソフロニアとエディオラも再び像に寄っていく。
一般に他の何かが介在していると、肉体同様に操るのは難しい。そこで普通の鋼人や木人は単独で憑依するし、自身の魔力のみで動かす。
エディオラ達が造った豪タイガーは複数で憑依するが、これは超越種たるオルムル達だから成せる技だ。
「どうも下の方から魔力を吸っているようですな……」
『ひっくり返してみましょうか?』
ハレール老人の呟きに、メリーナが宿った木人ガーが応じる。
二体の巨大木人が獣型の像を抱えて裏返し、アントン少年が軽やかに登っていく。そして少年は、今まで隠れていた場所に検査用の魔道具を近づけては離れてと繰り返す。
「腹に魔力を吸収する機構があるのは間違いありません。元の姿勢だと床と触れていた部分のみですな……。他は頭の球を除けば魔力を通しにくいようです」
ハレール老人が解析結果を告げる。それに測定器が示す通りなら、この金属像は今も相当な魔力を蓄積しているという。
おそらく金属像の胴体や四肢には、下腹を除いて魔力的な絶縁が施されているのだろう。それに頭部も何らかの仕組みで制御されているのか、僅かに魔力が漏れている程度らしい。
「つまり、倉庫の床には魔力を供給する仕組みがある……ということ?」
「うむ。……操る仕組みは分からぬままじゃが、一歩前進じゃ」
アントン少年の推測に、ソフロニアが大きく頷いて同意を示す。
まだ不明な点は多いが、皆の表情は先ほどより明るい。やはり少しずつでも進んでいるという手応えが大きいのだろう。
「分解して調べたいところですが、それは最後でしょうね。……まずはヒミコ殿やルヴィニア殿に訊ねてみましょう」
『伊予の島には、私が問い合わせます』
ミュレの呟きにミズチが応じる。
伊予の島の女王ヒミコは巨大木人の第一人者だ。同様にアゼルフ共和国のルヴィニアも鋼人に詳しい。
どちらにも通信筒を貸与しているから、連絡を取るのは容易なことだ。
続いて円盤型の魔道具の調査を始める。
こちらも裏返しにすると魔力を吸収する場所があった。普段は床板に紛れているというから、そこで魔力を補充するのだろう。
「ひっくり返しは想定外のようですね」
アントン少年は空転する車輪を見つめている。
円盤は裏返しになったと判断できないのか、車輪が回り続けている。それにブザーに似た音を鳴らすのも、倉庫で動いていたときと同じだ。
おそらく魔力が切れるまでは、このままなのだろう。
「そうだな。アントン、少し右に寄ってみろ。……次は左だ」
ハレール老人が指示する通り、アントン少年は円盤の周囲を巡っていく。すると彼の動きに合わせて車輪の向きが変わる。
やはり円盤は魔力や赤外線などを使い、人間のいる場所を判定しているらしい。
「音と同じ周期で魔力波動を発していますね」
「魔力無線のように何かを伝えているのでは?」
魔道具技師達は興奮も顕わに言葉を交わしている。
どうやら円盤は侵入者の出現を知らせる魔道具のようだ。島に飛来した符は、この魔力波動が発端なのだろう。
鋼獣に比べると円盤は遥かに小さいが、要素となる機能は非常に興味深い。特に応用性では、円盤の方に軍配が上がるかもしれない。
実際に技師達の間では、このように使えるのではという声が早くも上がっている。
「円盤の魔力が尽きたら、分解しようと思いますが?」
「……良いでしょう。警報装置だとしたら、その仕組みを探る方が重要かもしれませんし」
ハレール老人の提案を、ミュレは僅かな沈黙の後に承諾する。
鋼獣と円盤、どちらも確保したのは一個だけだ。しかし円盤が監視装置だとしたら、例の島以外にも設置場所がある筈だ。
それなら再入手できる可能性も高いだろうし、一個くらい破壊しても良い。そのようにミュレは考えたようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
獣型の巨像と円盤型の魔道具。どちらも倉庫の床から魔力を得ていたらしい。
つまり倉庫は大規模な魔力の補充場所、いわば第三の魔道具というべき代物だ。それも何十もの巨大像に魔力を充填できる魔道装置なら、床として露出しているのは全体の一部に過ぎないだろう。
もしかすると島全体、それどころか湖すら含むのでは。島のあるメーヌウ湖は、かつてのケームト王が巨大鋼人を使って切り開いた人造湖だから単なる妄想と切り捨てるわけにもいかない。
そのため像や円盤より、こちらに興味を示す者も現れた。
「島にあった倉庫ですが、今どうなっているのでしょう!?」
ミュレは興奮気味の声でマリィへと訊ねた。
昨日ミリィ達が引き上げた時点だと、ケームトの倉庫は上物を失って床のみになったらしい。中から現れた巨大鋼人が屋根を突き破り、四方の壁も含めて倒壊させたからだ。
つまり今なら倉庫の中を上空から観察できる筈、金鵄族のミリィやマリィなら簡単なことではないか。このようにミュレは考えたのだろう。
隣のカロルも同意見らしく、彼女の顔にも強い期待が滲んでいる。
「それが夜のうちに元通りになった……そうです」
どことなく納得のいかない表情で、マリィは応じた。
ミリィは脱出から数時間後、島へと再び飛んだ。しかし彼女が目にしたのは修復済みの倉庫、簡素だが一応は屋根もある巨大建築物だったという。
大きさや高さも潜入前と同程度、少なくとも上空からだと同じ大きさとしか思えない。ただし周囲の草原は荒れているし、その外を囲む林も倒木ばかりだ。
つまり昨夜の合体鋼人が暴れたのは間違いない。朝早く、そのようにミリィは通信筒で伝えてきた。
あまりに不思議な出来事、そのためマリィは像や円盤の調査が一段落するまで伏せることにした。なるべく曇りの無い目で調べてほしいと考えたからだ。
もちろん二つに触れても心配ないことは、彼女自身やシノブ達で確かめている。
「木造とはいえ大神殿に匹敵する規模……ですよね? それに高さも三階や四階に相当するとか」
「どこかに予備の木材を用意していたのでしょうか?」
ミュレは呆気に取られた様子、カロルも信じられないといった態である。
倉庫を上回る巨大鋼人があるから、予備の木材が完全に加工済みなら一日と経たずに復元できるかもしれない。そして組み立てた後、鋼獣に分割して倉庫に格納するのだ。
しかし、そんなに上手くいくのだろうか。
ミリィが目にした合体鋼人は、大人の背丈の二十倍近くもある巨体だ。倉庫など膝程度の高さ、したがって材料さえあれば積み木細工のように容易く修復するかもしれない。
とはいえ数時間で組み立てるとなると、よほど慣れていないと難しいのではないか。あるいは魔術による反応速度の上昇、生身での身体強化に相当する技が使えるのか。
「ええ。まさかミリィが戻ってくるまでの数時間で板や柱を造った……とは思えないですし」
マリィも夢であってほしいと言いたげな顔だ。
どのような手段を用いたにしろ、途轍もない技術力を備えているに違いない。つまり見間違いや幻影でなければ、想像を絶する相手ということになる。
「あの……幻影の魔術ということは?」
「それは無いと思いますわ。ミリィが屋根に葉っぱを落としたら、ちゃんと乗ったそうですし……」
躊躇いがちに問うたミュレに、マリィは間接的にだが確かめたと返す。
本来なら自身で乗るか、中に入るかすべきだろう。しかし常識外れの現象を、ミリィも薄気味悪く思ったらしい。
「昨日ミリィが得た二つには実体がありますわ。これはシノブ様やアミィとも確かめたから、間違いありません」
「つまり倉庫の中には、他にも動物型の像や動く円盤があると考えるべき……か」
「でも……」
マリィの言いたいことを、ミュレとカロルは察したようだ。
幻影なら見破る術がないほど高度な技、違うなら想像を絶する超技術による修復。無策で再び潜入するなど、無謀の極みと言うべき暴挙である。
「どうしたの?」
三人の会話が耳に入ったのか、エディオラ達も寄ってきた。それに異様な雰囲気を察したのか、見張りの武人を率いていた先代ベルレアン伯爵アンリまで輪に加わる。
そこでマリィは先ほどまで語らったことを繰り返していく。
「……マリィ様、お願いがあります。私を倉庫のある島に連れていってください」
エディオラは自身で調べようと思ったのだろう。それにハレール老人やミュレなど、他にも行きたそうな顔をしている者は多い。
「エディオラさんが行かなくても、ミリィに調べさせますわ」
マリィが反対したのは当然だろう。エディオラはガルゴン王国の王女、正体不明の技術で守られた島に連れていける筈がない。
「ではガルゴリアに。父上の許可を貰いに行きます」
「それは……」
よほど意思が固いらしく、エディオラは父王に嘆願すると言い出した。一方のマリィだが、どう返すべきか迷ったらしく黙り込む。
「良いのではないか? もしも父権者が許可するなら、留める必要もあるまい」
後押しをしたのは先代ベルレアン伯爵アンリだ。
今までは魔術や魔道具の話題だったから、アンリは無言のままだった。しかし父子の気持ちなら別、それに同じメリエンヌ学園で働く者としてエディオラの味方をしたくなったのだろうか。
「……分かりました。それに、シノブ様への報告がありますし」
結局マリィはエディオラの願いを聞き入れた。正確には、同行を認めたというべきか。
シノブ達は朝食後、カンビーニ王国を発ってガルゴン王国へと向かった。おそらく彼らは、今ごろ王都ガルゴリアにいるだろう。
つまりエディオラの願いと関係なく、マリィはガルゴリアに行く予定だったのだ。
それに転移の神像を使えば移動は一瞬、ここで押し問答をするよりガルゴン国王フェデリーコ十世の判断を求める方が手っ取り早い。
◆ ◆ ◆ ◆
エディオラとマリィが訪れたのはガルゴン王家とアマノ王家の歓談中だった。
広間にいたのは両王家の成人、そしてアミィのみ。ただしガルゴン王家は先王から王太子の三代、妃達もいるから現れた二人を加えると総勢十五名にもなる。
エディオラの帰郷は唐突かつ久しぶりだったが、ガルゴン王族は暖かく迎えた。特に父のフェデリーコ十世は大喜び、歓声と共に駆け寄って抱きしめたほどだ。
しかし訪れた理由を明かすと、ガルゴン王の顔は先ほどの笑みが嘘のような渋面に変じた。
「調査するには、島に降りるしかないのだな? ならば反対だ」
危険な島に王女を向かわせるなど、絶対に許可できない。フェデリーコ十世はキッパリと言い切った。
「そうですね」
「まずはミリィ達が調べてから……それで如何でしょう?」
シノブも同調、シャルロットも急ぐ必要はないと提案する。他も心配げな様子を隠さない。
「それで良いです。ミリィ様が安全と判断してから、そして私を必要としたときで構いません」
「ふむ……」
娘の理性的な言葉を聞いたからだろうが、フェデリーコ十世は多少落ち着きを取り戻したようだ。ただし許可するかどうかは思案中らしく、彼は真っ直ぐエディオラを見つめている。
「お前が行かなくとも良いのではないか?」
「お爺様、そう決め付けなくとも。……エディオラ、もう少し詳しく話してもらえないか?」
今度はカルロスの名を持つ二人、先王カルロス十世と王太子カルロスだ。
ガルゴン王国の王は、初代がカルロスで二代目がフェデリーコだ。そして以降も交互に続いたから、先王と王太子は同じ名を持っている。
「私が行くと、先々我が国はケームトと親密な仲になれる。もちろんケームトがアムテリア様達への信仰を取り戻してからだけど」
エディオラは自信たっぷりに宣言するが、聞き手の反応は鈍かった。おそらく殆どの者は、彼女の意図を理解しかねたのだろう。
しばしの間、広間を沈黙が支配する。
「……それは素敵です!」
「もっと詳しく教えてほしいですわ!」
どうもミュリエルとセレスティーヌは、エディオラの支援をしようと思ったらしい。二人は殊更に明るい声を張り上げ、柔和な笑みを浮かべる。
フェデリーコ十世は厳しい顔のまま、それに先王カルロス十世は否定の言葉を口にしたばかりだ。そこでミュリエル達は、エディオラに同情めいた思いを抱いたらしい。
ミュリエルは十一歳、セレスティーヌは十六歳。年長者に制されることも多い年頃だから、我が事のように感じたのだろう。
「エディオラ殿の英知、ぜひ伺いたいですね」
シノブもエディオラの味方をしたくなった。
それにケームトと親密になれるという言葉も気になる。シノブもケームトと語らう術を見つけられないか、悩んでいたのだ。
この星を創ったのは女神アムテリア、そして彼女と支える従属神達が今も見守っている。それらは『創世記』など各種の書物に記されているし、逸話も多く残っている。
これに対しケームト王アーケナはアムテリアを否定しているから、折り合うのは難しい。アムテリア達を信じる者達からすればアーケナは邪教の徒、許しがたき存在なのだ。
しかしシノブは様々な宗教のある地球の出身、アーケナが奉じる『黄昏の神』を問答無用で切り捨てて良いとは思えなかった。
シノブはアムテリアを母なる存在と慕っているし、彼女を支える従属神は兄神や姉神として敬意を捧げている。ただし母や兄姉を善として他を悪とするほど、盲信してはいないのだ。
「ケームトの技術は非常に高度。交流できるようになったら、ガルゴン王国にも大きな利益があると思う」
エディオラは国のためになると説く。
ガルゴン王国はケームトのあるアフレア大陸との交易を重視している。現状だと北西部のウピンデ国のみだが、いずれはケームトを含む北東部に達するだろう。
間にはデシェの砂漠という難所があるが、飛行船なら越えるのは可能だ。これまでと違って反対側の様子が分かったのだから、最短距離で抜ければ良いだけである。
「残る問題は黄昏信仰だけ。もしアムテリア様達を信じる国に戻ったら、とても魅力的な交易相手。でもガルゴン王国が活躍しないと、他との距離が縮まってしまう」
エディオラはアムテリア達への信仰が前提と繰り返す。それに彼女の心にあるのは、あくまでも自国の利なのかもしれない。
しかし初めは利益からでも良いではないか。実利や嗜好、それらが理由でも否定せずに歩み寄れるなら。そのようにシノブは感じていた。
アムテリアの教えしか知らない者達が、他の信仰を認めるのは難しいだろう。しかし多様な宗教を知る自分なら、上手く着地点を見出せるのではないか。
そして着地点へ誘導するなら、双方に利益を提示すべきだろう。
物質的な豊かさ、あるいは精神的な充足。そういった何かを示せれば軟着陸できるのではと、シノブは思いつつあった。
「こじつけのような気はするが、それが正しいとしよう。……しかし父上の言葉通り、お前が出向く必要はなかろう?」
「そうだな。我が国には、他にも優秀な魔術師や魔道具技師がいる」
「もちろんエディオラには劣るだろうがね」
国王に続いたのは先王カルロス十世、最後の取り成すような発言は王太子カルロスだ。
やはり王太子は妹に理解を示しているようだ。ただし父や祖父の手前、二人を説き伏せるに足る根拠が欲しいのだろう。
それにガルゴン王家の妃達も同じく憂いを浮かべている。こちらも王太子と同じく、エディオラ寄りなのだろう。
「でも……」
エディオラの顔が曇る。どうも彼女はアフレア大陸との関係強化を説けば、自身の出馬を認めてもらえると思っていたようだ。
「そういえば、豪タイガーの操縦者はマリエッタになりました。……カンビーニ公女の」
「……シノブ殿?」
シノブの唐突にも思える発言に、フェデリーコ十世は目を瞬かせる。しかし彼は何かに気付いたらしく、鋭い表情になる。
「先ほど伺いましたが、人の二十倍の巨体、そしてオルムル様達が支えてくださる……」
「ええ。合体する四体は超越種を模していますし、とても目立つでしょうね」
どうやらガルゴン王に、自身の意図は伝わったようだ。そう感じたシノブは、更に一押しと続けていく。
豪タイガーの開発者はエディオラだが、実際に戦った者に注目が集まるのは事実だろう。しかも神々を支える者達、超越種の協力で動く鋼人だ。
もし豪タイガーがケームトで活躍したら、遥か後世まで語り継がれるのは間違いない。
「操る者はカンビーニ王国の公女、しかも現国王の孫ですか」
「エマ殿も潜入しているそうだが?」
「まだ婚約のみですから、ウピンデ国の者と言うべきでしょう」
感心したらしき言葉は王太子、反論は先王だ。そして直後に切り返したのはシノブである。
確かにエマは王太子カルロスの婚約者だが、まだウピンデ国に籍を置いている。それに大族長の娘だから、ケームトの人々はウピンデ国の王女と受け取るのではないか。
「これは参りましたな。何しろ盟主の御言葉、それに理屈も充分にある」
フェデリーコ十世は肩を竦め、更に冗談めいた物言いだが一理あると認めた。
現状のままだと、ケームトとの関係修復が成ったとしてもガルゴン王国に感謝を抱く者は皆無。これはアフレア大陸との通商に力を入れている同国としては、見逃せぬ問題だろう。
ただしフェデリーコ十世は一国の王、ただで引き下がるほど甘くはないようだ。
「直々の御推薦、娘を庇護していただけると考えて良いのでしょうな? それに万一のことがあれば、シノブ殿が責任を取ってくださると?」
ガルゴン王は、これを奇貨として縁談に持っていくつもりだろうか。
エディオラは二十三歳だが未婚、エウレア地方の王族だと稀と表現しても良い。もっとも彼女は魔術師や魔道具技師として稀有な実績を示しているから、周囲も普段は急かす素振りを見せない。
しかし娘を思う気持ちからか、フェデリーコ十世は探りらしき言葉を添えた。
「余計なこと言わないで!」
「父上、勝利は自身の手で掴みとるものですよ」
真っ赤な顔で叫んだのはエディオラ、小声で囁いたのは兄で王太子のカルロスだ。
「必ず無事にお戻ししますので」
シノブも続いて意思表示するが、なぜか皆は声を立てて笑い始める。
さりげなさを装って答えた筈だが、どうも徹しきれなかったらしい。シノブも苦い笑いを浮かべる。
しかしシノブの心は晴れやかだった。最後の最後で一矢報いられた形だが、エディオラの願いは叶えられたし、未来に繋がる一歩を得られたように感じたからだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2019年3月16日(土)17時の更新となります。