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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第28章 新たな神と砂の王達
720/745

28.01 女神の招待

 ほんのりと染まった淡い紅色(べにいろ)は、色白の女性が微かに頬を染めたようだ。シノブは頭上を覆う花霞(はながすみ)から、隣のシャルロットへと視線を動かす。


「……シノブ?」


「いや君……達のように綺麗だと思ってさ」


 怪訝そうな愛妻に、シノブは思い浮かべた事柄を伝える。ただし更に隣の婚約者達、ミュリエルやセレスティーヌへの配慮を付け加えながら。


 ここはヤマト王国の南部、筑紫(つくし)の島にある神域だ。そして今は四月半ば、満開の桜がシノブ達を迎えてくれた。

 この神域は森の女神アルフールの植物園というべき場所で、様々な草木(そうもく)で満ちている。果樹園や田畑に野草園、そして桜や梅などを集めた庭園もあった。

 今シノブ達がいるのは見渡す限りを桜で埋め尽くした大庭園、どれも見事な巨木で垂れんばかりの枝には無数の桜花(おうか)、差し込む朝日が薄いピンクの天蓋(てんがい)に夢幻の彩りを添えている。

 神気満ちる場は山上かつ早朝だけに涼しさを覚えるほどだが、それすら稀有な美を引き立てるかのよう。誰しも陶然と見惚れるだろう光景だ。


 そのためかシノブの返答に生じた僅かな間を気にした者はいないらしく、後ろに続くアミィを含め柔らかな笑みを返すのみだ。


「そうでしたか……」


 シャルロットの(おもて)に、喜びの色が加わった。

 輝く肌には頭上の花々を思わせる薄い赤。今日の衣装は桜の小紋だから、まるで花の精が現れたような麗姿である。


「嬉しいです!」


「ええ!」


 ミュリエルとセレスティーヌも満面の笑み、こちらは振り袖だから更に華やかだ。

 ちなみにアミィは白衣(びゃくえ)と緋袴、神域ということもあり眷属に相応しい衣装を選んだらしい。もっとも彼女は晴れ着に興味がないようで、頭上の狐耳をピンと立てているし背後では尻尾も楽しげに揺れている。


「と~! と~!」


 リヒトも上機嫌な声を発した。彼は先ほどまでシノブの羽織を握っていたが、今は桜へと向けている。

 どうやらリヒトは、ひらひらと舞う花びらを(つか)みたいらしい。


 今日のリヒトはシノブと同じで紋付き(はかま)、中がグレーに黒筋の着物で上はアマノ王家の紋が入った白羽織である。そのため彼が手を振るにつれ白い袖が軽やかに(ひるがえ)る。


「ああ……これが桜だ。ヤマト王国を象徴する花だよ」


 表現しきれぬ感動を、シノブは声音(こわね)に託した。

 家族と共に日本を思わせる花を眺め、我が子に故郷の心を伝える。ついに望みが(かな)ったという喜びを表したいが、幾ら言葉を尽くしても不可能だ。

 幸いというべきか、リヒトは相手の感情を魔力で感じ取れた。そこでシノブは溢れんばかりの思いを己の波動に乗せていく。

 その結果シノブは少々注意散漫になってしまい、とある者の接近に気付けなかった。


「シノブ、しんみりしないでよ! お姉ちゃんの贈り物なんだから!」


 すぐ後ろで放たれたのは少しばかり不満げな響き。森の女神アルフールの美声だ。

 アルフールは転移で現れたから、まず空気が独特の揺れを示す。そして直後に輝く繊手(せんしゅ)がシノブを抱きしめた。


「姉上!」


「あぅ~!」


「ほら、もっと桜を楽しみなさい! リヒト~、羽織(はかま)も可愛いわね~!」


 普段のシノブなら躱せるが、察知が遅れた上にリヒトを抱えているから動きが鈍る。そのため父子は森の女神の手中に落ち、彼女の成すがままとなる。

 頭を撫でて頬ずりをしと、アルフールの愛情表現は続く。しかし彼女がシノブを弟と呼んで溺愛するのは今に始まったことではなく、シャルロットを含めた四人は微笑ましげに見守るのみだ。


 この星を守護する神霊は七柱、大神と称えられる女神アムテリアと支える従属神達だ。

 従属神は全てアムテリアの子で彼女と共に創世から存在するが、一応は長幼の順があった。神話では全て同時に出現したと伝えるものの、長子が闇の神ニュテスで末子が森の女神アルフールとしているのだ。

 そのためアルフールは新たな末子であるシノブを大歓迎し、事あるごとに弟と呼んで可愛がる。これをシャルロット達も承知しており、少々過剰な愛情表現も当然としていた。


「アルフール様、御無沙汰しております」


「その……お召し物、とてもお綺麗です。まるで本物のお花を飾っているように華やかで、でも薄い色だから春らしく軽やかに映りますし……」


「本当ですわ。桜の模様がとても細やかですし、それに蝶も光り輝いて……」


 シャルロットが挨拶すると、ミュリエルとセレスティーヌが合わせて一礼する。そして二人は、うっとりとした表情で女神の衣装を見つめた。


 今日のアルフールは振り袖、シャルロット達と同様に桜をあしらった図柄を選んでいた。しかし三人と違い、女神の衣装には幾つもの蝶が舞っている。

 描かれているのはアゲハチョウに似ているが、色は花と合わせたようで白や薄いピンクだ。それにセレスティーヌが指摘した通り、金糸銀糸を混ぜているのか女神が動くと僅かだが(きら)めく。


「ありがとう! やっぱり女の子は良いわね~、こういうのシノブは言ってくれないし……」


 華やいだ声の直後、どこか責めているような響きがシノブの至近で生じる。

 シノブも褒め言葉くらい口にするが、アルフールからすると感じた熱量が違うらしい。とはいえ女性陣のように着る側としてのコメントなど、普通の男には無理だろう。

 それに今のシノブには批評自体が難しい。


「……後ろから抱きつかれているのに、どうやって着物を見ろと仰るので?」


 シノブは声に僅かだが困惑を篭める。

 (いま)だ解放してくれないから、振り向くことすら不可能だ。振りほどくなり短距離転移で逃げるなり手の打ちようはあるが、強引に脱出するとアルフールは機嫌を悪くする。

 そこでシノブは柔らかに苦言を(てい)したが、今回は待つほどもなく助けの手が差し伸べられる。


「アルフール! シノブを離しなさい!」


「デューネお姉さま、嫉妬は……あら、母上も」


 海の女神が叱ってもアルフールは平然としていた。しかし全ての母たるアムテリアも共に現れたから、彼女は慌ててシノブを解放する。


 一つ上だからか、あるいは同性だからか、アルフールはデューネに遠慮を感じないらしい。それに他が兄ばかりだからか、彼女は姉と張り合うのを楽しみにしている(ふし)すらある。

 一方のデューネも似たようなもので、二柱だけなら延々と言い争うことも珍しくないし実力行使に出ることも多かった。

 ただしアムテリアや兄神達の前だと、どちらも自制するのが常である。


「会いたかったですよ……さあ、こちらに」


 アムテリアは柔らかな笑みと声音(こわね)で歓迎を表す。そして彼女は桜の下へとシノブ達を招いた。

 いつの間にか、薄く色づいた空間には新たな彩りが加わっていた。それは真紅、どこからともなく現れた緋毛氈(ひもうせん)である。

 これからシノブ達は花見をし、神域の春を楽しむのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 アムテリアの小袖(こそで)は白地に金の刺繍(ししゅう)、デューネの振り袖は清水のような薄青に淡いグラデーションで描いた波模様。どちらも自身の象徴たる太陽と海を思わせる衣装だ。

 なおアルフールを合わせた三柱を含め、いずれも長く豊かな髪を結い上げ(かんざし)(まと)めていた。これはシャルロット達も同様で、元が短めのアミィを除くと日本髪と呼べる形を選んでいる。

 ただし黒髪はいないから、シノブの目には外国人が和装を楽しんでいるようにも映る。


 アムテリアはシャルロットと似た金髪。セレスティーヌは少し濃い色、逆にアルフールが淡さを感じるプラチナブロンド。ミュリエルが銀髪と呼ぶべきアッシュブロンド、アミィはオレンジがかった明るい茶色だ。

 デューネに至っては暖かな海を思わせる薄青だから、日本人離れどころか人間離れしている。この星の人間は地球と同様で、青い髪の持ち主などいないのだ。

 いずれにしても和服そっくりの衣装で桜の下に集ったにも関わらず、髪や容貌は全員が西洋人風である。ただしシノブやリヒトも金髪だし、ヤマト服での集まりも初めてではない。

 そのためシノブの注意は、他のことに向いていた。


「リヒト、これは早いよ……」


「う~、う~!」


 シノブの膝の上で、リヒトは不満げな声を上げた。しかも幼い王子は脱出を狙っているらしく、大きく手足を動かす。


 緋毛氈(ひもうせん)の上には山海の珍味を収めた重箱が並び、シノブ達は花を()でつつアルフールとデューネの心づくしを楽しんでいた。

 アルフールの担当は植物全般、デューネは海や川を任されており魚介類を提供する。それに双方とも料理の腕は確かだから、食も進むし話も弾む。

 しかしリヒトは生後半年に届かぬ乳児だから、まだ離乳食である。そのため彼はシノブ達の食べているものが気になるらしく、しきりに手を伸ばしていた。


「シノブ、これを食べさせなさい!」


「すりおろしリンゴですか?」


 どこからともなくアルフールが取り出した皿には、金色に輝く半液状の品が盛られている。アマノ王国でもリンゴ栽培は盛んだから、シノブも我が子に食べさせており間違えることはない。

 しかし女神たるアルフールが出すのだから並のリンゴではあるまい。彼女のことだから特殊な効果があるか、無くても凝った命名だろうとシノブは想像する。


「これはヤマト大王鈴(だいおうりん)、魔力が増えるし勇気のある子に育つのよ! 色は黄色というより金色で、鈴の字を当てているのはそこからね! 初代ヤマト大王(おおきみ)が伝説の勇者になれたのも、これを赤ちゃんのころから食べたからよ!」


 アルフールの説明は、シノブの予想に反して普通とすら呼べるものだった。

 ヤマト大王家の初代は、ここ筑紫(つくし)の島から東征したという。アムテリア達の意思が働いたようで、彼は九州に当たる地から東を目指したのだ。

 これは大王家にも伝わっており、現王太子の大和(やまと)健琉(たける)も先祖にあやかろうと神域のある山を目指したくらいだ。したがってアルフールの示した逸話も事実なのだろう。

 とはいえ妥当すぎる命名と効果だ。心を強くするというのは不思議だが、魔力増進を(うた)う食材など真実か否かを別にしたら比較的ありふれている。


「ありがとうございます。ほら、リヒト……」


 もしかすると自分の気付かぬ由来があるのかと考えたシノブだが、別に掘り返す必要もあるまいと思い直す。そこで素直に皿を受け取り、添えられていたスプーンに手を伸ばした。


「あ~!」


 どうやらリヒトは気に入ったらしく、一口含むと先刻の膨れ面が嘘のような笑みを浮かべた。それに食べ足りないのか、彼は再び皿へと目を向ける。

 すりおろしリンゴは黄金を溶かしたように輝き、美しくすらある。しかもアルフールが触れた通りに多くの魔力を含んでいた。

 リヒトはシノブと同様に魔力感知に優れているから、ますます美味(おい)しそうに思えるのだろう。


「甘いですね……」


「本当です!」


「これならリヒトが気に入るのも当然ですわ」


 シャルロットは未使用のスプーンを手にし、すりおろしリンゴを掬う。そして彼女は少し口に含むと、妹や従姉妹にも回していった。


「生命の大樹のお茶みたいなものでしょうか?」


「近いけど、こちらは滋養強壮が目的なのよ。……そうだわ!」


 シノブが問うとアルフールは頷き返した。しかし直後、彼女は再び手を掲げて転移での取り寄せをする。

 今度は鉢植えと木箱だ。前者は観葉植物のようなもので子供の背丈くらい、後者は一抱えもあるが大人なら充分に運べる程度である。


「……これは?」


 箱はリンゴの実を詰めているのだろう。御丁寧に『ヤマト大王鈴(だいおうりん)』と焼き印で記されているし、微かだが特有の甘い香りが広がっていく。

 しかしシノブには、観葉植物らしきものが何か分からぬままだった。


 どうも若木らしく、真っ直ぐに伸びた幹は細いが(つや)やかな葉が沢山付いている。葉は広く手のひら以上もある楕円形、先の新しいものは僅かに赤みを帯びていた。


「これはネバネバの木よ! イーディア地方のエルフの森には自生しているから、役立ててね!」


「要するに、ゴムの木ですか?」


 アルフールの言葉で、シノブはアミィの妹分シャミィからの報告を思い出した。

 シャミィは先月半ばに再誕すると、同じく眷属のメイリィとスワンナム地方の『操命(そうめい)の里』で会った。そのとき彼女はメイリィから、イーディア地方の森にネバネバの木という植物があると教わったのだ。

 名前からしてゴムを思わせるし、イーディア地方は地球の南アジアに相当するからインドゴムノキと似た植物があっても不思議ではない。そしてシノブ達は自転車を開発したが、まだタイヤは魔獣の革を巻くのみで弾力性が不充分だった。

 そのためシノブはシャミィの報告を強く記憶していたのだ。


「そうよ。エルフの森の騒動はアルフールの監督不行き届きが原因……だから遠慮せずに受け取りなさい」


 どうもデューネは、この件に触れる機会を狙っていたらしい。彼女はシノブが言い終えたかどうかというタイミングで口を挟む。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 イーディア地方のエルフの森が平穏を取り戻してから、およそ一週間が過ぎた。しかし将来まで見据えると課題は山積みで、一件落着と片付けるわけにもいかない。

 これからは外部と交流し、未来に向かって進む。イーディア地方のエルフ達は、エウレア地方やアスレア地方の同族の勧めもあり門戸開放へと舵を切ったのだ。

 とはいうものの今まで森全体を(まと)める仕組みは存在せず、まずは国造りから始めるしかない。


 イーディア地方やスワンナム地方の森は熱帯や亜熱帯に属し、木々は濃い上に魔獣も危険な大型種が多い。そのため周囲も無理な侵入を手控え、国というほど強固な体制がなくとも森を守り通せた。

 しかし交易を始めるなら他国との窓口も必要だし、交渉を有利に進めるには森全体での意見統一が欠かせない。東域探検船団に所属するエルフ達は、自身の経験をイーディア地方の同胞に諄々と説いた。

 その結果イーディア地方のエルフは建国へと動くが、当分は他から学んでいくだけで精一杯である。こうなると探検船団も寄港地を定めて次の地にとはいかず、しばらく腰を据えて手を貸すことになった。


 東域探検船団の司令官はイーゼンデック伯爵ナタリオだし、シノブは人族だから支援の先頭に立つことはない。しかし国や同盟としての判断や援助を求められたら、最終的には王でありアマノ同盟の盟主でもある彼が決断を下すことになる。

 そのためデューネは、妹がシノブに礼をするのは当然としたわけだ。


「あれはアルフールの姉上が去った後の出来事ですし……」


 どう応じるか迷ったシノブだが、とりあえず触れたのは時期についてだった。

 創世の直後、神々や眷属は直接人々を導いたという。しかし百年ほどが過ぎると地上から姿を消し、以降は原則として見守るのみにしたと伝わっている。

 そしてスープリが祖霊となったのは創世暦400年ごろ、夢の場を提供したのは更に後だ。確かにエルフはアルフールの担当だが、もし彼女の指導不足でも三百年以上も後まで責任を負わなくても良いとシノブは考えていた。


「シノブ、私が言いたいのはエルフ達が閉鎖的だったということよ。それに他より長寿だからって同族だけで集まったのは、アルフールが可愛がりすぎたのが大きいわ。(いと)し子だと折に触れて言ったから、エルフ達も増長したのね」


 デューネはシノブを諭すような口調で語り続ける。どうも彼女は、末弟の指導に妹への攻撃を織り交ぜることにしたらしい。

 一方のアルフールだが姉の意図を悟ったらしく、表情を険しくしつつも反論せずに無言を貫く。


 今までシノブが出会ったエルフは、エウレア地方のデルフィナ共和国にアスレア地方のアゼルフ共和国、そしてスワンナム地方からカン地方南端の集団に、今回のイーディア地方の者達だ。この全てが森から出ずに暮らしたのは、エルフが他に比べて遥かに長寿だからである。

 エルフの平均寿命は二百五十年ほど、それに対し他種族は六十年から七十年程度だ。そのため彼らが自分達を特別な存在とするのも仕方ないだろう。

 とはいえデューネの言葉通り、アルフールが他種族との融和や交流を説けば幾らかは違った筈だ。

 寿命の差が悲劇に繋がった例も多いが、かといって完全に外部との接触を断つのも極端すぎる。そして長寿が固定観念を増幅するのか、多くの場合エルフが門戸を開くまでは強い抵抗があった。


 こういったエルフの事情に悩まされたのは事実、そのためだろうがシャルロット達も口を挟まない。そもそも彼女達は信仰心が非常に強いから、アムテリア達と親しく接するようになってからも意見めいた言葉を避けていた。


「確かにアルフールは過剰な愛を注ぎました。……ですが全てを適正に行うなど、細心の注意を払っても容易ではありません。それは貴女もケームトで経験した筈です」


 この辺りで仲裁をと思ったのだろうか。アムテリアは箸を置くと、静かに言葉を紡いでいく。

 ケームトとは、アフレア大陸の北東部に存在する国である。そしてアフレア大陸は地球でのアフリカ、つまりケームトはエジプトに当たる場所だ。


「それは……」


 デューネは何かを言いかけたが、結局は口を(つぐ)んだ。

 シノブは神々の御紋による会話で知ったが、ケームトを担当するのはデューネだそうだ。地球と同じで乾燥が激しい地域だから最初シノブは意外に感じたが、これは国を南北に貫く大河イテルを彼女が管轄しているからだ。

 古代エジプトの人々は、自分達を『ナイル川の水を飲む者』と定義したそうだ。そしてナイル川に相当するのが大河イテルで、それ(ゆえ)に河川を含めた水を司るデューネが守護者となったわけだ。


 つまりケームトはエジプトに倣っているが、正確には遥か古代を思わせる場所だった。

 巨石を用いた神殿や建造物が目立つ、多神教の文化を持つ国。輪廻の輪を強く意識し、独特の葬送法を編み出した人々が住む場所。先日からケームトの調査を開始したミリィ達は、このように表現した。

 太陽神であるアムテリアを始め、この星の神々は自然現象を自身の象徴としている。そして神々は各地域に相応しい文化が花開くようにと心を砕いた。

 そのため太陽信仰の色が強い上に様々な事象を神として崇めた古代エジプトを参考にしたのだろうと、シノブは解釈している。


 しかし今、シノブはケームトの成り立ちより現状に興味が向いていた。正しくは気になっていると言うべきか。

 そこでシノブは聞けるものなら聞いてみたいと口を開く。


「母上……。ケームトが()()()()で揺れているのは、ある種の必然なのでしょうか?」


 シノブはミリィからの報告を思い浮かべる。

 ケームトの現国王はアムテリア達への信仰を捨て、独自に新たな神を掲げた。それは『黄昏の神』と呼ばれる存在だ。

 このアマルナ革命を思わせる出来事に至ったのは、神殿との激しい対立が原因だという。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブが知る限り、海の女神デューネを特別に崇めている国は少ない。これは人間が陸で暮らす生き物である以上、仕方のないことだろう。

 この星の航海技術は地球に比べると未発達で、しかも魔獣の海域により行き来が制限されているから遠洋航海に乗り出す者も限られていた。今でこそ『海竜の航路』により遠方との海上交易が行われているが、始まったのは去年の七月で一年も経っていない。

 そのため海上帝国というほどの勢力は存在せず、必然的にデューネを従属神でも二番手以降とする国が殆どだ。


 シノブが訪問した国で彼女を熱心に崇めるのは前身の王国時代に海の加護を得たアルマン共和国くらいだし、未訪問を加えてもスワンナム地方の島国など僅かな例しか耳にしない。

 したがってデューネがケームトを慈しんだのも当然ではある。何しろケームトは大河イテルの水量で季節を測るほどで、彼女は大神アムテリアに次ぐ重要な神とされていた。


「あの地は私達との相性が良いようです……正確には元とした文化ですが」


「母上の仰るとおりね。木々は少ないけど、自然や生き物を畏れ敬う姿には好感が持てるわ」


 アムテリアが静かに言葉を紡ぐと、森の女神アルフールが後を引き取った。

 アルフールはデューネと頻繁に張り合うが、これは仲の良さの裏返しで交流の一環のようだ。おそらく彼女が末っ子扱いの不満を殊更に言い立てるのも、じゃれ合うための意識的な振る舞いなのだろう。

 今回は母なる存在の言葉が先にあったとはいえ、デューネを擁護するような発言は姉神への愛情からではないか。


 先ほどまでのアルフールは自身の作った山の幸を熱心に勧め、デューネの用意した海の幸より美味(おい)しく優れてもいると強調していた。しかし今の彼女はアムテリアと同様に居住まいを改め、これぞ女神という品格を滲ませている。


「でも、少し行きすぎたみたいね……。巨大な建築物は農閑期の仕事に良いからと変えずに取り入れたけど、そのせいで神官達が不必要なまでに力を得て……だから国王や家臣が神殿側を苦々しく思うのは必然だけど、私の失策でもあるわ」


 一方のデューネだが、浮かない表情で自身の過ちだと認める。

 古代エジプトの風習や社会体制を取り入れたら同じような道を辿(たど)るだろうが、そこを上手く導いて幸を(もたら)すのが神の役目。このようにデューネは続けていく。


「過去に学び未来に活かすのは大切ですが、地上は既に神々の手を離れてもいます。全てをデューネ様が背負わなくとも良いのではないでしょうか?」


 シャルロットがデューネの責ではないと口にした。

 どうやらシャルロットは、女神の憂う(さま)を見かねたらしい。声は案じていると明らかな響きで、(おもて)も形の良い眉を僅かに(ひそ)めている。

 もっとも発言内容は理性的な彼女らしく、極めて妥当なものだ。神々が原則として見守るのみと決めてから九百年ほど、もはや地上の出来事は地上で解決すべきというのは誰しも()とするだろう。

 仮に神が介入するとしたら『黄昏の神』なる存在が本物だった場合、それも明らかな大悪と認めたときだけ。シノブも妻の言葉に共感し、知らず知らずのうちに頷いていた。


「そ、そうです! それにアムテリア様達への感謝を忘れるなんて、酷すぎます!」


「全くですわ! ただ一つの神を崇めるように強要するなど、あの邪神達と並ぶ大罪です!」


 ミュリエルとセレスティーヌは、シャルロットの発言で勇気が湧いたらしい。先刻まで神々に意見など出来ぬと縮こまっていた二人だが、今は普段の伸びやかさを取り戻している。


 もし地球なら不寛容とすらされかねない発言だと、シノブは感じる。しかし一方で、この星に生きる人々の殆どは同意するだろうと思ってもいた。

 この星の歴史は僅か千二年。しかも創世から百年の神話時代とでもいうべき時期は『創世記』など幾つもの書物に記されており、知らぬ者などいないくらいだ。

 それにアムテリア達は宗派の違いが争いを生じさせると考え、全ての地方に等しく教えを授けたという。生活や文化は気候や地理的要因で変えていったが、言語や神話は統一したのだ。

 そのためミュリエル達は、どこの地方でも変わらぬ筈の教えや信仰を汚したと感じたのだろう。


「大丈夫です! 何かあればシノブ様が向かいますし!」


 深刻な空気を嫌ったのか、アミィは殊更に明るい声を張り上げる。

 ミリィ達がケームトの調査に向かったのはアスレア地方からの南航路開発に備えてだから、火急の場合にシノブが出向くのは嘘ではない。とはいえ基本は現場に任せるとシノブは伝えており、それはアミィも重々承知している筈だ。

 おそらくアミィは、せっかく集ったのだから楽しい時をと考えたのだろう。


「そうだね。……母上、それに姉上達も。私は地上の者ですから手を出して構いませんよね? ああ、やり過ぎないように気をつけますから」


 シノブも同調し、おどけた口調で許可を求める。

 一応は神の血族だし、なんでもかんでも口出しするのは正常な発展を阻害するから控えてもいる。とはいえ祖霊や神が関与しているなら、シノブは遠慮しないつもりだ。


「シノブ……心遣いは嬉しいですが、なるべく手控えするように。これはミリィへの罰だそうですし……」


 アムテリアは珍しく冗談めいた言葉を口にした。もっともミリィへの仕置きというのは事実である。

 一種の悪ふざけというか、ミリィは地球の創作物に由来する事柄を密かに伝えている。それらが先日までのイーディア地方の事件で再び露見し、同族のホリィやマリィを中心に糾弾の声が上がったのだ。

 シノブは不審に思われない程度なら構わないと思っていたが、行き過ぎると収拾に苦労するのも事実だ。そこで支援が一段落したカン地方の後見をホリィのみとし、ミリィをケームトに派遣した。


 ケームトには古代エジプトを思わせる風習が多い。

 もちろんケームトは他と同様に奴隷を禁じており、魔道具もあるから生活水準も同程度に達している。しかし文化の方向性は地球に詳しくないと首を傾げてしまうだろうし、先ほどのミュリエル達のように激しく反発する可能性もある。

 そこでシノブは各種の地球文化に詳しいミリィを適任とし、調査を命じたのだ。


「はい。まだイーディア地方への支援もありますし、それ以前に六月頭は建国記念式典ですからね。あまり遊び歩いていたら、皆に恨まれてしまいます」


 シノブとしては諸国漫遊も楽しいし、元々歴史好きだから古代エジプト風の国にも興味がある。とはいえ当分はミリィ達に任せるつもりだったから、素直に頷き返した。


「それでは改めてデューネとアルフールの心づくしを味わいましょう。それに食べ終わったら、リヒトと遊びたいですし……」


「あ~! あ~!」


 アムテリアが顔を向けると、リヒトは高らかに声を響かせる。

 シノブには魔力波動で我が子の気持ちが伝わっていた。リヒトは母なる女神と触れあいを喜び、是非にと返したのだ。


「嬉しいですよ」


 アムテリアも慈母の笑みを浮かべている。彼女は心を読めるから、シノブより明確にリヒトの意思を感じ取ったのだ。


 遍く照らす存在が微笑んだからか、桜が織り成す天蓋(てんがい)の向こうでも光が強まったようだ。そして降り注ぐ陽光は集った者達の心を温かくし、(おもて)を緩めてくれた。


 お読みいただき、ありがとうございます。


 今回から週一度の更新とし、次回は2019年1月19日(土)17時の更新とさせていただきます。

 少々私生活が多忙になったのが主な理由ですが、思いがけず長期化した他の連載作品を進めたいというのもありまして。本作をお読みの方々には、大変申し訳なく感じております。


 以下、前回以降の関連作品更新状況です。


・設定集 第111話、第112話

・異聞録 第50話、第51話(完結)


 上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。


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