27.16 ソニアと祝歌
アマノ王国の情報局長代行ソニアは、王都アマノシュタットの大神殿にいた。
ソニアと従兄弟のロマニーノは、これから結婚式を挙げる。今は大聖堂に隣接する控え室で、式の始まりを待っているところだ。
既にソニアはウェディングドレスを着け終えたが、まだ幾らか時間がある。そこで彼女は、特に親しい友人達と語らっていた。
「ソニアさん、本当におめでとうございます! それにドレス姿、とても綺麗です!」
「ありがとう。次は貴女の番よ、リゼット」
親友リゼットの祝福に、ソニアは先ほど耳にしたばかりの朗報を思い出しつつ応じた。
リゼットが慕う相手、リンハルトは結婚を決意した。彼はリゼットと大工の棟梁の娘アンネの双方を妻に迎えると決めたのだ。
まずリゼットが第一夫人として嫁ぎ、一年か二年ほど開けてアンネが第二夫人となる。そしてアンネは嫁ぐまでの間、侍従長ジェルヴェと妻で侍女長のロジーヌから貴族としての教育を受けて先々に備える。
リンハルトは子爵だから二人娶っても問題ないし、三人で支え合うという選択も悪くない。彼は閣僚にすら手が届く才の持ち主だから、妻が一人だと更なる縁談に悩まされるのは間違いないからだ。
それにリゼットの真っ赤に頬を染めつつも微笑む姿を見れば、彼女が幸せに感じているのは明らかだ。それなら友として祝福し、温かく見守るのみである。
「流石は情報局長代行、耳が早いですね!」
もう一人の親友アンナは目を丸くしている。
実はソニアとロマニーノは、つい先刻ナンカンから戻ったばかりだ。しかも一週間ぶりの帰還だから、アンナは昨日の出来事など知らないと思ったのだろう。
「ミケリーノが教えてくれたのよ」
「そうでした! リンハルト様に御決断いただくとき、協力してもらいましたね!」
ソニアが弟の名を出すと、アンナの顔に納得の色が浮かぶ。
ちなみにミケリーノだが、次の間に控えている。先ほどまでソニアはウェディングドレスを着付けている最中だったから、彼は父のトマーゾと共に退出した。
そのため室内にいるのは母のエレナを含め、全て女性である。
アルバーノとモカリーナの結婚式と同様に、イナーリオ一族は全てアマノシュタットに集まった。
カンビーニ王国からはソニアとミケリーノの両親に加え、伯父ジャンニーノとその妻マリーナが来た。ジャンニーノとマリーナはロマニーノの両親、しかも一人息子の結婚式だから当然ではある。
そしてアルバーノ達、メグレンブルク伯爵夫妻も昨日からアマノシュタットに滞在している。アルバーノは長兄夫妻と次兄夫妻を王都の別邸に泊まらせ、更に父のエンリオも招いて語らったそうだ。
「向こうも準備できました。後は式の開始を待つだけですね」
部屋に入ってきたのはモカリーナだ。
モカリーナは三つ上の二十四歳だが、実はソニアとミケリーノの養母でもある。今のソニア達はアルバーノの養子として彼の家に入っているからだ。
これはミケリーノに子爵位を与えるためだから、ソニアも感謝している。それにモカリーナは幼なじみで彼女がアルバーノを慕っているのも前々から知っていたし、結婚の後押しもした。
ただしモカリーナは、義理の子供達への距離を測りかねているらしい。今も普段ソニアと語らうときより丁寧な口調で、声音も少々余所行きに感じる。
「後、三十分ほどですか……」
ソニアの母、エレナが置き時計へと顔を向ける。
モカリーナが普段より硬いのは、義姉のエレナがいるからだろうか。義姉といってもエレナは四十歳を過ぎており、モカリーナが猫を被りたくなっても不思議ではない。
猫の獣人が猫を被る。頭に浮かんだ言葉に、ソニアは僅かだが顔を綻ばせる。
祖父のエンリオに祖母のタマーラを含め、ソニアの家族や親族は全て猫の獣人だ。そしてモカリーナも猫の獣人だから、礼装の後ろから細い尻尾が覗いている。
ソニアのウェディングドレスも同じで、カンビーニ王国の獣人族は自身の種族を示す耳や尻尾を隠さない。これは他国も大抵は同様で、極寒や熱砂の地でもない限り自分達の特色を誇るべく顕わにする。
現にアンナの王家侍女の第一礼装からも、狼のようにフサフサとした尻尾が出ていた。
「モカリーナさん。もしかして、それは?」
衣装に気が向いていたから、ソニアはモカリーナが抱えているものが何か気付くのに遅れた。
モカリーナが携えていたのは大判の書物、午前中に『白陽宮』で目にした国史の第一巻だった。どうやら彼女は、これをエレナや自分に見せに来たらしい。
アマノ王国史の第一巻が発刊されたのは創世暦1002年4月1日、つまり今日だった。そのため午前中には国史発刊記念式典が実施されたが、ソニア達は結婚式があるから中身まで見ていなかった。
「ええ。アマノ王国史の第一巻です」
モカリーナは黒革を金の浮き彫りで飾った本を皆に示す。
国史第一巻だが、侯爵と伯爵には午前中の式典で授与された。しかし子爵以下は、希望者が自費で購入となっていた。
もちろんソニアとロマニーノは購入を申し込んだしアンナやリゼットも同様だというが、手元に届くのは明日以降だろう。
ちなみにモカリーナが手にしている豪華装丁で中が羊皮紙のもの以外に、簡素な表紙と普通の紙で判型も小さな廉価版も存在する。街の人々にも広く読んでもらいたいと、ベランジェやリンハルトは十分の一程度に価格を抑えた品も用意したのだ。
「まだ触りしか目を通していませんが、アンナさんやリゼットさんも載っていましたよ。それにソニアさんも、メリエでシノブ様の家臣になったと記されていました」
モカリーナはシノブがメリエンヌ王国の王都メリエに初めて行ったとき、つまりベーリンゲン帝国との戦いが始まる直前まで読んだという。
「えっ、私もですか!?」
「光栄ですが、恥ずかしくもありますね」
アンナとリゼットの声が響く中、ソニアは当時を思い浮かべていた。
商会の店員としてメリエで働きながら、行方不明の叔父アルバーノの消息を追った日々。そしてシノブやアミィと出会い、この人達ならと希望を抱いた日。今となっては懐かしい思い出だ。
アルバーノは二十歳のころ、傭兵で名を挙げようと国を離れた。しかし彼はベーリンゲン帝国に捕まって戦闘奴隷とされ、二十年も拘束される。
一方エンリオは出奔した三男を勘当扱いにしたが、寂しく思っているのは明らかだった。そこでソニアは祖父のためにと、自身が生まれる前に家を飛び出た叔父を探そうと考えた。
しかし今やアルバーノは伯爵、モカリーナと共に幸せに暮らしている。そして自分も長く想い続けたロマニーノに嫁ぎ、弟のミケリーノも成人したら子爵になる。
ソニアは自身の幸せを噛み締めつつ、間近に迫った慕う相手と永遠の愛を誓う時を思っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
アマノ王国が誕生して僅か十ヶ月。しかし国としての結束を強めるため、早期の国史編纂が望まれた。
そこで第一巻はシノブがエウレア地方に現れてからベーリンゲン帝国を打倒し、アマノ王国を興すまでにした。つまり前史というべき内容だが、新国家の意義を語る上では欠かせない部分でもある。
幸いメリエンヌ王国には多くの資料が存在するし、写しを取り寄せるのも容易だった。
何しろ宰相ベランジェは元々メリエンヌ王国の公爵、しかも現国王の弟だ。その彼が頼んで入手できない文書など、よほどの重要機密のみだろう。
これに当時のベーリンゲン帝国の描写を加えたが、こちらも資料自体は充分にあるし取材対象にも事欠かないから編纂は順調に進んだ。流石に発刊直前になると主だった者は帰宅できぬほど忙しかったが、努力の甲斐あって第一刷は予定通りの数が揃う。
そして国史発刊記念式典では、国内外の要人達が新たな歴史書の誕生を祝した。
異神に操られたベーリンゲン帝国が滅び、この星を導く神々を奉じるアマノ王国が生まれた。これは戦に加わった国のみならず、周辺の全てにとって非常な慶事であった。
そのため一部始終を記した史書に他国も強い関心を示したが、一方で自身や自国がどれだけ載っているかも気になったらしい。
ちなみに他国からの来賓には第一巻を配布したから、式典が終わると殆ど全員が自国に関する記述を確かめていた。
「ロマニーノ殿、おめでとう……そして今までありがとう。友として過ごした日々、私の宝物の一つだよ」
「殿下……」
真っ白な礼服に身を包んだロマニーノは、正反対と言って良いほど顔を紅潮させていた。ここはロマニーノの控え室、そして訪れたのはカンビーニ王太子シルヴェリオと彼の親衛隊長ナザティスタである。
シルヴェリオは披露宴のみならず、結婚式自体にも列席したいと望んだのだ。
ロマニーノは長くシルヴェリオの親衛隊員として過ごした。それにロマニーノが三つ上と年齢も近く、武術の修行では稽古相手を務めることも多かった。
おそらくシルヴェリオにとって、ロマニーノは最も話しやすい一人にして身近な競争相手だったのだろう。新郎の手を握って紡いだ飾り気のない言葉には、王太子という地位を離れた青年の心そのものが表れているようですらあった。
「おっと、湿っぽい話はここまでにしよう。……アマノ王国史を読ませてもらったが、私達にも随分と触れていたよ。一年前のカンビーニ王国での武術大会、それに対ベーリンゲン帝国での支援、アルマン島での戦い……父上も喜んでくれるだろう」
先ほどまでの真顔から一転して、シルヴェリオは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
当然ではあるが、アマノ王国史にはカンビーニ王国を含む友好国の協力や活躍も含まれている。そのため自国が正当に評価されているか、確かめたくなるのも無理はない。
もっともシルヴェリオは何かを言外に示したらしく、ロマニーノの反応を窺うように見つめていた。
「私が叔父上に敗れた件も載っているのでしょうか?」
ロマニーノが口にした敗北とは、カンビーニ王国で行われた武術大会での一幕だ。彼とナザティスタは跳躍の部に出場したが、アルバーノには及ばなかった。
しかもロマニーノ達はアルバーノが仕掛けた心理的な揺さぶりに嵌まり、一気に高さを上げた結果の脱落だ。そのため悔いが残るのも無理からぬことである。
「もちろんさ。でも随分と気遣った内容だよ」
「私の徒手格闘……アルバーノ殿に負けた場面も穏当な描写だった」
シルヴェリオはロマニーノの肩を叩いて慰め、ナザティスタは自身のもう一つの闘いに触れる。
この辺りは執筆者も苦労したに違いない。アマノ王国人としては自国の伯爵となったアルバーノを称えたいが、同じく移籍して今はアマノ王国の子爵であるロマニーノへの配慮も必要だ。それに友好国の要人であるナザティスタを貶すなど論外である。
とはいえ史書に嘘は書けないから、担当者は淡々と事実を記して流すことにしたらしい。
「そんなことより、そろそろ時間じゃないか?」
「そのようです……知らせが来ました」
シルヴェリオが置き時計に目を向けると、ナザティスタが扉へと顔を向ける。すると彼が呟いた通り、少年神官が現れる。
流石は王太子の親衛隊長、気配や僅かな物音で扉の向こうに寄ったのが少年だと察したらしい。
「さあ行こう! 新郎の入場だ!」
「殿下、ナザティスタ殿、ありがとうございます」
高らかに宣言するシルヴェリオと無言で頷くナザティスタに、ロマニーノは深々と頭を下げた。これから二人は、ロマニーノの友人代表として共に式場に入るのだ。
ロマニーノはアマノ王国に移籍したばかりだから、親しい友人などいる筈もない。もちろん形式的に立てるのは簡単だが、それでは味気ないとシルヴェリオは名乗りを上げた。
そのため今のシルヴェリオの礼服は、王太子にしては簡素でナザティスタと大差ないものだ。
「これは今まで尽くしてくれた礼だ。ほら、行くぞ!」
再び声を張り上げたシルヴェリオは、ロマニーノの背を押した。そして自身はナザティスタと並んで後ろに続く。
こうしてロマニーノは王太子とその親衛隊長を従えて大聖堂に入り、赤い絨毯の上を通って聖壇の前へと進む。この稀なる栄誉をイナーリオ一族は感激も顕わに見つめ続け、エンリオなどは人目を憚らず頬を濡らしていた。
ロマニーノ達が向かう先にはアミィ、その左右には妹分のタミィとシャミィがいる。アミィはアマノ王国の大神官として司式し、タミィ達が補佐を務めるのだ。
もちろんシノブやシャルロット達も列席している。彼らは微笑みと共に見守っていたが、ロマニーノが脇に移ると続く花嫁の入場が気になったようで視線を下手へと動かす。
「おお……」
「美しい……」
聖堂の大扉が開くと、純白の衣装に身を包んだソニアが静々と入ってくる。こちらは先触れをアンナとリゼットが務め、更に王家付きの侍女見習いでも年少のミシェルとロカレナが花を撒いてからの登場だ。
もっとも先導達はロマニーノの目に映っていなかっただろう。彼は自身の妻となる女性を食い入るように見つめていた。
そしてカンビーニ王国で生まれ育った猫の獣人の二人は、遥か北のアマノ王国で夫婦となった。
多くの友と二つの王家の祝福を受けて。集った一族の喜ぶ顔に囲まれて。ソニアはロマニーノと愛を誓い、指輪を交わしたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
シルヴェリオが出席することもあり、ソニアとロマニーノの披露宴は非常に豪華な顔ぶれとなった。
メリエンヌ王国は王太子テオドールと夫人達、ガルゴン王国も同様に王太子のカルロスが妻達を連れて出席した。そしてヴォーリ連合国とデルフィナ共和国は大族長、アルマン共和国は大統領である。
国史発刊記念式典と同じ日にしたのは、彼らの都合を考えた結果でもあった。
このころになると飛行船の性能も随分と上がり、丸一日を移動に費やすなら各国からアマノシュタットまでの旅も可能となった。
飛行船は蒸気機関で動くが、湯沸かしの魔道装置で蒸気を得る。流石に一日を無補給で飛び続けるのは無理だが、途中で乗り継ぐか魔力の補充をすれば問題ない。
そこでエウレア地方内からの賓客は、前後に一日ずつを加えた足掛け三日か更に滞在日を一日か二日増やす程度の急ぎ旅を選んでいた。
しかし他の地方は大使に任せるか、アマノシュタットやメリエンヌ学園に留学中の者を披露宴に出席させた。そしてナンカンは後者で、皇女の玲玉と第二皇子の忠望が祝いの言葉を述べに来た。
「ご結婚、おめでとうございます」
「末永くお幸せに……そして我らナンカンやカン地方とも末永いお付き合いを。若輩者ですが、父の代理として言上つかまつります」
リンユーとヂョンワンは右手を拳に握って左の手のひらを当てる礼、つまり抱拳礼の姿勢を取ってから進み出て、祝辞を述べ終わると更に同じ姿勢で一礼した。
今のソニアはアマノ同盟カン地方局長を兼ねており、向こうの礼にも慣れた。それにロマニーノも補佐役として赴任したから、一通りは習得済みだ。
しかしソニアは、リンユー達の挙措が自分達より洗練されていると感じていた。やはり一ヶ月や二ヶ月の付け焼き刃では、物心付いたときから学んだ者達に並ぶのは難しいらしい。
それはともかく今日のリンユー達はカン地方の礼服だから、あちらの仕草が自然に映る。
二人の衣装は、前合わせの長衣と緩めのズボンを合わせたものだ。向こうの表現だと膝下までの直裾袍に筒裾の袴、どちらも武人用で金糸銀糸の刺繍は華やかだが裾を引くほど長くないし筒袖だから全体にスッキリとした印象だ。
「ありがとうございます。妻と共に両地方の架け橋になるべく精進します」
「ジェンイーに戻ったら陛下にもご挨拶に上がります。何か伝言があれば、どうぞ気兼ねなくお申し付けください」
ロマニーノの返礼に続き、ソニアは帰還後の予定を伝えた。
リンユー達は通信筒を持っていないし、カン地方は魔力無線網の範囲外だ。シノブは長距離用の魔力無線装置を貸し出してカンの三国の都に置いたが、残念ながらエウレア地方やアスレア地方には届かない。
現時点だと二人が故郷に連絡するときは、シノブ達に文を託すことになる。これをカン地方で受け取るのは自分達だから、ソニアは今ここで聞けるものがあればと思ったわけだ。
「……リンユーは修行に励んでおりますとだけ、お伝えください」
「姉上は武術三昧ですからね。近々ホクカンやセイカンの皇女殿下が来るそうですが、同郷の先輩として手助け出来るか心配ですよ」
武人の礼服を選ぶだけあり、リンユーの応えは素っ気なさすら覚える簡潔極まりないものだった。そのためかヂョンワンは軽口めいた言葉を発し、更に肩を竦めてみせる。
ナンカンに倣い、ホクカンとセイカンも皇族をアマノ王国で学ばせることにした。彼らもシノブ達と縁を深めるべく動き、数日後には両国の皇女がアマノシュタットに渡る予定となっていた。
ちなみにホクカン皇帝とセイカン皇帝は、どちらも男子を一人しか得ていない。そのため皇太子留学は見送られ、ヂョンワンは傍観者で済むと気楽に構えているらしい。
「きっと大丈夫ですよ。それにミュリエル様の側仕えには同じ年頃の子も多いですから」
ソニアはヂョンワンが姉をからかっただけと察したが、念のために一言添えておく。
もっともリンユーも弟の冗談と受け取ったらしく、気にした様子はない。ホクカンとセイカンの皇女達は十歳以下だから、成人済みの自分が接する機会は少ないと思ったようでもある。
このように披露宴でのソニアとロマニーノは、祝いに来た客と多少の会話をしつつ過ごしていた。というより、それしか過ごしようがない。
結婚式や披露宴の主役など不自由極まりなく、意地の悪い表現をしたら見世物のようなものだ。今も正面の壇に並べられ、訪れた相手も少しすると次に場所を譲ってしまうから心ゆくまでの語らいとは程遠い。
アンネやリゼットなどと語り合うのは、最後の舞踏会まで待つしかないだろう。それに今の彼女達は余興の準備で下がっている。
何をするか教えてくれなかったが、準備に時間がかかるものらしく彼女達は祝いを述べると早々に退出していったのだ。
しかし、ついにソニアの疑問が晴れるときがやってきた。
『ここで少々余興を披露したいと思います』
放送の魔道装置から、司会を務めるベランジェの声が広がっていく。そのため大広間に集った者達は口を噤み、彼のいる右手の壇上に顔を向けた。
王都で行われる子爵以上の披露宴は、ほぼ全てをベランジェが仕切っていた。元々彼は賑やかなことが大好きで、更に人を驚かせるのが趣味らしい。
宰相が司会してくれるのだから断る者などいないし、余興も友人達が趣向を凝らすだけで浪費とは無縁だ。時にはメリエンヌ学園で開発した新技術を使いもするが、製品の披露を兼ねてだから無駄遣いではない。
そのためシノブも口を挟まず、一種の名物として定着している。今も彼はシャルロット達と共に、柔らかな笑みを浮かべていた。
『とはいえ新郎のロマニーノ殿は移籍直後、そのため残念ながら彼の方は無しとさせていただきます。……流石にシルヴェリオ殿下やナザティスタ殿に芸をせがむわけにもいきませんからね』
これには集った者達も、笑うしかなかったらしい。カンビーニ王太子に遠慮したらしく抑え気味だが、ざわめきが戻ってくる。
「貴方、早く友人を作らなくては」
「そうだね……とはいえ当分はカン地方だ。まいったな……」
ソニアとロマニーノも笑みを零しつつ、続く言葉を待つ。
二人は新郎側の出し物がないと承知していた。そこで最初から新婦の友人一同、つまりアンナ達が何をするかに興味が向いていたのだ。
ベランジェのいる壇は、開始当初から後ろ半分が赤い緞帳で隠されている。そこにアンナ達が控えているのだろうが、幕の位置からすると後ろは随分と広い筈だ。
果たして何を披露してくれるのか。ソニアは期待を膨らませつつ、ベランジェの語りに聞き入っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
『では新婦の友人一同の登場です!』
結局ベランジェはアンナ達が何をするか触れなかった。しかし説明など不要、幕が開いた瞬間に誰もが演目を察したに違いない。
ベランジェが派手な仕草で指し示した先には、数々の楽器を携えた女性達がいたのだ。
ただし、どのような曲を演奏するか理解できたものは皆無に近いだろう。何故なら多くの楽器が見慣れぬ形をしていたからだ。
「……ソニア、あれは?」
「さあ……リュートの一種だと思うけど。以前シノブ様がギターと仰ったものかしら?」
ロマニーノが見つめる先には、カンビーニ公女マリエッタがいた。そしてソニアが応じたように、公女が持つ品に最も近いのはリュートである。
ただしマリエッタが手にする楽器はリュートのような楕円に近い胴ではなく、鏃のような奇妙な形をしていた。もしくはアウスト大陸で使われる、ブーメランという武器に似ているかもしれない。
リュートと同じく長い首に沿って弦を何本か張っているが、首は鏃の先端から生え、反対側は魚の尾びれのように二つ長く伸びているのだ。
更にマリエッタの隣では、彼女の同僚にして親友のエマも同じ形の楽器を構えている。
しかも何故かミケリーノまで女装して加わっていた。諜報員として磨いた変装術を駆使しているから他の者は気付いていないらしいが、教え込んだソニアは一目で見抜いた。
ミケリーノの楽器はマリエッタ達のものに似ているから、リュートの一種だろう。二人のものよりは見慣れた形に近いが、どこかに伸びているらしき太い紐があるのは同じだ。
「アンナさんとリゼットさんは集音の魔道具を持っているから、歌うのだろうね」
「ええ。ロセレッタさんは太鼓みたいだけど沢山あるわね。それにシンバルまで幾つも……。シエラニアさんはオルガンなのかしら……鍵盤しかないみたいだけど」
『それでは御友人の皆さん、どうぞ!』
ロマニーノの呟きにソニアは応じたが、途中で言葉を途切れさせてしまう。拡声の魔道装置から響いたように、壇の脇に退いたベランジェが演奏の開始を宣言したからだ。
「力強い響きだね」
「それに随分と早いのね……」
ロマニーノとソニアは顔を見合わせた。今まで聴いたことがない曲、正しくは今までにない音楽だと察したからだ。
まずロセレッタが、両手に持った細い棒で太鼓を叩き始めた。それも素早くリズムを刻み、合間にシンバルまで鳴らしていく。
直後に続いたのはマリエッタとエマだ。どこか不思議な金属のような響きが、拡声の魔道装置から意図的な揺らぎを伴いつつ広がっていく。
ミケリーノやシエラニアも演奏を始める。
マリエッタ達と違い、ミケリーノはリズムを担当している。彼は右手指を一定の速さで動かしつつ、左手で楽器の首に伸びた弦を押さえている。
残るシエラニアだが、やはりオルガンに似た楽器らしい。彼女が手を閃かすと軽やかな旋律や豊かな和音が生まれる。ただし他と同じく魔道具で音を作っているらしく、こちらも聞き慣れない響きだ。
これらの躍動感溢れる音の流れが重なって、華やかでありながら圧するような重さも備えた調べが誕生する。そして新たに生まれた音楽はソニアの心を揺さぶり、活力を与えてくれた。
しかも最後に残った者達、アンナとリゼットが更なる高みへと誘っていく。
『貴方となら、どこまでも高く飛べる。二人でなら、どんな壁も越えてみせる。幼い日からの想いがあれば……』
アンナとリゼットが歌い上げるのは乙女の恋、それもソニアを思わせる歌詞だった。
そのためソニアは頬を染めてしまうが、一方で力強い響きに魅せられてもいた。二人の叫ぶような、それでいて情感の篭もった歌唱も、自身が知るどんな歌い方とも違ったからだ。
「これはミリィ様の?」
「そうかもしれないわ……」
「失礼千万です~。これはシノブ様とベランジェ様の企みです~」
斬新な歌と演奏に聴き入りつつも交わした言葉。これに憤慨を示したのは噂された当人だ。
いつの間にかミリィは、ソニアやロマニーノの側に寄っていた。しかも隣にはホリィやマリィまでいる。
「そうと知ってからは貴女も入れ知恵したでしょう?」
「とはいえシノブ様がお認めになったのですから……」
マリィは嫌味らしき言葉を口にするが、ホリィは取り成すような口調で割って入る。そのためかマリィも重ねての非難はしなかった。
「ちなみに作詞はシノブ様、作曲は原案がシノブ様で仕上げたのはアミィですよ~。ベランジェ様は魔力ギターや魔力オルガンの開発を監督しました~。……この音楽はロックと言いますが、ポップスに近いかもしれませんね~」
同僚達が許可したと思ったのか、ミリィは裏事情を明かしていく。
もっとも説明はソニア達にしか聞こえなかっただろう。拡声の魔道装置は今も大音量を響かせており、普通に話した程度なら隣まで届くのが精一杯という状態なのだ。
「シノブ様が作ってくださったのですか……」
「そうです~。あっ、ロックやポップスという言葉は内緒にしてくださいね~」
ロマニーノは仕え始めたばかりの主君へと顔を向けた。まさか国王からの贈り物とは予想外だったのか、彼はミリィの注意に頷きつつもシノブを見つめ続けている。
新郎の視線の先では、シノブが楽しげに手を打ち鳴らしている。彼は子供のように顔を輝かせ、手拍子でアンナ達を応援していたのだ。
それにシャルロットやミュリエルにセレスティーヌ、更にはアミィ達もリズムに乗っている。そのため最初は呆然としていた周囲も、シノブ達のように自身の体を使って音の世界を楽しみ始める。
「ところでミケリーノですが、もしかしてフランチェーラさんの代理ですか?」
「ええ。スワンナム地方に異動したとき、ミケリーノ君に頼んだそうです。特にシエラニアさんが大賛成だったとか……」
ソニアの疑問に答えたのは、マリィだった。彼女はスワンナム地方局の後見をしているから、何かの折にでも聞いたのだろう。
「そうだったのですか……」
ソニアは弟も災難だったと思いつつも、表情を緩めてしまった。
すると壇上ではアンナ達も表情を綻ばせる。どうやら彼女達は、ソニアが自分達の歌や演奏を気に入ってくれたと思ったらしい。
実際ソニアは素敵な贈り物だと感動していたから、間違いではない。それを伝えようと、ソニアもシノブ達に倣って手を鳴らしていく。
隣ではロマニーノが、更にホリィやマリィも同じように感動や感激を表している。そしてミリィはといえば、アンナ達と共に歌っていた。やはり彼女は、この件に随分と関与していたらしい。
こうしてソニアは新たな日々の始まりを、新たな音楽と共に迎えた。そして友人達の贈り物は、彼女の生涯の宝物となったのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年10月31日(水)17時の更新となります。