27.17 ベランジェ、後押しする
アマノ王国の宰相ベランジェは、大きな満足と共に一日を振り返っていた。
午前中の国史発刊記念式典、午後のソニアとロマニーノの結婚式。どちらもベランジェにとっては非常に喜ばしく、そして大きく関与していたからだ。
既に披露宴も終わり舞踏会に移っている。ベランジェは壁際のソファーに腰掛けて若者達が舞う姿を眺めつつ、二つの出来事に思いを馳せる。
国史は第一巻を出したのみだが大きな節目であるのも確かで、国外からも王族や統治者自身など多くの要人が訪れた。
第一巻は異神が支配するベーリンゲン帝国を打倒してアマノ王国が誕生するまで、つまり邪悪が失せて大神アムテリアと従属神たる六柱を奉じる国が生まれる経緯を綴ったものだ。
そのため大神の教えを尊ぶ者達にとっては、単なる歴史を超えた意味がある。各国の賓客がベランジェの招きに二つ返事で応じたのも当然、もし声をかけなかったら落胆や憤慨をしただろう。
式は厳粛な中にも大きな喜びが満ち、列席者は後世まで語り継がれる瞬間に立ち会えたと誇らしげだった。もちろんベランジェも普段の遊び心を出さず、一国の宰相にして筆頭貴族に相応しい態度で挑んだ。
盛大な式典と綺羅星の如く連なる列席者は、現場への激励にもなったらしい。史書編纂部の面々は、式典が終わると即座に第二巻の準備に戻ったほどだ。
ソニアとロマニーノの結婚式では、ベランジェは披露宴の司会のみを務めた。
結婚式にはシノブを始めとするアマノ王家が列席するし、披露宴まで誰かが来客を接待しなくてはならない。まさか各国の王族や統治者を放置するわけにもいかないだろう。
それに披露宴では普段通りに客を驚かせる仕込みをしたから、現場と連絡できる場所で待機すべきだ。特に魔道具技術を用いた楽器、シノブが言うところの魔力ギターや魔力オルガンは完成して間もないから、念のためにとベランジェは考えた。
もちろんベランジェ自身が魔力楽器を作ったわけではない。しかし監修した上に試しの演奏にも加わったから、構造や扱い程度なら充分に把握している。
アマノ王国の国歌を作ったくらいでベランジェは殆どの楽器に通じており、しかも多くは一流と呼べる域に達していた。そのため自身の館には、試作した楽器で一組揃えたほどだ。
今回の披露宴までは魔力楽器の存在を伏せたから密かに興じるだけだったが、今後は皆で演奏するのも楽しかろう。ベランジェは知らず知らずのうちに頬を緩ませていた。
「新しい楽器、とても好評でしたね」
隣から語りかけた青年は、補佐官のリンハルトだ。
今回の披露宴の余興は、新婦ソニアの友人達による歌と演奏だった。これは魔力楽器を用いた今までにない音楽だから誰もが驚愕し、更に斬新と認めて拍手喝采したのだ。
「私も最初は驚きましたが、力が溢れてくるような音に惹きつけられました。それにアマノ王国から新たな文化が誕生したこと、誇らしく思います」
リンハルトは国史編纂の監督で忙しく、楽器の開発に絡んでいない。そのため彼も驚いた側だが、同時に魔力の新たな使い方に強い興味を覚えたという。
既に集音や拡声の魔道具による放送技術は確立したし、都市や町に設置して重要な式典を全国に中継している。もちろん今日の国史発刊記念式典も、宣伝を兼ねて流した。
それに写真の魔道具は新聞の紙面に華を添え、録音の魔道具は取材や記録に役立っている。更に先日、試作段階だが動画撮影の魔道具も誕生した。
しかし魔力楽器のように芸術や趣味の分野まで広がったのは、リンハルトにとって予想外だったらしい。
「ありがとう。確かに新たな音楽を紹介できたのは嬉しいことだ。でも新しい楽器で遊べるのが一番かな……シノブ君達を誘って演奏会とかね」
ベランジェは手にしたワイングラスを掲げ、続いて広間の中央に顔を向けた。シノブはシャルロットとのダンスに興じていたのだ。
舞踏会は始まったばかりで一曲目、それ故シノブが誘う相手は妻のシャルロットと決まっている。次はミュリエル、そしてセレスティーヌ、ここまでは確定だ。
しかし今日のシノブは普段よりも表情豊か、シャルロットと何かを語らいつつ頻繁に笑みを交わしている。これなら二巡目もあるのではと、ベランジェは予想した。
それともシノブはアミィを連れ出して踊るのだろうか。ベランジェは自身の姪、セレスティーヌの脇に視線を動かす。
アミィは同じ天狐族で妹分のタミィやシャミィと並んで座っている。それにホリィ、マリィ、ミリィの金鵄族の三人も一時的だが出張先から戻った。
そのためアマノ王家の席は、二人の姫と六人の眷属による可憐かつ華やかな場と化している。
「そういえば、陛下は随分と楽しんでいらっしゃいましたね。あのようなお姿、初めて拝見しました」
リンハルトが口にしたように、シノブは手拍子までして歌と演奏に浸っていた。
シノブが歌詞と曲の原型を作ってアミィが仕上げたから、思い入れも大きいだろう。しかし子供のように顔を輝かせて興じる姿は、国王としての彼と懸け離れていたのも事実だった。
「あれがシノブ君の素顔なんだよ。私としては、もっと出してほしいものだがね……。でも国王で同盟の盟主ともなると、なかなか難しいのも事実だ」
ベランジェは一年近く前を思い出す。
去年の四月中旬、シノブはアルマン王国に潜入した。その後の戦いで王制を廃し、アルマン共和国となった国である。
このときシノブはアミィ、アルバーノ、ファルージュの三人と楽団を結成した。そして他にない音楽でアルマン王族の興味を惹き、あっさり王宮の客になったという。
それを知ったベランジェは自身にも聴かせてほしいと願い、演奏後は彼に色々と訊ねた。
するとシノブは、懐かしさと楽しさが入り混じったような表情で応じてくれた。おそらく彼は、自身が好んだ音楽を再び聴きたいと思っていたのだろう。
普段のシノブは故郷のことを殆ど口にしないが、このときは別だった。彼はエウレア地方の楽器で実演したり、こちらに存在しない楽器についても説明してくれた。
軍事関連や生活を大きく変える技術と違い、音楽なら危険はない。そのようにシノブは考えたらしいが、楽士に扮するくらいだから元々音楽好きなのだろう。
そこでベランジェは、シノブが喜ぶならと再現に取り組むことにした。魔道具技術を使えば可能だと睨んだのだ。
せっかくだから驚いてもらおうと、ベランジェは極秘裏にメリエンヌ学園の研究所に依頼した。しかし当時の研究所は蒸気機関車や飛行船に長距離魔力無線など優先すべき課題が多く、魔力楽器の完成は二月に入ってからでシノブの誕生日に披露できなかった。
もっともベランジェは、急いで中途半端なものを見せるより良かったと思っている。
◆ ◆ ◆ ◆
ちょうど良い機会と感じたベランジェは、少しばかり詳細に語っていく。
リンハルトは昨日まで国史第一巻の準備で忙しかったが、今は一段落して余裕がある。それに彼は迷いを捨て、王家付き侍女のリゼットと大工の棟梁の娘アンネの二人を妻に迎えると決心した。
そして決意の過程で、リンハルトは人に頼ることの大切さを再認識したという。一つ大きくなった彼なら、きっと何かを掴み取ってくれる。ベランジェは、そう考えたのだ。
「シノブ君と出会ったとき、私は普通の青年だと感じたよ。……あのころのシノブ君はシャルロットとの婚約を内々に認められたばかり、ベルレアン伯爵家に相応しくと気を張っていたようだ。そしてミュリエルに慕われていると知りつつも戸惑っていたらしい……その辺りは君と似ているかもね」
「は、はあ……」
ベランジェの意味ありげな視線に、リンハルトは僅かに頬を染めた。ただし昨日以来、時々からかわれているから慌てるほどではない。
ベランジェがシノブと出会ったのは都市アシャール、つまり彼がメリエンヌ王国の公爵だったころ治めていた地だ。
竜と戦って友とした男に、ベランジェは強い興味を抱いた。そこで奇矯な振る舞いをしつつ観察を続けたが、英雄めいた言動どころか街の若者のように素直な反応が返ってくるだけだ。
妹でシャルロットの母でもあるカトリーヌの手紙も、ミュリエル達に魔力操作を教えたり故郷の食べ物を懐かしがったりと日常の事柄ばかりだった。そのためベランジェは少々疑問を感じていたが、実物も人の良さや純朴さが窺えるのみで武人らしさなど欠片もない。
もっとも竜と互角以上に戦える武技や魔術を修めているのに普通を保つのは、逆に常人ではない証とも考えられる。そこでベランジェは暫く観察を続けることにした。
「でもシノブ君は普通だった……もちろん『良い意味で』と付けるべきだがね。……正直なところメリエンヌ王国時代の彼でも、その気になれば王位簒奪くらい余裕でこなす力を秘めていた。仮に誰かが仄めかしても、シノブ君は相手にしなかっただろうけどね」
「陛下は清い心をお持ちですから。あれほどの無私無欲を実現した統治者など、歴史が始まって以来だと思います」
言外に篭めた意味はリンハルトに伝わらなかったようだ。そこでベランジェは、もう少し踏み込むことにする。
「確かにシノブ君は良心的だけど、力の怖さを知っているからだよ。それに王や領主なんて、面倒が多いだけさ。彼だってシャルロットに惹かれなければ、今ごろアミィ君と気ままに旅をしていたかもね……」
ベランジェは自然と声を低くしていた。
シノブやアミィがシャルロット達を救ったのは、南に行く道を選んだから。もう一つの選択肢、北に向かっていたらシャルロットは命を落としていただろう。
その場合、後にシノブとアミィがベルレアン伯爵領を訪れても通り抜けただけかもしれない。それに北のヴォーリ連合国でドワーフや竜達と暮らし続けた可能性もある。
街道に溢れた岩猿退治から岩竜ガンドとヨルムとの戦い、それらは同じように起きるだろう。しかしシノブにはメリエンヌ王国に戻る理由がないから、幼竜オルムルの成長を見守りつつ過ごす。
そして大きくなったオルムルに乗り、シノブとアミィは世界を巡っていく。こんな未来もあった筈だ。
「それは……」
リンハルトは答えを迷ったらしい。
シノブ達が現れなかったら、ベーリンゲン帝国の圧制が続くに違いない。そして自身は病で外に出ることも出来ず、父が用意した別邸で静かに一生を終えただろう。
しかし世界を自由に旅できたと言われては、自分達のために戦いに身を投じてくれと口に出せはしない。
「惹かれるだろう? 毎日が冒険と出会い……シノブ君なら、どんな場所でも生きていける。お金が無くなったら魔獣でも狩って売れば良いからね。自由気まま、束縛のない生活……そういう道も選べた。だから私はシノブ君を支え続けるのさ」
皆のために自由を捨てたシノブへの感謝、せめてもの贖罪。それらが自身の心にあると、ベランジェは結んだ。
もちろんシノブが制限の多い道を選んだのは、シャルロットを愛したからだ。しかし最初はシャルロットからでも、今は違う。
リンハルトが口にしたように無私無欲と思えるほどの心で、シノブは多くの人々の幸せを考えて動いている。素晴らしいことだが、まだ二十歳になったばかりの若者には窮屈すぎるのではないか。
それ故ベランジェは、自分達がシノブを縛り付けていると考えてしまうのだ。
「今回の音楽も陛下の安らぎに……ということでしょうか?」
「まあね。どうもシノブ君は自身を縛りすぎる……。色々と動き続けるのも、稀なる力を持つ者の義務と考えているようだね。だけど、もう少し純粋な楽しみを求めても良いと思うのだよ」
音楽でシノブの心が休まるなら積極的に後押ししよう。彼が音の世界で単なる若者に戻ったのを、ベランジェは喜ばしいことだと感じていた。
とはいえ今シノブにアマノ王国を去られたら困るのも確かだ。
それ故ベランジェは、様々な手段でシノブを楽しませようとした。奇矯で派手な言動は元からだが、意識的に道化を演じてもいたのだ。
「披露宴での余興も、そういう意味だったのですね?」
「あれは別の理由もあるけどね。次代を支える者が増えたら、シノブ君も楽になるだろう? 二十年以上先かもしれないが、だったら尚更だよ。だから君も早く式を挙げたまえ」
リンハルトの言葉は半分しか当たっていないと、ベランジェは返す。
余興で楽しんでもらうという直接的な理由と同じくらい、ベランジェは先々への備えを意識していた。シノブが自由を得るには、安心できる陣容を整えるのが早道というわけだ。
埋もれている才能の発見や外部からの移籍にも力を注ぐが、新たな世代が続かなければ更なる発展はない。それに生まれた子が一人前になるには長い時間が必要だから、少しでも早く準備すべきだ。
宰相たるもの百年の計を立てて動くのは当然、複数の策を用意する用心深さも必要。それらをベランジェに見たのか、リンハルトは静かに頭を下げた。
◆ ◆ ◆ ◆
「君の義弟になるレナン……ボドワン男爵は五月で十五歳、六月頭の建国記念式典で子爵にする。少々若いがシノブ君の筆頭従者だからね。そんなわけで式は六月が良いだろう」
ベランジェは六月早々の挙式をリンハルトに勧めた。
リゼットが子爵令嬢になった方が華やかに出来るし、リンハルトも子爵だから釣り合いも取れる。それに第二巻の発刊は建国記念式典と同日、当然ながら五月中は彼も忙しい。
とはいえ先延ばしすると周囲も気を揉むだろう。そういった諸々を考え合わせ、建国記念式典の直後が最適とベランジェは判断した。
「はい……しかし花嫁衣裳は間に合うのでしょうか?」
「そこは父のファブリが抜かりなく進めているさ。愛娘リゼット嬢の嫁入り道具は準備済み、衣装も生地を各種揃えているし職人も手配が終わっているよ」
案ずるリンハルトに、ベランジェは心配するなと笑いかける。
レナンとリゼットの父は国王の御用商人、ベランジェも贔屓にしているし世情を問うなど頻繁に会ってもいる。そのためファブリが娘の結婚に向けて着々と準備していると、ベランジェは承知していた。
「だから安心して踊ってくるのだね」
「は、はい……それでは失礼します」
ベランジェが肩を押すと、リンハルトは頬を染めつつ立ち上がる。そして彼はリゼットが待つ一角へと向かっていった。
宰相補佐官として側に控えてくれるのは嬉しいが、自分のことなど気にせず若者らしく今を楽しんでほしい。ベランジェは父親のような気持ちでリンハルトを見送る。
リンハルトの父母と兄は帝都決戦で命を落とした。この三人も他の多くと同様に皇帝に騙され、竜人と化して散っていった。
それ故リンハルトは独りきり、結婚式について相談できる身内など存在しない。
「非業の最期を遂げた者達のためにも、リンハルト達には幸せになってもらわないと……」
ベランジェが結婚を勧める背景には、身寄りのない者達に新たな家族を与えたいという思いがある。
帝都にいた多くの貴族、騎士や従士。彼らをベーリンゲン帝国の皇帝は異形に変えて、決戦時の捨て石とした。
そのためリンハルトなどの旧帝国出身者、かつての統治側の子供達は大半が両親や祖父母を失っている。つまり彼らに、結婚式に列席する親族など存在しない。
それだからこそベランジェは、亡くなった者達の代わりに世話しようと思うのだ。
「親が揃っていても面倒な者もいますが」
「アルバーノさんも大変ですね~」
寄ってきたのはシメオンとミレーユ、ビュレフィス侯爵夫妻だ。
二人が見つめる先に、ベランジェも顔を向ける。するとシメオン達が触れた面倒な者達が踊っていた。それはメグレンブルク伯爵アルバーノとカンビーニ王国の女艦長ベティーチェだ。
アルバーノは猫の獣人に特有の軽い身ごなし、しかも彼は卓越した武人だから更に磨きが掛かっている。滑るような足捌きは全くの無音、それでいて派手に何度も身を翻す。
ベティーチェも海軍軍人として鍛えているし、虎の獣人も身軽な方だからアルバーノの相手を卒なく務めている。黒い縞の入った金髪や尻尾が光を受けて煌めく様子は華麗、加えて女性にしては大柄だから長身のアルバーノにも負けていない。
これをベランジェ達と反対側のソファーで、ベティーチェの父エルネッロ子爵ディミエーノが夫人と共に眺めている。
先日アルバーノはベティーチェと婚約し、子爵は礼を言うため王太子シルヴェリオの随員に加えてもらった。そしてシルヴェリオは妻達と共に舞踏会に現れたから、エルネッロ子爵夫妻が来るのも当然だ。
とはいえ子爵達は王太子より娘が気になるらしく、視線は彼女とアルバーノに向いたままだ。
「アルバーノ殿なら問題ないでしょう。彼はディミエーノ殿と旧知の仲……そしてディミエーノ殿は娘の婚約をとても喜んでいますから」
「その分、カプテルボ伯爵が気を揉んでいらっしゃるようですが……」
今度はフォルジェ侯爵夫妻の登場である。マティアスとアリエルもシメオン達と同様に一曲踊っただけで切り上げたのだ。
カプテルボ伯爵とはシャルロット付きの女騎士ロセレッタの父だ。こちらも妻達とアマノシュタットにやってきたが、どうも娘の後押しが目的らしい。
ロセレッタはアルバーノを慕っているが、彼の第二夫人の座を得たのはベティーチェだ。そして多くの場合、伯爵でも三人以上を娶る者は珍しい。
「ああ見えて結構アルバーノは義理堅いから大丈夫じゃないかな? ……君達と違って」
「これは失礼しました」
「私は既に四人の子持ちですよ。フォルジェ家の次代は充分に足りております」
ベランジェは意味ありげに微笑む。するとシメオンが頭を下げ、マティアスが僅かに顔を赤くしつつ反論めいた言葉を口にする。
シメオンとマティアスは妻を増やす気がないらしいが、事情は随分と異なる。前者は第一子が生まれたばかり、しかし後者は四人目を得ているのだ。
そのためシメオンは素直に詫びたが、マティアスは義務を果たしていると返したわけだ。
「私も無理に勧める気はないがね。ミレーユ殿の負担が大きいのでは、と思っただけさ」
ベランジェは男性二人から女性二人へと視線を転じた。
先月アリエルとミレーユは、それぞれ自身の第一子を得た。マティアスの子は三人が死に別れた先妻との間に成した子で、四人目のフリーダがアリエルの子だ。一方シメオンは初婚だから、子供はミレーユが産んだアルベルトのみである。
アマノ王国の発展を考えると最低でも子供は二人、理想は四人以上だとベランジェは考えている。しかしシメオンは自身の妻をミレーユのみと思い極めているらしく、強制はしたくない。
「だ、大丈夫です! 私は頑丈ですから!」
ミレーユは真っ赤に顔を染めつつも声を上げ、今後も出産を重ねると宣言した。
エウレア地方の医療技術は他に比べて進んでいるが、それでも出産が危険を伴うことに変わりはない。治癒魔術があるとはいえ、感染症まで防げないのだ。
シノブの知識で、感染の元を弱めつつ患者だけを活性化させる魔道具が誕生した。これは風邪や肺炎などの治療のみならず様々な応用が始まっており、その中には出産後の備えも含まれている。
そのため以前より安全になったというが、未だに出産は命懸けの大仕事であった。
◆ ◆ ◆ ◆
「余計なことを言ったようだね……。おっ、三曲目が始まるよ!」
ベランジェは重くなった空気を振り払おうと話題を転じた。そして次は誰が踊るのかと広間の中央に顔を向ける。
シノブはミュリエルをソファーへと送り届け、セレスティーヌへと手を差し伸べた。するとセレスティーヌは嬉しげな顔で、シノブと何かを語らいつつ歩み始める。
新郎のロマニーノと新婦のソニアは三曲連続で踊るようで、人の輪の中に残ったままだ。二人は今日の主役だし、双方ともダンス好きなら良くあることだからベランジェも驚かない。
宰相補佐官リンハルトとシャルロット付きの侍女リゼットも、ソニア達の側にいる。その隣はリゼットの同僚アンナと夫で将軍のハーゲン子爵ヘリベルトだ。
「ほう! アルバーノはロセレッタ殿を選んだか!」
「カプテルボ伯爵も安堵したようですな。先ほどの渋面が嘘のような笑顔です」
思わず声を上げたベランジェに、マティアスが驚きを滲ませつつ和した。しかも結構な数が注目していたらしく、周囲でもざわめきが生じている。
アルバーノは一曲目を妻のモカリーナと、二曲目を婚約者で第二夫人となるベティーチェと踊った。したがって三曲目の相手に選ばれる女性は、先々婚約者となる可能性が高い。
それ故ロセレッタの父カプテルボ伯爵も表情を緩め、同じく顔を綻ばせた夫人達と言葉を交わしていた。
手を差し伸べるアルバーノに、ロセレッタは頬を染めて頷き返すと腕を組んで寄り添う。彼女は獅子の獣人だけあってベティーチェよりも背が高いが、相手は頭半分近く上だから釣り合いが良い。
そのため普段は勇猛果敢な女武人も、まるで少女のように可憐に映る。カプテルボ伯爵達が満足げな顔になるのも当然、恋する乙女の願いが叶ったと誰もが受け取るだろう光景だ。
事実ロセレッタは、今まで誰とも踊らずにアルバーノだけを見つめていた。彼女の想いを感じ取れぬ者など、よほどの朴念仁のみに違いない。
「ダンスに誘っただけですが、ご両親の前ですからね。少なくともロセレッタ殿が一歩抜け出したのは確実でしょう」
「私も師匠の一人として安心しましたよ~」
冷静に批評するシメオンの隣で、ミレーユが大袈裟な仕草で胸を撫で下ろす。
ロセレッタはカンビーニ公女マリエッタの学友で、彼女のお付きとして共に留学した。しかし同じ公女の側近であるフランチェーラやシエラニアと違い、彼女だけは一途にアルバーノを思い続ける。
フランチェーラはヤマト王国の刃矢人、クマソ王家の跡取りと決まりつつある。シエラニアはアルバーノの甥ミケリーノ、こちらも内々に許可を得たらしい。
それらをミレーユ達も知っており、残るロセレッタにも早く良縁をと気に掛けていたわけだ。
ロセレッタは十六歳で成人して一年少々だが、上級貴族なら成人直後に結婚する者もいるし多くは婚約を済ませている。それにミレーユは男爵家の娘だが、彼女がシメオンと結婚したのも十六歳だ。
そのためベランジェも早すぎるとは思っていないし、他も同様らしく頷くのみである。
「そうだ! お~い、あれを流したまえ! 楽団の諸君は休憩だ!」
ベランジェは立ち上がり、壁際にいた侍女に声をかける。すると侍女は一礼し、背後の魔道装置に手を伸ばした。
すると魔力ギターや魔力オルガンの特徴ある音色が、広間に響き始める。
「これは!?」
「先ほどの披露宴の曲に似ていますね」
マティアスは驚きも顕わに叫び、その隣ではアリエルが呟きを漏らす。
侍女が操作したのは放送の魔道装置で、流れ始めた曲は披露宴でアンナやリゼットが歌ったものと同じ系統だった。ベランジェは新たな音楽、シノブやミリィが言うところのロックやポップスに相当する曲を舞踏会でも使おうと録音させていたのだ。
「君達も踊ってきたまえ! 余興の曲とは違うが、こんな感じで思いっきり体を動かしたら良いよ!」
ベランジェはシメオン達の背を押し、更に声を張り上げて踊ってみせる。
軽やかに飛び跳ね、大袈裟に感じるほど派手なポーズを決めていく。しかし激しい曲調には、その方が似合っているのも確かであった。
ちなみにベランジェの妻達、アンジェとレナエルは別の広間で年長者達を持て成している。したがって彼は独りで踊るしかなく、それが少々残念であった。
「私が見本を見せますよ~。アミィ~、男の子に化けてください~」
「仕方ありませんね」
ミリィはアミィの手を引いて走り出す。
一方アミィは苦笑いしつつも同僚の頼みを聞き入れ、少年従者へと変じた。アミィは天狐族だから、変装の魔道具など不要なのだ。
「私達も行きましょう!」
「はい、タミィお姉さま!」
タミィとシャミィも男の子に姿を変える。そしてタミィはマリィ、シャミィはホリィと組んで姉貴分の後を追う。
残るシャルロットとミュリエルは見送るのみでソファーから動かないが、踊りたそうな様子でもある。
「曲は沢山用意しているから、安心してくれたまえ!」
これなら大丈夫と思ったベランジェは踊りを止め、続いて焦らずとも良いと皆に告げた。
するとソファーや壁際にいる者達の表情が緩む。そして彼らは自身の参考にと思ったらしく、踊る人々へと顔を向ける。
「流石は陛下……」
「華姫殿下もお美しい……」
最も注目されているのは、シノブとセレスティーヌだった。
シノブからすれば故郷の音楽に近く、どのような動きが似合うか承知しているのだろう。彼は大胆なリフトや回転でセレスティーヌを舞わせ、元から彼女が持つ美しさを流麗な動きで引き立てる。
セレスティーヌも慕う相手に任せていれば大丈夫と言わんばかりの笑みで、導かれるままに己の肢体で華やかな技を披露する。
流石はエウレア地方最大を誇るメリエンヌ王国の王女、修めた技は幅広く深い。学問に魔術、歌に演奏、そして踊り。いずれであっても国一番の女性にならねばと、セレスティーヌは幼いころから励んできた。
羽のように宙に伸ばした手、飛翔と見紛うほどの跳躍を生み出す足、どれも嵐のような曲に添いつつも気品と美を兼ね揃えている。
「そうだよ。時には国王ってことを忘れて楽しまなきゃ……まだ君は若いんだから」
ベランジェはシノブ達を見つめたまま静かに呟く。主役を食ってしまった形のシノブ達だが、これで良いと嬉しく感じていたのだ。
周囲も若き国王の躍動する姿に笑みを増している。招待客のカンビーニ王太子シルヴェリオやガルゴン王太子カルロス、そしてベランジェの甥でもあるメリエンヌ王太子テオドールも、それぞれの妃と共に彼を囲んで踊っている。
ロマニーノとソニア、アルバーノとロセレッタは主君の舞踊に倣っていた。身体能力の高い彼らなら、僅かな観察で真似るくらい容易なことだ。
更にゴドヴィング伯爵アルノー、バーレンベルク伯爵イヴァールまでも妻の手を取り輪に加わっている。剣聖と称えられるアルノーに女司令官として名を馳せたアデージュは踊りも確か、イヴァールとティニヤはドワーフ流だから他との違いで目立っているし独特な魅力もある。
もちろん残る侯爵や伯爵達も踊りに興じている。残念ながら東域探検船団を率いるナタリオはいないが、他の三伯爵にシメオンとマティアスの二侯爵は妻と共に新たな音楽に身を委ねていた。
「もっと君らしさを出してほしいな。そして心の赴くまま世界を巡るんだ……君自身を含む多くの人を幸せにするために」
ベランジェは静かに独白を続ける。すると言葉が届いたのか、シノブは一瞬だけ彼に視線を向けた。
聞こえる筈もない囁くような小声だが、相手は鋭敏な感覚を持つ神の血族だ。実際ベランジェの推測を裏付けるように、シノブは微かに頷いていた。
ベランジェも頷き返す。自分に任せて良いと、これからも支えていくと示すために。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年11月3日(土)17時の更新となります。