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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第27章 夢見る者達
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27.13 エンリオ、見守る

 老武人エンリオは、カンビーニ公女マリエッタの勝利に目を細めていた。

 今のエンリオはシノブの親衛隊長だが元はカンビーニ王家付きの従士で、しかも現役時代はマリエッタの母フィオリーナの警護役だった。そのため彼がマリエッタの成長を喜ばぬ筈がない。

 しかもマリエッタは敗者を気遣い、新たな道を示して激励までした。この器量の大きさをフィオリーナに伝えたら、どれほど喜ぶだろうとエンリオは思いを巡らせる。


 エンリオと旧主家の縁は切れておらず、マリエッタの後見をと頼まれてもいる。そのため彼は定期的にカンビーニ王家へ(ふみ)を送っていた。

 もちろんアマノ王国に仕える身だから書けぬことも多いが、マリエッタの動向については別だ。日々の修行、戦での活躍、言動の端々から感じる成長など、エンリオは多くの事柄を伝えていた。

 とはいえアマノシュタットに戻るのは二日後だ。そのため昼間タジース王国でマリエッタが競馬で一着になった件も、書きはしたが手元にある。

 おそらく長い手紙になるだろうが、その分だけ喜んでもらえるとエンリオは確信する。


「マリエッタ様、見事でしたぞ! 特に最後の言葉、アルストーネ公女に相応しい度量と感服しました!」


「エンリオ殿……私は護衛騎士ですよ」


 思わず出てしまったエンリオの言葉に、マリエッタは含みを持たせた笑みで応じた。しかも彼女は普段と口調も変えている。

 今のエンリオは国王の親衛隊長、それに対してマリエッタは女性王族の護衛騎士でしかない。加えて先日エンリオは、子爵の隠居格にもなっている。


 今までエンリオは男爵だった。三男のアルバーノは伯爵だが、これは彼自身の功だから伯爵の先代扱いを辞退したのだ。

 しかし先日、エンリオの長男の孫ロマニーノがアマノ王国に移籍して子爵となった。そこでシノブがエンリオに、子爵の隠居格ならどうかと打診した。

 ロマニーノが移籍直後に子爵として遇されるのは、エンリオを含むイナーリオ一族の貢献があったから。こう言われては断るわけにもいかない。


 そしてエウレア地方では、隠居しても当主と同格の待遇を受ける。

 これに対しマリエッタは、公爵家の娘だが爵位は持っていない。したがって役職でも爵位でも、エンリオが敬語を使うのは不適切であった。


「これは……」


「ですが()()()()()先代子爵のお言葉……とても嬉しゅうございました」


 頭を掻くエンリオに、マリエッタは新たな家名を持ち出しつつ頭を下げる。

 メグレンブルク伯爵アルバーノの家名は()()()()()、つまり姓を含めるとアルバーノ・ド・イナーリオである。そこでロマニーノはシノブと相談し、自身の家名をイナリーノとした。

 そして子爵以下は家名を爵位名とするから、マリエッタの言葉は正しい。


 ちなみにエンリオの次男の子供達、ソニアとミケリーノは元のままだ。今の二人はアルバーノの養子だから、他の家名を使う筈もない。

 もっともソニアは数日後、四月頭にロマニーノと結婚する。そしてミケリーノも成人すれば別家を興し、アマノ王国でのイナーリオ家はアルバーノの直系のみとなる。


「……ではマリエッタ、陛下やズヴァーク国王メフロシュ殿のお言葉をいただきに参ろうぞ」


「そう、その調子じゃ」


 エンリオが形式ばった物言いをすると、マリエッタは逆に普段通りの口調で(ささや)き返す。前言に反しているが、これも親しみの表れなのだろう。


 マリエッタもエンリオが母の警護役だったのは知っているし、常々の目配りにも感謝を示している。それに祖父のようだとも言ってくれるほどだ。

 本当の祖父はカンビーニ国王レオン二十一世、武王レオンと称される偉人である。しかもエンリオからすれば旧主だから、冗談でも並べられるのは畏れ多い。

 しかし厚い信頼がエンリオの活力になるのも事実だ。既に七十を超えた自分だが、次世代の指導くらいはとアマノ王国に移籍したのだから。


 マリエッタや同僚の護衛騎士は誇らしげに顔を輝かせつつ、観客席の中央へと歩んでいく。そこには笑顔で迎えるシノブ達がいる。

 これからもマリエッタを、そして彼女の友人たるエマ達を見守っていこう。もちろん自身の配下である親衛隊員も。

 エンリオは若者達の姿を見つめつつ、自身の誓いを新たにした。


「マリエッタ殿。そなたの武勇にも感服したが、それ以上に気高き意思と慈しみに大きな感銘を受けたぞ」


「もったいなき御言葉。これらは全て、我らが陛下や戦王妃(せんおうひ)様の教えでございます。私など、ご教示いただいた事柄を真似るだけ……今回もアマノ王国騎士に相応しき振る舞いをと思ったのみ、どうにか名を(はずかし)めずに済んだと胸を撫で下ろしております」


 ズヴァーク王メフロシュの賞賛に、マリエッタは多分に謙遜を含んだ言葉で応じた。

 ここズヴァーク王国には旧体制派、昨秋までのテュラーク王国で幅を利かせたテュラーク支族やベフジャン支族がいる。そしてマリエッタが打ち倒したのは両支族の若者達だから、誇りすぎてもと思ったのだろう。


 マリエッタの武力と続いて示した器量で反感も随分と下火になったようだが、かといって油断は禁物だ。むしろ、これからが大切である。

 そして国王や王妃の教えと言われたら、難癖を付けるわけにもいくまい。エンリオも良い返答だと思いつつ聞き入っていた。


「マリエッタは乗馬も得意ですよ。明日は馬場にでも案内していただければと」


「それは良いことをお聞きしました。我がズヴァーク王国にも名馬は沢山おりますから、ぜひ皆様に披露したいと思っていたところです。我が国の馬は雄雌どちらも体が大きく、しかも寒冷地に強いから御国事情にも合うでしょう」


 シノブの誘い水に、メフロシュは笑顔で身を乗り出す。

 夕方まで滞在したタジース王国と同様に、ズヴァーク王国も騎馬民族だ。当然ながら優れた馬を多く抱えており、それらを売って外貨を稼ぎたいと考えていたのだろう。


 これが隣国なら控えるだろうが、アマノ王国は遥か西だから馬で攻めてくる可能性は極めて低い。それにズヴァーク王国は凶作をどうにか乗り越えたばかり、今も各国の支援を受けている状況である。

 売った軍馬から優秀な子孫を得て先々商売敵となる心配より、今を(しの)ぐべき。それに新産業をと便宜を図ってくれるシノブに、返礼となる土産も必要。おそらくメフロシュは、そう判断したに違いない。


 ただし一部の者、旧体制派は渋い顔をする。種馬と牝馬の双方が交易の対象になると察したからだ。

 とはいえ財政を立て直さないと、戦勝国たるキルーシ王国などに大きな顔をされるばかりだ。そのためだろうが、彼らも表立っては反対しない。

 この旧体制派の葛藤を、エンリオは見逃さなかった。そして(いま)だ不安要素を完全に()み切れていないと、密かに気を引き締める。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 この日の夜、エンリオは王族警護の当番を務めた。今回の訪問で最も危険な国は、ここズヴァーク王国だと(にら)んでいたからだ。

 とはいえエンリオは親衛隊長、明日もシノブと共に行動するから不寝番は無理だ。そこで自身は零時まで、後は親衛隊でも腕利きのムビオとキグムに引き継ぐ。


「……もっとも儂らなど、飾りのようなものだがな」


「シノブ様に警護は不要ですからね」


「シャルロット様も同じです。それに最近はミュリエル様やセレスティーヌ様も随分とお強くなりました」


 エンリオの呟きに応じたのは、孫のミケリーノと護衛騎士の一人シエラニアだ。

 多くの場合、このように親衛隊、従者、護衛騎士から一人ずつ当番となる。しかし実際は門番のようなもので、警護役として働いたことなど一度もない。

 そのため今も三人は椅子に腰掛けたまま、テーブルには茶器や菓子を入れた皿まで並んでいる。


 これはシノブを狙う者など皆無だからだ。

 アマノ王国は平和だし、シノブを始めとする王家の人気は高い。それに『白陽宮』の守りは固く、侵入すら難しかった。

 同盟国も殆どが平穏、更に深めた交流で豊かさを増した。そのため繁栄を(もたら)した盟主シノブが訪れたら歓呼の嵐だ。

 もっとも最大の理由はシノブ自身、人とは思えぬ彼の力と偉業(ゆえ)。そうエンリオは考えていた。


「とはいえ、この国は少々事情が異なる。それに明日のシノブ様とシャルロット様は別行動……シエラニア、頼んだぞ」


「お任せください。アマノ王国騎士として、そしてカンビーニ王国出身者として、必ず役目を果たしてみせます」


 エンリオの望む言葉をシエラニアは返してくれた。それに彼女の程よく張った闘志も、合格点を与えられるものだ。


 ズヴァーク王国を発つのは明後日(あさって)の朝、つまり実質的な滞在は明日のみだ。そのためシノブはメフロシュ達と会談、シャルロットは馬場に赴く。

 新たな産業を興すのも重要だが、効果が出るのは先のこと。つまり今このときを支える何かが必要だ。

 しかし僅か一日で双方をこなすのは難しいから、別々に動くとシノブは決めた。


 したがってシエラニアやマリエッタなどの護衛騎士が、シャルロットを守るしかない。もちろん今や国有数の腕となったシャルロットに危害を加えるなど不可能に近いが、かといって護衛が手を抜くわけにもいかないだろう。


「それに私、エンリオ様に認めていただいてミケリーノ殿に嫁ぐつもりですから」


「し、シエラニアさん!」


 最近のシエラニアは、こうやってミケリーノの反応を楽しむことがある。しかし十三歳の少年は、二つ上の相手の押しを上手く躱せぬままだ。

 待っているから頑張れ、とでも口にしたら楽しかろうに。そう思ったエンリオだが無言のまま見守ることにする。


 ちなみにエンリオは、ミケリーノとシエラニアの縁組に賛成であった。

 同じカンビーニ王国出身同士、それに猫の獣人と虎の獣人の組み合わせも面白い。しかもシエラニアは伯爵家の娘だから、貴族になったばかりのミケリーノに足りないものを補ってくれる筈だ。

 内々にシエラニアの父ルソラーペ伯爵にも確かめたが、ぜひ頼むと返ってきた。どうも異例の出世を遂げたアルバーノの甥なら、将来も間違いなしと考えているらしい。

 実際ミケリーノはシノブの側近でもあるし、成人と同時に子爵位を授かることになっている。それに魔術の才がある上に、最近はアルバーノの手ほどきで武術の上達も(いちじる)しい。

 確かに前途洋々の逸材だろう。祖父の贔屓目(ひいきめ)と思いつつも、エンリオからしてもミケリーノは期待の若者の一人である。


 とはいえ、このように女あしらいが苦手では先々が不安だ。

 ソニアという姉がいるのにと首を傾げたエンリオだが、逆に才女が上にいたのが理由なのだろうかと思いもする。普通に言葉を交わす程度なら全く問題ないが、このように懐に飛び込まれると怪しくなるのだ。

 そこでエンリオは、孫を少しばかり脅すことにした。


「ミケリーノ。お前も将来は子爵、シエラニアに続く妻を娶るかもしれぬぞ? 義父を見習って、もう少し女慣れしたらどうだ?」


 エンリオは笑い出したくなるのを押さえつけ、敢えて真面目な顔を作る。

 実際にはアルバーノのようになっても大変だろう。どうやら第二夫人を迎えると決めたらしいが、まだ第三夫人を狙う者がいるくらいだ。

 しかしミケリーノのように隙が多すぎても苦労する。この子は美形だから尚更だろうと思いつつ、エンリオは(いか)めしい表情を作る。


「で、ですが……」


「エンリオ様、大丈夫です。これから私が手ほどき致しますから」


 動揺するミケリーノに、澄まし顔を保ちつつ喜びも顕わなシエラニア。両者の反応は両極端だ。

 ミケリーノが慌てるのは当然、それにシエラニアからすれば自身が第一夫人と暗に示されたから嬉しいだろう。どちらも予想済みだが、そこから先は少々違った。


「……分かりました。お爺様の名を家名に頂くのですから、恥ずかしくない男になります。……シエラニア、貴女の助けを借りてね」


「まあ……」


 ミケリーノは立ち上がると、シエラニアの前で(ひざまず)く。そして彼女の手を取ると、甲に自身の唇を触れさせる。

 それは確かにアルバーノの血縁と納得する姿であった。粋な身ごなしと甘い声は、シエラニアが頬を赤く染めたのも無理ないと思ってしまうほどである。


 しかしエンリオは、別のことに気が向いていた。

 自身の名を家名とする。既に聞いていたが、それでも胸が熱くなる。

 ミケリーノは子爵となったとき、エンリーノという姓に変えると宣言した。これはシノブがロマニーノに示した案の一つで、『小エンリオ』という意味があるらしい。

 しかしエンリオがロマニーノの先代となることもあり、こちらは『小イナーリオ』という意味合いのイナリーノにした。流石にエンリオ・ド・エンリーノではと、シノブは考えたようだ。

 それなら自分がと名乗りを上げたのが、側に控えていたミケリーノだ。祖父の名を未来に残したいと孫が言ってくれたと知ったとき、エンリオは涙を(こら)えるのに苦労した。


 自分は七十を超えた老人、そう長くはないだろう。

 もちろん今は健康そのもので隊員達の指導にも全く不安はないが、十数年か二十年もすれば自分は輪廻の輪に戻る。しかしイナーリオ家に加えて小イナーリオのイナリーノ家、更に自身の名に由来するエンリーノ家まで残るのだ。

 その日を確かなものとするためにも、ミケリーノ達を導こう。もちろん隊員や護衛騎士達も同じだ。子孫の幸せはアマノ王国の繁栄があってこそ、そして平和と豊かさを守るのは我ら軍人の務めなのだから。

 エンリオは決意を新たにしつつ、若い二人の初々しい様子を見守っていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 翌日、エンリオはズヴァーク王国首脳陣との会談に加わった。もっとも親衛隊長だから後ろで控えるのみ、会議の行方を見守るのみだ。


 訪問団からはシノブ、そしてミュリエルとセレスティーヌだ。シノブはアマノ同盟の盟主だから当然、残る二人だが今回は同盟の商務と外交の責任者とされている。

 ちなみにアミィは王子リヒトの守りを務めると、参加を辞退した。シノブとシャルロットの双方が、我が子を託すのは彼女しかいないと頼んだからだ。

 やはりシノブ達もズヴァーク王国では万一があると警戒しているのだろう。他にも魔術の得意なアリエル、近接戦闘の達人でもある侍従長のジェルヴェなども王子の側に残っている。


 一方ズヴァーク王国だが、国王メフロシュと王太子ラシャーンの他に商務大臣と外務大臣がいる。そして大臣達は、旧体制派のテュラーク支族とベフジャン支族の出身だった。

 どうもメフロシュは、まずは国の安定をと願ったようだ。彼は内務と財務に加え軍務の三つ、国の根幹や治安維持を担う大臣に自身の支族を当てたのだ。

 ちなみに農務は中立派だ。つまり各支族に配慮した結果、大臣は自派が三人、中立一人、旧体制派が二人となっていた。

 メフロシュは国王だが、キルーシ王国などの後押しがあってのこと。つまり国内をズヴァーク支族のみで統率するほどの力はない。

 そのため大臣の選出も均衡を重視したらしいが、その結果シノブ達の相手は先日まで旧王国を支えた二人になってしまったわけだ。


「お言葉を疑うわけではありませんが、我が国も相当の投資をするわけです。おいそれとは決断いたしかねます」


「それに我が国の毛織物を買ってくれる国があるかどうか……」


 商務大臣のヘダーヤンと外務大臣のバルギーズは、シノブへの敬意を示しつつも問題点を挙げていく。

 エンリオの見るところ、二人が難色を示したのは旧体制派としての先入観と実際の懸念が入り混じった結果のようだ。双方とも五十を超えているし大臣を務めるだけあって、あからさまに反対するほど愚かではないのだろう。


 しかし出自からか否定が先にあり、それが殊更に難点のみを並べる結果に繋がったのではないか。そうエンリオは想像する。

 すぐ脇では、従者として控えているミケリーノも僅かだが表情を変えていた。もちろん相手に読まれるほどではないが、祖父のエンリオにはお見通しだ。


「アマノ王国を始め、充分な出資をいたします。無利子、そして利益の1パーセントをいただく条件での貸し付けですから損はない筈です」


 ミュリエルは最近導入された単位を用いつつ支援の条件を語っていく。

 『パーセント』とは、シノブの故郷で使われていた概念だという。あまり経済に詳しくないエンリオだが、何割何分などと言うより便利なのだろうと思ったものだ。


「毛織物の輸出ですが、既に周辺各国の同意は得ておりますわ。少なくともキルーシ王国、アルバン王国、タジース王国……西方や南方の三国は購入するでしょう」


「それは……」


 セレスティーヌの言葉に、外務大臣バルギーズの表情が動く。

 エンリオは密かにだが、華姫(かき)と称えられる若き女性に賞賛を送っていた。もちろんシノブ達も含めての判断だが、既に各国への根回しは終わっているのだ。


 セレスティーヌが挙げた三国はズヴァーク王国を興すために様々な支援をしたが、今のところ見返りは平和のみだ。

 もちろん戦乱の回避は重要だが、目に見える成果がないと国内に不満が溜まる。そこで投資からの利益回収となったわけだ。

 つまり三国としては、ズヴァーク王国の紡績業や織物業が育ってくれた方が助かる。それに温暖な自分達の国には毛を取れる家畜は少ないし質も悪いから、元々競合しない分野でもある。

 そして暖かな国でも、敷物など羊毛の使い道は幾らでもあるのだ。


「富裕層が使うような敷物や壁掛けを輸出すれば利幅も大きいと思います。それに生活用品の魔道具を自国で生産すれば、輸入超過も解消できるかと」


「お言葉は理解できますが、それほど上手くいくものでしょうか?」


 ミュリエルが示した未来図に、商務大臣ヘダーヤンも大きく心を動かされたようだ。しかし彼はシノブ達が提案する魔力の濃い場所への工場建設に、戸惑いも感じているらしい。


「実際に見ていただくしかないでしょうね。私の領地の一つ、アマテール地方を視察してみませんか?」


 こうなるとシノブは予測していた。

 アマノシュタットを発つ前にアマテールの町にも話を通したし、案内役を務める町長のタハヴォには魔法の馬車の呼び寄せ権限も付与している。もちろんエンリオは事前に聞いており、若き国王の思惑通りだと喜びを感じていた。


「ヘダーヤン、バルギーズ。百聞は一見に()かずというではないか。それにアマテール地方は開拓を始めて一年少々と伺っている。ちょうど良い見本だと思うぞ?」


「私も見学したいと思っていたところでした」


 国王メフロシュと王太子ラシャーンが乗り気な姿勢を示すと、両大臣も静かに頭を下げる。

 こうしてシノブ達は密かにエウレア地方へと戻ることになった。早速一同は王宮の奥庭に移り、およそ4000kmもの西方へと転移する。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 アマテール地方はメリエンヌ王国の北東部、フライユ伯爵領の端だ。しかも一年前までは北の高地と呼ばれるのみで、人の手が入っていなかった。

 これは強い魔力が多くの魔獣を引き寄せ、俗にいう魔獣の領域を形成していたからだ。


 魔獣の領域も様々で、それなりの猟師や武人なら踏み込める場所もある。しかし北の高地は広大で、人里近い場所ならともかく奥まで入る者はいなかった。

 ただし人外魔境は過去のこと。今は多くの人が集う上に先進の研究施設や学園も存在する、アマノ同盟でも特に有名な場所だ。


「ここが魔獣の領域だったのですか!?」


「人が住み始めたのは一年二ヶ月前……とても、そうは思えませぬ」


 魔法の馬車から降りた大臣達は、周囲の様子に目を見開く。

 ここはアマテールの町の中心、集会場だ。しかし昔の何倍にも拡張され、もはや領主の館といっても信じてしまうくらいである。

 今も建築はドワーフ達が受け持っており当初と同じ木造だが、詰めれば千人でも入りそうな建物。屋根も高く、一般的な家の三階を優に超える。

 他にも小集会場や倉庫など、合わせて十ほどが敷地内にある。後々のことを考えて敷地を広く取ったから入ったが、これ以上の増築は難しいだろう。

 そのため新規に建てたものは三階建て、中央の大集会場も実は二層に分かれ更に地下室まで備えている。


「ええ。竜が結界で守ってくれたからですが、このように立派な建物を造ったのは人間ですよ」


「そうとも、これらは儂らが建てた……昨年の一月からな」


 シノブに続き、ここの町長にしてアマテール地方開拓団長でもあるタハヴォが事実だと保証する。しかしエンリオからしても、フライユ伯爵領北部の発展は驚異的だった。


 開拓に着手したころはシノブがフライユ伯爵になったばかり、それにベーリンゲン帝国を打倒する前だった。したがって前線を支えねばと、メリエンヌ王国も様々に便宜を図ったという。

 シノブが挙げた岩竜ガンドとヨルムの夫妻の協力も大きい。彼らはシノブを慕って移住してきたが、棲家(すみか)を設ける礼として開拓にも協力した。

 竜達が結界で魔獣の侵入を防がなければ、幾らドワーフ達が頑健で精強とはいえ開拓は失敗に終わっただろう。


 しかし、それにしてもとエンリオは思ってしまう。

 当時はカンビーニ王国に仕えていたから、直接は目にしていない。アマノ王国の誕生は五ヶ月少々が過ぎた昨年六月、その直後エンリオが移籍したときは立派な町村が幾つも誕生していた。

 ここも既に町となり、メリエンヌ学園の周辺は都市と思ってしまうほど整備されていた。それらを見せてもらったとき、エンリオも本当に半年足らずで整えたのかと驚いたのだ。


「ここの紡績場や機織(はたおり)場も全て蒸気機関を使っている。豊富な魔力で湯を沸かし、その力で機関を動かすのだ。それに揚水にも使って畑を潤しているぞ」


「もちろんドワーフの皆さんの技術があってこそです。ですが、それを含めて私達は提供できます」


「アスレア地方のドワーフ達も、ここで学んでいますよ。条件次第ですが、東メーリャのドワーフならズヴァーク王国も気に入ってくれるでしょう」


「西メーリャの皆さんは寒いところが苦手ですが、東メーリャはアマテール地方以上に寒冷な土地ですわ。ズヴァーク王国の高地でも、彼らなら平気な顔で冬を越すでしょう」


 タハヴォが工場について説明する間も、シノブ達は新産業の立ち上げは可能だと語り続けていた。

 ミュリエルはドワーフの技術力が必須と力説し、シノブはズヴァーク王国にも招聘(しょうへい)可能だと示す。そしてセレスティーヌは東メーリャ王国を意識付けようと言葉を添える。


 東メーリャ王国も出稼ぎを考える者が出るほどで、豊かとは言いかねる。今は西メーリャ王国やスキュタール王国と三国協調体制を築いて交易も盛んになってきたが、それでもアスレア地方最北という土地柄は変えようがない。

 そこで高い技術を活かして他国で稼ごうという者は今もいるし、東メーリャの少年王イボルフは良い話があれば紹介してほしいとシノブに頼んでもいた。そこでシノブやセレスティーヌは殊更に東メーリャ王国を挙げたわけだ。


 それぞれが得意な技を持ち寄って、更なる繁栄を目指す。これがシノブ達の考えだ。

 ズヴァーク王国を例に挙げると、人族と獣人族のみでは破れない壁でもドワーフが新たな技術を持ち込めば突破できる。出来れば魔術や魔道具作成に()けたエルフもと言いたいが、彼らは暖かな森を好む種族だから難しい。

 もっとも蒸気機関に関する技術は、ドワーフ達だけで問題ないほど確立されている。そのため当面はエルフまで引き込まなくても良いだろう。


「それでは空からの視察に移ろう」


 タハヴォの案内で、一行は南の空港に移動した。そこには全長100mほどの飛行船が係留されている。

 これは二世代前の六式アマテール号だ。現在は七式アマテール型飛行船改、五割り増しの機体が主流となっており旧式を短距離飛行や訓練用に回したのだ。

 旧式といっても乗員は二十名ほど、それに多少の改良もしたから直径100kmはあるアマテール地方を一巡り出来る。この人数だと更に古い四式や五式でも良いが、タハヴォは一国の王や大臣を乗せるならと出来るだけ大きな機体を選んだらしい。


「おお……空から見ると、ますます凄さが分かりますな!」


「我らが国にも、このような地が生まれたら……」


 もはや大臣達は、子供のように目を輝かせるのみだ。

 しかしエンリオも、この光景を初めて目にしたときは同じように感動した。そのため彼らの心境は手に取るように理解できる。


 アマテールの町の東側には鉄道の駅、そこから南北に線路が伸びている。ちょうど今は北のメリエンヌ学園駅からアマテール町駅へと、旅客用の列車が向かっている。

 これも魔力で湯を沸かして動く蒸気機関、つまり蒸気機関車によるものだ。それに目を凝らすと、更に北の鉱山鉄道にも貨車を()いた蒸気機関車が見える。


 東西に目を転じると無数の町村、そして間には春を迎えて()ゆる緑も鮮やかな畑や牧草地だ。これらの間にも縦横に街道が延び、そこには徒歩や馬車で多くの人が行き交っている。

 北は白き山脈、その手前は森林を縫う鉱山道。そして何よりも、王宮にも匹敵する規模のメリエンヌ学園の本館。その周囲には様々な施設が連なり、農工の場に加え軍の演習場という充実振りだ。

 南は標高が低くなるから緑が増す。その中を線路は真っ直ぐに伸び、フライユ伯爵領の領都シェロノワを目指している。既に鉄道は高地の下まで届いたから、シェロノワまでも夏ごろには開通するだろう。


 もちろん大臣達は、そこまで見て取ったわけではない。しかし猛烈な速度で充実していくアマテール地方を肌で感じ取ったらしく、彼らは呼吸すら忘れたかのように窓の外を見つめたまま動かない。


「アマテール地方には豊富な鉱物資源がありました。そのため多くのドワーフが集まり、ここまでに成長したのです。しかしズヴァーク王国の山地も魔力を活かしたら、工業や農業の場として栄えるでしょう。もちろん皆さんが手を(たずさ)えて努力すれば、ですが」


 シノブの声は、決して大きくなかった。しかし彼の言葉は操縦室の隅々まで広がっていく。

 それは言葉に重みがあるから。アマテール地方を育てたシノブだからこそ、誰もが聞き入る力が篭もっている。エンリオは、そう感じていた。


「仰せの通りです。支族間の争いなど小さなこと……その小さな世界に閉じこもっているから大凶作を乗り越えられなかった」


「我らが自身の支族を説得します。そして必ずや我が国にも、(まこと)の豊かさを実現します」


 両大臣の言葉に、シノブは微笑みと頷きで応じる。

 そしてエンリオは、これぞ王の中の王と感じ入っていた。シノブは誰よりも大きな力を持ちながら、それらを封じて言葉と態度のみで大臣達の心を(つか)んだからだ。


 この英明な君主を支え、次代を担う若者達を鍛えよう。それらを全うしたとき、自分は心底から満足して輪廻の輪に戻れるに違いない。

 そして願わくば来世もアマノ王国の一員に。エンリオは一人静かに祈りを捧げていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2018年10月20日(土)17時の更新となります。


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