28.08 マリィの願い、ミリィの願い
明かり取りから入る月光が、巨大な金属像を仄かに照らす。
肉食獣を思わせるもの、ゾウやカバのように太い体を持つもの、ワニや猿に似たもの。銀光が示す姿は様々、それに少なくとも三十や四十はある。
ただし窓は僅か、しかも三階や四階に相当する高所のみだ。それに随所に聳える太い柱や屋根の近くを横切る梁も、月からの贈り物を遮って更なる陰を生み出す。
梁には大型の灯りの魔道具も下がっており、それらで照らせば真昼のように光満ちる場となるだろう。しかし今は全て消され、月明かりの届かぬ場所は伸ばした手の先も見えぬほどだ。
ミリィ達が潜入した建物、巨大鋼人の倉庫だという場所。湖中の島に置かれた謎の施設は、このように半ば以上が暗がりに支配されていた。
宮殿に匹敵する広い床は全て石畳、これは重量のある巨像を置くためだろう。しかし柱や壁は木製、梁や屋根も同様で木を使っている。
屋根瓦はないが、他はヤマト王国の大神殿に似た造りだ。もしシノブが目にしたら、故郷の大伽藍を思い浮かべたかもしれない。
ケームトは地球のエジプトに相当する土地で降雨も皆無に近いが、大規模な灌漑で緑化して湖すら造り出した。この島も巨大な倉庫すら隠す樹木で満ちており、木は高価だが充分に入手可能な建材なのだ。
神殿にも似た建物と夜の静けさ、この二つは普通なら安らぎを与えてくれるに違いない。しかし中に並ぶ巨像が、墓場のような不気味さを醸し出している。
像は全て一方を向き、頭を僅かに垂れていた。しかも大半を占める四足獣型は伏せの姿勢だから、まるで主の命令を待っているかのようだ。
ただし頭は一つの例外もなく球体のみ、そのため気持ち悪さが先に立つ。なまじ胴体が精巧な造りだけに、首の上だけ真球というのは強烈な印象を齎すし命への冒涜すら思わせるのだ。
大きさは本物の数倍から十倍ほど、高さも民家に匹敵するから圧迫感がある。加えて巨像は床を埋め尽くし、間は路地程度と狭苦しい。
多少気が弱い者なら、見た瞬間に腰を抜かしても不思議ではない光景だ。
しかしミリィは神の眷属、残る三人も優れた戦士達だ。いずれも動ずることなく巨像に寄り、調査を開始する。
ミリィは魔力波動を探っているらしく、像を眺め回しては次に向かってと繰り返す。かなり用心しているようで触れるのは稀、それも僅かな間のみだ。
ムビオとエマの兄妹、それにメジェネ族の青年ハジャルは各所を巡っている。この三人は魔術が苦手だから、像の種類や大きさなどを記しているのだ。
魔術師や魔道具技師で隠密行動できるほど体術を極めた者は少ないし、ミリィがいれば充分でもある。それに今回は初の潜入、まずは概要を掴むべきだ。
そこでムビオ達は像以外にも目を向けていた。ここで造っているなら道具や記録がある筈だし、少なくとも修理くらいすると考えたのだ。
ただし四人が自由に動けたのは、ほんの僅かな間だけだった。
「ブッブッブ~、って~?」
ミリィは怪訝そうな表情で振り向いた。彼女が口真似したような無機質な音が、唐突に響いたのだ。
音には警告するような鋭さはあるが、感情どころか気配めいたものすら存在しない。同じ響きを機械的に繰り返すだけなのだ。
おそらく魔道具など、何らかの仕掛けが発しているのだろう。ただし金属像で囲まれているから、発生源まで見通せない。
「またブ~ブ~って……しかも増えていくし~!」
駆け出そうとしたミリィだが、新たな音に足を止めた。
二番目は反対側、更に右に左と続く。それも十や二十を超える数、今や倉庫の中はブザーのような音で満たされている。
「みんな~、大丈夫ですか~!?」
こうなっては隠密行動どころではない。ミリィは声を張り上げ、残る三人に呼びかけた。
すると三方からムビオ達が駆け寄ってくる。どうやら三人も異常事態と察し、ミリィの指示を仰ごうと考えたらしい。
「済みません、たぶん私が原因です!」
「何をしたんだ!?」
「大丈夫! あの丸亀、剣を刺したら死ぬ!」
蒼白な顔で謝罪の言葉を発したのはハジャル、問いかけたのは彼の先輩でもあるムビオ、そして最後は早くも小剣を抜き放ったエマだ。
いずれも姿を隠すのを放棄したらしく、獣を模した像を飛び越えて一直線に寄ってくる。
今も四人は透明化の魔道具を使っているが、これだけ声を出して動けば居場所を掴むのも容易だろう。音の発生源も反応したのか、どれも急速に近づいているようだ。
「丸い石畳を踏んだら、追いかけてきたんです!」
「石畳~!?」
ハジャルの言葉を確かめようと思ったらしく、ミリィは梁の上まで跳び上がった。
三階か四階に相当する高さまで跳躍するなど、普通の少女には不可能だ。しかし身体強化に極めて優れた者なら充分出来る範囲、他の三人も彼女に続いて屋根裏近くの構造物に移る。
「あ、アレは……お掃除ロボット~!?」
あまりの驚愕からだろうが、ミリィは地球の道具の名を叫ぶ。
音を発しているのは石の円盤、もしテーブルなら三人で囲めるほどだ。ただし高さは人の膝下にも満たず、随分と平たい。
それに円盤は人の駆け足に迫る速さで床の上を動き回る。多少大きいが確かに掃除用ロボットを思わせる形状、エマが丸い亀と叫んだのも当然だ。
「お掃除……私達、ゴミじゃない」
「向こうからすれば、侵入者などゴミと同じだろう」
不満げな声を漏らしたエマに、兄のムビオが笑み混じりの顔を向ける。
円盤は床を動き回るだけで、上に移動する手段はないらしい。しかも事前に設定したパターンに従っているだけなのか、今は右往左往するのみだ。
そのため残る二人を含め、落ち着きを取り戻している。
「踏んだら追いかけてくるなんて、どういう仕組みなんでしょう?」
「それは知りたいですね~。一つ貰っていきましょ~」
ハジャルの疑問に、ミリィは行動で応じた。彼女は通信筒を取り出すと、魔法のカバンを貸してほしいと書いてアミィに送ったのだ。
「早速許可が~! では行ってきますね~!」
ミリィは魔法のカバンを呼び寄せると、一声残して飛び降りた。そして彼女は円盤の一つをカバンに仕舞い、更に肉食獣型の像まで入れる。
どうもミリィは続いて何かを出し入れしたらしい。しかし暗がりの中、更に一瞬だから判然としない。
◆ ◆ ◆ ◆
「カバンに入ったから、魂はありませんね~」
ミリィは梁の上に戻ると、再び通信筒を使う。魔法のカバンを呼び戻すように文を送ったのだ。
アミィも待ち構えていたらしく、紙を入れた直後にカバンが消え去る。
「そうなのですか!」
「動物や人間が入らないのは、魂があるから……とアミィ様から聞いた」
「ああ、式神も同じなのだろう。しかし単なる魔道具が勝手に動くとは……」
ハジャルがアマノシュタットに来たのは三月の半ば、まだ一ヶ月少々だ。それに対しエマとムビオは昨年七月からと年季が違う。
そのため後者の興味は、式神術や憑依術でもないのに動く秘密に向けられていた。
円盤型の魔道具は自律的に行動しているとしか思えない。
動きは単純、今も床の上を行ったり来たりするのみだ。とはいえアマノ王国で使われている魔道具は人間が操作するものばかり、この円盤程度でも大いに驚くべき代物である。
「何か来ます~! 外に出ますよ~!」
ミリィの手には通信筒から取り出した文が握られていた。
今度の送り主はマリィ、紙片には『島に向かう飛行物体あり、至急避難せよ』と書かれている。しかも走り書きと表現すべき荒い字だ。
ミリィは宣言通り、入り口を示すと梁伝いに向かっていく。もちろんエマ達も続き、瞬く間に深夜の草原へと移る。
そして四人が倉庫を囲む林に潜むと、入れ替わるように何かが倉庫の中へと飛び込んでいった。
「鳥でしょうか?」
「いえ、符ですね~」
ハジャルの呟きに、ミリィが囁くような小声で応じた。
王都アーケトのある北方から飛来したのは紙で作った鳥の似姿、つまり符術によるものだった。ケームトの王族が飛ばした式神か、彼ら自身が憑依した符だと思われる。
「あの円盤が知らせたのか? しかし見張りは……」
「あれだけの音なのに来ないから、変だと思っていたけど……」
ムビオとエマは揃って首を傾げる。
倉庫を囲んでいた男達は、全て姿を消していた。ミリィ達が潜入するときと違い、建物の周囲には誰もいない。
円盤型の魔道具は外でも聞こえるほどの大音量を響かせていた。普通なら中を調べに来るだろうし、少なくとも覗く程度はするだろう。
もしかすると敵味方を区別できないから、入らなかったのか。そのようなことを二人は囁き合う。
「それと退避でしょうね~。さあ、皆さんも帰ってください~」
妙に自信ありげな声音でミリィが応じる。そして彼女は少し奥に下がると、魔法の幌馬車を出した。
エマ達は残念そうな顔になったものの、逆らうことなく馬車へと入る。
ここはメーヌウ湖の中央にある島、しかも周囲は魔獣のワニが犇めいている。そのため王都近くの湖岸で待機しているマリィが馬車を呼び寄せ、三人を移動させるのだ。
一方ミリィは最後まで見届けるつもりのようだ。彼女は馬車が消え去ると、林の端まで戻っていく。
「……まさか、こうなるとは~」
どこか呆れたような表情で、ミリィは斜め上へと顔を向けた。轟音と共に倉庫が崩れ去り、代わりに鋼の巨人が立ち上がったのだ。
鋼人の背丈は大人の二十倍ほどもあり、先ほどまで存在した倉庫など膝程度の高さでしかない。それに身長に相応しい幅広の胴や太い手足だから、迫力も凄まじい。
しかしミリィが驚いたのは、鋼人の巨体ではなかった。
「あの球体頭、関節だったんですね~」
ミリィの視線は鉄巨人の肘や膝へと動く。丸い球と受ける窪み、いわゆる球体関節で各部が繋がっているのだ。
巨大な鋼人は獣型像の集合体、つまりミリィ達が倉庫で目にした像の寄せ集めだった。関節となっているのは球の頭、それを別の像が四つ足や胴で保持して繋がっている。
頭部も複数の像で出来ており、元のように滑らかな球体ではない。しかし球状には違いなく、現ケームト王アーケナが奉じる『黄昏の神』を模しているのは明らかだ。
「どうやって合体するか、見たかったんですけど~」
当てが外れたと言いたげな表情で、ミリィは呟いた。
倉庫にはケームト王族が使う鋼人が格納されているという噂だったが、中にあったのは動物型の金属像のみだ。
動物型の像が人型になるか、全く別の像が更に隠されているか。ここにケームト王族の鋼人があるなら、この二つのどちらかだろう。
この点に関しては前者だと明らかになった。巨人像を仔細に眺めれば、各部が元は動物型の像だったと充分に理解できるのだ。
しかし肝心の瞬間を見逃したから、ミリィが悔しがるのも無理はない。
「……見つからないうちに引き上げましょ~」
呟いた直後、ミリィは鷹の姿に戻って空に舞い上がった。
鋼の巨像は何かを探すように動き回っている。まずは倉庫のあった場所をゆっくりと、続いて周囲の草原を巡り始めた。
おそらく次はミリィが潜んでいた林に向かうだろう。
透明化の魔道具があるといっても、至近距離なら魔力の動きで気付くかもしれない。ミリィが使っているのはアミィが作った特別製だが、相手は今までに例のない巨大鋼人だから油断は禁物だ。
どうやって合体しているかは不明だが、おそらく重力操作で浮かんで組み合わさった筈だ。ならば超越種に相当する魔力の持ち主だろうし、微細な魔力波動でも察知できる可能性は高い。
鷹の姿に戻ったミリィは、高空に上がると島を見回すように旋回する。
見張りの男達は、島の北にある桟橋まで避難していた。よほど急いで駆けたのか、殆どは肩で息をする有様だ。
一部は物見台に登り、島の中央を見つめている。どうやら巨像の動き次第で、湖面に船を出すつもりのようだ。
湖はメーヌウワニという魔獣が棲む場だが、あの巨人の方が危険なのだろうか。物見台に登った者達は、夜目にも明らかなほど蒼白な顔をしていた。
それもその筈、鋼の巨人は進む先にある全てを打ち壊している。
巨大な足で踏み潰し、家ほどもある拳を打ち下ろし、通った後には更地が残るのみ。大木も小枝のように引き裂かれ、大岩も砂で出来ていると言わんばかりに粉砕するのだ。
しかも動く物を見つけると岩を投げて攻撃するが、百発百中という正確さだ。これなら巨大ワニの潜む場に漕ぎ出したくもなるだろう。
ミリィも巨人の投擲術を脅威と感じたらしく、旋回を中断して離れていく。
◆ ◆ ◆ ◆
「……というわけですわ」
「なるほどね……。ともかく、お疲れ様」
報告を終えたマリィに、シノブは労いの言葉を返す。
ここはカンビーニ王国の王都カンビーノだ。ケームトは零時を過ぎているが、こちらは日没が三時間以上遅いからシノブ達は晩餐を終えた直後だった。
まだ獅子王城の一角にある迎賓館に戻ったばかり、眠るには早い。そこでシノブ達はケームトの一件を聞く時間に当てた。
聞き手はシノブの他に四人、アマノ王家の女性達とアミィだ。
「最後に現れた巨人は、どのようにして合体したのでしょう?」
「重力を操る何者かがいるとしたら、恐るべき脅威ですわ」
ミュリエルは心配げに面を曇らせていた。それにセレスティーヌも負けず劣らずの浮かない顔だ。
元となる動物型の像も家に匹敵する大きさだから、積み木を重ねるように簡単な話ではない。
普通なら更に大きな何かを使って組み立てるところだが、そのようなものがあったらミリィ達が見つけているだろう。つまり動物型の像が自身で動き、一つになったとしか思えない。
「エディオラさんの開発した巨大鋼人、豪タイガーのように浮かんで合体……。それしかないと思いますが、問題は誰が力を貸しているかですわね」
「別の方式だとしても、それはそれで恐ろしい技術ですよ。仮に飛び乗って合体するとしたら、物凄く精密な動作を実現しないと無理ですし……。それに円盤型の魔道具も気になります」
溜め息混じりのマリィに、アミィが苦さの滲む声で続く。
ケームトに並外れて大きな鋼人がいるのは、事前にミリィ達が仕入れた噂でも分かっていた。しかし合体や円盤型の魔道具には、どちらも意表を突かれたらしい。
「円盤型ねぇ……。なんていうか、懐かしいような気もするね」
「……シノブ?」
シノブの言葉、それに浮かべた微笑み。これらにシャルロットは首を傾げる。
それにミュリエルやセレスティーヌも、物問いたげな顔をシノブに向けた。
「地球にはあるんだよ……アミィ、映像を出してくれないかな?」
「はい! あのですね、こういう掃除用の道具があって……こんな感じに自動で綺麗にするんですよ」
シノブが頼むと、アミィは幻影の術を行使する。もちろん彼女が映し出したのは、お掃除ロボットが動く様子だ。
フローリングらしき床、絨毯の上、それに畳。それらを円盤型の機械が自由自在に動き回り、再び充電器へと戻っていくまでが映される。
「凄いですね……」
「これが単なる道具とは……」
ミュリエルやセレスティーヌは言葉を失うと、身じろぎ一つせず幻影を見続ける。シャルロットは無言のままだが、やはり二人と同じく一心に見つめている。
一方マリィは興味を示しているものの、さほど驚いた様子はない。おそらく神界で見た地球の映像に、同じようなものがあったのだろう。
「似ているだろう?」
「……つまりケームトの鋼人を造った者は、地球について知っていると?」
シノブが声をかけると、シャルロットが夢から醒めたように瞬きをする。そして彼女は一転して真顔になると、何かを憚るかのように抑えた声で問いを発した。
もし異神バアルのような存在がケームトに力を貸しているなら、超越種どころの話ではない。そのため彼女のみならず、他も息すら潜めてシノブの答えを待っている。
「どうだろう? 円盤型は構造が単純だからかもしれない。それに魔力がある方向に寄っていく程度なら、こちらでも作れるだろうし……」
「はい、エディオラさん達なら可能だと思います」
シノブが顔を向けると、アミィは大きく頷き返す。
円盤型の魔道具は、ハジャルが踏んで起動したという。ならば重さや振動、あるいは一定以内に魔力が寄ったら動くような仕組みだろう。
方向は魔力か音、あるいは赤外線。衝突回避は超音波。こんな感じではないかとアミィは続けていく。
これらを聞き、シャルロット達は顔を綻ばせる。
生き物のように動くなど、神々の業としか思えない。しかし要素ごとに分けていけば理解できる範疇に収まる。
もちろん実現は困難に違いないが、アミィがメリエンヌ学園なら作れるというのだから充分に可能なのだろう。
「確かに……でも、かなりの技術集団がいそうですわね」
「ああ。治水や土木工事だけではなさそうだ」
マリィの指摘に、シノブは同意を示す。
ケームトには巨石建造物があるし、大規模な灌漑や緑化も実現している。そのため高度な文明なのは承知済みだが、自律的に動く道具は随分と方向性が異なるように感じる。
高度な建築技術に加え、人工知能めいた代物まで作れる。これが本当なら、ある意味では異神よりも厄介な相手かもしれない。
「それに式神か憑依か分からないのも困るね。まあ、これはミリィが確保した像を調べれば明らかになりそうだが……」
シノブは報告内容を思い返していく。
倉庫に飛来した符は一つだけという。つまり常識的に考えると、たった一人で幾つもの像を合体させたことになる。
符が倉庫に飛び込んでから巨大鋼人が出現するまで、せいぜい一分か二分といった程度らしい。そのため順々に憑依して動かしたとも思えない。
それなら残りは式神用で、像と分けて収めていたのか。あるいは一つの符に複数の魂が宿っていたのか。
巨像を動かす魔力や合体方法を除いても、まだ解き明かすべき謎は多い。
「円盤型も含め、明日エディオラさんのところに届けますね。今からでも良いですが、徹夜しちゃいそうですし」
アミィの冗談に、皆は笑みを漏らす。
既にエディオラは学園に戻っている。昼間マリエッタが豪タイガーを動かしたとき魔力切れに陥ったから、要調整と自身の研究室に引き返したのだ。
この状況で新たな研究材料が届いたら、誇張ではなく倒れるまで調べ続けるだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
アミィの提案通り、エディオラには明日伝えることにする。それにマリエッタも同様だ。
実はマリエッタやオルムル達もメリエンヌ学園におり、豪タイガーの稼働時間を延ばすべく取り組んでいる。
最初に豪タイガーを動かしたとき、マリエッタは十分少々で魔力切れとなった。ただしオルムル達との協調を強めれば、更に長時間の憑依も可能だという。
そこでマリエッタは超越種の子達との絆を強めようと、共に魔獣の領域に赴いた。
「……マリエッタさんやエディオラさんも潜入するのでしょうか?」
マリィは首を傾げる。
マリエッタはシャルロットの一番弟子だ。彼女の武勇や体力は折り紙つき、ケームトに送り込んでも安心できる。
しかしエディオラは研究室に篭もりがち、体を鍛えている様子もない。そのためマリィが不安に思っても無理はあるまい。
「彼女達は飛行船だよ。まずは調整がてら、ケームトから遠い砂漠にね」
シノブは腹案を明かしていく。
メリエンヌ学園研究所の幹部達はケームトに渡る準備を進めている。所長のミュレや魔道具技師のハレールは、エディオラ達の拠点として飛行船を提供するという。
それに学園や周辺のドワーフ達も興味を示しているらしい。鋼人は魔道具だが、素材の鋼を鍛えたのは彼らだから当然ではある。
「もちろん、もう少しマリエッタが慣れてからですが」
唐突に魔力が切れるようでは安心できないと、シャルロットは続ける。
稼働時間は魔力の消費量に左右されるから、状況次第で大幅に変動する。おそらく初めてのときも、激しい演武をせず歩く程度にすれば一時間でも平気だったかもしれない。
マリエッタ達が残り何分か体感できるようになるか、何らかの機構で知らせるか。どちらか一方は必要だろう。
「後は監督役かな……別働隊を増やすわけだからね。マリィ、頼めるかな? ダメならホリィにお願いするけど」
シノブは眷属の誰かを付けるべきだと考えていた。
豪タイガーには玄王亀のケリスや朱潜鳳のディアスが乗るから地中潜行の技も使えるというが、魔力の消費も激しいだろうし常時使用は控えるべきだ。かといって地上を移動させたら目立ってしまうから、徒歩というわけにもいかない。
それに休憩や睡眠もあるから、魔法のカバンは必須である。
もし送り込むなら金鵄族のホリィかマリィだろう。
自力で飛翔できるというのは非常な強みだ。再びメーヌウ湖の島に渡るかもしれないし、飛行船を離れての偵察だって出来る。
ホリィはカン地方局、マリィはスワンナム地方局の後見役だが、どちらも随分と落ち着いてきたらしい。先日も双方から引き上げ可能だと報告があったし、隣接しているから一方を戻して様子を見ても良いとシノブは判断していた。
「もちろんですわ! ミリィだけだと少々不安に感じていたところですし!」
幸いマリィに異存はないらしく、彼女は満面の笑みと共に応じる。それを見て、シノブは思わず頬を緩ませた。
マリィとミリィは単に金鵄族同士というだけではなく、前世でも姉妹だったという。マリィが姉、ミリィが妹だ。
これは神々と特に親しい眷属しか知らないことで、シノブもアミィやホリィから聞きはしたが口止めされていた。しかし今のような光景を目にすると、やはり肉親ならではの繋がりがあるのだとシノブは心温まる思いを抱く。
「あ、あのですね! ……そう、ミリィは本当に危なっかしいのですわ! 今日も碌に打ち合わせすらせず突っ込んでいくし……。それに鋼人など渡したら猫に鰹節、いったい何をしでかすことやら……それなら私が預かっておく方が安心できますもの!」
マリィは頬を染め、しかも両手を振って言い訳めいた言葉を連ねていく。そのためシノブのみならずシャルロット達も微笑みを浮かべるが、それが一層の羞恥を齎したようで更に赤面が酷くなる。
これはホリィの名を並べたからか。マリィからすれば、躊躇ったら他に話を持っていくように聞こえたのかもしれない。
それなら悪いことをしたと、シノブは反省する。
「確かにミリィに鋼人を預けるのは危険だよね。それじゃ、お願いしよう」
「はい!」
シノブが大袈裟に頷いてみせると、マリィは残像すら生じる速さで頭を縦に振る。
おそらくケームトの巨大鋼人は、相当に手強いのだろう。そのためマリィは自身の力が必要だと、支援役に名乗りを挙げたのではないか。
つまり今の猛アピールもミリィを案じたから。妹を思う姉の愛が少しばかり暴走しただけ。そのようにシノブは結論付けた。
「シノブ様~、酷いです~」
唐突に響いた声に、シノブ達は一斉に顔を動かす。
アミィの後ろに声の主、つまりミリィが立っている。しかも滂沱の涙を流し、無念さが滲む顔で肩を落とすという有様だ。
先ほどマリィを呼んだとき、アミィは帰りもあるからと魔法の家を出したままにした。おそらくミリィは魔法の家にある転移の絵画を経由し、更に透明化の魔道具で誰にも知られぬまま忍び寄ったのだろう。
この透明化の魔道具はアミィの特製、更に神界由来の素材だから集中しないと気付けないのだ。
「済まなかった! 危険だなんて、言いすぎた!」
シノブは駆け寄り、ミリィの肩へと手を伸ばす。
確かにミリィは鋼人や木人が好きだし、地球の文化を愛しすぎて暴走することもある。しかし彼女が致命的な失敗をしたことはないから、危険という表現は大袈裟にすぎるだろう。
マリィに任せようと思ったからだが、他に選ぶ言葉はあった筈。シノブは今更ながら、己の軽率な発言を悔やんでいた。
「私のせいよ! 私が貴女を悪く言ったから!」
マリィも声を張り上げ、謝罪の意思を示す。
たとえ側に居たいからでも、不要に貶めたのは事実だ。愛情の裏返しだろうが、行きすぎたのは間違いない。
「そうじゃないんです~。どうして私を豪タイガーちゃんの担当にしてくれないんですか~?」
「あ……そういうこと」
「だから任せられないのよ……」
血すら滲むようなミリィの声、対照的に脱力しそうな発言内容。そのためシノブは半笑いで固まり、マリィは憤りのあまりか身を震わせた。
「す、済みません~」
失敗したと思ったのか、それともマリィの怒りに恐れをなしたのか。いずれにせよミリィは鋼人について再主張することなく、愛想笑いらしき笑みを浮かべるのみだ。
それにシャルロット達も言葉に迷ったらしく、しばらく静けさが場を支配する。
「ところでミリィ、どうして来たのですか? まさか、またアイス?」
「その、まさかです~! さっき魔法のカバンを使ったとき、少し食べたら忘れられなくて~!」
小首を傾げたアミィに、ミリィは満面の笑みで手を差し出す。
アミィは何かを言おうとしたらしい。しかし無邪気な笑顔に毒気を抜かれたようで、要求通りに魔法のカバンからアイスクリームの容器を取り出してテーブルに置く。
容器は一抱えもある半球状のボウルで、上にラップを貼っているだけだ。魔法のカバンの内部は時間経過がなく、温度も入れたときのままで保たれるから特別な入れ物を使わなくても良いのだ。
しかし金属製のボウルから直接食べるわけにいかない。そこでアミィは小皿とスプーンなどを取り出していく。
「おお~、これですよ~! このミント味が欲しかったんです~!」
一方ミリィはボウルを両手に抱え、中を覗き込んでいる。
入っているのは薄緑色のアイスだ。彼女が倉庫で摘み食いしたのも同じボウルからだったらしく、アイスの表面には指で掬ったらしき跡が残っている。
「それじゃ、帰りますね~!」
「もしかして、エマ達のために?」
ミリィはボウルを抱えたまま駆けていく。
シノブの想像は当たっていたようで、ミリィは外に飛び出す前にコクリと頷いた。どうやら彼女はケームトでアイスパーティーを開くらしい。
きっと笑顔溢れる、とても楽しい宴だろう。シノブの言葉に、集った者達は揃って大きく頷いた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2019年3月9日(土)17時の更新となります。