27.12 マリエッタ、未来を語る
マリエッタは魔力を巡らせていた。
体の力を抜き、緩やかな呼吸で。魔力を意識して腕や足に動かし、逆に胴へと戻す。外から感じ取れぬよう密やかに、それでいて体内では激しく、更に思い描いた通りに。
ただし初心者のように体を動かしはしない。既にマリエッタは、そのような段階を過ぎているからだ。
それに今はアマノ号の中、タジース王国からズヴァーク王国へと向かっている最中である。
およそ一時間半の空の旅だから、訓練に割く時間もない。今もシノブの親衛隊長エンリオがズヴァーク王国での注意を中心とした訓示をしているし、その後は北方向けの軍装に着替えるなど忙しい。
タジース王国はマリエッタの故国カンビーニ王国に近い気候で、冬でも氷点下など珍しいという。しかしズヴァーク王国は北の山間部に位置し、アマノ王国と同じく寒冷だ。
そこで本来の北国用の衣装に戻すが、船内に更衣用の部屋は少なかった。そこで身支度も交代で、というわけだ。
このように慌ただしいから、マリエッタは密かに魔力操作の鍛錬をしていた。
シノブやアミィから教わった訓練法、つまり『アマノ式魔力操作法』は繰り返すほど高い効果を得られる。そのためマリエッタは暇さえあれば練習に励んでいるし、僅かな時間を活かすかどうかが成長に響くかもしれない。
何しろマリエッタは十三歳、まだ伸び盛りなのだ。
「……繰り返すがズヴァーク王国は建国して四ヶ月弱、多少の不都合には目を瞑れ。それと旧テュラーク王国で高位だった者が難癖を付けるかもしれぬが、これも出来るだけ流しておけ。もちろん捨て置けぬものは別だが、多少絡まれた程度なら我慢するのだ」
エンリオの言葉は、魔力を動かしながらでも充分に耳に入っている。そのためマリエッタは、目線の合った彼に頷いてみせた。
今のマリエッタは肉体と魔力を全く別個に操れるから、魔力操作をしながら周囲に気を配るくらい造作もない。
ただし、ここまで至る者は極めて少数だ。
シノブやアミィは戦いながらでも複数の術を自在に行使するし、シャルロットも近い域に達している。それに放出系の魔術を使えない武人でも達人級なら、身体強化を駆使しながら魔力を溜めて決定的場面での硬化や大技に繋げる。
これらは戦闘中でも術のための魔力操作を続けられるからだが、いわば実際の体と魔力による想像上の体を全く別々に動かすようなものだ。そのため会得は非常に難しい。
しかしマリエッタは一年間シノブ達に師事し、この域まで到達していた。したがってエンリオの訓話も全て頭に入っている。
「昨年秋、テュラーク王国は西隣のキルーシ王国に戦いを挑んだ。これは寒冷で作物が育ちにくい国柄が影響しているという。むろん禁術の使用を認めた統治者は許せぬし命で購わせたが、厳しい国情だったのも事実……おそらく未だ自身の正義を信じる者もいるだろう」
エンリオの指摘通り、ズヴァーク王国が抱える問題は根が深い。新たな国となっても風土や人々は同じだから、根本的な解決には至っていないのだ。
昨年は凶作で、テュラーク王国の首脳陣は暖かいキルーシ王国を襲撃して乗り切ろうと動いた。ここアスレア地方は西に朱潜鳳が作った大砂漠があり、同じ緯度でも西は温暖なのだ。
まずキルーシ王国の親テュラーク派に内乱を起こさせ、それに乗じて侵攻する。実際に反逆者達はキルーシ王都の乗っ取りに成功したし、そのままなら勝ち戦で終わったと思われる。
しかしテュラーク王国の思惑通りとはならなかった。このころシノブがアスレア地方の調査を始めており、キルーシ王国にも諜報員や眷属達が潜入していたからだ。
キルーシ王国の政変は即座にシノブへと伝わり、彼は同日中に内乱を鎮圧した。しかもシノブは間を置かず国境に飛んで両国を隔てる城壁を築き、テュラーク王国軍を無血のまま追い払う。
たった一人、それも僅か数時間で全長200kmを超える長城を築き、数千もの騎馬兵からなる軍を脅しただけで撤退させたのだ。
この驚天動地の出来事でも、テュラーク王国は戦意を失わなかった。末端の兵士達には逃亡した者もいたが、上層部は再戦へと動く。
テュラーク王や側近達は禁術使いルボジェクの研究に協力し、魔獣改造の素材として罪人達を提供した。そのため彼らは降伏しても許されないと判断したのだろう。
「何しろ国が滅びたのだ。内政官や軍人は相当数が失職し、残った者も閑職に追いやられた。特にテュラーク支族やベフジャン支族には多かったと聞いている。彼らにとっては復興しつつある自国など関係ない……ズヴァーク王国などアマノ同盟による傀儡国家だと思っているだろうからな」
エンリオの顔が険しさを増す。それに彼と並ぶ者達、フォルジェ侯爵夫人アリエルにビュレフィス侯爵夫人ミレーユ、シノブの侍従長ジェルヴェと彼の妻で侍女長のロジーヌも僅かだが表情が動く。
確かに恨んでいる者は多いだろう。伝え聞く限りではテュラーク王国時代よりも生活は安定し、民衆は大多数が歓迎しているという。
しかしキルーシ王国やアルバン王国などの戦勝国、戦いには加わらなかったがアルバン王国と親しいタジース王国などが送った食料や物資があってのことだ。これらの支援はズヴァーク王国を支えるためだから、旧支配層に近いほど素直に喜べぬだろう。
「あまり使いたくない言葉だが、彼らからすればアマノ同盟は侵略者なのだ。揚げ足を取られぬよう、勝者の威厳と度量、正義を成した者に相応しい規律と慈しみを望む。……以上だ!」
「はっ!」
これまでの国と違う。エンリオの言葉で心底理解したらしく、誰もが真剣そのものの声で応じた。
もちろんマリエッタも同様だ。自分はアマノ王国誕生以前からの古参、未成年でも新たに来た者達の手本にならねばと気を引き締める。
ここには今月に入って加わった者もいる。シノブの親衛隊だとジャル族のヒュザやメジェネ族のハジャル、従者はナンカン第二皇子の忠望、シャルロットの護衛騎士ならメリエンヌ王国の公女ドリアーヌやナンカン皇女の玲玉などだ。
そこでエンリオも、わざわざ背景から語っていったのだ。
所属が違う者達はともかくドリアーヌとリンユーは自分と同じ護衛騎士、しかもマリエッタは二人の指導役だ。
カンビーニ王国の公女として、シャルロットの一番弟子として、そしてシノブを慕う者として。決して失敗は出来ぬと胸に刻み込んだ。
◆ ◆ ◆ ◆
現在マリエッタは自分と同じカンビーニ王国出身のロセレッタとシエラニア、ウピンデ国のエマ、そして新人の二人と行動することが多い。そのため着替えも彼女達と一緒、合わせて六人で更衣用の部屋に入る。
ちなみに更衣用とされているが、本来は密談に使う部屋である。やはり女性だけあり、それなりの場所を割り当てたようだ。
「手早く着替えるのじゃ!」
鍵を掛けると同時に、マリエッタは声を張り上げる。他にも護衛騎士は二組、それにアリエルとミレーユもいるからだ。
「はい!」
「分かりました!」
即座に応じたのは新人達、ドリアーヌとリンユーだ。しかし他の三人はマリエッタの気負いを見抜いたらしく、微笑みを浮かべている。
ロセレッタとシエラニアは幼いころからの学友、エマは九ヶ月弱の付き合いだが親友だ。そのため彼女達が察するのも当然と、マリエッタは気付かぬ振りをする。
それに急ぐ必要があるのは事実だ。
ここにいるうち五人は厚い肌着を入れる。マリエッタと同じくシエラニアとリンユーも虎の獣人、ロセレッタとエマは獅子の獣人、どちらも南方系の獣人だから寒さに弱いのだ。
そこで鎧下にも使われる防寒着の出番となる。これは雪大山羊の毛による織物に、要所には雪魔狼の革まで用いた本格的なものだ。
ちなみにドリアーヌは人族だから、肌着は今と同じで良いそうだ。実際に彼女は春秋用の軍服を脱ぐと、そのまま冬用の上下を手に取った。
「フランチェーラさんは暖かいところで良いですね」
「今ごろ刃矢人殿と壺酒でも飲んでいるかもね」
シエラニアとロセレッタは着替えながら、年長の友人の噂をしている。
先日フランチェーラはアマノ同盟スワンナム地方局に異動したが、これはヤマト王国の熊祖刃矢人がスワンナム地方局長となったからだ。
遥か東の国、ヤマト王国には大王領の他に三つの王領があり、その一つがクマソ王家の治める筑紫の島だ。この島は他国に向かう航路の基点で、実際にハヤトはアコナ列島やダイオ島を経てエウレア地方やアスレア地方のある北大陸まで辿り着いた。
一方こちらからだと、北大陸の東海岸までは遠い。エウレア地方は反対側の西端、より近いアスレア地方の東端でも3000km以上あるのだ。しかも大陸東部にアマノ同盟の正式加盟国はない。
そこで東で唯一の加盟国であるヤマト王国から局長を出すことになった。
これを知ったフランチェーラは、自身も局員になると名乗りを上げた。
ヤマト王国は東域探検船団の最終目的地、将来は多くの船が行き来する。その基点となる筑紫の島の主なら、自分の嫁ぎ先に相応しいとの判断だ。
ハヤトは熊の獣人で自分は虎の獣人だが、獣人族同士だから気も合うだろう。それに彼は大剣術の使い手、しかも筑紫の島はヤマト王国では南部だから暖かい。ここまで条件が揃っていればと、フランチェーラは先月ヤマト王国に行った際も積極的に近づいた。
そしてハヤト本人や父王の威佐雄も良い縁談と感じたらしい。向こうも向こうで、海洋国家カンビーニ王国から妻を迎えれば航海技術が向上すると考えたようだ。
こうして同じ職場で交流を深めることになったが、向こうは三時間ほど早く日が沈むから今は十九時を幾らか過ぎている。つまりフランチェーラとハヤトが夕食を共にしている可能性は高い。
しかもスワンナム地方局があるのはヴェラム共和国の首都アナム、亜熱帯に属しており三月下旬でも昼は暑いくらいだ。そのため二人は、寒冷な地に向かう自分達との差を羨ましく感じたのだろう。
「ロセレッタさんもメグレンブルクに行く?」
エマは衣服を着け終わると、ロセレッタのマントや飾り緒などを手にした。服は自分で着用するが、装飾品は従卒や後輩の担当なのだ。
ドリアーヌとリンユーも、それぞれマリエッタとシエラニアの分を持って控えている。
ちなみに年齢は上からドリアーヌが十七歳、ロセレッタとリンユーが十六歳、シエラニアが十五歳、エマが十四歳、マリエッタが十三歳だ。しかし同じ職位なら配属順で上下が決まるから、マリエッタを含むカンビーニ王国の三人が最上格、続いてエマ、ドリアーヌ、リンユーとなる。
もっともドリアーヌとリンユーの配属は十日ほど違うだけ、しかも武力はリンユーの方が上だ。したがって、この二人は同格扱いされることが多い。
「それは悪手だと思うのよ……アルバーノ様は自家や自領に役立つ縁組を望んでいらっしゃるようだから」
ロセレッタが暗に示したのは、一昨日の出来事だ。メグレンブルク伯爵アルバーノが、カンビーニ王国の女艦長ベティーチェを第二夫人に迎えると決めた件である。
このときホリィやミケリーノも同席していた。そしてアマノ号に戻ってきた二人はシノブ達に報告し、その日のうちにシャルロットがロセレッタに伝えた。
ロセレッタがアルバーノを慕っているのは、アマノ王家や近しい者なら誰もが知るほど広まっている。もちろんシャルロットも気付いているし、出来れば弟子の望みが叶うようにと願っているようだ。
ともかくロセレッタは空席が一つ埋まったと知った。
しかしアルバーノがモカリーナに続く夫人を娶るなら、三人目もあるかもしれない。実際に彼は、再び縁談を持ち込まれたら内々の婚約を理由に固辞するという。
このような更なる婚約など存在しないが、正式な申し込みの断りに使ったら無かったことには出来ない。つまりアルバーノは、必要に迫られたら三人目を迎えるのではないか。
それなら自分にも勝機があると、ロセレッタは前向きに捉えることにしたらしい。
「そうじゃの。ともかく頑張るのじゃ」
前向きに挑戦し続ける。それはマリエッタの定めた道とも共通していた。
ホクカンで穢れた魂がシャルロットを狙ったとき、自分は思わず飛び出した。護衛騎士としての使命でもあるが、敬愛するシャルロットを守ろうと反射的に体が動いたのだ。
この想いは、シャルロットのみならずシノブにも届いたらしい。それからの彼は、以前よりも親しみを示してくれるような気がするのだ。
きっとロセレッタにも機会が巡ってくるに違いない。それがどんなものか分からないが、一途に想い続けていれば掴み取れる筈だ。
それに選択の自由があるだけ恵まれている。王族にしろ貴族にしろ、政略結婚が普通なのだから。
実際フランチェーラの選択も、これなら両親や一族が納得するだろうと考えた結果だ。
ここにいる者でもエマはガルゴン王太子カルロスの第三夫人として婚約、ドリアーヌは自国の軍務卿の跡取りシーラスの第二夫人になると決まっている。リンユーもナンカン皇女だから、ホクカンかセイカンの皇太子に嫁ぐのではないか。
もちろん政略結婚でも愛を育むように努力すれば、幸せが訪れる。それに特権を享受し修行に邁進できるのは支える家臣や民がいるからで、彼らの期待を裏切れない。
そう、自分も皆の期待に応えるためにも、アマノ王家と絆を結ぶのだ。マリエッタは熱くなる心を誤魔化すように、表向きの理由を重ねた。
◆ ◆ ◆ ◆
ズヴァーク王国の国王はメフロシュ・ズヴァークという男だ。このズヴァークというのは支族の名で、国王となる前は支族長だった。
これは滅亡したテュラーク王国も同じで、代々の王はテュラーク支族が占めていた。つまり、この地方は特定の支族が王朝を興して統一するか、突出した集団が現れずに複数に分裂するか、という歴史を繰り返してきた。
この地は耕作に適した場所が少ないが、それでも牧畜をする程度の緑はある。それに南のタジース王国と同じく、体格が優れた馬も多かった。
そのため人々は自然と遊牧生活を選ぶが、人口が増えるに連れて牧草地の取り合いが始まる。そのため支族長には一番の強者が選ばれ、王国として纏まるときも最も強い支族が頂点に立った。
しかし今回、メフロシュ・ズヴァークはキルーシ王国など戦勝国の後押しで王位を得た。もちろん彼はズヴァーク支族で最も優れた騎手であり武人だが、全支族で一番と認められたわけではない。
これも破れた者達、テュラーク支族や二番手として旧王国を支えたベフジャン支族の不満のようだ。
そのため国王としてのメフロシュは、統治に多くの時間を割きつつも自身の武勇を示すという忙しい日々を送っている。
まだ四十代半ばで衰えには遠いが、各支族を巡って勝利を重ねるのは相当に骨だろう。何しろ現状は各国の支援で成り立っているようなもので、鍛錬より内政や外交に時間を割かねばならないからだ。
不幸中の幸いだが、二大支族のテュラークとベフジャンの強者は戦で散ったから、どうにかメフロシュは一番手というべき位置にいる。そのため時には辛勝もあるが、彼は他支族の信頼を獲得し続けた。
しかしテュラーク支族やベフジャン支族からすれば、これも不満の種らしい。
「……ザルトバーン陛下は、もっと強かったぞ」
「ああ。このように他国やアマノ同盟とやらの力を借りんでも、国を掌握していた」
歓迎の宴の最中にも関わらず、そこかしこから不満の声が届いてくる。そのためマリエッタは、笑顔を保つのに苦労した。
メフロシュが一番でいられるのは、キルーシ王国との戦で多くが倒れたから。しかもテュラーク国王ザルトバーンや王太子ファルバーンは、ここフェルガンの王宮に乗り込んできたアマノ王国の武人アルノーにより命を落とした。
おそらく新体制を作るため邪魔者を始末したのだろう。そして他国の武人に任せたのは、メフロシュではザルトバーンに敵わないからだ。
つまり旧体制派からすれば、メフロシュは簒奪者でアマノ同盟は彼を僭主に仕立てた非道の集団だ。
「しかも息子のラシャーンはキルーシの王女……ミラシュカとかいう娘を娶るそうだな」
「ああ。つまり二代先はキルーシの血が混じった王だ」
やること為すこと全てが気に食わないらしく、密やかな声は王太子の結婚相手にも向けられた。
このキルーシ王女ミラシュカは、母がザルトバーンの腹違いの妹だ。つまりテュラーク支族の血を尊重しての婚姻でもあるが、反体制派は配慮に気付かぬ振りをしているらしい。
マリエッタは喉まで出掛かった反論をかろうじて飲み込む。
確かにメフロシュのズヴァーク支族は元から親キルーシ派で、それが国王に推された最大の理由だ。つまりキルーシ王国の影響が強いのは事実、破れた側が傀儡政権と表現したくなるのも当然だ。
それに近隣の国やアマノ同盟も早期の安定を望み、穏健なメフロシュやズヴァーク支族に期待した。ズヴァーク支族の居住域は西寄りでキルーシ王国に近いから、長の人柄や支族の様子も充分に把握できていたのだ。
しかし旧体制派は、ザルトバーン達が禁術の使用を認めた件に目を瞑っている。簒奪者や操り人形と言いたくなるのも分かるが、彼らは自分達に都合の良い部分だけ挙げていた。
とはいえエンリオが訓示した通り、ここは我慢のしどころだ。
反論するなら国王のメフロシュ、あるいはアマノ同盟の盟主であるシノブから。護衛騎士に過ぎない自分が出しゃばっても拗れるだけと、マリエッタは平静を保つ。
「それに見ろ……あのシノブとやらを」
「ああ。国境では人外の力を示したそうだが、妃に婚約者二人、更に周囲には大勢の女を侍らせているじゃないか」
「どうせ女狂いだろう。護衛騎士や侍女らしいが、本当は……」
「貴様……今の言葉、もう一度言ってみろ」
この侮辱には、マリエッタも堪忍袋の緒が切れた。無意識のうちに腰の小剣を抜き放ち、並んだ三人の中央の男、大柄な若者に突きつける。
いずれも狼の獣人だ。軍服の上の飾り布からすると、ベフジャン支族だと思われる。
戦争に完全な正義など存在しないから、敗者の不平は聞き流した。自分達が貶されるなら、それも我慢しよう。しかし己が敬愛する者達、そして武術や人生の師を馬鹿にされて黙っているほど人間が出来てはいない。
いや、そのように聖人めいた心境など不要だ。幸い相手も武人、ならば武に生きる者らしく挑もうではないか。
マリエッタの心に宿った炎は隠し切れぬ魔力として溢れ、今や剣先から吹き出そうだ。もちろん決闘の前に傷つけないよう、磨いた制御力を活かして刃までに留める。
この男達への仕置きは、衆人環視の中で徹底的にするのだ。マリエッタは知らず知らずのうちに、獣のように獰猛な笑みを浮かべていた。
対する三人、マリエッタより頭一つ近く背が高い男達は蒼白な顔のまま立ち尽くすのみだ。まさに虎の尾を踏んだと、彼らは気付いたのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
抜剣は非難されるべき行為だが、幸いにして男達の愚痴は他にも届いていた。それもアマノ同盟とズヴァーク王国の双方、したがってマリエッタは責められることなく決闘の準備が進められる。
ここは王宮の庭、小規模だが閲兵も出来る場だ。そしてマリエッタの側には仲間の護衛騎士達、更にエンリオがいる。
しかし相手側は代表者たる狼の獣人に、侮辱した残りの二人が付くのみだ。巻き添えになるのは避けたいらしく、三人組の補佐をする者は現れなかったのだ。
「マリエッタ様が動かねば私が出ました……。しかし失礼ながら単なる護衛騎士、それも未成年ですから小さく収められます」
「様は余計じゃ。エンリオ殿は陛下の親衛隊長じゃからな……しかし、そう言ってもらいホッとしたわ」
囁きかけるエンリオに、マリエッタは小声で応じる。
エンリオは元々カンビーニ王国の従士だったこともあり、私的な場ではカンビーニ公女として立ててくれる。しかし今のマリエッタはアマノ王国の護衛騎士として決闘に挑むのだから、上格の親衛隊長らしくしてほしい。
とはいうものの普段の言葉遣いで応じてしまう辺り、マリエッタも彼に特別な親しみを感じているのは事実だ。
ちなみにシノブやズヴァーク国王メフロシュなど要人達は観戦席に収まっている。
マリエッタが剣を抜いたとき、シノブやメフロシュは遥か上座におり声は届いていなかった。そのため彼らは相当に驚いたようだが、エンリオから事情を聞いて若者同士の余興として片付けると決めた。
国王を侮辱したのだから正式に抗議すれば重罪は間違いないし、場合によっては極刑だろう。新たな産業をと心を砕く盟主の機嫌を損ねぬよう、ズヴァーク王国が進んで厳罰を選んでも不思議ではない。
しかし双方とも、これ以上の血は見たくなかった。シノブが提案する魔道具工場や紡績場を作っても、処刑などすれば台無しである。
最悪は血塗られた布を旗印にされ、これがアマノ同盟と手先の所業、我らを根絶やしにするつもりだなどと叫びかねない。そうなればズヴァーク王国が長い内乱の時代に突入する可能性すらある。
そこでマリエッタに全てが委ねられた。先ほどエンリオが密かに教えてくれたが、シノブは最善の結果になると信じているから思うままに、と言ったそうだ。
「それでは両者、前へ出ませい!」
審判役はベフジャン支族の壮年男性だ。
本来なら中立の者にするところだが、ここにはアマノ同盟かズヴァーク王国の者しかいない。それに旧体制派の難癖を避けるには、向こう寄りの審判にすべきだろう。
もっともマリエッタは全く心配していない。何故なら自身の勝利を確信しているからだ。
「アマノ王国、護衛騎士マリエッタじゃ! いざ、尋常に勝負!」
「ベフジャン支族の武人、ジャハギルだ! 女子供に負けはせぬぞ!」
マリエッタの名乗りに、狼の獣人の青年ジャハギルは威勢よく応じて大剣を構える。今回は大剣同士の勝負なのだ。
しかしジャハギルが意気軒昂だったのは、ここまでだ。
「フライユ流大剣術『金剛破』……ほれ、どうした? 剣を断ち切らぬ程度に留めてやったぞ」
「な、何を!?」
マリエッタの強烈な一本突きで、ジャハギルは剣を取り落とす。
審判によっては、これで勝負ありとする場合もある。しかし同じ一族だからか、審判は戦闘継続できると見逃したらしい。
もっともマリエッタにとっては望むところだ。相手が泣こうが喚こうが、自身が終わりとするまで決闘を続けるつもりだからである。
「今度は『天地開闢』、そこから『燕切り』……お主、もっと手の内を締めぬと危ないぞ? 模擬剣とはいえ刺さることもあるからのう。自分の剣で命を落とすような珍妙な最期、後々まで語り継がれるじゃろうて」
横一閃から袈裟懸け、そして逆袈裟。マリエッタは剣を振りつつ技の名を告げ、更に挑発まで加える。
戦う前から分かっていたが、ジャハギル達などアマノ王国では騎士見習いにもなれはしない。獣人族だけあって身体能力はあるが、我流で磨いただけなのか魔力の使い方がなっていないのだ。
「ば、馬鹿にするなあっ!」
「もう少し工夫するのじゃな。目を瞑っていても読めるぞ」
ジャハギルは闇雲に剣を振り回すが、マリエッタは言葉通り目を閉じたまま躱していく。
魔力感知を磨けば、このように粗雑な攻撃など動く前からでも分かる。そのためジャハギルの剣は、マリエッタが避けた場所を通るのみだ。
「退屈じゃの……残りの二人も加わったらどうじゃ? 妾は一向に構わぬぞ?」
「……追加を認める」
マリエッタの提案に、審判役は苦渋の表情となる。しかし暫しの後、彼は三対一の戦いに同意した。
これにはズヴァーク王国の一部から声が上がるが、大半は落ち着いたままだ。もはやマリエッタの勝利は当然と、誰もが認めたのだろう。
「三人同時で掛かるぞ!」
「お、おう!」
「分かった!」
ジャハギル達は恥も外聞も捨てて襲い掛かる。ジャハギルが正面を受け持ち、残る二人が左右に散って囲もうとする。
「お主らには剣など要らぬの。……ほれ、八佳掌! 次は猛虎光覇弾! 最後は熊山靠じゃ!」
マリエッタは大剣を地面に突き刺し、素手の攻撃に変えた。
まずは軽やかに身を動かし、左手刀での切り下ろしでジャハギルを打ち倒す。更に強烈な踏み込みからの右掌底で二人目を吹き飛ばす。
残る一人は迫っており、肩から背を用いた体当たりで応じる。魔力操作で強化した跳躍で入ったから、相手は二人目と同じくらい遠方に落ちる。
「ど、どうして……」
もはやジャハギル達には、立ち上がる気力すら残っていないようだ。流石に彼らも、段違いの相手だと理解したのだろう。
ただし、これでもマリエッタは大幅に手加減している。本来なら三人は気絶したまま起き上がれなかった筈だ。
「それは妾達が未来を見つめているからじゃ。後ろ向きで過去に拘る、そなた達と違っての。……そなた達は新たな国で官職を得たのじゃろ? ならば己を磨いて出世し、自身や支族の名を上げれば良い。そうすれば再び天下を取れるかもしれぬのに……惜しいことじゃ」
マリエッタには、ジャハギル達が新たな挑戦を避けているように思えた。
二十歳にも届いていない若さで、昔は良かったなどと呟いて空しくないのか。未来に背を向けて、新たな環境に愚痴を零すだけで楽しいのか。
もし苛烈な国なら今頃は墓の下、運が良くて他国に追放だろう。しかしジャハギル達は、王宮にも上がれる武人として遇されている。
おそらくは新国王メフロシュ達の慈悲で。先々はテュラーク支族やベフジャン支族から優れた若者が現れ、一緒に国を導いてくれると信じて。
その温情が理解できぬのか、それとも分かっていて目を背けたのか。マリエッタは諄々と説いていく。
いつしかジャハギル達は滂沱の涙を流していた。それに観客の一部、テュラーク支族やベフジャン支族らしき者達も。
おそらく彼らも、心の奥底では分かっていたのだろう。しかし新体制への反発や、新たな道を踏み出すことへの恐れが目を曇らせた。
「参りました……」
「マリエッタ殿の勝利!」
ジャハギルの敗北宣言、そして審判役が勝者を告げる声。これらに大きな拍手が沸き起こる。
単なる決闘の勝敗ではなく、もっと根源的な戦いが決着した。そして敗者は立ち上がり、新たな戦いへと歩んでいく。おそらく誰もが、そう感じたのだろう。
マリエッタは観戦席の中央へと顔を向ける。そこには満面の笑みで手を打ち鳴らすシノブやシャルロット達がいる。
マリエッタも、負けずに顔を綻ばせた。
自身がズヴァーク王国の未来に僅かなりとも役立てた。そして慕う人々やアマノ同盟の名誉を守れた。それが何よりも嬉しかったのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年10月17日(水)17時の更新となります。