27.06 ある晩のホリィ
ホリィは魔法の家のリビングを出た。
といっても転移の絵画を使ったのではない。ごく普通に歩いてドアを開け、廊下へと移っただけである。
廊下はホリィのみ、しかも猫の獣人に変じているから足音も響かず静かなままだ。これは意識して気配を消しているのではなく、これから向かうアルバン王国では大抵この姿だから事前に変えておいたのだ。
魔法の家を乗せたアマノ号は、アゼルフ共和国のルメティアからアルバン王国の王都アールバに向かっている。距離は500kmほどもあるが、運ぶのは超越種で最速の飛翔を誇る朱潜鳳達だから一時間十五分ほどで着く筈だ。
しかし一時間以上も無駄に過ごすのは、ホリィにとって非常な苦痛だった。そこで時間を有効に使うべく、同僚のミリィから頼まれた用事を済ますことにしたわけだ。
ミリィからの依頼は、ソニアが記した書簡を彼女の弟のミケリーノに渡してほしいというものだ。
先ほどホクカンの任陽明は、符術を学ぶためアゼルフ共和国に留学すると決意した。それを喜んだミリィは、今日は彼女の世話をしたいからルメティアに残ると言い出した。
そもそもミリィがルメティアに来たのは、天涯孤独となったヤンミンを案じたからでもある。したがって手厚く支援したいという思いは、ホリィも充分に理解していた。
とはいえ届け物を頼まれたら、責任をもって遂行すべきでは。預かったのが分厚く重要そうな封書だけに、ホリィは同僚の選択に首を傾げてしまう。
ミケリーノに会って渡すだけなら数分もあれば充分だ。そして自分達は鷹の姿に戻れば空を飛べるから、アマノ号が出発しても関係ない。
加えてホリィは、少々ミリィに憤慨していた。彼女の地球文化への傾倒が、また暴走したからである。
自分はホクカンに行っており、その場にいなかったから詳しく知らない。しかしアミィによると、ミリィの提案で造られた鋼人は地球の娯楽の影響を強く受けていたそうだ。
ホリィは自身でも真面目な性格だと認めるほどで、こういったミリィの遊びに眉を顰めていた。単に趣味の問題ではなく、行き過ぎを再び神々に叱責されるのではと案じているからだ。
しかし今は届け物を済ませようと、ホリィは思い直す。
空間拡張により魔法の家の内部は六倍ほどの面積になったが、考え事をしながら延々と歩けるほど広くない。既にホリィは、ミケリーノを含む少年達が控えている部屋の前に着いていた。
「ホリィです。ミケリーノさんをお願いします」
ホリィは扉をノックする。
今の魔法の家には十数もの個室があり、今回の旅では半数ほどを待機の場としていた。シノブの従者で一つ、シャルロット達の侍女で三つ、護衛は男女に一つずつ、更にリヒトの乳母達に一つだ。
「お待たせしました」
僅かな間の後、扉が開いた。そして猫の獣人の少年ミケリーノが顔を出す。
ミケリーノの後ろには、従者筆頭のレナンと比較的古株のネルンヘルムの顔が見える。どうやら今の控え当番は、この三人らしい。
もちろん他にも大勢同行しているが、大半はアマノ号の船内にいる。シノブ達は無駄や虚礼を嫌っており、他は休憩や訓練など思い思いに過ごしている筈である。
「ソニアさんからです」
「ありがとうございます……。すみません、少しの間で良いのですが別室をお借りしたいのですが……」
ホリィが封書を手渡すと、ミケリーノは優しげな笑みと共に受け取った。しかし封書を開けた彼は、一枚の紙を取り出すと直後に顔を曇らせる。
おそらくミケリーノが手にした紙には、重要機密だから人前で読むなとでも記されていたのだろう。
「構いませんよ。空き部屋はありますから」
「申し訳ありません。それと同席をお願いして良いでしょうか?」
ホリィが許可すると、ミケリーノは一緒に来てほしいと続ける。
やはり相当に深刻な内容で、誰かに相談するようにソニアが指示したのか。ミケリーノは済まなげに頭上の猫耳を振るわせていた。
とはいえ廊下で訊ねることではない。そこでホリィは頷き返すと、近くの部屋に少年を誘う。
「何があったのですか?」
「この中身ですが、全て義父上宛ての身上書だと……ナンカンの女性達だそうです。それと姉さんが、ミリィ様かホリィ様に相談しなさいと……」
ホリィが部屋の扉に鍵を掛けつつ問うと、ミケリーノは意外なことを言い出した。
ソニアが送ってきた封書は、弟への手紙ではなかった。なんと義父にして叔父のアルバーノに対する、結婚の申し込みだというのだ。
なお身上書を書いたのは、娘自身ではなく親権者だと思われる。カン地方は男性の地位が高いから、おそらくは父親や祖父などだろう。
「これが全てですか……アルバーノさんは、本当に人気がありますね」
ホリィは椅子に腰掛けつつ、テーブルの上に並べられた身上書の数々を眺める。
封がされているから、読み取れるのは見事な筆跡で大書された宛名のみだ。ただし厚手の和紙のような紙は装飾の浮き彫りが施されているし周囲も金箔で縁取られおり、差出人の是非ともという意気込みが窺える。
まずは状況把握だ。そう思い直したホリィは椅子に腰掛ける。
アルバーノはアマノ王国一と謳われる色男だから、カンでも受けが良いだろう。もっと顔の良い男はいるが軽妙な会話で女性を楽しませるし、服の趣味も良いから好感を抱く者が多い。
しかもアルバーノはナンカンを守るウーロウ攻防戦で活躍し、虎将軍の異名を持つ葛師諭とも親しい。したがってナンカンの官人や武人が彼を縁者にしようと考えるのも理解できる。
それ故ホリィが驚いたのは僅かな間だったのだ。
「二十代後半に見えますし……実際には四十一歳ですが。それに妻が一人だけと聞くと、押し込めそうに思えるのだと」
ミケリーノは向かい側に座ると、ほろ苦い笑みを浮かべる。
まだ十三歳のミケリーノには色々と荷が重い問題だが、かといって呆れてばかりもいられないだろう。
ふんだんに飾った封書からすると、相手の多くは高位の者と思われる。つまり下手な対応は国際問題になりかねない。
とはいえアルバーノがモカリーナを娶ったのは昨年九月、僅か半年前だ。まだ二人きりで過ごしたいだろうし、エウレア地方の通例だと二番目の妻を迎えるにしても一年や二年は間を置く。
少なくとも二十通はあるし、中には強硬に押してくる者もいる筈だ。もちろん対応するのはアルバーノだが、ミケリーノとしてはカン地方を知る者の意見も欲しいのではないか。
一方ホリィは、自身よりミリィが適任だと感じていた。彼女の方が長くカンに滞在しており、風習や常識にも詳しいからだ。
もしかするとミリィは自身に押し付けて逃げたのでは。まさかと否定してみたものの、ホリィの心には微かな疑惑が残ったままだった。
◆ ◆ ◆ ◆
ミリィの思惑は後で本人に問うことにし、ホリィはミケリーノと共に身上書を眺めていく。もちろん無断で開封するような無礼はせず、裏に記されている差出人を確かめただけだ。
「この方は重臣の娘ですよ……」
ミケリーノは溜め息を吐いた。表情も深刻そのもの、頭上の猫耳は完全に伏せている。
どうやら少年は、極めつけの面倒事だと改めて感じたらしい。
「こちらはグオ将軍の妹君では?」
ホリィは一通の裏書きを示す。
そこにはグオ姓を持つ男女の名が並んでいる。カンの身上書は親権者の名が大きく書かれ、隣に娘の名が少し小さく記されるのだ。
そして今ホリィが手にしている封書の裏には葛師貢、グオ将軍の父で宮護将軍の名があった。それなら隣は彼の娘、グオ将軍は三十を超えているから妹だと思われる。
「間違いありません。師迅君から聞きました……二十歳前だそうです」
ミケリーノはグオ将軍の長男の名を出した。
つい先日、ミケリーノとシーシュンはホクカンの潜入で数日を共に過ごした。そのときシーシュンは一族を語る際、この書状に記された名を叔母として挙げたのだ。
「アルバーノさんは伯爵だから格は釣り合うし、相手は適齢期。しかも兄とは意気投合した仲……簡単には断れませんね」
「はい。普通に考えたら、これ以上ないほど良い組み合わせだと思います……」
ホリィはミケリーノと顔を見合わせる。
カン地方も高位の男性は複数の妻を娶る。普通は二人、多くて三人か四人、ただし子を充分に得たなどで一人に留める者もいる。
しかしアルバーノの妻はモカリーナのみ、子は宿したばかりでカンの者には語っていない。時差が六時間もあるから転移でしか行き来できないし、アマノ王国での生活すら碌に触れていないのだ。
「何しろ予定日は半年後ですし、義父上は『妻を得たばかり、まだ子はいない』とグオ将軍に答えました。もっとも詳しく語らなかったのは、照れからのようですが」
「もし一人目の子がいると伝えても、あまり変わらないでしょう。三人もいれば跡取りは心配無用と思うでしょうが……しかし困りましたね」
憂い顔のミケリーノに、ホリィは重たい声で応じていく。
アルバーノを慕う女性はエウレア地方にも多い。彼の出身国であるカンビーニ王国の女艦長ベティーチェ、そしてマリエッタの学友ロセレッタなどだ。
特にベティーチェは、いずれアルバーノの妻になるだろうと噂されている。父のエルネッロ子爵も熱心に後押ししているし、彼はアルバーノと旧知の仲で今は友人でもあるからだ。
ロセレッタも熱望しているのは明らかで、第三夫人でも構わないようだ。それに彼女は護衛騎士と情報局員の兼務まで考えているらしい。
「拗れる前に動くべきでしょう」
「はい」
ホリィの呟きに、ミケリーノは短い応えを返す。どうやら彼も、そうするしかないと思っていたようだ。
もしアルバーノが第二夫人や第三夫人を娶る気があり、更に将来ベティーチェ達を妻に迎える心積もりだとする。それなら彼女達を婚約者にして、他を断るべきだろう。
妻はモカリーナのみと決めているなら、早く宣言すべきだ。仮にエウレア地方の外から娶って良いなら、色々と縁が出来たカン地方も良かろう。
いずれにしてもアルバーノの考えを聞かないことには始まらないし、未検討なら方針だけでも決めてもらいたい。
しかしミケリーノからすれば叔父にして義父に意見するわけだから、そう簡単に踏み切れないだろう。何しろ相手は自分の三倍強の年齢、そして従士から伯爵まで駆け上がった伝説的人物である。
ならば姉のソニアはといえば、現在動くのが難しい。
ソニアは数日前から、アマノ王国情報局長代行に加えてアマノ同盟カン地方局長を兼務している。フライユ伯爵領の騎士ファルージュはソニアほど外国慣れしていないから、まずは副局長としたのだ。
そのためソニアは睡眠時間を削るほど多忙で、ここ数日はアマノシュタットに戻ることも少なかった。しかしアルバーノが不義理を働くとカンとの交流にも差し支えるから、弟に頼むことにしたのだろう。
「その身上書の束を、早速アルバーノさんに届けましょう。転移の絵画を使えば、リーベルガウに一瞬で移動できますし。……シノブ様に事情をお伝えして、ミケリーノさんを向こうに送ります」
急いだ方が良いだろうから、ホリィは転移を使うことにした。
最近は出来るだけ通常の手段で移動しているが、アルバーノが住むメグレンブルク伯爵領のリーベルガウまでは3000km近い。これは朱潜鳳が急ぎ気味に飛んでも、片道七時間は掛かる距離だった。
幸いアマノシュタットの王都や領都の大神殿には、全て転移の神像がある。そこでホリィがミケリーノを送り届け、再び戻ってくる。
ミケリーノが戻るのは、アルバーノが全てに返答の書状を記してからだろう。この星の言語は日本語で統一されているから書く上での問題はないが、二十通以上あるから半日近く必要かもしれない。
そこで終わったら通信筒で連絡を入れてもらい、迎えに行くつもりだ。
「申し訳ありません。お手数をおかけします」
「いえ、これは必要なことですから。ともかく急ぎましょう……そろそろ日も沈んだ筈ですから」
立ち上がって一礼するミケリーノに、ホリィは柔らかな表情で応じた。ただし一緒に席を立ち、リビングに行こうと告げる。
現在およそ十八時すぎ、アマノ号がアルバン王国の王都アールバに着くのは十九時の予定だ。そしてホリィは昨秋アルバン王国に行った縁で今回も賓客として遇されるから、到着までに戻らないといけない。
しかしホリィはミケリーノに付き添い、アルバーノに会うつもりだった。最後まで同席できるか分からないが、概要くらいは共に伝えようと思ったのだ。
そこでホリィは足早に扉へと向かう。一方のミケリーノも急いで身上書を纏め、元のように大きな封書へと入れた。
──シノブ様、今よろしいでしょうか?──
時間を節約しようと、ホリィは歩きながら思念を使った。リビングにはエレビア王子リョマノフやキルーシ王女ヴァサーナもいるから、密かに相談したかったのもある。
──ああ、大丈夫だよ──
運よくシノブは即座に応じてくれた。そして彼はホリィの提案に同意し、リーベルガウへの転移に許可を出す。
そこで早速ホリィは転移の絵画を使い、ミケリーノと共に遥か西のメグレンブルク伯爵領へと赴いた。
◆ ◆ ◆ ◆
リーベルガウは十六時前、アルバーノとモカリーナは領主の館で執務をしていた。これはアルバーノが妻から領地経営を学んでいたからだ。
領主はアルバーノだが、彼が政治に携わったのはアマノ王国の伯爵になってからだ。武人として部下を率いた経験はあるものの予算編成や税収予測など未経験、現在は幾らか慣れたが就任九ヶ月少々の新米領主でしかない。
それに対しモカリーナは大商人として複数の国に店舗を構え、しかも先祖代々商家だけあり幼いころから親が経営を叩き込んだ。そのため対象が商会から伯爵領に代わっても、彼女は学んだ知識を応用して見事に切り回していく。
そしてアルバーノには、妻の才能を活かし学び取る度量があった。門外漢だったから領地経営に変な自負や幻想を持っておらず、現時点では大きな差があると虚心に捉えたのだろう。
「そんなことになっていたとは……」
「貴方の予想が甘すぎたのです……私を気遣ってくれたのは理解していますが。それに経営には広く多角的な視点が必要、好悪や主観で目を曇らせたら命取りと何度もお伝えした筈です」
驚きを顕わにしたアルバーノに、モカリーナは苦言を呈する。普段は夫を立てる彼女だが、専門分野だけに捨て置けなかったのだろう。
しかもモカリーナは第二夫人を娶るようにと、早くから勧めていたらしい。
「私は商家の出、しかも昔のマネッリ商会は中堅だから男爵や子爵と会うので精一杯……。商圏もカンビーニ王国と近辺で、外国貴族で取引させていただいたのはメリエンヌ王国の南部とガルゴン王国の東部の方のみです。もちろん、こちらも上級貴族とは無縁でした」
そのためモカリーナは、メグレンブルク伯爵家に生粋の貴族女性が必要と考えたそうだ。
出来ればカンビーニ王国以外から招き、各方面に伝手を作るべき。ただしアルバーノとの相性もあるから必ずしも他国としないが、可能なら海上交易に詳しい者が良い。それと夫は武人だから、武術などを話題に出来る者が望ましい。
そのような思いを抱き、艦長として活躍するベティーチェなら良いのではと夫に語っていたと結ぶ。
「そういえば元々のマネッリ商会は海運業ですが、義母上ご自身は海上交易の経験がありませんでしたね」
ミケリーノの指摘は事実だ。
モカリーナが作った商会は、故国からの陸運業とフライユ伯爵領の販売店から始まった。おそらく彼女は危険で風次第の海に出るには経験不足と考え、安全で輸送日数が一定する陸を選んだのだろう。
「ええ。代々男だけが船乗りを務めたから、私も事務や経理が中心でした。もちろん船旅は何度もしていますが、海に関しては良くて半人前ですよ」
モカリーナの口調は、親しみを表しつつも若干の遠慮が残るものだった。
伯爵になった当時のアルバーノは独身だったから、メグレンブルク伯爵家は彼だけだった。それでは問題だと、彼は兄夫婦に頼んでソニアとミケリーノを自身の養子に貰い受けた。
そしてモカリーナが嫁いだのは三ヶ月後だから、彼女は連れ子付きの男と結婚したわけだ。しかも子供達は男の実子ではないし、長子である娘は自身より僅か三歳下である。
したがって養子達との関係は、結婚半年となった今でも模索中なのだろう。
「部下と奥さんは違うと思うがなぁ……」
「家族経営の商家なら同じですよ。それに貴族の領地経営も血族の協力が必要……でもメグレンブルク伯爵家は現在四人しかいません。早く良い人を迎え入れるべきですし、どうせなら適材適所となるように選ばなくては」
頭を掻くアルバーノに、モカリーナは実に現実的な返答をした。
ちなみにメグレンブルク伯爵家には、近日中に五人目が加わる。来月の頭、ソニアが従兄弟のロマニーノと結婚するからだ。
カンビーニ王国から引き抜いた経緯もあり、ロマニーノは子爵として遇される。そして形式としてはメグレンブルク伯爵付きだ。
しかしロマニーノはソニアを支えるべく当分はカン地方で働くし、ミケリーノもシノブの側仕えとしてアマノシュタットに詰める。つまり伯爵領経営は、当分アルバーノとモカリーナの二人で頑張るしかない。
「それでアルバーノさん、どうなさるのですか? 出来れば方針だけでも聞かせてください」
本意ではないが、ホリィは決断を急かした。
アルバン王国の王都アールバが十九時になるまで後三十分ほど、それに回答次第では巡る先が増える。それ故ホリィは、大まかな方針だけでも知りたかった。
「ベティーチェを婚約者とします……モカリーナも認める女性ですから。三人目は待ってください……ただしナンカンが収まらないようなら、内々の婚約があるとします」
「分かりました。それではベティーチェさんの父君、エルネッロ子爵に会いに行きます。文書に残すなら了承をいただいておくべきですから」
アルバーノの選択を聞き、ホリィは訪問先を追加した。
エルネッロ子爵の邸宅はカンビーニ王国の都市テポルツィア、ここにも転移の神像があるから往復は容易だ。それなら子爵の意思を確認した後に、身上書の返書を記すべきだろう。
「お手数をおかけします……」
「いえ、お気になさらず」
済まなげなアルバーノに短い言葉を返したのみで、ホリィは本来の姿に戻る。時間を節約するため、ここから大神殿までを飛んでいくのだ。
そして都市テポルツィアの大神殿に転移したホリィは、通りを挟んで向こうの軍本部へと向かう。エルネッロ子爵は海軍司令官だから、本部に行けば所在が分かると思ったのだ。
幸い子爵は本部で勤務中、そこでホリィはアルバーノの言葉を伝える。
「アルバーノ殿が娘を! もちろん承諾します! 是非とも貰ってくれとお伝えください!」
「分かりました! では急ぎますので!」
大喜びのエルネッロ子爵と同じくらい、ホリィは顔を綻ばせていた。予定通りに事が進んだのが嬉しかったのだ。
自分は効率の良さと同じくらい、予定通りの行動が好きらしい。青い鷹の姿に変じたホリィは己の性分を振り返りつつ、窓から大神殿へと飛翔する。
◆ ◆ ◆ ◆
来た経路を逆にメグレンブルク伯爵領の都市リーベルガウに戻り、結果をアルバーノ達に伝える。アルバーノが全ての返信を書き終えるまでミケリーノは残るから、今アルバン王国に戻るのは自分だけだ。
そこでホリィは今度も金鵄族本来の姿で大神殿へと向かい、今日何度目かの転移を使ってアマノ号の上にある魔法の家に戻った。距離にして往復7000km以上、しかし転移を使ったから一時間以内に巡り終え、帰還したのは王都アールバに着く前だ。
予定を狂わせずに済んだという思いが、ますますホリィの心を弾ませる。
「ホリィ、ご苦労様」
「いえ、当然のことです!」
シノブの労いに、ホリィは思わず浮き浮きした声で応じてしまう。
朗報というべき結果だからと周囲は受け取ったらしいが、シノブは少々違ったらしく僅かに怪訝そうな様子になる。しかし何か思い当たったらしく、彼は優しい笑顔となった。
神々の血族だからか、シノブは他者の感情変化に鋭い。
愛息リヒトが他者の感情に反応して思念の萌芽で応じるように、シノブも魔力波動で感じ取っているのだろうか。読心術というには遠いが、喜怒哀楽くらいは充分に理解できるようだ。
つまり子供のように上機嫌な今の気持ちを、シノブが察した。そう確信したホリィは、自然と頬を染めていた。
「久しぶりのアルバン王国だね。懐かしいだろう?」
「……はい、ルバーシュ伝説を追って巡っていたころを思い出します。それに、ここにはセデジオさんも赴任しましたから」
助け舟を出すようなシノブの問いに、ホリィは感謝しつつ答えていく。
昨秋ホリィや諜報員のセデジオ達は、異神ヤム探索の手がかりとなるルバーシュという男の故郷を特定するため、アルバン王国の各地を巡った。そんな縁もありホリィはアルバン王家への使者になることが多いし、セデジオは先日アスレア地方局アルバン支局長に就任した。
どうもセデジオは、故郷カンビーニ王国と同じ暖かく海に面した地を気に入ったらしい。彼は猫の獣人だから寒いところは苦手、しかも老境に入っているから尚更だろう。
「ああ、セデジオも待っているだろうね。それじゃ行こうか」
「はい!」
シノブはソファーから立ち上がり、ホリィも続く。アマノ号が王都アールバに着いたのだ。
着陸したのは迎賓館前の広場、本日宿泊する場所だ。シノブを含む主要な面々は王宮に向かい、従者や侍女の一部が必要な荷物を迎賓館に運び込んでいく。
もっともシノブを始めとするアマノ王家やアミィなど眷属の持ち物は魔法のカバンの中だから、意外に荷物は少ない。
既にアルバン王国は日が落ちてから一時間ほども経っており、王宮では間を置かずに晩餐会が催された。そして食事と歓談の後は、舞踏会である。
もっともホリィは踊りに加わらず、アミィ達と共に壁際のソファーに腰掛けていた。十歳程度の外見に加えて稀なる力の持ち主だから、アルバン王国の男性陣も踊りに誘えないらしい。
しかし一人の老人、猫の獣人の男が向かってくる。それはセデジオ、アルバーノの古馴染みでもある情報局員だ。
「ホリィ様、ご無沙汰しております」
「つい数日前、遥か東でお会いしたような?」
わざとらしく一礼したセデジオに、ホリィは軽口めいた言葉で応じた。
ホクカン潜入で顔を会わしているが、それは公に語れぬことだ。そこでセデジオは久々の再会らしき言葉を選んだと思われる。
「そうでしたかな? ホリィ様はお忙しいですから、記憶違いかもしれませんよ?」
セデジオは大袈裟に首を傾げてみせる。あくまで彼はホクカンで会っていないとするつもりらしい。
各国から大勢がホクカンに集ったのに、今更伏せる必要もないだろう。とはいえ諜報員が自分から機密を明かすのも変ではある。
それにセデジオは何か伝えに来たらしいから、ホリィは本題に入るのを待つことにした。
「実は、ここ王都アールバの北に魔獣が現れたという情報を入手しまして」
「アルバン王国は魔獣が少ないですし、この辺りには魔獣の森もありませんが?」
セデジオはホリィ達の側に座り、小声で語り始める。一方ホリィはアルバン王国では稀な事件だと訝しむ 。
それにアミィも疑問を感じたらしく、怪訝そうな顔をしていた。
「それが帝王鷲の群れでして……。ご存知の通りアイツらは北の国境でもあるカーフス山脈に棲んでいますが、今回は何かの理由で山を降りたらしく……。幸い、数は二十羽未満と小規模ですが」
既にアルバン王国も動いているが、セデジオの見るところ早期解決は少々厳しい。
相手が鳥の魔獣だから弓矢で迎え撃つことになるが、向こうも高空に逃れるだろう。かといって大型弩砲は数が限られるし、向きを変えるのも大変だから敏捷な鳥を狙うのは無理がある。
十数羽の魔獣で国が傾くことはないが、多くの村に被害が出るだろう。しかしアルバン王国はシノブ達に遠慮したらしく、まずは自力での解決に動いたようだ。
今はアールバから150kmほど北に、弓兵を中心にした部隊を置いているという。
「私の出番というわけですね」
「はい。今日はお忙しかったと伺っておりますが、念のために……」
ホリィの予感は当たっており、セデジオは偵察してほしいと口にする。
とはいえ今日のホリィはナンカンからホクカン、更にアゼルフ共和国からアマノ王国を経てカンビーニ王国、最後はアルバン王国と文字通り各国を飛び回った。これをセデジオはシノブか誰かに聞いたらしい。
それに、ここでもアルバン王家との晩餐で語らうなど大忙しだ。そのためだろうがセデジオは恐縮を面に浮かべながら、深々と頭を下げる。
「顔を上げてください。役に立てるのは嬉しいですし、空を飛ぶのは大好きですから。それに十数羽なら、私だけで退治しますよ」
300kmなどホリィにとっては一時間もかけずに往復できる距離だ。少し急げば三十分、戦いを考えずに飛ばしたら二十分少々も可能だろう。
そこでホリィは、今から行こうと腰を浮かす。
「ホリィ様、夜が明けてからでも……」
「セデジオさん。ホリィは仕事を残しておくのが嫌いなのです。几帳面というか、真面目というか……。でも、そういうところも私は好きですよ」
留めようとするセデジオに、アミィが笑いかける。
それを流石はシノブの眷属筆頭と思いつつ、ホリィは聞いていた。そしてアミィの言う通りと示すべく笑みを浮かべ、大きく頷く。
「それでは行ってきます」
ホリィは喜びと共に歩んでいく。
人々を助けつつシノブを支える。それが自身の使命であり望みでもあるのだ。
しかも今日は様々に働けた。ホリィは充足感を胸に抱きつつ、月の輝きと星々の煌めきで彩られた夜空に飛び出した。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年9月26日(水)17時の更新となります。