27.32 アミィ、未来を想う
アミィは微笑みを浮かべていた。
夢の王国に縋っていた魂は、シノブが輪廻の輪に戻した。生命の大樹は元通りに緑豊か、祖霊スープリも再出発を決意した。
まさしく全てが丸く収まったと言うべき状態だ。この大成果を祝福するように、朝日がアマノ号を照らしている。
今はアマノ号を大樹の南に広がる草原に降ろし、運び手の朱潜鳳達も含めた皆でシノブを囲んでいる。
天駆ける戦乙女となったシャルロット達、乗せて飛んだオルムル達、地上で陽動したイヴァール達。もちろん救い出した玄王亀ラシュスや同族達、彼らを運んだ光翔虎達、それに夢の技で大活躍した魔霊バクに操命術士達。集った全てがシノブの言葉に耳を傾けている。
その中でも一際明るい笑みを浮かべる者達に、アミィは顔を向ける。それは自身の妹分や同僚だ。
──シャミィ、良かったですね──
アミィは思念の対象を自分と同じ眷属だけにした。シノブの話を邪魔したくないし、少し内密な話をしたかったからだ。
──アミィお姉さま?──
──ウーシャさんのことですよ。貴女、気になっていたのでしょう?──
シャミィは怪訝そうな様子で小首を傾げる。そこでアミィは彼女に寄り、細い肩に手を置いた。すると妹分は頭上の可愛らしい狐耳を震わせる。
アミィと金鵄族のホリィ、マリィ、ミリィの外見は十歳か僅かに上。そして同じ天狐族のタミィが七歳くらい、シャミィは五歳程度でしかない。
そのためシャミィを後ろから抱き寄せると、自然と彼女の狐耳を見下ろす形になるのだ。
──はい……ウーシャさんと会ったとき、私と似ているように感じたのです──
シャミィは身を委ねつつ、ゆっくりと語り始める。それにタミィ達も聞いているようで、四人の気配が僅かに揺れる。
シャミィは先日生まれ変わったばかり、前世はカン地方で聖人小无として知られる眷属だ。しかしシノブが再誕させたとき、彼女は記憶の殆どを失った。
そして祖霊ウーシャも生前の記憶に加え、僅かだが前世を覚えていたらしい。まだ創世の時代に近い昔、スープリの妻ラートミだったころを。
それ故ウーシャはスープリと共にエルフの森の再建に尽くすことになったが、この再出発もシャミィは自身と重ねているようだ。
──前世の微かな記憶ですか~。でも、イーディア地方に行きたいって言い出したのは~?──
──啓示を授かったのよ……たぶんだけど──
ミリィが興味津々といった様子で訊ねると、マリィが神々からの指示だと返す。
神々が眷属に語りかけることは多いし、アミィも数え切れないくらい経験している。新たな神具を授かったときに使い方を教わったり、転移の神像を造ったときに声をかけてもらったり、ここにいる六人の中でも多い方だろう。
そういった明示的な語りかけとは別に、神々が密かに導く場合もあるようだ。どういうわけか気になる、といった無意識下の誘導である。
おそらくシャミィがタミィに付いていくと手を挙げたのは、こちらだろう。
──そうかもしれませんね。一緒に行くと言い出すまで、こちらに興味を示したことは無かったですし──
──シャミィ、どうなのでしょう?──
──た、たぶん……そうだと──
問うたタミィとホリィ以外、つまり自分を含む三人も答えを待っていると感じたのだろう。シャミィは少しばかり緊張した様子で応える。
多くの場合、眷属は直前の生を明確に記憶している。これは最後の生で眷属に相応しい魂に成長したから、つまり眷属としての基礎がある故という。
しかしシャミィは、シノブが新たな体を与える前を殆ど覚えていない。そしてウーシャに惹かれたのが似た境遇からの共感なら、啓示を授ける対象が彼女になったのも理解できる。
──なるほど~。てっきり私の修行が足りないのかと思いましたよ~──
──貴女は修行しなおしで良いと思うけど? また変なことを教えたみたいだし──
──アマノ戦法……本当に懲りないというか──
──はい! ミリィさんは反省すべきです!──
冗談めかしたミリィの発言は、どうも墓穴を掘ってしまったらしい。まずは姉貴分のマリィ、更に真面目なホリィにタミィと断罪が続く。
教えた相手、朱潜鳳のガストルは思念で叫んだのみだった。そのためアミィは注意だけで良いと思ったが、どうも三人は何らかの罰を望んでいるようだ。
残る一人、シャミィは緊張気味のようで狐耳をピンと立たせたまま動かない。たぶん意見を求められたらと身構えたのだろう。
──後でシノブ様にお伺いしましょう──
──そ、それが良いです~!──
アミィが先送りすると、ミリィが面を輝かせた。一方ホリィ達は不満を顕わにする。
基本的にシノブは厳しい処罰を望まないし、今回程度なら注意するようにと諭す程度だろう。そのように四人は受け取ったらしい。
──ミリィ、安心するのは早いですよ。シノブ様はスープリの件で、統治者なら敢えて厳しくすべき時もあると学びました。ですから今までのように許していただけるとも限りません──
アミィは少しだけ脅しておくことにした。もっともシノブにとって大きな意味があったという部分は、本心からである。
スープリの輝く理想は、醜い妄執の徒に食い荒らされた。これはシノブの心に強く残ったようだ。
もっとも今はベーリンゲン帝国が滅びて僅か一年ほど。誰もが帝国時代の圧政を覚えているし、語り継ぐ者も大勢いるから問題ない。
──でも数十年後、アマノ王国しか知らない世代だけになったら? 今の平和を貴重だと理解できるでしょうか?──
かつてアミィが見守ったメリエンヌ王国は、ベーリンゲン帝国という明確な脅威が存在した。そのため五百五十年もの長期に渡り、国を律する根本は揺らがなかった。
それでも先代フライユ伯爵クレメンのように、帝国に寝返った者達がいる。ましてや敵らしい敵を持たないアマノ王国なら、一世代か二世代もすれば箍が緩むのでは。
このような漠然とした不安を、アミィも感じていたのだ。
──そうならないよう、頑張ります!──
腕の中で、シャミィが力強く宣言する。
シャミィの前世シャオウーが去った後のカン帝国も、変質により瓦解した。シャオウーが教え導いた神角大仙は弟子の英角に殺され、世のための技を邪術へと捻じ曲げられた。
おそらくシャミィの中で、これらとスープリの事件が重なったのだろう。
──ええ。私達がシノブ様を支え、先々の備えを残しましょう──
アミィは妹分に応えつつ、遥か未来へと思いを巡らせる。
それは何十年、あるいは百年以上も先。シノブがアマノ王国を去る日だ。
◆ ◆ ◆ ◆
リヒトや彼の弟妹が立派な大人になり、シノブが王位を譲ってシャルロット達と共に表舞台から退く日。このとき自分達もシノブと共に旅立つ。
次代のことは次代が責任を負うべきだし、初代が延々と統治するようでは他に柱のない危うい国になる。そのため最近のシノブは出来るだけ手出しを控えているらしい。
少し早すぎる気もするが、神の血族が全力を注ぐのも問題だ。それはアミィも承知しているから、まずは思う通りにと見守っている。
とはいえ確かな基礎を残さず去るわけにもいかない。
アマノ同盟全体なら現時点でも二千万人ほどもいるし、おそらく星の総人口の一割や二割に相当する筈だ。カン地方にスワンナム地方、ここイーディア地方にも加盟を待つ国は数多い。
次代に譲るころには星の全てがアマノ同盟に加わるだろうと、アミィは思っている。
──頑張ってね! 最近のシノブったら妙に物分かり良いけど、逆に少し心配だから──
──アルフール様……それで試練をお授けになったのですか?──
唐突に響いた声は、森の女神アルフールのものだ。しかしシノブ達には聞こえていないようだし、眷属でも自分以外は気付いた様子がない。
そのためアミィは少々突っ込んだところまで踏み込む。こうして語りかけてくる以上、伝えるべき何かがあると思ったのだ。
──そうよ。この森の事件って、ちょうど良いと思ったのよ──
──貴女の不手際でしょうに……。それに前から感じていたけど、貴女は甘やかしすぎよ! どこのエルフも自分達を特別視しているし──
あっけらかんとアルフールが言い放つと、更なる乱入者が現れる。今度はデューネ、海の女神だ。
母なるアムテリアを別にすると、女神はデューネとアルフールのみだ。しかも六柱の従属神ではデューネが五番目でアルフールが末子とされている。
そのためだろうが、この二柱は特に仲が良い。
──色々難しいの! デューネお姉様は魚くらいしか相手がいないから楽でしょうけど!──
──海の全てを預かるのが、どれほど困難か分からないの!? この星の七割以上よ!──
女神姉妹の親密さは、時として遠慮ない言い合いや技の応酬に繋がる。しかし眷属の分際で口を挟むわけにもいかないから、アミィは行儀良く聞き流す。
残る四柱の従属神は上から闇の神ニュテス、知恵の神サジェール、戦いの神ポヴォール、大地の神テッラだが、言い争いなど聞いたこともない。彼らが男神だからか、単にデューネとアルフールの個性なのか、アミィとしては判断に迷うところではある。
何しろ大神アムテリア、アミィ達が全ての母と崇める女神は穏やかそのものだ。どうして娘達だけがと、アミィは内心密かに首を傾げた。
──私は弟を鍛えてあげたいの!──
──物は言いようね! 貴女なんて、すぐにシノブに抜かれるわよ!──
従属神達は心を読めないという。現に今もアルフールにデューネが言い返しと口論が続き、アミィの疑問に気付いた様子はない。
この辺り、最高神たるアムテリアと彼女を支える者の差なのだろう。アミィは自身の思考に沈みつつ、嵐が過ぎ去るのを待つ。
──わ、分からず屋のお姉様の相手をしている場合じゃなかったわ……。アミィ、森の騒動は終わり。スワンナム地方はメイリィがキッチリ見ているし、あっちは大丈夫よ──
どうもアルフールは、このままだと埒が明かないと思ったらしい。彼女は姉との言い合いを打ち切り、アミィへと思念を発する。
──貴女の保証なんて、当てにならないと思うけど?──
──うぐぐ……。つ、次はね、この馬鹿お姉様の番なのよ。少し先だけど、大航海が待っているわ──
からかうデューネを無視しつつ、アルフールは言葉を紡ぐ。
一方のアミィも、ついに本題に入ったと聞き逃さぬように神経を研ぎ澄ませる。しかし折悪しくというべきか、シノブの話が終わりを迎えた。
──デューネお姉様のせいで、少ししか話せなかったじゃない!──
──それで良いのよ。貴女は甘やかしすぎって言ったでしょ?──
──アルフール様、デューネ様、ありがとうございます。私達がシノブ様を支えますし、しっかり備えますので──
遠のく声に、アミィは礼儀正しく応じる。たとえ内心で思うところがあっても、それを思念に滲ませないくらいの修行は積んでいるのだ。
──シノブによろしくね! それと私の神域に遊びに来なさいって伝えて! デューネお姉様は後回しで良いから!──
──貴女こそ後になさい! アミィ、シノブを頼みますよ──
女神姉妹は仲良く言葉を交わしながら去っていく。
森と海。命の芽生える場所だからこそ、活力溢れる二柱が預かるのか。アミィは暫しの間、思考を彷徨わせる。
「アミィ、どうしたの? もしかして疲れた?」
いつの間にか、目の前にシノブがいた。
常の柔らかな表情で、声音に気遣いを滲ませつつ。どうやら女神達の訪れには気付いていないようだが、それ故に心配させてしまったらしいとアミィは察した。
「いえ、これでエルフの森も元通りですね! きっとアルフール様も喜んでいらっしゃいますよ!」
アミィは笑顔と元気良い声で誤魔化した。
女神達は秘密にしろと言わなかった。しかし大航海には多少の間があるらしいから、少しはシノブに休息をと思ったのだ。
「案外デューネの姉上にお小言を貰っているんじゃない? 『貴女の不手際でしょう?』とか言われてね」
「そ、それは……。ところでシノブ様、お帰りはどうしましょう?」
シノブの返答に少し驚いたが、別に思念を聞かなくても予想できるとアミィは思い直す。
女神姉妹の張り合いにはシノブも何度か巻き込まれているし、今回は森の事件だからアルフールをからかう良い材料だ。自分の同僚や妹分も同意見らしく、真顔を保っているが驚いた様子はない。
「ラークリとシースミは魔法の馬車の転移で送ろう……それにファリオス達も。終わったら俺達も転移でアマノシュタット、これなら向こうの夜明け前に帰れるね」
シノブは手早い帰還を望んだ。
ラークリ達だが、念のために長のビーシャパに呼び寄せ権限を停止状態で付与している。ファリオス達の『操命の里』も同様だ。
超越種達は棲家の至近に転移の神像があるから、魔法の家にある転移の絵画を使ってもらえば良い。それに馬車にも転移の絵画はある。
そのため一同は十分もしないうちに、それぞれの居場所へと戻る。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブは東域探検船団のナタリオ達に通信筒で概要を伝え、エルフ達と計らいつつ帰還の支援をするように手を打った。一方アマノシュタットは日の出前だから、宰相ベランジェ達に伝えるのは後回しだ。
そこでシノブ達は催眠の魔術を使い、暫しの眠りに就く。
「リヒト~、みんな~、おはよう~」
「今日も元気ですね。良いことです」
あれだけの大事件の後にも関わらず、シノブとシャルロットは普段通りの時間に目を覚ます。
睡眠時間は三時間弱、催眠の魔術で調整したとはいえ普通なら寝不足だろう。しかし片や神の血族、片や神々の加護を強く受けた存在だ。
どちらも充分に眠ったとしか思えぬ爽やかな笑顔で育児室に入る。
「おはようございます!」
アミィも神の眷属だから、僅かな睡眠時間で充分だ。タミィとシャミィも既に起き、リビングでお茶の仕度をしている。
「お~! と~、ま~、あ~!」
リヒトも二人の子だけあり健康そのもの、今日も全力のハイハイで父母を目指して突き進む。
まだ生後五ヶ月を過ぎたばかりだが、数ヶ月は上としか思えぬ体格の良さだ。もし知らぬ人が見たら、そろそろ立つのではと誤解するだろう。
それに赤ちゃん語も随分と多様になり、今は『おはよう、父さん、ママ、アミィ』と言ったらしい。これはアミィの欲目ではなく、確たる証拠があってのことだ。
『おはようございます! リヒトも皆さんにおはようって言っていますよ!』
岩竜オルムルには、最高神アムテリアから授かった感応力がある。その彼女が断言するのだから、リヒトが自分達に朝の挨拶をしたのは間違いない。
「ありがとう……あはは、くすぐったいよ!」
シノブはオルムルに手を伸ばしながらも、笑いを響かせる。
今のオルムルはシノブの肩の上に舞い降り、更に自身の頭を擦り付けるのに忙しい。これは家族など、特に親しい相手への挨拶だ。
『随分と思念らしくなってきましたね!』
『私達の弟ですから!』
『そろそろ歩けるかもしれませんね~!』
岩竜ファーヴ、炎竜シュメイに光翔虎フェイニー、三頭も宙に浮いてシノブへと飛びつく。
海竜リタンと嵐竜ラーカは東域探検船団に再合流した。そのため他は一歳未満、つまり『神力の寝台』で寝ている六頭のみだ。
「まだ歩くのは先だと思うけどな……アヴ君も八ヶ月くらいだったし」
「と~!」
視界の殆どを塞がれてしまったシノブだが、確かな足取りでリヒトに寄って抱き上げる。これはシノブが視力の他に魔力でも周囲を把握しているからだ。
シノブくらいになれば、目を瞑ったまま日常生活を送れるだろう。
「それでも早い方だと思いますが」
夫が口にした名に、シャルロットが更に笑みを深める。
アヴニールはシャルロットの同腹の弟、メリエンヌ王国ベルレアン伯爵コルネーユと第一夫人カトリーヌの子だ。上はシャルロットと異母姉のミュリエル、順当に育てば彼が次代のベルレアン伯爵になる筈である。
もっともメリエンヌ王国の法だと正式な継嗣と認められるのは十歳以上、そして彼が生まれたのは昨年の五月十一日だから残り九年少々はシャルロットがベルレアン伯爵継嗣である。
しかし弟の順調な成長に、これなら問題ないと予感したのだろう。シャルロットの笑みは満足げであり、誇らしげでもあった。
「リヒトも、そしてエスポワールも早いですよ!」
アミィはミュリエルと同腹の弟、つまりコルネーユの第二夫人ブリジットの子も挙げた。
リヒトと彼の叔父二人、アヴニールとエスポワール。この三人は最高神アムテリアの祝福を受けている。
それも誕生と同時に降臨して、直々に声を授かってだ。正直なところアミィにも、どんな成長をするか予想できなかった。
「シノブ様、シャルロット様……。リヒト達が三人で駆けっこする日も、すぐですよ。そして一緒に遊んで、どんどん強く賢い子に育って……。弟や妹、アマノ王国の子に他の国の子……数え切れない夢と未来を重ねるんです」
もちろん良い方向に育つだろうが、次世代の中核たる三人だけに細心の注意が必要だ。
とはいえ赤子のうちから気を揉んでも仕方ないし、今は文句なしの健康優良児にして知的発育も申し分ない。そのためアミィは喜びのみを表現する。
自分が子育てに関われるのは、リヒトの次の代くらいだろうか。その次となるとシノブも表舞台から退くだろうし、時々会いに行く程度かもしれない。
それまでに沢山の幸せを届け、沢山の幸せを貰おう。そしてシノブ達が創る夢の王国を少しでも長続きさせるのだ。
様々な種族が集い、様々な想いが重なり、明日に希望を抱き前進する者達の笑顔が満ちる場を。
「あ~!」
「リヒト……励まして、いえ……頑張るって言いたいのね」
手を伸ばす乳児に、アミィは感じたままを訊ねる。
まだ乳母達もいるが、いずれもリヒトが並の子ではないと充分に承知している。今朝の当番アネルダとイモーネも当然といった顔で見守るのみ、これぞ次代の王と言いたげに微笑んでいた。
「う~!」
まるで頷くようにリヒトの頭が揺れる。とうの昔に彼は首が据わっているから、おそらく実際に首肯したのだろう。
「俺達も負けていられないな」
「ええ、この子に良い国を渡さなくては」
あれほど忙しい毎日を送ってもシノブとシャルロットが全く苦にしないのは、このように我が子の激励があるからだ。
大きくなったリヒトに笑われないように、失望されないように。まだ若い二人だが、立派な親になろうと日々模索している。それが国父や国母としての意識に繋がり、周りにも広がっているのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
アマノ王国の王宮『白陽宮』には託児所がある。その名も『白陽保育園』、乳児用と一歳以上から五歳までの二つを備える本格的な施設だ。
しかし今、一方に珍客が居座っている。
「リヒト~、あれだけ意気込んだのに今日の仕事は無しだって~。お父さんガックリだよ~」
「う~?」
うつ伏せに寝そべるシノブの前で、お座りしたリヒトが不思議そうに首を傾げた。
リヒトがいるのは当然ながら一歳未満の方だ。そのためシノブの周囲は赤ちゃんばかりである。
シノブとシャルロットは勇んで早朝訓練を済ませて食事をし、朝議へと向かった。しかし宰相ベランジェを始め、今日の仕事は休暇だと二人に告げたのだ。
しかもミュリエルとセレスティーヌも合わせて休ませ、家族水入らずで遊んでこいと厳命された。そこでシノブは我が子と会うべく『白陽保育園』に向かったが、何故か出かけずに居ついてしまった。
これにはアミィも目を丸くしたが、彼が安らぐならばと見守ることにした。しかし途中から少し風向きが変わってくる。
「シノブは人気者ですね……」
「殿方が珍しいのでしょうか?」
「自信を無くしましたわ」
「し、シノブ様ですから……」
まずはシャルロット、続いてミュリエルとセレスティーヌ。そして気落ちしたらしき三人を、アミィは焦りつつも慰める。
宰相ベランジェの娘から従士の子まで二十人を優に超えるが、大半はシノブに寄っている。そのため乳母達は休憩中、これでは気にするなという方が無理かもしれない。
「うぅ……」
「あ~!」
「レフィーヌはオシメだ。アネリオはお乳だね」
シノブはリヒトの隣に目を向けた。
そこには人族の女の子と虎の獣人の男の子がいる。女の子はベランジェの末娘、男の子は先ほどリヒトの育児室にいた乳母アネルダの子だ。
「陛下、ありがとうございます! さあ、アネリオ……」
「私はレフィーヌを!」
「お安い御用だよ」
慌てて駆け寄る乳母達に、シノブは横になったまま鷹揚に応じた。彼は魔力感知で察するのだが、乳母達も知っているから疑わずに授乳室や予備の部屋に駆け込んでいく。
シノブはリヒトのオシメも換えるし、ここでレフィーヌを着替えさせても良いとアミィは思う。しかし乳母達は国王の前でと遠慮したらしい。
「やっぱり子供は良いね……エルフの森の子もアマノ王国の子も。……イタッ! 髪を引っ張っちゃダメだって!」
シノブは魔力をヘルメット状に展開した。彼の頭に手を伸ばしていた子は、少し上を不思議そうに撫でている。
「まあ……」
これにはシャルロット達も呆れたようだが、起き上がるようにとは誰も言わない。実は最初、座り込んだシノブに登ろうとした子が多かったのだ。
シノブは魔力で支えたが、不可視の足場で平気なのは慣れているリヒトくらいだ。そこでシノブは乳児軍団に白旗を上げたわけである。
「シノブ様、今日はそのままですか?」
「これで良い気もしてきたな……リヒトも喜んでいるし、お友達も楽しそうだしね」
アミィの呼びかけに、シノブは顔を上げる。
つい数時間前に戦ったとは思えぬ、とても穏やかな顔。しかし同時に、何が起きるのかと言いたげな笑みも浮かんでいる。
「アヴニールとエスポワールをリヒトに会わせたらどうでしょう? それも、この『白陽保育園』で……レフィーヌちゃんもいますし」
アミィが記憶する限り、ここにシノブの義弟達が来たことはない。
それにシャルロットの母カトリーヌはベランジェの妹、つまりオシメ交換中のレフィーヌはアヴニールの従姉妹に当たる。しかし、この二人は未だ対面していない筈だ。
「良いですね。母上達もお連れしましょう」
「賛成です!」
「通信筒でお伺いしますわ!」
まずシャルロット、そしてミュリエルとセレスティーヌ。いずれも大賛成らしく、華やいだ声が続く。
もちろん反対する者などおらず、幾らもしないうちにカトリーヌとブリジットが幼子を抱いて現れる。それに、どう都合を付けたのかコルネーユまでやってきた。
「しの~! り~! ね~!」
「アヴニール、私は最後ですか?」
「しかも私達、纏められたような……」
アヴニールは一直線にシノブへと歩み、それをシャルロットとミュリエルが少々寂しげに見送る。確かに呼んだ順からすると最初がシノブで次にリヒト、最後が姉達だろう。
「諦めなさい。シノブは魔力で餌付けするからね」
「あなた、血を分けた息子と義理の息子ですよ」
「あ~、あ~!」
訳知り顔のコルネーユをカトリーヌが窘めるが、次男のエスポワールまで満面の笑みでシノブへと這っていく。
「エスポワールまで……」
絶句しつつ見送ったのは母のブリジットだ。
ブリジットは自身の子だけでもシャルロット達に向かわせようと思ったらしく、そちらに向けてエスポワールを降ろした。しかし母の心子知らず、彼は瞬く間に方向転換してしまったのだ。
『シノブさん、私達も混ぜてください!』
『通信筒で知らせてもらいました!』
「バブ~! ミリィちゃんも着任から一年ほど~! つまり一歳未満です~!」
「森の事件があったから、まだ誕生日を祝ってもらっていないものね……」
「マリィやミリィと違って一年過ぎていますし、誕生日も祝っていただきましたが……」
発声の術は、日々の鍛錬に出かけた筈のオルムル達だ。それにカン地方やスワンナム地方に赴任中の三人まで現れる。
「あの……アミィお姉さま、私達も休暇をいただけました」
「ご一緒して良いでしょうか?」
大神殿にも知らせが行ったらしく、タミィとシャミィも遠慮がちに顔を出す。
室内は大賑わいだが、ごく一部の例外を除いて眷属は子育て名人だ。それにオルムル達も日々リヒトの世話をしているし、先ほどのシノブのように魔力感知を活かして乳母達の手間を減らす。
「シノブ君! こんな楽しい場に私を呼ばないなんて、どうしてだね!?」
「先ほど『今日は私に任せたまえ!』と胸を叩いていましたが」
どこから嗅ぎつけたのか、宰相ベランジェが顔を出した。一方のシノブだが、乳児達が分散したから普通に座り直している。
これでシメオンとミレーユ、マティアスとアリエル、そして彼らの子がいればとアミィは思う。しかし四人の職場は省庁街、それに双方とも子供は生後一ヶ月少々で首も据わっていない。
「すぐに来るよ。アルベルトにフリーダ、そしてアルマスにフェリックス……秋にはアルバーノとモカリーナの子にナタリオとアリーチェの子、年末にはアンナとヘリベルトの子が生まれるし」
シノブはアミィが思い浮かべた子供達に、イヴァールの長男とアルノーの長男を加えた。
どちらも生後一ヶ月少々、そもそも伯爵領は遠いから『白陽保育園』に入らないだろう。しかし生まれていない子まで並べる辺り、シノブが思い浮かべる未来は更に先のようだ。
「メリエンヌ王国のエクトル殿下やベラントル殿下、カンビーニ王国のミリアーナ殿下やストレーオ殿下。アウスト大陸からチュカリさんの弟、ジブングちゃんも……」
「責任重大……でも楽しみですね。私達の夢を継いでくれるだろう子供達ですから」
アミィが更に名を挙げると、シャルロットが微笑みを向ける。
シャルロット達はシノブの側で待ち構える作戦に変えたらしい。既にアヴニールはシャルロット、エスポワールはミュリエルの腕の中だ。
そしてセレスティーヌはリヒト、こちらも慈母の顔で幼子をあやしている。
「無理やりは嫌だけど、これだけいれば誰かが継いでくれる……我が子と等しい愛情で育てたらね。それに、まだまだ続くさ……俺達の夢の担い手は」
シノブが語る未来は、アミィの夢想そのものだった。
夢を夢として保ち続けるために、同じ意思と情熱を受け継いでいく。強制ではなく、自らの意思で。
それが変容を防ぐ何よりもの特効薬。命あるものが創る、もう一つの輪廻の輪だ。
──アムテリア様、またシノブ様は大きくなりました──
アミィは窓の外に顔を向け、密かな思念を発した。シノブですら気付けぬくらい、抑えた波動で。
もちろん母なる存在は応えてくれた。大窓から差し込む春の光が、とても優しく柔らかく揺れたのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回から第28章になります。
なお次回ですが三週間後、2019年1月12日(土)17時の更新を予定しています。お待たせして申し訳ありません。