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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第27章 夢見る者達
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27.18 シメオン、挑戦する

 シメオンは朝議の席に着いていた。

 円卓を囲んでいるのは普段と同じ面々だ。国王シノブと戦王妃(せんおうひ)シャルロット、そして宰相ベランジェを始めとする閣僚達に大神官アミィと侍従長ジェルヴェ。合わせて十一人、全員が揃っている。

 閣僚といっても二名は女性だから華やかさもある。何しろ外務卿代行のセレスティーヌは十六歳、商務卿代行のミュリエルは十一歳になって一ヶ月も経っていない。


 もっとも他は男、しかも老人も二人いる。それ(ゆえ)シメオンは、釣り合いが取れていると感じていた。

 軍務卿マティアスは三十過ぎ、内務卿の自分は二十代半ば、祖父で財務卿代行のシャルルは六十半ば、ミュリエルの大伯父にあたる農務卿代行ベルナルドは六十過ぎ。中枢が全て男という国も多々あるくらいで、十一人のうち四人が女性というアマノ王国は女性比率が極めて高い方だ。

 これを上回るのは(おさ)の殆どが女性というエルフの国だけである。


 女性が多い上に国王シノブが穏やかな性格だから、アマノ王国の朝議は和やかに進む。

 ましてや昨日は国史発刊記念式典に、ソニアとロマニーノの結婚式だ。そのため一夜明けた今も祝賀気分が残っているらしく、集った者達の顔は常よりも明るい。

 しかも開始早々、シノブが遠い東からの吉報を紹介する。


「先ほどナタリオから連絡があった。リシュムーカ王国の都市ナルラーダは大歓迎、東域探検船団にも充分な補給を約束してくれた。ちなみに先乗りした諜報員によると、提供価格は市価と変わらないそうだ」


 シノブが口にしたナルラーダとは、イーディア地方の西海岸で最も北の都市だ。つまりエウレア地方やアスレア地方に一番近い港町である。


 五日前の創世暦1002年3月28日、東域探検船団はアスレア地方の東南端タジース王国を発ってリシュムーカ王国を目指した。そして昨日4月1日の遅くにナルラーダの少々北まで到達する。

 夜も更けていたから接触や交渉は今朝から、しかしナルラーダはアマノシュタットより日が昇るのが三時間半近くも早い。そのため向こうは昼前、これから昼食を兼ねた(うたげ)が始まるという。


「盛大な歓待、あまりの順調さに拍子抜けしたとか……」


 シャルロットは船団が港に着いたときの様子を語っていく。

 これまでアスレア地方とイーディア地方の間は魔獣の海域で塞がれていた。そこで危険な西から現れた大船団に、漁師などが驚愕する。

 ここまでは東域探検船団がアスレア地方に到達したときと同じだが、太守と接触してからが違った。ナルラーダの太守は、アマノ同盟の訪れを知っていたのだ。


「アーディヴァ王国は隣国と関係修復したからね。それでジャルダ殿は各国に密書で知らせ、リシュムーカの王は海岸線の太守に西から大船団が来ると極秘裏に伝えた……。既にナルラーダの太守は王都に使者を出したし、一週間かそこらで国王と対面できるだろう」


 シノブはアーディヴァ王ジャルダと何度も会っている。

 アーディヴァ王国とは神王虎(しんおうこ)の事件があった国、禁術使いのヴィルーダが長く裏から操っていた地だ。これをシノブ達が解決し、更にホリィやマリィが建て直しを支援した。

 そしてジャルダは隣国の王達にアマノ同盟のことを伝えた。シノブとジャルダの会談を含め、密かな接触や伝達で根回しが終わっているのだ。

 これらをシメオン達は聞いているから、首肯や笑みで応じていく。


「だからリシュムーカ王国、カンダッタ王国、チャンガーラ王国の三つは大丈夫さ」


 シノブが口にした地域は、既に地図として(まと)められている。

 イーディア地方全体の広域図、アーディヴァ王国と周辺の三国を倍ほどに拡大した地図。どれも国名や都市が書き込まれ、国境線も記されている。

 アーディヴァ王国の事件の少し前、ホリィ達が空から巡って知った概要。事件の解決後、隣国を含む四つに送り込んだ諜報員の報告。更にイーディア地方に住む光翔虎達からも教わった事柄も加えた、正確極まりない図だ。

 それらをシノブの従者達が卓上に広げ、席に着いた面々が覗き込む。


 地図の左上、イーディア地方の北西は大きな砂漠だ。そして更に北がマハーリャ山脈で、東西に広がり他の地方と完全に切り離している。

 そして拡大図に記された国で海に接しているのはリシュムーカ王国のみ。そこでナタリオ達は同国を第一の目的地とした。


「ナルラーダまでの航海も平和そのもの、事件といえばリョマノフが大ザメと戦った程度だ」


 シノブは笑みを深くしつつ言葉を続ける。

 陸路でイーディア地方に渡るのは不可能、海竜達が作ってくれた海の道を進むしかない。この海竜の道と呼ばれる場所で、リョマノフは帝王ザメと遭遇した。

 帝王ザメは巨大だが、魔獣というほど特異な存在ではない。海竜が作った結界は魔力が飛びぬけた動物のみを阻むから、大きいだけの生き物は通り抜けてしまう。


「程度と仰いますが、全長が大人の背の五倍はあったとか……」


「海竜リタン様が乗せてくださったとはいえ、馬ほどに小さくなって運んだのみでしたな」


 軽い口調で済ましたシノブに、財務卿代行シャルルと農務卿代行ベルナルドが(あき)れたような顔を向ける。

 シャルルはシメオンと同じで武術は騎士を名乗れる程度、ベルナルドは中の上くらい。つまり巨大魔獣との一騎打ちなど不可能だ。

 しかしシャルルやシメオンでも五千人に一人かそこらの域で、多くの者からすれば羨望の対象だ。要するにシノブの感覚が常識外れ、普通なら末代まで語り継ぐべき偉業と捉えるだろう。


「話を戻すが、リシュムーカ王国は暫く様子見……だね?」


「ええ」


「叔父様、案ずることはありませんわ」


 確認らしきベランジェの言葉にシノブは大きく頷き返し、更にセレスティーヌが続く。

 太守に外国と交渉する権限はないから、国王の返答を待つことになる。つまりナルラーダで待機するか、一つ南で王都パータプーラにも近い都市ブドガーヤまで進むか、どちらかだろう。

 パータプーラは内陸にあり、船で寄るのは不可能なのだ。


「どうもベランジェ殿には、披露したいことがあるようです。しかも、昨日の国史発刊や新たな音楽とは違う事柄と見ましたが?」


 シメオンは微笑みと共に、感じたことを言葉にしていく。

 今日のベランジェには、何かを切り出したそうな雰囲気があった。彼は上手く隠しており姪のセレスティーヌも気付かなかったらしいが、シメオンは常との違いを感じていた。


「そうでしたの! 流石はシメオン様、見習わなくては!」


「歳を重ねているだけです。華姫(かき)殿下も、すぐに会得なさいますよ」


 セレスティーヌも人間観察に()けているし、女性同士の繋がりを活かした情報操作を得意としている。しかし自分には十年以上もの内政官としての経験があり、それが教えてくれただけとシメオンは返す。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「では義伯父上、お願いします」


 シノブも察していたらしく、落ち着いた表情のままベランジェに譲る。国王とは思えぬ柔らかな口調に、年長者への尊敬を示す一礼まで加えて。

 一方シメオンは、シノブとの出会いを思い出していた。それはメリエンヌ王国ベルレアン伯爵領の領都セリュジエール、一昨年(おととし)の夏のことだ。


 シャルロットやアリエル、そして今は自身の妻となったミレーユは街道で暗殺者達に狙われた。二十人以上が一斉に矢を放ち、しかもシャルロット達は全力で馬を走らせていたから躱すことも出来なかった。

 シノブやアミィから『アマノ式魔力操作法』を学び、更に修行を重ねた今なら余裕で対応できると妻は語った。しかし当時は自身を守るだけで精一杯、馬達は矢を受けて倒れ伏した。

 三人は落馬で骨折を含む怪我をし、とても戦える状況ではなかった。もしシノブやアミィが助けてくれなかったら、彼女達は街道で命を落としただろう。


 この大殊勲をシノブは誇るどころか、そのまま姿を消そうとしたという。伯爵家との関わりを面倒に思ったらしいが、普通なら恩に着せて長逗留を決め込むだろう。

 結果としてはシャルロット達が強硬に押し切り、シノブ達はベルレアン伯爵家の客になる。しかし同日夜の晩餐会でシメオンが目にした彼は明らかに戸惑っていたし、率直に表現するなら迷惑そうですらあった。

 それでいて穏やかな物腰は今と同じ。エウレア地方の風習には詳しくなかったが、会話からは高い知性が感じ取れた。

 これらにシメオンは、一体どのような人生を送ってきたのかと(いぶか)しく感じた。そのため長々と観察を続けたが、後に神の血族だと知ったときには驚きつつも納得したものだ。


 もっともシメオンが過去に(ひた)っていたのは僅かな間、何故(なぜ)ならベランジェの陽気な声が、閣議の間に広がったからだ。


「それではシノブ君から頼まれていた乗り物を披露しましょう! リンハルト、あれを!」


「はい、かしこまりました」


 得意げなベランジェに、宰相補佐官のリンハルトが静かに応じて室外へと歩んでいく。これをシメオンは少々意外に感じつつ眺めていた。


 乗り物を持ち込むのは難しいから、図面や絵の披露に違いない。それらであれば手際の良いリンハルトなら(たずさ)えているのでは。このようにシメオンは思ったし、周囲も同様らしく怪訝な顔が多い。

 しかし疑問は直後に氷解する。控えの間に消えたリンハルトは、乗り物を押して戻ってきたのだ。


「これは、どういう……車輪が前後に一つずつあるだけですが」


「座席はありますな……しかし随分と小さい」


「蒸気機関は付いていないのですか?」


 首を傾げたのはシャルルとベルナルドだ。それにマティアスも不思議そうな様子を隠さない。

 対照的にアマノ王家の面々は期待の笑みというべき表情だ。シノブは依頼者だから当然、そして共に暮らすシャルロット達は彼から聞いているのだろう。


「これは自転車……自分で転がす車なのですよ。リンハルト、ちょっと跨ってみたまえ!」


「それでは失礼します……」


 ベランジェに促され、リンハルトは自身が運んできた乗り物の上に収まった。

 中央にある小さな座席に座っているが、両足は床に着いたまま。前に腕を伸ばして前の車輪の上にある棒を握った姿勢である。

 シメオンが知るものに当てはめるなら、乗馬姿が最も近い。


「動かすときは足元にあるペダル……(あぶみ)のようなものを回すのです。そうだ、実演してみせましょう」


 シノブが席を立つと、リンハルトは自転車という乗り物から降りる。

 金属製らしき骨組みで構成された乗り物は、座席と前の車輪の間が低くなっており跨ぎやすい。そのため補佐官は素早く場所を譲り、国王に乗り物を渡す。


「これは故郷でママチャリ……お母さんの自転車と呼ばれる形式です。速度は出ませんが、誰でも乗りやすいように作った自転車ですね。前の(かご)や後ろの台に荷物を載せて運べますし、幼児用の座席を付ければ子育てにも役立ちます……その場合は後ろを二輪にしても良いですね」


 シノブは円卓の周囲をゆっくり巡り始める。

 車輪には何かの革が巻いてあり、床が傷つくこともないし静かなものだ。それにシノブは相当に慣れているらしく、自転車は車輪が二つだけとは思えないほど安定している。


「今シノブ君が漕いでいるペダルから、ギアとチェーン……歯車と鎖を通して後ろの車輪に力を伝えるのですよ。メリエンヌ学園の研究所、ドワーフ技師の労作です」


 続いてベランジェが構造に触れていく。そこでシメオンを含む観客は、シノブの足元へと視線を向けた。


 歯車はシノブが来る前から存在する。風車や水車などに使われている木製や金属製の歯車を、シメオンもベルレアン伯爵領の内政官時代から幾度となく目にしていた。

 今は蒸気船や飛行船にも使われているし、同じく蒸気機関を活かした紡績機や揚水機など各種産業でも歯車は必須だ。したがって、ここまでなら驚かない。

 滑車もあるからチェーンも理解できるが、精密さが桁違いだ。そのためだろうが、殆どがペダルと後ろの車輪を繋ぐ金属の輪を見つめていた。


「本当に素晴らしい出来だ。フリーホイール……空転装置もあるし。お陰で勢いがつけば漕がなくても良いんだ」


 シノブは足の動きを()めるが、それでも自転車は先ほどまでと同じく緩やかに進んでいく。

 これには多くの者が驚いたらしい。漕いだ力がチェーンという金具を伝わっていくのは実物を見れば理解できるが、進む間は足を動かし続けると思っていたようだ。


「……懐中時計の脱進機のようなものでしょうか?」


「流石はシメオン。そうさ、あれがあったから説明が楽だった。脱進機と同じで中にラチェットが仕込んであるのさ……このカチカチという音が示している通りにね」


 シメオンの推測に、シノブは笑顔で応じた。そして彼は自転車から降りるとリンハルトに返し、自席へと戻っていく。


 脱進機とは時計の針が戻らないようにする機構だ。

 据え置き型の柱時計や置き時計と違い、懐中時計は揺れもあれば傾きもする。そこで針を一定に進めるための工夫として、鉤のような歯車と引っかける仕組みが用意された。

 この脱進機もメリエンヌ王国などが誕生した時期に発明されたというから、聖人に由来する技術なのだろう。つまりシノブが自転車を伝えたように、建国を支えた神々の使者が今後のために(もたら)した技だとシメオンは想像していた。

 正確な時計は内政官としても大いに感謝しているし、マティアスも軍事行動に欠かせないと言っている。確かに少し行軍したら狂う時計など、懐中に入れて持ち運ぶ意味がないだろう。


「どのように活用するか、教えていただけませんか?」


「そうですな! 私にもぜひ!」


 わざわざ朝議に持ち込むくらいだから、国政にも役立つのだろう。ならば内務を預かる自分は知らねばなるまいと、シメオンは考えた。

 これはマティアスも同じらしく、勢い良く声を張り上げる。移動手段であれば軍用にも使えると(にら)んだらしい。


「嬉しいね……実は試し乗りをしようと思っていたんだ。シメオンやマティアスが来るなら、乗り方を教えるよ」


 シノブは今までと違う笑みを浮かべた。

 敢えて表現するならニヤリという、国王らしくない笑い。もっとも彼は二十歳(はたち)を過ぎたばかりだから、似合ってはいる。

 もしかすると厳しい訓練を課すのだろうか。ほんの僅かだが早まったかもと感じたシメオンだが、顔には出さずに普段と変わらぬ礼で応じた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 やはりベランジェは一部に伝えていたようだ。侍従長ジェルヴェはシノブとシャルロットの午前中を空き時間とし、午後に政務を回していた。

 シメオン達も魔力無線で自身の職場に問い合わせ、多くが時間の捻出に成功した。ただしシャルルは地方都市からの財政相談、ベルナルドは遠方の農場視察で欠席する。

 それにベランジェもシノブに任せたと言い置き、リンハルトを連れて宰相の執務室に消えていった。どうやら彼は、若者だけで楽しんでほしいと思ったようだ。


 そこでシメオンとマティアスは、アマノ王家の面々と共に小宮殿の庭に向かう。普段シノブ達が訓練に使っている場所だ。

 すると意外な人物が、訓練場で待っていた。


「ミレーユ……ベランジェ殿の差し金でしょうか?」


「ええ。貴女に打ってつけの仕事があるって……」


「アリエルも?」


「はい。文化庁の長官として見てほしいものがあると……」


 シメオンは思わずミレーユに声をかけてしまった。これはマティアスも同じだったらしく、彼も意外な様子を隠さず妻へと寄っていく。


 もっともベランジェの指示は妥当ではある。

 アリエルの言葉通り彼女は文化庁の長官で、ミレーユが副長官だ。そして文化庁は宰相府の下部組織だから、命令系統としても正しい。

 ただし王家の私的な場に古馴染みの夫婦二組を送り込んだのは、シノブを癒すためだろう。国王かつ多国間同盟の盟主として日夜忙しい彼を、ベランジェは大いに気遣っているのだ。


 ならば自分も楽しもうと、シメオンは気持ちを切り替えた。

 僅か三時間ほどで自分が自転車を乗りこなせるとは思えない。しかしシノブや妻、そしてシャルロット達と語らいつつ過ごせる時間であれば大歓迎だ。

 それにシノブの故郷では殆どが自転車を乗りこなし、都市や町の守護隊に当たる組織では日常的に使われているそうだ。ならば内政官の移動手段にもなるのでは、とシメオンは考えた。

 こちらでは馬車を多用しているから、街道や集落内は平らに(なら)してある。つまり自転車を用いる上での障害は少ないし、身体強化の得意な者なら蒸気自動車にも勝るだろうとシノブは語っていた。

 そのためか試作品は軍用らしき無骨な車体から子供用の小さなものまで多様、数も揃っており各種合わせると二十台近く並んでいた。それに試し乗りをさせるのだろうが、訓練場には従者や侍女に騎士達など大勢がいる。


「ミシェル、これは君の自転車……君だけの乗り物だ。昨日は誕生日だからね」


 シノブは子供用の一台を持ってきた。赤を基調に薄桃色を添えた、いかにも女の子用といった品だ。

 ミシェルは侍従長ジェルヴェの孫娘、ベルレアン伯爵領時代からミュリエルと共に『アマノ式魔力操作法』を学ぶなどシノブ達と親しくしてきた。同じベルレアン出身として、シメオンも良く知る一人である。


「私が頂いて良いのでしょうか?」


 昨日で八歳になった少女は、随分と驚いたらしい。彼女の頭上では狐耳がピンと立ち、背後ではフサフサした尻尾が大きく持ち上がる。


「貴女のために作ったのです。それに色はミュリエルが選んだのですよ」


「気に入ってもらえると良いのですが……」


「大丈夫ですわ! とても素敵ですもの!」


 侍女見習いの背を押すシャルロットに、はにかみつつもミュリエルが続く。更にセレスティーヌが朗らかな声で太鼓判を押す。

 するとミシェルは顔を綻ばせる。彼女はミュリエル付きで学友でもあるから、共に過ごす相手からの贈り物をとても嬉しく感じたようだ。


「ミシェルちゃん、おめでとう!」


「おめでとう!」


「ありがとうございます」


 アミィの音頭に従者や侍女、親衛隊員や護衛騎士が続く。そして拍手が鳴り響く中、ミシェルは頬を染めつつ自転車を受け取った。


「ミシェル、おめでとう。……皆も誕生日に贈るし、共用のがあるから一緒に練習しよう!」


 シノブも改めて祝福し、更に子供達に声をかけた。そして彼は閣議の間から持ってきた自転車に跨り、手本を見せる。


「ありがとうございます!」


「頑張ります!」


 見習いの少年少女が大きな歓声を上げる。彼らも乗ってみたいと思い、ミシェルを羨ましく感じてもいたのだろう。


「これは婦人用だから、アンナやリゼット達が使ってね。レナンやミケリーノ、ヂョンワンは大人用で大丈夫。ネルンヘルムやコルドールは子供用……このくらいか。それとヴィジャンやロカレナは補助輪付きが良いかも……」


 シノブは一回りすると、乗っていた自転車をアンナに預ける。そして彼は少年少女に手招きをし、身長に応じて割り当てていく。


「私は軍用にしましょう」


「私もこちらにします~」


「これなら思い切り走れそうです」


 シャルロットとミレーユ、そしてマティアスは骨組みや車輪が太い数台へと向かっていく。それにシノブの親衛隊員や女性王族の護衛騎士も三人に続く。

 軍用自転車は魔狼の革を車輪に巻き、柔軟性と耐久性の双方を確保したという。しかも前後の車輪を支える柱にはバネで衝撃を緩衝する仕組みも入れ、多少の不整地なら走行できる造りにしたそうだ。

 シノブの故郷では車輪に空気を入れた柔軟性のある筒を巻くというが、こちらでは随分と高価になってしまうらしい。そのためサスペンションを採用したと、彼は語っていた。


「セレスティーヌお姉さま、こちらにしましょう」


「ミュリエルさんなら軍用でも大丈夫では?」


「サドルの高さを合わせますね!」


 ミュリエルとセレスティーヌは婦人用だ。こちらはアミィが指導をするらしく、座席の高さを変えるなど世話を焼いている。

 アリエルも婦人用からと思ったのか、アミィに倣って調整をしている。


 こうして即席の自転車練習会が始まった。

 シメオンも婦人用を選ぶ。自分が本職の武人達と違うことくらい、嫌というほど承知しているからだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シャルロットやマティアスを始めとする武人達は、早々に自転車を乗りこなした。この二人やミレーユ、それにマリエッタなどは十数分で教える側となる。

 更にミュリエルや武人達、そして従者や侍女でも武術の心得がある者が続く。


「やはり身体強化能力の差でしょうか……」


「関係ないと思うけど~。ほら、もう一度~」


 しかしシメオンは一時間を過ぎても乗れぬまま、今は妻に教わっている。ミレーユはカンビーニ王から『真紅の流星』という異名を授かった達人だけあって、習得はシャルロットに次ぐ二番手だったのだ。


「こういうのは慣れですよ~」


「とはいえ、あれは身体強化がなくては無理でしょう」


 荷台を押さえつつ励ます妻に応えようと、シメオンは練習を続ける。しかし目に入った光景に、ほろ苦い笑みを浮かべてしまった。


 自転車が向かう方向、ただし随分と先を数台が横切った。それも空中を。

 シノブは土属性の魔術を行使し、訓練場の一角に斜面を(こしら)えた。その傾斜を使って軍人や護衛騎士が宙に舞ったのだ。


「これは楽しい!」


「自転車とは面白い乗り物ですな!」


 まずは軍務卿マティアスと親衛隊長のエンリオだ。どちらも高位の軍人にして貴族だが、今は子供のように顔を輝かせ、声を弾ませている。


「塀も飛び越せそうじゃな!」


「向こうに人がいたら、大変なことになると思う」


 宙を渡りつつマリエッタが物騒なことを叫ぶと、隣でエマが注意らしき言葉を口にする。二人の前には小宮殿と大宮殿を仕切る壁があるのだ。


「軍用だけあって丈夫ですね~」


 自身も試したからだろうが、ミレーユは平然としていた。まずはシノブが手本を示し、シャルロットと彼女が続いたのだ。


「トイヴァさん達のお陰だよ」


「あれだけ高いところから降りても全く歪まない……。ドワーフ達の技に、改めて感嘆しました」


 シノブが親友イヴァールの義父でもある職人を挙げると、シャルロットも大きく頷く。二人は子供達の指導中だ。

 ベランジェが自転車を作ったのは、シノブのためだろう。もちろん実用にも供するが、まずは彼を楽しませようと思った筈だ。

 それ(ゆえ)シメオンは試乗を続けたらと勧めたが、シノブは充分に楽しんだと他に譲った。


 実際シノブの顔は、少年少女に勝るとも劣らぬくらい輝いている。

 弾む声で励まし導く様子、愛妻と笑みを交わす姿。シノブが心から寛いでいると、シメオンも認めざるを得なかった。

 故郷の日常を再現したいのか。それとも皆が新たな道具で遊ぶ姿から、未来のアマノ王国を想像しているのか。どちらにしてもシノブが満足しているなら、それで良いのではないか。

 最初は案じたシメオンだが、溢れんばかりの笑顔を目にして考えを改めていた。


「休憩ですか~?」


「良ければ貸すよ。雪が無くなったから自転車通勤できるだろうし」


 思考に沈んでいたら速度が落ちたらしい。後ろで妻が、そして脇からもシノブが声をかけてくる。

 シノブは子供のような笑みを浮かべていた。そこでシメオンは理由が分からぬものの、微笑み返す。


「ありがたくお借りします。今日一日では覚えられそうにもありませんから」


 シメオンは漕ぎ続けつつ、シノブへと応じる。妻に支えてもらっているから、多少の余所見は大丈夫と思ったのだ。

 しかし直後に、シメオンは大きな驚きに満たされる。


「そんなことはないさ! 今、ミレーユは手を離しているんだ!」


「えっ!?」


 嬉しげなシノブの声に、シメオンは一瞬だけ後ろを向いた。すると荷台のすぐ後ろでミレーユが両手を振り返す。

 いつからか分からないが、ミレーユは手を離したまま追っていたらしい。


「集中しすぎるのもダメなんですよ~」


「確かに」


「緊張は体を固くしますからね」


 妻の柔らかな響きに、遠くでシャルロットとアリエルが納得を滲ませつつ応じる。ただしシメオンは前を見つめているから、受け取ったのは声のみだ。


 後ろを見るのが怖いのではない。目の前の光景、流れる風。それらをシメオンは楽しんでいた。

 自分だけで動かしていると知ったからか、周囲が今までより華やいでいるように感じる。子供のころに戻ったように、心が浮き立つ。

 もしかすると、この感覚なのか。シノブは皆を新たな世界に連れていきたかったのか。シメオンは頬に触れる風を楽しみつつ、主であり友でもある青年へと顔を向ける。

 するとシノブは何かを感じ取ったのか、表情を更に緩めると大きく頷いた。


 出会ったときと同じ純粋な笑みだが、数々の経験で深みを増している。少年のような快活さと国父に相応しい器が、不思議な調和を(かも)し出している。

 アマノ王国を、そして集った国々を遍く照らす微笑みだ。


「支えるつもりで支えられていたのかもしれませんね……。いえ、人とはそういう生き物なのでしょう……誰も一人では生きられない」


 既に妻は友人達の側に戻った。そのためシメオンは、普段なら口にしない感傷的な言葉を呟く。

 しかし本心からであるのも事実だ。心を開き、互いに頼る。それが人間だと、シノブと過ごした日々が教えてくれた。

 それ(ゆえ)シメオンは、大切なことを伝えてくれた友へと向かっていく。自転車に乗れた礼に紛れさせ、今までの感謝を捧げるために。

 しかしシノブは背を向けて、隅に置いてあった箱を漁っていた。


「ありがとうございます……新たな世界を堪能できました。それに、もっと色々な経験をしてみたいと思いましたよ」


 真正面から言うのも照れくさい。きっと今は、普段の冷静さが失せているに違いない。そこでシメオンは、背を向けたままのシノブに感謝の言葉を贈る。


「それは良かった。……なら、こういうのもあるんだけど、どうかな?」


 シノブが手にしているのは自転車の一部分のようだが、それだけで完結しているようでもある。

 子供用の自転車と同じくらい小さな車輪、自転車と同じ座席にペダル。ただし車輪は一つのみで、ギアやチェーンもない。


「それは?」


「一輪車というんだ。ほら、こうやってね」


 シメオンが首を傾げると、シノブは車輪が一つの乗り物に跨った。そして彼は器用に走らせていく。

 両手を広げて前後に進む様子は曲芸めいており、囲む者達は歓声と拍手で国王を称える。シャルロット達のみならず、指導を受けていた子供達も練習を中止して手を叩く。

 それに軍用自転車の耐久試験をしていた者達も、同じく停車してシノブを褒め称える。


「……私でも乗れるのでしょうか?」


「あまり一般的ではないけど、挑戦してみるのも楽しいと思うよ?」


 思わず尻込みしたシメオンだが、シノブが差し出す一輪車を受け取ってしまう。若き国王の悪戯っぽい表情は、それだけ魅力的に映ったのだ。

 太陽を思わせる微笑みは、氷のようだと評される自分を溶かす。今までも、これからも、新たな世界に導いていく。

 それが少々痛い世界だと、少し後にシメオンは知ることになる。しかし、この時点で心を満たすのは喜びのみだった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2018年11月7日(水)17時の更新となります。


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