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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第27章 夢見る者達
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27.28 ナタリオ、新兵器を使う

 東域探検船団の総司令ナタリオは、主君からの知らせを待っていた。

 主のシノブがいるのはエルフの森。他国と交流がない上に今回の目的地エールルの里は、ここリシュムーカ王国の都市ブドガーヤから600kmほども離れている。しかし神具たる通信筒に距離など関係なく、たとえ星の裏側からでも届くという。

 魔力無線には転移を応用した超空間型も生まれたが、現在のところ通信距離は2000km程度だ。もっとも通常型だと半分ほど、それに魔力無線自体が誕生して一年少々だから順調極まりない進歩ではある。


 ただし超長距離型は家一つに匹敵するほどだが、通信筒は指一本分くらいと大きさが全く違う。それ(ゆえ)ナタリオは、手中の神具と人間の作った道具の差に改めて驚嘆してしまう。

 すると向けられた思いを感じ取ったかのように、通信筒が振動する。シノブからかはともかく、誰かがナタリオに(ふみ)を送ったのだ。


「……来たか!」


「奥方かもしれないよ?」


 ナタリオが思わず声を上擦らせると、からかい混じりでリョマノフが応じる。

 しかし冗談を口にしつつも、エレビア王子の金眼は鋭い光を放っている。彼もシノブからの知らせを待ち望んでいたからだ。


「今日は控えるように伝えているから……」


 頬が熱くなるのを自覚しつつも、ナタリオは平静を装う。

 通信筒は妻のアリーチェとの連絡にも使っているし、誰から届いたか開けてみるまで分からない。しかし今日は通信筒を使うことが多いだろうと、前もってナタリオは知らせていたのだ。

 そのため至急の用事でもない限り、アリーチェが手紙を寄越すことはないだろう。


 ともかく誰からか明らかにせねばなるまい。ナタリオは急ぎつつも風で紙が飛ばされないように注意して(ふた)を開ける。

 ここは探検船団の旗艦ゼーアマノ号の上だが、今は昼で天気も良いからとナタリオ達は甲板に出ていた。現在は都市ブドガーヤの港に停泊中、しかし青い海と異国の風景が楽しめると来客達を外に誘ったのだ。


「やはり陛下から!」


 周囲の視線を感じつつ、ナタリオは取り出した紙片を読み進めていく。

 ゼーアマノ号の甲板には乗組員の他に、多様な者達が集っている。多くを占めるのは夢の病から逃れたエルフ達、それにアマノ王国の首脳陣の姿もある。


 前者の代表格はエールルの里の(おさ)ビーシャパだ。彼女の脇には祖霊ウーシャが宿った鋼人(こうじん)もいる。

 もちろんエールルの里だけではなく、これまでにシノブ達が救出した里から(おさ)達も並んでいる。そのため甲板は細身の女性達で一杯だ。

 イーディア地方のエルフ達は、エウレア地方やアスレア地方の同族と少々見た目が異なる。長い耳や真っ直ぐな髪は西の仲間と同じだが、南国に相応しく褐色の肌と黒く艶やかな髪の持ち主なのだ。

 ただし女性が(おさ)として纏めていく体制は西と同じで、甲板に招かれた者に男は一人もいない。


 後者はナタリオからすれば見慣れた人々、ただしアマノ王国の中心人物ばかりだから船員達の顔には緊張の色が濃い。

 何しろ戦王妃(せんおうひ)シャルロット、宰相ベランジェ、内務卿シメオン、軍務卿マティアスと文字通り国を動かす柱石が揃っている。それに彼らを囲んでいるのもシノブの親衛隊長エンリオにシャルロットの側近たるアリエルにミレーユ、護衛騎士もマリエッタにエマなど綺羅星というべき者達ばかりである。

 そのため伯爵で『白陽宮』に招かれることも多いナタリオはともかく、船に詰めてばかりの海兵達が硬くなるのも無理からぬことだろう。


「試験は成功です! 『(ちから)フエイン』を加えたお茶の服用で、催眠の術を克服できました!」


「おおっ!」


「これで森を元に……」


 ナタリオの言葉で、船上が大きく沸く。

 まずはマティアスやリョマノフなど武人達の力強い響き、僅かに遅れてエルフの女性達が発した安堵の吐息だ。それにシャルロット達も華やかな笑みを浮かべている。


「アリエル、『(ちから)フエイン』の葉は充分にあるのでしたね?」


「はい。ファリオス殿が採集した千枚ほどで、一万数千回分のヒャクバインが作れます。ですから第一次の救出作戦には足りますが……」


 シャルロットの問いに、アリエルは『操命(そうめい)の里』での状況を伝えていく。

 ファリオスのみならず里の者達まで加わって薬効成分の抽出を急いでいる。そのため明日までには採取した全てを処理できるが、大軍を動かすには厳しい。

 薬効成分ヒャクバインを加えたお茶なら、最低でも一日は催眠の術を(しの)げるという。しかし仮に一万人規模の救出隊を編成したら、一日と少々で尽きるからだ。


「もう少し欲しいところだな」


 低い声で呟いたのは、アリエルの夫マティアスだ。彼は誰に言ったわけでもないらしいから、無意識のうちに言葉が漏れてしまったのだろう。


 同じ軍人としてナタリオは頷いてしまう。

 エールルの里の(おさ)ビーシャパによると、エルフの森の総人口は三十五万人ほどらしい。国というほどの結束はないため厳密に把握していないが、里の数などから推測する限りでは三十万人から四十万人程度なのは間違いないという。

 そしてエルフの森を支配する祖霊スープリの力を殺ぐには、少なくとも一割程度は救出したい。エルフ達を森から連れ出せばスープリに力を与えずに済むし、夢の病から解き放てるから一石二鳥だ。

 そのためナタリオ達は森の沿岸に軍船を派遣し、そこから海際の里に対する救出作戦を決行するつもりだった。


「エルフの森は海岸沿いに長く、1500kmほども海に接しています。しかも内陸には最大でも200km程度、海から進入すれば多くの地を対象に出来るでしょう」


「徒歩の行軍でも、お茶が効いている間に20kmほどは往復できますからね~。救助の時間を含めたら少し減るでしょうけど~」


 今度はシメオンとミレーユのビュレフィス侯爵夫妻だ。

 海岸沿いに展開した船からの上陸で、エルフの森の一割ほどを対象に出来る。つまり非常に乱暴な計算だが、三万五千人の救助が可能というわけだ。

 しかしヒャクバインは一万数千回分だから、一人の兵士が二人以上を助け出すことになる。


「救助の時間を少なく見積もりすぎでは?」


「確かにね! 案内はエルフの皆さんにお願いするとしても、初めて行く場所も多いだろうし……」


「はい。陛下はエールルの里で、近隣のエルフに襲われたそうです。もちろん陛下が鎮圧なさいましたが、行って帰るだけでは済まないかと」


 親友の楽観的な予想にアリエルが疑問を呈すると、宰相ベランジェも大きく頷いた。

 そしてナタリオも、シノブの(ふみ)の続きを紹介する。これもあって先ほどのマティアスの言葉に頷かざるを得なかったのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 これまでと同様に内陸はシノブが受け持つ。しかし多くを伴わず、アマノ号を使うが空船同様で巡るのみとする。

 これはスープリの聖地に近づくほど夢の病の力が増すと予想されるからだ。


 アマノ号を運ぶ朱潜鳳達は成体だから催眠の術に抵抗できるし、念のためにヒャクバイン入りのお茶も飲んでもらう。しかし万が一にでも墜落したら大惨事だ。

 最初と違って病の調査や試験は不要。しかもシノブの救助は短距離転移でエルフをアマノ号に飛ばすだけ、もし今回のように襲ってくる者がいても彼には正気に戻す手段がある。

 そこでシノブには身軽に動いてもらおうとなった。


「とはいえシノブ殿にお任せするだけというのも……」


『そうですね。海からなら私も手助けできますし』


『僕も期待していました』


 悔しげなリョマノフに、海竜リタンや嵐竜ラーカが和した。

 リョマノフは海からの救出に加わる予定、子竜達は運搬係を務めると張り切っていた。それにエルフ達の同意も得て探検船団の一部は南下を始めているし、磐船を持つ竜達もイーディア地方への移動を始めている。

 ただし空からの進入はせず、磐船を海上に(とど)める。仮に運び手が眠りに落ちても、海上なら漂流のみで済むからである。


 もし夢の病の影響力が(とら)われたエルフ達の数に比例するなら、救助を進めるほど有利になる筈だ。そのためリョマノフ達のみならず、多くが残念そうな様子を隠さない。


「それが、どうも新兵器があるようです。詳しくはシャルロット様に伺ってくれと……」


 生憎ナタリオはシノブの伝言に思い当たるものがなかった。しかしシャルロットに聞けば分かることと、彼女に顔を向ける。


「自転車ですね。まずは軍に回そうと大量に用意していますし」


「なるほど! あれなら移動時間を大幅に短縮できますな!」


「身体強化の得意な武人達なら、短時間で習得できますしね。何しろ私ですら数時間で乗れたほどです」


 シャルロットが自転車なるものを示すと、マティアスとシメオンが大きく顔を綻ばせる。そしてナタリオも三人から聞いたことを思い出し、笑みを浮かべた。


 自転車とはシノブがメリエンヌ学園の研究所に依頼して作らせた乗り物だが、王都アマノシュタットでの披露も数日前だからナタリオは目にしていない。

 しかし魔道具でもないのに普通の何倍もの速度で移動できると聞き、興味を示してはいたのだ。


「シノブの故郷では、銀輪部隊といって密林の移動に使ったこともあるそうです。軽いので担いで渡河できる上に、蒸気機関のように複雑な装置はないので濡れても問題ありません」


『里と里の間は道で結んでいますが、一部には渡し舟を使う場所もあります。ですから川を越せる乗り物は大いに役立つと思います』


 シャルロットが実用例を紹介すると、祖霊ウーシャがエルフの森にも適していると太鼓判を押す。

 ウーシャ達によると、エルフの森はエウレア地方やアゼルフ地方の馬が入るには暑さが厳しいらしい。それに馬は警戒心の強い生き物だから、よほど特別な調教をしていない限り水に()かるのを嫌う。

 ナタリオが知る範囲だと戦場伝令馬術に出る名馬ならどうかという辺りだが、それでは数が揃わない。


 暑さに適応させた短毛種のドワーフ馬を借りる手もあるが、こちらは乾いた土地の生き物だ。砂漠沿いならともかく湿度の高い密林で動けるか疑問だし、ましてや渡河など受け付けない可能性が高い。


「ゾウを運ぶのは大変だしな……無駄足になったヴァサーナ達には悪いが」


 婚約者を思ったのか、リョマノフは柔らかな笑みを浮かべている。

 イーディア地方の乗り物として一般的なゾウは(きょ)せる者が少なく、思い当たるのはアフレア大陸出身のエマ達くらいだ。それに船に乗せるには重過ぎるし、ゾウが入れるほど太い道も少ないという。

 しかしナタリオ達の勧めもあり、エルフ達はリシュムーカ王国にも事情を明かすことにした。状況次第では同国への移住を願うかもしれないから、早めに伝えておくべきとなったのだ。


 そこでキルーシ王女ヴァサーナやアルバン王太子カルターンなどが、一部のエルフと共にリシュムーカの王都へと向かった。

 この一行にはブドガーヤの太守も加わったから、伝令用のゾウを乗り継いで王都パータプーラへと急いだ。そして先刻、通信筒により王都への到着と国王バハラマナの快諾の知らせがあった。

 このようにリシュムーカ王国が厚遇を示すのは、北の隣国アーディヴァ王国での件を承知しているからだ。彼らはシノブ達がアーディヴァ王を正気に戻したと知り、これで好戦的な隣国に怯えずに済むと大喜びしたのだ。

 そのため国王バハラマナを始め、東域探検船団の到来を心待ちにしていたという。


「ゾウ部隊には、リシュムーカ王国が接している北側を受け持ってもらいましょう。少なくとも森の外では運んでもらえますし」


「そうですな。こちらから持ちかけたのに全く不要とも言えますまい」


「早速アレクベール殿に伝えましょう」


 シャルロットとマティアスが割り振りを決め、ナタリオはパータプーラにいる副司令に連絡すべく動く。

 アレクベールはアマノ王国およびアマノ同盟の外交官として、ヴァサーナ達と行動を共にした。そして先ほど通信筒で向こうの状況を伝えてきたのは彼なのだ。


「自転車か……どんな乗り物なのかな」


「楽しいですぞ。斜面を上手く使えば川くらい飛び越えて進めます」


「エンリオ殿、落ちたら大変じゃぞ?」


 期待を滲ませるリョマノフに、エンリオがアマノシュタットでの試乗会の様子を伝えていく。しかし彼が示したのは身体強化を存分に使った走法だから、公女マリエッタが(あき)れたような顔で口を挟む。


「濡れても良い装備、海軍から借りなくちゃ」


 一方マリエッタの親友エマは、妙に現実的な心配をしていた。

 確かに護衛騎士の華麗な軍服で川に落ちたら後が大変だが、そもそも彼女達まで借り出されるのだろうか。いや、口にするくらいだから志願してでも加わるに違いない。

 (ふみ)を通信筒に投じたナタリオは、意気軒昂な武人達へと顔を向けた。もちろん自身も救出作戦に参加すると、意思表示するためだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 幸いにしてナタリオの願いは(かな)えられた。彼は海からの救出部隊の一つを率いることになったのだ。


 現在エルフの森の海岸線には、二十隻もの磐船が展開している。普段の運び手である岩竜や炎竜のみならず、海ならばと海竜も名乗りを上げたのだ。

 更に嵐竜や光翔虎も既存の船を曳航すると言い出した。確かに引綱を付けて低空を飛翔すれば問題ないから、これも殆ど同数が用意される。

 もちろん東域探検船団の船も加わり、大小合わせて五十隻近くがイーディア半島の西海岸沖に並ぶ。この船ごとに指揮官が配され、その一人にナタリオも選ばれたわけだ。


「それでは第四銀輪部隊、出動!」


「はっ!」


 ナタリオの掛け声で、軍用自転車に跨った一団は内陸へと走り出す。

 練習は昨日のみだが、いずれも長年乗ったような落ち着きぶりだ。あっという間に彼らは速度を上げ、木々の上から朝日が覗く森へと突入する。


「良い道があるから助かります」


 ナタリオは併走する自転車、正確には荷台に跨った男性エルフへと顔を向けた。ちなみに漕いでいるのはナタリオの部下の一人、同じガルゴン王国出身の獅子の獣人ダトスである。


 この辺りは踏み固められた道、それも二台並んで走れるくらい太い。それに軍用自転車は体力自慢の乗り手に合わせた高速型、しかもバネを使った衝撃を和らげる機構もあるから快適そのものだ。


「ここは海も活用しているようです」


 男性エルフの言葉通り、この道は海産物を運ぶのにも使っているらしい。道には手押し車のものと思われる(わだち)が存在する。


「広くて良かった……後ろは荷車も()いていますから」


 ダトスは一瞬だけ振り向いた。

 後続の大半は救出したエルフを乗せる荷車を付けていた。とはいえ数人を運べる程度、しかも木製で軽いから全て遅れずに付いてくる。


「これは楽しいな」


「はい。天気は良いし暖かい……それに森の緑や花も目を楽しませてくれます」


 吹き抜ける風は爽快、緑の屋根を通して降り注ぐ光も美しい。そのためナタリオは指揮官らしからぬ言葉を口にしてしまうが、ダトスも同じことを考えていたらしく感嘆の滲む声で同意してくれた。

 もっとも最初の目的地は海辺から近く、和やかな走行は僅かな間で終わってしまう。


「救出開始!」


「それじゃマレマレ、頼むよ!」


「キュイキュイ~!」


 ナタリオは救出の実施を宣言すると、魔獣使いのチュカリと魔霊(まれい)バクのマレーナが進み出る。そしてマレーナは眠りに干渉する能力を使い、里のエルフ達を夢の病から解き放つ。


「凄い……。効果もですが、この魔力量……」


「そうですか……ともかく喜ばしいことです」


 エルフの男性はマレーナの魔力波動を感じ取ったようだ。ナタリオは虎の獣人だから分からないが、大魔力を持つ彼らが言うのだからと頷きで応じる。


 ちなみに他の救出隊も、魔霊(まれい)バクを連れている。いずれもマレーナと同じくスワンナム地方のバイタハ山に棲んでいる者達だ。

 昨日マレーナはバイタハ山に戻り、自身の知り合いに声をかけてくれたのだ。どうも魔霊(まれい)バクとは、かなり高度な知能を持つ魔獣らしい。


「キュイキュキュ~!」


「終わったよ!」


「突入!」


 チュカリの言葉を受け、ナタリオは突入を命じる。

 ナタリオは魔獣使いの技を使えないから、こうやってチュカリを介してやり取りするしかない。他も同様に『操命(そうめい)の里』や『(ファ)の里』から来た術士が仲介役を受け持っている。

 しかし極めて有効な手段であるのは確かで、突入していった隊員達は僅かな間で里のエルフ達を担いで戻ってくる。


「これだけの数、担いでは運べんな」


「ああ。この先も荷車が通れると良いが」


 隊員達はエルフを荷車に寝かせながら雑談をしている。あっさり救出できたから拍子抜けしたのだろう。

 とはいえ動きは機敏だし、することはしている。それ(ゆえ)ナタリオも水を差さずに見守るのみだ。


「これで全てか……」


「マレマレが感じ取れた人は……だけどね。もし里から離れていたら……」


「帰ったら空き家ばかり、驚くでしょうな」


 ナタリオの呟きに、チュカリとダトスが応じる。

 伝言を残していくから、もし正気なら自身の足で海まで来てくれるだろう。この里の先にも進むから帰りに拾えるかもしれない。

 そこでナタリオは、次の段階に進むことにした。


「ダトス、ポルト、ラミスは先行して偵察! 私は一旦戻り、この者達の収容を見届ける!」


「はっ! ポルトとラミスを連れて先行します!」


 ナタリオの命令にダトスは復唱し、同僚の二人と自転車を走らせる。ダトスと同じくポルトとラミスもエルフを後ろに乗せているから、六人一組での先行だ。

 スープリに操られたエルフに襲われる可能性もあるから偵察も命懸けだが、三人とも騎士に昇格しただけあり落ち着いた表情で去っていく。


「それではチュカリ殿、海まで戻ろう」


「うん! マレマレ、頼むよ!」


「キュイ!」


 ナタリオは自転車、チュカリはマレーナに跨って走り出した。更に二人と一頭を、荷車を()いた自転車の一隊が追いかけていく。

 先ほど通った道だから、幾らもしないうちにナタリオ達は海岸へと出る。そして海岸には、別の操命(そうめい)術士と魔獣が待っていた。


「ジョー、頼むぞ!」


「ガーガガガ! ガガー!」


 術士に叫び返したのは、ジョーという名の浄鰐(きよわに)だ。先月下旬、光翔虎のフェイニーを乗せた個体だ。

 ジョーは人間の大人の十倍もある巨体を波打ち際で横たえており、その背に森猿がエルフを抱えて乗っていく。里から救い出したエルフは昏睡状態だから、支える者が必要なのだ。

 他にも数頭の海猪(うみいの)が控えており、こちらも沖で待つ磐船への運搬を始めた。


「わざわざ見に来なくても良かったかも!」


「確かに。でも、荷車の護衛もあるからね」


 チュカリの一言にナタリオは微笑みで応じると、再び内陸に自転車を向けた。

 これから幾つもの里を巡る予定だから、のんびりしていられない。チュカリやマレーナも同じ思いらしく、こちらも素早く向きを変えている。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 残念ながら、海辺の里のように楽な場所ばかりでもなかった。

 エルフが住むだけあり森は豊か、つまり水に恵まれている。当然ながら河川も多く、ナタリオ達は度々渡河をする羽目になったのだ。


「この川、魔獣はいないだろうな……」


「心配するな! エルフの方々が保証してくれた!」


 自転車を担ぎながら呟く兵士に、ダトスが士官らしく叱責する。

 幸い歩いて渡れる程度だが、中央まで進んだ兵士は胸の近くまで()かっている。それに彼らが担いだ自転車は荷車を繋いだままで、後ろでは別の兵が支えながらの進軍だ。

 これはナタリオも例外ではなく、自身の自転車を持ったまま水に入る。


「お先に~」


「キュキュイキュ~」


 横ではチュカリがマレーナの背から手を振っている。魔霊(まれい)バクは泳ぎも得意だそうで、実際にマレーナは練達の泳者に劣らぬ速さで向こう岸に上がる。


「いいなあ……」


「愚痴を(こぼ)さず足を動かすんだ!」


 今度はポルトが兵を叱咤する。

 ナタリオを含め、士官でも腕の立つ者は『波翅離洲駆(ばしりすく)』という南方水術の技を修めている。そのため荷物さえなければ水面を走って越えることも可能だが、軍用自転車は頑丈な代わりに重さも相当あるから今は無理だ。


 それはともかく全員が体力自慢の獣人達、しかも身体強化を得意とする者ばかりである。したがって多くの場合は短時間で渡河を終えて先に進む。


「濡れた体を乾かす魔術か……流石はエルフだな」


「抽出の魔術で体の表面の水を飛ばすそうだ。間違えて体内まで対象にしたら大変だな」


 川から上がった後、エルフの術で水気を取った。そのため自転車での走行も快適そのもの、兵士達は遠足気分である。

 深い森とはいえ、エルフ達からすれば生活領域だ。特に道のある場所など子供でも行き来できるほど安全だから、気が緩むのも無理はないだろう。

 しかし数度目の河では、兵士達も余裕を示すどころではなかった。そこには百人近くのエルフが弓を構えて待ち構えていたからだ。

 どうも相手はスープリの支配下に落ちているらしく、味方のエルフが呼びかけても矢が返ってくるだけである。


「キュキュイ、キュキュ~!」


「ダメだ! 距離がありすぎるって!」


 心なしかマレーナの鳴き声も切羽詰まって聞こえる。チュカリが叫んだ通り、眼前の河は小村なら丸々収まってしまうくらい広かったのだ。

 そのため魔霊(まれい)バクが持つ夢に干渉する力も届かないが、かといって降り注ぐ矢の中を渡れる筈もない。


「向こうは射手だけのようですね。魔術が得意なら活性化や集中力向上の術で支援するでしょうし、魔術師なら短杖(ワンド)などを携える筈です」


「とはいえ川幅が……。残念ですが、ここは諦めるしかありません」


「しかし、ここを渡れば更に幾つかの里を解放できると……」


 案内役のエルフ達は撤退を進言するが、ナタリオは打開策を模索し続ける。

 この河を越えて矢を命中させるだけの腕を、自分達は持っていない。向こうはエルフの弓達者で更に殺しても構わぬと連射しているが、こちらは命を奪わずに制圧しなければならないからだ。

 おそらく自分では届かせるだけで精一杯、それも隊員の多くには無理なこと。つまり攻撃手段すら(ろく)にない。

 かといって動きの不自由な水中では良い的である。


「荷車を盾にして渡りましょう!」


「しかし上陸したら矢が降り注ぐだけだ」


「それに強弓なら荷台くらい貫く……俺だって近くなら出来るぞ」


 ラミスの提案を、ダトスとポルトが即座に却下する。

 村一つ分に相当する遠矢を放つほどだから、至近なら木製の荷台など容易に貫通するだろう。しかし見渡す限りだと岸に障害物は存在せず、他に頼るものもない。

 矢を切り払いつつ渡るにしても相手が多すぎる。地上なら躱せても、水の中で百人の矢を(しの)げるとは思えない。


「やはり水上を渡るしかない。俺が切り込むから、お前達は荷車を盾にしてチュカリ殿とマレーナを守りつつ続け」


「しかし……」


 ナタリオの宣言にダトス達は絶句した。

 以前ダトス達はナタリオの結婚式の余興として『波翅離洲駆(ばしりすく)』を披露した。そのときシノブが用意した水路は50mほどだが、それでも渡りきったのはダトスのみである。

 しかも目の前の大河は十倍近い幅があるようだ。ダトス達は主と仰ぐナタリオならと思いつつも、絶望的な距離と感じてもいるのだろう。

 しかし他に方法はないと思ったのか、誰も反論せぬままだ。


「私は東域探検船団の総司令、アマノ王国イーゼンデック伯爵ナタリオだ! 王国海軍元帥の技、とくと見よ!」


 ナタリオは小剣を抜き放ち、更に自身に気合を入れようと絶叫する。

 イーディア地方のエルフ達が東域探検船団やアマノ王国を知る筈もない。それに邪術で支配された相手に、どれだけの理解力が残っているかも不明である。

 実際に対岸のエルフ達は表情すら変えずに矢を放ち続けている。


「行くぞ!」


「はい!」


 ナタリオが駆け出すと、ダトス達も指示通りに動き始める。とはいえ間を空けずに続いたら的になるだけだから、三人は手近な荷車を担ぎ上げて用意したのみだ。


「ナタリオさん、頑張って!」


「キュキュ~!」


 背にチュカリとマレーナの声援が届くが、それも僅かな内だ。ナタリオは疾走しつつ矢を切り払っているし、時速100kmを超える疾走だから蹴立てる水の音も激しいのだ。


「シノブ様……アリーチェ……俺に力を!」


 ナタリオは慕う主君と愛する妻の名を唱え、限界を超えた疾駆を続ける。

 おそらくは十秒少々、しかし体感的には何十倍も長く感じる。身体強化で反応速度を増しているから、その分だけ時間が引き伸ばされたように錯覚するのだ。

 とはいえ感覚を含めて強化しないと、雨のように降り注ぐ矢の的になってしまう。そのためナタリオは肉体を酷使する痛みに耐え続けた。


「渡りきったぞ!」


 河を越えればナタリオに敵はない。魔力は大きく減じたが、後ろに続くチュカリやマレーナを守るためにも剣を振るい続ける。

 先ほどと同様にナタリオは姿が消えるほどの速さで駆け回りつつ、弓を切り払ってエルフ達を当て身で気絶させていく。そして彼の高速戦闘に追随できる者はおらず、全てが倒れ伏した。


「凄いね……アタシも虎の獣人だけど、マネできそうもないや」


「私は……魔獣と会話できない……。だから……お互い様だよ」


 (あき)れを顕わにしたチュカリに、ナタリオは笑みを返す。

 既にマレーナは夢の病への干渉を始めているし、ダトス達も渡河を終えて周囲を固めている。そのためナタリオは小剣を腰の鞘に収めていた。


「ナタリオさん、大丈夫? 無理したんじゃない?」


「ああ……。だけどね、人の意思を踏みにじるなど絶対に許せない……。私は自身の意志で陛下に剣を捧げているが、この人達は……」


 チュカリを安心させようと、ナタリオは息を整えつつ応じていく。

 一時的な肉体疲労はあるが、充分に耐え切れる。それに多くの者を邪術から解き放ったという満足感で、疲れなど吹き飛んでいく。


「うん! アタシもシノブさんのところで働く日を夢見て頑張っているんだ!」


「キュキュ~!」


 これなら大丈夫と安堵したらしく、チュカリは笑顔になった。そしてマレーナも解放を終えたようで、少女の言葉に和すように鳴く。


「もう(かな)っているよ。こうやって一緒に働いているじゃないか」


 ナタリオの言葉に、チュカリは更に顔を綻ばせる。

 やはり子供達には未来を夢見てほしい。邪術による夢ではなく、自分達が本当に成長した将来を。

 しかしナタリオは、自身の思いを口にせずに飲み込んだ。まだ自分も十七歳、多くの者から未来に羽ばたけと言われる身だからである。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2018年12月12日(水)17時の更新となります。


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