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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第27章 夢見る者達
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27.24 ミレーユ、夢に挑む

 ミレーユは強い(いきどお)りを覚えていた。

 シノブが助け出したエルフ達、エールルの里の人々は死に(いざな)う夢から()めた。しかし彼らは魔力の消耗が激しく、立ち上がれないほどだったのだ。

 これは夢の病がエルフ達の魔力を吸い取ったからだという。ミレーユは魔術に(うと)く確かなことは分からないが、シノブ達が断言したなら間違いないと受け取った。


『やはりスープリの仕業でしょう。このように大規模な術、神々や眷属の他に成せる者がいるとしたら長き時で修行を積んだ祖霊のみかと』


 重々しい声を響かせたのはウーシャ、遥か昔エールルの里の住人だったという女性だ。

 現在ウーシャが宿っているのは女性型の鋼人(こうじん)だから、声自体は柔らかい。しかし語る内容からか、彼女の言葉はミレーユの心に暗雲を生じさせた。


 ウーシャも祖霊だが、自分はスープリの足元にも及ばないという。

 スープリが人として生きていたのは創世に近い時代だ。それに対しウーシャは祖霊になって百数十年しか経っておらず、力の差は大人と赤子ほどもあるらしい。


「まさかスープリ様が……」


「しかし、ウーシャ様のお言葉ですよ」


 エールルの里のエルフ達は驚きも顕わに言葉を交わす。

 スープリはイーディア地方のエルフからすると伝説の聖人、祖霊と化したのも広く知られている。つまり彼らにとっては神に近い存在だ。

 一方のウーシャだが、こちらは大袈裟に表現すれば祖霊になって僅かだから鋼人(こうじん)に宿るまでは里の者と語らう(すべ)すら持っていなかった。しかしエルフの平均寿命は二百五十年ほどで中年以上ならウーシャの生前を知る者もおり、彼女が当時の細かな事柄を挙げると納得した。


「僕達を眠らせたの、スープリ様なの?」


「魔力を吸い取っていたなんて……」


 子供達の中には涙を浮かべている者すらいる。

 魔力を奪われたのは里にいた全て、つまり赤子も含まれている。既にシノブが魔力譲渡したから無事だが、もし長く続いたら命を落とした筈だ。


 ミレーユが憤慨を覚えたのは、この卑劣極まりない所業だ。

 赤子を巻き込むなど、よほどの悪人でも躊躇(ためら)うだろう。ましてや相手は善なる祖霊と称えられた存在なのだ。

 最高神アムテリアや彼女を支える従属神達と違い、祖霊には善悪の双方がいるという。祖霊は善なる神々に至る前だから、悪しき心の持ち主が混ざっているのは仕方ないのだろう。

 とはいえ乳児の命を脅かすなど、悪の祖霊にしても最低最悪である。エールルの里には三百人近い人がおり、その中には生後一ヶ月にも満たない赤子までいたのだ。


「どんな事情があろうが絶対に許さない……」


 武人として磨いた感覚は、冷静さを欠いたら危ういとミレーユに告げる。しかし母としての自分が、今も怒りを燃え上がらせる。

 ミレーユは先月初めに得た第一子、アルベルトと重ねてしまったのだ。そのため心の中の炎は、自身の赤毛にも勝る紅蓮の輝きを放つ。


「大丈夫ですよ。シノブ様が鉄槌を降します」


「そうですね……」


 夫の(ささや)きが、瞋恚(しんい)の炎というべき激情を鎮めてくれた。シメオンの気遣いが嬉しく、それ(ゆえ)ミレーユは日常に戻れたのだ。


 どのような戦いでも冷静な判断が肝要。燃え上がらせるのは、氷の蒼き炎で良い。そう教えてくれたのは師匠である先代ベルレアン伯爵アンリ、今なお(かな)わぬ伝説級の達人である。

 そしてミレーユは、夫の中にも師の語る姿を見つけていた。彼は文官だが、政治の場でアンリの教えを体現していると気付いたのだ。

 最初敬遠していたにも関わらずシメオンに惹かれたのは、氷壁で覆い隠した熱い心を知ったからである。


「シースミ、ラークリ……。済まなかった……そしてありがとう」


「私達が愚かでした。シースミが幼いからと、お告げを疑った私達が……」


 エールルの里の大人達は激しい後悔を(おもて)に浮かべていた。特に里の(おさ)や長老などは(ひざまず)かんばかりに身を屈めている。

 ちなみに(おさ)のビーシャパは初老の手前といった年代の女性だが、他の集落も大半は同様で男性は稀だという。つまりイーディア地方のエルフは、エウレア地方やアスレア地方の仲間と似た体制らしい。


 既にシノブは自分達が来た経緯を伝えていた。

 シースミは森の女神アルフールから神託を授かったが、まだ七歳の彼女が危険を訴えても相手にされなかった。それどころか嘘を()くなと叱る者すら現れ、他も上に倣ってシースミを(たしな)める有様だ。

 そこでシースミは、ただ一人信じてくれた兄と共に旅に出た。森の女神の示した道は、遥か北へと向かっていたからだ。


 しかし目的とする場所は遠かった。

 エールルの里から東域探検船団が停泊している都市ブドガーヤまでは600kmほどもあるし、しかも三分の二は深い森の中だ。これを十歳の少年と七歳の少女だけで歩き通したのだから、里の者達が忸怩(じくじ)たる思いを(いだ)くのも当然だ。


「あの、他の里も……」


「そ、そうです! だから!」


 シースミは遠慮がちに、ラークリは褐色の肌に血の気を上らせつつ。姿は対照的だが、どうも同じ思いからのようだ。

 まず言葉通り、スープリが周辺の里からも魔力を吸い上げていたらという焦燥。エールルの里のエルフ達だけでは眷属や超越種を眠らせるなど難しい筈、しかもアマノ号は上空高くだから尚更だ。

 続いて(おさ)達が頭を下げる現状は、とても居心地が悪いらしい。信じてくれなかった仕返しをこの機会に、などと二人は考えもしなかったようだ。


 純真な子供達とミレーユは微笑ましく感じたが、こうなるという予感もあった。

 しっぺ返しなど下種(げす)な考えを持つようでは神託など授からないし、たった二人で異国に旅してまで仲間を救いはしないからだ。


「私は近くの里を調べに行きます。皆さんはアマノ号で休んでください」


 頃合だと思ったらしく、シノブが里の(おさ)ビーシャパに声をかける。

 夢の病を避けるため、アマノ号は200km近く離れた海上まで移動した。したがって近くとはエールルの里ではなく、海辺の集落を指す。

 そのためだろうがシノブはビーシャパ達に何も訊ねず、休息を勧めたのみだ。どうやらシノブは、魔力感知で最も近い集落を見つけるつもりらしい。


「私達も……いえ、また眠りに落ちるだけですね」


 (おさ)のビーシャパは同行すると言いかけたが、足手まといと思い直したらしい。

 里の全員が夢の病に囚われていたのは、つい先ほどだ。汚名を晴らそうと焦る気持ちで一瞬失念したようだが、すぐに頭が冷えたのだろう。


「そうなさってください。里には私が行きますし、ここには妻を始め大勢が残ります」


「夫が調べている間に、色々教えていただければ助かります」


 シノブは他の者も残すと触れ、シャルロットは聞くべきことがあるからと言葉を添える。

 エールルの里で夢の病の影響を受けなかったのはシノブとシャミィのみ、しかしシャミィは『操命(そうめい)の里』に出かけた。厳密には朱潜鳳の成体達、フォルスとガストルもいるが彼らにはアマノ号を運ぶ役目がある。

 つまり偵察と救出はシノブのみが適任というわけだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「シノブ様、これが通信筒で届きました」


「……状況が変わりました。夢の術に抵抗できるかもしれない秘薬を、仲間が入手しました。ただ、どれほど効果があるか不明なので、ここにいる者で確かめてほしいと。そこで一部のみですが伴います」


 アミィが差し出した(ふみ)を、シノブは暫し眺めた。そして彼はビーシャパに顔を向けなおすと、前言を(ひるがえ)して志願者を伴うと宣言した。


「シャミィですね?」


 シャルロットは送り主の名を問うた。どうも彼女は、これなら名前を出しても問題ないと思ったらしい。

 先刻のアミィも、シノブの許可なく明かすのを避けたようだ。この辺りの用心深さは、眷属としての長い経験からか。

 今も名前を出しただけ、ビーシャパ達は意味を(つか)めないだろう。つまりシャルロットも、まだエールルの里のエルフ達を警戒しているのだ。


 先ほどまでのビーシャパ達が祖霊スープリに支配されていたのは事実だから、今も何かの繋がりが残っていても不思議ではない。もちろんシノブやアミィ達が調べたが、念には念を入れた方が良いに決まっている。

 とはいえ無闇に警戒したらビーシャパ達も不愉快だろうし、反発されては欲しい情報を引き出せない。事あるごとに相談して開示範囲を決めても同じだ。

 この三人なら思念を使う手もあるが、優れた魔術師なら内容は分からずとも魔力波動で何をしているか察知するらしい。つまり内緒話だと露見する可能性があるし、その場合は不興(ふきょう)を招くに違いない。

 そこでアミィとシャルロットは、シノブに判断を任せたのだろう。


「ああ。でも効かない可能性もある……というか効かないと思った方が良い。それでも後々役立つ知見が得られるかもしれないし、秘薬の効果を高める方法もあるそうだ。ただし効果を高める薬は材料の採取からで、すぐには用意できない」


 シノブの口振りからすると、本当に実地試験としての意味合いが強いようだ。しかも彼は、なるべく多様な種族や年齢層を連れていきたいと続けた。

 人族に獣人族、エルフにドワーフ、眷属に超越種達。獣人族は狼、狐、熊など細かく分けたら違うし、眷属や超越種も同様だ。

 これに魔力の大小まで加えたら、百通りでも足りないだろう。


「シノブ君なら、アマノ号まで送れるからね!」


「いえ、それだと近くで待機してもらうことになります。ですがアマノ号まで術が届き、更にフォルス達の限度を超えたら墜落しかねません」


 宰相ベランジェの予想は外れており、シノブは首を横に振る。

 エールルの里では、どこから催眠の術を仕掛けているか分からないままだった。しかしアマノ号は地上に降りたシノブ達を視認できないほど離れていたから、かなりの広範囲を術の影響下に置けるか複数の場所を同時に攻撃できるかだろう。

 つまりシノブが短距離転移で転送できる距離なら、無意味だと思われる。


「やはり例の場所ですか?」


「ああ、額冠の異空間に避難してもらう。流石に別空間なら……」


「それより誰を連れていくのだ? もちろん俺は行くぞ!」


 シメオンの問いにシノブは頷き、更に言葉を続けていく。しかし途中でイヴァールが(さえぎ)った。

 それにイヴァールの他にも、軍務卿のマティアスにゴドヴィング伯爵アルノー、メグレンブルク伯爵アルバーノなど多くが注目している。イヴァールもバーレンベルク伯爵だから、いずれもアマノ王国を代表する錚々(そうそう)たる面々だ。


 それはともかく、超越種の子が夢の病に落ちたとき助けたのはイヴァール達である。

 あのとき魔法の家はアミィにより守られていた。正確には彼女の行使する生命の杖により、邪術を防ぎ続けたのだ。

 しかし超越種の子は大半が甲板におり、杖の効果範囲外だった。そのためオルムルを始め昏睡したが、イヴァール達が魔法の家の中に運び込んだ。

 要するに、イヴァール達は夢の病が効きにくいらしい。短時間だから(しの)げたのかもしれないが、それを含め再び試す必要があるだろう。


「分かったから。……他はマティアス、アルノー、アルバーノ、エンリオ、ロマニーノだったね?」


 シノブは少々(あき)れ気味な顔でイヴァールに応じると、甲板に出た者を挙げていく。

 全て歴戦の武人だが、これは彼らの身体強化が他より遥かに強力だからである。つまり他に先んじて甲板に飛び出したのだ。

 ちなみにミレーユも各種の大会で頂点に立った腕の持ち主だが、シャルロットを守護すべく側に残った。これはマリエッタやエマなどの護衛騎士も同様で、彼女達は自身の責務を果たすため持ち場を守り続けた。


「その通りです」


「よし。他には……」


 マティアスが代表して答えると、シノブは視線を転じる。そして彼の指名や自薦で更なる参加者が決まっていく。


 まずシャルロットにミュリエル、セレスティーヌの三人。人族の女性武人や魔術師としての選出である。そこでミレーユもシャルロットを守るべく手を挙げ、シノブが同行を認める。

 同じく女性王族の護衛騎士からマリエッタ、エマ、ロセレッタ、シエラニアの四人が進み出た。こちらは獣人族で女性の武人としての意味もあるから、シノブも許可をする。

 超越種の子達も汚名返上とばかりに再挑戦を主張した。そこで『操命(そうめい)の里』に出向いたオルムルとシュメイ以外の同行が決まる。

 眷属達も同様で金鵄(きんし)族の三人と天狐族のタミィが再び地上に赴くことになった。なおアミィだが、彼女は前回と同様にアマノ号を守る役だ。


 その他、侍女のアンナとリゼット、情報局長代行のソニア、宰相ベランジェ、更にミレーユの夫で内務卿のシメオンが加わる。

 侍女達は一般人に近い者がどうなるかの確認、ソニアは夫のロマニーノが行くなら一緒にと願った。シメオンも妻を案じたらしく、参加を表明したときは普段の冷徹さが僅かだが薄れていた。

 最後にベランジェだが、彼は物見高いからのようだ。これにエールルの里から(おさ)のビーシャパなどが願い出て、合計三十名以上の調査隊が完成する。


「あの……僕達は?」


「お兄ちゃん、足手まといだと思う」


『私も薬を服用できないから無理ですね。ラークリ、シースミ、一緒に留守番しましょう』


 思わずといった様子で言葉を発したのは兄のラークリ、どこか(あき)れたように応じたのは妹のシースミだ。すると祖霊のウーシャが取り成しらしき言葉を口にする。


 ラークリも祖霊に諭されては文句など言える筈もなく、大人しく頷くのみだ。

 そのためミレーユは安堵する。まだ十歳の子供を連れていくなど論外と思っていたからだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 まず全員が『操命(そうめい)の里』から届いた品を服用する。今回は生命の大樹のお茶を確かめるのが目的だから、皆が湯飲み一杯分を飲み干してからシノブは短距離転移を行使した。

 シノブが選んだ里は、幾らかだが半島状に突き出した場所にあった。これはアマノ号を少しでも陸から遠ざけるためだ。緯度はエールルの里より僅かに低く、祖霊スープリが眠る聖地との距離が同程度になるようにした。

 ちなみに前回より一時間半ほど後、宵闇は深さを増している。この辺りだと日付が変わるまで二時間少々、遥か西のアマノシュタットだと日没を迎えたころだろう。


「やっぱり夢の術の強さは距離に比例するのかな?」


「そうなのですか……」


 シノブの呟きに、ミレーユは(かす)れるような小声で応じた。

 なんとか耐えながらだから、ミレーユの声音(こわね)は普段とは似ても似つかぬ響きとなっていた。これは少しでも気を抜いたら邪術の眠りに落ちてしまうからだ。

 そのためミレーユは自身が発したにも関わらず、消えゆく声に違和感を覚えていた。


「あくまでも俺が感じている限りでは、だけど……。しかし残ったのが魔力の少ない人達だとは……」


 シノブは周囲を見回すが、既に大半は光の額冠が作り出す異空間に消えており人影は(まば)らだ。

 眠った順は最初に眷属や超越種、ただし生命の大樹のお茶が効いたらしく前回よりは長く持った。次にエルフ、エールルの里から来た人々だ。

 更に人族の優れた魔術師など、エルフに近い魔力を持つ者達が続く。ここにミュリエルやセレスティーヌ、ベランジェが入っており、彼も少し前に異空間へと消えた。

 シャルロットも大きな魔力を備えているが、妹達よりは(こら)えた。ただし彼女はシノブの影響が強いから、例外と考えるべきだろう。


 もっとも最大の例外はシノブで、彼は平然としたままだ。それどころか神具の行使も続けており、今も里のエルフ達を異空間に移し続けている。


「それに、お陰で余計なことまで知る羽目に……」


「眠りに落ちるのが……緩やかですからね……」


 心外といった様子のシノブに、ミレーユは内心で己を励ましつつ声を絞り出した。

 前回と違って一瞬で夢に捕まらず、多くは寝ぼけたような状態を経て熟睡へと移行した。そのため寝言めいたものが幾つも飛び出したのだ。


「ともかく頑張るのじゃ……そうすればシノブ様も……」


 マリエッタは夢の中でも公女としての誇りを忘れていないらしく、声は毅然としていた。

 しかしシノブは僅かだが眉根を寄せる。おそらく彼は、盗み聞きしたように感じたのだろう。


「マリエッタ……応援する……」


「アルバーノ様……」


「ミケリーノ君……可愛いし凛々しい……」


 更にエマ、ロセレッタ、シエラニアと護衛騎士達が続く。

 マリエッタを含め、まだ立ってはいるが少々揺らいでいる。そのため異様な雰囲気を伴っているが、彼女達の友情や慕情は健在だ。

 既にエマはガルゴン王太子カルロスと婚約しており、最近の彼女は親友の支援に力を入れているらしい。そしてロセレッタは変わらずアルバーノを慕い続け、シエラニアは彼の甥との仲を進めるべく日夜奮闘しているようだ。


「……異空間に移そう」


 シノブが呟いた直後、護衛騎士達が掻き消える。これで残ったのはシノブとミレーユの他、武人や侍女など比較的魔力が少ない者だけになった。

 ただし意識が明瞭なのはシノブとミレーユだけらしい。二人以外は、時折うわごとめいた呟きを漏らすのみだ。


「どう変わったか……重要ですよ……」


 ミレーユは少し前を思い出す。

 先刻シノブは、夢の術が徐々に変化していると指摘した。どうも術者は、訪れた者に合わせて調整しているらしい。


 元々住んでいるのはエルフだから、最初は彼らを対象にしていたのだろう。つまり眷属や超越種が早期に捕捉されたのは、エルフ以上の魔力を備えているからではないか。

 しかしシノブによれば、術者は魔力の少ない者達を察したらしい。そして術の構成を多少変え、人族から獣人族やドワーフへと対象を広げたようだ。

 このような変化や順序などで色々と推測できるから、シノブも今まで様子見していたのだ。


「願わくば来世も……アマノ王国の一員に」


「この子と共に……シノブ様とシャルロット様を……支えます……」


「リンハルト様……互いに補えば良いのですよ」


「みんなの歌……とても素敵だわ」


 エンリオは将来の願いだろうか。彼は既に七十を過ぎているから、余生や輪廻の輪に思いを馳せることも多いのだろう。

 先日アンナは懐妊が明らかになった。ただし出産は年末の予定で七ヶ月以上も先だから、少々早すぎる誓いではある。

 リゼットは先日婚約した男性、リンハルトの名を呟いた。どうやら彼女は、結婚を申し込まれた日のことを夢想しているらしい。

 最後のソニアは、普段の情報局長代行と思えぬ乙女のような声を響かせた。こちらはロマニーノと結婚した日、披露宴で友人達が贈った祝歌を思い浮かべているようだ。


「もっと色々な経験を……してみたいと思いましたよ」


「我こそはアマノ王国軍務卿……フォルジェ侯爵マティアス……」


 シメオンは先日の自転車の運転を習ったときにシノブと交わした言葉だ。このときミレーユはシャルロットの側だったが、後で夫から聞いた。

 マティアスは翌日シノブ達と共に街に出たときの一幕、盗人を捕らえたときらしく勝ち名乗りの所作まで加える。ちなみにミレーユは都合が付かず外したが、後で彼の妻のアリエルから教えてもらった。


「もう良いだろう。それに、この里の人達も全て異空間に移し終えたし……」


 シノブは意識を保っている者以外、つまり自身とミレーユを除く全てを異空間に転移させた。

 エンリオ達も含め、これらの多くはシノブが知っているか想像できる内容だ。そのため彼はマリエッタのときと違って平静だが、覗き見めいた罪悪感からか表情は苦い。


「ところでミレーユ、君はどうして平気なの?」


「実はですね……」


 不思議そうに問うたシノブに、ミレーユは袖を(まく)ってみせる。

 するとシノブの表情が一変した。ミレーユの腕には小さなナイフが刺さっており、そこから血が滲んでいたのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「どうしてこんなことを!」


「もちろん眠らないためです……それと続きは向こうで……」


 駆け寄るシノブに、ミレーユは強がり含みの笑みを返した。

 ナイフといっても刃渡りは人差し指の長さほど、(つか)は更に半分程度という投擲(とうてき)用の隠し武器だ。そのため服の上からは気付かれずに済んだが、こうやって直接目にしたら深い傷だと明らかである。

 なにしろミレーユは、ナイフを鍔元(つばもと)まで押し込んでいる。この痛みがあるから眠らずに済んだが、長く続けたら失血死しかねない。

 シノブならずとも、殆ど全ての者が血相を変えるだろう。


「だからって……」


 シノブは(あき)れたような顔をしつつも、ミレーユの言葉通りに神具で創った空間へと移る。そのため二人の頭上は七色の空に変じ、周囲には先に転移した人々が現れる。


 里の人々は殆どが眠ったままだが、アマノ号で来た面々は全て起きている。

 術の影響下にあった期間の差か、それとも生命の大樹のお茶の効果か。理由は不明だがシャルロットやシメオンなどは自身の足で立っており、しかもシノブとミレーユが出現すると即座に振り向いた。


「やはり! こんなに血が……」


 どうやらシメオンは、ミレーユが最後まで耐えた理由を推測していたらしい。彼は蒼白な顔で駆け寄ってくる。

 普段は悠揚たる態度を崩さないシメオンが、このように慌てた姿など異例中の異例だ。初めて目にしたのか、シノブやミレーユより彼に顔を向ける者も多い。


「大丈夫です……シノブ様は治癒魔術の達人ですから~。ほら、もう治りました~」


 ミレーユは治った腕を掲げ、夫を迎える。

 幾らか失血したが、太い血管を外しているから見た目ほど酷くはない。ミレーユは師のアンリから学んだ知識を活かし、筋に添って刃を滑り込ませ神経なども避けていた。

 それにシノブの治癒魔術は別格というべき代物で、このような切り傷であれば存在しなかったように完治する。実際ミレーユ自身も先ほどまで激痛に襲われていたと思えぬくらいで、動きや見た目も含め全て元通りだと感じていた。


「なるほどな……動きは鈍るし長くは持たぬだろうが……」


「ええ。最後の手段としては悪くありませんな」


 思わずといった様子でイヴァールが唸ると、アルバーノも賛意を示す。他にも武人達には良策と捉えた者が多いらしく、エンリオやマリエッタなども感嘆を(おもて)に浮かべている。


「凄まじいですね……」


「確かに効果はありますし、治癒魔術があれば問題ないとも思います。しかし私には真似できません」


 一方エールルの里のエルフ達は同じ驚きでも少々方向性が違う。(おさ)のビーシャパも評価はするが、自身で試す気はなさそうだ。

 エルフに肉体派は少なく、武術を得意とする者も身体強化や磨き上げた技能を主体としている。それに長い寿命で知性を磨くためか、根性や気合で乗り越えるような道を避けるのが普通だ。


「ミレーユ……。確かめるべきことですし、充分な勝算があったのも分かります。ですが事前に教えてくれても良いと思いますが?」


 苦言を呈したのはシャルロットだ。

 深い湖のように青い瞳に憂いを滲ませ、僅かに振った首で極細の金糸を思わせる長い髪を(きら)めかせて。ミレーユが十歳のときから知る、勇ましくも愛情豊かな親友にして主君の姿である。


「そうです! 私達を信じてください!」


「良い案でしたら採用しますわよ?」


 ミュリエルとセレスティーヌも、無下に断りはしないと宣言した。確かに黙っているのは、その程度の度量もないと言われたに等しいだろう。


「申し訳ありません~。でも、お伝えしたらシャルロット様が(みずか)ら試すと仰るでしょうし~」


 ミレーユは軽く頭を下げるが、緩やかな口調と柔らかい笑みのまま応じた。

 シャルロットは誠意があれば形式に(こだわ)らない。それに最近の彼女はシノブの影響か、以前にも増して率直な言動を好む。

 現に今もミレーユの説明にも理があると認めたらしく、仕方ないと言いたげに微笑むのみだ。


「ともかく色々分かったのは確かだ。どうも相手は、こちらの動きを読み取れるらしい……最初は魔力の多い者だけを狙っていたが途中から変えてきたんだ。こうなると急いだ方が良いだろう」


 シノブは早く救出に戻ろうと言い出した。

 もしスープリが遠方の里の魔力も利用できるなら、対決の前に少しでも力を()ぐべきだろう。幸いアマノシュタットでは日没直後だから、残り何時間かで現在地に近い場所だけでも巡りたい。

 このようにシノブは持論を展開していく。


「確かに……しかし、やはり根本的な対策が必要でしょう。お茶に幾らかでも効果があると分かりましたし、効果を増す手段もあるとのことです。採集担当を護衛する者達は、そろそろ休むべきかと」


 シメオンは頷きつつも、効果を増す秘薬を得なくてはと指摘する。

 現在のところ救出はシノブの力に頼るしかないが、いつまでも彼をイーディア地方に留めるわけにもいかない。スープリを直接狙う手もあるが、一旦世に出てしまった邪術は消えずに残り続ける。

 つまり充分な対抗手段を確立しなければ、いつかは第二第三の事件が発生するだろう。


「では休ませてもらうぞ。……この場を抜け出したらな」


「そうですな。……シノブ様、採集隊の護衛は私達にお任せあれ」


「私も微力ながら」


 イヴァールは異空間から早く戻りたいと主張し、アルバーノは必ず守ってみせると宣言する。一方アルノーは言葉数の少ない彼らしく、簡潔な発言で応じたのみだ。

 隣でマティアスが残念そうに肩を落としている。しかし軍務卿まで遠征してはと思ったようで、文句を言い立てはしない。


「シノブ様、私も頑張りますよ~!」


「君はシャルロット達の側にいて欲しいな……切り札としてね」


 意気込むミレーユに、シノブは柔らかな笑みと言葉を返す。

 言いくるめられたような気もしたミレーユだが、同時に嬉しさも感じていた。シャルロットを支えつつ共に歩みたいと、普段から願っていたからだ。

 それに、このままシャルロットが大人しくしているとは思えない。ならば彼女を守りつつ、時が来たら共にアンリから習った技を振るおう。

 そして子供達の命すら踏みにじる(やから)に鉄槌を降すのだ。七色に輝く空の下、ミレーユは七柱の神々を思わせる光を眺めつつ密かに誓いを立てた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2018年11月28日(水)17時の更新となります。


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