27.20 森の夢とラーカ
嵐竜ラーカは南国の町を歩いていた。
もちろん本来の姿ではなく、人間そっくりの木人に宿ってである。嵐竜は蛇のように長い体に短い四肢という姿だから、歩くには不向きなのだ。
隣の海竜リタンも同様に、成年間近の男の子を模した木人を使っている。海竜の四肢は鰭だし、そもそも元の姿では注目を浴びてしまい散策どころではない。
ここはリシュムーカ王国の都市ブドガーヤ、イーディア地方西部の港町だ。竜を含む超越種は、この辺りだと伝説の存在という位置付けである。
イーディア地方にも光翔虎が隠れ棲んでいるし、今年の一月には隣国のアーディヴァ王国に現れた。そのため一部の認識は伝説から現実へと変わったものの、これは国を率いる上層部での話だ。
それ故ラーカ達は、自身の体を東域探検船団の旗艦ゼーアマノ号に残して仮初めの姿で街に出た。ただし少年二人だけではと周囲は考えたらしく、護衛として三人の軍人が付き添っている。
「暖かくて良いところですね……。そういえば、お二人は……」
護衛の一人、猫の獣人ラミスは気持ち良さそうに目を細めた。しかし暫くの後、彼は木人に宿ったラーカ達へ顔を向ける。
どうもラミスは、今のラーカやリタンが気温を感じているか疑問に思ったらしい。
「この体でも分かりますよ!」
ラーカは青年士官に笑顔を向ける。
木人といっても様々だ。木材を組み合わせただけの単純なものは五感にも制限が多いが、今ラーカ達が宿っている高性能型は多くの点で人と変わらぬ感覚を得られる。
そのためラーカも強い日差しや潮の香りを感じているし、自分が生まれ育った南海に似た雰囲気を堪能していた。
「味覚以外は大丈夫です!」
これはリタンも同じらしく、常以上に声が弾んでいた。
ラーカの故郷は北大陸の東に広がる海、リタンは西と生まれた場所は違う。しかしリタンも南方の出身だから、緯度の低いイーディア地方の海に懐かしさを覚えたのだろう。
ここリシュムーカ王国の気候を、シノブは亜熱帯から熱帯に属すると言っていた。彼によると、この辺りは夏至の真昼なら太陽が真上に位置するらしい。
リタンが生まれた海竜の島は少し北、逆にラーカが生まれた島は更に南だが、同じように夏になると太陽が高く昇る。それに人間が台風と呼ぶ強い風が発生するのも、この辺りと共通している。
そのためラーカはリシュムーカ王国の沖なら先々棲む場所として相応しいと感じたし、リタンも頷いた。この辺りは陸から幾らか離れると魔獣の海域で、糧を得るのも容易なのだ。
もっともラーカ達が自身の縄張りを持つのは遥か先、成体になってからだ。
ラーカは二歳まで一ヶ月、リタンは一歳五ヶ月。そして超越種が成体になるのは二百歳である。
「それはようございました」
「全くです」
「本当に良い陽気ですからな」
笑みを返したラミスに、獅子の獣人ダトスと虎の獣人ポルトが続く。
今日ラーカ達の案内役を務めているのはイーゼンデック伯爵領の若手三人組、暫く前までは三従士と呼ばれた者達だ。もっとも彼らは昨年末に騎士に昇格したから、先日までの呼び名は使えない。
三人とも昨年秋から東域探検船団に所属し、アスレア地方への冒険航海でも士官として働いた。その結果、彼らは軍でも中隊長格に昇進している。
「最初に寄ったナルラーダも良かったが、ここは更に素晴らしい……当分のんびりしたいくらいです」
大男のポルトの頭上では虎耳が頻繁に動き、背後でも尻尾が大きく揺れていた。色男のラミスや最年長のダトスは抑え気味だが、綻ぶ顔は南国を満喫していると示している。
この三人はエウレア地方でも南方のガルゴン王国やカンビーニ王国の出身で、しかも寒いところが苦手な猫科の獣人達だ。そのため四月に入ったばかりにしては強すぎる日差しや熱気を多く含んだ風も、彼らにとっては歓迎すべきものらしい。
そして物見遊山といった様子は街の者にも伝わったらしく、声をかける者が現れる。
「異国の軍人さん、食事はどうでしょう!? ウチのカレーは美味しいですよ!」
「カレーならウチが一番です! ナンだけじゃなく米の飯、おかずも魚から肉まで色々あります!」
道の両脇から料理店の呼び込みの声が響く。
案内の三人はアマノ王国の海軍服だし、ラーカとリタンの木人も彼らと似た見習いの衣装である。そのため店の者達も、東域探検船団の者達だと察したわけだ。
二日前の4月2日、東域探検船団は都市ナルラーダに着いた。しかしナルラーダはリシュムーカ王国の北西端で王都パータプーラから250km少々と遠い。
それ故ナルラーダの太守は、ここブドガーヤに進むようにと提案した。ブドガーヤは王都から120kmほど、ゾウでも一日で移動できる距離なのだ。
探検船団の総司令ナタリオは勧めに従い、一部をナルラーダに残して本隊を南進させる。そして昨日の夕方遅く、彼らはブドガーヤに到着した。
そのため街の者達も、見慣れぬ服の男達が異国の船乗りだと承知している。
イーディア地方だと中流以上の成人男性は頭に布を巻くし、膝や足首までの長衣を着ける。そして軍人といえば高位の者達だから、やはり頭布と長い衣は必須である。
一方ダトス達の海軍服は上衣が腰まで、それに頭上の獣耳も顕わにしている。しかし中隊長格のダトス達が着ているのは士官服で、相応の飾りもあれば階級章もある。
これらを見て取ったのか、呼び込み達の声や態度も恭しくすらあった。
「困りましたね……」
ラミスは形の良い眉を顰めていた。そもそもラーカやリタンがナタリオ達と別行動になったのは、食事を楽しめないからだ。
探検船団の上層部は、ブドガーヤの太守に持て成されリシュムーカ料理を味わった筈だ。しかしラーカ達は退屈だろうと、ナタリオは街の見物を勧めた。
それらをラミス達も知っているから、呼び込みに応じるわけがない。
「悪い、昼食は済ませているのだ」
「そ、そうなのだ! 次の機会には寄らせてもらうぞ!」
ダトスが無難な言い訳をすると、ポルトも大声を張り上げる。
ただしポルトは残念そうな顔だった。どうも彼は小腹が空いていたらしく、誘いに顔を緩めていたのだ。
「済みません……」
「私達に遠慮なさらずとも……」
ラーカが囁くと、リタンも同じく小声で食事を勧めた。
既に十五時を回っているし、ポルトが一服でもと思うのも無理はない。しかしダトスとラミスは面倒事を避けようと思ったのか首を振り、足を速めていく。
そのためポルトも後ろを振り返りながらだが、後を追っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
東域探検船団の目的はイーディア地方への航路確立と、更に東への航海に向けた準備だ。このうち前者の成功は、ほぼ間違いないと思われる。
リシュムーカ王国の北東に位置する国、アーディヴァ王国はシノブ達の支援により禁術使いの支配から脱した。そのためアーディヴァ王ジャルダはシノブ達が進める東西を結ぶ航路開発を歓迎し、隣国にも良き訪れがあると伝えていた。
しかもジャルダはリシュムーカ王国に細かいところまで明かしたようで、ナルラーダとブドガーヤでは太守自らが探検船団を出迎えるほどだった。アーディヴァ王国は海岸線を持たないから船団は先にリシュムーカ王国に寄るが、そこで拗れて長引くのをジャルダは嫌ったのだろう。
シノブはリシュムーカ王国から先に二つの経路を造ろうとしていた。一つはアーディヴァ王国を通る空路、もう一つは南回りの海路だ。
アーディヴァ王国はシノブ達のことを東隣のチャンガーラ王国やカンダッタ王国にも教えたし、チャンガーラ王国は更に東のベガール王国とも良好な関係を築いている。このベガール王国がイーディア地方の東端だから、東西を結ぶ空路は比較的早く完成すると思われる。
しかし南は不透明なままだった。リシュムーカ王国の南はイーディア半島の南端まで続く帯状の大森林で、1500kmもの長さを誇っているのだ。
「船乗りとしては海路を推したいところですが……」
「エルフが国を開いてくれるか……だな。そうすれば、ここの土産も少しは変わるだろうに」
土産物屋から出ると、ラミスとポルトが顔を見合わせる。どうも店の品揃えが不満だったらしく、表情は少々渋い。
リシュムーカ王国は海に面しているが、北は大砂漠の沿岸で南もエルフの大森林だから船は自国の海岸線しか行き来できなかった。
まず北は魔獣の海域が岸に達し、船の行き来を阻んでいた。今は海竜の航路として切り開かれて安全に航海できるが、まだ先月からで更にナタリオ達の訪れまでイーディア地方の人々は知らなかったのだ。
そして南はエルフが国を閉ざしており、寄港も許さなかった。リシュムーカ王国の人々もイーディア地方が半島だと知っていたし南から他国に回りこめるのも理解していたが、これでは無理と南行きを諦めていた。
そのためナルラーダやブドガーヤは漁港として栄えているものの、他に特筆する点がないらしい。
ただし不満を感じるのは各国を巡った者だからで、目が肥えている故の弊害だろう。リシュムーカ王国の人々からすれば、ここは王都を合わせても六つしかない都市であり憧れの地なのだ。
今ラーカ達が出た店でも、大都市ブドガーヤ名物だと誇らしげに謳っていたくらいである。
「あのゾウの置物は立派でしたよ?」
「金色で綺麗でしたね!」
ラーカは充分に楽しめたし、リタンも同じらしい。
細かな模様で飾られた金の置物は、多くの手間をかけた品だろう。それに陶器や木彫りなどもあったし、動物以外でもエウレア地方では目にしない踊っているような像も沢山あった。
実際ラーカとリタンは、シノブ達の土産にと一つずつ買ったくらいだ。
「確かに見事ですし、金も本物を貼っていました。ですがナルラーダと同じような品揃えだったので……少しはエルフの影響もあるかと期待したのですが」
ダトスは同僚達の不満を解き明かす。
たとえばダトスやポルトの故郷ガルゴン王国だと、東と西で幾らか文化が異なる。東はシュドメル海を挟んだ向こうのカンビーニ王国、西は北西の島国アルマン共和国の影響があるのだ。
これらの三国は航海が盛んだから互いに名物を輸出するし、寄港した船乗りが自然と伝えていく。そのため港町にも差が生まれていくが、ここでは見られなかったとダトスは結ぶ。
「なるほど……」
「ブドガーヤはエルフの森まで200kmはありますから、王都パータプーラなど更に近くに行けば違うかもしれません。ただ交易できるなら、もっと南に港町があるでしょうし……」
思わず言葉を漏らしてしまったラーカに、ダトスは低い声で応じていく。この一行が異国人だと周囲は知っているから、非難めいた言葉を聞かれまいと考えたのだろう。
ナルラーダからブドガーヤは海岸に沿っているが王都への道は内陸に向かうし、続く都市も更に奥だ。大まかにいえばナルラーダからブドガーヤが南東、ブドガーヤから先が東南東である。
つまりエルフの森に向かう道は存在しない。その代わりリシュムーカ王国は、森とダクシア高地帯の間に位置するダパジャ王国との交易に力を入れていた。
つい先日までのアーディヴァ王国は禁術使いの扇動でリシュムーカ王国を狙ったくらいで、交易どころではなかったのだ。
「でも輸送力で船に勝る乗り物はありませんからね」
「その通りです。確かに飛行船は速いし便利ですが、まだ乗員は五十名程度と伺っています。磐船なら千人でも乗れますが……」
海竜らしく船舶への親近感を示したリタンに、ラミスが熱の篭もった声で同意を示した。
速度と輸送力が飛びぬけているのは空を往ける磐船だが、これは超越種が運んでくれるからだ。しかも運び手は太い横木を後ろ足で掴める岩竜に炎竜、そして朱潜鳳の三種族のみである。
光翔虎や嵐竜なら何かで固定して吊り下げて運べるが、彼らや幼体まで足しても五十か超える程度でしかない。つまり磐船を汎用的な乗り物とするには無理がある。
そしてラミスが触れたように、飛行船に積める量は限られている。こちらは人間のみで動かせる乗り物だから数を揃えるのは可能だが、その前に一隻ごとの輸送能力を向上させるべきだろう。
「こちらにはルキアノスさんやアルリアさんがいますから……」
ラーカは共にリシュムーカ王国に来たエルフ達を挙げた。ルキアノスはエウレア地方のデルフィナ共和国から、アルリアはアスレア地方のアゼルフ共和国からの使者だ。
イーディア地方にはエルフの森があると分かっていたから、東域探検船団は交渉役を用意していた。それに蒸気船を動かすには、大魔力を持つエルフの乗船が必要不可欠でもある。
「そうですな。私達も期待しています」
ポルトの声は、どこか不満げだった。どうやら彼は、自分達で解決できないのが歯がゆいようだ。
とはいえ今までの例に則ると、よほどの重大事でも起きない限りエルフが開国するとは思えない。デルフィナ共和国の場合はシノブが赴いた上に森の女神アルフールの神託まであったし、アゼルフ共和国も同族のエルフの説得に加えて眷属のミリィが力を尽くしたのが大きかった。
やはりルキアノスやアルリアの説得に頼るしかないと、ラーカは結論付ける。
先例の二つは異神との対決に備えるため、シノブやミリィが動いた。しかし今回は交易路の開拓が目的で、急ぐべき理由はないからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
ラーカ達がブドガーヤの街を巡り終えたのは夕方遅くだった。
一行は端から店を覗いたし、ラーカとリタンは行く先々で土産を買い求めた。シノブにシャルロット、ミュリエルにセレスティーヌ。アミィを始めとする眷属達、共に暮らすオルムル達。思いつくままにラーカ達は買っていく。
そのため一軒ずつの時間も長く、気付いたときには太陽が沈みかけていた。
「自分で持ちますよ」
「いえ、それはなりません」
ラーカが手を伸ばすと、ダトスは少し遠ざかる。
ダトス達の手は大荷物で塞がっている。超越種に持たせるなど恐れ多いと、三人の士官は強硬に主張したのだ。
ラーカやリタンは木人が荷を持っても疲れないと説明したが、そういう問題ではないらしい。
「でも……」
何度か繰り返されたやり取りだが、ラーカは再度の挑戦を試みる。しかし歩む先の光景が、言葉を途切れさせた。
「商売の邪魔だ! 早く向こうに行ってくれ!」
声を張り上げたのは、行きに見た呼び込みの一人だ。カレーなら自分の店が一番だと言った男である。
しかし男からラーカ達に示した愛想よさは消え失せ、荒げた声は別人かと思うほど冷たく響き渡る。
「少しだけで良いので……」
「もうお腹が……」
細い声で頼み込むのは、随分と汚れた服の少年と少女だ。どうも料理店なら残り物でも貰えると思ったらしい。
少年の方が幾らか上で十歳くらい、少女は三つか四つは下だろうか。外見からすると人族らしく、どちらも耳は頭の両脇で尻尾はない。
二人は灰色の服に頭布は無し、それに袖や裾は短く肘や膝には継ぎまであった。しかも満足に食べていないのか、双方とも体が細い。
イーディア地方でも貧しい者は頭布を着けないし、農民や漁師だと似たような衣装も多い。しかしブドガーヤは都市だから、ここまで粗末な衣装はラーカ達も今まで目にしなかった。
「ダメだ! 一度施したら、キリがないからな!」
これから夕食といった時間帯、つまり稼ぎ時だから邪魔なのだろう。呼び込みの男は更に声を荒げる。
この二人に何かを与えたら、更に誰かが来るだろう。この店が施しをしたら、周囲にも押し寄せるに違いない。それはラーカにも理解できるし、際限なく続いたら商売にも差し支えるとは思う。
しかしラーカには気になることがあり、彼らに向かって足を踏み出していく。
「ラーカ様、よそ者が介入すべきことではありません」
「いえ、これは……」
ダトスが留めようとするが、リタンが首を振る。
リタンも気付いたようだと、ラーカは微笑みを浮かべる。目の前の少年と少女は、妙な魔力を発していたのだ。
「おじさん、僕がお金を払いますから。そうですね……この店の名物カレーを五人前、持ち帰りで頼みます。それに飲み物と……果物も多い方が良いかも」
ラーカはダトス達の分も合わせて注文した。先ほどポルトが物欲しそうに眺めていたのを可哀想に思っていたのだ。
「こ、これは……」
ラーカの登場に驚いたのか、呼び込みの男は口篭もる。
相手は異国からの使者、しかも見たこともない大きな船に乗って現れた者達だ。加えて太守自身が出迎えての大歓迎、自国の恥を知られたと思ったのかもしれない。
あるいは素っ気なく追い払おうとした自分が後々問題になると、気に病んだのか。
「早くお願いします」
「は、はい! まいどあり!」
ラーカが促すと、呼び込みの男は弾かれたように走り出す。こうなっては異国の少年に逆らわず、望みを叶えるのが上策と思ったのだろう。
何しろ太守が船団の司令官や幹部達と歓談するほどだ。逆らったら上の耳に入ると男が思っても不思議ではない。
「ありがとうございます!」
「そ、その……貴方は……」
少年は頭を下げるが、少女は不思議そうな顔でラーカを見上げる。
少女は何かを言いかけたが、途中で口を噤んでしまった。しかし彼女は怪訝な様子も顕わにラーカが宿る木人を見つめ続ける。
どうも少女は、ラーカが常人ではないと察したようだ。
「後で話します。それに君達も、ここでは言えないことがあるでしょう?」
近くに寄ったから、ラーカは二人から放たれる魔力波動を先ほどより強く感じていた。
それは変装や幻惑の魔道具に近い波動だ。シノブ達が使う道具と似ており、ラーカは彼らが姿を変えていると推測していた。
この二人はエルフではないだろうか。事前に潜入した諜報員によれば、リシュムーカ王国に変装の魔道具を使う者などいない筈である。
もしエルフなら南に広がる森から来たのだろうし、今後の交渉の糸口になるかもしれない。そこでラーカは二人に食事を振舞おうと考えたわけだ。
「えっ? あっ……」
意味深な言葉に驚いたらしく少年の顔に緊張が宿るが、直後に顔を赤くする。お腹が空いているのは事実のようで、彼の腹からラーカにも聞こえるほど大きな音が響いたのだ。
「少し我慢してください。食事は船に戻ってからにしましょう」
「心配しなくても大丈夫です。それに私達の船には、あなた達の仲間もいますよ」
ラーカに続き、リタンが囁く。すると少年は顔を赤くしつつも目を丸くし、少女も意外に感じたのか僅かに首を傾げる。
どうも二人は東域探検船団の内情に詳しくないらしい。もしかすると船団が寄港していることすら知らないのではないだろうか。
南の森からブドガーヤまで200kmはあるし、船団が現れてから森を出たとは思えない。東のスワンナム地方には帝王オウムという鳥に乗る者達もいるが、こちらのエルフが同じような手段を持っていても森まで伝わる時間を考えたら早すぎる。
南の森には光翔虎達が棲んでいるから、彼らから教わったのか。あるいはエルフを慈しむ森の女神、アルフールが神託を与えたのか。ラーカは様々に想像を巡らせる。
「お待たせしました!」
「ありがとうございます」
料理の到着が、ラーカの思考を途切れさせる。
わざわざ人族に化けて来たなら簡単に明かせない事情がある筈。それに自分達の正体を伝える場としても、ここは不向きだ。そう考えたラーカは、急ぎ支払いを済ませる。
◆ ◆ ◆ ◆
ラーカの予想通り、少年と少女は南の森に住むエルフだった。
ゼーアマノ号に二人を招いて船団にいるエルフ達に会わせると、二人は安心したらしく変装を解いた。そして少年はラークリと名乗り、少女は妹のシースミと続ける。
ちなみに変装の魔道具は簡易的な品で、エルフの長い耳を短く思わせるだけだった。そのため二人は森を出た直後、一番安い服を買って着替えたという。
つまり痩せて見えたのは元々の体格が細かったからだが、エルフにしても少し肉付きが薄いようだ。そこで買ってきた料理を含め、まずは食事を振舞う。
その間にラーカ達は船団やアマノ同盟について語り、そして自分達が超越種であることも伝えていく。
「えっ!? 人間じゃないのですか!?」
「変わった魔力だと思いましたが……」
ラークリは食べる手を止めて叫び、シースミも呟きを漏らす。
やはりシースミは魔力感知能力が高いらしく、ラーカ達が見かけ通りではないと感じていたという。それでも超越種とは思っていなかったようで、兄と同様に目を丸くしてはいたが。
『ええ、僕は嵐竜です。本当はもっと大きいのですが、今は腕輪の力で小さくなっています』
『私は海竜です。見ての通り泳ぐのは得意ですが、飛ぶのは苦手です』
ラーカとリタンは発声の術で語りかけた。
ラーカは全長10mを超えるし、リタンも二割ほど小さいだけで元のままだと室内に入れない。しかし今は双方とも人間の大人と同じくらいの大きさに変じ、エルフの少年少女の前に浮いている。
「そうなのですか」
「流石は超越種様です……」
声は木人に宿っていたときと同じだから、ラークリ達も先ほどの少年達と納得したらしい。あるいは伝説の種族なら当然と受け取ったのか。
「お二方は船団を守護してくださっているのだよ」
「我らが陛下は超越種にも認められたお方、だから安心してほしい」
ダトスとラミスはエルフの子供達に微笑みかける。
一方ポルトは黙々とカレーを食べ続けるのみだ。どうも彼は、よほど空腹だったらしい。
ちなみにイーディア地方のカレーが激辛というのは船団にも広く知れ渡っており、三人が食べているのは牛乳やハチミツなどを混ぜて味を整え直したものだ。
しかしラークリやシースミは何も加えずに食べている。二人によればイーディア地方のエルフもカレーを好むし、香辛料を多く使うのも変わらないという。
「……シースミ、話しても良いかな?」
「はい」
ラークリの問いに、シースミは静かに頷き返した。一方ダトス達は二人の様子を訝しんだらしく、無言のまま見つめ続ける。
ラークリは十歳、シースミは七歳。したがって士官達は、兄が妹を連れてきただけと考えていたようだ。
「実はシースミがお告げを受けて……。夢の病を治すために、北に向かいなさいって」
「なんと!」
ラークリの言葉に、どよめきが生じる。
しかしラーカは神託か類することがあったと睨んでいたから、落ち着いたままだ。それにリタンも同じらしく、彼も身じろぎすらしない。
「でも、お兄ちゃんしか信じてくれなかったんです……」
「シースミは小さいからって!」
悲しみに沈むシースミと、憤りを顕わにするラークリ。二人の表情は正反対だが、どちらも子供に似合わぬ強い苦悩を滲ませている。
それだけ大変な目にあったのだろうと、ラーカは思いを巡らせる。
森の端からでも200kmほど、二人が暮らす集落は更に何倍も奥にあるという。自分なら数時間で飛ぶ距離だが、人間の子供ならどれだけ必要だろうか。
その距離を二人だけで歩き続けたのは、両親や祖父母からも信じてもらえなかったから。想像するだけでラーカの心は悲しみに満たされる。
しかし今は感傷に浸るべき時ではない。二人の苦労に報いるには、その根源に迫るしかないからだ。
『夢の病とは?』
「皆、眠ってしまうんです……」
ラーカの問いに、エルフの少年は苦々しげな顔で語り始める。
最初は眠りが少々長くなるだけで生活に支障が出るほどではないが、徐々に睡眠時間が延びて一日の大半を眠って暮らすようになる。そして最後には命を落とすという奇病だ。
「食事もせずに?」
ポルトは思わずといった様子で呟きを漏らす。彼は大食漢だから、命に関わるほどの絶食に強い衝撃を受けたようだ。
「夢が誘うんだって……」
「お爺ちゃんやお婆ちゃんも同じです」
ラークリとシースミは涙を浮かべつつ応じる。
夢の病に罹ると、最後には絶食が命に関わると認識できなくなるらしい。ただし末期に至るまでは起きたときに食事をするし、ラークリ達の祖父母は初期だという。
「まだ一日の半分を寝るくらいだけど、このままじゃ数ヶ月後には……。それに父さんや母さんも夢の病になるかもしれないし……」
「そんなとき、アルフール様からのお告げがあったんです」
二人が語り終えると、室内に重苦しい空気が満ちる。
ダトスを始めとする士官達は困惑を面に浮かべ、ラーカやリタンを見つめるのみだ。ラークリ達を助けたいが、船乗りの自分には打つ手がないと思ったのだろう。
船団のエルフ達も似たり寄ったりだ。デルフィナ共和国出身とアゼルフ共和国出身の双方から、このような病は聞いたことがないという声が上がる。
そのためラークリ達の表情が更に暗さを増す。
お告げに従って長い旅をしてきたが、祖父母を救えぬのか。激しい絶望が幼い顔を塗りつぶしたように、ラーカは感じる。
『大丈夫です! 僕達に分からなくても、シノブさんならきっと!』
ラーカはシノブに縋ることにした。
悲しみに暮れる二人に希望を示さずにはいられなかったし、微笑みを取り戻してもらいたい。それが全てに優先するとラーカは考えたのだ。
『そうです! シノブさんは今までも皆を笑顔に変えてきましたから!』
おそらくリタンも同じ気持ちなのだろう。彼は間を置かずに賛意を示す。
何が原因か想像すら出来ないが、シノブなら絶対に解決する。リタンの力強い宣言に、ラーカは自身と同じ信仰にも似た強い信頼を感じた。
『さあ、アマノシュタットに行きましょう!』
『大丈夫です! 魔法の馬車を呼び寄せたら一瞬ですよ!』
ラーカとリタンは遥か西、シノブのいる地へと少年少女を誘う。
そこに行きさえすれば、全てが解決すると示す。夢の病など吹き飛ばす、夢のような奇跡が待っていると伝える。天まで届くほど高らかに、光すら生じるような明るい声で。
「はい!」
「お願いします!」
ラークリとシースミの顔から憂いが晴れる。そして二人は涙で濡れていた面を拭うと、勢いよく席から立ち上がった。
やはり子供には笑顔が一番だ。ラーカは自分の方が年少にも関わらず、守護者としての思いを強くする。
『ラークリ君、乗ってください!』
『それではシースミさんは私に』
ラーカは少年を、リタンは少女を背に乗せて甲板へと向かっていく。
自分達が慕う青年、神々の血族にして『光の盟主』と称えられる若者に会わせるために。そして二人の更なる笑顔を目にするために。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年11月14日(水)17時の更新となります。