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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第27章 夢見る者達
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27.19 マティアス、案内する

 マティアスは妻と共に王家主催の晩餐に招かれた。

 他にもベランジェのルクレール侯爵家とシメオンのビュレフィス侯爵家から、当主と夫人が列席している。つまりマティアスのフォルジェ侯爵家と合わせて、アマノ王国の三侯爵が揃ったわけだ。

 現在アマノ王国に傍系王族は存在しないから、公爵は空席のままである。そのため今は侯爵が貴族の最高位で、役職も比例して重い。


 まず侯爵筆頭のベランジェが宰相、次席のシメオンが内務卿、そしてマティアスが軍務卿だ。

 それにアマノ王国は新興国家ということもあり、夫人達も働いている。マティアスの妻アリエルが宰相府管轄の文化庁で長官、シメオンの妻ミレーユが副長官。更にベランジェの第一夫人アンジェは外務卿補佐、第二夫人レナエルはアリエルとミレーユが出産するまで文化庁長官代理を務めた。

 レナエルにも昨年六月に生まれた娘レフィーヌがいるが、高位貴族の常で乳母を宛がっていた。そのため彼女は先月上旬に代理を終えた後も、アリエル達を支える一人として文化庁に残っている。


 このように全員が公務に就いているから、王家との晩餐でも関連する話題が上る頻度は高い。しかし、この日は少々風向きが違った。


「シノブ様……」


「済まない、気付いてはいたけどね……」


 僅かに恨めしげな表情のシメオンに、シノブが頭を下げる。

 シノブは国王だが気さくな人柄で、しかも今は王家と侯爵家のみの私的な場でもある。そのため驚くどころか、皆は微笑みを浮かべるのみだ。


「あっ、危ない!」


「大丈夫ですよ」


「ええ、シメオン殿は無事ですわ」


 思わず発したらしいミュリエルの声に、シャルロットとセレスティーヌが続く。

 小宮殿の広間の一つ、『白日(はくじつ)の間』の壁は一部が白布で覆われている。そして室内の灯りは落とされ、布にはシメオンが転ぶ姿が映っていた。


 しかも動きのある絵、映像の魔道具で撮った動画だ。

 布の上では顔を(しか)めたシメオンが立ち上がると、車輪が前後に二つの乗り物に再び跨った。すると笑顔のミレーユが近寄り、乗り物の後ろにある荷台を押さえて走り出す。

 今は食後の一時、そして面白いものがあると宰相ベランジェが映像の魔道具を持ってきたのだ。


「良いじゃないですか~。初めて自転車に乗る姿、記念になりますよ~」


「奥方の申す通りですな。お二人の仲睦まじさ、改めて感服いたしました」


 ミレーユの柔らかな言葉に、マティアスは高らかに声を張り上げて賛意を示す。

 この日の午前中、マティアスは自転車という新たな乗り物を試した。アマノ王家と側付き達、そしてビュレフィス侯爵夫妻や自身の妻アリエルと共に、ここ小宮殿の庭で試乗したのだ。


 そのときシメオンは比較的習得が遅く、妻のミレーユに教わっていた。

 ただしミレーユは他国にも勇名が響き渡る女騎士、カンビーニ国王から『真紅の流星』という異名を授かったほどだ。それに対しシメオンは文官一筋で、身体強化も貴族としては平均的な範囲に(とど)まっている。

 したがって恥じることはないとマティアスは思うが、シメオンは頬を染めていた。暗がりだから分かりにくいが、映写の光もあるし近くだから充分に見て取れる。


「これは、やはりミリィ様が?」


「はい~、私がシャミィに頼みました~。ベランジェ様の提案でもありますけど~」


 シメオンの問いに、ミリィが楽しげな声で応じる。

 角度からすると小宮殿の二階から撮ったらしいが、そこからなら流石に誰かが気付くだろう。したがって透明化の魔道具や幻影の術など、何らかの手段で隠れていたのは間違いない。

 そのようなことまでして撮影する人物など、ミリィしかいない。そのようにシメオンは考えたらしいが、事実は少しばかり異なっていた。


 最近ミリィはカン地方の後見役に加えてアスレア地方での調査まで担当していた。しかも前者は元からの任務だが、後者は何かの罰だという。

 原因はシノブがアスレア地方歴訪をしている最中で、マティアスはシメオンやベランジェと共にアマノシュタットで留守居を務めていたから詳しくは知らない。もっともミリィはシノブを支える眷属でも変わり者というべきで、そういうこともあるだろうと深く考えはしなかった。


「本当はミリィ君が撮りたかったそうだが、まだ調査とやらが続いていたからねぇ」


「一日違いでしたね~」


 ベランジェとミリィは楽しげに言葉を交わしている。

 二人が口にしたように、ミリィの調査は今日で終わった。それに彼女を手伝ったオルムル達も側に並び、映像鑑賞に加わっている。


「その……済みません」


「いえ、確かに良い思い出になりそうです」


 シャミィの声は明らかに沈んでいた。そのためだろうが、シメオンは一転して肯定的な態度を示す。


 マティアスは先月のホクカンでの出来事を思い浮かべる。

 シャミィは先日シノブの眷属になったばかり、しかも新たな体を得て再誕した。この前代未聞の出来事を、マティアスは大きな感動と共に受け止める。

 再誕という奇跡を成したのはシノブ。マティアスが忠誠を捧げる主君にして神の血族だ。そして多くのエウレア地方の王族や貴族と同様に、マティアスも大神アムテリアに心からの信仰を捧げていたからである。


 それにシャミィは僅か五歳ほどにしか見えない。並んでいるアミィは十歳程度で続くタミィは七歳くらいだが、更に幼い外見なのだ。

 マティアスは密かに教わったが三人は天狐族という眷属で、しかもシャミィは生まれ変わる前も眷属でありカン地方の聖人でもあったという。そのため外見で量るような愚は犯さないが、幼い少女が憂いを顕わにしたら心が痛むのも事実である。


『私も自転車に乗ってみたいです!』


『僕も!』


 岩竜の二頭、オルムルやファーヴも自転車に興味津々らしい。あるいは気落ちしたシャミィを気遣い、話題を変えようとしたのだろうか。


『シノブさん、明日は自転車でお出かけしませんか!?』


『午前中に習いますから!』


 超越種の子供は八ヶ月を過ぎたころから憑依できるようになるそうだ。そして彼らが人間そっくりの木人を使えば、自転車に乗るのも可能だろう。

 そのため二頭だけではなく、炎竜フェルンと朱潜鳳ディアスまでの年長組は口々に同意を示す。


『私がタラーク達を見ますから』


──残念です──


──馬車で良いです、ダメでしょうか?──


──以前ケリスさんは、ぬいぐるみに入ったと聞きましたが──


 玄王亀ケリスは生後六ヶ月少々だ。続いた同族のタラーク、嵐竜ルーシャ、海竜ラームは生まれて一ヶ月弱で憑依どころか発声の術すら習得していないから『アマノ式伝達法』である。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 やはりケリス達だけ仲間外れというのは可哀想だ。そう考えたマティアスは、シノブへと向き直る。


「シノブ様、王都守護隊に早速使わせたいと考えていました。守護隊員に扮していただければ、私が御案内いたします」


 既にマティアスは軍用自転車を軍務省に持ち帰っており、本部の隊員達に練習させている。そのため自分達が警護し、一緒に王都を巡ろうと考えたのだ。


「う~ん。俺やシャルロットは良いけど、ケリス達がね……。ぬいぐるみを持った守護隊員っていうのは、不自然じゃないか?」


「荷台に箱でも乗せて入っていただくかね?」


「それでは自転車から降ろせませんよ?」


 シノブが難色を示すと、ベランジェが口を挟む。するとアミィが問題点を挙げた。

 超越種は小さくなる腕輪を持っているから、ぬいぐるみや箱でも充分に入れる。しかし箱に入れたままでは、店などに入るのは難しいだろう。


「文化庁の職員なら、子連れでもおかしくないと思います。それにミュリエル様やアミィ様達に同行していただけば、ぬいぐるみを抱えていても自然です」


 文化庁主導の新たな乗り物の試験にしてはと、アリエルが提案する。

 これには多くの者が納得したようで、各所で賛成の声が上がる。それにマティアスも、妻の案が良いと感じていた。


 軍は女性隊員が少ないから、マティアスは一部に男装してもらうつもりだった。

 専用の魔道具はあるし、アミィを始めとする天狐族の三人は幻影の術が使えるから変装自体は問題ない。しかし本来の性別と違っては、街を楽しめないだろう。

 それに軍にも見習いの少年少女はいるが、殆どは十歳以上だ。したがってアミィまではともかく、タミィやシャミィは不自然極まりない。


 まだシャミィは生まれ変わって半月弱、しかも彼女は先輩のタミィから大神官補佐としての仕事を教わるなど忙しかったから街に出る機会も少なかった筈だ。そのためマティアスも、出来れば彼女を連れ出したいと思ってはいたのだ。


「それでしたら、私達が護衛を務めましょう!」


「ええ。新しい乗り物の試験ですから、守護隊がいた方が良いでしょう」


 自分も参加させてくれというマティアスの意図を読み取ったらしく、シメオンが軍の同伴を勧める。

 エウレア地方を始めとする多くの国では、交通関係を軍の管轄としていた。街道の敷設や管理に事故の処理などは、アマノ王国だと軍務省交通管理局が主導する。

 そして現場を預かるのは各地に置かれた守護隊だから、乗り物の試験に彼らが随伴すべきという提案は筋が通っている。


「では決まりだ! アミィ、明日の午後は空いていたよね?」


「はい! 十五時から夕食までは大丈夫です!」


「それなら私も一緒に行きます~!」


 シノブがアミィに予定を確認すると、ミリィまで名乗りを上げた。

 ミリィはホリィと共にカン地方の後見をしている。ナンカンの都ジェンイーにはアマノ同盟カン地方局があり、情報局長代行のソニアがカン地方局長を兼ねているのだ。

 情報局も軍の組織の一つだから、これはマティアスも重々承知である。そのため少々案じたが、すぐに問題ないと判断する。


「ジェンイーとの時差は六時間ほど、こちらの十五時なら二十一時か……。良いよ、オシオキとはいえカーフス山脈をくまなく調べるのは大変だっただろう」


 シノブが口にしたようにカンの三国は遥か東だから、こちらが街に出る時刻までにミリィは仕事を終えている筈だ。

 しかし罰を終えた直後に街巡りとは、少々甘いのでは。神の血族と眷属のやり取りに口を挟むつもりは無いが、マティアスの心に疑問が生じる。


「ありがとうございます~!」


「ミリィ、キチンと仕事を終えてから来てくださいね。それと後でホリィに確かめるから、誤魔化さないように」


 歓声を上げるミリィに、アミィは釘を刺す。とはいえシノブと同じく笑いを含んだ声で、形ばかりといった印象だ。


 マティアスは軍人として長く働いただけあり、規律を重視していた。

 シノブやアミィも自身については厳しく律しているし、休みなく自国や同盟のために働く姿にマティアスは強い敬意を捧げている。神の血族や眷属だから疲労が少ないらしいが、精神的には疲れもするだろうと考えていたからだ。

 二人とマティアスが出会ったのは一昨年の十一月、まだ一年と四ヶ月少々だ。そのときシノブはメリエンヌ王国の子爵でしかなかったが、翌年早々にフライユ伯爵となり更に半年後にはアマノ王国の王となる。

 もちろん爵位や王位に相応しい活躍をしたからで、各国が多国間同盟の主として認めるほどだ。これは単なる武力や魔力のみならず、王や盟主に相応しい自制や判断をした証左だとマティアスは受け取っている。


 しかしミリィに関しては、謎めいた部分が多すぎる。率直に言えば、普段は遊んでいるようにしか映らないのだ。

 もちろん他の眷属と同様に活躍しているが、今回のように幾度か罰を受けたらしい。これをどう考えて良いのか、マティアスは判断しかねていた。

 ミリィと同じ金鵄(きんし)族で最初に現れたのはホリィ、真面目で効率を好む性格だからマティアスとしても共感するところが多い。それに彼女が来たのはシノブがフライユ伯爵になった直後、つまりマティアスがフライユ伯爵付きの子爵になったのと殆ど同時だから戦友めいた感覚すらある。

 それに対しミリィやマリィの登場はベーリンゲン帝国との戦いが終わったころで、しかも彼女達はアルマン島の偵察など留守にしがちだった。そのためマティアスとの接点は少なく、今ひとつ理解しかねるところがあった。


「それではミリィ様、お待ちしております!」


 マティアスは疑問を封じ込めて立ち上がり、ミリィに向かって一礼した。既に映写は終わり、室内は再び(まば)いばかりの灯りで照らされていたのだ。


 自分は単なる軍人だから、神々の使徒について理解できる筈がない。しかも主君が認めているのに、口を挟むなど無礼ですらある。

 これまでと同じく、マティアスの胸中ではシノブへの信頼が勝った。それに長い軍人生活では、理由を示されぬ命令など数え切れないほどあった。

 そして今やマティアスも全てを明かさずに命ずる側だ。何しろ現在は軍務卿、それにシノブはアマノ同盟の盟主であり各地の秘事にすら関わってきた。

 これを全て部下に伝えるのは不可能だと、マティアスも重々承知していたのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 翌4月3日の十五時、マティアスはシノブ達と共に『白陽宮』を出発する。

 マティアスとシノブ、そしてシャルロットは守護隊に扮した。シノブが中隊長でマティアスとシャルロットが小隊長、そしてシノブの親衛隊や女性王族の護衛騎士が守護隊員という配役だ。

 アリエルは文化庁の職員、そして王家の従者や侍女のうち年長の者が部下を演じている。オルムル達や年少の側仕えなどは自転車の試験対象として選ばれた子という位置付けで、一部が自転車に乗って残りはケリスなどと共に二台の馬車に収まっている。

 眷属達もこちらで、今はミリィとシャミィの二人が子供用自転車に乗ってアミィとタミィは馬車の中だ。もちろんシノブを始め、変装の魔道具や幻影の術で正体を隠している。


「新顔達を中心にされたので?」


「ああ。ヴィジャンに玲玉(リンユー)忠望(ヂョンワン)……それにヒュザやハジャルは来たばかりだから、アマノシュタットを見てもらいたいし」


 マティアスの(ささや)きに、シノブは愛馬リュミエールの上から応じた。

 試作した自転車は二十台ほどだが、多くの側仕えを伴ったしオルムル達が操る木人もいる。そこで守護隊役は従来通り馬に乗っているのだ。

 シャルロットもベルレアン伯爵家から連れてきたアルジャンテ、それにアリエルも同じく長年乗り慣れたメリーを選んでいる。


 ちなみに今回もベランジェは同行しなかった。ここ暫くは国史発刊などに時間を割いていたから仕事が溜まっていると、彼は断ったのだ。

 それにシメオンとミレーユも都合が付かず、昨日の晩餐に出席した者だとミュリエルやセレスティーヌがいるのみである。

 ただしミュリエルは選抜された子、セレスティーヌは文化庁の職員に扮している。それに馬車も文化庁のものだから、注目は人より乗り物に集まっていた。


「あれは? 馬がいないのに走っている……どういう仕組みだ?」


「さあ? 他は守護隊に文化庁の職員と馬車だが……」


 ここは中央区、それも王宮を出たばかりの省庁や大神殿などがある区画だ。そのため道を歩む者は内政官や武官が殆どで、あからさまに驚きはしない。

 とはいえ多くは自転車が気になるようで、慎み深さを保ちつつも視線を向けている。


「これは自転車という乗り物ですよ~! 陛下が考案なさったのを、メリエンヌ学園の研究所で形にしました~!」


「おお、そうだったのか!」


「ミルファちゃん、ありがとう!」


 ミリィが化けた人族の少女が叫ぶと、通りがかった者達が納得の表情となる。

 その様子を目にしたマティアスは、僅かに首を傾げた。今のやり取りからすると、すれ違った官人や武人はミリィの仮の姿を知っているとしか思えなかったからだ。


「ああやってミリィは街を巡っているんだ。ミルファっていうのは彼女が使う名の一つだけど、公営侍女紹介所にも登録されている。旧帝国の従士の娘だけど父母を帝都決戦で亡くし、今は侍女として生計を立てている健気な子……という設定だって」


「彼女達は思った通りの姿になれますからね……年齢と性別はそのままですが」


 シノブとシャルロットの言葉を裏付けるように、出会う人の半数ほどはミルファという少女を知っていた。その中には実際に侍女として雇ったことがあるようで、その後を問う者もいたくらいだ。


 金鵄(きんし)族の本来の姿は青い鷹で、神具によって人に変じている。これは幻影の術とは違って実体があるし、全ての種族に化けられる上に容姿も自由自在だ。

 ただしシャルロットが触れたように、大人になったり幼くなったりは出来ないし性別も女性のみである。そこでミリィは侍女見習いのように、十歳でも疑われない仕事を選んだわけだ。


「隣の子は友達かね?」


「私の後輩のシャルファちゃんです~! 小さいから勉強中ですけど~!」


「よろしくお願いします!」


 問うた男に、ミリィは自転車を進めながら笑いかける。するとシャミィも彼女に合わせて挨拶をした。

 流石に五歳の子が働く例は少ないから、シャミィは公営侍女紹介所で学んでいる途中とされたらしい。実際に幼くして親を亡くした子は神殿や公的施設で学びながら将来に備える場合が多いから、男も励ましの言葉を返す。

 ちなみにシャミィは狐の獣人のままだが、髪を黒くして瞳も濃い茶色に変えたから随分と印象が違う。そのため男も先月加わった大神官補佐と気付かなかったらしい。


「シャルファか……登録しておかないとな」


「ミリィが手を回しているのでは?」


 シノブの呟きに、シャルロットが微笑みで応じる。

 確かにと、マティアスも頷いた。ある種の慣れというか、諜報員に通じるような用意周到さをミリィから感じたような気がしたのだ。

 そしてマティアスの予感は当たっていたらしい。


「おお、ミルファ。今日は後輩の案内かね? しかし珍しい乗り物だね……」


「はい~! これは自転車といって陛下がお考えになったものですよ~!」


 手前から来た男は公営侍女紹介所の幹部職員だ。そして彼の口振りから察するに、やはりミリィはシャミィにも仮の身分を用意していたようだ。

 それに応じたときミリィは意味ありげな笑みを浮かべたし、職員も僅かに目礼を返した。おそらく彼はミルファなる少女の正体を知っているのだろう。


「自転車で街を走るのも楽しいですね」


「ええ、姉上。……ヴィー君、大丈夫かな?」


「はい!」


 陽気な先導者のお陰なのか、後ろに続く者達の顔も明るい。

 女武人のリンユーは流れる風を堪能しているのか常よりも柔らかな雰囲気で、答えるヂョンワンも笑顔を返す。それに六歳のヴィジャンも、気遣うヂョンワンに元気良く応じる。

 三人は留学中、修行のために訪れた者達だ。それにヴィジャンは父王の過ちで王制が終わり、国を離れた元王子である。

 そのため普段は気を張っているように見受けられたが、今は歳相応に顔を輝かせている。


「ミルファさんは人気者ですね!」


「僕達も見習わなきゃ!」


「本当です!」


 オルムルとファーヴが宿った木人は、あどけない笑顔を交わす。更にシュメイなど他の子も口々に続く。

 オルムル達は千年の時を生きる超越種、眷属に近い存在だ。そのため周囲を輝かせるミリィの姿に、大きな感銘を受けたのだろう。


 普段は道化のようでもミリィは立派な眷属なのだと、マティアスも感じていた。

 大多数が考える神々の使徒の姿とは重ならないが、ミリィならではの方法で周囲を照らしている。四月の日差しにも似た柔らかさで、今吹き抜けた春風のように優しく。

 いつの間にかマティアスの(おもて)から軍務卿の(いか)めしさが失せ、少年時代のように朗らかな顔へと変じていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 中央区から外周区に抜けてもミリィは変わらない。いや、ますます輝くようだ。

 まずミリィは外周区に入ってすぐ、料理店の前で自転車を()める。


「ここ海虎亭(うみとらてい)には王宮の侍女さんも訪れるそうですよ~」


「み、ミルファさん……」


 ミリィの意味ありげな視線に、シャルロット付きの侍女リゼットが頬を染める。

 この海虎亭はガルゴン王国の料理に加え、メリエンヌ王国風の料理も出してくれる店だ。そのためメリエンヌ王国出身のマティアスも訪れたことがあるし、部下でも双方の出身者に贔屓(ひいき)が多い。

 しかし何故(なぜ)リゼットが恥じらったか、マティアスに思い当たることはない。そこで隣の妻に顔を向ける。


「ここでアンネさんと会っていたそうですよ」


「ああ、ベルトーネル子爵の……」


 アリエルの(ささや)きで、マティアスは宰相補佐官のリンハルトを思い浮かべる。

 ベルトーネル子爵リンハルトは近々リゼットを妻に迎え、更に一年か二年を空けて大工の棟梁の娘アンネを娶るそうだ。アリエルも承知しているくらいだからミリィが知っていても不思議ではないが、ここのところカン地方に詰めたりアスレア地方で調査したりと忙しかったのにと感嘆する。


「そのアンネさんの家はこちらですね~」


「ミルファちゃん、久しぶり! ……見慣れない乗り物ねぇ。ウチの弟が見たら喜ぶかも」


 大工の棟梁ハンス・ホルツケンの家の前を通りかかると、またもやミリィは停車する。

 するとアンネが反対側の通りから現れる。どうやら彼女は仕事先から帰ってきたところらしい。


「では弟のカール君のところに行きましょ~。この時間なら技術専門学校ですね~」


「ミルファちゃん、またね~!」


 ミリィが自転車を走らせると、アンネは手を振り見送る。そして一同は城門に近い側へと進み、技術者養成のための専門学校に入る。


「ミルファさん、それ何!?」


「凄い! 蒸気機関なしでも馬みたいに速いなんて!」


 ここでもミリィは人気者だ。もっとも技術者の卵達だけあり、挨拶もそこそこにカールを含めた全員が自転車を注視する。


「これは陛下が考えた乗り物、自転車ですよ~! そしてメリエンヌ学園のハレール男爵が形にしたんです~!」


「えっ、理事長先生が!? どうして俺達に秘密にしたんだろう!?」


 ミリィの言葉にどよめきが生じる。

 ハレール男爵ピッカールはアマノ王国の技術庁の副長官でもあり、この専門学校の理事長も兼ねている。ちなみにミュレ子爵マルタンが技術庁長官で、こちらは魔術専門学校を担当していた。

 そのため子供達は、教えるなら自分達からと言わんばかりに口を尖らせる。


「だ、だから来たんですよ~! 自転車は生まれたばかりで、陛下にお見せしたのも昨日だそうです~!」


「そうなんだ!」


 苦しい言い訳だが、ミリィの言葉で子供達は機嫌を直した。そこでミリィは、すかさず彼らに試乗をさせていく。


「乗り方を教えてあげよう」


「遠慮は無用です」


 シノブやシャルロットも子供達を手招きする。そしてアミィが寄ってきた教師に事情を打ち明け、臨時の自転車講習会が開始された。


「ここ、どうなっているのかな?」


「ちょっとバラしてみる?」


「こら~! 分解したらダメですよ~!」


 工具を手にした少年達に、ミリィは駆け寄っていく。すると少年達は笑いながら逃げていった。


「私が御案内するつもりだったが……完敗だな」


 じゃれあうミリィと子供達を見つめながら、マティアスは呟く。

 治安維持は軍の役目の一つだ。そしてアマノシュタットは国王シノブが住まう場所だから、マティアスは誰よりも詳しくなろうと務めてきた。

 もちろん全てを知るのは不可能だが、総合的に把握しているのは自分だと言えるように励んだつもりだ。しかしミリィの方が王都の実際に詳しいのではという思いが湧いてくる。


「年季が違いすぎます」


「それもそうか……」


 アリエルの曖昧な言葉に隠された意味を、マティアスは正しく読み取った。

 相手は何百年もの時を見つめた神々の使徒なのだ。勝負になるわけがないと言われたら、その通りと答えるしかない。

 もちろん妻の言葉は自分を思ってのものだと、マティアスは理解している。しかし胸の内に生じた寂しさに似た感覚は、僅かだが残り続けた。


「次は守護隊の詰め所にでも行きましょうか~」


「ならば私が案内しましょう」


 カール達との交流を終えると、ミリィは守護隊にと言い出した。そこでマティアスは馬を先頭に進め、最寄りの詰め所を目指していく。

 しかし詰め所に着く前に、騒ぎが起きる。


「引ったくり! 誰か捕まえて!」


「私が行きます!」


 女性の声が響くと、反射的にマティアスは馬を走らせた。

 荷物を奪った男は、既に路地へと消えている。しかしマティアスは焦ることなく、()()()()()()へと馬を進める。


「道が違います!」


「大丈夫です~!」


 親衛隊員の若者が叫ぶが、ミリィが打ち消した。そしてマティアスは微笑みつつ馬を走らせる。

 男の消えた路地は、自身が進む道と交差している。それをマティアスは知っていたのだ。


「先回りしやがったのか!?」


「この国を……そして王都を守る身。路地の一本に至るまで熟知するのは当然!」


 驚愕する男に、マティアスは小剣を抜きつつ叫び返す。そして直後、剣の平を男の頭上に落として気絶させた。


 そして幾らもしないうちに、多くの人が殺到する。

 マティアスが駆けた道からはシノブ達、盗人が通った路地からは荷物の持ち主である女性や加勢の者達。あっという間に狭い脇道は人で埋め尽くされた。


「お見事! 流石は軍務卿マティアスだ!」


「陛下……」


 シノブの賞賛に、マティアスは頬を染めつつ応じた。

 日々の努力を認められたという喜び。お忍びなのにという戸惑い。それらが同時に胸の中に宿る。


「貴方、変装の魔道具を」


「そうだな……せっかくの御好意だ」


 アリエルの勧めに頷き、マティアスは首飾り状の魔道具を外す。

 既にシノブやシャルロットは本来の姿に戻ったし、他も続いている。アリエルの推測通り、シノブは自分の手柄とするために変装を解いたのだろう。

 その心遣いが嬉しいから、頬が熱くなる。主君の思いに応えようと胸を張る。人々の信頼に恥じぬようにと決意を新たにする。


「我こそはアマノ王国軍務卿、フォルジェ侯爵マティアス! 陛下を支え諸君らを守り、平和へと(いざな)う者だ!」


「カッコいいです~!」


 剣を掲げるメリエンヌ王国流、つまりアマノ王国流でもある見得(みえ)を切ったマティアスに、ミリィの賞賛が届く。そして一瞬の後、空まで届くような拍手喝采が辺りを満たした。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2018年11月10日(土)17時の更新となります。


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