28.03 巫女の修行
古代エジプトに似たケームトという国に、シノブは強い興味を抱いた。しかし自身が乗り出すのは控え、当面はミリィに任せることにする。
これは四月後半から五月頭にかけ、極めて忙しかったからだ。
およそ一年前、エウレア地方の全てを巻き込む戦があった。今は無きアルマン王国に奴隷とされたドワーフを解放するための戦い、同国を残る国々の合同軍が囲んでの大戦だ。
この旗頭がシノブで、しかもアルマン王国に潜む異神達と戦う中核でもあった。しかし最初の対決でシノブは異神の使徒グレゴマンを倒したものの、地球に飛ばされてしまう。
一方シャルロットは、この非常事態を乗り切るべく諸国に結束を呼びかけた。そして創世暦1001年4月19日にアマノ同盟が結成され、アルマン王国のベイリアル公爵を味方にして包囲網を維持強化する。
半月ほど後にシノブが帰還したときはベイリアル公国が建国済み、アルマン王国は南部のアルマン島のみとなっていたほどだ。
直後にシノブが異神達を倒して終止符を打てたのも、不在時のシャルロット達の活躍があればこそ。そして現在のアルマン共和国、ベイリアル公国と再統合しての新国家がスムーズに誕生したのも。シノブは妻や仲間に大いに感謝し、疎かにしてはならないと感じていた。
そこでシノブは同盟結成記念式典など、エウレア地方の行事を優先する。
昨日もアマノ同盟誕生一年を祝うべく、シノブはフライユ伯爵領の領都シェロノワへと赴いた。一年前はアマノ王国が誕生しておらず、同盟発足の場は当時シノブ達が住んでいたシェロノワなのだ。
そして今日のシノブ達は北のアマテール地方、メリエンヌ学園へと向かった。
「蒸気船の開発から僅か一年だけど……」
シノブは先ほどの式典を振り返る。
蒸気船はアルマン王国包囲戦に備えて準備された。既に鍛冶や機織りなどで使っていたが、海洋国家への対抗策として船にも用いたのだ。
魔力で湯を沸かすから木々を伐採せずに済むし、二酸化炭素や煤が出ない。そのため鉄道に自動車に飛行船と、蒸気機関は様々に応用された。
鉄道はメリエンヌ王国やアマノ王国などで敷設中、蒸気自動車も玄王亀が造ってくれた大トンネルで使われている。飛行船や蒸気船も各地に回され、定期航路の便数も増えてきた。
ただし誕生から一年だから需要を満たしきれず、更なる増産を望む声が増すばかりだ。
学園の式典もエウレア地方の商工業関係者に加え、他地方からの出席も多かった。自国での生産、技術者の留学、それらを望む者達が詰め寄せたのだ。
「凄かったですね……」
少し疲れたような顔で応じたのはミュリエルだ。
ミュリエルは将来のフライユ伯爵夫人、それにアマノ王国の商務卿代行でもある。そのため彼女は多くの陳情者の相手をすることになった。
領内の者は鉄道延伸に工場設置の嘆願。他国の者達は飛行船や蒸気船の寄港、そして技術移転。どちらもミュリエルの一存とはいかないが、シノブの婚約者に推してもらえたらと思う人々に囲まれ続けた。
「アリエルとミレーユが捌いてくれるでしょう」
「ええ。お二人に任せておけば安心ですわ」
シャルロットに続き、セレスティーヌが労り混じりの言葉をかける。
どちらも商業や工業と直接の関係はないから、ミュリエルのように大勢に囲まれずに済んだ。それにシャルロットは武人として名高いしセレスティーヌは交渉上手として知れ渡っているから、嘆願者達は年少のミュリエルに向かったのだろう。
「彼女達は学園の理事だからね……さて、着いた」
シノブはガラス張りの温室に目を向ける。
ここはメリエンヌ学園の奥、試験農場の一角だ。アマテール地方は寒冷な高地だが、温泉の熱を使った温室では遥か南方の植物も育てている。
そこでシノブは、森の女神アルフールから授かったネバネバの木を預けた。ネバネバの木はゴムノキの一種だから温室に置くべきだし、ゴム自体の研究もあるからだ。
もっともネバネバの木は先日渡したばかり、今日の目的は別にある。
「ソフロニアさん、メリーナさん、いらっしゃいますでしょうか?」
アミィが中に声を掛けると、後ろにいる四人の少女が緊張を顕わにする。
まずはアミィと同じ狐の獣人達、ベルレアン伯爵領出身のミシェルとヤマト王国から来た泉葉。続いて褐色の肌のエルフ、イーディア地方のシースミ。最後は人族、ホクカン皇女の小蘭。いずれも巫女の素質を持つ者達である。
「おお、待っておったぞ。……デルフィナ共和国のソフロニアじゃ、よろしゅうな」
「ソフロニアの曾孫、メリーナです」
温室から現れた二人は、少女達へと微笑みかける。
どちらもエルフ伝統の草木染めではなく、白い巫女服を着けていた。ソフロニアやメリーナはエルフの巫女、しかも神降ろしすら成功した熟練者なのだ。
「御指導よろしくお願いします」
「お、お願いします!」
ミュリエルが頭を下げると、四人の少女は緊張気味の声で続く。
最年長はミュリエルで十一歳だが、他は十歳未満だ。ミシェルとイズハは八歳、シースミは七歳でシャオランに至っては五歳でしかない。
それに対しソフロニアは二百五十歳以上、曾孫のメリーナですら四十歳近い。そのためミシェル達が緊張するのも当然だ。
「あまり畏まらなくとも良い。同じ道を歩む者同士、共に修行に励もうぞ」
「そうですよ。妹が増えたようで嬉しいです」
ソフロニアは歩み寄ると握手を求めるように手を伸ばし、メリーナも続く。
エルフの平均寿命は二百五十歳ほどで、他種族なら前者が七十歳くらいで後者は十代後半である。それに巫女としての修行を積んだからか、ソフロニアは実年齢より遥かに若々しかった。
老女とはいえ足取りは確か、もちろん杖など突いていない。厳めしい口調は長老だからで、少女達に向けた視線は孫でも見るかのように優しい。
「ありがとうございます!」
気持ちが解れたらしく、ミシェル達は年齢相応の笑みを浮かべている。
ミシェルとイズハの後ろでは尻尾が大きく揺れ、シースミも長い耳を微かに震わせた。それにシャオランも頬を紅潮させ、声も年長の三人に負けないくらい大きく響かせる。
「それでは失礼します」
これなら大丈夫と、シノブは戻ろうとした。
ミュリエル達にはアミィが付いていてくれるし、巫女の修行に男の自分がいても邪魔なだけ。それにメリエンヌ学園に来るのも久しぶり、特に予定はないが気ままに巡るのも良い。そのようにシノブは考えたのだ。
「もし良ければだが、居てもらえぬだろうか」
「シャルロット様達も、いかがでしょう?」
ソフロニアとメリーナは、共に修行をしようと誘う。詳しく聞いてみると、デルフィナ共和国では男女合同で修行していたという。
エルフが奉じるのは森の女神アルフール、したがって神託を得られるほどの者は女性が殆どだ。しかしイーディア地方の祖霊スープリのように男性のエルフでも稀なる高みに達した例はあるし、メリーナも兄のファリオスと共に学んでいた。
そこでシノブは、せっかくだからと加わることにした。
現在調査中のケームトは神官の力が非常に強かったらしい。そこで神との関わり方について、各地の例を聞いてみたいと思っていたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
ソフロニアは少女達に、どんな修行をしてきたかと問うた。
何しろ出身や経歴が違い過ぎる。西はメリエンヌ王国生まれのミュリエルやミシェル、東はヤマト王国のイズハやホクカンのシャオラン、それに熱帯のイーディア地方で育ったシースミと場所だけ挙げても様々だ。
巫女の技もイズハはヤマト姫から多少だが教わったし、シースミは母や祖母が手ほどきをした。しかし他は学び始めたばかりと差が大きく、教える前に実力を把握するのは当然だろう。
「その……ヤマト王国では滝に打たれたり、水を被ったりします」
「身を清めるのかの?」
イズハの言葉に、ソフロニアは僅かに首を傾げた。
デルフィナ共和国はエウレア地方でも南端というべき場所で、更に暖流の影響もあり年間を通して気温が高い。それに北部の山地を除くと殆どが平地だから、滝も少ないのだろう。
そのためソフロニア達は水を清めとして用いるが、水垢離などはしないという。
「ヤマト王国は四季が明確ですし、イズハが暮らしていた都は冬になれば雪も積もるし水も凍りますから」
「そ、そうです! それに夏でも山の水は冷たいですし……」
シノブが口を挟むと、イズハは説明が足りなかったと気付いたらしい。彼女はヤマト王国の山や渓流の様子を語っていく。
都の北、シノブも訪れたことがある大神宮より更に上流へと遡った場所。そこが巫女達の修行の場だ。
深山の水は夏でも冷たく、切り立った崖から降り注ぐ。そのため少し打たれただけで唇すら青くなり手足の感覚も薄れるという。
「ふむ……ここアマテール地方のような場所なのじゃな。……メリーナ?」
「はい、試してみたいです」
ソフロニアが顔を向けると、メリーナは倉庫へと向かう。
幾らかすると、メリーナは草木染めの厚い作業着を持ってきた。どうやら言葉通り、滝行に挑むつもりらしい。
かつてアマテール地方は『北の高地』と呼ばれていた。メリエンヌ王国でも北端近く、北緯48度ほどもあるし北に聳えるリソルピレン山脈は4000m級の高山帯だ。
そのため四月半ばでも清水は冷たく、しかも峻厳な地だから滝など幾らでもある。一行はソフロニアの案内で、僅かなうちに学園北の渓流へと場を移す。
「ここなら良かろう」
ソフロニアが示したのは、人の背の十倍近い落差を誇る滝だ。しかも雪解け水のお陰か流量が多く、辺りは轟音と霧のような水滴で満ちている。
「はい、狗の滝に良く似ています」
イズハは故国での修行の場を思い出したらしく、懐かしげな様子で顔を緩める。
ひんやりとした空気、両脇の濃く高い針葉樹、触れたら切れそうな清水。確かに日本の深山を思わせる光景だ。
「立派な滝だね」
「これに打たれるのですか……」
シノブの隣では、ミュリエルが同じように降り注ぐ水の柱を見つめている。
既に全員がメリーナの用意した作業着に替えている。シャルロットも妹に付き合うと手を挙げ、それなら私もとセレスティーヌも続いたのだ。
「凄いですわね……」
早まったと思ったのか、セレスティーヌの顔は少々引きつっていた。
シャルロットは武人として厳しい修行を積んでいるし、ミュリエルも武勇で名高いベルレアン伯爵家の娘として鍛えている。一方セレスティーヌは魔術師寄りで、荒行めいたことなど初めてだという。
「やめておきますか?」
「……い、いえ!」
からかい気味のシャルロットに、セレスティーヌは一瞬の間を置いてから応じた。王女として引けぬと思ったのだろう、彼女は滝に向かって歩んでいく。
「この辺りが浅そうですね。皆、こちらに来てください」
「は、はい!」
アミィは水に入ると、少し端の方で手招きをする。するとミシェルを先頭に少女達が進む。
「つ、冷たい! で、でも……」
南国生まれだからか、シースミは飛び上がるように足を引いた。しかし彼女は僅かに躊躇っただけで、必死にミシェルを追っていく。
「巫女になるため、巫女になるため……」
ホクカン皇女のシャオランは、まるで念仏を唱えるように自分に言い聞かせつつ水へと入る。
そんな様子を横目に見つつ、シノブは中央へと向かっていく。幸い水は足先が見えるほど澄んでおり、歩くのに支障はない。
「それでは心を静め、神々に呼びかけてください」
イズハによると、七柱の神を順に名を唱えても良いし特定の神に呼びかけても良いという。そこでシノブは水に入ったのだからと、海の女神デューネを思い浮かべ目を閉じる。
──シノブ、貴方に巫女の修行は不要だと思うけど?──
目を瞑った直後にデューネの思念が響く。まるで待ち構えていたのかと思ってしまうほど、間髪を容れずというべきタイミングだ。
──これも付き合いといいますか……それに神官や巫女について学びたいと思いまして──
シノブは周囲の集中を乱さぬよう、囁くような思念で応じた。もちろん魔力波動も充分に抑えている。
そのため誰も気付かなかったようで、いずれも静かに滝に打たれ続けるのみだ。
──ケームトの件ね。あそこの統治者も神託を受けた者の家系よ──
やはりケームトの王家は巫女の一族だったらしい。デューネが女神だから、神託を受けた者の殆どが女性だったのだ。
ただし巫女が国を治めるのではなく、多くの場合は配偶者の男性が王となった。女王もいるが、比率としては僅かだという。
ケームトは大河イテルに依存した国だから、巫女達は豊かな水をと常に願ってきた。しかしデューネは旱魃や洪水の警告をするのみで、介入自体は避ける。
そのため神託を得る巫女と同じくらい、治水の統括者が重視された。この統括者が王となり、巫女が妃となったわけだ。
こうして思わぬところでデューネとの交信をしたシノブだが、長くは続かなかった。
誇張ではなく身も凍るほどの冷水を浴び続けるなど、シノブはともかく他にとっては命取りですらある。幼いミシェル達は早々に上がったし、鍛えたシャルロットですら二分か三分といった程度だ。
そこでシノブはデューネに礼を述べ、岸へと向かう。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブは神託を明かさずに胸の内に仕舞い込む。ちなみに他はアミィが神界と交信したそうだが、こちらも伏せていた。
──妹分達が話しかけてきまして──
アミィは困惑と同時に嬉しさを滲ませる。天狐族の後輩達が語りかけてきたが、初めて滝行をする子もいるから後でと断ったそうだ。
──それは良かったね──
シノブは歩きつつアミィへと顔を向ける。今は川原を移動している最中だ。
上がって早々に魔術で服を乾かし、体を温めた。一行の殆どが大魔力を持っているし、子供達ですら半数近くは自身で対処する。
そのため滝から出た数分後には、新たな修行の場へと辿り着く。
「私達の場合、踊るんです。何人も集まって……」
舞台のように大きな岩の上で、イーディア地方のエルフの少女シースミが語り始める。今度はイーディア地方流の修行をするのだ。
「我らデルフィナ共和国も踊りで神託を得る」
「巫女の託宣といって、アルフール様に踊りを捧げつつ神託の訪れを待つのです」
エウレア地方のエルフ達、ソフロニアとメリーナは柔らかな笑みを浮かべる。
先ほどの滝行は、暖かな地で生まれ育った二人には厳しかったらしい。流石に少女達ほどではないが、ミュリエルやセレスティーヌよりも先に上がっていた。
しかし今度は同じ踊りである。しかもシースミが暮らしていたのも自分達と似た深い森だから、似たような儀式だと思ったのだろう。
「伴奏はどういう感じでしょう? これがアーディヴァ王国の踊りですが……」
アミィはスマホから得た能力でイーディア地方の音楽を再現する。テンポが速くて跳ねるような高音が続く調べ、パルタゴーマ元領主で音楽家のパグダが作った曲だ。
「あっ、似ています!」
「こんな早い曲で集中できるのでしょうか……」
シースミは笑みを浮かべるが、その隣でイズハが困惑を顕わにしていた。
ヤマト王国にも神楽があるが、緩やかな曲調は全くといって良いほど異なる。それに神楽の目的は神への奉納で、神託を得るためではない。
「大丈夫です! 踊っているうちに心が軽くなるんです!」
「そうですね。忘我の境地というのでしょうか……巫女の託宣のとき、私は踊りながら天地の全てと重なったように感じました」
シースミが力説し、メリーナが自身の経験を語る。
メリーナは巫女の託宣で森の女神アルフールの依り代となった。そして彼女に宿ったアルフールは周りと手を携えるようにと語り、デルフィナ共和国のエルフ達に国を開くように促した。
これにはイズハも頷くばかり、ミシェルやシャオランも目を輝かせ聞き入っている。
「知っている踊りで構いません。とにかく曲に遅れないようにしてください」
シースミの言葉に、石舞台に上がった者達は頷く。
今回も全員が参加した。合計すると十一人だが、幸い岩の上は家一軒ほどもあるから狭くはない。
「それでは始めます!」
アミィはパグダの曲を再生し、それぞれが思い思いに踊り始める。
メリーナは巫女の託宣のときと同じ踊り、デルフィナ共和国の伝統舞踊だ。これもテンポが速いから、パグダの曲にも問題なく合う。
ソフロニアも曾孫と変わらぬ舞を披露している。
シノブはアーディヴァ王国風だ。シャルロットやアミィ、ミュリエルやセレスティーヌも倣う。
シースミの踊りもシノブ達に似ていた。彼女は激しく体を動かし、跳ねるように石舞台の上を舞う。
残る少女達は自国の舞踏を選んだらしい。ミシェルはエウレア地方風のステップを刻み、シャオランとイズハは流れるように身を翻す。
もっともシノブの注意は別のことに向いていた。今回も早々に女神の語りかけがあったのだ。
──シノブ、私に踊りを捧げてくれているのね! お姉ちゃん、嬉しいわ!──
──ありがとうございます──
感激も顕わなアルフールに、シノブは踊りを続けつつ思念を返す。
シノブは戦いながら複数の魔術を行使できる。それに比べれば踊りつつ応じるくらい、楽なものだ。
──イーディア地方の踊りも上手いわね~! 流石シノブ、私の弟! 次はエウレア地方風も見たいわね!──
デューネと違い、アルフールはケームトに触れない。
大河イテルの周辺を除くと、ケームトの国土は砂漠ばかりだという。そのため森の女神として語ることがないからか、あるいは姉の担当と割り切っているのか。
いずれにしてもアルフールはシノブの踊りを褒めるのみで、神託らしき言葉は口にしない。しかし神楽の一種と考えれば自然なこと、そこでシノブは彼女の求めるままに知っている踊りを披露する。
エウレア地方の宮廷舞踏、これはシャルロットやセレスティーヌと組んで披露する。この二人は巫女としての教えを受けていないから、単に踊っているだけなのだ。
そのため二人はシノブが手を差し伸べると、満面の笑みで応じてくれる。
続いてアスレア地方歴訪で学んだ踊りの数々。これらも男女一組の舞踏だから、シャルロット達の手を借りる。
アフレア大陸、ヤマト王国、カン地方、スワンナム地方、アウスト大陸。テンポが違いすぎて原型とは全く異なる踊りになったものもあるが、女神は満足してくれたらしい。
──とっても楽しかったわ! シノブ、ありがとう!──
──いえ、お粗末様でした──
音楽が終わると、アルフールは満足そうな思念と共に去っていく。
一方シノブは舞台俳優のような礼で見送る。今度も神託と呼ぶには微妙な訪れだったと、ほろ苦い笑みを浮かべながら。
◆ ◆ ◆ ◆
ミシェルが魔術を学び始めたのはアミィと出会ってから、巫女としての訓練を始めたのも最近だ。それに彼女やミュリエルは憑依術を学ぶ一環として巫術に触れているだけである。
シャオランも同様だが、こちらはホクカンに伝わる神官の修行法を知っていた。
「えっと……鉄を叩いて魔力を高めるんです。こうやって金槌で、カン、カン、って叩いて……」
「ドワーフの神官みたいだね」
身振り手振りで説明するシャオランに、シノブは思わず顔を綻ばせる。場所は先ほどの石舞台、シャオランを囲んでの車座だ。
「鋼仕術の修行法でしょうから、どこかで繋がっているのかもしれませんね」
アミィの触れた鋼仕術とは、カン地方で発達した鋼人に憑依する技だ。憑依術を伝えたのは聖人の小无だが、どうもドワーフの影響もあるらしい。
ホクカンの北の大森林を抜けるとシバレル地方という辺境に出るが、ここは他の寒冷地と同様にドワーフの住む場所だ。大森林は魔獣の領域だから越えるのは難しいが、過去の行き来を思わせる伝承が残っている。
「ドワーフって、どんな風に修行するんですか?」
シャオランは興味も顕わな様子でシノブに問う。それにシースミやイズハも同様に顔を向ける。
「そうだな……形だけで良ければやってみようか」
「シノブ様、これを使ってください!」
シノブがホクカン皇女に頷き返すと、アミィは魔法のカバンから大きな鉄の板と槌を取り出した。
鉄板は鋼人の修理用、畳一枚ほどもある。鉄槌はイヴァールが以前使っていたもので、こちらも普通なら両手で抱えるほどの大物だ。
「ありがとう」
これなら真似事には充分だ。シノブは槌を受け取り、鈍く輝く板の前で胡坐を掻く。
「大勢の神官が集い、皆で大地の神テッラ様を讃えながら槌を振るうんですよ」
シャオラン達に説明をするのはミュリエルだ。
ベルレアン伯爵領の北はドワーフ達の国、ヴォーリ連合国だ。それにアマテール地方には大勢のドワーフが住んでいるから、祭りなどで目にする機会もある。
「凍れる北のこの地にて、我らは栄え満ちていく! 深き洞には宝あり! 山の奥には実りあり! 神の恵みを探し出し、輝く品を作るのは!?」
シノブが聖句を唱えつつ、槌を規則的に振り下ろす。こうやって大勢で魔力を篭めた品は、特別な強度や品質を得るのだ。
「我らドワーフ! テッラの愛し子! 我らドワーフ! 大地の主!」
合いの手を入れるのはアミィ達だ。本来なら向かい槌としても加わるが、それは省いて掛け声のみでの参加である。
少女を含む女性達の声は、渓流や囲む木々へと染み入るように響き渡る。しかしシノブに届いたのは太い応えだった。
──シノブ、いつからドワーフになったのだ?──
思念の主はドワーフの守護者、大地と金属を司る神テッラだった。シノブは形だけ真似たつもりだが、それでもテッラに届いてしまったらしい。
冗談めかした言葉や笑いを含んだ響きからすると、不快に思っての登場ではないようだ。それに力強くも穏やかな波動も、常と変わらぬ優しさを宿している。
──失礼しました。こちらの少女達にドワーフの神事を説明していたのですが……やめた方が良いでしょうか?──
──構わぬ。カンの鋼仕術は俺の流れを汲んでいるし、昔はドワーフの鍛冶師もいた筈だ──
シノブが聖句を唱えつつ問いかけると、テッラは無造作に許可をした。そこでシノブは槌を打ち付けつつ、兄神の話に耳を傾ける。
──あのケームトという地も同じだ。巨石建造物など力押しでは築けぬよ──
テッラはケームトの巨石文明にも一役買ったと明かす。
ケームトにも鋼仕術の使い手がいたのか、あるいはドワーフの鍛冶師がいるのか。そこまで詳しく語らないが、テッラが数々の技を授けたのは間違いないらしい。
──後はミリィの調べを待つのだな。あまり俺が教えてしまっては、あの者の罰にならぬだろう?──
女神達と違い、テッラは早々に語り終える。彼はドワーフの守護者だけあり、男神の中でも特に言葉少なかった。
──ありがとうございます──
シノブも短く礼を伝えた。そして槌を降ろし、神事の真似事を終える。
「ありがとうございます!」
シャオランは深々と頭を下げて礼を述べ、更にシースミやミシェルが続く。しかし大人達、特にエルフの巫女二人は何か言いたげな様子だ。
テッラの思念はデューネやアルフールほど抑えていなかった。そのためソフロニアやメリーナほどの優れた術者なら、何かが訪れたと気付いて当然だ。
「シノブ様、今のは……」
「実はね……」
遠慮がちなメリーナに、シノブは言葉を選びつつ応じていく。
神事を真似ている最中、テッラの訪れがあったこと。それに先立ってデューネやアルフールとも言葉を交わしたこと。内容は伏せたが、神々と密かに語らったとシノブは明かす。
もっとも驚く者はいなかった。
メリーナとソフロニアは、シノブが神々の血族だと知っている。巫女の託宣で、アルフールはシノブが自身の弟だと明言したのだ。
シースミも祖霊の助けがあったとはいえ神託を受けたほど、シャオランはシノブが邪霊を滅するところを目にしている。それに他はシノブから教わっているから動じる筈がない。
「神々は近くにいらっしゃるんですね」
「そうだよ。いつも俺達を……この星の全てを見守っているんだ」
瞳を輝かせるシャオランに、シノブは大きく頷き返した。
巫女の修行法は千差万別だが、その本質は神を感じることだろう。ならば常に側にいるという信念こそが、最も重要なのかもしれない。そうシノブは続けた。
「そうですね。簡単に応じていただけませんが、全身全霊で願えば応えてくださいます」
「はい、頑張ります!」
「一杯修行して立派な巫女になります!」
アミィの言葉に、少女達は口々に決意を表明する。
その様子に目を細めつつ、シノブはケームトに思いを飛ばす。優れた巫女達が治水の要として支えてきた国が、どうして神々を否定するようになったのかと。
ただしシノブの思案は長く続かなかった。再びの問いが提示されたからだ。
「シノブ様。滝と踊り、それに槌で叩くの、どれが一番良いと思いますか?」
「さあねぇ……神様によって違うんじゃない?」
ミシェルの問いに、シノブは首を傾げつつ応じた。
それぞれ違う役目を担っているし個性も明確だから、捧げるべきものも違って当然。そうシノブは思ったのだ。
現在ケームトの王が崇めている『黄昏の神』に迫るなら、どんな宗教か探るのが近道なのかもしれない。
ミリィは偽りの神と断じ、教えを含め紛い物と切り捨てた。しかし謎を解き明かすなら、避けては通れぬ道だろう。
もっともシノブが口にしたのは別のことだ。
「さあ、修行を続けようか! まだデルフィナ共和国式の修行をしていないし!」
「はい!」
シノブが促すと、少女達は弾かれたように立ち上がる。
果たして次は、どの神が訪れるのか。ふと浮かんだ思いに顔を綻ばせつつ、シノブは自然や神々との語らいに戻っていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2019年2月2日(土)17時の更新となります。