27.07 マリィの望み
マリィは通信筒の振動に気付いた。
この振動は、誰かの送付物が届いたことを意味する。通信筒は入れたものを別の通信筒に転送できるが、到着を知らせる機能の一つに筒の振動があるのだ。
妹分のミリィは、この機能を地球の携帯電話を真似たものだと語った。通信筒は音や光での通知も可能だが、これらも同じらしい。
そんなことを思い出しつつ、マリィは筒の中に入っていた紙片を取り出す。
「ホリィから……。帝王鷲がカーフス山脈を離れ南下。大岩猿の異常な活性化で追われた可能性あり。これを抑えれば帝王鷲を山脈に戻せると推測。手が空いていれば支援を頼む」
確かに大事件だと、マリィも顔を曇らせた。
カーフス山脈の南はアルバン王国、北西がキルーシ王国で北東がズヴァーク王国だ。そしてホリィはアルバン王国に帝王鷲が現れたように、残る二国にも魔獣達が向かうかもしれないと記していた。
そうなるとホリィ一人では調査しきれない。カーフス山脈は長大で、東西700km以上はあるからだ。
帝王鷲は高空を飛ぶから、人間達では対処が難しい。
相手は素早く大型弩砲で狙うのは至難の業。かといって弓では飛距離や威力が劣る。加えて双方とも、全ての町村に置くほど多くない。
したがって自分達で対処しようとホリィが言うのも頷ける。彼女の推測通りなら、魔獣と人間の衝突を避けられる可能性は充分にあるからだ。
ともかく駆けつけよう。そこでマリィは誰かに伝言しようと廊下に出る。
現在マリィはアマノ同盟スワンナム地方局を後見しており、姿が見えないと心配する者も出るだろう。あくまで後見人だから具体的な業務はないが、それでも言い置いて出かけるべきだ。
まだ朝の六時前、日の出の直前である。しかし他と同じくスワンナム地方も日のある間を有効に使うから殆どが起きており、マリィが伝言し終わったのは僅か数分後だ。
「行きますか……」
マリィは裏庭に魔法の幌馬車を出し、中に入る。すると直後に馬車は消え去った。
遥か西のカーフス山脈で、ホリィが呼び寄せたからだ。
スワンナム地方局長の熊祖刃矢人には魔法の幌馬車の使用権限を停止状態で付与しており、呼び寄せ可能にすれば瞬時に戻れる。それに対し馬車の隠し部屋にある転移の絵画を使った場合、ここに神具を残すから無用心だ。
仮に魔法の幌馬車を持っていかれても呼び寄せで取り戻せるが、不要な危険は避けるべきだ。それにハヤトは通信筒を持っており、連絡は容易なのだ。
「待たせましたわね」
暗がりの中、マリィは同僚に声をかける。
魔法の幌馬車が呼び寄せられたのは深い森のようだ。おそらくはカーフス山脈の中腹以上だろうが、スワンナム地方より随分と涼しい。
しかし濃い闇に包まれており、金鵄族の高い視力でも朧げにしか判別できない。ここは木々の葉が多いから、星明かりも届かないのだろう。
「……それに早くから大変ね。お疲れ様」
マリィは自然と労いの言葉を続けていた。
先ほどまでいたヴェラム共和国の首都アナムとアルバン王国の中央部には、三時間半近い時差がある。つまりホリィは朝の二時半から飛び回っている筈だ。
それどころかホリィは昨夜から働き続けているに違いない。しかし大袈裟に案じたら気にするだろうと、マリィは意識して口調を軽くした。
「いえ。まだミリィが来ていませんから」
「一緒じゃなかったの?」
確かにホリィは独りだが、マリィは妹分が探索中か何かだと思っていた。予定通りならホリィとミリィは、共にアルバン王国に入っている筈だからだ。
「実は……」
紙片に記さなかったことを、ホリィは語り始める。
ホクカンの任陽明、符術の才能を持つ少女はアゼルフ共和国への留学を志した。それをミリィは喜び、早くも手ほどきを始める。
ヤンミンも天涯孤独となった自分には手に職が必要と考えたらしく、熱を入れて取り組んだ。それに彼女は既に魂を感じ取れるくらいで、憑依のコツも早くから理解した。
憑依の会得は幾らか先だろうが、それでも通例より遥かに早く成し遂げそうだ。したがってミリィも教え甲斐があったようで、昨日は泊まり込みとなったのだ。
「タジース王国に向かうのは夕方ですから、それまでにアルバン王国で合流と決めました。転移があるので出立した後でも問題ありませんが、あまり予定から逸脱するのも良くありませんから」
ホリィが触れたように、シノブ達は夕方までアルバン王国に滞在する。
そこで昨日ミリィには、アルバン王国を発つまでに来るようにと伝えた。これは彼女がタジース王国を訪問済みで、しかも同国の王や重臣の知遇を得ているからだ。
「ヤンミンさんに自身の道を見出してもらう……そのため昨日は指導に使った。そこまでは理解できますわ。でも符術の会得は長い歳月が必要、それに対し魔獣対策は至急の問題。なのに、あの子は……」
抑えきれぬ憤慨が、マリィの声を苦いものへと変えていた。
他の者ならともかく、眷属であるミリィに怠惰や怠慢は許されない。睡眠中で通信筒の音や振動に気付かなかったとしても同様、そのように鈍感では危険な場に送ったら一日と持たないだろう。
しかもマリィには、他の眷属とは違う特別な理由もあった。
マリィとミリィは前世でも姉妹だった。そのせいで、ときどきだが『あの子』などという言葉が出てしまうのだ。
ただし転生した先が明らかな例は極めて稀だから、これを知るのは神々を除けば眷属でも親しい者達やシノブなどだけだ。おそらく多くの者は、妹分に対する親しみの表れとでも思っているのではないか。
しかし真実は違い、前世とはいえ本当の血縁だから苦言を呈したくなってしまうのだ。
「大丈夫です……もうすぐ来ますよ。地球のものを偏愛しすぎるなど変わったところも多いですが、立派な眷属でもあるのですから」
「……もしかして、また何か?」
ホリィは慰めるつもりだったようだ。しかしマリィは、彼女の声音が気になった。
ほんの少しだけ声が揺れた。親しい者同士にしか分からないだろうが、ホリィは呆れに似た感情を示した。勘でしかないが、マリィは強い確信を抱く。
「実は、アゼルフ共和国の新型鋼人の開発にミリィが関わって……。それだけなら良いのですが、どうも地球の娯楽番組が影響しているようです」
自身は見ていないしアミィから聞いただけ、とホリィは結ぶ。
とはいえアミィが言うのなら事実だろう。彼女は他の眷属と違い、シノブの携帯電話から地球の知識を得ているからだ。
それ故マリィは決心する。ミリィが来たら、きつく叱ろうと。
◆ ◆ ◆ ◆
マリィから遅れて十数分、ミリィもカーフス山脈に現れた。そこでホリィを含め三方に散っての調査を始める。
今は山脈の奥深く、魔獣が棲む地の上空だ。
──叩き起こされて飛んできたら、本当に叩かれるなんて~──
──そうなって当然のことをしたからでしょう! そんなことよりシッカリ探しなさい!──
遥か遠方から響いてきたミリィの思念に、マリィは叱責混じりで応じる。
新型鋼人に関しては、自身が見ていないから軽い注意に留めた。しかし、すぐ来なかった件は別である。
ミリィがいたアゼルフ共和国は夜中の二時すぎだが、自分達は神々を支える眷属だから関係ない。そこでマリィは、姉として導いてやらねばと考えた。
遅参は気の緩み。それに再び神々に咎められても良いのか。ミリィが来たとき、マリィは少々くどいかと思いつつも言葉を重ねた。
そのため調査開始が更に遅れ、二人揃ってホリィに叱られてしまったが。
──こちらは変わりないですよ~。異常だらけとも言えますが~──
──そうね……帝王鷲の巣は荒らされているし、他の魔獣も同じ。木や崖の上でも関係ないわ──
どうやらミリィが眺めている光景も、自分と同じらしい。そう判断したマリィは、改めて地上へと注意を向ける。
まだ夜が明ける前で暗いが、森の中と違って星々の光が届く。そして金鵄族の本当の姿、青い鷹に戻ればフクロウに勝る視力を誇るから探索も順調だ。
帝王鷲は切り立った崖の途中に巣を作る。上からにしろ下からにしろ、四本足の獣では辿り着けないような場所を選ぶのだ。
そこに到達できるのは同じ鳥の魔獣、あるいは岩猿のように木登りや崖登りを得意とする者のみだろう。そのため洞窟などに棲む魔獣と違い、巣を襲われる例は少ない。
しかしカーフス山脈は違う。どうも巣の襲撃が多いらしく、かなりの数が壊されていた。
ちなみに大岩猿だが、今は眠っているのか目にしない。ただし彼らが行動するのは日中だから、予想した結果の一つではあった。
──この辺りの帝王鷲って、かなり大きいのに~──
──そうね。大物だと体長6m近いわ。ホリィが教えてくれたけど、この辺りではロク鳥とも呼ぶそうよ?──
マリィは体長からの発想だろうと思いつつも、過去の眷属が地球の話を持ち込んだという疑念を捨てきれなかった。ミリィと違って詳しくないが、それでも千夜一夜物語くらいは知っているのだ。
──なるほど~、アルバン王国って地球なら中東ですからね~! ロク鳥に攫われる船乗りとか、いませんかね~!?──
初耳だったらしく、ミリィの思念は随分と弾んでいた。
西からエウレア地方が西欧、アスレア地方が東欧から中東、イーディア地方がインドに該当する。この星にはアラビア半島に相当する陸地が存在しないし大陸の海岸線も少々北だが、地球でアルバン王国に当たる場所を挙げるならイラン辺りだろう。
そのためミリィが『シンドバッドの冒険』を思い浮かべるのも当然だ。
──通常、帝王鷲は魔獣の領域を離れません。しかし創作と思われるものなら見ました──
ホリィは山脈の北、かつてのテュラーク王国で現在のズヴァーク王国の側を調べている。しかし彼女は比較的近くに戻ってきたようで、会話に加わった。
ただし魔力波動の強さからすると、ホリィは150km近く離れているようだ。そのため常人の感覚なら、遥か遠方というべきである。
それはともかく、この中でアルバン王国に最も詳しいのはホリィだ。彼女は諜報員のセデジオなどと共に、ルバーシュ伝説を追ってアルバン王国の各地を巡ったからだ。
このルバーシュという人物は商人だが、最初は漁師だったという。そして海で得た宝を売って商売の元手にし、巨万の富を得たり失敗して財産を失ったりとシンドバッドに似た人生を送る。
ただしアスレア地方は海上交易が未発達で、しかもアルバン王国の西隣は最近まで国を閉ざしていたアゼルフ共和国だ。そのため航海は自国のみか東のタジース王国までと範囲が狭く、かつての商人の多くは陸路を選んだ。
ルバーシュも陸を選択した一人で、彼の伝説で海の場面は最初に宝を得るところまでだ。しかも地方によっては川の漁に置き換えられている系統まである。
そのためホリィは、アルバン王国に伝わるロク鳥と船乗りの逸話を疑っているらしい。海はカーフス山脈から最低でも100kmは離れているからだ。
──大物は魔獣の領域にしかいないものね。それに帝王鷲も、人間が手強いと知っているんでしょう──
相変わらず壊された巣を発見する程度、大岩猿も洞窟などで休んでいるらしく現れない。そこでマリィは飛翔と雑談を続ける。
人間には弓矢があるし、身体強化に優れた者であれば300m以上の遠矢も軽い。
もちろん空に向かって射るのは別だし、巨大な魔獣を倒すのは難しい。しかし地上で暮らす生き物で帝王鷲に対抗できる筆頭格は、間違いなく人間だ。
強化に優れた弓術名人に限定されるが、飛び道具を持たない動物達とは格段の差がある。
おそらく帝王鷲にとっての人間とは、普通なら勝てるが時として敗れかねない相手だろう。ならば危険に近づかず狩りやすい大物を狙えば良いし、それらは魔獣の領域にいるのだ。
──朱潜鳳の見間違いじゃないですか~。三倍以上あるけど、きっと高い場所を飛んでいて錯覚したんですよ~──
ミリィは鳥の超越種を挙げる。
今はアマノ号を運ぶなど大活躍の彼らだが、つい先日まで自身の棲む砂漠を出ることは稀だった。しかし互いの棲家を行き来する際は夜間に高空を飛んだというから、案外ミリィの説が当たっているかもしれない。
──そうですね。……これは!? マリィ、ミリィ! 山中に人工物を発見しました! 大量の丸太……おそらく小屋の残骸、ただし非常に巨大……それこそ大岩猿が何頭も入るほどです!──
ホリィによれば、似たような小屋が多数点在しているらしい。
ただし標高が高く森林限界に近いから、訪れる者もいないのか道もない。そもそも麓との間には切り立った崖が幾つもあり、簡単には近づけないという。
──マリィ、これは禁術使いルボジェクが作った施設では!?──
──見てみないと分からないけど、可能性は高そうね。早速向かうわ──
よほど興奮しているのか、ホリィは彼女らしくもなく結論を急いだ。そのためマリィは逆に即断を避けたが、去年の秋に見た場所との類似を否定できなかった。
異神ヤムの探索では、ホリィがアルバン王国、ミリィがアゼルフ共和国を担当した。そしてマリィが受け持ったキルーシ王国だが、禁術使いルボジェクの扇動でテュラーク王国が攻めてきた。
このときルボジェクが用意したのが、大岩猿の軍団だ。そして彼は、ホリィが語ったような丸太小屋で大岩猿を飼育していた。
つまりルボジェクの拠点は王都に近いディジャンの森だけではなく、カーフス山脈の北山腹にもあったと考えるべきだ。
──私も行きます~!──
──呼び寄せを使って時間を節約しましょう!──
ミリィは勇んで飛翔速度を上げたらしい。しかしホリィは寸刻を惜しみ、魔法の幌馬車を用いた転移を勧める。
そこでマリィは、急ぎ地上に降りて自身の馬車を取り出した。普段はカードに変えて携帯しているが、鳥の姿になったときは更に小さくなって足環の表面に張り付くのだ。
ミリィも同じく地上に降りたと、思念を響かせる。そして二人は幾らもしないうちに山脈の反対側へと移動した。
◆ ◆ ◆ ◆
ホリィが発見したものは、やはりルボジェクの作った魔獣飼育施設の残骸で間違いないようだ。ディジャンの森で目にした建物や大岩猿の飼育檻と、構造が良く似ているのだ。
もしルボジェク以外だとしても、彼の流れを汲む者か逆に先祖などだろう。しかし丸太は近年のものらしく、長めに見積もっても数十年以内だと思われる。
そうなるとルボジェクが関わっていると考えて良いだろう。何故なら彼は百歳近い老人だったからだ。
ただし早合点は禁物だ。そこで三人は発見した飼育場かつ研究所を調べていく。
マリィとミリィは建物や檻、ホリィは周辺が担当だ。
「バラバラなのは、大岩猿達が壊して逃げ出したからでしょうか~?」
「そうだと思うわ。ルボジェクが死んだ上にテュラーク王国まで滅亡……それを知れば研究や飼育の担当者達も逃げるでしょう」
ミリィの問いに応じたマリィは、更に先を想像する。
大岩猿は単なる動物ではなく、人の血から魔力や高い知能を得ている。もちろん人間には遠く及ばないし、スワンナム地方の操命術士が育てた森猿と比べても劣るようだ。
しかし大岩猿も、世話する者がいなくなれば餓死するのみと理解できるだろう。つまりルボジェクの死から幾らかした時点で、大岩猿達は糧を求めて脱走したのだ。
そのころは十月下旬、寒さが増す時期だ。おそらく大岩猿は、暖かい場所を求めて南に移動したのではないか。
「大岩猿が山を降りなかったのは、人間との接触を避けたから……。ルボジェクか飼育員か分からないけど、人に見つからないよう動けと教え込まれていたのでしょうね」
「それで山脈を回りこんで南側……。普通の動物なら信じられませんが、邪術で知能が上がった使役獣ですからね」
マリィとミリィは、似た表情となる。もちろん禁術への嫌悪と、行使した者への怒りだ。
おそらくミリィも相当に憤慨しているのだろう。彼女の口調には緩さの欠片も存在しない。
ミリィは眷属として恥ずかしくない言動も出来るし、シノブを支える一人に選ばれただけあり優秀なのは間違いない。それはマリィも認めているし、嬉しくも感じている。
それだからこそ、奇行を控えてほしいとマリィは思う。特に地球のことは神々が伏せているだけに、軽々しく触れるべきではない。
こうやって同僚のみの場や、地球出身のシノブとの会話なら好きにすれば良い。問題は他の者に接するとき、ここだけ気を付けてくれたら文句ない。そのようにマリィは考えていたのだ。
ただしマリィが続けた言葉は、全く別の事柄についてだった。
「それと今まで発見できなかった理由だけど……」
「分かりましたよ。やはり幻惑の魔道具が仕掛けられていました」
マリィが言いかけた推測を、ホリィが事実だったと示す。
ディジャンの森にあった施設も、付近も含めて幻惑の魔道具で隠されていた。そして、これが空から偵察できる金鵄族でも見つけられなかった理由である。
「ズヴァーク王国が誕生した後、殆ど来なかったのが災いしましたか」
「仕方ありませんよ~。ここは山奥ですし、王都に行くときにも通りませんから~」
マリィの呟きに、ミリィは元の口調で応じた。どうやらホリィの登場が憤怒の鎮火に繋がったようだ。
このように道化を演じなくとも、とマリィは残念に思う。しかしミリィ自身が選んだ道だから、あまりクドクド言わずに見守ってきたつもりだ。
そのためマリィは今回も触れずに済ませ、ホリィが続ける筈の言葉を待つ。
「どうも大岩猿が逃げるときに壊したようですね。あの魔道具が魔獣を閉じ込める結界も作っていたらしいので……。おそらく檻を破壊した直後は結界内で糧を得ていた……そして食べ尽くしたから外への道を探ったのではないでしょうか」
ホリィの推測を、マリィは妥当なものと感じていた。
もちろん結果から推し量っただけで根拠に欠ける部分もあるが、蓋然性は充分にある。少なくとも、つい最近になるまでカーフス山脈に異常が発生しなかった理由は説明できる内容だ。
「帝王鷲が山脈の南に逃げたのは、大岩猿に山越えは不可能だから。しかし相手は山脈を回りこんで現れた。それで帝王鷲は混乱のあまり魔獣の領域から飛び出した……」
「そうなると大岩猿から邪術の影響を取り去って、オルムルか操命術士さんに帝王鷲を山脈に戻してもらえば~?」
マリィが確認の問いを発すると、ミリィも便乗する。
どうやらミリィは、これで問題解決と受け取ったらしい。先ほどまでの憤りや憂いが嘘のように、彼女の顔は綻んでいる。
しかし少々甘いとマリィは感じていた。
「はい。まだ日の出前ですがアミィに頼み、治癒の杖を取り寄せましょう。後は大岩猿を発見して治療、の繰り返しですね……探すのは大変ですが」
ホリィは頷きつつも、ほろ苦いと表現すべき笑みを浮かべていた。
何しろ東西700km以上もの山脈を巡って探すのだ。まずは帝王鷲が南下したアルバン王国の中央部からだが、最終的には全てを回ることになるだろう。
「そうね……。でも殺生せずに済むのだから、頑張りますわ」
「そうです~! アミィには早起きしてもらいましょ~!」
邪術に蝕まれた者を一刻も早く解放したい。それはマリィも同じ、そしてミリィも拳を突き上げて賛意を示す。
◆ ◆ ◆ ◆
アミィは本来より一時間以上も早く起きることになった。しかし邪術の影響を取り去るだめだから、星を守る一員でもある眷属が断る筈もない。
しかし予想と少々違うこともあった。
向こうはアマノ号の上に魔法の家を出したままにしているから、転移の絵画で来てもらえば良い。そう思ってホリィの魔法の幌馬車を出したが、そこから現れたのはアミィだけではなかったのだ。
「どうしてシノブ様やシャルロット様まで?」
代表して問うたのはホリィだ。しかしマリィも疑問に感じたし、ミリィも目を丸くしていた。
アミィなら、シノブ達を起こさないと思っていたからだ。
しかし今、アムテリアから授かった神衣に身を包んだ三人が現れた。戦闘に備えるべきと思ったらしく、シノブ達は白の軍服風の衣装に緋のマントを着けていたのだ。
それにシノブは光の大剣を背負い、シャルロットは神槍を手にし、アミィは炎の細剣を佩いている。
「何かあったら起こしてくれってアミィに頼んだからさ」
「シノブはアマノ同盟の盟主として、この件をアルバン国王ロムザーク殿に伝えています。もちろん昨夜の時点ですが、非常時や禁術関連であればシノブの判断に任せるという言葉もいただきました」
「そうであれば、自身で見届けるべきだと……」
シノブは穏やかな笑みと共に短く、シャルロットは夫が触れなかった部分を柔らかな声で補い、最後にアミィが済まなげな様子で締める。アミィとしては、約束がなければ一人で来るつもりだったのだろう。
「大丈夫だよ。最近は睡眠時間が少なくても堪えないんだ。……俺も歳かな?」
「まだ二十歳になって一ヶ月ですよ」
冗談らしきシノブの言葉に、シャルロットが呆れたような表情となる。もちろん彼女は夫に付き合っただけで、本気で驚いたのではない。
このやり取りをマリィは微笑ましく思いつつ聞いていた。
短い眠りでも体調を保てるのは、シノブが神に近づいてきたからだ。彼の眷属としては喜ばしい限り、これからも支えて大神の待つ神界に導かねばと思いを新たにする。
シノブが自身の変化を肯定的に受け止めていることも嬉しい。
善き方向とはいえ人間離れしていくから、不安や悩みもある筈だ。しかしシャルロットの理解と応援があるためか、シノブが不満を示すところなどマリィは目にしたことがない。
これからも二人は支えあって歩むのだろう。
その先には神界、神々が待つ場がある。自分達も導き手として共に往くし、ミュリエルやセレスティーヌ、更にはオルムル達も続くに違いない。
マリィは夜明け前の山中にも関わらず、光溢れる未来を見ていた。今は夢想でしかないが、いつかは訪れる輝かしき日々を。
「まあ冗談はともかく、光の大剣で魔力を増幅すれば広範囲を探れるからね。だから俺が来るのが一番効率的ってわけさ」
「……確かにその通りですね。ありがとうございます」
シノブが実際的な理由を示すと、ホリィも納得したらしく表情を緩める。
ホリィは真面目で、しかも段取り良い進行を好む。それ故シノブは効率という言葉を持ち出したのだろうが、事実だけにホリィも感謝で応じたわけだ。
「それじゃ、まずここでやってみよう。……いないみたいだね。少なくとも半径10km以内に岩猿系の魔力を感じない」
シノブは光の大剣を抜き放って魔力感知を始めたが、すぐに剣を鞘に収めてしまう。
やはり施設のあった場所など、大岩猿も願い下げだったのだろう。ディジャンの森の施設では時々実験に使われており、無理からぬことである。
「最も可能性が高いのは、帝王鷲が現れた南側です。おそらく最初に被害のあった場所の真北辺りではないかと……」
「連続短距離転移で行こう。皆も重力魔術で支えるから大丈夫だよ」
ホリィの進言を受けてシノブは移動を開始する。といっても転移と飛翔の併用は極めて早く、二分足らずでホリィの指定した場所に着く。
「いた……でも、あちこちに散っているな。アミィ、魔力を渡す……ここから一気に治癒をしてくれ」
「はい、シノブ様! ……大神アムテリア様の僕が願い奉る! これらの哀れな獣達を元の姿に戻し給え!」
シノブは手っ取り早く済まそうと思ったらしく、アミィに広域の治癒を頼む。
通常、治癒の杖の有効範囲は目に映る範囲のみだ。しかしシノブの無尽蔵とも思える魔力を使えば、周囲全体に効果を及ぼすことも可能なのだ。
「綺麗ですね……」
「はい」
「まるで、お日様のようです~」
「光がどこまでも広がっていく……」
シャルロットの呟きに、ホリィとミリィが答える。そしてマリィも、知らず知らずのうちに感動を言葉にしていた。
まだ夜明け前、光の届かぬ森を神聖な波動が満たしていく。そして波動は眩い輝きとしても球状に広がっていく。
それは確かに、太陽の誕生を想像させる光景であった。
「かなり魔力を篭めたから、感知範囲と同じくらいは届いたんじゃないかな?
……うん、少なくとも感じ取れる範囲にいる大岩猿の波動は変化したよ。そうだ、一番近い群れを確かめに行かないか?」
聖なる光輝が消え去ると、シノブは先ほどと同様に辺りの魔力を探った。そして彼は満足の行く結果を得たらしく、笑顔で皆を誘う。
もちろん反対が出る筈もなく、シノブは再び短距離転移を行使した。すると崖に空いた巨大な洞窟、高さが大人の背の四倍はありそうな入り口の前に出る。
「治癒の波動で起きたらしい。もうすぐ出てくるよ」
「グ……」
シノブの言葉が終わった直後、洞窟から巨大な猿が顔を出す。もちろん大岩猿の登場だ。
どうも入り口より二割か三割は背が高いらしく、大岩猿は背を屈めていた。そして後ろには更に何頭かが続いている。
「成体の雄、成体の雌、上の子が雄、下の子が雌みたいだね」
シノブは魔力で性別を見分け、魔力量で歳の上下も割り出したようだ。
言葉通りに大きな猿が二頭、そして中くらいの一頭に、ずいぶんと小さな別の一頭が現れる。もっとも最後の一頭ですら、人間の大人より遥かに大きい。
「元気良さそうだね。君達は元に戻ったんだ……山脈の北にいたようだし良ければ送るよ」
「グッ!」
「グガッ!」
シノブが歩み寄りつつ問いかけると、成体の二頭は肯定めいた言葉を返した。
そして合わせて四頭の大岩猿は、礼を伝えるように頭を低くする。
「シノブ、大岩猿と会話できるのですか?」
「リヒトのときと同じで、魔力波動に自分の気持ちを乗せてみたんだ。だから大まかにしか伝わっていないだろうね。……返答も同じさ。たぶん肯定だと思うんだけど、北にいたかまでは読み取れなかった」
妻の問いに、シノブは頭を掻きつつ応じる。
そうしている間に大岩猿達はシノブを囲む。そして森の中から、更なる動物達が現れた。
「治癒の波動でしょうか?」
「はい。それに魔力をくださったのはシノブ様ですから」
マリィの囁きにアミィは密やかな声で応じた。
本来なら生きるために争う者達が、今は一堂に会している。その光景にマリィは神秘を感じたし、アミィも畏れを覚えたのだろう。
しかしマリィの胸の内には、先ほどと同じ喜びも生じていた。
様々な生き物が慕うように囲む様子。それはシノブの将来を暗示しているような光景だったからだ。
この未来へとシノブを、そして皆を導こう。マリィは夢の世界を思い浮かべながら、己の誓いを心の奥深くに刻み直す。
そして同時に、マリィの心に一つの希望が生じた。更に成長したシノブなら、妹分の悪癖を治してくれると思ったのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年9月29日(土)17時の更新となります。