05.18 亡霊商会 後編
先代ベルレアン伯爵アンリ・ド・セリュジエは、王都で遭遇した事件を語り終えた。そして彼は何かを思うように眉根を寄せると、そのまま口を噤む。
「そのアルノー・ラヴランとは、どんな人なのですか?」
聞き覚えのない名前に僅かに首を傾げながら、シノブは先代伯爵に問いかける。
シノブだけではなく、シャルロットやシメオンもアルノー・ラヴランという人物に心当たりがないようだ。そのためだろう、二人も先代伯爵の言葉を待っていた。
「当家の従士……いや、従士だった男だ」
先代伯爵の言葉に、ベルレアン伯爵コルネーユやジェルヴェが頷いた。若いシャルロット達と異なり、彼らはアルノーという者を知っていたのだ。
「20年前の帝国との大戦で行方不明になった一人だよ」
伯爵が説明を引き継ぎ、シノブ達にアルノー・ラヴランの過去について語っていく。
ベーリンゲン帝国は、度々メリエンヌ王国と衝突している。このとき小規模な衝突であれば帝国との国境を守るフライユ伯爵領のみで対処するが、大規模な戦なら他領からも援軍を出す。
そしてアルノー・ラヴランは20年前の帝国との大戦に、先代伯爵に率いられて援軍として赴いた一人であった。彼は戦場で行方不明となり、未帰還兵として記録されたという。
「アルノーは、アンナの叔父だよ」
なんとアルノー・ラヴランは、シノブ付きの侍女アンナ・ラブラシュリの叔父だという。彼女の母であるロザリーの弟なのだそうだ。
「アンナの父ジュストは実は次男でね。彼の兄は、あの戦いで命を落としたんだ。
だからジュストはラブラシュリ家を継ぎ、アルノーの未帰還で跡取りがいなくなったラヴラン家は絶えてしまったのだよ」
伯爵はその当時を思い出したのか、沈痛な表情でシノブ達に語った。
シノブは、以前ジェルヴェから戦死者や未帰還兵が沢山出たと聞いたことを思い出した。
「アンナには弟がいます。もしアンナが騎士や従士の次男以降に嫁いだら、ラヴラン家を再興させることになるでしょう」
ジェルヴェも表情を曇らせたまま、伯爵の言葉を補足する。
「なぜ、先代様を襲ったのか……まさか『隷属の首輪』が?」
シノブは、前当主であるアンリを襲ったのが獣人の元家臣と聞き、嫌な予感を覚えた。
「その通りだ。倒した襲撃者達には首輪が嵌まっていた。アルノーも首輪のせいで儂らに攻撃したのだろう。『隷属の首輪』を付けた者は、命令されたら己の家族でも躊躇なく殺すというからな……。
確保した男を殺したのも、あらかじめ命令されていたのだろうな。捕まるくらいなら殺せ、と。もし、アルノーを捕らえようとしたら、自殺したのかもしれん」
先代伯爵は苦々しげに言う。
「そんな……」
シノブ達の背後から、ミレーユの声が聞こえた。
シャルロットの腹心としてアリエルと共に控えていた彼女だが、あまりの事に思わず声を漏らしてしまったのだろう。
「これが首輪の残骸だ。王都の役人に無理を言って、一つ譲り受けたのだ」
先代伯爵は、シノブに焼け焦げた金属製らしき輪を差し出した。醜く焼け爛れた首輪には、何かを嵌めていたような窪みが空いている。
残された死体には、全て同様の首輪があったそうだ。王都の監察官や魔術師の調査では、どうも装着者の死と共に自壊する仕組みになっているらしい。
特に隷属の魔法を制御していたと思われる箇所、何かを付けていたらしき窪みは、どんな物があったかもわからないくらい酷く焼け焦げている。
「これは……預かってアミィと調べて良いですか?」
問うたシノブに先代伯爵は深く頷き諾意を示す。そこでシノブは首輪をアミィに渡し、魔法のカバンに仕舞ってもらう。
本来であれば、王都を守る軍や重大事件を調べる監察官が全て回収すべきだ。しかし先代伯爵は襲撃された当事者ということを盾に取り、一つだけは確保したという。
先代伯爵の地位と威名がなければ、これを譲ってもらうことは出来なかっただろう。大げさに言えば、そのためだけでも彼が出向いた意味があるといえる。
「ジェレミーは若い頃、アルノーから指導を受けていた。だから破れた覆面の隙間から見えたアルノーの顔に、あいつは我を忘れたのだ。隙間は小さかったから儂にはわからなかったが、背格好や動きからも察したらしい。
……あいつは、今も必死にアルノーを探している」
ジェレミー・ラシュレーも、20年前のベーリンゲン帝国との戦いに従軍している。
そのときラシュレーは成人直後であった。そして同じ従士のアルノーは、4つ年下のラシュレーを弟のように可愛がり、親身に面倒を見てくれたらしい。
ラシュレーの苦労を思ったのだろう、口を開く者はいない。そのためベルレアン伯爵の執務室に、暫しの静寂が訪れる。
◆ ◆ ◆ ◆
「……マクシムを陥れた黒幕は、帝国だったのですか?」
沈黙を破ったのはシャルロットだ。
シャルロットは、帝国がメリエンヌ王国を混乱させるための策略だと考えたようだ。帝国が関与しているのではないかと父に問う。
「可能性は高いが、まだわからないよ。『隷属の首輪』が流出しただけかもしれない。……まあ、少なくとも10個はあったんだ。偶然流出したとは思えないがね」
ベルレアン伯爵コルネーユは、娘に敢えて慎重な見解を示したらしい。しかし彼も帝国の影を感じ取ったようだ。
『隷属の首輪』は帝国の奴隷制度を支える根幹で、特に帝国の持つ奴隷部隊の維持には欠かせない。要するに『隷属の首輪』は、帝国の軍事機密なのだ。
伯爵が言うように、帝国が厳重に管理する『隷属の首輪』が10個も偶然に手に入るわけがない。
「閣下。やはりフライユ伯爵領の魔道具製造業が発展した裏には何かあるのでは?」
シメオンは、先日シノブやイヴァールに披露した自説を述べる。
ここ10年ほどで急速に高度化したフライユ伯爵領の魔道具製造技術を、シメオンは以前から疑っていたという。
昔からフライユ伯爵領は魔道具製造が盛んな地域だ。
それはメリエンヌ王国の他領に比べ、フライユ伯爵領の魔道具製造技術が若干優れていたためである。そしてフライユ伯爵領の優位が、ベーリンゲン帝国からの技術流入に起因しているのは周知の事実であった。
ただし技術の流入は戦闘で偶然得た魔道具の解析によるもので、体系的に得られたものではない。そのため解析不可能なまま終わることも多いらしく、他領に対するフライユ伯爵領の優位は決定的に大きなものではなかったという。
そもそも帝国とは、何百年も前から衝突している。今までも帝国の技術流出はあったのに何故ここ10年で急激に技術が向上したか、シメオンは疑問に思っていたらしい。
「フライユ伯爵の成功には、何か表沙汰に出来ないものがあると思っていたのです」
おそらく無意識にだろう、シメオンは声を潜めていた。
しかしシメオンは、最後まで続ける。当代のフライユ伯爵クレメン・ド・シェロン自身、もしくはその周囲が帝国と何らかの繋がりを持っているのではないかと。
「その可能性は否定できないね。彼自身が関与していなくても、商人達が帝国と繋がっているかもしれない。実は、フライユ伯爵領の商人が帝国と密貿易をしているという噂もあるんだ」
伯爵はそう言うと、父親である先代伯爵に顔を向けた。
「王都の裏で流れているものだがな。……それに最初のうちは、急発展したフライユの商人達への僻みかと思っていたが。
……なんとフライユの商人達が帝国に獣人を売り飛ばし、その代償として魔道具製造の技術や部品を入手しているというのだ」
あくまで王都で仕入れた話だと前置きした上で、先代伯爵アンリはフライユ伯爵領の商人に纏わる黒い噂について説明する。
先代伯爵との戦いでも見せたように、獣人は人族とは比べ物にならない身体能力を持つ。
種族ごとに特性があり、熊の獣人なら怪力、狐の獣人なら素早さ、といった具合である。狼の獣人は中間的な位置付けだが、速さと力強さを兼ね備え、身軽でもある。
おそらくアルノーは、その特性を買われ暗殺者として使われたのだろう。
「お爺様、奴隷貿易が本当に行われているのですか!?」
あまりのことに、シャルロットは顔面蒼白となっていた。自国民が同胞を奴隷として売り渡しているなど、潔癖な彼女にとって許しがたい醜聞なのだろう。
「わからん。だが、フライユの商人達の動揺を誘うべく挑発したり隙を見せたりした結果、『隷属の首輪』が出てきたのだ。フライユ伯爵領が何か関与しているのは間違いない」
先代伯爵は明言を避けたが、かといって否定はしなかった。
竹を割ったような性格の彼は、シャルロット同様に憤りを隠せないようだ。青白くなるほど拳を固く握り締めている。
「その、ソレル商会というのが絡んでいるのか?」
シノブの後ろに控えているイヴァールが、ぼそりと呟く。彼も人族以外を奴隷とするベーリンゲン帝国の非道が許せないようで、思わず内心の思いが口に出てしまったようだ。
「そうですね。ソレル商会なのか、それ以前に行った商会のどれかなのか……どこの手の者か現時点で判断できませんが、いずれかの商会が関与していることは間違いないでしょう」
シメオンは冷静な表情と声で、自身の推測を口にする。だが隣に座るシノブは、彼の手が微かに震えているのに気がついた。
平静さを保とうとするシメオンの姿に、かえってシノブは彼の怒りの大きさを感じ取る。
「シノブ殿。今度の王都行きでは、何卒調査に協力していただきたい。シノブ殿とアミィ殿なら、我々では調べきれないこともわかると思う。
情けないと言われようが、お二人に縋ってでも、この件を捨て置くわけにはいかない」
一際表情を厳しくすると、伯爵は厳粛な口調でシノブに協力を依頼した。
そして内心の激情を表すかのように一気に言い切った伯爵は、シノブとその背後に控えるアミィに、深々と頭を下げる。
「顔を上げてください。私が最初に関わった事件は、私自身の手で幕引きしたいと思っていました。それにアンナさんの親族が奴隷になっているのなら、放ってはおけません」
シノブは静かな口調で、ベルレアン伯爵に自分の意思を伝えた。
自らの手で真相を掴み、黒幕とやらに踊らされたマクシム達の無念を晴らす。シノブはシメオンに聞いたときから、そうするつもりだったのだ。
「アミィもそう思うだろう?」
「はい! アルノーさんを家族の手に取り戻します!」
シノブが振り返ると、アミィは熱意も顕わに応える。
奴隷や人の意思を縛る魔道具など、アミィも許せないに違いない。しかも彼女はアンナとも仲が良いから、尚更アルノーを助けたく思ったのだろう。
アミィの顔に普段の優しい少女の面影はなく、別人のような鋭さがあるのみだ。それに声音にも、既に戦士としての気迫が漲っている。
「とにかく顔を上げてください。その……私も伯爵家の一員になるのですから、身内を助けるのは当然のことです」
頭を下げたままの伯爵に、シノブは静かに語りかけた。するとベルレアン伯爵は顔を上げ、嬉しそうに微笑む。
「……ありがとう。頼れる息子がいるというのは良いものだね」
伯爵は緑色の瞳を微かに潤ませていたが、晴れ晴れとした様子で一同に笑いかけた。
暗い話題を吹き飛ばすかのような伯爵の笑みに、シノブ達の顔も自然と綻んでいた。そしてシノブは、家族となってくれた人々の笑顔を守ってみせると心の内で静かに誓った。
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