27.04 旅立ちとケリス
玄王亀の子ケリスはシノブの膝の上に乗っていた。
ここはアマノ号の上に置かれた魔法の家のリビングで、シノブが座っているのは船首側に向いた窓際のソファーだ。前方には青い空と輝く太陽、下には煌めく海が美しい。
アマノ号は双胴船型、魔法の家を設置しているのは左右を繋ぐ構造体だ。ここは前後の幅が短く、船の中央にありながら眼下の光景も観賞できた。
現在アマノ号は、アスレア地方に向かって飛んでいる。もちろん乗客はシノブとケリスだけでなく、リビングだけでも大勢いる。
甲羅の上には同族で弟分のタラーク。ケリスはシノブの膝に収まるように小さくなったから、上は殆ど弟分が塞いでいる。
右には嵐竜ルーシャ、リヒトを抱えたシャルロット、ミュリエル。左には海竜ラーム、セレスティーヌ、アミィ。互いの体温を味わうように、身を寄せて並んでいる。
このように窮屈な状況でもケリスは幸せだった。シノブが心地よい魔力を与えてくれるし、玄王亀は地中で暮らすから狭い場所を好むのだ。
他は海竜リタン、それにエレビア王子リョマノフとキルーシ王女ヴァサーナだ。リタンは年少者達にシノブの側を譲ってソファーの後ろから首を伸ばし、リョマノフ達は隣に置いた二人掛けのソファーで寄り添っている。
『綺麗ですね』
ケリスは発声の術で呟く。
前方には岩竜オルムルなど飛翔できる子供達が飛び、その中にはルーシャと同じ嵐竜のラーカもいる。そして眼下は『海竜の航路』、西のエウレア地方と東のアスレア地方を結ぶ海の道だから大きな船が幾つも浮かんでいた。
──早くラーカさんと並んで飛びたいです!──
──私も海で泳ぎたいです!──
ルーシャとラームが思念と『アマノ式伝達法』で応じる。発声の術を習得できるのは生後一ヶ月少々で、まだ半月を超えたばかりの彼女達には使えないのだ。
ルーシャは前、ラームは斜め下に頭を向けたようだ。それにタラークも首を伸ばしたらしい。
玄王亀はリクガメに似た体型で、後ろを振り向けるほど首が長くない。しかし代わりに優れた感知能力で魔力を感じ取れるから、ケリスは周囲を充分に把握していた。
──まず発声ですね。地中潜行は更に一ヶ月以上も先ですし──
タラークはルーシャ達より一日早く生まれただけ、したがって彼も伝達法のみだ。
ケリスはタラーク達と同じころ、五ヶ月半ほど前を思い浮かべる。シノブの温もりに包まれながら、オルムル達に様々な技を見せてもらった日々を。
それだから分かる。今のタラーク達の焦りにも似た強い想いを。早く自分達も兄や姉のようにという、心からの願いを。
しかしケリスは技能の習得に触れなかった。姉貴分のフェイニーなら冗談めかした助言をするだろうが、自分には無理だと感じたのだ。
代わりにケリスは、今回の旅を話題に選ぶ。
『アスレア地方に行くのも久しぶりですね』
「そうだね。半月前……クルーラ地下道の開通式は、オスター大山脈の東側に抜けただけでアスレア地方の西端だし」
ケリスの期待通り、シノブは応じてくれた。
焦る者達を宥めるより、別の話題で気を逸らす。それがケリスの狙いだった。
そしてシノブの言葉なら、タラーク達は興味を示してくれるだろう。何故なら自分と同じで、彼を父のように慕っているから。
「今回は五日間の旅行、それに飛行距離も比較になりませんよ」
アミィの声は、僅かに笑いを含んでいた。
今日は創世暦1002年3月26日、そしてアマノ王国への帰還は四日後。それに移動距離は7000km以上だ。
転移の神像を使ってなら更に遠方に行ったこともあるが、これだけの距離をアマノ号で巡るのは確かに初めてだ。
──はい! タジース王国まで行くんでしたね!──
タラークが挙げたタジース王国はアスレア地方の東南端で、アマノシュタットから3000km以上はある。
これほど遠方と五日で往復し、しかも各地では会談や行事もある。この急ぎ旅を可能とするのは、超越種で最速を誇る朱潜鳳の飛翔だ。
右船体の上にフォルス、左船体の上にガストル。二羽は太い横木を足で掴み、アマノ号を運んでいる。
──朱潜鳳は凄いですね──
──でも嵐竜も速いですよ──
嵐竜ルーシャはフォルス達の高い飛行能力を羨み、海竜ラームは慰めらしき言葉を返す。
「飛行船なら倍以上の日数ですもの……素晴らしいですわ」
「はい、フォルスさんとガストルさんに感謝しなくては」
セレスティーヌとミュリエルの声には、強い驚嘆が滲んでいた。
飛行船なら日中の大半を全速力で飛ばしても一週間ほど必要だし、訪問先で過ごす時間を考えたら十日以上は間違いない。つまり転移を除けば、今のところ朱潜鳳に運んでもらうのが一番速い。
「あ~! あ~!」
リヒトが可愛らしい声を上げ始めた。そして彼は手にした玩具、神々から授かった『勇者の握り遊具』を振って鳴らし始める。
どうもリヒトは、フォルス達への感謝を表しているようだ。それに彼は空の旅が好きらしい。
もちろんケリスも、とても楽しみにしている。
玄王亀は重力を操って浮遊できるが、それだけでは飛翔というほどの速度は出せない。ケリスはブレスのように大量の魔力を放って飛ぶ術を編み出したが、長時間の使用は無理なのだ。
海に砂漠、森に草原、そして人間の住む土地。それらを空から存分に眺めるのだと、ケリスは胸を躍らせていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「まずエレビア王国の王都エレビスだ。アスレア地方局長……マイドーモとも会うよ」
シノブは最初の訪問先を挙げた。エレビスではエレビア国王達と会談し、更にアマノ同盟アスレア地方局も視察する予定だ。
今回もシノブは忙しい。
地方局は同盟全体として新設した組織だが、アマノ同盟の盟主はシノブだから彼の管轄下だ。シノブは神の血族だから疲労など稀らしいが、それでもケリスは心配してしまう。
──次はアゼルフ共和国で、今夜はアルバン王国に泊まるんでしたね!──
──明日の夕方にはタジース王国、明後日はイーディア地方に旅立つ東域探検船団を見送りです!──
──そして四日目はズヴァーク王国、五日目はキルーシ王国に寄ってから戻ります!──
最初はタラーク、更にラームやルーシャが続く。三頭は初めて行く場所に興味津々なのだ。
今回の歴訪ではシノブが公式訪問していないアルバン王国や、未訪問のタジース王国とズヴァーク王国を巡る。そしてシノブ自身も直接知らない場所が多いからか、見てのお楽しみだと笑っていた。
ましてやタラーク達は生まれて半月ほどだ。これまで年長者や眷属達から聞くだけだった場所を目に出来ると、三頭は何度も繰り返していた。
ただし一歳四ヶ月と年長のリタンも気になることがあるようで、シノブへと顔を向ける。
『マイドーモさん、お元気でしょうか?』
リタンや両親はカンビーニ王国と縁深い。そのため同国出身のアマノ王国内政官に親近感を抱いたのだろう。
それに眼下の『海竜の航路』はリタンの父母レヴィとイアスが切り開いた道、そこを初めて通った一人がマイドーモである。彼は初期の東域探検船団の一員なのだ。
それに以後もマイドーモは『海竜の航路』を何度も行き来し、レヴィ達に多大な感謝を捧げている。つまりリタンからすれば、自身の父母を尊敬する一人というわけだ。
もっともリタンがマイドーモを覚えていたのは、別の理由かもしれない。
マイドーモは大商人モカリーナの兄、モカリーナはメグレンブルク伯爵アルバーノの妻だ。そしてアルバーノは超越種達と共に働くことも多いから、彼の縁者として強く記憶に残った可能性はある。
「ああ、ますます張り切っているよ……あの調子で『ど~も、ど~も』って明るくね。彼がアマノ王国に来てくれて、本当に助かった」
シノブはマイドーモに深く感謝しているらしく、声音は真摯なものだった。
マイドーモはシノブの家臣となるために道化を演じ、実家の跡継ぎを降りた。そして彼は目論見通りにアスレア地方に巨大な商圏を築き、モカリーナ達に更なる躍進をさせている。
その才覚をシノブは重視し、地方局長に任命したそうだ。
マイドーモの魔力や体力は人間として平均的な範囲だが、知恵一つで歴史を大きく変えた。そのためケリスも彼には敬服に似た思いを感じていた。
「出来ればイーディア地方への探検船団にも加わってほしいほどですよ」
「本当ですわ」
リョマノフとヴァサーナもマイドーモを褒め称える。
今回の東域探検船団にはアルバン王国やタジース王国の王族や重臣も参加するが、リョマノフやヴァサーナも乗り込む。そのため二人の言葉には、単なる賞賛を超えた熱意があった。
「ケリス、タラーク。プロトス山は午後……遅くとも十四時ごろには着くよ。楽しみだね」
シノブは二番目の国、アゼルフ共和国での訪問先を挙げる。
ケリスが聞きたかった言葉は、これだった。大半は人間同士の語らいや儀式でケリス達の出番は少ないが、往路で寄るアゼルフ共和国のプロトス山は別なのだ。
──はい! ……あの、シューナ兄さまも来てくれるでしょうか!?──
「もちろんですよ」
タラークの弾む思念に、シャルロットが柔らかな声で応じる。
プロトス山の地下にはタラークの両親アノームとターサがいる。しかも転移の神像を使い、タラークの兄シューナも来てくれるそうだ。
そのためタラークは大喜び、ケリスも大先輩達に会う時を心待ちにしていた。
シノブとアミィは超越種達の棲家の近くに転移の神像を造ってくれる。これはケリスを含む玄王亀達にとって、非常に大きな意味を持っていた。
玄王亀達は定期的に長老の棲家に集まって語らうが、移動速度が人の歩みと大差ないから集合は二十年に一度だけだった。しかしケリス達は転移の神像を使い、頻繁に親達と会っている。
『シューナさん、地下道の作成で忙しいそうですが……』
「大丈夫さ。それに万一のときは俺が迎えに行く。転移の神像と短距離転移を使えば、すぐだからね」
ケリスの懸念に、今回もシノブは望んでいた言葉を返してくれた。
現在シューナはスキュタール王国と東メーリャ王国を結ぶ大トンネルを掘っている。これは全長40kmもあり、既に成体となった彼でも三ヶ月は掛かるそうだ。
シューナは五月頭には完成させると宣言し、殆ど休まずに掘り続けているという。まだ成体になったばかりの彼にとって良い修行でもあり、とても張り切っているようだ。
しかしタラークの家族が揃ったら、どんなに素敵だろう。それ故ケリスはシューナが来てくれるように熱望していた。
◆ ◆ ◆ ◆
昨年九月上旬、シノブはエレビア王子リョマノフと出会った。そしてシノブはリョマノフの頼みを聞き入れ、彼の父エレビア国王ズビネクと兄の王太子シターシュを救った。
シターシュは遥か昔の秘文書から鋼人を再現し、作業用に使おうとした。しかし参考にした魔法回路は邪術で歪められ、それに気付かず使ったからシターシュやズビネクを含め鋼人の使用者は凶暴化した。
これをシノブやオルムル達はリョマノフと共に解決し、シターシュ達も元に戻った。
ただしケリスが生まれたのは九月下旬、つまり事件の解決後である。
そのためエレビア王国の王都エレビスに着いたとき、ケリスはタラーク達と共に魔法の家に残った。解決に関わっていない自分が歓迎されるのは、何か違うと思ったからだ。
──まだディアスさんやフォルスさんも、シノブさんと会っていませんでしたね──
──ですから僕も留守番を選びました! 父さまやガストルさんもいますし!──
ケリスの思念に、朱潜鳳のディアスは真紅の羽を広げつつ応じた。
アマノシュタットからエレビスまでは1700km以上もある。朱潜鳳の成体は普通に飛んでも時速400kmは出せるが、今日は3500km近くも移動するから今までも随分と急いだ。
今フォルスとガストルはアマノ号の正面で休んでおり、リビングの窓から良く見える。彼らは羽を大きく広げたまま蹲っているが、これは太陽光と大地から魔力を得るためだという。
──オルムルさんがリョマノフさんを試したんですよね?──
──ええ。そのころ光竜の力に目覚めたそうです──
嵐竜ルーシャの問いに、ケリスは思念のみで応じた。今は超越種しかいないから、これで充分なのだ。
──早く私も目覚めたいです!──
──僕も!──
海竜ラームと玄王亀タラークは、神の加護による力に興味を示した。
シノブと共に暮らす超越種の子には、神々が加護を与えてくれる。一歳以上、そして長くシノブの側にいるのも条件らしい。
ただし自身を含め、生まれた直後にシノブのところに来た。そのため一歳を超えたら間を置かずに加護を得るだろうと、ケリスは期待している。
──どんな加護に目覚めるか楽しみですね。玄王亀は大地でテッラ様……それとも闇でニュテス様でしょうか?──
──朱潜鳳もニュテス様やテッラ様かも? でも、炎でポヴォール様とか? どれも素敵ですね!──
ケリスが予想を始めると、ディアスが乗ってきた。
今まで加護を得た子に玄王亀と朱潜鳳はいない。シノブと暮らす玄王亀で最年長はケリス、朱潜鳳はディアスだから当然だ。
地中を更に自由に行き来する。岩や金属の扱いが上手くなる。それとも全く別のもの。自分の加護がどのようなものか、ケリスには想像も出来なかった。
ディアスは闇と地と炎の全てに惹かれているらしく、色々と並べたあげくに一つに絞りきれないと言い出した。
──まだ一年近く先ですね──
──待ち遠しいです!──
ルーシャとラームの思念に、ケリスは微笑ましさを感じた。しかし彼女達の気持ちは良く分かる。
玄王亀は移動速度が遅いからか、一般的に気が長いらしい。その自分でも、ようやく半分を超えたと思うくらいなのだ。
ちなみに残り三ヶ月のディアスだが、先日の眷属ヴァシュカと会ったときは幼い子より熱心に訊ねていた。彼は好奇心旺盛な父フォルスに似たようで、常から様々に想像していたらしい。
──シノブさん、早く戻ってこないかな──
──タラーク、お腹が空いたのですか?──
首を擡げた弟分に、ケリスは冗談めかした問いかけをした。
タラークが欲しいのはシノブの魔力だろう。より多くの魔力を得れば、その分だけ早く成長できるらしいからだ。
そしてケリスが思っていた通りだったようで、タラークは恥ずかしげに首を竦めた。
しかしシノブ達が戻るまで、まだ随分とある。
エレビア王国の歓待に加え、アマノ同盟アスレア地方局の視察もある。そのためエレビス出発は昼過ぎ、まだ二時間は先だ。
──『神力の寝台』で昼寝しましょうか?──
──それが良さそうですね──
ディアスの提案に、ケリスは頷いた。
『神力の寝台』とは、シノブの魔力を吸収できる場所だ。今回は五日にも及ぶ旅行だから、これを魔法の家のリビングに運び込んでいた。
しかしシノブがいるときは触れていたいから、先ほどまでは直接の吸収を選んだのだ。
──あっ、そうだ! 父さまやガストルさんも『神力の寝台』を使えば!──
ディアスは飛び上がると、大きく羽を広げた。
今まで『神力の寝台』を超越種の成体が使ったことはない。しかし成体でも使えるなら、あっという間に回復できる筈だ。
フォルス達も小さくなる神具を授かっているから、リビングに入って試してもらえば良い。
──そうですね! フォルスさ~ん、ガストルさ~ん!──
──シノブさんの魔力で回復しましょう!──
ルーシャとラームも名案だと思ったようだ。彼女達は窓へと向き直り、高らかに思念を響かせる。
すると二羽の巨鳥が、同時に振り返る。
ケリスはフォルス達が承知するか、疑問に感じていた。『神力の寝台』は自分達のような子供が使う神具だから、成体の彼らは嫌がるかもと思ったのだ。
──ぜひとも! 神具の寝具、一度試してみたかったのです!──
──では早速!──
どちらも子供用神具でも気にしないようだ。しかもフォルスは冗談らしき言葉まで響かせる。
二羽は人間の大人ほどに小さくなって飛んでくる。そこでケリスは魔力操作で窓を開け、彼らを迎える。
──父さま、こちらです!──
ディアスは既に部屋の奥、『神力の寝台』の上だ。
一方ケリスは窓を閉め、浮遊で向かう。超越種最速を誇るだけあり、既にフォルス達は室内に入っていたのだ。
タラーク達は浮遊を使えないから、床の上を歩んでいる。
歩行にはリクガメのようなタラークが一番向いており、彼が先頭だ。続くのはラーム、四枚の鰭を忙しく動かし長い首も前に傾けている。最後はルーシャ、嵐竜は蛇のような体に短い足で歩幅が非常に狭かった。
──我が子と共に休むのも良いですね!──
──タラーク君、お嬢様方、失礼します──
フォルスは息子の側に降り立った。一方ガストルは幼い三頭を魔力で持ち上げると、寝台へと乗せた。
そしてケリスも午睡を楽しみにしつつ、使い慣れた寝床に降りる。
──こ、これは~! 漲るぞ~!──
──ええ! 癖になりそうです~!──
『神力の寝台』は成体でも問題なく使えるようで、フォルス達は感激を顕わにして羽ばたきを繰り返す。
しかし思念が響き渡ると眠るに眠れない。魔力の吸収は起きていても可能だが、ケリスは少しだけ残念に感じていた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は予定通り、昼食を済ませて帰ってきた。そしてアマノ号は再び飛び立ち、東南東へと舳先を向ける。
まずはエレビア半島の東海岸に沿ってだから、ケリスは海と大地の双方を堪能する。そして次はアゼルフ半島の大森林、どこまでも続く緑の絨毯だ。
アゼルフ半島はエレビア半島の十数倍もあり、北端から南端までは900kmを超える。そのためエレビスからプロトス山の旅は七割ほどがアゼルフ共和国の上、つまりエルフ達が愛する木々や草花で満ちた場だった。
しかもフォルスとガストルは午前と違い、大半を低く飛んでくれた。これは『神力の寝台』での語らいで、ケリス達が地上の様子を楽しみたいと伝えたからだ。
流石に人の住む地は高空を選んだが、アゼルフ共和国の大半は深い森だ。そのためフォルス達は木々の倍程度という低空を進み、ケリス達は多様な植物やそこで暮らす動物達の姿を堪能した。
最後はプロトス山がある半島中央の山脈だ。そして白と青の霊峰は、ケリスの心に大きな感動を齎す。
玄王亀アノームとターサの棲家があるくらいで、プロトス山は良質の魔力に恵まれた場所だ。それ故ケリスは視覚と同時に、感知能力でも絶景を楽しんだ。
成体になったら、この素晴らしい地で過ごすかもしれない。この夢想がケリスの胸中に更なる喜びを与えてくれる。
タラークの兄シューナは、アスレア地方北東のメリャド山に棲家を整えた。したがって自分がタラークと番になれば、ここで暮らしてプロトス山の魔力を糧とする可能性は高い。
──タラーク、本当に良いところですね──
降下していくアマノ号で、ケリスは将来の伴侶だろう弟分に思念を送る。
恥ずかしいから伝える相手はタラークのみにした。今も彼は背の上だから、他に魔力波動を察するのはシノブくらいだろう。
──はい、ありがとうございます! ……あ、あの! ケリスさんに褒めてもらえて凄く嬉しいです!──
タラークの思念も常以上に弾んでいた。それに彼もケリスのみを思念の対象にした辺り、自分と同じことを考えたのかもしれない。
まだ小さな弟分だが、すぐに自分に追いつき並んでくれる。そして長い生を共に支えつつ過ごすのだ。幸せ溢れる未来予想図を祝福するように、美しい山は煌めいていた。
「それじゃシャルロット、ミュリエル、セレスティーヌ。後を頼むよ」
シノブはケリスとタラークを抱いたまま立ち上がる。
既にアマノ号は着陸している。これからシノブの短距離転移で、アノーム達の棲家に移動するのだ。
「はい」
「いってらっしゃいませ!」
「お任せくださいな!」
名を呼ばれた三人がシノブに笑顔を向ける。
地下に赴くのはシノブとアミィ、そしてケリスとタラークのみである。超越種は棲家に多くの者が立ち入るのを好まないからだ。
同じ超越種、シノブや彼の家族、アミィを始めとする眷属。多くの場合、このように限られた者のみが招かれる。
「ケリス殿、タラーク殿、ゆっくりなさってください」
「ええ、せっかくの水入らずですもの」
リョマノフとヴァサーナも立ち上がり、見送ろうとする。二人は超越種の住まいに行くなど畏れ多いと、地上に留まると言い出したのだ。
そこでシャルロット達は、休憩しつつリョマノフとヴァサーナを接待する。
フォルスとガストルも、先ほどオルムル達を率いて飛び立った。同族だけで心置きなく語り合うべきと、二羽は遠慮したらしい。
飛翔できない子供達もフォルス達に乗って同行したから、超越種の子で残っているのはケリスとタラークのみだ。
「それじゃ、行くよ」
シノブは正面の窓から外に出ると、そのまま短距離転移を行使した。もちろんケリスとタラーク、アミィも一緒である。
「アノーム、ターサ、シューナ、久しぶり!」
遥か地下に広がる空間には、シューナを含む三頭の玄王亀が待っていた。それを見たシノブは、大きく顔を綻ばせつつ声を張り上げる。
──よく参られた──
──ご無沙汰しております──
──本当に。……貴方がタラークですね。初めまして、兄のシューナです──
アノームとターサは挨拶に加えて頭を下げたのみだが、シューナは腕輪の力で小さくなり寄ってきた。
成体の玄王亀は甲羅の長さが20mほどもあるが、タラークは五十分の一ほどと大きさが違いすぎる。そこで近くに寄るなら小さくなるべきと、シューナは考えたらしい。
そして長男に倣ったのかアノーム達も縮み始め、こちらも十分の一ほどになった。
──父さま、母さま、兄さま!──
タラークは歓喜も顕わに首を擡げ、精一杯の速さで歩み始める。その可愛らしい様子に和んだらしく、シノブとアミィは笑みを交わしている。
──また少し大きくなったな──
──それに魔力も多くなりました──
アノームとターサは満足げな思念で次男を迎えた。数日前にも転移の神像を使って来たが、このころの幼体は日に日に大きくなるから一割ほども違う。
一方シューナは、タラークに顔を寄せて擦り付けている。これは玄王亀の歓迎、それも家族など極めて親しい者に対する仕草だ。
「ケリスも行ってきたら?」
「そうですよ、将来の家族ですし!」
シノブとアミィも、ケリスがタラークと結ばれると考えているらしい。二人は語らいの輪にケリスも加わるようにと勧める。
──はい!──
ケリスもタラークと同じくらいの大きさになり、彼の隣に並ぶ。あまり差があると、タラークが気にすると思ったのだ。
「似合いだね」
「はい。……そういえばシューナのお嫁さん候補ですが、どの辺りにいらっしゃるのでしょう?」
後ろでシノブとアミィが囁きを交わす。
これはケリスも気になった。シューナに同年代の玄王亀がいるか、聞いたことがなかったのだ。
そこで良い機会だからと訊ねてみることにした。
──シューナさんと同じくらいの歳の仲間って、どこにいるのでしょう?──
──ほんの少し先に生まれた者が、かなり東にいる──
──私達と同じくらいの番アープとサラスは、ラシュスという雌の子を得ています──
ケリスの問いに、アノームとターサは僅かに首を傾げつつ応じた。
玄王亀の移動は地中潜行で、しかも魔力の流れに乗って進むから方向をあまり意識しない。大まかに言えば、どの流れを使い、どこの分岐でどちらを選ぶという覚え方なのだ。
そのためアノーム達は東だと認識しつつも、アスレア地方の外という程度しか把握していなかった。
──ではラシュスさんと?──
──まだ早いです。棲家を飾らないと認めてくれないでしょう──
ケリスは期待を示すが、シューナは首を振る。
シューナも二十年に一度の邂逅でラシュスと会っていた。しかし玄王亀の場合、共に暮らそうと申し込むには長い時間が必要だ。
玄王亀の雄は自身が造った宝石で棲家を飾り、雌に自身の力を示す。
実際ここも周囲の壁や天井は全て各種の宝石で彩られている。ただし同等の域まで整えるのは数十年から百年近くも必要で、シューナは何回か先の邂逅でラシュスを誘うつもりだったという。
他の超越種と同じく玄王亀も極めて数が少ないし、年齢的に釣り合うのは自分だけ。そのためシューナは急いでいなかったのだ。
「東か……マハーリャ山脈じゃないかな?」
「イーディア地方とカン地方の境の……確かに条件に合いますね」
シノブとアミィが言葉を交わしつつ歩んでくる。
マハーリャ山脈にはシャプラの神泉という遥か昔に眷属が開いた聖地があるくらいで、清らかな魔力を宿した山が多い。そのため惹かれる玄王亀もいただろうと、ケリスも感じた。
──あの……シノブさん──
「探してみよう。イーディア地方やカン地方と交流するから、そこにいる超越種達とも色々相談したかったんだ」
ケリスの願いに、今度もシノブは応えてくれた。
シノブは超越種も含め、共に暮らす同じ仲間だと言ってくれる。そして彼は、人間の暮らしで不都合が起きないように配慮もしていた。
たとえば飛行船の航路を設定する際に、竜や光翔虎の狩場があれば避ける。それに玄王亀や朱潜鳳が暮らす場所では、地下資源の採掘も制限しているという。
そのためマハーリャ山脈に玄王亀がいるなら、会っておきたいと考えたのだろう。
──ラシュスさんって、僕のお姉さんになるんですね! 会いたいです!──
──そうかもしれませんが──
タラークの無邪気な発言に、シューナは照れ気味の思念で応じた。とはいえ彼も会えるならと思っていたのか、反対しない。
ここからアスレア地方の東端まで2000km近く、イーディア地方でも東側なら倍はある。もし後者なら玄王亀にとって往復一ヶ月だし、地中の魔力の流れは複雑に曲がっているから実際には更に多くの日数を要するだろう。
しかしシノブとアミィが転移の神像を造ってくれたら、毎日でも会える。
──ラシュスさん、どんな方でしょう!──
ケリスは成体の三頭へと問いかける。
数少ない同族、しかも自分がタラークと番になれば義姉となる相手だ。そのためケリスも強い興味を感じていた。
──優しい娘だったぞ──
──ええ、シューナと似合いの子ですよ──
アノームとターサの思念にケリスは耳を傾ける。
遥か東の仲間や、そこまでの旅路を聞き、シューナとラシュスの将来を夢想する。そして自分やタラークの未来も。
そこにはシノブもいて、太陽のように自分達を照らしてくれる。今と同じく、とても素敵な日々がある。ケリスの想いは時間と空間を超え、どこまでも広がっていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年9月19日(水)17時の更新となります。
本作の設定集に26章の登場人物の紹介文を追加しました。
上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。