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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第28章 新たな神と砂の王達
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28.04 ミリィ、七変化

 ケームトは地理の面でも古代エジプトに似ている。

 まずナイル川に相当する大河イテルが南から北に流れ、海へと注いでいる。そしてイテルの中流域が(かみ)ケームトで河口付近が(しも)ケームト、つまり上エジプトと下エジプトに相当する二つに分かれている。


 ただしケームトはエジプトより緑が多かった。

 ナイル川と同じく大河イテルは下流に広大なデルタ地帯を形成しているが、ここは充分に緑化されて剥き出しの砂地など存在しない。それに中流域にもメーヌウという名の湖があり、こちらもデルタ地帯と同じく暮らしやすい場所だ。

 どちらも隅々まで広がる水路と周囲の防風林が砂漠化を食い止め、収穫期になれば畑や果樹園は豊かな実りで満たされる。加えて牧草地も数多く、馬や牛など大型の家畜も珍しくない。

 他はイテルの岸近くに僅かな緑がある程度だから、この二つに人口の大半が集中している。そのため狭義の上ケームトはメーヌウ湖を囲む平原のみ、同じく下ケームトも河口付近のデルタ地帯だけを指す。


 もっとも創世の時代は随分と様相が異なった。実は上ケームトや下ケームトも、元々は耕作に向かない土地だったのだ。


「人工の湖と緑地なんですよ~。驚きですね~」


 金鵄(きんし)族のミリィは弾むように歩きながら、街道の脇に顔を向ける。

 ここは上ケームトの平原、王都アーケトへと向かう道だ。といっても王都から遠い農村地帯で、街道の両脇には見渡す限りの小麦畑が広がっている。


 ケームトは降雨量が極めて少なく今朝も快晴、そのため畑は(まばゆ)いばかりの陽光を受けて目に鮮やかだ。

 収穫は夏前だから小麦の背は低いし穂も目立たないが、いずれも青々としているし天を目指すような勢いがある。それに街道脇の並木や畑の向こうの木々も高く(そび)え、充分な木陰を作り出している。

 とても元が砂漠だったとは思えない、肥沃な農地と快適な道だ。


 生産力の高さは衣装にも表れている。

 古代エジプトの肉体労働者は腰巻きのみだったが、街道脇で働く農夫達は上下とも着けている。旅人も同様で男性は上が長めの半袖で下が脛まである腰巻き、女性は同じく豊かな布地のワンピースだ。

 それに素足の者など一人もいない。農夫達は頑丈な植物を編んで造ったサンダル、街道を行く者達は長旅にも耐える革製の品を履いていた。

 これらの素材をふんだんに使えるのも、土地改良して造った大農場があるからだ。


「ここを人間が……」


 驚きも顕わに畑を見つめたのは、ウピンデ国の女戦士エマだ。

 ウピンデ国もケームトと同じアフレア大陸北部にあるし、周囲が砂漠なのも共通している。そこでエマは潜入要員の募集に手を挙げた。

 ただしウピンデ国とケームトでは肌の色が随分と違っていた。前者は漆黒で後者は濃い褐色だから、元のままだと無理がある。


 そこでエマは変装の魔道具を使い、褐色の肌に変えている。

 種族は元と同じ獅子の獣人、髪も黒のまま。それに容貌もケームト風にしたのみで、親しい者が見たら気付くかもしれない。

 しかしウピンデ国とケームトの間には、デシェの砂漠という踏破不可能な魔獣の領域がある。そのため知人と出くわす心配は不要だ。


「いったい、どのようにすれば……」


 エマの隣では、兄のムビオが(おそ)れの滲む声を漏らす。

 上ケームトの平原は差し渡しが160kmもあるし、メーヌウ湖も平原の一割や二割に匹敵する広さを誇っている。緑化と灌漑(かんがい)の双方とも、とても人間が成したとは思えない規模だ。


「ええ。あの方の他にいるとは……」


 最後の一人、メジェネ族の若者ハジャルはシノブを思い浮かべたらしい。

 ハジャルが生まれ育ったオアシスは、アスレア地方の大砂漠にある。この砂漠には巨大魔獣が棲んでいるからメジェネ族以外に渡れる者がおらず、エウレア地方とアスレア地方を結ぶ道として南に海竜の航路が用意された。

 しかし海岸も不毛の地ばかりだから、シノブが緑地化した場を幾つか用意した。彼は想像を絶する魔力で土魔術を行使し、都市のように広大な土地を人々が住める場としたのだ。

 このときシノブは一日やそこらで複数の補給地を用意した。もし彼が年単位の時間を費やしたら、上ケームトと同等の広さを緑で満たせるだろう。

 しかしシノブは神の血族、例外中の例外である。


「ハジャルさん~、今のはマズいです~。兵士さんがいたら捕まっちゃいますよ~」


 ミリィは軽い口調だが、失言だったと指摘する。

 ケームトの緑地化を進めたのは、代々の王が率いた技術者集団だ。つまり王家の偉業であり、他の者でも出来たという主張は不敬罪とされかねない。

 幸い今は前後と距離があり、他には聞こえなかった筈だ。しかし王都に近づけば人も増えるから、聞きとがめる者も現れるだろう。


「し、しつれ……いや、済まなかった」


 ハジャルは『失礼しました』と言いかけたようだが、ざっくばらんな言葉に直す。

 ミリィは大神官補佐、それに対しハジャルはシノブの親衛隊員でしかない。とはいえ今の四人はケームトの農民に扮しているし、ハジャルは十九歳だから十歳程度にしか思えない少女に敬語を使うと違和感がある。


「いえいえ~。……王様は凄い魔術師だけど、凄い賢者でもあるんですよ~」


 ミリィは先乗りして調べた内容を語り始める。

 代々の王は最高位の神官であると同時に、極めて優れた学者でもあった。しかも初代国王は治水工事の担当者だったから、どちらかというと後者の側面が強いのだろう。

 工事には鋼人(こうじん)や木人を使ったようだが、それらを機能させたのは確かな測量手法や土木技術らしい。


 ただしケームトの過去を知る手段は少ない。

 ケームト現国王アーケナはアムテリアや彼女の従属神を否定し、『黄昏の神』だけを崇める宗教を立ち上げた。このときアーケナは従来の教えを禁じると同時に、技術知識の独占も図ったからだ。

 アムテリア達の神殿は『黄昏の神』を(まつ)る場に作り変えられ、従来の神官達も改宗させるか追放した。そのため詳細を知るのは、国王アーケナと彼が率いる新たな神官団のみだという。


「だから私、弟子入りしたいんですよね~」


 向かい側から別の一団が迫ったから、ミリィは表向きの理由を口にした。

 『黄昏の王』アーケナと彼の組織した神官団は、禁書や焚書までして過去を封じ込めた。しかし彼らは本当に全てを消し去ったのだろうか。

 過去の神託には治水関連のものも多いし、神々から授かった技術を細かに記した秘伝書もある。おそらくアーケナ達は万一に備え、異端とした品々を隠し持っている筈だ。


 過去を探ればアーケナが新たな神を奉じた理由も分かるだろうし、『黄昏の神』の正体に迫る手がかりがあるかもしれない。そこでミリィは神官か巫女の見習いに紛れ込もうと考えたのだ。


「ミリィなら大丈夫。自慢の妹だから」


 エマはミリィの頭を撫で、合格間違いなしと示すように大きく頷いた。彼女の役はミリィの姉だから、それらしい演技を心がけたのだろう。


 ちなみにムビオの役柄は二人の兄、ハジャルはムビオの友人とした。

 ケームト王アーケナや彼の正妃イティは人族だから、ミリィも人族の姿を選んだ。しかしムビオとエマは獅子の獣人で、ミリィを含む三人の両親は獅子の獣人と人族の組み合わせしかあり得ない。


 つまり猫の獣人のハジャルを家族とするのは無理がある。

 変装の魔道具で獅子の獣人に化ける手もあるが、見かけを変えるのみだから触られたら正体が露見するかもしれない。そこで下手に種族を変えず、元のままにしようとなったのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ミリィが調査を始めてから既に十日が過ぎているし、幾らかの配下を付けてからでも一週間は経った。しかしケームトについて分かっているのは外面的事象が中心で、まだ序盤戦というべき状況だ。


 もちろん見ただけで分かることもある。

 たとえばケームト特有の巨石建造物は、空からでも充分に見て取れる。ミリィは金鵄(きんし)族だから、本来の鷹の姿に戻れば一目瞭然だ。

 下ケームトの巨大ピラミッド、各地の神殿。こういったものは初日に上空から確かめているし、別働隊を派遣して調査を続けてもいる。

 王都や続く二大都市も同様で、所在地や規模くらいは幾らもしないうちに明らかになった。


 二大都市とは昔の王都だ。初代から中盤までの都ネーフェルと、つい先日までの都オーセトである。

 ネーフェルがあるのは下ケームト、大河イテルの河口近くだ。ここは元からデルタ地帯だったから比較的容易に灌漑(かんがい)でき、その分だけ発展も早かった。

 続くオーセトは上ケームトの北部、人口増加に対応すべく中流域にメーヌウ湖を造ってからの都だ。このころは更に上流にも手を伸ばし、水量の増加や安定のためのダムまで築いている。

 そのためだろうがオーセトはメーヌウ湖の南岸、つまり上流側に存在した。おそらく更なる人口増加に備えての決定だろう。


 しかし現国王アーケナは治水への興味を失ったのか、新たな都アーケトを湖の北に築いた。

 造り始めて十年程度だからアーケトは現在も建造途中の場所が多く、槌音が各所で響いている。そのためミリィ達が入った食堂も、大工や石工など建築に従事する男達が多かった。


「ドワーフもいるな……」


 ムビオは肉体労働者の一人に顔を向けた。

 視線の先の男は随分と背が低い代わりに、他の倍ほどもある隆々たる筋肉を誇っていた。彼は髭を生やしていないが、ドワーフで間違いないだろう。

 ドワーフらしき男は食事しながら周囲と語らっている。どこの石材は加工しやすいなどと言っているから、石工の集団だと思われる。


「村とは違いますね」


「流石は王都」


 ハジャルとエマも視線を動かす。

 ケームトで多いのは人族と獣人族だが、僅かだがドワーフも住んでいる。しかしドワーフの大半は大規模な工事が必要な場に集まり、地方の農村に定住する者は少ない。

 そのため二人は田舎の村人らしく、驚いてみせたのだ。


「はあ……ここも同じですね~」


 ミリィは彼女らしくない溜め息を()く。

 先ほどからミリィが観察していたのは、周囲の者達が食事を始める瞬間だった。他の地域のように神々への感謝を捧げているか、彼女は確かめていたのだ。


 ただし今のところ、食べる前に祈りを捧げる者はいない。

 ケームトの王アーケナは『黄昏の神』を信じるように強制したから、アムテリア達への言葉がないのは理解できる。しかし『黄昏の神』に祈る者すら見当たらないのだ。


 今まで調べた限りだと元は他と同じで、食べる前にアムテリアへの感謝を口にしたという。日々の食事だと省略する場合が多いものの、改まった場では必ず唱えられたそうだ。

 これをアーケナは禁止しただけで、『黄昏の神』の名を唱えろと強制しなかった。そこまですると反発が激しいと思ったのか、それ以外に何か理由があるのか、ともかく彼は新たな祈りの言葉を定めずに放置した。


「お待たせ!」


 そうしているうちに頼んだ料理がやってくる。

 ナンのように平たいパン、数種の野菜を刻んで盛ったサラダ、デザートとしてナツメヤシの実が少々、牛乳を入れた(つぼ)。店のメニューには鴨肉などもあるが、ミリィ達は質素な農民を演じているから遠慮した。


「それでは食べますか~」


 先ほどと同じく、ミリィは気の乗らない様子で料理へと手を伸ばす。

 眷属としてアムテリアに祈りを捧げたいが、ここケームトでは罪となるから口に出せない。そのためミリィは食事の度に鬱屈(うっくつ)した気分になるようだ。

 食事以外も似たり寄ったりだから、随所で不満が溜まる。要するに現在のケームトは、神の眷属にとって非常に居づらい場所であった。


 ちなみにホリィやマリィは神界にいたころ、こういった状況を僅かだが耳にしていた。そこで二人はミリィの行き過ぎた地球趣味の罰になると考え、彼女をケームト調査担当に推したという。


「兄ちゃん達、いい体しているな!」


「出稼ぎに来たのかい?」


 食事を始めた直後、隣の席に四人組の男達が腰を降ろした。ミリィ達がいるのは八人掛けの長テーブル、その半分が空いていたのだ。

 四人組の男も石工か大工のようで、がっしりとした体格だ。先ほどのドワーフほどではないが、いずれも服の下は厚い胸板で(さら)している腕も太く力強い。


 それに対しムビオやハジャルは四人組より細いが、肩幅は広いし半袖から覗く腕も締まっている。どちらもシノブの親衛隊員だから、鍛えているのが明らかな体型なのだ。

 そのため四人組は、ムビオ達も肉体労働者だと思ったのだろう。


「いや、俺達は農夫だ」


「妹を巫女にしようと思ってな」


 まずハジャルが首を振り、ムビオがミリィへと顔を向けつつ後を続ける。

 すると男達の表情が僅かに揺れた。巫女という言葉が気になったらしく、直後に四人組の(おもて)は警戒らしき感情を宿したのだ。


 どうも街の者の大半は、新たな神や教えを本心から信じていないようだ。

 不信心や従来の信仰の堅持を公言すれば捕縛されるし、最悪の場合は死罪もあり得る。そのため表面上は『黄昏の神』の教えを守っているが、実際には神殿と距離を置いているらしい。

 つまり神官や巫女の志望者など、街の者からすると避けたい相手なのだろう。もし失言でもしたら神殿に告げ口されかねないし、隣で食事するのを躊躇(ためら)うのも無理はない。


「安心して。妹は頭が良い……だから勉強させたいだけ」


 エマは微笑みを浮かべ、柔らかい声で言葉を紡いでいく。

 曖昧な表現だが『黄昏の神』の信奉者ではないと示し、妹の才能を活かす場として神殿を選んだのみと明かす。エマは男達が新たな神を嫌っていると察し、自分達も同様だと伝えたのだ。


「天才少女ミリィちゃんです~。円周率も完璧ですよ~! 3.141592653589……」


 ミリィは円周率を延々と唱えていく。それも五桁や十桁どころではない。

 巨大建築や大規模な治水工事を可能とするのは極めて高度な知識で、その中には数学も含まれている。実際ケームトでは、三角法や微積分の概念すら知られていた。


「おお、凄いな!」


「五桁くらいは分かるが、そこから先は初めて聞くぜ!」


 男達は感嘆を顕わにする。ケームトで建築に携わる者なら円周率を小数点二桁や三桁まで暗記するし、そこから数桁を知る者も多いのだ。

 たとえば大きなアーチの表面に張るタイルの数を計算するとき、円周率を3としたら何枚か少なくなってしまう。そのためケームトでは実測から始まり多角形から近似値を割り出すなど、様々な手法で精度を上げてきた。

 中でも技術系の神官だと、最低でも十桁は覚えているという。そのためミリィの唐突な披露も不審に思われず、周囲も手を叩いて彼女を称えた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 このように食堂では幸先良さそうな交流があったが、神殿は随分と風向きが違った。入門希望者だと伝えたら、思い切り苦い顔をされたのだ。


「農民に優れた素質の持ち主がいるとは思えぬが……」


 中年の男性神官は露骨に迷惑そうな声を漏らす。

 神官や巫女の募集はしているが、かなり狭き門のようだ。それとも身分や伝手の有無などが重要なのだろうか。

 ともかく担当の神官は門前払いしたいようで、無理の一言で通そうとする。


「妹は本当に優秀なのです」


「円周率だってバッチリですよ~! 3.141592653589……」


 ムビオの言葉を裏付けるべく、ミリィは食堂と同様に円周率の披露を始める。

 これなら気を惹けると思ったのだろうか、同席しているエマやハジャルも僅かに表情を緩めた。食堂にいた者達は、絶対に合格すると太鼓判を押してくれたのだ。


「やめろ! 暗記など何百何千と繰り返したら誰でも出来る! それに実際の工事では十桁未満でも充分過ぎるからな!」


 神官は不快そうな顔で声を張り上げた。

 延々と時間を費やせば習得できるのは事実、実務で必要なのは数桁程度というのも確かである。それに何十桁も唱えられても、この神官には正解かどうか分からないだろう。


「な、なら微分や積分はどうでしょ~? 級数だって良いですよ~」


 ミリィは十歳程度にしか見えないから、高等数学まで修めていれば天才児と呼んでも良かろう。

 それだけの実力があれば出自が農民でも採用されるかもしれないし、少なくとも試験は受けさせてもらえるのでは。そこでミリィは例を挙げての猛アピールをする。


「その歳で……。いやダメだ! どうせ単なる早熟、大人になったら凡人に成り下がる!」


 神官は驚愕の表情となるが、直後に首を横に振る。そして彼は語気を強め、根拠も定かではない非難をし始める。


 実際に早熟な例はあるし、伸び悩む者も大勢いる。しかしミリィも同じとは限らないし、既に優秀な神官を超えている可能性すらある。

 まずは確かめようとなるのが普通ではないか。


「ともかく試験だけでも~」


「ダメだ! 第一、お前のように馬鹿っぽい口調で話すヤツが立派な神官になれるわけがない! さっさと帰れ!」


 再三の懇願に苛立(いらだ)ったのか、神官はミリィの口調に矛先を向けた。そして彼は強引に話を打ち切って部屋を出て行く。

 まさに取り付く島もないというべき様子、ミリィ達は抗わずに席を立つ。ここは一旦退()き、別の姿で出直すことにしたのだ。


 ミリィはアムテリアから授かった神具で変身しており、実体すら変えている。年齢と性別は固定され十歳程度の少女にしかなれないが、あらゆる種族を選べるし容姿も思い浮かべた通りになる。それなら今の姿で粘るより、別人に扮して再挑戦する方が賢明だろう。

 しかしミリィ達は、再び驚愕することになる。


「私は各種の計算法を修めています。お手を(わずら)わさないよう、計算結果をお持ちしました」


 今回ミリィが選んだのも人族だが、容貌を大人っぽくしたし口調も変えた。残念ながら身長は殆ど変えられないが、革サンダルに(かかと)を足しているから少しは誤魔化せるだろう。

 実際のところ、先ほどに比べると一歳程度は年長に映る。


「ふん、お前が本当に計算したという証拠があるのか!? これほど周到に準備するなど、きっと何か(たくら)んでいるに違いない! それに子供のクセに背伸びした態度が気に食わん!」


 計算結果に関する指摘には頷けるところがあるし、潜入調査をしに来たのだから隠し事もしている。しかし神官が最後に口にした、大人びた口調だから気に入らないというのは明らかに難癖だろう。

 何しろ少し前に子供っぽい口調を否定したばかりである。


「あ、あの……いえ、なんでもありません」


 ミリィは神官の二枚舌に(あき)れを示すが、口に出さず言葉を飲み込む。

 というより出せはしないのだ。まさか同一人物とは言えないし、少し前に来た者から聞いたと反論するのも怪しすぎる。

 一方の神官だが、ミリィ達が絶句している間に席を立つと足早に部屋を出る。


「これは……」


「手強いですね……ですが燃えてきました」


 思わず言葉を漏らしたらしきムビオに、ミリィは静かに応じた。

 今の役の口調を保っただけなのか、それとも苦境が普段の余裕を消し去ったのか。どうやら後者らしく、ミリィは決然たる足取りで歩み始める。


 三度目は獅子の獣人の少女、方針を変えて下働きとしての潜入を狙う。しかし手は足りていると早々に追い払われた。

 四度目は猫の獣人の少女で料理番を希望するが、ケームト風の料理に慣れておらず失敗。五度目はドワーフの少女で神殿専属の大工に応募、これも技量が伴わず撤退。六度目は王家の遠縁を演じたものの、拘束されそうになり慌てて逃げ出した。


 不屈の闘志は裏目に出るばかり、しかも後になるほど担当の神官は不機嫌さを増していく。そこでミリィ達は少々時間を置くことにした。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ミリィ達は神殿を出ると路地裏に入って姿を変え、押さえていた宿に移った。

 神殿から五分ほど歩くだけという近場で大通り沿い、宿の格は中の上といった辺りだ。しかも密談しやすいように一部屋を借り切ったから、結構な金額を前金で払っている。

 しかし高いだけあって部屋は頑丈な石造り、扉も充分な厚みがある。そのためミリィ達は普段と変わらぬ声量で語り始める。


「やっぱり王家の血筋と詐称したのはマズかったですね~」


「いえ。既に王族と呼べない末流でも、あの神官は話を聞く姿勢になりました。おそらく官人や軍人の子であれば多くが入門できる筈……それが分かっただけでも大きな成果かと」


 決まり悪げな笑みを浮かべたミリィに、ムビオは熱の篭もった声で応じた。それにエマやハジャルも大きく頷く。


 どうも王都アーケトの大神殿に勤めるには、それなりの血筋か地位が必要らしい。六回目は下級軍人の子を演じたが、それでも由緒正しい家であれば問題としないようだ。

 ただし血筋が確かだと証明できなければ、先ほどのように尻尾を巻いて逃げ出すしかない。つまり王家の末流とするなら、誤魔化し通せる家系を用意してからだ。


 ちなみに金鵄(きんし)族本来の姿なら敷地への潜入は簡単だが、そこから先が難しい。

 鳥の姿で本を読むわけにはいかないし、透明化の魔道具で姿を消しても勝手に書物や巻物が開いたら大騒ぎだ。しかも書庫には常に複数の見張りがいるそうで、夜中に忍び込んでも見つかってしまうだろう。


「……また明日から頑張りましょ~! 今夜は残念会です~、私が払いますから美味(おい)しい店でタップリ食べてください~!」


 相談を終えると、ミリィは陽気な声を張り上げた。

 この日は早朝から昼まで街道を歩き通したし、午後は合計六回も神殿に行って演技した。しかも毎回違う人物を装ったから、精神的な疲労も大きかったに違いない。

 要するに残念会という名目の慰労である。ミリィは王都の有名店で三人を(ねぎら)うと宣言した。


「この宿にも食堂はありますし、部屋に運ばせても良いです」


「気分を変えるのも大切ですよ~。それに街に出たら調査に役立つ何かが見つかるかも~」


 遠慮するエマを、ミリィは手を引っ張って立ち上がらせる。

 残るムビオとハジャルだが、少しの間だけ顔を見合わせた。しかし誘ってくれるのだからと思い直したのか、二人は素直に続いていく。


 こうしてミリィ達は王都アーケトの大通りに戻った。

 太陽は地平線へと移り、空は星々が(またた)き始めている。しかし大通りには魔道具による街灯があり、歩くのに不自由するほどではない。


「これから行くところは、大商人も使うそうですよ~」


 四人は農民に扮しているから、ミリィは庶民向けで評判の良い店を目指す。彼女が口にしたように、少し格上で裕福な商人が使う場所だ。

 しかし途中で騒動があり、店に入るのは少々遅れる。


「おい、お前! 金を寄越せ!」


「貴方達に施す理由などありません!」


 荒くれ男数人が、身なりの良い少年を取り囲んでいる。

 少年はミリィより幾らか上、背丈からすると成人年齢の十五歳まで僅かだろう。体は細く、肉体労働の経験はなさそうだ。

 荒くれ男達は二十代らしい。こちらは大工や石工のように頑丈そうな体だが、言葉からすると職に就いているとは思えない。

 道を行く者達も強請(ゆす)りの(たぐい)と思ったようで、眉を(ひそ)めつつ避けて通る。


「少し懲らしめてやりますか~」


「はい。もしかしたら恩義に感じて後ろ盾になってくれるかもしれません」


 ミリィは気晴らし半分といった風情、一方ムビオは調査に役立つかもと期待を顕わにする。

 どうも少年は官人や軍人の子のようだ。言葉や態度に気品を感じるし、着ているものも明らかに上等な布地である。

 容貌も整っているし、仔細に観察すると凛とした風格めいたものすら漂わせている。ただし肉付きは薄いし繊細そうな印象を受けるから、書記や裁判官などの家系かもしれない。

 仮に高官の一族なら、身元の保証や神殿への紹介もあるだろう。それに気付いたようで、エマやハジャルも顔を輝かせる。


「でも、この姿だと……。そうです~! ムビオ兄さん、それにエマ姉さんやハジャルさんも……」


 少しの間、ミリィは思案顔で黙り込んだ。しかし彼女は何か思いついたらしく破顔(はがん)し、更にムビオ達を呼び寄せる。

 そして相談を終えると、ミリィは路地裏に姿を消した。


(われ)は冥神の使者……審判の秤に魂を運ぶ者……。そなたらの罪、必ずや主に伝えようぞ……」


 重々しい声は、通りに面した家の上からだ。

 屋根の上にいるのはミリィ、しかし顔は見えない。彼女は黒犬の頭部を模した仮面を被っているのだ。


 海の女神デューネは、ケームトに古代エジプト風の文化を伝えた。そして彼女は闇の神ニュテスの眷属を、人身に黒犬のような頭部を持つ存在だとした。

 もちろんデューネが参考にしたのは、古代エジプトの神アヌビスである。


「ま、まさか幻狼(げんろう)族様か!?」


「いや、誰かが真似しているだけだ!」


 荒くれ男達は、蒼白な顔で屋根の上を見上げている。

 幻狼(げんろう)族の大半はニュテスに仕え、地上の罪悪を調べて主に伝える役を担っている。『創世記』には、このように記されていた。

 現国王アーケナは従来の教えを否定したが、まだ十年ほどしか経っていない。そのため男達も『創世記』の記述を知っており、自分達の悪行が神に報告されると受け取ったのだ。


(われ)にも慈悲はあるぞ……。そなたらが悔い改めるならば……」


「ぐうっ! か、改心します! どうかお許しください!」


 ミリィは魔力を示して荒くれ男達を脅しつつ、正道に立ち返るなら許さなくもないと誘い水を向ける。すると男達は一斉に平伏して許しを請う。


「今のうち、こっちに……」


「はい!」


 その隙にエマは少年の手を引き、共に路地へと姿を消す。もちろんムビオやハジャルも一緒で、彼らは誰にも気付かれることなく表通りから立ち去った。

 こうして少年は荒くれ者から逃れたが、疑問が後に残された。


 どうやら街の者達は、密かに従来の教えを信じているらしい。

 ミリィが演じた幻狼(げんろう)族に、荒くれ者達は心底から震え上がり土下座までした。それに周囲の者達も多くは(ひざまず)き、一部は荒くれ者達と同様に伏した。

 もし『黄昏の神』のみを信じているなら、このように敬いはしないだろう。


「殊勝な態度、嬉しいぞ……。今回のことは水に流す……。それでは、さらばだ……」


 ミリィは喜びが滲む言葉を紡ぐ。

 人々の心にアムテリア達への信仰が宿っている。それは神々の眷属であるミリィにとって、何よりも嬉しいことだろう。

 そしてミリィは宣言通りに姿を消す。彼女は透明化の魔道具を使い、闇の中に去ったのだ。


「さて、あの少年のところに行きますか~」


 ミリィは仮面を外し、屋根から飛び降りる。そして彼女は先ほどまでの鬱屈(うっくつ)が嘘のような満面の笑みを浮かべると、軽やかな足取りで走り出した。


 お読みいただき、ありがとうございます。


 次回は、2019年2月9日(土)17時の更新となります。


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