27.10 リタンと船乗り達の夢
海竜リタンは東域探検船団と共に大海原を進んでいた。
目指すは東のイーディア地方、目的はアマノ同盟としての関係作りだ。既にシノブは向こうの王や領主と密かに接触しているが、国や同盟として正式な訪れは今回が初めてである。
そのため船上には各国の代表者や名代が揃っている。
まずは船団の総司令、アマノ王国のイーゼンデック伯爵ナタリオ。ここ半年以上の大半を海で過ごし、赤銅色に焼けた青年。まだ十七歳と若いがアマノ同盟の盟主シノブから全権を委任された重鎮でもある。
アスレア地方からはエレビア王国の王子リョマノフ、キルーシ王国の王女ヴァサーナ、アルバン王国の王太子カルターン、タジース王国の外務大臣ディーザヴが乗り込んだ。これらの国々は西のエウレア地方から続く航路沿いで、イーディア地方との交易に大きく期待しているからだ。
しかも一部の船にはエルフ達もいる。エウレア地方のデルフィナ共和国とアスレア地方のアゼルフ共和国のエルフはイーディア地方の同族との語らいを望み、使者となる者を船団に加えていた。
そして乗り込んだ者達の期待に押されたかのように、船団は順調に進んでいく。
『お天気も良いですし、西からの追い風。今日は予定通りですね!』
『まずはタジース王国の東まででしたね!』
リタンが発声の術を使うと、空から嵐竜ラーカが続く。どうやら彼は、少しばかり退屈していたらしい。
タジース王国の王都タジクチクの港を出航して、およそ一時間。晴れ渡る空や澄んだ海原は心地よいが、変化に乏しいのも事実である。
東域探検船団の十五隻は最新式ばかりだが、海竜や嵐竜の速度には遠く及ばない。リタンは普通に泳いでも時速100kmほどを出せるが、人間の造った船は最も条件が良いときでも三分の一かそこらのようだ。
ましてや嵐竜の飛翔は倍以上、つまりリタン達からすれば今の速度は遅すぎるのだ。そのためリタンも何度か潜水を楽しんだくらいだ。
「ええ、今日は都市パルバードまで行けるでしょう。およそ250kmと少し距離はありますが、ここまでは調査済みですから間違いないかと」
旗艦ゼーアマノ号の甲板で、司令官のナタリオが応じる。
ナタリオは風を確かめたらしく、一瞬だけ帆を見つめた。しかし先ほどと変わらず順風満帆だから、振り向いた彼は空に劣らぬ晴れやかな笑みを浮かべている。
パルバードとは、タジース王国で最も東の都市だ。ここまでは魔獣の海域などの障害が存在しないから、ナタリオ達は何度も往復して詳細な海図を拵えている。
しかしタジース王国の東端、つまりアスレア地方の東南端からは違う。更に東のイーディア地方に渡るには、従来だと300kmほどもある魔獣の海域を越える必要があった。
もっとも実際に越えた者は皆無に近いらしく、確かな記録は存在しない。そのため今までは事実上の不可能を意味したが、これからは違う。
「そこから先が本当の冒険か……でも今は『海竜の航路』があるから、それほどでも無いかな?」
エレビア王子リョマノフが会話に加わる。彼は婚約者のヴァサーナと共に、ナタリオがいる舷側近くへと寄ってきたのだ。
つい先日、海竜の長老夫妻ヴォロスとウーロはアスレア地方とイーディア地方を繋ぐ航路を切り開いた。これが『海竜の航路』、リョマノフが触れた安全に航海できる道だ。
これは結界の一種で、海竜達が子を育てる棲家の守りと同様に魔獣を通さない。そのため人間が造った船でも安全に航海できるのだ。
「何もない方が良いですわ」
「そうですね。この船の倍もある魔獣など、出来ればお目にかかりたくありません」
ヴァサーナが眉を顰めると、ナタリオが大きな頷きで賛意を示す。
実際ヴァサーナの懸念は取り越し苦労と言いがたい。二ヶ月ほど前リタンやシノブ達は、この先の魔獣の海で全長100mもの大魔蛸を見つけたのだ。
このような大物に襲われたら、ナタリオ達が乗っている旗艦でも一瞬で沈むだろう。東域探検船団の船は巨艦揃いだが、旗艦のゼーアマノ号でも全長45mほどだからだ。
『長老さま達が作った結界は破れませんよ。それに、もし出たら私達が守ります』
リタンは泳ぎながら船に首を寄せる。
このように今の船はリタンにとって悪いことばかりでもない。今の大きさでも首を伸ばしたら、ゼーアマノ号の甲板を覗き込めるからだ。
リタンは生後一年五ヶ月ほど、全長9mほどの半分が胴体で残りが首と頭だ。シノブに言わせると地球にいた首長竜という生き物に似ているらしい。
ちなみに海竜の成体は四倍以上もあり、ゼーアマノ号には少々劣るが近い大きさだ。そのためリタンの両親や長老達なら、甲板を上から見下ろすのも容易である。
ただし成体となるのは生後二百年、したがってリタンからすると暫くは今くらいの船体が望ましかった。
『空の魔獣は僕に任せてください! でも、この辺りにはいないようですけど……』
ラーカも自己主張をしたくなったらしく、更に高度を下げた。今の彼はマストの一番下の帆よりも下、少し手を伸ばせば甲板からでも届きそうな低空を飛んでいる。
アスレア地方とイーディア地方を隔てる魔獣の海に、空飛ぶ魔獣は寄り付かないらしい。
鳥の魔獣は翼を広げても10m程度だから、十倍もある蛸や烏賊に襲われたら勝ち目がない。それに運よく勝てたとしても、獲物を陸まで運べないだろう。
ただし超越種なら別だ。今のリタンやラーカでも、最大級の大魔蛸や島烏賊を余裕で狩れる。
超越種にはブレスがあるし、そもそもの魔力が桁違いだから接近戦になっても紙でも切り裂くように容易く倒せるのだ。
それらもあり、リタンは船団の護衛に名乗りを上げた。
既に訪れているし、長老達から航路とした場所についても教わっている。それにシノブの世話になっているだけでは物足りなく感じ始めていた。
これはラーカも同じだったらしく、一緒に行くと言い出した。彼は更に年長で後一ヶ月と少しで二歳だから、何かで貢献せねばという思いが強かったのだろう。
人間は成人を十五歳としているが、竜は一歳になると独り立ちをする。親の近くで暮らすし世話になることもあるが、基本は自分の力で生きていくのだ。
そのためリタンとラーカの意思表示にも、皆は温かい声で賛成してくれた。
「ありがたいことです」
「ええ、本当に」
今度はアルバン王国の王太子カルターンと、タジース王国の外務大臣ディーザヴだ。この二人も海風に当たりに来たようだ。
今日は快晴、それに波も穏やかな方だ。そのため航海の経験が少ない二人も快調らしく、海を楽しむ余裕すらあるのだろう。
「大魔獣は困りますが、大ザメくらいなら戦ってみたいですね。東のアコナ列島という場所では帝王ザメというのが出たとか」
リョマノフは猛々しい笑みを浮かべつつ、物騒なことを言い放つ。
確かにアコナ列島からダイオ島へと向かう船団は、巨大なサメに遭遇した。おそらくリョマノフは、弟分のヤマト王太子健琉からでも聞いたのだろう。
ただし帝王ザメの大物は、人間の身長の五倍や六倍もあるという。そのため多くの者は冗談だと受け取ったらしく、礼儀正しい笑みを浮かべるのみだ。
しかしリタンは知っている。リョマノフが本気で大物との遭遇を望んでいると。
今回の旅の少し前、リタンはアマノシュタットでリョマノフの修行風景を見ている。それも、命を落としかねない壮絶なものを。
◆ ◆ ◆ ◆
十日前、リョマノフとヴァサーナはカンビーニ王国に訪れた。リョマノフの姉オツヴァがカンビーニ王太子シルヴェリオに嫁いだから、エレビア王家とキルーシ王家の代表として結婚式に出席したのだ。
エレビア王国とカンビーニ王国の王都は3000km近く離れており、王族全員が出席するのは困難である。そのため航海好きなリョマノフと彼の婚約者ヴァサーナの出番となったわけだ。
しかしリョマノフ達は行きこそ航海を楽しんだものの、帰りは空路を選んだ。これは同じく結婚式に出席したシノブ達と合流したからだ。
そしてカンビーニ王国からアマノ王国に渡ったリョマノフ達は、アマノシュタットでの数日を武術の修行に当てた。リョマノフはシノブから、ヴァサーナはシャルロットから学んだわけだ。
更にリョマノフの滞在を聞きつけたタケルも、時間を作って仲間に加わった。彼は通信筒を持っているし、シノブが魔法の馬車などの呼び寄せ権限を付与すれば一瞬にして移動できるから距離は問題にならない。
そしてアスレア地方に旅立つ前日も、リョマノフとタケルは命懸けの修行に挑んでいた。
「……駄目か!」
「今のは良かったよ。魔力も上手く抑えたし動きも僅かだった」
悔しげなリョマノフに、シノブは柔らかな声と笑みで応じる。
確かにリョマノフの技は、ほんの数日で大きく進歩した。先日までの彼は奥義『飛燕真空斬り』を出すときに大きな溜めを必要としていたが、今は違う。
予備動作は最小限、初見なら気付かぬ程度だ。もちろん絶叫などせず、無音のまま真空波を放っている。
流石に超越種たるリタンなら見抜けるが、これは生まれ持った魔力感知や反応速度があるからだ。実際シノブの親衛隊員達の多くは驚嘆の声を漏らしたが、回避が難しいと感じたからだろう。
もちろん二度、三度と見れば予測できるかもしれないが、実戦なら何度も見る前に倒れ伏す筈だ。つまり戦場の技としては、充分な完成度に達している。
「思意貴子よ! 知を統べる神よ! 我に御身の力を授け給え!」
タケルは符を翳し、火球や水球を放つ。
今回タケルは支援役に徹したようだ。リョマノフに活性化や魔力譲渡の術を使った他は、斬撃の隙を埋めるように攻撃魔術を使うのみである。
「タケルも良いね。地水火風の魔術は苦手だって言うけど、たっぷり魔力を篭めれば充分な脅威になる……今はリョマノフという前衛がいるんだから尚更だ」
褒めはするものの、シノブは魔力障壁を展開してタケルの術を全て封じている。
真っ赤な炎、青い水の塊、巨大な土塊、目には見えぬ風。どれも涼しい顔で受け止めるが、これはシノブだからだ。
相当の魔獣でも、リョマノフとタケルの連携には敗れ去るしかない。リタンは今まで狩った獲物達を思い浮かべたが、多くは数撃で散るだろうと判断した。
もちろん大魔蛸や島烏賊なら別だが、これは巨大すぎるからだ。人間の数倍やそこらなら、そして急所を的確に狙えば互角以上に戦えるだろう。
しかしリョマノフとタケルは更なる高みを望んでいた。そしてシノブも二人の願いに応え、今まで以上に激しい攻撃を繰り出していく。
「こちらも衝撃波にしようか……上手く躱すんだよ!」
シノブが模擬剣を振ると、同時に十の波動が奔る。彼は一振りとしか見えぬ動きで、それだけの攻撃を繰り出したのだ。
耳をつんざくような轟音と、全てを吹き飛ばすような暴風。見学の者達すら危険を感じるような威力だ。
「殿下!?」
「だ、大丈夫だ!」
二人の側仕え達が声を上げるのも当然、どちらも避けはしたが間一髪というべき際どさだった。
しかも双方とも、袖や裾などが僅かに破れている。血は出ていないようだが、本当にギリギリだったのだろう。
「次は魔術だ。火炎弾に水流、岩弾、風の斬撃……どうせなら全方位にしてみようか」
今日のシノブは遠慮を捨てたのだろうか。彼は言葉通り、若者達を様々な術で囲んでいく。
大人ほどもある巨大な塊が、リョマノフとタケルを狙って突き進む。業火に激流、岩塊に真空波、どれも当たったら即死間違いなしである。
しかし、これでもシノブの本気には程遠い。禁術で人を超えた者達との戦いでは、もっと凄まじい技を使っていた。
それをリタンは知っているし、シノブが弟分達の力量に合わせて加減しているのも理解していた。とはいえ分かっていても、あわやと思うほどである。
当然ながら、二人の側付き達は血相を変える。
「シノブ陛下、そこまでに願います!」
「恐れながら、少々行きすぎかと!」
「馬鹿を言うな!」
「まだ私達は戦えます!」
制止の声を打ち消したのは、若き王子達。リョマノフとタケルだ。
どちらも激しい攻撃を躱しつつ、家臣達に叫び返す。姿すら霞むような動きを続けながら、二人は余計なことをと言い張ったのだ。
明日からはアスレア地方歴訪の旅、そうなれば激しい稽古も出来ない。そしてリョマノフはイーディア地方に遠征するから、再び同じような猛訓練をする機会は一ヶ月以上先になるだろう。
そのため今日の二人は必死の思いで挑んだらしい。一方のシノブも彼らの意気込みを承知しているから、無茶とも思える修行を課した。
その特別な日だからとリタンを含めた超越種の子達も見学に来た。そして特別な日だからこそ、誰も止めようとしなかったのだ。
「タケル! あれだ!」
「はい! ……多力貴子よ! 戦を統べる神よ! リョマノフ殿に御身の大力を授け給え!」
リョマノフに促され、タケルは活性化の術を唱えた。そして次の瞬間、暴風が巻き起こる。
「古式一刀流奥義『飛燕真空斬り』……乱舞!!」
どうやらリョマノフは、連続して奥義を放ったらしい。彼は全方位に衝撃波を放ち、シノブの魔術に対抗したのだ。
「はっ!」
微かに生まれた切れ目から、タケルが剣を投じる。これも活性化の術で大幅に底上げしたようで剣は稲妻より速く宙を疾走し、通った下では砂塵が舞い飛ぶ。
おそらくタケルはリョマノフのみを活性化すると見せかけ、実は自身にも同時に術をかけていたに違いない。あるいは戦いながら、延々と活性化を重ねていたのか。
それほどまで剣は速く、音すら超える一瞬でシノブへと到達する。とはいえ彼は神の血族、表情すら変えずに空いた手を動かす。
「見事……ここまでにしようか」
シノブは二本の指のみで、タケルの剣を挟み留める。賞賛こそあったものの、彼を動じさせるには遠かったようだ。
しかし若者達の反論はなかった。リョマノフは体力を、タケルは魔力を使い果たして倒れていたからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
あれだけ激しい訓練を重ねたのだから、実戦で試したいというリョマノフの言葉は心からだろう。そう感じたリタンだが、この辺りでは彼の願いを叶えられそうもない。
まだタジース王国の近海だけあって見かけたのはオオサバくらい、おそらくオオマグロがいるかどうかといった程度だ。つまり人間にとっては狩りではなく漁の対象である。
そこでリタンは話題を転ずることにした。
『アコナ列島といえば、向こうのように蒸気船を数多く使わないのですか?』
『そういえば、この中には機帆船というのが二隻だけですね』
リタンと同じ疑問を抱えていたようで、ラーカも話に乗ってくる。
今回の船団は十五隻だが、そのうち十三隻が普通の帆船だ。帆と蒸気機関の双方を持つ船も加わっているが、ラーカの指摘通り二つのみである。
「蒸気船は我ら獣人族のみでは動かせませんからね。それに人族が加わっても同じです」
ナタリオは頭上の虎耳に手を当てる。彼は虎の獣人なのだ。
他もリョマノフが獅子の獣人、ヴァサーナとディーザヴが豹の獣人、カルターンが虎の獣人だ。獣人族は体力に優れているが魔力が少ないから、魔力で熱を得る蒸気船の運用は彼らだけだと難しい。
「西のエルフの皆さんで海を好む人は少ないようですわ。アコナ列島は随分と違うようですが」
ヴァサーナはリョマノフと共にホクカンの戦いにも赴いた。そして彼女はアマノ号で控えている間に各国の代表達と語らい、遥か東の情勢にも詳しくなったらしい。
『確かに向こうのエルフは漁もするし、水中用の木人も使いますね』
『あちらは島国ですからね』
リタンと同様に、ラーカも納得したらしい。彼は宙に浮かびながら、首を縦に振っている。
アコナ列島のエルフ達は元々航海をするから、蒸気船も喜んで使った。
それに対し西のエルフは海に疎い。エウレア地方のデルフィナ共和国とアスレア地方のアゼルフ共和国の双方とも、岸の近くで多少の漁をする程度だった。
そのため両国は寄港地こそ整備したが、自身で遠くに航海しようと考える者は僅かな例外のみらしい。
「寄港したときに魔力補充をしてくれますし、お陰で両国の沿岸は蒸気船でも容易に行き来できます。しかし他は同じようにいきませんから」
「アスレア地方とエウレア地方にある大砂漠、あそこは魔力が多いらしくて補給設備もある……でも、あまり大量に吸収するとマズイとか」
ナタリオやリョマノフも、蒸気船を嫌っているのではないらしい。
しかし蒸気船や機帆船は魔力で湯を沸かして得た蒸気を使う。そして魔力を補充できなければ、機関は重りでしかない。
かといって船乗り志望が少ないエルフ達に強制できないし、既に手を挙げた者は各航路で蒸気船乗りとして働いている。多くは両国の近海を巡る東西を結ぶ航路、一部はカンビーニ王国とガルゴン王国の間からアフレア大陸に向かう南航路にも行った。
その結果イーディア地方への探検船団は、機帆船が二隻のみとなったわけだ。
『大砂漠の補給地ですか……確かに魔力を吸いすぎると作物に影響があるとか』
『シノブさんが言っていましたね』
リタンやラーカは、以前シノブと共に大砂漠の秘密を学んだ。
エウレア地方とアスレア地方を隔てる巨大な砂漠は自然の産物ではなく、朱潜鳳が地下の熱を導いて維持している。これは創世の際に神々から授かった使命で、人々が理性ある交流を可能とするまで東西の障壁とするためだ。
今は両地方の全てがアマノ同盟に加わり平和的な交流が始まったが、いきなり大砂漠が消え去ったら気候の大変動に繋がる。そこで朱潜鳳達は地熱を運ぶ経路を維持し、砂漠を以前と同じ状態に保っていた。
この経路が同時に魔力を運んでくれるが、魔獣の領域ほど多くは望めないらしい。そのため無制限に蒸気船や飛行船の魔力補充をすると、併設した農園の作物が枯れるという。
農園の作物は補給地の食料にも回すし、珍しいものは輸出もする。それに草木が無くなったら元の砂漠に戻ってしまい、補給地としても使えなくなる。
それ故ナタリオ達も、もっと船を優遇してくれとは言えないわけだ。
「我が国はアゼルフ共和国と遠い……都市パルバードなど東端近くだと、往復3000kmほどもあるでしょう」
タジース王国の外務大臣ディーザヴの言葉は事実だった。
アゼルフ共和国の東端からイーディア地方との境まで直線距離でも片道1300kmほど、海岸に沿って進めば彼の言う通りだろう。そして現在の蒸気船や機帆船だと、これだけの距離を無補給で進むのは不可能だ。
「エウレア地方では、山で魔力蓄積結晶に溜めて麓に運ぶ試みもしています。しかし蒸気船を大量に動かすほどとなると、鉄道を敷くしか……」
ナタリオはアマノ王国での取り組みを紹介する。
一般に山は魔力が多く、魔獣も多く集まる危険な場所だ。しかし魔獣対策さえ確立すれば、様々な利点のある良地に一変する。
豊富な魔力は豊作を保証するし、蒸気機関も無補給で動くから揚水や鉱山鉄道など様々に用いている。そしてナタリオが触れたように、動力源としての魔力を得る場としても注目され始めていた。
「アスレア地方だと、我らがアルバン王国のカーフス山脈……それに、ここタジース王国のファミル大山脈ですか」
カルターンは左舷に見える山々、豊富な雪を頂いたファミル大山脈へと目を向けた。
確かにファミル大山脈は条件を満たすだろうし、場所によっては海岸から50km程度と近い。しかし可能であればアルバン王国にも補給地点が欲しいところだ。
とはいえカーフス山脈の魔獣の領域、つまり魔力が多そうな場所は海岸から150kmほども離れている。そのためだろうが、カルターンの表情は優れなかった。
アマノ王国やメリエンヌ学園のあるフライユ伯爵領でも、一ヶ月で10kmほど延伸できるかといった程度だ。それに魔力蓄積結晶を運ぶためだけに鉄道を用意したら、大赤字となるに決まっている。
◆ ◆ ◆ ◆
『あの……海の中って魔力が多いんですよ。深海シャコ貝ってご存知ですよね?』
リタンは一部の人間しか知らないだろうことを明かす。
深海シャコ貝は差し渡しが人間の身長すら超え、中には人の頭ほどもある真珠を宿すこともある。これだけの大物が深い海に生息できるのは、豊富な魔力のお陰で餌に困らないからだ。
しかし深海シャコ貝は魔獣の海域どころか、真珠採り達が行き来できる範囲に棲んでいる。つまり普通の海でも魔力が濃い場所はあるし、おそらくは山に近い補給点になり得る筈だ。
『確かに空からだと魔力感知しにくいですね』
ラーカも自身の体験を挙げる。空から海中のリタンに呼びかけても陸上や空中ほど思念が通らないが、浮上していれば遥か遠くでも問題ないと続ける。
これはシノブ達も同じことを言っていたから、ラーカのみが感じたことではない。
「つまり海には豊富な魔力があり、しかも利用できる場所があるわけですね!?」
『はい。実際にタジクチクを出発してからでも、一つ見つけました』
意気込むナタリオに、リタンは少し前に潜水して発見した場所を伝える。するとナタリオは乗組員を呼び寄せ、海図に大まかな場所を書き込んだ。
どうやら船乗り達にとって蒸気船の補給地点確保は、極めて優先度の高い課題だったらしい。
帆船は機関を積まなくても動くが風任せだから航海の日数が一定しないし、熟練した乗組員が必要だ。もちろん蒸気船も機関員など専門の者は必要だが、無風でも進めるのは非常な利点である。
それに本来は海を嫌うドワーフも、自分達が造った蒸気機関で進むなら別らしく乗船してくれる。そのため機関員は彼らに任せておけるのだ。
「これは朗報だ! 蒸気船で航海できたらイーディア地方との行き来も随分と楽になるぞ!」
「しかし深海まで、どうやって……」
リョマノフは躍り上がって喜ぶが、ヴァサーナは実現までの課題を思ったようで浮かない顔をしている。
確かにリタンが発見した場所は、人間の潜水夫が到達できる場所ではない。しかしシノブ達は、既に解決方法を得ていた。
『アゼルフ共和国の方々が作ってくれた移送魚符を使えば潜れますよ。それに私達も手伝いますから』
移送魚符とは異神ヤムを探すときに使ったもので、憑依して使う符の一種だ。ただしリタンが知る移送魚符は大型の魚を模しており、とても手に持てるような代物ではない。
つまり移送鳥符と同じく、木人や鋼人に近い魔道具である。
「憑依できるのはエルフや一部の魔術師のみ……」
「なるほど……しかし船員勤務とは違って設置や点検の一時のみなら」
カルターンやディーザヴも、海の補給地点に大きな魅力を見出したらしい。
遥か遠くの山から運ぶより、深海の方が近いのは確かだ。もちろん海底での作業は難事業だが、手段があるというのだから検討はすべきだろう。
それに、もっと浅い場所にも魔力の濃い場所があるかもしれない。
「これはルキアノス殿とアルリア殿にも相談しなくては……」
ナタリオが挙げた人物は、双方ともエルフだ。
デルフィナ共和国のルキアノスは機帆船の一番艦、アゼルフ共和国のアルリアは同じく二番艦に乗船している。最終的にはシノブに相談することになるが、まずは船団にいる者で検討してからと考えたのだろう。
『連れて来ましょうか?』
「お願いします。もし魔力の補充中でなければ、ぜひとも来てほしいとお伝えください」
ラーカの誘いに、ナタリオは熱が篭もった声を返す。
ルキアノスは百九十歳を超える老練なエルフで、他種族なら五十代半ばといった辺りだ。それに彼はデルフィナ共和国の大族長エイレーネの夫で、単に魔術に長けているだけではない。
一方のアルリアは五十歳ほどと若く、他種族だと二十歳前後でしかない。しかし彼女も支族長の孫娘でエレビア王国との窓口となっていたくらいだから、この件の大きな意味に気付くだろう。
自分達が魔力を補充して報酬を得るのは限度がある。しかし補給装置を製造して利用料を収めてもらう形なら、更に多くの収入が安定して入る筈だ。
『……ナタリオさんは帆船が好きなんですよね?』
「はい。……ですが個人的な好き嫌いで、皆を危険に晒すわけにはいきません。それに優れた帆船乗りの育成には多くの時間が必要です……。実際に昨秋以降の新人は、殆どが研修中でして」
リタンの問いに、一旦ナタリオは頷いた。しかし急激に広がっていく交易網を考えると、自身の好みに拘っている場合ではないと続ける。
まだ蒸気船の建造費は高額で、帆船の何倍もする。それに戦のために採算度外視で用意した時期と違い、矢継ぎ早の追加もないだろう。
そのため当分は帆船も活躍するが、先々を見据えたら今から補給地点の整備をすべき。まだ十七歳と若いナタリオだが、伯爵や司令官となり随分と視野が広がったようだ。
『そうですか……』
リタンはアマノ王国の海を預かる青年を見つめる。そして同時に、出来るだけ優しい響きを発声の術で作り出した。
自身は人間のように表情で意思を伝えられないが、その分を声で示そう。海を愛するナタリオへの共感、そして未来を見つめる視野への感嘆、それらが届くように。
そう思ったとき、リタン自身に声なき声が響く。
──二人とも来てくれます! ナタリオさんに伝えてください!──
『あっ、ラーカさんからです! お二人とも来てくださるそうですよ!』
「それは良かった! 通信筒もありますが、都市パルバードなら長距離用の魔力無線が使えますからね!」
無音の知らせはエルフ達を迎えに行ったラーカからだ。幸い双方とも手が空いていたらしく、既にルキアノスとアルリアは彼の背の上だという。
それを聞き、ナタリオ達も顔を綻ばせる。やはり一日も早く補給地点の準備を始めたいのだろう。
真っ青な空を渡ってくる嵐竜は、細長い体を嬉しげに揺らしている。船は先刻と変わらぬ快速で紺碧の大海原を東へと突き進む。
天と海の双方が祝福しているような光景、船上に集う者達の和。それらは自然とリタンの心を弾ませる。
きっとイーディア地方にも素晴らしい出会いが待っているだろう。それらがナタリオやリョマノフ達を後押しし、更なる遠方へと誘っていく。
もちろん自分も一緒に行くのだ。リタンは船乗り達と共に世界を巡る夢を楽しんでいた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年10月10日(水)17時の更新となります。




